早春の房総半島をぐるり旅

仕事の遠征の移動は、私にとっては楽しい乗り鉄の時間です。でも普段は特急や新幹線、あるいは飛行機での移動が多く、ローカル鈍行の好きな私にはいささか残念な感じです。

 

ところが今回の遠征では、なんとぽっかり1日が空いたのです。この機会を逃してはならないと、いろいろな企画を頭の中で組み立ててみました。

 
たとえば、一区間切符で首都圏の一筆書き旅、鶴見線をゆっくり乗ったり降りたりの旅、都内フリー切符の旅。

 
結局、「南房総フリーきっぷ」を使って、房総半島を一周することに決めました。この切符には大人の休日倶楽部割引もあります。

 
当日は品川駅がスタート、総武線直通快速に当初の予定より早めに乗って順調に・・・いかなかったのですね。新橋を出てトンネル内で信号停車。なんでも新小岩と市川駅間で「異音」があり、安全確認のためとのこと。

 
東京地下駅に列車が溜まり、結局15分余り遅れてしまいました。市川で途中下車、これはフリー切符を市川溌にして買うと、都内発よりかなりお得なのです。

 
千葉では後から来た外房線快速に乗り継ぎ、本来上総一ノ宮行きがこの日は茂原行きに変更、茂原で京葉線からの先行快速に接続して上総一ノ宮へ。

 
早めに昼ごはん、、、駅前には一軒だけ食堂がありました。お刺身定食を頼みましたが、さT_2082119_17 すが海に近いと美味しくてコスパもまずまず。

 
ここから先は209系の乗り継ぎ、京浜東北線から改造されてやってきた2000番台、2100番台は両端車がセミクロスシート。車内一部は荷物扱いで締め切られていました。

 
安房鴨川と館山で乗り継いで木更津へ。このフリーきっぷ、実は南房総地区のバスも乗れるのですが(2日間有効)、今回はローカル電車のみの旅。

 
木更津で久留里線のDCを撮り鉄して、再び内房線を引き返して浜金谷へ。駅から10分の金谷港から、東京湾フェリーで40分、久里浜港へ渡りました。

 
この日の目的地は京急の三浦海岸。駅前の河津桜はもう葉桜でしたが、花も残っていて1年ぶりの早めのお花見気分を楽しみ、乗り鉄旅も終わりました。

ローカル旅に越後線をお勧めします

我が家(昨年のGWに移転)は、新潟市西区にあり越後線の小針駅が最寄駅です。新潟駅までは15分、日中は20分間隔で電車が発着しますし、深夜零時近くまで運転されているので至便です。

 

周辺は70万都市新潟のベッドタウンで、新潟大学の五十嵐キャンパスや高校、大学が多く通勤通学時は6両編成の電車がかなり混み合います。

 

さてこの越後線ですが、歴史は古く1912~13年にかけて開通・全通しています。その当時は越後鉄道という私鉄でした。起点は信越本線の柏崎で、本線が山沿いを通るのに対し、T_img_1644 こちらは海寄りを走ります。

 

もっとも、海寄りとはいえかなり内陸を走るために、残念ながら日本海を眺められるのはホンの一部に過ぎません。それも、関屋分水という信濃川の放水路を渡る一瞬だけです。

 

本線が長岡市や三条市、新津市(現在は新潟市秋葉区)などの都市を貫くのに対し、越後線沿いにはあまり大きな町はありません。その為越後鉄道は経営難に陥り、1927年に国有化されます。

 

これには、柏崎から新潟までを短絡し、本線にいざという時があれば代替線として活用できるという意味合いがありました。実際、2007年の中越大震災の時には、新潟-長野間の快速電車(特急の代替)が越後線を経由しました。

 

またかつては、越後線経由の準急・急行も走り、その後電車化(84年)された後に走った快速「やひこ」は、特急と同じくらいの所要時間で新潟-柏崎間を走りました。

 

