この夏も「18切符」で旅をしよう

最近は「青春18切符」の利用者が増えているという。しかも、50代以上の比較的高年齢の人たちがであるらしい。

 

確かにここ数年、本線たとえば東海道本線などを18切符で、つまり各駅停車で旅をしていると、けっこう高年齢者のグループに出会うことが多い。

 

かなり以前なら、そういう人たちはほとんどが地元の短区間利用者だったのが、この頃は私と同じように主要駅でさらに乗り継いでいく人が多い。

 

もっとも、こちらも既に高齢者なのだが。
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そんなわけで、夏と冬には私も18切符をもってローカル列車を乗り継いで、のんびりと先を急がない旅をすることが多い。さりとて、時間を作ることが年々困難になりつつあるが。

 

そこで仕事の遠征時を利用して、仕事の前後に時間の取れる日を作り、のんびりと列車に揺られるわけだ。

 

この夏の18切符は7月20日から通用期間がスタートした。ちょうど九州にいて、鹿児島から熊本への移動に使った。

 

もっともこの移動の大半は、18切符が使えない肥薩おれんじ鉄道への乗車だったが、18切符利用者用のお得なフリー切符があり、それを購入した。

 

また、時間があったので、三角線というローカル行き止まり線を往復した。以上は先月のコラムにも書いたので、興味のある方はそちらを見ていただけると幸い。

 

次回はというと、しばらく間が空いてしまう。今月、新潟から関東方面への移動に使う予定だ。上越線を南下するのだが、実はこれがなかなか面倒なのだ。

 

というのも、上越線で上越(越後国と上野国)国境を越える区間、つまり越後中里から水上間がネックなのだ。国境を越える定期列車はたったの5往復しかないからだ。

 

その後は9月だ。神戸からの帰り道、名古屋での泊まりを挟んでほぼ丸1日の旅を楽しもうと思う。気懸かりは天候だが、これはもう運を天に任せるしかない。

 
あともう1回余ってしまうのだが、これも「秘策」を考えている。そう、旅に思いを馳せて案を練ることも、実に楽しい「乗り鉄」旅の一環なのだ。

あまくさみすみ線にも乗りました

肥薩おれんじ鉄道に乗り鉄したその日、八代から熊本まで直行すれば早く着きすぎるということで、宇土で途中下車して三角線(あまくさみすみ線)を乗り鉄しました。三角線に乗るのも40数年ぶりでした。

 

宇土駅に入ってきたディーゼルカーはキハ31形の2両編成、ワンマン運転です。確か以前は転換クロスシートだと思っていたのですが、改造されたのか申し訳に一部が転換クロスシートで、あとはロングシート。20180720_142701

 

その転換クロスシートを倒して4人分を占領している厚かましいおっさん、こちらもとくにこだわりはありませんので、ゆっくり足を伸ばせるロングシートも歓迎です。

 

終点三角は天草観光への入り口でもありますが、観光客とおぼしきはこのおっさんと、あとはアベックらしい二人連れくらい。「鉄」っぽい人は私以外には見かけませんでした。

 

かつては島原に渡るフェリーもあったようですが、既に廃止されて久しいとのこと。天草五橋を通行する観光バスや車での観光が主体に代わっています。

 

7080年代には豊肥本線に直通する急行(「火の山」)列車も走っていたのですが、確か分割民営化直前に廃止されたと記憶しています。

 

宇土を出てからしばらくして海が見えてきます。三角の少し手前までは、宇土半島の北岸を走ります。さほどの勾配区間もなく、軽快な17m車であるキハ31は軽やかに走って行きます。

 

住吉駅では熊本行きの普通列車と交換待ち、そちらはキハ47147)形の2両編成でした。三角線は、これら2つの形式車両でまかなわれているようです。

 

しかし、この線ならではの車両もあるのです。今回の三角線行では、その車両も撮り鉄するのを目的にしています。それが熊本車両センター所属のキハ185系(キハ185-4+キハ185-1012)の「A列車で行こう」です。

 

短い区間を走りますがれっきとした(臨時)特急列車、ジャズのタイトルのような愛称ですが「A」は天草のAであり、アダルトのAにも引っかけられているとか。なお実際に、ジャズナンバーもBGMで流れているそうです。

 

三角からの帰り道、網田駅にてすれ違い撮影ができました。

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肥薩おれんじ鉄道に乗る

昨日は熊本でのセミナー前日の休日、そこで鹿児島から熊本への移動での乗り鉄旅を楽しみました。

 

