廃線予定の三江線に乗ってきました

JR線の廃線は北海道でいくつか実施され、今後も廃止が囁かれている路線もありますが、本州でも来年3月末に廃止となるローカル線があります。

 

その名はJR西日本三江(さんこう)線、島根県の山陰本線江津駅を起点に、広島県の芸備線三次駅までの1081kmのけっこう長めのローカル線です。

 

今から46年前(大学時代)に初めて江津(当時は石見江津)を訪れたときには、まだ三次までは全通していなくて、途中の浜原までの行き止まり線でした。確かまだSLC12形かC56形)が走っていました。

 

多分三江北線と呼ばれていたはずで、三次から口羽までが三江南線でした。この途中が建設され、全通したのが1975年で、翌年に全通した全線を乗りに行った記憶があります。

 

それから40数年ぶりに、廃止前に乗らなくてはということで出かけました。遠征の休日をフルに活用しようということで、頭をひねりました。

 

何しろ1日の運行本数は56往復程度、しかも全線を走破する列車は15往復しかありません。翌日の予定を考えると、江津発1514の三次行きをつかまえるしかありません。

 

ちょうど昨日10日から「青春18きっぷ」が使えますので、それを活用することも考え、大阪から出雲縁結び空港まではJAC便で飛ぶことにしました。

 

前日にJR西日本のホームページをチェックしたところ、三江線に乗車する人が増えて乗りきれない列車があるかも知れないとのこと。まさかとは思いましたが、一応その対策もチェックしておきました。

 

出雲市駅ナカで昼ごはんをとり(駅前に出雲そばの美味しい店はありますが私はパスなので)、昼過ぎの各駅停車で江津へ。山陰本線は本線とは名ばかり、小型のキハ120形の単行運転です。

 

江津では1時間半の待ち合わせでしたが、同好の士と思われる人たちが10数人。それでも乗り切れないことはないなと、寒いホームでゆっくり待つことにしました。雨も降り出しました。

 

当該列車はキハ120形の2両編成、以前は単行運転でしたが、乗客増で少し前から増結したようです。座席がほぼ埋まる乗客数で江津駅を定刻発車、江の川を左に見ながら川に沿って南下していきます。20171210_150825

 

各所に速度制限区間があり、浜原まではのろのろ運転。JR西日本のローカル線には、そういう区間が多々あります。安全のためとはいえ、保守費用を節減することが主目的になっていなかなと疑います。

 

浜原を過ぎると40年ほど前とはいえ新規開業区間、ここはキハ120形もかなりのスピードを出してくれます。夜のとばりも降りて、17時半頃を過ぎるともう真っ暗です。

 

かなり高い高架上の駅、宇都井駅も闇の中でしたが、眼下の家の中から列車向かって灯りを手にして振る様子が見えました。

 

口羽で15分くらい交換待ちで停車、ここまではずっと短い停車時間でしたので、多くの乗客がホームに降りて一息入れたり、カメラを向けたりしていました。

 

さらに1時間くらいでようやく三次に到着、江津で乗り合わせた人たちの半数以上は、全線を乗り通されたようです。また4分の接続で発車する広島行きに乗り換えた人が多かったようです。

 

私は三次泊まり。そして今日は、廃線予定にはなっていませんが、同じようにキハ120形が行き交う福塩線に乗って、さらに南下していきます。

キシャ旅をのんびり愉しみたいね

先日、マスコミが伝えたニュースがとても心痛かった。展示してあった保存電気機関車EF63から、部品を盗んでいったのだという。夜陰に紛れてだと思うが、とても許されぬ行為だ。

 

心ないファンの行為ではないかと伝えたマスコミもあったが、とんでもない、そんなことをするのは「鉄道ファン」とは言えないし、名乗ってほしくはない。

 

最近は「鉄」が増えてきたらしい。若い人たちや、また女性ファンも増加してきているらしい。嬉しいことではある。私が撮り鉄・乗り鉄になった頃は、いささか肩身が狭くファンと名乗るもおこがましかった。

