三岐鉄道北勢線ナローゲージの旅

今朝はキレイに晴れ渡った空になっている、三重県の伊勢市。伊勢神宮を中心とした神の国の街だが、街だが、今回はお参りに行けるだろうかなぁ。

 

この土日は、毎年恒例の伊勢セミナーでここ数年はキャッシュフローMGをやっている。昨年は台風の直撃を受けるという超ハプニングがあったが、今年は何事もなさそうだ。

 

さて、前日の昨日は丸1日時間が取れたので、乗り鉄の旅を愉しむことにした。となれば、三重県に残る二つのナローゲージ。

 

かつては地域のローカル私鉄として開業し、やがて三重交通に一元化され、さらには大私鉄である近鉄の路線となった。

 

その後赤字により廃線の話もチラホラ出たが、一方は三岐鉄道が路線を引き受け、もう一方は三セクの四日市あすなろう鉄道が設立されて現在も健在なのは嬉しい。

 

当初は両方ともいっぺんにと思ったが、愉しい旅はゆっくり味わうのが佳いので、今回は前者に焦点を当てることにした。そんなわけで、前日は桑名泊になった。

 

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三岐鉄道北勢線の西桑名駅はホテルの真ん前にある。開業時は路面線でさらに街中まで伸びていたそうだが、今は桑名駅の片隅にひっそりとある。

 

かつてはナローゲージ(762mm)の弱小線で、本数も少なかったが今では整備され、駅数も増えて運転本数も増えた。ただ、終点の阿下喜まで行くのは基本1時間に1本だ。

 

終点阿下喜(あげき)までは役20km、幅の狭いレールが左右に曲がりながら続いている。至る所に「(時速)25km制限」標識があるのがナローらしい。

 

とはいえ、車両は小型(全長15m以下)だが3両ないし4両編成、冷房化も進んでいる。ただ一部は重量に配慮したり、機器がおけない理由で非冷房だ。

 

阿下喜までは55分の旅、途中でも列車交換も列車交換も度々あり、桑名に向かう列車はけっこう乗客が多かった。

 

やがて正面の藤原岳が大きく見えてくると終点の阿下喜だ。員弁川をはさんで平行する三岐線の伊勢治田駅までは1.5kmくらい。

 

まずは逆方向の北勢郵便局までけっこうな坂道を上がり旅貯金。反転して伊勢治田駅まで約30分くらいを歩いた。愉しい旅であった。

二階建て新幹線車両(E4)乗車はお早めに

上越新幹線を走るE4系車両、全国の新幹線に残る唯一の二階建て車両です。二階建て新幹線車両の嚆矢は東海道・山陽新幹線を走った100系車両で、後に東北新幹線の200系にも製造されました。

 

それらはいずれも編成の一部(2両ないし4両)が二階建て車両でしたが、やがてJR東日本にE1系が製造されました。1994年に製造開始、MaxMulti Amenity Express)という愛称が付けられました。

 

E1系は全車両が二階建て、最後の普通鋼製新幹線車両でしたが6編成(12両編成)製造に留まり、97年には早くも後継のE4系車両(8両編成)が製造され、2012年に20年足らずの活躍を終えました。Jre3020501

 

後継のE4系車両は先頭のノーズがさらに長くなり、E1がムーミンと呼ばれたのに対し、カモノハシと呼ばれるようになりました。当初は東北新幹線にも運用されていましたが、現在は全て上越新幹線で運用されています。

 

そのE4系はトキ色帯に26編成全て変更、2編成連結(16両編成)の場合は世界で最高定員の高速列車となっています。しかし4M4Tでは最高速度が240km/hであり、2020年度末までにE2系とE7系に置き換わることが発表されています。

 

すでに6編成が廃車になっており、今後もE5系の増備で押し出されるE2系が上越新幹線に移り、すでにE7系の上越新幹線内試運転が始まっています。よって、来春以降急速に置き換えが進むと思われます。

 

ダイヤ改正、あるいは見直し補訂ごとに運用が減っていくことは確実です。E2系は10両編成、E7系は12両編成ですので、通勤時間帯の輸送力列車を中心にまだ残るとは考えていますが、いずれにしても乗り鉄、撮り鉄とも

お早めに。

 