実は昨年も同様のスケジュールを立てていたのですが、薩摩川内市の川内駅についてしばらくしたところで突然の地震、鉄道も一時不通になったり遅れが出たりで先が読めなくなり、乗り鉄旅は断念したのです。

 

そこで今回こそリベンジということで、鹿児島中央駅からローカル電車で川内へ。そこから肥薩おれんじ鉄道のディーゼルカーに乗り継ぎです。JRは昨日から通用開始の「青春18切符」を使います。

 

この切符では肥薩おれんじ鉄道には乗れませんが、乗り換え窓口に行くと「おれんじ18フリー切符」というのがあり、青春18切符を提示すると販売してくれます。これだと500円くらい安く乗れるのです。

 

5分間という慌ただしい乗り継ぎ時間の間にフリー切符を購入して、1両だけのディーゼルカーに乗り込むとすぐに発車。車内は私を含めて数人の乗客でした。20180720_112914

 

肥薩おれんじ鉄道は、九州新幹線の開業による「並行在来線」の分離に際して、JR鹿児島本線の八代―川内間を3セク化したものです。

 

元々交流電化されていますが、電気運転しているのはJR貨物の貨物(コンテナ)列車のみです。旅客列車は、上記のようにディーゼルカー(HSOR-100形・150形)で運転されています。

 

貨物列車は夜間を中心に5往復が、鹿児島貨物ターミナルを起終点に運転されていますが、JR貨物の機関車(ED76形またはEF81形)が10両のコンテナ貨車を牽引しています。運転士はJR貨物所属。

 

この貨物列車走行に伴う、JR貨物からの線路施設使用収入がこの鉄道の生命線とも言えます。ただ、施設の管理費用もかかるため、赤字経営状態で補助を頼りにしている状況です。

 

施設自体、かつての本線をそのまま引き継いだものであり、その維持管理も大変だろうなと感じました。旅客も子供の減少で通学客が減っているなど、一企業の努力だけではどうにもならない部分も見られます。

 

この日の列車も、鹿児島と熊本の県境付近ではほとんど乗客がなく、もちろん全線を乗車するなどという酔狂な客は私一人、普段でも鉄道ファンくらいのものでしょうね。

 

土曜休日の快速列車運転や、企画・観光列車の運転などがんばってはいますが、沿線人口の減少などもあり、今後の経営もなかなか厳しいものがあるようです。

 

新幹線の並行在来線問題は各地で問題になりましたが、これからも近い将来、石川・福井県や佐賀・長崎県あたりで起こります。これまでのやり方で良いのかも含めて、考える必要があるとも感じます。

いざという際の代替貨物輸送はお寒い限り

西日本豪雨被害は死者200人を超え、土砂崩れ・土石流や堤防決壊による浸水被害など、平成年間で最大という未曾有の災害になった。ダムの放水で町が浸水し、死者まで出たという人災にも摂れる被害も出た。

 

普段そんなことが起こりそうもないところで起こった例もあったり、想像もできないような土石流に一気に破壊されてしまったということもあったらしい。

 

雨が上がった後は一気に真夏の空になり、ところによっては猛暑日の暑さが襲っていて、復旧の作業も極めて大変なようだ。ボランティアの皆さんを含め、我が身を大事にしながらがんばっていただきたい。

 

さて、鉄道や道路の寸断も半端ではなく、道路に関しては高速道路や幹線道路、あるいは陸の孤島にならないための基幹道路については、応急修理も含めて通行できるようになってきているようだ。

 

一方鉄道については、大動脈である山陽本線を含めて広島県を中心にまだまだ不通区間が多く、復旧までには1ヶ月以上かかる線区もあるとのことです。

 

少しずつ復旧できたところから運転再開を目指しているとのことですが、橋梁が流されてしまったり、電化区間では変電所が破壊・浸水してしまったりしたところもあり、なかなかめどがつかない状況です。

 

昨日(18日)現在では、山陽本線では三原-向洋(広島の手前)間と柳井-徳山間が不通のままだ。海岸を走る呉線(三原-呉-海田市)も復旧見通しはかなり先のようだ。

 

旅客はまだ新幹線が走っているので、該当区間では代替輸送ができているのは幸いだ。ただし、通勤通学輸送が正常になるまでにはまだまだ時間がかかる。

 

