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VAN研(ヴァンガード経営研究所)

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日本海縦貫線を特急乗り継ぎで行く

青森県八戸市からの帰り道、昨日は休養と趣味をかねて日本海回りでのJR乗り継ぎ旅を選択しました。新幹線大宮乗り換えであれば正味4時間ほどのところを、乗り継ぎも含めて倍の8時間です。

 

幸いに今日までは安定した天候のようで、新緑に萌える山々や青々とした水田を眺めながら、そしてゆったりとした日本海を見ながら下っていきます。

 

八戸から新青森へは新幹線の旅、Jはやぶさ95号はR北海道のH5系の担当。もちろん全車指定席ですが、この区間は立席特急券で空いている席に座れます。

 

新青森からは10分足らずの乗り換えで、E751系特急つがるに。4両編成で後ろ2両が自由席。ダイヤ改正毎に本数が徐々に減ってきていて、ある意味絶滅危惧種になっている特急(現在3往復)です。T_20180605_11

 

左側に腰掛けると、途中の弘南鉄道黒石線や大鰐線、秋田内陸縦貫鉄道の車両も眺められます。弘前までの間は、右側に岩木山が見えます、車内が空いていますのでこの間は席を移動でした

 

「つがる」の乗車率はオフ期の平日とあって20%もないくらいでしょうか、途中停車駅での乗り降りも数人といったところで、当面は残るでしょうが、明るい将来ではありませんね。

 

日本海縦貫線はどちらかといえば貨物列車が主流になっています。新潟-酒田間を除くと、特急の本数も少なく短距離のローカル列車が行き交う状況です。

 

さて、秋田では乗り継ぎ時間が1時間以上あり、ここでゆっくり昼ご飯です。ただ、駅ビルや周辺には秋田周辺の名物料理を食べさせてくれる店はすくなく、ここでも全国チェーン店が幅をきかせています。

 

つまり旅人を歓迎してくれる店では、普段はさほど儲からないということで、これも全国的な傾向と言えるでしょう。中には駅前周辺にはそういう店が殆どないといったところもあり、旅人にはさみしい限りです。T_20180605_12

 

秋田からは羽越本線の特急「いなほ」、かつて常磐線を走っていたE653系が塗色も変えてがんばっています。酒田以南は本数もそこそこありますが、秋田に足を伸ばすのは3往復だけです。

 

停車駅もその昔の急行や準急並みで、表定速度はまずまずですが、「特別」急行列車というイメージではなくなった感じです。こちらも乗車率はオフ期で低く、せいぜい30%ちょっとというところだったでしょうか。

 

さすがの定時運転で新潟駅に到着、高架化された新潟駅ですが、東側から入線したのは今日が初めてでした。で、この「いなほ」は同じホーム(在来線5番線と新幹線11番線)での新幹線接続はなかったようです。

ポニー・C56160が本線上から引退

今月末、1台のSL(蒸気機関車)が本線上から引退した。C56 160号機JR西日本の梅小路運転区(京都)に所属する。つい先日までは山口線の「SLやまぐち」号や、関西では「SL北びわこ」号として走っていた。C56160_9522__100501

 

誕生したのは1939年の4月というから80年近く前になる。兵庫県の川崎車両(現在の川崎重工業)で製造され、すぐに北海道に渡り静内機関区配置となって日高本線(苫小牧-様似)を走った。

 

C56形は、線路規格が低いがやや長距離のローカル線でも走れる機関車として造られ、160号機はそのラストナンバーだ。小型機関車のC12形を改良し、テンダ(石炭車)をくっつけた感じだ。

 

軸配置は1C、つまり小さい先輪があり、その後に3つの動輪が結ばれた形で、モーガル形と言われるが、一般的には『ポニー』の愛称が定着した。

 

これは八ヶ岳山麓の小海線でも走り、その姿を「高原のポニー」と鉄道ファンたちが呼んだのが起源らしい。

 