私も大宮あるいは東京に毎月のように出かけますが、E4系に乗車する際には、ゆっくり読書やPC仕事をする場合は1階席、四季の景色を愉しむには2階席、大きな荷物を持っているとフラットシートと決めています。

 

難点はAC電源のないこと(車両端に電源のある車両もありますがあくまで業務用)、13号車の2階席(自由席)はリクライニングなしの3人席だということ。もっとも、閑散時の3人シートは逆にゆったりとしていい場合もありますが。

 

新幹線の線路両側の防音壁が高くなっている区間では、2階席でないと景色が楽しめませんので、どうぞ早めに乗車をお勧めしておきます。

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1日ズレておれば大変なことだった

大きな被害が出た今回の台風21号、まともに大阪湾を直撃していったために、強風と高潮の被害が予測を超えて大きかったようだ。

 

私自身も8月の30日から神戸に来ていて、2日のセミナー終了の夕方まで滞在していた。神戸に来る前から台風情報は日に何度も確認していた。

 

当初の予定は2日に名古屋に移動し、3日はゆっくりと信州を縦断して新潟に戻るスケジュールを組んでいた。ただ、台風の動き次第で2日中に帰ることも視野に入れていた。

 

2日午後の時点での確認で、少なくとも4日の未明までは大丈夫で、3日夜までに戻ることができれば安全であると判断することができた。

 

となると予定通りに動くことを決断した。青春18切符の残りがまだあり、2日夕方からの神戸から名古屋への移動、そして3日の乗り鉄旅も可能だと思ったわけだ。

 

後から振り返ると、かなりスレスレだったことが分かる。3日朝の名古屋は夜半の雨が上がって晴れてきていたが、翌朝はかなりヒヤヒヤの天候だったようだ。

 

台風の進路右は雨風が強いということは知っていたが、今回のケースは正にそれに当てはまっていたようだ。だからもし、1日ズレておれば乗り鉄旅どころではなかったわけだ。20180903_160532

 

実際、4日は前日に乗った飯山線はほぼ運休になっていた。前日の3日は、晴れた空の下をのんびりと旅ができたのが、ホントに幸いだったということだ。

 

これまでも天候の変化で、旅程を変えざるを得ないことや足止めを食ったこともあったが、状況の急変に備える準備はしておかねばならないことを、改めて痛感した。

 

末筆だが被害に遭われた皆さんには、心からお見舞いを申し上げたいと書いたところで、北海道の大きな地震をニュースが伝えている。

 
次々に大きな自然災害が起こるものだ。この冬の豪雪や夏の猛暑といい、日本列島がおかしくなっているのを感じてしまう。被害が広がらないことを、ただ祈るばかりだ。

この夏も「18切符」で旅をしよう

最近は「青春18切符」の利用者が増えているという。しかも、50代以上の比較的高年齢の人たちがであるらしい。

 

確かにここ数年、本線たとえば東海道本線などを18切符で、つまり各駅停車で旅をしていると、けっこう高年齢者のグループに出会うことが多い。

 

かなり以前なら、そういう人たちはほとんどが地元の短区間利用者だったのが、この頃は私と同じように主要駅でさらに乗り継いでいく人が多い。

 

もっとも、こちらも既に高齢者なのだが。
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そんなわけで、夏と冬には私も18切符をもってローカル列車を乗り継いで、のんびりと先を急がない旅をすることが多い。さりとて、時間を作ることが年々困難になりつつあるが。

 

そこで仕事の遠征時を利用して、仕事の前後に時間の取れる日を作り、のんびりと列車に揺られるわけだ。

 

この夏の18切符は7月20日から通用期間がスタートした。ちょうど九州にいて、鹿児島から熊本への移動に使った。

 

もっともこの移動の大半は、18切符が使えない肥薩おれんじ鉄道への乗車だったが、18切符利用者用のお得なフリー切符があり、それを購入した。

 

また、時間があったので、三角線というローカル行き止まり線を往復した。以上は先月のコラムにも書いたので、興味のある方はそちらを見ていただけると幸い。

 

次回はというと、しばらく間が空いてしまう。今月、新潟から関東方面への移動に使う予定だ。上越線を南下するのだが、実はこれがなかなか面倒なのだ。

 

