1971年九州の旅より

たまには少し昔を振り返ってみようかなということで、かなり以前の乗り鉄アルバムから。


小中学生の頃は大阪市内といっても、淀川を渡った北側に住んでいました。


この頃は夏休みとかに、岡山県の西の外れにある母の実家に行く時に山陽本線の普通列車に乗れるのが楽しみでした。


60年代は電化も姫路付近までで、姫路駅で電気機関車から蒸気機関車への付け替えを見ることができました。


姫路を出てしばらく行くと県境の長めのトンネル(帆坂トンネル)があり、煙が一気に入るので開けていた窓を閉めさせられました。


その内に電化が伸びて、EF58形電気機関車で母の実家の最寄り駅まで行けて、煙からは解放されました。


その駅からは、母の故郷の町まで軽便鉄道(井笠鉄道)が出ていたのですが、バスが家の前に停まるのでキシャには乗せてもらえませんでした。


中学生になると1人で列車に乗って出かけるようになり、これが遠くへの乗り鉄の最初だったわけです。


さらに中学3年生の春に東京への修学旅行、大阪駅から修学旅行専用電車(155系「きぼう」)に揺られました。


一番後ろの車両と記憶しています。父親から借りたカメラを抱えて撮り鉄をやったのですが、フィルム(モノクロ)交換を失敗してもったいないことをしました。

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本格的に1人で旅程を決め旅鉄(乗り鉄&撮り鉄)をしたのは、大学2年(1971年)の夏の九州一周でした。もちろん均一周遊券を握りしめての旅。


それまでも近畿一円や北海道にも出かけましたが、これは大学の鉄道研究会の仲間との旅が主でした。


九州旅は全くの独り旅、この後は殆ど1人だけの乗り鉄旅が続いて今に至っています。


大阪から夜行列車で九州入りして、日中はあちらこちらを乗り回り、夜は門司港駅に戻ってまた夜行列車。時々YH(ユースホステル)に泊まるという2週間の旅でした。
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さすがに2週間では全線を踏破できませんでしたが、それでも現在は廃止されている路線を含めてかなり乗り潰しました。


当時は国鉄乗りつぶしやSL写真が主で、私鉄は車窓からや短い途中下車の際での駅構内撮影、振り返れば勿体ないことでした。


それでも時刻表やたまに読む趣味誌だけでは知り得ない鉄道や車両に偶然であったり、フィルム消費枚数を絶えず気にかけながらの旅でした。


夏の暑い日々でしたが、20才前の若さは猛暑などものともしなかったようです。


新型コロナ問題が収束に向かい、またのんびりと乗り鉄できる日を楽しみに待っています。

寂しいダイヤ改正

明後日3月14日はJRグループの、ダイヤ改正が予定されています。


高輪ゲートウェイ駅の開業とか、他にも様々なエポックが予定されているのですが、今年は新型コロナの影響もあって華々しさは影を潜めそうです。


14日に改正されるということは、13日で運転を終える列車もあるということになります。


700系新幹線車両やスーパービュー踊り子などがそうですし、本来であれば終幕のセレモニーや企画イベントがあるのですが、ことごとく中止の憂き目です。


その分お祭り騒ぎ的な「葬(式)鉄」(私はこの言葉がキライです)がないなら、それはそれでいいのかなとも思います。


鉄道ファンの一人としては、長い間ごくろうさんと心だけで送り出してあげようというところです。


さてダイヤ改正というと、かつての国鉄では戦後何度か大きな改正、いわゆる白紙ダイヤ改正が行われました。


白紙ダイヤ改正、つまり列車の運行はダイヤグラムという縦横表に示されるのですが、それを白紙にしてスジ(列車運行ダイヤ)を弾き直すという意味です。


その代表的なダイヤ改正が、サンロクトオとヨンサントオでした。


サンロクトオは昭和36年(1961年)10月1日改正、この時にはかつての名車キハ82形などが投入され、全国の非電化区間に特急が走り出しました。


もちろんその他にも電車特急、急行や当時あった準急も地方のローカル区間も含めて大量に誕生しました。


残念ながら私はまだ10歳になろうかというところでしたので、微かな記憶しかありません。


ヨンサントオは昭和43年(1968年)10月1日、これはしっかりと記憶に乗っていますし、カメラを抱えて写真を撮りに出かけました。Photo_20200312083101