現在は普通電車のみです。最高速度も85㎞に制限されているほか、一部の区間の電化が低コストの直接吊架式でなされたため、今後も優等列車の設定は難しそうです。

 

沿線は、新潟駅から内野駅(さらに一駅内野西が丘駅)までは住宅地で、大学もあり乗降者も地方都市らしい多さですが、内野駅を過ぎると越後平野の穀倉地帯を走ります。

 

中間駅の吉田駅(弥彦線の乗換駅)で、ほとんどの列車が運転区間を分けられ、全線を直通するのは1往復だけです。吉田以南は丘陵部を走る区間が多く、意外に単調な風景が続きます。全線で2時間ちょっとの旅、ノンビリ揺られてみませんか。

 

車両もE129系の2・4・6両編成に集約されてきており、写真の115系(他に湘南色・旧新潟色もあり)3・6両編成は次第に運用が減ってきています。また一部には、希少存在となったE127系運用もあります。

 

115系最後の雄姿を撮りにおいで下さい。

福井鉄道にゆっくり乗りました

冬晴れの貴重な1日だった昨日は、神戸から北陸・福井までの移動。神戸駅から新快速で、一気に敦賀まで移動。



早朝、湖西線で電車と小動物との接触事故があったようですが、幸い大事には至らずほとんど遅れもなく済みました。琵琶湖の西岸を北上すると次第に雪景色に変わり、陽射しに輝いて眩しい車窓でした。



敦賀で途中下車して駅前の通りを少し歩きましたが、シャッターを閉めたままの店も多く、ちょうど昼ご飯時でしたが、食べるところを見つけるのにも一苦労でした。最近の駅前は、そういうところが少なくないですね。



敦賀からは福井まで直行してもよかったのですが、せっかく時間がありましたので武生でImg_3585


また途中下車、越前武生駅から福井鉄道のトラムに乗り換えました。



6,7年間には福井市内から武生に向けて乗りましたが、今日は反対に武生から田原町まで急行に乗りました。車両は元名鉄美濃町線の複電圧車両だった880形、郊外線では最高時速65km/hで飛ばしてくれます。



日中は急行と普通電車で10~20分間隔くらいの頻繁運転でがんばってますが、乗客の乗降はあまり多くなかったなぁというのが印象。速度ではJRに敵いませんから、フリークエンシーや料金面で努力されていますね。もっと利用が増えますように。



というわけで田原町までの乗り鉄旅を堪能しました。現在はここからえちぜん鉄道への乗り入れもあり、実際に乗客の数が増えてきているというデータもあります。今回はF1000形「ふくらむ(FUKURAM)」には乗れませんでしたが、えち鉄共々増備も進んでいるようです。



もっとも、それによって福鉄オリジナルの200形は、残り1編成になったと聞いていますが、いつまでもがんばってほしいものです。



田原町からは市内軌道線を市役所前までバックし、ホテルにチェックインしました。

初めての「ジパング」割引の乗り鉄旅

今年初めての遠征(仕事です)は東北、八戸市。帰り道は、新青森へ北上して、奥羽線・羽越線を経由して日本海沿いに新潟まで戻った。距離の関係上各駅停車でとは行かず、新幹線~特急つがる~特急いなほを乗り継いだ。

八戸から乗り込んだ新幹線の車両はH5系、パープルの帯に出会うのもなかなかの確率だ。特急「つがる」は秋田車両センターのE751系4連、秋田行き先頭車両は一部グリーン車で、自由席は3と4号車、3連休の中日だが込んではいない。

昨年のダイヤ改正で5往復から3往復に減便されたが、このままでは前途もあまり明るくない感じがする。青森-秋田間の特急は、キハ82系「白鳥」(大阪-青森)に始まるのだが、当時はまさに特急そのものだったが、現在は車両こそ特急用だが、停車駅は当時の準急並み。