一方貨物列車は、東は東福山貨物駅まで、西は新南陽貨物駅から以西しか運転ができない。山陽本線には、JR貨物の貨物列車の約13が走っているそうだが、上記駅の間は走ることができない。

 

そこで当面はトラック輸送や船舶輸送で何割かを対応しているが、やはり貨物の滞留や輸送遅れによる商工業への影響もかなり大きいようだ。

 

東日本大震災の際には石油なども含め、代替線を使っての輸送が機能した。東北本線の全面開通まで、上越線と日本海縦貫線(信越・羽越・奥羽)などを活用しての迂回輸送がなされたのだ。Photo_2

 

そこで山陽本線がダメなら、日本海側を走る山陰本線が輸送を代替できないかと誰もが考える。しかし、山陰本線は本線とは名ばかりの長大ローカル線で、線路規格が低い区間もある。

 

つまり山陽線を走っている20両や25両編成のコンテナ列車は、走らせることができない。多くが単線で線路容量も少なく、現在貨物列車は工事列車以外には走っていないのだ。

 

ならば新幹線を活用できないか、岡山以西なら線路容量にも余裕がありそうだ。しかしこれも不可能、貨物用車両、機関車も貨車もないし、駅の貨物対応設備もない。初期には貨物輸送構想(上の写真)もあったが、立ち消えになっている。

 

かくのごとく、いざという時の代替策は全く練られていないのが現状だ。まさかこれほどまでの被害が出ようとは思ってもみなかった、ということだろうが誠にお寒い限りだと思わないか?

仙石東北ラインから女川への旅

6月28日、遠征の最終日にほぼ午前中だけの「乗り鉄」旅をした。

 

目的は、ハイブリッド気動車・HB-E211に乗車すること、すなわち「仙石東北ライン」快速に初乗りすること、そして足を伸ばして地震から復興して新駅舎となった女川駅に降り立つことだった。

 

仙台発8時20分の快速気動車は4両編成、車内にはハイブリッド車の案内と仕組みの映像も流れていた。ホームでは、この列車が塩釜までは東北線を走り、そのあと仙石線に入る旨を放送していた。20180628_092326

 

つまり、松島観光の旅行者はこの列車に乗ってはいけない、松島海岸駅は通らないということなのだが、そこのところの案内が不親切で、案の定何人かの乗客がご乗車をしていた。

 

高城町から2駅仙石線を引き返せばいいわけだが、単線で便利な折り返しがすぐにあるかどうかは運次第。今回も多分30分くらいホームで待つことになるはずで、もう少し丁寧な案内が必要だろうと感じる。

 

ズバリ、「松島海岸に向かう方はこの列車の乗らないこと」をPRすべきだろう。もっとも、仙石線の仙台駅は地下で少し離れて歩くのが面倒だから、安直にこの快速に乗る観光客も少なくないのだろう。

 

快速は東北本線の塩釜駅を出て、松島駅の手前の仙石線と並行している区間で転線し、仙石線に入った。信号待ちが繰り返されたが、それもやむを得まい、安全第一だから。

 

高城町から石巻までの区間では、震災の津波で大きな被害を受け、区間によってはかなり内陸に移動した。海岸寄りでも高い防波堤で景色が見えないというのも仕方のないところだ。20180628_100151

 

石巻駅で石巻線に乗り換え、終点の女川まで行く。この区間も津波の大きな被害を受けたところで、女川駅は高台に移って新築された。日帰り湯も併設、無料の足湯は駅前にあって人気のようだ。

 

駅前の郵便局で旅貯金、この局も昨年の春に移ってきたようだ。そこから海に向けて新しいストリートができていて、少しずつ観光客を対象にしたお店もオープンし始めていた。休日などには賑わってほしいものだ。

 

しかしながら全般的には、震災復興はまだまだ半ばにも達していないのではないかという感じを受けた。工事はまだあちらこちらで進められている、道路や護岸工事、住宅の建設など。

 

単なる旅人が偉そうなことは言えないが、何か一つでもとお土産を買って帰ることにした。

日本海縦貫線を特急乗り継ぎで行く

青森県八戸市からの帰り道、昨日は休養と趣味をかねて日本海回りでのJR乗り継ぎ旅を選択しました。新幹線大宮乗り換えであれば正味4時間ほどのところを、乗り継ぎも含めて倍の8時間です。