この時には東北本線の全線電化・複線化が完成し、特急が大増発されました。それでもまだ急行が庶民の為の優等列車でしたね。


大阪駅でカメラを構えていると、次々に特急や急行が着発していき、1日いても飽きることがありませんでした。当時は入場券1枚で終日駅に滞在できたのです。


我が家の近所を走る越後線は、今はローカル電車しか走っていませんが、急行「ひめかわ」(新潟ー柏崎ー糸魚川)が1往復設定されていました。


全国にまだローカル私鉄や路面電車もたくさん走っていて、鉄道が旅客移動の主体という時期でもありました。


あれから50年余、国鉄はJRグループに再編され、ローカル私鉄や路面電車も次々に姿を消していきました。


今回のダイヤ改正は、さらに新型コロナが直撃したために余計に寂しいものになりそうです。


それでも、各地には色んな「鉄」人が押しかけるかも知れませんね。中にはマナーの悪い、鉄の端くれにもかからぬ輩も少なくないようです。


オールドファンは、ただ静かに去りゆく列車や車両を送り、新たな列車や車両を迎えようと思います。

新幹線700系の引退

東海道・山陽新幹線の700系という車両、一度は乗られたこともあるだろう。


試作車は1997年に製造され、2年後の1999年から量産車が次々に登場して16両編成「のぞみ」の主力車両になった。


前頭部の形状から「カモノハシ」というニックネームが付いたが、風力(空力)抵抗をいかに躱すかということを主眼としたものであった。

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全部で1300両余り製造されて、当時の初代「のぞみ」であった300系車両をアッという間に引退に追い込んだ。