それでも結構俊足で、乗り心地はまずまず。車内販売がないのは仕方がないところ。

沿線には3つの私鉄・3セク鉄があり、秋田行きだと左側に座るのがいい。だが今日は晴れていて、せっかくだから雪の津軽富士・岩木山を観たいので右に座る。期待通りだった。

T_img_3513 空いているので大鰐温泉手前で左側に移り、弘南鉄道大鰐線を写す。期待通り除雪車キ100を引く電機ED221の姿が見えた。7000形もちょうど発車前で、全体を撮り鉄。

そんなわけで退屈をすることもなく秋田へ。「いなほ」へは1時間以上の待ち合わせで、ゆっくり昼ご飯を食べ、スタバのコーヒーも呑む。

「いなほ」は新潟車両センターのE653系1000番台、かつて常磐線を疾走した車両だが、リニューアルされて沿線に溶け込んでいる。7連は空席も目立ったが、酒田、余目、鶴岡で満席になり、その多くが上越新幹線に乗り継ぐようだ。

首都圏と庄内地方を結ぶ役割が大きいので、新潟から秋田直通は3往復だけ、あとは酒田で折り返す。ここまでが守備範囲というところか。

「いなほ」はもちろん海側に座るのがいいが、山側に座っても鳥海山や出羽三山を眺めることができる。今日の鳥海山は雲もなくベストだった。

今回の旅では、初めて「ジパング」割引を活用した。年もとるのも好いことがあるもんだ。

「ジパング会員」証が届きました

この12月に65歳の誕生日を迎えました。世の中では、いわゆる(前期)高齢者というすみ分けに入ったわけですが、いくつかの特典も付与されるプラスの部分もあります。その一Entry102a つがJRグループの「ジパング倶楽部」です。

これまでも10数年間、JR東日本の大人の休日倶楽部ミドル会員でありましたので、JR東日本(一部北海道や北陸地区を含む)の特典チケットは利用できました。通常の乗車券(片道か往復で201㎞以上か)や特急券なども基本5%割引ですから、エリア内での出張遠征には便利でした。

これがジパングではエリアが全国に広がり、しかも盆や年末年始などを除けば30%割引になりますし、何しろ関西での仕事が全体の4~5割ですのでありがたいことです。もちろん、乗り鉄の立場としても嬉しいことで、時間の余裕があればもう少し足を伸ばそうかという気持ちにもなるわけです。

ところでこのジパング倶楽部、女性は60歳から入会資格がありますので、昨今は女性の列車旅が増えているというのもうなづけます。我が家のカミさんも、すでに会員になっており、来夏前には晴れて「家族会員」としての登録もできる予定です。

ところで、鉄道の他にも航空機にもシニア割引という制度があるということなので、こちらも利用前にちゃんとチェックしておくことにしましょう。自宅から新潟空港までは車で30分くらいですので、長岡時代よりも活用はしやすくなりました。また、東京と大阪・神戸便は毎月のように利用しています。自ら探すことが大事ですね。

そんなわけで、来年は旅の幅も広げて楽しんでいきます。その旅で観たこと、感じたことをこちらのブログにも書き散らかして参りますので、よろしくお付き合いください。

来年はもっと乗り鉄旅を楽しもう

一昨日の19日で、今年の仕事遠征もすべて完了しました。ということで、乗り鉄旅も一応の終止符です。いったいどのくらいの距離を、鉄道で移動したでしょうか。クライアントの会社訪問が多いので、一定の路線を利用するケースがほとんどで、暇を見つけてミニ旅を試みたり、時間の余裕があれば違う経路を通ることもありました。

移動時間を稼ぐための空旅も、月に1、2度、多くても3度程度ですが、来年はもう少し増えるかもしれません。東京から神戸へ(あるいはその反対)の移動が主で、もっぱらスカイマーク便を利用しました。予定が早めに決まるので、お得な料金を活用できますが、急な変更や天候急変によるドタバタもありました。