 

それはそれでいいことなのだが、心ないというかルールを逸脱する輩が増えるのは歓迎できない。昔も、人の迷惑を顧みない連中がいて周囲から批判をされたが、最低限のルールは守らねばならない。もちろん、法律違反などはとんでもない。

 

先日もたまたま「乗り鉄」を愉しむ中で会津若松駅に途中下車したが、ちょうど『SLばんえつ物語』号の運転日で、到着したSL列車を撮影しようというカメラを抱えたファンの姿も多かった。

 

だいたいはルールを守り、例えば白線をまたがないとか、入ってはいけないところに入らないということはできていた。しかし、時には別の人がカメラを向けているその前にしゃしゃり出てしまう姿も見かけた。

 

ホーム上を我が物顔で駆け回ることも含め、これはマナー違反というところだろう。昨今はスマホなどでも、そこそこ佳い写真が撮れるので、気楽にカメラを向けられるのだが、他人の迷惑になってはいけない。

 

小学生以下の子供たちの場合には、そばに大人が付いていて然るべきだと思うが、かくいう私は小学生の頃には公共の場(例えば駅)に一人でカメラを持って出かけることはなかった。

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さて、そういうことは別にして、久し振りにローカル線を各駅停車で乗り鉄できたので、気分爽快だった。

 

最近の若者たちは「電車旅」と呼ぶが、私たちの年代は「汽車旅(あるいはキシャ旅)」だ。私が「鉄小僧」担った頃は、機関車に牽かれた客車列車が長距離の主流だった。

 

大阪から西へ向かうと電気機関車、当時はEF58(ゴハチ)が牽引し、姫路からは蒸気機関車に代わった。たぶんC62とかC59などの大型機関車だった。岡山との県境の帆坂トンネルでは窓を閉めさせられた。

 

最近は電車が主流で、中には窓が開かない車両も多い。今回のローカルキシャ旅では2両編成の気動車だったが、エアコンが効いて窓は少ししか開かないようになっていた。

 

それでもゆっくり移り変わる車窓は、キシャ旅モード全開だった。新幹線や特急に揺られることが多い昨今だが、時間が許せば例え短い時間でもキシャ旅を愉しみたい。

イーストアイとラッキーな出会い

夏休み・お盆休み、色んなところへ出かけた方も多いことでしょう。海外旅行を含めて、旅行に消費するお金も増加しているらしく、GDPを押し上げてくれることにも期待です。

 

今年は「山の日」から始まってお盆休みを長くとる企業も多く、さらにお出かけも増えたようで、高速道路の渋滞も半端ではなく、渋滞に引っかかって大変な思いをされた方もいらっしゃいますね。

 

鉄道も新幹線を含めてかなりの混みようでしたが、在来線の方も幹線系はもちろん、ローカル線もそこそこに混雑していたようです。

 

その一つの原因は「青春18切符」の存在で、老いも若きも18切符を握りしめて各駅停車の旅を愉しむ傾向が強まっています。

 

鈍行旅の大好きな私も、いつもの年なら18切符の旅を愉しむ時間を作るところですが、今年の夏は遠征のスケジュールがかみ合わず、ついに使わないままに終わりそうです。

 

それでも、今回の遠征では久々に東武鉄道を利用するチャンスに恵まれました。そして目的地は草加駅、何と学生時代から数えて45年ぶりに下車しました。もちろんその当時は、今のような高架駅ではなく地上駅。

 

駅周辺も大きく変わりましたね、45年前は草加駅をさらに北上すると田んぼや未開発の土地が続き、新越谷駅や武蔵野線の南越谷駅は建設工事中だったのでは。今や住宅がずっと続き、変われば変わるものです。

 

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そんな懐かしの思いだけではなく、上越新幹線では珍しい車両にも出会いました。イーストアイ、東海道新幹線のドクターイエローと同じ検測車両(新幹線電気・軌道総合試験車)です。正式名称はE926形。

 