JR東海車だけでなく、JR西日本でも一部修正された同じ車両が作られたほか、「ひかりレールスター」用の8両編成も製造された。


それがもう引退なのだという。新幹線車両は、1列車がかなりの長距離を走ると共に、1日で東京ー博多間などを1往復以上走行する。


走行距離に応じた点検がその走行距離数によってなされるのだが、やはり寿命が短くなるのはやむを得ないのだろう。


また、登場当時には最先端技術だったものが、新しい技術がさらに開発されていくとどうしても陳腐化してくるのは当然だ。


新幹線車両はその時代の最先端技術の中の、安定技術をもって製造されるものではあるが、15年、20年も経つとそれがもう古くなるというわけだ。


また、700系は最高速度こそ285km/hとその後の車両にひけはとらないが、カーブを通過する速度(制限が付く)などで一歩後れをとっている。


つまり現在主力の700A系、あるいは今後間もなく登場する700S系に比べると、1世代いや2世代前の車両の位置づけになる。


というわけでこの3月14日のダイヤ改正を機に引退することが決まっている(ただし西日本の8両編成はまだ少し残る)。


その引退記念運転が3月8日に行われることになっていた。ところが一連の新型コロナウイルス感染騒動で、イベント運転が中止になってしまった。


鉄道ファンにとっても非常に残念なことであるが、引退の花道を飾れない700系車両にとっても悔しいことだろう。


最終の13日には最後の「ひかり」1往復が運転されて、それが実質的な引退の花道になる。


わずか20年余りであったが、日本の大動脈である東海道・山陽新幹線を走り抜いた700系車両にエールを捧げたい。


そして、ありがとう。

最後の喫煙可能列車が無くなった

新型コロナウィルスの猛威がなかなか収束する傾向を見せません。


色んな防御・防衛策がネットなどにも紹介されていますが、中には眉唾どころか荒唐無稽なものもあるようで、気を付けたいですね。


あるいは中傷誹謗、ヘイトのようなことまで起こっているようですが、これは何ともいけませんね。


いずれにしても体力の弱い高齢者に感染が広がるような傾向もありますので、まずは正しい生活習慣ですね。


早寝早起きはもちろん、三度の食事も暴飲暴食は避けるべし。あるいは酒やタバコも控えめ、いや後者はやめた方が良いでしょう。


そのタバコですが、世界の潮流に沿った法の整備と共に愛煙家にはとっても窮屈な時代になっています。


私自身はもう30年近く前にタバコを捨てましたが、別に時代を先取りしたわけではありません。


かつてはヘビーではないもののかなりのスモーカーで、出張などで移動中の列車の中でも四六時中スパスパやっていました。


そう、その当時は都会の通勤電車以外にはほとんど禁煙車はなくて、車両にもちゃんと灰皿が付いていました。


首都圏の主要路線も禁煙規制があったものの、本格的に禁煙車が導入されたのは1976年の新幹線「こだま」が初めてでした。


この時は16両編成の16号車たった1両のみでしたが、この後次第に禁煙車率が加速度的に向上していったのはご承知の通り。


現在ではほぼ全列車の禁煙化が完了し、一部車両(及び一部駅)に禁煙ブースが設けられているのみです。


ところがつい最近までとある私鉄の特急に喫煙可能車両がありました。それが近鉄の特急でした。

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近鉄駅の窓口で特急の指定券を買う時には、必ず「タバコは吸われますか」と聞かれました。ネット予約でもちゃんと聞かれました。


これがつい先日の1月31日までで喫煙車両が廃止され、2月1日からは全ての特急が全面禁煙になりました。


逆に良くここまで続いてきたなぁと感心させられます。愛煙家には申し訳ないですが、長く乗っても2時間ほどですからね。


かつては列車の窓を開けて、タバコの煙をくゆらせながらワンカップを窓際において、景色を眺めるのが旅の楽しみでもありました。


移りゆく車窓に釘付けになっていて、指に挟んだタバコの灰が膝に落ちたり、指先が熱くなっていたり。


「火を貸してもらえませんか」と相席の方に声をかけることもありました。


それでも満員の車内では吸わないとか、子ども達が乗り合わせたらガマンするとか、それなりの秩序は心得ていたようです。


そういう旅も遠くに消えました。その内缶ハイボールも規制されないことを祈っています。

偉大なるローカル線に敬意

偉大なるローカル線、山陰本線につけられた呼び名である。京都から西北に延び。日本海沿いに延々と走って下関の手前、幡生駅で山陽本線に合流する。


京都府をスタートに、兵庫県、鳥取県、島根県、そして山口県の1府4県を貫いていく。


その昔には京都発夜行で下関までのんびり走る普通列車もあった。京都発ながらいったん大阪を経由し、福知山線から合流して下関を越えて博多まで走る特急「まつかぜ」という列車もあった。


東京からの夜行急行であった「出雲」は、京都から山陰線をひた走って浜田まで直通していた名列車だ。


晩年は特急ブルートレインで出雲市行きとなっていたが、現在は「サンライズ出雲」に愛称は継承されている。


その山陰本線、現在は細切れに運転系統が分断されていて、全線を直通する列車はもちろん1本もない。それぞれの地域特性で運転されているといった方が良いだろう。


始点の京都付近は電車が頻繁に、通勤時間帯には比較的長い編成で走り回り、特急電車も毎時近畿各地に向かっている。


途中の福知山駅では、新大阪発着の特急電車とクロス連絡してネットワークを構成している。さらに和田山では、大阪方面から姫路経由の気動車特急「はまかぜ」が合流する。


電化区間は城崎温泉までで終了し、「はまかぜ」はその先に直通するが電車はここまでとなる。この辺りまで来ると、電車も気動車も2両の短い編成が多い。


鳥取では、京都から大阪を通って山陽本線の上郡から三セクの智頭鉄道を経由してきた、特急「スーパーはくと」の一部が倉吉まで走る。京阪神から鳥取や倉吉には、この列車が最も早く着くが、高速バスとの競争も激しいそうだ。


米子の手前の伯耆大山から再び電化区間となり、新幹線岡山連絡の伯備線に直通する特急「やくも」やローカル電車が走るが、電化は出雲市の隣駅西出雲で終わる。


そこから先はローカル色が一気に強くなり、特急や快速も走るが2ないし3両編成となる。ローカル列車は小型気動車1両だけの運転も多い。20200127-123651


益田までは路線の高速化もなされており、気動車特急の愛称には「スーパー」が付いて、時速100km以上の運転区間もある。


しかし特急はここまでで、益田から先幡生・下関までは普通列車(気動車)しか走らない。観光地である萩や青海島などがありながら、たった1両だけの列車も多い。その列車も途中の長門市や駅で分断されている。