もっともこのC56形機関車は不運の星に生まれてきた。小型で使いやすい、規格の低い線路でも使えるということで、何と半数以上の90両が戦地であるタイ・ビルマ(現ミャンマー)に送られたのだった。

 

これが有名な泰緬鉄道で、C56形も何と約半数が戦災に遭ってしまったのだ。残った46両はタイ国鉄で戦後も使用されたが、現在は全て退役している。

 

このうちの2両が日本に帰還し、泰緬鉄道の開通式に使われたというC56 31号機は靖国神社隣接の遊就館に保存されている。

 

さて160号機だが、新潟とも縁がある。戦前の僅かな期間だが、白山機関区に配置されて越後線を走っているのだ。この時代の越後線はまだ信濃川に貨物線の橋があるだけで、旅客は白山駅が終着駅だった。

 

終戦日前には備後十日市機関区(広島県・現三次)に転属になって、さらに九州そして信州長野県を点々としている。そして動態保存候補対象に選ばれて特別整備を受け、1972年に梅小路区に配置された。

 

言うなれば幸運な機関車で、その後は梅小路蒸気機関車館での小運転や、各地でのSL列車として活躍している。近年は山口線の「SLやまぐち」号で、C57 1号機と共演あるいは交代で使用されていた。C56160_9522__1005012

 

もっとも山口線ではやや非力だったので、ディーゼル機関車(DD51形)を補機として支援してもらっての運行であったが、小型で可愛いと評判だった。

 

それもいよいよ今月で最終運転が終了、「北びわこ」号の最終運転をもって、本線上から引退することになったわけだ。この後は、京都鉄道博物館で小運転に使われるようだ。

 

いうなれば、かなり幸運な機関車だったわけで、これからもしばらくは元気な姿を見せてくれるだろう。

のんびり旅に出たいなぁ

ここのところ我が家の周辺はざわついています。

 

全国ニュースで毎日のように伝えられる、小学2年生の女子児童が絞殺されて深夜線路に遺棄され、電車にはねられた事件。今日で6日目ですが、まだ解決に至っていません。

 

鉄道大好き人間にとっても許せない事件です。線路に遺体を遺棄して電車に撥ねさせるなど、とても許せない腹立たしい事件です。しかも、住んでいるところのそばで。

 

いつもだったら、電車に手を振る子供たちの姿も見られ、運転士や車掌がそれに答える微笑ましい姿も見えるところですが、今は多くの報道陣の姿が目立っているだけです。

 

それはそれとして、ここのところしばらく、のんびり乗り鉄の旅をしていなくて、若干の禁断症状が現れそうになっています。

 

今月も遠方への遠征はあるのですが、どちらも時間の関係もあって往復共に空の旅、晴れておれば上空からの景色も楽しめますが、いずれにしても急ぎの旅。68727851_72

 

乗り鉄旅は来月までお預けです。来月もそれほどゆっくり旅とはいきませんが、少しだけ時間も作れそうです。それを楽しみにしておくことにします。

 

のんびり旅は時間にも余裕があって、鈍行列車に揺られて、乗換駅などでしばし町歩きをしたり、時には思いついた駅に途中下車してみたり。

 

まぁ、時間に拘束されずに心のままにが理想ですが、来月も半日を捻出するのがやっとというところです。

 
仙台まで足を伸ばしますので、新しくなった女川駅まで行ってみましょうか。仙石東北ラインの快速にも初乗りしたいし、仙石線の線路移設部分も通りましょう。(写真は46年前の松島海岸付近)

 
7月も九州に出かけますので、昨年地震のために乗り損ねた肥薩おれんじ鉄道に。それにもう1日空き時間が作れたらと狙っているところです。

 
それまでは、時刻表を眺めながら紙上の旅を楽しみますか。

越後線が新潟駅起点でないのはなぜ?