 

幸いに今日までは安定した天候のようで、新緑に萌える山々や青々とした水田を眺めながら、そしてゆったりとした日本海を見ながら下っていきます。

 

八戸から新青森へは新幹線の旅、Jはやぶさ95号はR北海道のH5系の担当。もちろん全車指定席ですが、この区間は立席特急券で空いている席に座れます。

 

新青森からは10分足らずの乗り換えで、E751系特急つがるに。4両編成で後ろ2両が自由席。ダイヤ改正毎に本数が徐々に減ってきていて、ある意味絶滅危惧種になっている特急(現在3往復)です。T_20180605_11

 

左側に腰掛けると、途中の弘南鉄道黒石線や大鰐線、秋田内陸縦貫鉄道の車両も眺められます。弘前までの間は、右側に岩木山が見えます、車内が空いていますのでこの間は席を移動でした

 

「つがる」の乗車率はオフ期の平日とあって20%もないくらいでしょうか、途中停車駅での乗り降りも数人といったところで、当面は残るでしょうが、明るい将来ではありませんね。

 

日本海縦貫線はどちらかといえば貨物列車が主流になっています。新潟-酒田間を除くと、特急の本数も少なく短距離のローカル列車が行き交う状況です。

 

さて、秋田では乗り継ぎ時間が1時間以上あり、ここでゆっくり昼ご飯です。ただ、駅ビルや周辺には秋田周辺の名物料理を食べさせてくれる店はすくなく、ここでも全国チェーン店が幅をきかせています。

 

つまり旅人を歓迎してくれる店では、普段はさほど儲からないということで、これも全国的な傾向と言えるでしょう。中には駅前周辺にはそういう店が殆どないといったところもあり、旅人にはさみしい限りです。T_20180605_12

 

秋田からは羽越本線の特急「いなほ」、かつて常磐線を走っていたE653系が塗色も変えてがんばっています。酒田以南は本数もそこそこありますが、秋田に足を伸ばすのは3往復だけです。

 

停車駅もその昔の急行や準急並みで、表定速度はまずまずですが、「特別」急行列車というイメージではなくなった感じです。こちらも乗車率はオフ期で低く、せいぜい30%ちょっとというところだったでしょうか。

 

さすがの定時運転で新潟駅に到着、高架化された新潟駅ですが、東側から入線したのは今日が初めてでした。で、この「いなほ」は同じホーム(在来線5番線と新幹線11番線)での新幹線接続はなかったようです。

ポニー・C56160が本線上から引退

今月末、1台のSL(蒸気機関車)が本線上から引退した。C56 160号機JR西日本の梅小路運転区(京都)に所属する。つい先日までは山口線の「SLやまぐち」号や、関西では「SL北びわこ」号として走っていた。C56160_9522__100501

 

誕生したのは1939年の4月というから80年近く前になる。兵庫県の川崎車両(現在の川崎重工業)で製造され、すぐに北海道に渡り静内機関区配置となって日高本線(苫小牧-様似)を走った。

 

C56形は、線路規格が低いがやや長距離のローカル線でも走れる機関車として造られ、160号機はそのラストナンバーだ。小型機関車のC12形を改良し、テンダ(石炭車)をくっつけた感じだ。

 

軸配置は1C、つまり小さい先輪があり、その後に3つの動輪が結ばれた形で、モーガル形と言われるが、一般的には『ポニー』の愛称が定着した。

 

これは八ヶ岳山麓の小海線でも走り、その姿を「高原のポニー」と鉄道ファンたちが呼んだのが起源らしい。

 

もっともこのC56形機関車は不運の星に生まれてきた。小型で使いやすい、規格の低い線路でも使えるということで、何と半数以上の90両が戦地であるタイ・ビルマ(現ミャンマー)に送られたのだった。

 

これが有名な泰緬鉄道で、C56形も何と約半数が戦災に遭ってしまったのだ。残った46両はタイ国鉄で戦後も使用されたが、現在は全て退役している。

 

このうちの2両が日本に帰還し、泰緬鉄道の開通式に使われたというC56 31号機は靖国神社隣接の遊就館に保存されている。

 

さて160号機だが、新潟とも縁がある。戦前の僅かな期間だが、白山機関区に配置されて越後線を走っているのだ。この時代の越後線はまだ信濃川に貨物線の橋があるだけで、旅客は白山駅が終着駅だった。