何しろ1編成しかありませんし、上越新幹線はもちろん、東北・北海道、北陸の他秋田・山形新幹線も担当ですから、出会えるのはラッキーです。

 

そんなわけで、昨日は佳い日だったなと思った次第です。では今日のセミナー、氣愛を入れてがんばってきますか。

私の「鉄」の原点をつらつら思い出して

「鉄」歴とでも云うのでしょうか、年季は入っています。何しろ物心ついた頃には、近所を走っていた大阪市電を飽きもせず眺めていたそうですから。

 

近くの川(淀川)の河川工事で使われていた、トロッコを見ていたとかも。おそらく工事用のSLもそこにはあったと思うのですが、ハッキリした記憶はありません。

 

両親に連れられて市電に乗って梅田を往復する際には、運転席のすぐ後ろに陣取っていたはずです。車掌の鳴らすチンチンというゴングが気に入っていたようです。阪急の地上ドーム駅も、北野線の古い電車も記憶の片隅にあります。

 

4歳で移り住んだところには、阪急電車が走っていました。まだ梅田-十三間が複々線時代でした、遠くに国鉄の線路(鉄橋)も見えて、SLの姿も眺められました。

 

というわけで鉄歴は60数年になります。小学校の高学年になると、父が趣味にしていたカメラを持ち出してシャッターを切っていました。買ってもらったモノクロフィルムの20枚撮りを、大事に使っていました。カメラは確かペンタックス。

 

身体が弱くて、かかりつけの病院に通うことが月に1、2度ありましたが、阪急と国鉄城東線を乗り継いでいきました。今の大坂城公園駅の辺りには貨物線があり、焼け落ちた砲兵工廠の鉄骨も残っていました。

 

駅名はすぐに覚えました。父が要らなくなった旅行案内をくれましたが、そこには東海道本線の主要列車時刻表が掲載されていました。すぐに時刻表に興味を持ち、ねだって買ってもらったのは小学校5年生頃でした。

 

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残念ながら、その頃の物は写真も含めて残っていません。何しろ引越を何度かしましたので、その都度捨てるかどこかへ紛れ込んだしまったようです。

 

残し始めたのは高校時代からでしょうか。もっともその頃は、陸上競技に全力投球していましたし、大学受験勉強などもあって、物自体が多くはありません。

 

大学時代に入ると、まず写真を残すことを心がけ、次いで切符の収集をやりましたが、後者は長続きしませんでしたので、大したコレクションにはなっていません。

 

大学時代には鉄道研究会にも入りましたが、どちらかというと個人で活動することが多かったようです。最近はOB会にも割に顔を出している方ですが。

 

趣味誌である「鉄道ピクトリアル」を定期購入し始めたのも20歳頃で、これは今でも続いていますが、昨年の転居を機会にそれまで保管していた約40年分のバックナンバーは、全て売却あるいはPDF保存にしました。

 

模型づくり(ほとんど手作り)も手がけましたが、こちらの方は数年しか続かず、作った車両は全て譲渡してしまい、影も形もありません。

 

そんなわけで、今は乗り鉄が主で、その範囲での撮り鉄だけです。Facebookには、撮り鉄の範囲内での写真を紹介するページ「鉄道ファン」を作っていますが、ぬるい趣味の範囲内です。
https://www.facebook.com/railwayfan/

これからも、のんびり列車に揺られる旅を愉しんで参ります。

路面電車は各地でがんばっています

日本国内の路面電車が見直されていることは、周知の通りです。省エネで二酸化炭素も出さない、安全で人に優しい乗り物であること、さらには事業者の努力で乗りやすく便利で快適にもなっています。

 

車社会の進展で道路の邪魔者扱いされ、大都市でも地方都市でも一時期廃止が相次いだことがありましたが、昨今は廃止されることも殆どなく、帰って駅への乗り入れなどさらに便利になってきました。

 

関ヶ原を境にしてみますと、東に位置する路面電車事業者は札幌市電、函館市電、東京都電(荒川線)、豊橋鉄道(軌道線)、富山地方鉄道(軌道線)、富山ライトレール、万葉線、福井鉄道(軌道線)の8つ。