今日は「旅日記」ではなく、ローカル線物語です。

 

我家の最寄り駅・小針駅は、JR東日本のローカル線である越後線の小駅です。新潟から数えて4駅目、所要時間は10数分です。越後線は単線ですが、小針は相対式2面2線の交換駅で日中も20分毎に運転されています。

 

業務委託駅でみどりの窓口もあり、朝の7時から19時半までは駅員が出札を行っています。南北両方に自動改札機(Suica対応)があり跨線橋連絡ですが、新潟側に新跨線橋とエレベータ設置工事が進んでいます。

 

越後線は海岸段丘砂丘の斜面を走っていて、小針駅もその南斜面に位置していて駅舎までは急な階段になっており、バリアフリー化を目指しているわけです。

 

さてその越後線は、新潟が起点駅ではなく柏崎駅が起点になっていて、新潟駅は終点になります。ですから時刻表でも、柏崎発(下り電車)が先のページに掲載されています。

 

越後線は最初は私鉄でした、1912年つまり大正元年の開業ですが、その時は白山駅と吉田駅間でした。白山駅も現在の駅とは異なる位置(現在駅の北側・鏡淵小学校の辺り)にありました。

 

その後柏崎駅側から建設が進み、翌年春に柏崎-白山間が全通しました。しかし、その先は信濃川に架橋しなければならず、資金不足で赤字が続く越後鉄道には実現は困難でした。

 

結局1927年に国有化され、戦前の1943年に信越本線の支線として貨物線が新潟から関屋まで建設され、この時に信濃川橋梁もできましたが、レールはつながったものの旅客営業は先送りされました。

 

ようやく戦後の1951年に、白山駅と関屋-白山間の線路が移設されて、新潟からの直通運転が開始されました。そんな経緯があったので柏崎が起点、新潟が終点になったわけです。

 

電化されたのは1984年、それまでは気動車列車(キハ17系、キハ20系、キハ30系)や通勤時には客車列車も運転されていました。

 

70年代に新潟大学の移転(五十嵐キャンパス)が始まり、また沿線の新潟寄りの住宅地化が進み、乗客が増えたこともあって電化が行われました。

 

ただ新潟から大学のある内野までと比べ、とくに中間の吉田より柏崎方面は過疎地を走りますので、その区間は簡易電化(低コストの直接吊架式)となり、最高時速も抑えられています。1151050_1702

 

実際、新潟から内野までは日中20分毎に比較的頻繁運転されていますが、内野から吉田までは1時間毎、吉田以遠は2~3時間運転されない時間帯もあります。

 

気動車時代は準急・急行列車が運転されたこともありましたが、現在は全て普通電車、2両でのワンマン運転も日中や夜間にありますが、通常は4両ないし6両運転で、朝のラッシュ時はけっこう混んでいます。

 

車両はE129系が増備されて主力になっていて、古参の115系は残り僅かになっています。湘南色や旧新潟色などが見られるのも、そう長くはないでしょう。E127系も数本運転されています。

 

なお、地図で見ると日本海沿いを走っているように見えますが、実際には海岸寄りの山の南側を走っていますので、海の見えるところはほとんどありません。

乗り鉄旅を楽しみに行きたいなぁ

春休み、桜を筆頭に花の季節の到来です。車窓から眺める風景の中にも、いろんな花が見られる季節です。南からスタートすれば、桜前線を追っていくこともできますね。

 

実際、「青春18きっぷ」を利用して普通(または快速)列車を乗り継ぎ、車窓からのお花見を楽しんでいる人も少なくないでしょう。

 

18きっぷの利用者も年代の幅が広いようですが、実際に普通電車に乗り合わせてみると、けっこう年配の方が多いようにも見えます。

 

乗り鉄といっても中身はいろいろで、私のようにただ列車に揺られていればそれで満足(もっとも旅のお供にアルコールと読書本が欠かせませんが)という類。

 

何かこだわりを持って、たとえば「全線乗りつぶし」を楽しんでいる方、「乗ったで降りたで」といって、途中下車を楽しまれている類。T_20170421

 