夜行バスも何度か使いました。若い頃のようにはいきませんが、時間の有効活用が必要な場合は重宝します。最近は3列シート・フルリクライニングや、コンセント付き、Wifi付きの車両もあるので、うまく使えば安い料金とともに魅力です。

そんなわけで、乗り鉄旅にはこだわらない1年でしたが、やっぱりのんびりと鈍行列車にゆT_img_2600 られる旅が一番であることは、言うまでもありません。来年はもっとうまく時間を使って、乗り鉄するだけでなく、途中下車して街歩きをたのしむことも増やしたいものです。やっぱり気持ちの余裕を持った旅が良いですから。

今年もJR北海道の留萌線末端区間(留萌-増毛)が廃止になったり、おそらく来年にはやはりJR北海道の夕張支線(新夕張-夕張)、やJR西日本の三江線(三次-江津)が廃止になるようです。そこまで足を伸ばすことは難しいでしょうけど、地方のローカル線にもできるだけ乗り鉄の旅に行きましょう。

かと思えば、新線も誕生します。厳密には復活ですが、広島県の可部線が二駅延伸されます。また、ここ数年の都市部の新線はなかなか乗る機会がなく、「未乗」l区間がいくつかありますから、これもできるだけクリアしていきます。

そんな乗り鉄旅のお話も、来年はもっとできればいいなと思っています。

鉄路を守りませんかという訴え!

今日12月5日、北海道の一つのローカル線が廃止(運転は昨日まで)になりました。日本海側を走る留萌線の末端区間の留萌-増毛間。100円稼ぐのに4500円以上もかかるという、赤字のJR北海道の中で最も営Photo業係数の悪い路線でした。

留萌線はかつて本線の名が付き、石炭車をたくさんつないだ貨物列車が次々にに走っていたこともあります。それだけ沿線には炭鉱が盛業だったわけですし、留萌からはさらに日本海沿岸を北上する羽幌線が伸びて、札幌や旭川から準急・急行が直通していました。

今は沿線の炭鉱はすべて閉山、1999年には貨物列車もなくなって多くの駅が無人化されたほか、JR化に合わせて羽幌線も廃止になり、急行も快速化された後に廃止、1~2両編成の普通列車のみが走る路線になりました。

今回廃止の区間もかつてはニシン漁などで賑わった時期もあり、人は貨物の輸送の動脈となっていた時期もありました。しかし道路の整備も進んで、車時代に入って鉄道の存在意義が薄れてくるところに、最大のお客様である中学・高校生の人口減がとどめを打ち込んだ感じです。

JR北海道は、そのすべての路線が赤字であり、札幌周辺を除けば今後とも大きな赤字を計上する路線ばかりです。すでに石勝線の旧夕張線区間(新夕張-夕張間)の廃止が具体化されようとしているほか、多くの路線・区間で国や道などの支援がなければ廃止も検討せざるを得ないことが明らかにされています。

確かに車社会の現代、もはや鉄道は時代遅れという見方もありますが、しかしここにきて高齢運転手による高齢事故が相次ぐ現実を見ると、それでいいのかという気もします。また、自分では運転ができなくなって公共交通機関に頼らざるを得ない、いわゆる交通弱者も今後どんどん増えていくでしょう。

また、赤字であるがゆえに線路の保守にかける経費を圧縮する方向が進めば、安全に運転するという基本土台が揺らいでしまいます。すでにJR北海道の多くの車両が、近い将来耐用年数を超えたり、保守更新に多額の出費を余儀なくされることが明らかになっています。

しかし新車が投入されるのは、一部の優等列車用車両かもしくは札幌圏の通勤用車両だけに、なりかねない状況です。特急用車両ですら、新たな開発が中止されるような厳しい現状であり、増してやローカル用の車両は更新ができずに休車になり、その分列車本数を減らさざるを得ないことが現実化されています。