 

これに対して西には、京福嵐山線、阪堺軌道、岡山電軌、広島電鉄、伊予鉄道(軌道・鉄道線)、とさでん交通、熊本市電、鹿児島市電、長崎電軌の9つ。

 

数の上では拮抗していますし、上にも上げた駅前での至便性向上、全面冷房化や低床車両などの導入、運転本数や運転時間の増加などもあって、利用者数を伸ばしている路線もあります。

 

ICカードの利用もかなり便利になりました。スイカなどは、多くの事業者で使えます。今回は九州で熊本、鹿児島の2つの市電を利用しましたが、熊本ではスイカが使えました。

 

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低床車両は、とくに重い荷物(キャリーバッグ)を抱える身にはありがたいです。また安全地帯を拡大して暮れているところ、あるいは前後に傾斜があることも助かります。

 

まだ古い車両もがんばっていますので、全面的にオーケーとまではいきませんが、以前から比べたら格段の進歩だと言えます。路面電車ファンにとっても、嬉しいことです。

 

大都市の路面電車は4都市(札幌、東京、京都、大阪)だけですが、地方都市では都市規模や人口からいっても地下鉄では荷が重すぎ、路面電車がちょうど手頃です。

 

いわゆるLRT(ライトレール)に準ずるシステムや車両の年も増えました。富山では2つの路線をつなぐ工事も進められています。路線延長の話もチラホラ見られますが、こちらは様々な障害があって進みが遅いようです。

 

何年か先には、関東の一角の宇都宮市にもライトレールが登場する予定です。これからも路面電車にはがんばってほしいですね。(写真は鹿児島市電)

超都会の鈍行電車を旅する

阪神電車、1905年に開業した日本最初のインターバーン電車。並行する官鉄(東海道本線)との絡みで軌道法による建設で、各所に路面軌道がありましたが、現在は大半が高架線あるいは地下線で、もちろん路面併用軌道はありません。

 

大阪梅田と神戸元町間の32.1km、路面軌道の名残を残すように駅数が多く両端駅を入れて33駅あります。つまり駅間平均が約1km、この途中31駅を律儀に停車していく各駅停車を今回は乗り鉄に選びました。

 
私が初めて阪神電車に乗ったのは、多分小学校に上がる少し前で、海水浴で香櫨園あたりに父と出かけた時だったと記憶しています。昭和30年代の初め、当時は15m級の茶色の小型車ばかりが走っていました。


 
梅田の地下駅から甲子園までは急行に乗りましたが、先頭車の貫通扉が足元までガラス窓になっていて、もちろんへばりついていましたが、小さい車体を目一杯揺らして疾走する急行電車に感激したものでした。


 
その後大型車が登場、足の速い特急電車に追いつかれないために各駅停車用に開発されたのがジェットカー、オールM編成で抜群の加減速力でした。


 
現在の各停用もオールM編成の伝統は守っていますが、超高加減速とはさすがにいきません。でも、短い駅間の各駅に止まりつつ、追いかけてくる特急や急行から逃げ切る性能は守っています。


 
梅田発11時41分、折り返し電車が遅れて2分ほど延発でした。5000系(5032ほか)の4両編成。初めて乗った時にはすぐに地上に出て福島駅も地上にありましたが、現在は地下駅。新しい商業施設などが人気のスポット最寄り駅です。


 
2つめの野田で早くも後発の急行と緩急接続で2~3分停車。途中31駅の内、6つの駅で通過電車待ち、緩急接続待ち(2つの駅では2本待ち)。最大7分停車(西宮)もあり、退避可能な駅8つの内退避無しは青木と大石だけでした。
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尼崎駅では、両側ホームのドアを開け、急行電車到着時にはなんば線直通電車(快速急行など)との乗換用「通路」としても活用されます。近鉄の中川駅でも見られますが、こちらは都会の中心駅、昼間でも10分おきに繰り返されます。