終点の幡生付近ではい運転本数や編成両数も少し増えるが、優等列車は全く走らない。幡生は終点だが、列車は全て一駅先の下関が発着である。


この偉大なるローカル線を、いつかは各駅停車の乗り継ぎをやってみたい。実は過去には、下関発福知山行きという客車列車に、一度だけ乗り続けたことがある。


18時間くらいの長丁場だったが、不思議と疲れなかった。同じ感覚は味わえないが、偉大なるローカル線に再び敬意を表してみたいものだ。

路面電車が元気になった

地方都市における路面電車の見直しが進んでいる。


宇都宮市では新規開業を目指しての工事が開始されているほか、既存の路線でも改善が盛んである。


広島市はJR広島駅への乗り入れ改良に伴う新路線建設が始まるし、岡山市でも駅前広場への乗り入れ工事が決まった。


札幌市では数年前に僅かに途切れていた区間をつないで、ループ運転が始まり状況も増えているという。


富山市(写真)では富山駅の高架化が完成して、南北に分かれていた路線がいよいよ直結されると共に、経営が一元化されそれによって運賃も下がるケースがある。


北側の富山ライトレールは元はJR富山港線だったが、赤字での廃止も検討されたがLRT化によって駅前乗り入れ路線を新設し、運転本数を2~3倍にして美事によみがえった。 20191007-090549


前述の岡山市でも既存のJR線と直結して、LRT化しようという計画もある。


その他、各地での動きが活発になっており乗客の増えたところも多く、路面電車ファンとしては嬉しい。


LRT、ライトレール・トランジット。それは低床車やモータ・制御器の近代化など車両だけの改善ではない。路面電車システム全体としての大きな変化だ。


それ以上に利用者(潜在利用者も含む)や、周辺の住民や旅行者などの意識も変わってきたのだと思う。


一時期、路面電車は交通の邪魔者とされたことがあった。とくに大都市では殆どの『市電』が廃止の憂き目に遭い、都市の中からトラムが消えたところが多い。


東京都電(荒川線を除く)、大阪市電(阪堺電車は健在)、神戸市電、京都市電(嵐電は健在)、名古屋市電、福岡市、北九州市、仙台市電などなど。


中堅都市でも金沢市や岐阜市、福島市、下関市、大分市、和歌山市などでトラムが消えた。


車社会の邪魔になるというのが大きな理由だったが、結果はどうだったろう。大都会は地下鉄の方が大量輸送面では有利だが、財政負担などで苦しむ自治体も少なくない。


最大の問題は「人間に優しい」かどうかの視点だろう。LRTが完璧だなどという気はない、しかし人間に優しい、とくに交通弱者にやさしいことは事実だと思う。


広島市や岡山市のように駅との直結改良が進むのも、まさにその思想による。豊橋市や高知市、熊本市、鹿児島市、長崎市、福井市、前日の富山市などもインフラ改良が進んで市民の足として人気になっている。


いったん外したレールの復活は難しいと思うが、すでに地方ではバス路線ですら存亡の危機にある。自動車社会の頭から、大きく舵を切り替えないと、環境問題を含めて間違い続けることになると思う。


より便利なトラム、LRTシステムなどを今一度本気で見直してほしいものである。


我が新潟市もぜひに。

来年も乗り鉄するよ

先日12日に68歳の誕生日を迎えました。


誕生日のプレゼントでいちばん印象に残っているのは、小学校入学前の誕生日に買ってもらった電気機関車EB58のセットでした。直径2mくらいの丸いOゲージ線路と機関車1両、トランス(コントローラー)付き。


小さい(3歳くらい)頃から鉄道好きだった私に、父が奮発してくれたのでしょう、クリスマスや入学祝いも兼ねたものだったのでしょう。


それまでは積み木を並べたり、障子の敷居を使って「連結運転」して遊んでいました。


写真好きだった親父のカメラを持ち出し始めたのは小学校4年生頃からで、親父のモノクロフィルムを数枚拝借して撮影していました。


そのカメラの中の1台、ペンタックスを自分専用としてもらったのが中学3年生の時。修学旅行に早速持って出たのですが、1本目を撮り終わって巻き戻す際に失敗し、思わず裏蓋を開けてしまい撮った写真が全てパーに。