鉄道ファンだから、乗り鉄だから廃止に反対というのではありません。鉄道の使命はなんであるのか、高齢者や子供たちなど弱者にやさしい交通インフラの在り方などの中に、どうやって鉄道を活かしていけるのか、ローカルの人だけの問題ではないはずです。

鉄道が好きだから、心から訴えたいのです。鉄路を守りませんかと。

今時全車両が非冷房だという八戸線

月曜日からスタートした今回の遠征も、1週間目の日曜日に完了しました。移動距離が長く、新幹線や空便を使う中で、僅かな区間ではありますが、ローカル線の気動車に揺られてきました。それはJR八戸線の、八戸から本八戸間、たったの5.5kmです。

八戸線は、八戸駅を起点に三陸海岸を南下して岩手県の久慈駅に至るローカル線で、東北新幹線を除くと起終点とも3セク鉄道に接続しています。つまり、八戸駅では青い森鉄道に、久慈駅では三陸鉄道にという具合です。ある意味、JR在来線としては孤立しているということになります。

なお八戸駅は、元々は尻内駅と呼ばれていて、現在本八戸駅となっている方がかつては八戸駅でした。町の中心は本八戸側にあるわけですが、東北本線が町の中心を避けて尻内T_img_3262 を通ったのは、寄り道による迂回距離を嫌ったものでしょう。

そんなわけで、八戸線の役割は新幹線と町の中心部を結ぶこともあるのですが、本数が多く繁華街を直結するバスが主流になっているようです。それでも八戸と港町である鮫との間は運転本数も比較的多く、鮫以遠は完全なローカル線となっています。

この八戸線で運用されているのは、キハ40型(両運タイプ)とキハ48型(片運タイプ)で、全て非冷房車、車内には扇風機が装備されているのが特徴です。唯一休日に運用される、改造車の「リゾートうみねこ」のみが冷房車となっています。しかも、オリジナルエンジンを積み、峠に差し掛かると時速30㎞で喘ぎつつ走っています。

かつては急行などの優等列車も走っていましたが、現在は普通列車のみです。三陸の景勝地も沿線に多いだけに、少しもったいない気もします。ただ、公募による新鋭車両の開発と導入が決まっており、早ければ来年くらいに姿を現しそうです。

となると、現在のキハ40・キハ48の運命も、残り少ないということになってきます。最後の日まで一所懸命走り続けてくれることを祈っています。



鉄道路線の廃止が加速していくかも

今日は旅の話ではありません。大好きな鉄道の悲しい話題です。

その前に私の人生歴をご紹介しますと、生まれたのは大阪市内のど真ん中、そして小さい頃育ったのが旭区でそこには路面電車・大阪市電が走っていました。男の子の多くがそうであるように、私は大の電車好きになり、以後「鉄道ファン」と呼ばれる人種になりました。

次に移り住んだところは阪急電車の線路の近くで、また少し歩けば国鉄(東海道本線)も通っていました。頻繁に通り抜ける電車や列車(当時はまだSLも走ってました)を、いくら見ていても飽きない少年で、やがて親父のカメラを借りて写真を撮り始めました。

学生時代からは、バイトでお金を貯めると当時あった「均一周遊券」を握りしめ、北へ南へ、T_img_3048 東へ西へとカメラを抱えて走り回り、その内撮り鉄よりも乗り鉄の方が主体になってきました。故宮脇俊三さんの書を読んで、国鉄全線踏破を目指して暇さえあればキシャに乗っていたわけです。

そんな鉄路が少しずつ消えていきつつある、もしかしたらこれから加速していくのではないかと懸念が広がります。間もなく、JR北海道・留萌線の末端部分、留萌-増毛間が廃止されることになっており、1年半後には中国地方の三江線(JR西)もなくなってしまいます。

さらにJR北海道は多くの路線の廃止を考えており、その内3つの路線は地元自治体などに廃止・バス化の提案がなされるようです。その3つとは、上記の留萌線残存区間の深川-留萌間、日高線の鵡川-様似間、そして根室線の富良野-新得間です。