というのも、上越線で上越(越後国と上野国)国境を越える区間、つまり越後中里から水上間がネックなのだ。国境を越える定期列車はたったの5往復しかないからだ。

 

その後は9月だ。神戸からの帰り道、名古屋での泊まりを挟んでほぼ丸1日の旅を楽しもうと思う。気懸かりは天候だが、これはもう運を天に任せるしかない。

 
あともう1回余ってしまうのだが、これも「秘策」を考えている。そう、旅に思いを馳せて案を練ることも、実に楽しい「乗り鉄」旅の一環なのだ。

あまくさみすみ線にも乗りました

肥薩おれんじ鉄道に乗り鉄したその日、八代から熊本まで直行すれば早く着きすぎるということで、宇土で途中下車して三角線(あまくさみすみ線)を乗り鉄しました。三角線に乗るのも40数年ぶりでした。

 

宇土駅に入ってきたディーゼルカーはキハ31形の2両編成、ワンマン運転です。確か以前は転換クロスシートだと思っていたのですが、改造されたのか申し訳に一部が転換クロスシートで、あとはロングシート。20180720_142701

 

その転換クロスシートを倒して4人分を占領している厚かましいおっさん、こちらもとくにこだわりはありませんので、ゆっくり足を伸ばせるロングシートも歓迎です。

 

終点三角は天草観光への入り口でもありますが、観光客とおぼしきはこのおっさんと、あとはアベックらしい二人連れくらい。「鉄」っぽい人は私以外には見かけませんでした。

 

かつては島原に渡るフェリーもあったようですが、既に廃止されて久しいとのこと。天草五橋を通行する観光バスや車での観光が主体に代わっています。

 

7080年代には豊肥本線に直通する急行(「火の山」)列車も走っていたのですが、確か分割民営化直前に廃止されたと記憶しています。

 

宇土を出てからしばらくして海が見えてきます。三角の少し手前までは、宇土半島の北岸を走ります。さほどの勾配区間もなく、軽快な17m車であるキハ31は軽やかに走って行きます。

 

住吉駅では熊本行きの普通列車と交換待ち、そちらはキハ47147)形の2両編成でした。三角線は、これら2つの形式車両でまかなわれているようです。

 

しかし、この線ならではの車両もあるのです。今回の三角線行では、その車両も撮り鉄するのを目的にしています。それが熊本車両センター所属のキハ185系(キハ185-4+キハ185-1012)の「A列車で行こう」です。

 

短い区間を走りますがれっきとした(臨時)特急列車、ジャズのタイトルのような愛称ですが「A」は天草のAであり、アダルトのAにも引っかけられているとか。なお実際に、ジャズナンバーもBGMで流れているそうです。

 

三角からの帰り道、網田駅にてすれ違い撮影ができました。

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肥薩おれんじ鉄道に乗る

昨日は熊本でのセミナー前日の休日、そこで鹿児島から熊本への移動での乗り鉄旅を楽しみました。

 

実は昨年も同様のスケジュールを立てていたのですが、薩摩川内市の川内駅についてしばらくしたところで突然の地震、鉄道も一時不通になったり遅れが出たりで先が読めなくなり、乗り鉄旅は断念したのです。

 

そこで今回こそリベンジということで、鹿児島中央駅からローカル電車で川内へ。そこから肥薩おれんじ鉄道のディーゼルカーに乗り継ぎです。JRは昨日から通用開始の「青春18切符」を使います。

 

この切符では肥薩おれんじ鉄道には乗れませんが、乗り換え窓口に行くと「おれんじ18フリー切符」というのがあり、青春18切符を提示すると販売してくれます。これだと500円くらい安く乗れるのです。

 

5分間という慌ただしい乗り継ぎ時間の間にフリー切符を購入して、1両だけのディーゼルカーに乗り込むとすぐに発車。車内は私を含めて数人の乗客でした。20180720_112914

 

肥薩おれんじ鉄道は、九州新幹線の開業による「並行在来線」の分離に際して、JR鹿児島本線の八代―川内間を3セク化したものです。

 

元々交流電化されていますが、電気運転しているのはJR貨物の貨物(コンテナ)列車のみです。旅客列車は、上記のようにディーゼルカー(HSOR-100形・150形)で運転されています。