後者の中には全駅を乗り降りして回っている猛者もいらっしゃいます。これは想像するだけでも大変だと思えますが、すでにかなりの人数の達成者がおられるとか。

 

各地の弁当(主として駅弁)を楽しみながら乗り鉄する人は、最近では駅弁の販売駅が減ってきているので、なかなか大変そうです。

 

駅弁を販売している駅でも、ホームでの立ち売りは滅多に見られなくなり、ホーム上の売店も激減して今や絶滅危惧種です。売っているのは駅ナカや駅前のコンビニ。

 

いざ駅弁を買って乗っても、ロングシート(線路と平行に座席がある形)では、弁当を広げるのもなんとなくやりにくいし、第一情緒がありません。

 

ところが、都会の通勤線はもちろん、最近では地方のローカル線でもロングシート車が増えていて、せっかく買っても食べられない体験をされる人もありそうです。

 

また以前は、トイレがついていない車両が使われていて、しかも停車時間が短いために駅のトイレに駆け込むこともできず、大変な思いをした形もあったのでは?

 

最近は大都会の通勤型車両以外には、ほとんどの車両にトイレが設置されるようになりましたが、一部のローカル車両にはありません。

 

また通勤型車両が、そのままローカル区間に結構長い時間直通するという列車もありますから、よく情報を仕入れておかないと厳しい状況に置かれるリスクも。

 

そういったことはいくつかありますが、やはり乗り鉄は愉しいもの。何回かの遠征の内1回くらいは時間を生み出して、乗り鉄の旅をしたいものです。

 

乗り鉄旅はやっている時はもちろん、実は計画の段階でもワクワクするものです。季節もよくなってきます、いつも前向きに。

3月雑感

三月は去る、というわけで間もなく3月も終わろうとしています。

 

官庁などに合わせて今月が年度末という会社も多いわけで、最終の決算を意識した整理整頓も始まっていることでしょう。

 

現役の頃は、今の時期が1年でもっとも忙しい頃で、リストアップした仕事の優先順位をにらみながら、片付けていくごとにホッとしたものです。

 

振り返ってみると、そんな現役生活から離れてもう12年近くが経とうとしています。自分も社員さんたちもよく体力が続いたものだなと、感心してしまいます。

 

おそらく「納期遅れを出してはいけない」という使命感で、懸命になっていたのでしょう。人間というのは、目標が眼前にあるとエネルギーの燃焼効率が上がるのでしょう。

 

で、私のところでは第一四半期が終わろうとしているわけで、まずまずのスタートを切ることができたなと感謝しています。

 

4月からの第二四半期についても、ほぼスケジュールが固まって、行き帰りや泊まりの手配も一部を除いて完了しています。

 

あとはそれぞれの資料やテキストの準備、まずは内容とスケジュールの再確認です。

 

ところで3月末日をもって、JR西日本の三江(さんこう)線=広島県・島根県=が廃止されます。すでに最後の乗り鉄は昨年12月に済ませました。120309_1712

 

100kmを超えるローカル線が廃止されるのは久しぶりのことで、年明けから連日廃止を惜しむ人たちが押し寄せているそうです。

 

普段からこれだけのお客が乗っていたらなぁという感想も聞こえますが、何かがないとそれは不可能です。単なるイベントだけでは長続きはしません。

 

これはお店などにしても同じことで、もはや当たり前のことではお客様は動かないということなのでしょう。

 

同様に、地方再生や地方創生が叫ばれて様々な企画が実施されていますが、同じような運命をたどっていることが多いようです。

 

まぁそういうことで、間もなく4月。新潟の桜も4月の声を聞くと咲き始めるはず。ゆっくりお花見を楽しみたいところです。

4月15日新潟駅が変わる

新潟駅の高架化工事、その第1期工事が大詰めに近づいている。すでに、4月15日新しいホームの開業が決まっていて、現在は仕上げの工事が進む。

 