そんな失敗も今は懐かしい想い出です。高校時代は勉強と陸上競技に励んでいましたので、再び撮り鉄に戻ったのは大学1年の時。鉄道研究会にも入りました。


当時のことですからSLを追いかけるのが主でしたが、天橋立合宿、加太越、北海道旅行、そして単独での九州旅行など。


そんな中で、撮り鉄も楽しいけれど乗り鉄の愉しさを強く感じたわけです。以降は殆どが独り旅で、全国を駆け回りました。もっとも、バイトでしっかりカネ稼ぎをしてからですが。


それから歳を重ねて気が付いたら68歳、今も旅鉄と称して乗り鉄ときどき撮り鉄を楽しんでいます。撮り鉄は、大きなカメラを持つことはなく、もっぱらiPhone撮影です。Img_8979


乗り鉄も、ただその為だけに出かけることは殆どなくなり、仕事(セミナー等)で各地に出かける際の往復や、余った時間の活用が主体。たまには1~2日「休み」と称して旅していますが。


今年もあちこちを旅できました。その殆どが列車での旅、たまにはバスに揺られることもありますが。


2020年も、ヒマを作って各地に足を伸ばしていきます。さっそく1月は、九州大分でのセミナー参加の帰途に山陰を旅します。


その後はまだ未定ですが、スケジュールを組むのも旅の楽しみの一つ。最低限の情報だけで、そこでの邂逅を楽しみに。


それが私の元気の源ですから。

熊本で乗り鉄を楽しみました

熊本に足を伸ばしてくるのは、今年の2月から10ヶ月ぶり。下から眺めた熊本城の修復もかなり進んでいるようだ。


前回はホテルもセミナー会場も熊本の駅前だったこともあって、市電を部屋から眺めるだけだった。


今回は1日余裕をとって、しかも5日の昼過ぎには熊本に入ることができたので、熊本電鉄(熊電)と熊本市電を乗り鉄することにした。どちらも過去に全線踏破していたが、この10数年は無縁だったので大きな変化もあった。


熊電の車両は大きく変わった、最近も東京の銀座線の車両や、日比谷線の車両が入線してきている。市電も、低床の連接車が増備されて見ているだけでも楽しい。

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というわけでホテルに荷物を預けて、歩いて15分くらいの熊電藤崎宮前駅に急いだ。藤崎宮前駅は大通りや商店街から離れた、言わば場末のようなところにある。


市街地への延伸なども検討されたことがあるが、道幅の狭いことや巨額の費用を誰が負担するかなど問題も多く、流産したままになっている。中心地へは今も徒歩かバス連絡。


その藤崎宮前駅から御代志行きに乗り込む、元都営三田線の車両。一駅目の黒髪町駅までには路面軌道区間もあって、20m2連の大型車両もノロノロ走る。


路線は御代志駅(合志市)で途切れるが、1986年までは菊池市まで路線があった。ここで折り返し、北熊本駅で降りて上熊本行きの電車に乗り換える。こちらは元営団の03系車両(2連)。


上熊本駅は高架になって駅も立派になった。熊電は相変わらずホーム1本だが、始めて降りた70年代には国鉄との連絡線があり、貨物車両の中継もあった(電車が牽引)。


市電とも徒歩1分で乗り継げる。車庫もここに移ってきた。ここから健軍町行きに乗り、途中の通町筋で途中下車して旅貯金を1局。再び健軍町行きで終点まで行き、そこからレトロ風電車(101号)で引き返し、本日終了とした。

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国鉄型車両は絶滅危惧種に

1987年4月1日、なんの日だったか記憶されていますか?


旧国鉄(日本国有鉄道)が解体されて、7つのJRが誕生した日です。


そしてこれ以前に製造されてJRに引き継がれた車両を、鉄道ファンは「国鉄型車両」と呼んでいます。引き継がれた時点での車両は全てが国鉄型だったわけですが、年々その数を減らしてきました。


30年以上経った今日、国鉄型車両は次々に「絶滅危惧種」となっており、今や風前の灯火とも言えます。実際、直前に製造された車両でも車齢はすでに30年を超えていますから、寿命を迎えても不思議ではありません。


私の住んでいる新潟地区でも、新型車両への置き換えが進んでおり、間もなくキハ40系気動車が引退を迎えます。また115系近郊型電車も残るは20両余りに減っており、これも近い将来引退するでしょう。