 
この日の甲子園球場は巨人戦とあって、入場券は早々売り切れ。当日券はありませんので、駅の案内でも「入場券のない方は入れません」と繰り返していました。甲子園駅の臨時電車折り返し(試合終了時)は見事で、芸術的とも言えるものです。


 
御影駅の先の石屋川車庫は、20余年前の阪神淡路大震災で壊滅的打撃を受けた高架線上の車庫。その少し先の岩屋から神戸地下線に入ります。三宮駅は神戸市の中心、なんば線直通、近鉄乗り入れの電車はここが起終点です。


 
次駅元町駅が阪神本線の終点、島式2線ホームですが、大阪方にシーサスクロッシングがあって、かつてはここで全列車が折り返していました。現在も一部あり。線路はこの先神戸高速線として、高速神戸で阪急線と合流して山陽電鉄線につながっていきます。


 
この電車も高速神戸行きですが、私は下車。乗車時間は約80分、表定速度は24kmでしたが、停車時間(合計約40分)を差し引くと約49km/hといったところですから、31もの駅に停車することを考えればなかなかのものです。


 
所要時間の内半分は駅に停車している時間の旅でしたが、移りゆく町並みや工場群、あるいは六甲山系の山並みを楽しめた佳い旅でした。

伊勢神宮・御垣内参拝をしました

昨日は早朝に自宅を出て、上越新幹線で東京へ、さらに東海道新幹線に乗り継いで名古屋に着きました。ここまでは乗り鉄旅とは言っても「移動」という感じですね。読書時間には十二分でしたが。

 

いわゆる『ジパング』割引ですので、運賃・特急券とも30%割引です。しかし、ネックは「のぞみ」は割引対象外ということです。今や「のぞみ」は、東海道山陽新幹線で最も本数の多い電車ですから。「のぞみ」の特急券は割引になりません。

 

「フルムーンパス」でも同様とか。聞くところによりますと、外国の方が利用されている「ジャパン・レールパス」も同じように、「のぞみ」には乗れない(のぞみの特急券を買えば乗れますが)そうですね。
 

 
先発する3本の「のぞみ」を見送って、「ひかり」に乗車。同じN700系車両ですが、自由席が5両(のぞみは3両)ですし、実は名古屋までの所要時間は3分ほど遅いだけです。これは、停車駅が品川、新横浜、小田原と1つ多いだけだからでしょう。
 

 
通常料金でも僅は210円差ですが、ジパング割引の場合には2000円近い差になりますから、ここはやっぱり「ひかりでしょう」となりますね。
 

 
名古屋から伊勢市へは、関西本線の快速「みえ」に乗り継ぎました。本数では近鉄特急が便利ですが、新幹線から地下の近鉄駅までより、関西線ホームはずうっと近いですから。
 
 
 
所要時間は近鉄の約80分に対して90分、7~8割が単線区間(近鉄は複線)ですから10分差は大健闘でしょう。車両は転換クロスシートのキハ75系、2両中指定席は0.5両、割引指定料金は360円です。
 

 
四日市の南の河原田から、津までは三セクの伊勢鉄道を通ります。単線区間でも100kmを超える快速で走りますし、一線スルーの通過駅もけっこうあります。
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今回の伊勢行き、目的はMGセミナー参加ですが、その前日である昨日は伊勢神宮の参拝も予定していました。しかも、いつもの一般参拝所からではなく、御垣内(みかきうち)参拝です。本当は「正式参拝」というようです。

 
外宮からスタートして別宮も周り、内宮に参拝して終了しました。お願い事は外宮で、お礼事は内宮でお祈りしました。お守りも「家内安全」を、我が家と娘夫婦の家と二つ求めてきました。

 
お参りのあとは、白鷹の純米吟醸酒を軽くいただいて〆といたしました。河西先生、ありがとうございます。

加悦の里に46年ぶりに訪問しました

17日から出張遠征に出て一週間、セミナーやコンサルティングが一段落した昨日は「休暇」日と決め、兼ねていきたかったところに足を伸ばしてくることにしました。

 