現在の地上駅ホームの1~4番線が高架上に移る。目玉がある、それは新幹線と在来線特急とのホーム上の直接乗り換えだ。

 

新幹線との同一ホーム乗り換え対象となる列車は、羽越線の特急「いなほ」秋田行き・酒田行きだ。

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これまでは、エレベータやエスカレータ(在来線ホームは昇りのみ)はあるが、階段の上り下りを強いられる場合もある。

 
それがホーム中程の自動改札ラッチを通ることで、重い荷物を持っている旅客や高齢者などにはありがたいことだ。

 
在来線ホームには、特急以外の列車も発着するだろうが、こちらについても乗り換えられることになるだろう。

 
かつて九州新幹線の部分開業時に、新八代駅で「つばめ」と「リレーつばめ」との同一ホーム(対面)新在乗り換えが行われたがそれ以来だ。

 
もっとも、この場合は「つばめ」として1枚の切符で、同一列車が新在に分かれているという感覚で、中間ラッチはなかった。

 
山形新幹線の新庄駅では、同一ホームの南北での乗り換えになっているが、これは実は在来線同士の乗り換えだ。

 
新潟駅の改良工事は第2期に入り、さらに高架でもう1線が増える。それまでは地上のホーム(8番線と9番線)が残る。

 
また越後線は、新潟駅から白山駅東の信濃川橋梁すこし手前まで複線化される。高架上に引上げ線もできるが、現在よりも番線が減るのでどうなのだろう。

 
SL観光列車「ばんえつ物語」号は、高架駅手前の勾配を登るのがきついのと、長時間ホームに留められなくなるので、再び新津発着に戻るのは残念だ。

 
さらには、電車の115系ならびに気動車の40系も、この1~2年で新潟駅から姿を消してしまうことになるだろう。地上駅、高架駅に停車する姿もカメラに収めよう。

 
そんなわけで新潟駅も大きく変わろうとしている。最終的には東西の自由通路が平地になり、広がって商業施設などとともにより便利になるはずだ。

 
まだ先の話ではあるが、楽しみにしておこう。

情緒は薄れていても乗り鉄旅は愉しい

今年最初の遠征も今日は帰り道です。年末年始は寒波の襲来で、特に遠征に出る前日の4日は風雪が強く、北国のJR線ではいくつかの区間で運休や遅れが出ていました。

 

過去にも日本海沿岸を走る羽越本線では強風による運休が発生、私自身も乗っていた特急列車が途中で運転打ち切りになり、代行バスに乗り換えることがありました。

 

幸いに5日は風雪もいくらか収まり、朝の出発前にJRの運転状況をチェックしたところ大丈夫ということでホッとしました。(写真は秋田駅です)20180104_122524_2

 

冬らしい雪雲に覆われた空でしたが新潟市は雪が少し舞う程度、これなら支障なくいけそうだなと思いましたが、トラブルというのは予想外に発生することが少なくありません。

 

この日も本来運用されるはずの車両編成が変更になり、出発の数分前にようやく車高から駅ホームに回送されてきました。しかも入線したものの、運用の変更連絡がかみ合わずドアがなかなか開きません。

 

しかも、車内の座席転換もまだの状況で、整備員が乗り込んだのは出発時刻が過ぎてから。それが終わってドアが開いたのは定刻から78分も過ぎた頃でした。

 

その間寒風吹くホームで待たされるのは、余り気分が良くないものです。もっとも、整備が終わり乗務員間の確認が終わらなければドアの開閉はできない規則ですので、やむを得ません。

 

ですが、それならそれで待っている乗客にきちんと案内放送なりをやってほしいもの。情報が伝わってこないのは、寒さに耐えるよりもさらにイライラするものです。

 

このあたり、運転士と車掌と駅務員、整備員などの連携と連絡がまずいのは、あちこちで体験させられます。鉄道には理解のある私ですら不満を抱くのですから、一般の乗客はなおさらでしょう。