 

貨物列車は夜間を中心に5往復が、鹿児島貨物ターミナルを起終点に運転されていますが、JR貨物の機関車(ED76形またはEF81形)が10両のコンテナ貨車を牽引しています。運転士はJR貨物所属。

 

この貨物列車走行に伴う、JR貨物からの線路施設使用収入がこの鉄道の生命線とも言えます。ただ、施設の管理費用もかかるため、赤字経営状態で補助を頼りにしている状況です。

 

施設自体、かつての本線をそのまま引き継いだものであり、その維持管理も大変だろうなと感じました。旅客も子供の減少で通学客が減っているなど、一企業の努力だけではどうにもならない部分も見られます。

 

この日の列車も、鹿児島と熊本の県境付近ではほとんど乗客がなく、もちろん全線を乗車するなどという酔狂な客は私一人、普段でも鉄道ファンくらいのものでしょうね。

 

土曜休日の快速列車運転や、企画・観光列車の運転などがんばってはいますが、沿線人口の減少などもあり、今後の経営もなかなか厳しいものがあるようです。

 

新幹線の並行在来線問題は各地で問題になりましたが、これからも近い将来、石川・福井県や佐賀・長崎県あたりで起こります。これまでのやり方で良いのかも含めて、考える必要があるとも感じます。

いざという際の代替貨物輸送はお寒い限り

西日本豪雨被害は死者200人を超え、土砂崩れ・土石流や堤防決壊による浸水被害など、平成年間で最大という未曾有の災害になった。ダムの放水で町が浸水し、死者まで出たという人災にも摂れる被害も出た。

 

普段そんなことが起こりそうもないところで起こった例もあったり、想像もできないような土石流に一気に破壊されてしまったということもあったらしい。

 

雨が上がった後は一気に真夏の空になり、ところによっては猛暑日の暑さが襲っていて、復旧の作業も極めて大変なようだ。ボランティアの皆さんを含め、我が身を大事にしながらがんばっていただきたい。

 

さて、鉄道や道路の寸断も半端ではなく、道路に関しては高速道路や幹線道路、あるいは陸の孤島にならないための基幹道路については、応急修理も含めて通行できるようになってきているようだ。

 

一方鉄道については、大動脈である山陽本線を含めて広島県を中心にまだまだ不通区間が多く、復旧までには1ヶ月以上かかる線区もあるとのことです。

 

少しずつ復旧できたところから運転再開を目指しているとのことですが、橋梁が流されてしまったり、電化区間では変電所が破壊・浸水してしまったりしたところもあり、なかなかめどがつかない状況です。

 

昨日(18日)現在では、山陽本線では三原-向洋(広島の手前)間と柳井-徳山間が不通のままだ。海岸を走る呉線(三原-呉-海田市)も復旧見通しはかなり先のようだ。

 

旅客はまだ新幹線が走っているので、該当区間では代替輸送ができているのは幸いだ。ただし、通勤通学輸送が正常になるまでにはまだまだ時間がかかる。

 

一方貨物列車は、東は東福山貨物駅まで、西は新南陽貨物駅から以西しか運転ができない。山陽本線には、JR貨物の貨物列車の約13が走っているそうだが、上記駅の間は走ることができない。

 

そこで当面はトラック輸送や船舶輸送で何割かを対応しているが、やはり貨物の滞留や輸送遅れによる商工業への影響もかなり大きいようだ。

 

東日本大震災の際には石油なども含め、代替線を使っての輸送が機能した。東北本線の全面開通まで、上越線と日本海縦貫線(信越・羽越・奥羽)などを活用しての迂回輸送がなされたのだ。Photo_2

 

そこで山陽本線がダメなら、日本海側を走る山陰本線が輸送を代替できないかと誰もが考える。しかし、山陰本線は本線とは名ばかりの長大ローカル線で、線路規格が低い区間もある。

 

つまり山陽線を走っている20両や25両編成のコンテナ列車は、走らせることができない。多くが単線で線路容量も少なく、現在貨物列車は工事列車以外には走っていないのだ。

 

ならば新幹線を活用できないか、岡山以西なら線路容量にも余裕がありそうだ。しかしこれも不可能、貨物用車両、機関車も貨車もないし、駅の貨物対応設備もない。初期には貨物輸送構想(上の写真)もあったが、立ち消えになっている。

 

かくのごとく、いざという時の代替策は全く練られていないのが現状だ。まさかこれほどまでの被害が出ようとは思ってもみなかった、ということだろうが誠にお寒い限りだと思わないか?