加悦SL広場、1985年に廃止された加悦鉄道のニッケル鉱山駅跡に移転整備された施設で、加悦鉄道で使用されていた車両や、古典車両などを展示(一部動態保存)しております。

 
加悦鉄道は地元の名産「丹後ちりめん」の出荷を意図して敷かれ、その後ニッケル鉱山の産業鉄道が主体となりました。旅客営業は細々、1984年の国鉄宮津線貨物廃止で、稼ぎ頭の貨物営業ができなくなり全線廃止となったローカル鉄道です。

 

実は加悦を訪ねるのは46年ぶり、1971年に大学の鉄道研究会メンバーと丹波・丹後方面への撮影旅行に出かけた時です。しかしその時にはまだSLを追っていて、加悦鉄道を尻目に宮津線をさらに峰山まで進みました。

 

それでも視線に入った小さな気動車、片ボギーのキハ101が目に焼き付き、それから余り時間をおかずに再訪したのでした。

 

当時の宮津線は、ウィラーエクスプレスの傘下に入り京都丹後鉄道(丹鉄)となり、駅名も当時の丹後山田から野田川と改称され、合併による町名変更で現在は与謝野駅になっています。

 

新大阪からは289系特急「こうのとり」で福知山へ、ここでは京都から来た特急「はしだて」に乗り換え、同じホームで数分以内に接続しているので便利です。しかも特急券は通しで販売してくれます。

 
丹鉄の宮福線を快走して宮津着、さらにスイッチバックして宮豊線を一駅、天橋立駅に到着。丹鉄の気動車に乗り換えて与謝野駅に到着。下車したのは私ともう一人だけ。

 
程なくしてバスがやってきて乗車、バスは集落やスーパーなどをこまめに回りますが、料金はゾーン料金らしく、最寄りの「SL広場西」停留所まで30分余でたったの200円でした。

 
停留所からは展示車両も見え、たんぼ道を歩いて10分で到着。入場料は400円、平日の成果貸切状態での訪問となりました。久しぶりにキハ101とも再会。T__20170523_13_44_46

 
食堂では軽食が提供されていて、希望すれば展示車両(キハ08など)内で食べることもできるようです。

 
車両をじっくり堪能し、昼ごはんにカツカレーを食べて、広場を後にしました。帰る頃には、大きなカメラを抱えた「鉄子」さんとおぼしき女性が、訪問しておられました。

 
帰り道は福知山まではのんびり丹鉄の各駅停車で、と思ったら宮福線内はJRの115系2両編成(緑坊主)でした。途中で高校生がどかっと乗ってきて、騒がしいことこの上なし。スマホの音楽は静かに聴けよ!

 
福知山からは「こうのとり」で、ゆっくり大阪まで寝て帰りました。

早春の飯山線を川の流れに遡行して

昨日は今月最終の遠征移動日で、新潟から長野・佐久平に向かった。通常であれば、上越新幹線で高崎に行き、そこで北陸新幹線に乗り換えるのが早い。
 

しかし、せっかく丸1日の余裕があるので、今回(昨年は上記のコース)はローカル線の旅を楽しむことにした。つまり新潟から長岡に行き、上越線電車に乗り換えて越後川口、そこから飯山線のディーゼルカーにさらに乗り換えた。

飯山線は、長野の北豊野を起点に飯山、十日町を通り越後川口に至る「超ローカル線」である。前身は飯山鉄道という私設鉄道が国に買収されたもの、千曲川・信濃川に沿って走る。

大変な豪雪地帯で、長野・新潟県境にある森宮野原駅では、かつて7mを超える積雪を記録した。これが日本の鉄道では、積雪の最深記録であり、それを示す柱が立っている。

この飯山線、長野寄りの区間は比較的乗客も多く、列車も2~3両連結で本数も多い。しかし、戸狩野沢温泉を過ぎて県境を越える区間は2~4時間に1本くらいしか走らない。

越後川口で乗り換えた列車は1両だけ、ただ「おいこっと」という観光イベント車両に改装された、キハ110-235が運用に入っていた。乗るのは2度目だが、前回は夜の闇の中だった。