 

この日は新潟駅を12分ほどの遅れで出発、経路である白新線や羽越本線は途中に単線区間も少なくありませんので、遅れの回復はかなり難しく、むしろ遅れ時分が拡大する恐れもあります。

 

幸いにこの日は、途中の遅れ拡大は最小限に抑えられ、終点の秋田駅には14分くらいの遅れでした。ただ、本来接続するはずの秋田新幹線は先に出てしまったようでした。

 

私の場合は、接続する奥羽本線の特急への待ち時間がたっぷりあり、遅れで余裕時分は少なくなったものの、弁当を選んで買うこともできました。

 

最近は駅弁(名物弁当)も販売する駅が減り、駅弁があっても駅構内のコンビニなどで売られる例が多く、旅の情緒や楽しみが減ってきています。

 

昔は、ホームをゆっくり去りゆく列車を追いかける駅弁屋さんから買うなどという離れ業もありましたが、窓が開かない車両ばかりの今日では、そういう風景も過去の遺物です。

 

第一、ホームの駅弁屋さんもほとんど見かけなくなりました。でも秋田駅はホームに駅弁屋さんがいる珍しい駅です。今年も会うことができました。


さすがに昔のようにお茶は売ってはいませんが。昔は大きな薬罐から熱いお湯だけをサービスしてもらうこともありましたが、これまた過去のアルバムの中だけです。今では味噌汁さえも自販機です。

 

旅情緒は年々薄れていきますが、それでも心地よい揺れを堪能できる旅はいいものですね。

来年も心と体のリラクゼーションは乗り鉄旅で

年末の帰省ラッシュが始まっています。ここ最近は鉄道回帰が進んでいますが、それを喜んでばかりはおられない現状です。

 

確かに新幹線や、幹線系の特急列車は混雑していますが、地方のローカル線では優等列車ですら削減や編成両数の減少が止まりません。

 

来年の3月(17日)には全国のJRその他でダイヤ改正が予定されていますが、発表されているダイヤを見ると、地方切り捨てという現状が浮き上がってきます。

 

乗り鉄ファンとしては、ますます残念な状況になっていくわけですが、それにはめげずに来年も心安めの旅を愉しんでいこうと思っています。

 

とはいえ、ただ乗り鉄のためにだけ時間を使うわけにはいきませんので、仕事の遠征の合間を縫って、あるいは遠征の往復時や空白の時間を活用してということになります。

 

今年もその方法で、各地のローカル線の旅を愉しみました。九州の鹿児島線や西日本の三江線、福塩線、近畿では福知山線や加古川線、京都タンゴ鉄道の宮福線など。

 

中部では飯山線や篠ノ井線に中央西線(木曽)、旧信越線の三セク部分、関東では外房線と内房線、そして東北は磐越西線と山田線、八戸線と三陸鉄道北リアス線。110235_1704

 

幹線系でも羽越線や奥羽線は何度も特急旅を愉しみました。かなりの年月乗っていない区間の旅や、大都市の私鉄線でもわざわざ各駅停車に揺られる旅など。

 

台風や強風、大雪など天変地異の影響を受けて経路の変更を強いられたり、肥薩おれんじ鉄道のように乗車を断念したケースもありました。それでも総じて、無事な旅を楽しめました。

 

時間を生み出すためにやむなく目的地の近くまでは空便を利用することもありましたが、可能な限りは列車に揺られることを選んできました。

 

来年も暖かくなる4月頃からは、可能な範囲での乗り鉄旅を愉しみます。四国や九州にも足を伸ばしますが、日程の都合でどちらものんびり旅とまではいかないでしょうね。

 

それでも可能な範囲で、ミニ旅でもいいから列車の揺れに身をゆだねます。実は未乗車区間もまだ少し残っていますので、そちらも1つ2つクリアしていきます。

 