仙石東北ラインから女川への旅

6月28日、遠征の最終日にほぼ午前中だけの「乗り鉄」旅をした。

 

目的は、ハイブリッド気動車・HB-E211に乗車すること、すなわち「仙石東北ライン」快速に初乗りすること、そして足を伸ばして地震から復興して新駅舎となった女川駅に降り立つことだった。

 

仙台発8時20分の快速気動車は4両編成、車内にはハイブリッド車の案内と仕組みの映像も流れていた。ホームでは、この列車が塩釜までは東北線を走り、そのあと仙石線に入る旨を放送していた。20180628_092326

 

つまり、松島観光の旅行者はこの列車に乗ってはいけない、松島海岸駅は通らないということなのだが、そこのところの案内が不親切で、案の定何人かの乗客がご乗車をしていた。

 

高城町から2駅仙石線を引き返せばいいわけだが、単線で便利な折り返しがすぐにあるかどうかは運次第。今回も多分30分くらいホームで待つことになるはずで、もう少し丁寧な案内が必要だろうと感じる。

 

ズバリ、「松島海岸に向かう方はこの列車の乗らないこと」をPRすべきだろう。もっとも、仙石線の仙台駅は地下で少し離れて歩くのが面倒だから、安直にこの快速に乗る観光客も少なくないのだろう。

 

快速は東北本線の塩釜駅を出て、松島駅の手前の仙石線と並行している区間で転線し、仙石線に入った。信号待ちが繰り返されたが、それもやむを得まい、安全第一だから。

 

高城町から石巻までの区間では、震災の津波で大きな被害を受け、区間によってはかなり内陸に移動した。海岸寄りでも高い防波堤で景色が見えないというのも仕方のないところだ。20180628_100151

 

石巻駅で石巻線に乗り換え、終点の女川まで行く。この区間も津波の大きな被害を受けたところで、女川駅は高台に移って新築された。日帰り湯も併設、無料の足湯は駅前にあって人気のようだ。

 

駅前の郵便局で旅貯金、この局も昨年の春に移ってきたようだ。そこから海に向けて新しいストリートができていて、少しずつ観光客を対象にしたお店もオープンし始めていた。休日などには賑わってほしいものだ。

 

しかしながら全般的には、震災復興はまだまだ半ばにも達していないのではないかという感じを受けた。工事はまだあちらこちらで進められている、道路や護岸工事、住宅の建設など。

 

単なる旅人が偉そうなことは言えないが、何か一つでもとお土産を買って帰ることにした。

日本海縦貫線を特急乗り継ぎで行く

青森県八戸市からの帰り道、昨日は休養と趣味をかねて日本海回りでのJR乗り継ぎ旅を選択しました。新幹線大宮乗り換えであれば正味4時間ほどのところを、乗り継ぎも含めて倍の8時間です。

 

幸いに今日までは安定した天候のようで、新緑に萌える山々や青々とした水田を眺めながら、そしてゆったりとした日本海を見ながら下っていきます。

 

八戸から新青森へは新幹線の旅、Jはやぶさ95号はR北海道のH5系の担当。もちろん全車指定席ですが、この区間は立席特急券で空いている席に座れます。

 

新青森からは10分足らずの乗り換えで、E751系特急つがるに。4両編成で後ろ2両が自由席。ダイヤ改正毎に本数が徐々に減ってきていて、ある意味絶滅危惧種になっている特急(現在3往復)です。T_20180605_11

 

左側に腰掛けると、途中の弘南鉄道黒石線や大鰐線、秋田内陸縦貫鉄道の車両も眺められます。弘前までの間は、右側に岩木山が見えます、車内が空いていますのでこの間は席を移動でした

 

「つがる」の乗車率はオフ期の平日とあって20%もないくらいでしょうか、途中停車駅での乗り降りも数人といったところで、当面は残るでしょうが、明るい将来ではありませんね。

 