後2線は現在災害運休区間になっており、場合によってはこのまま廃線に向かう可能性もあります。いずれもかつては「本線」という名前の付いた幹線でした。先日株式上場を果たしたJR九州も、鉄道事業はすべての路線で赤字、JR四国も例外ではありません。

JRと言えども私企業である限り、赤字をただ垂れ流すわけにはいきません。上場したJR九州などは、より厳しい株主の目が光るでしょう。しかし、鉄道(会社)は同時に地域の公共交通を維持していく責務を負っています。高齢化がますます進む今日、安全確実な交通手段としての役割も小さくありません。

鉄道ファンの立場からは路線の存続を望みたいところですが、だからといって一人の経営者あるいは経営コンサルタントの立場から言うと、すくなくとも経営を維持できない状況は打開していかねばなりませんし、鉄道会社だけの努力では困難です。

鉄道維持のために様々な方式が考えられ、いくつかの鉄道で実施されていますが、何よりも「乗って残す」ことが第一でしょう。乗る人の立場での鉄道の存続、いや鉄道ではもはやダメならバスや他の交通手段への転換もやむを得ないことです。
乗り鉄ファンとしてはとっても悲しい現実ですが、地元の人たちにはもっと悲しいことかもしれません。鉄道ファンとしての立場もわきまえながら、これからも乗り鉄旅を楽しみたいと思います。

今回遠征「乗り鉄」旅のエポックは

JR東日本の大人の休日倶楽部を長年利用していますが、現在は「ミドル」なのですが、あと少し12月の誕生日が過ぎると「ジパング」に登録できます。そうなると全国のJR線を30%割引で利用できますので、乗り鉄の私にとっては非常にありがたいことです。誕生日の1か月目には切り替え案内がくるとのこと、心待ちにしています。

それはそれとして、今月は「乗りつぶし」が一つできました。北海道新幹線の新青森-新函館北斗間148.8㎞ですが、今年3月の開業から新青森には2度も訪れていたのですが、余裕時間がなくて足が延ばせず、ようやく実現したわけです。
青函トンネルは在来線で通過していますが、新幹線ではもちろん初めてで、いわゆる3線区間(新幹線のレール幅1435㎜と在来線の1067㎜の共用)を味わってきました。と言っても、いつの間にか2つのレール幅が合流し、いつしか離れていくというわけで、特別な実感はありません。

新函館北斗から札幌までも整備新幹線として、2031年頃の開業を目指しているそうですが、果たして予定通りとなるかどうか。もし実現できたとして私は80歳、まだ元気で旅を楽しめておればいいのですが。

さて今回の遠征では、もう一つ、これまで乗った体験のない車両に乗ることもできました。それは近鉄の特急車両の内、23000系「伊勢志摩ライナー」と呼ばれるものです。実はもう20Img_3110 数年前に新造されていて、私自身も伊勢には何度も足を運んでいるのですが、なぜか乗る機会に恵まれませんでした。

名阪特急の21000系・アーバンライナーとイメージは同じですが、こちらは観光特急らしい内外装になり、とくに先年の式年遷宮に合わせてリニューアル、しかもそのうち半数の編成はふりそそぐ太陽をイメージしたサンシャインレッドに変わりました。今回乗車したのはこのカラー。

デラックスカーやサロンカーは眺めるだけでしたが、大阪難波から伊勢市まで1時間40分の快適な旅を楽しみました。伊勢志摩路にはよりデラックスな観光特急「しまかぜ」も走っていますので、次回はこれを狙ってみようと思っています。

今回の旅では大阪難波に向かう阪神電車の中で、鳥取県中部の地震本震に遭遇。車内の乗客が持っている携帯やスマホの緊急警報が一斉に鳴り出し、一時騒然としたり、安全確認でしばらく停止したりしましたが、大きな遅れもなく無事に旅できたことはありがたいことでした。

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