あとは「SLばんえつ物語」号に使用されているSLのC57180、JR貨物(東新潟機関区)に所属しているDE10形ディーゼル機関車、EF81形電気機関車(富山区)が残っているくらいです。


普段よく使っているJR越後線には、115系を使用するローカル電車が数往復残っています。通常は3両編成ですが、2本つないだ6両編成もあります。20191030-165430


7編成が運用されていますが、6種類のカラー(湘南色、新潟色3種、弥彦色2種)に塗り分けられていて、何が来るのかの楽しみもあります。(写真は弥彦色)


全ての車両が実は新潟生え抜きではなく、主として長野地区から転用されてきた車両です。


一方キハ40形は、両運転台のキハ40、片運転台のキハ47とキハ48がありましたが、間もなく完全に引退(下写真は国鉄色のキハ47)します。後継車は電気式気動車であるGV-E400系となります。


従来の液体式(変速機)でも、一部で運転をしているハイブリッド車両でもない電気式は、ディーゼルエンジンで発電した電気で車両(台車)に積んだモーターを動かす方式です。


これまでの液体式気動車に比べれば、格段に静かなのが特長で、駆動装置は電車と同じわけですから加減速性能も向上します。


EF81形電気機関車もEF510形への置き換えが進んでいますし、DE10形も新しい電気式ディーゼル機関車の登場が予定されていますので、引退も見えてきました。


今のうちに活躍する姿を映像に収めておきますかね。

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鉄道の日に台風災害を思う

今日は「鉄道の日」です。新橋ー横浜間の鉄道が開業した記念日。


もっとも、実際にはこれより先に品川ー横浜間が仮開業していて、この日は明治天皇ご臨席で式典を行った日でした。


各地で鉄道の日を記念するイベントが開かれます。台風19号が過ぎ去った後でどうなるか心配でしたが、多くのイベントは実施されるようでホッとします。自粛などせずに、笑顔一杯を望みます。


この台風では計画運休も首都圏だけでなく各地で実施され、三連休ということもあり大混乱はなかったようですが、それでも特に金曜日の夜はかなりドタバタがありました。


後遺症はまだ残っていて、新潟県内では今日も運休する路線があります。


さらには、長野県では千曲川の堤防決壊氾濫では、北陸新幹線車両の水没や上田電鉄の鉄橋一部倒壊といった悲しい出来事がありました。


後者はトラス橋梁の一連だけですから復旧も難しいことではないようにも思えます。しかし、多額の費用を上田電鉄だけで負担をすることは大きな重荷になってしまいます。


地方交通を今後とも維持していくためにも、国や県などの支援が不可欠でしょう。鉄道ファンとしても、ぜひ復旧してほしいと願うものです。


そして北陸新幹線車両の被災は、想像以上に大きなものがあります。12両編成の車両が10編成、計120両の製造費用はザッと330億円といわれています。映像で見る限り、ほぼ下半分が水没しています。Afr1910130026p1


専門家ではないので断言はできませんが、全て廃車になる公算がかなり高いものと思われます。少なくとも床下機器は使い物にならないでしょうし、車内の座席なども使い物にはなりません。


もし再度使用できるとしてもアルミ製の車体や台枠くらいで、これらも相当の費用と日数を要することでしょう。


当面は東京ー長野間と富山(糸魚川)ー金沢間での運転となるようですが、E7系とW7系合わせて20編成ではその辺りが限界でしょう。現在上越新幹線で走っているE7系を運用に回しても、どこまで本数を増やせるでしょうか。


E4系置き換え用に既に発注しているE7系車両の、完成を急がせることも方策ですが、そうなると廃車予定のE4系をしばらく上越新幹線で運用する必要も出てきます。


いずれにしても全面復旧はかなり先の話になることは確実です。なぜなら北陸新幹線用の車両は、E7・W7あるいはE2系にしても、50/60サイクル両用車なので、単純に他の車両を運用には回せないから。


そうなると新たに製造することが必要になりますが、当然相当の時間を要します。


車両基地は千曲川の欠陥現場から2kmも距離がありました。「まさか」という想定外の出来事だったと思われますし、運転休止中のことでしたから、駅などへの緊急避難も困難だったのでしょう。


今はただ早期の復旧を望みます。

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