それから、今年後半から復活させた「旅貯金」も続けていきます。中には絵入りの判子を使われている局もあり、楽しみの一つです。

 

複雑経路で「みどりの窓口」係の人を悩ますような経路の乗車券も、時にはお願いしたりするかも知れませんが、できるだけ混雑時は避けますのでご容赦のほど。

 

ジパング30%割引もフルに活かすこともポイントですしね。もちろん健康が第一、疲れを出さないことが十分条件です。気持ちはリラックスしても、体調を狂わせてはいけませんから。

 

ではまた来年、乗り鉄旅のブログが書けますように。

廃線予定の三江線に乗ってきました

JR線の廃線は北海道でいくつか実施され、今後も廃止が囁かれている路線もありますが、本州でも来年3月末に廃止となるローカル線があります。

 

その名はJR西日本三江(さんこう)線、島根県の山陰本線江津駅を起点に、広島県の芸備線三次駅までの1081kmのけっこう長めのローカル線です。

 

今から46年前(大学時代)に初めて江津(当時は石見江津)を訪れたときには、まだ三次までは全通していなくて、途中の浜原までの行き止まり線でした。確かまだSLC12形かC56形)が走っていました。

 

多分三江北線と呼ばれていたはずで、三次から口羽までが三江南線でした。この途中が建設され、全通したのが1975年で、翌年に全通した全線を乗りに行った記憶があります。

 

それから40数年ぶりに、廃止前に乗らなくてはということで出かけました。遠征の休日をフルに活用しようということで、頭をひねりました。

 

何しろ1日の運行本数は56往復程度、しかも全線を走破する列車は15往復しかありません。翌日の予定を考えると、江津発1514の三次行きをつかまえるしかありません。

 

ちょうど昨日10日から「青春18きっぷ」が使えますので、それを活用することも考え、大阪から出雲縁結び空港まではJAC便で飛ぶことにしました。

 

前日にJR西日本のホームページをチェックしたところ、三江線に乗車する人が増えて乗りきれない列車があるかも知れないとのこと。まさかとは思いましたが、一応その対策もチェックしておきました。

 

出雲市駅ナカで昼ごはんをとり(駅前に出雲そばの美味しい店はありますが私はパスなので)、昼過ぎの各駅停車で江津へ。山陰本線は本線とは名ばかり、小型のキハ120形の単行運転です。

 

江津では1時間半の待ち合わせでしたが、同好の士と思われる人たちが10数人。それでも乗り切れないことはないなと、寒いホームでゆっくり待つことにしました。雨も降り出しました。

 

当該列車はキハ120形の2両編成、以前は単行運転でしたが、乗客増で少し前から増結したようです。座席がほぼ埋まる乗客数で江津駅を定刻発車、江の川を左に見ながら川に沿って南下していきます。20171210_150825

 

各所に速度制限区間があり、浜原まではのろのろ運転。JR西日本のローカル線には、そういう区間が多々あります。安全のためとはいえ、保守費用を節減することが主目的になっていなかなと疑います。

 

浜原を過ぎると40年ほど前とはいえ新規開業区間、ここはキハ120形もかなりのスピードを出してくれます。夜のとばりも降りて、17時半頃を過ぎるともう真っ暗です。

 

かなり高い高架上の駅、宇都井駅も闇の中でしたが、眼下の家の中から列車向かって灯りを手にして振る様子が見えました。

 

口羽で15分くらい交換待ちで停車、ここまではずっと短い停車時間でしたので、多くの乗客がホームに降りて一息入れたり、カメラを向けたりしていました。

 

さらに1時間くらいでようやく三次に到着、江津で乗り合わせた人たちの半数以上は、全線を乗り通されたようです。また4分の接続で発車する広島行きに乗り換えた人が多かったようです。

 

私は三次泊まり。そして今日は、廃線予定にはなっていませんが、同じようにキハ120形が行き交う福塩線に乗って、さらに南下していきます。

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