日本海縦貫線はどちらかといえば貨物列車が主流になっています。新潟-酒田間を除くと、特急の本数も少なく短距離のローカル列車が行き交う状況です。

 

さて、秋田では乗り継ぎ時間が1時間以上あり、ここでゆっくり昼ご飯です。ただ、駅ビルや周辺には秋田周辺の名物料理を食べさせてくれる店はすくなく、ここでも全国チェーン店が幅をきかせています。

 

つまり旅人を歓迎してくれる店では、普段はさほど儲からないということで、これも全国的な傾向と言えるでしょう。中には駅前周辺にはそういう店が殆どないといったところもあり、旅人にはさみしい限りです。T_20180605_12

 

秋田からは羽越本線の特急「いなほ」、かつて常磐線を走っていたE653系が塗色も変えてがんばっています。酒田以南は本数もそこそこありますが、秋田に足を伸ばすのは3往復だけです。

 

停車駅もその昔の急行や準急並みで、表定速度はまずまずですが、「特別」急行列車というイメージではなくなった感じです。こちらも乗車率はオフ期で低く、せいぜい30%ちょっとというところだったでしょうか。

 

さすがの定時運転で新潟駅に到着、高架化された新潟駅ですが、東側から入線したのは今日が初めてでした。で、この「いなほ」は同じホーム(在来線5番線と新幹線11番線)での新幹線接続はなかったようです。

ポニー・C56160が本線上から引退

今月末、1台のSL(蒸気機関車)が本線上から引退した。C56 160号機JR西日本の梅小路運転区(京都)に所属する。つい先日までは山口線の「SLやまぐち」号や、関西では「SL北びわこ」号として走っていた。C56160_9522__100501

 

誕生したのは1939年の4月というから80年近く前になる。兵庫県の川崎車両(現在の川崎重工業)で製造され、すぐに北海道に渡り静内機関区配置となって日高本線(苫小牧-様似)を走った。

 

C56形は、線路規格が低いがやや長距離のローカル線でも走れる機関車として造られ、160号機はそのラストナンバーだ。小型機関車のC12形を改良し、テンダ(石炭車)をくっつけた感じだ。

 

軸配置は1C、つまり小さい先輪があり、その後に3つの動輪が結ばれた形で、モーガル形と言われるが、一般的には『ポニー』の愛称が定着した。

 

これは八ヶ岳山麓の小海線でも走り、その姿を「高原のポニー」と鉄道ファンたちが呼んだのが起源らしい。

 

もっともこのC56形機関車は不運の星に生まれてきた。小型で使いやすい、規格の低い線路でも使えるということで、何と半数以上の90両が戦地であるタイ・ビルマ(現ミャンマー)に送られたのだった。

 

これが有名な泰緬鉄道で、C56形も何と約半数が戦災に遭ってしまったのだ。残った46両はタイ国鉄で戦後も使用されたが、現在は全て退役している。

 

このうちの2両が日本に帰還し、泰緬鉄道の開通式に使われたというC56 31号機は靖国神社隣接の遊就館に保存されている。

 

さて160号機だが、新潟とも縁がある。戦前の僅かな期間だが、白山機関区に配置されて越後線を走っているのだ。この時代の越後線はまだ信濃川に貨物線の橋があるだけで、旅客は白山駅が終着駅だった。

 

終戦日前には備後十日市機関区(広島県・現三次)に転属になって、さらに九州そして信州長野県を点々としている。そして動態保存候補対象に選ばれて特別整備を受け、1972年に梅小路区に配置された。

 

言うなれば幸運な機関車で、その後は梅小路蒸気機関車館での小運転や、各地でのSL列車として活躍している。近年は山口線の「SLやまぐち」号で、C57 1号機と共演あるいは交代で使用されていた。C56160_9522__1005012

 

もっとも山口線ではやや非力だったので、ディーゼル機関車(DD51形)を補機として支援してもらっての運行であったが、小型で可愛いと評判だった。

 

それもいよいよ今月で最終運転が終了、「北びわこ」号の最終運転をもって、本線上から引退することになったわけだ。この後は、京都鉄道博物館で小運転に使われるようだ。

 

いうなれば、かなり幸運な機関車だったわけで、これからもしばらくは元気な姿を見せてくれるだろう。

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