飯山線は、信濃川の河岸段丘を走るところが多く、雪の他にも水害などにも度々襲われている。この季節桜も咲いているが、山陰には雪も残っているし、ふきのとうが花を咲かせたりT__20170421_15_11_02 している。木々の新芽は、そろそろ芽吹きの季節だ。

そういった景色を楽しみながら、信濃川を遡っていく。新潟県側を「妻有(つまり)路」と呼んでいる。もちろん路線は単線で、合理化で行き違いのできる駅はずいぶん減ってしまった。主要駅にはラッセル車も置かれているが、冬の豪雪時には除雪のため運休の日も少なくない。

並行するバス路線も含めて、過疎と高齢化で赤字路線であることは言うまでもない。昨日も、中間区間では乗客の数が5~6名程度だった。かつては急行列車も走ったが、これも2~3両でもガラガラ、鈍足急行だったのを記憶している。

それでも沿線に観光地は少なくないし、豪雪もまた都会の人たちには魅力的かも知れない。信濃川(長野県では千曲川)や、遠くの雪山を観ながらの旅もなかなかいいものだ。リゾート列車も、シーズンには走っているし、地酒や今の季節は山菜も美味しい。魅力を活かす鉄道利用企画が望まれる。

乗り鉄ファンとしては、季節を変えての旅がこれからも続くようにと望んでやまない

車両の窓はきれいにしてほしいもの

乗り鉄旅の好きな私は、時間が許せばローカル列車に揺られたいのですが、遠方への遠征ではなかなかそうもいきません。時間に制約があれば、新幹線や時には飛行機の旅もやむをえません。

 

在来線の旅でも、特急列車を利用することが少なくありませんが、その際には混雑する季節や期間を除いては、自由席を利用します。一つには、その沿線ならではの景色を楽しめる座席に座りたいこと、時にはまた乗り鉄ファンの常として右側座席に座る為です。

 

特に景色を楽しむ旅は、日本に四季があることの素晴らしさをいつも感じさせてくれます。同じところを走っていても、春夏秋冬ではそれぞれ違う表情を見せてくれるからです。

 

いくつか好きな沿線景色がありますが、中でも日本海を眺められる信越本線の柏崎-柿崎間や、羽越本線の村上-あつみ温泉間はいつも楽しみにしています。特に後者は距離も長く、途中に「笹川流れ」と呼ばれる名勝もあります。

 

うまく夕暮れの時間帯にかかりますと、日本海に沈む夕日と、その前1時間くらいのえも言えぬ色彩の空を堪能できます。ハッと息を呑むこともしばしばです。

 

そんなわけで羽越本線では海側に座りますが、あつみ温泉を過ぎると、空いていれば右側に移ることがあります。出羽三山や鳥海山を観ることができるからで、とくに雪を被った季節は圧巻です。

 

ところが今回もそうでしたが、がっかり残念ということがあるのです。それは、車両の窓の汚れ・曇りです。JRの車両は、基地(羽越本線の特急「いなほ」は新潟)での洗浄、窓拭きT_485701_17 のサイクルが決まっています。

 

どうもサイクルの最後の方にかかった車両なのか、せっかくの景色を台無しにするような汚れ・曇りでした。編成ごと洗浄しますので、7両編成のどの車両もほぼ同じような程度でした。

 

これでは旅の楽しみも半減以下です。まさか人手不足で、自動機械洗浄だけを行い、ブラシにより人手の洗浄には力を入れていないわけではないのでしょうけど。せっかくの観光路線だけに極めて残念なことです。

 
羽越本線には観光列車「きらきらうえつ」(写真)も運転されていますが、窓の大きなこの車両は、しっかり磨いているのでしょうか。そうでなければ、お客様をがっかりさせてしまいますよね。

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