 

終戦日前には備後十日市機関区(広島県・現三次)に転属になって、さらに九州そして信州長野県を点々としている。そして動態保存候補対象に選ばれて特別整備を受け、1972年に梅小路区に配置された。

 

言うなれば幸運な機関車で、その後は梅小路蒸気機関車館での小運転や、各地でのSL列車として活躍している。近年は山口線の「SLやまぐち」号で、C57 1号機と共演あるいは交代で使用されていた。C56160_9522__1005012

 

もっとも山口線ではやや非力だったので、ディーゼル機関車(DD51形)を補機として支援してもらっての運行であったが、小型で可愛いと評判だった。

 

それもいよいよ今月で最終運転が終了、「北びわこ」号の最終運転をもって、本線上から引退することになったわけだ。この後は、京都鉄道博物館で小運転に使われるようだ。

 

いうなれば、かなり幸運な機関車だったわけで、これからもしばらくは元気な姿を見せてくれるだろう。

のんびり旅に出たいなぁ

ここのところ我が家の周辺はざわついています。

 

全国ニュースで毎日のように伝えられる、小学2年生の女子児童が絞殺されて深夜線路に遺棄され、電車にはねられた事件。今日で6日目ですが、まだ解決に至っていません。

 

鉄道大好き人間にとっても許せない事件です。線路に遺体を遺棄して電車に撥ねさせるなど、とても許せない腹立たしい事件です。しかも、住んでいるところのそばで。

 

いつもだったら、電車に手を振る子供たちの姿も見られ、運転士や車掌がそれに答える微笑ましい姿も見えるところですが、今は多くの報道陣の姿が目立っているだけです。

 

それはそれとして、ここのところしばらく、のんびり乗り鉄の旅をしていなくて、若干の禁断症状が現れそうになっています。

 

今月も遠方への遠征はあるのですが、どちらも時間の関係もあって往復共に空の旅、晴れておれば上空からの景色も楽しめますが、いずれにしても急ぎの旅。68727851_72

 

乗り鉄旅は来月までお預けです。来月もそれほどゆっくり旅とはいきませんが、少しだけ時間も作れそうです。それを楽しみにしておくことにします。

 

のんびり旅は時間にも余裕があって、鈍行列車に揺られて、乗換駅などでしばし町歩きをしたり、時には思いついた駅に途中下車してみたり。

 

まぁ、時間に拘束されずに心のままにが理想ですが、来月も半日を捻出するのがやっとというところです。

 
仙台まで足を伸ばしますので、新しくなった女川駅まで行ってみましょうか。仙石東北ラインの快速にも初乗りしたいし、仙石線の線路移設部分も通りましょう。(写真は46年前の松島海岸付近)

 
7月も九州に出かけますので、昨年地震のために乗り損ねた肥薩おれんじ鉄道に。それにもう1日空き時間が作れたらと狙っているところです。

 
それまでは、時刻表を眺めながら紙上の旅を楽しみますか。

越後線が新潟駅起点でないのはなぜ?

今日は「旅日記」ではなく、ローカル線物語です。

 

我家の最寄り駅・小針駅は、JR東日本のローカル線である越後線の小駅です。新潟から数えて4駅目、所要時間は10数分です。越後線は単線ですが、小針は相対式2面2線の交換駅で日中も20分毎に運転されています。

 

業務委託駅でみどりの窓口もあり、朝の7時から19時半までは駅員が出札を行っています。南北両方に自動改札機(Suica対応)があり跨線橋連絡ですが、新潟側に新跨線橋とエレベータ設置工事が進んでいます。

 

越後線は海岸段丘砂丘の斜面を走っていて、小針駅もその南斜面に位置していて駅舎までは急な階段になっており、バリアフリー化を目指しているわけです。

 

さてその越後線は、新潟が起点駅ではなく柏崎駅が起点になっていて、新潟駅は終点になります。ですから時刻表でも、柏崎発(下り電車)が先のページに掲載されています。

 

越後線は最初は私鉄でした、1912年つまり大正元年の開業ですが、その時は白山駅と吉田駅間でした。白山駅も現在の駅とは異なる位置(現在駅の北側・鏡淵小学校の辺り)にありました。

 

その後柏崎駅側から建設が進み、翌年春に柏崎-白山間が全通しました。しかし、その先は信濃川に架橋しなければならず、資金不足で赤字が続く越後鉄道には実現は困難でした。

 

結局1927年に国有化され、戦前の1943年に信越本線の支線として貨物線が新潟から関屋まで建設され、この時に信濃川橋梁もできましたが、レールはつながったものの旅客営業は先送りされました。

 

ようやく戦後の1951年に、白山駅と関屋-白山間の線路が移設されて、新潟からの直通運転が開始されました。そんな経緯があったので柏崎が起点、新潟が終点になったわけです。

 

電化されたのは1984年、それまでは気動車列車(キハ17系、キハ20系、キハ30系)や通勤時には客車列車も運転されていました。

 

70年代に新潟大学の移転(五十嵐キャンパス)が始まり、また沿線の新潟寄りの住宅地化が進み、乗客が増えたこともあって電化が行われました。

 

ただ新潟から大学のある内野までと比べ、とくに中間の吉田より柏崎方面は過疎地を走りますので、その区間は簡易電化(低コストの直接吊架式)となり、最高時速も抑えられています。1151050_1702

 

実際、新潟から内野までは日中20分毎に比較的頻繁運転されていますが、内野から吉田までは1時間毎、吉田以遠は2~3時間運転されない時間帯もあります。

 

気動車時代は準急・急行列車が運転されたこともありましたが、現在は全て普通電車、2両でのワンマン運転も日中や夜間にありますが、通常は4両ないし6両運転で、朝のラッシュ時はけっこう混んでいます。

 

車両はE129系が増備されて主力になっていて、古参の115系は残り僅かになっています。湘南色や旧新潟色などが見られるのも、そう長くはないでしょう。E127系も数本運転されています。

 

なお、地図で見ると日本海沿いを走っているように見えますが、実際には海岸寄りの山の南側を走っていますので、海の見えるところはほとんどありません。

乗り鉄旅を楽しみに行きたいなぁ

春休み、桜を筆頭に花の季節の到来です。車窓から眺める風景の中にも、いろんな花が見られる季節です。南からスタートすれば、桜前線を追っていくこともできますね。

 

実際、「青春18きっぷ」を利用して普通(または快速)列車を乗り継ぎ、車窓からのお花見を楽しんでいる人も少なくないでしょう。

 

18きっぷの利用者も年代の幅が広いようですが、実際に普通電車に乗り合わせてみると、けっこう年配の方が多いようにも見えます。

 

乗り鉄といっても中身はいろいろで、私のようにただ列車に揺られていればそれで満足(もっとも旅のお供にアルコールと読書本が欠かせませんが)という類。

 

何かこだわりを持って、たとえば「全線乗りつぶし」を楽しんでいる方、「乗ったで降りたで」といって、途中下車を楽しまれている類。T_20170421

 

後者の中には全駅を乗り降りして回っている猛者もいらっしゃいます。これは想像するだけでも大変だと思えますが、すでにかなりの人数の達成者がおられるとか。

 

各地の弁当(主として駅弁)を楽しみながら乗り鉄する人は、最近では駅弁の販売駅が減ってきているので、なかなか大変そうです。

 

駅弁を販売している駅でも、ホームでの立ち売りは滅多に見られなくなり、ホーム上の売店も激減して今や絶滅危惧種です。売っているのは駅ナカや駅前のコンビニ。

 

いざ駅弁を買って乗っても、ロングシート(線路と平行に座席がある形)では、弁当を広げるのもなんとなくやりにくいし、第一情緒がありません。

 

ところが、都会の通勤線はもちろん、最近では地方のローカル線でもロングシート車が増えていて、せっかく買っても食べられない体験をされる人もありそうです。

 

また以前は、トイレがついていない車両が使われていて、しかも停車時間が短いために駅のトイレに駆け込むこともできず、大変な思いをした形もあったのでは?

 

最近は大都会の通勤型車両以外には、ほとんどの車両にトイレが設置されるようになりましたが、一部のローカル車両にはありません。

 

また通勤型車両が、そのままローカル区間に結構長い時間直通するという列車もありますから、よく情報を仕入れておかないと厳しい状況に置かれるリスクも。

 

そういったことはいくつかありますが、やはり乗り鉄は愉しいもの。何回かの遠征の内1回くらいは時間を生み出して、乗り鉄の旅をしたいものです。

 

乗り鉄旅はやっている時はもちろん、実は計画の段階でもワクワクするものです。季節もよくなってきます、いつも前向きに。

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