新潟市内にLRTが走っていたらなぁ

政令都市新潟の中心部には、2015年よりBRTシステムが導入されていますが、かつては路面電車が中心部から新潟駅前を走る計画がありました。


1999年に廃止された新潟交通電車線(新潟電鉄線)には、路面を走る軌道線があって県庁前駅が白山神社のそばまで伸びていました。かつての県庁跡地には、現在新潟市役所や関連の建物が建っています。


軌道線には鉄道線の電車が乗り入れていたほか、一時は路面線の専用電車も走っていたそうです。新潟のシンボルでもある万代橋は、この路面電車が走ることを想定してかなり広い幅をとった頑丈な橋でした。


そのおかげかどうかは分かりませんが、1964年の新潟地震の際にも、新しい昭和大橋は崩壊したのに万代橋はビクともしなかったのです。ただ残念ながら、この橋の上を電車が走ることはありませんでした。


もしその計画が実現していて今につながっていれば、もしかしたら近代的なLRT(軽快路面電車9が走ったのではないかと、鉄道ファンの一人としては夢を見るのです。BRTの連節バスもスマートですが、連接電車ならなおいいですね。


結局電鉄線は吊り掛けモータの旧型電車が最後まで主力で、しかもその機器は戦前製(車体は戦後の更新型)という状態でしたので、時代に取り残された感は否めずじまいでした。騒音や振動も大きく、白山通りを走る路面線は1992年に廃止されました。


その後は東関屋駅でのバス接続となりましたが、これも徐々に利用客の減少、車両の老朽化が進んでしまい、ついに99年に残存鉄道線も廃止されました。新潟市くらいの都市規模だと、LRTによる都市中心部と郊外を結ぶ鉄道が似合うのですがね。


写真はクラシックな県庁前駅に停車する電車。その色から「かぼちゃ電車」と親しまれました。

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羽越・奥羽路をのんびりと

新潟から青森・八戸市への旅、普通のコースでお急ぎの場合は新幹線から新幹線へ大宮での乗り継ぎ、待ち合わせがうまくはまれば4時間ちょっとで駆け抜けられます。

ぐっと大回りで日本海縦貫線(羽越本線・奥羽本線)を新青森まで特急を乗り継ぎ、新幹線で下ってくると8時間ほどの景色の素晴らしい旅を堪能できます。

今回はそのどちらでもなく、次のようなコースをとりました。新潟からは特急で日本海岸を北上し、鶴岡で途中下車してから余目で、最上川に沿う陸羽西線の各駅停車に揺られます。

終点の新庄からは奥羽本線に乗り換えて(こちらも各駅停車)花火の町・大曲へ。そこから秋田新幹線、盛岡からは東北新幹線にて最終目的地八戸まで、ゆっくり9時間の旅です。

新潟から鶴岡までは何度も乗車していますので、ここでは早くもハイボールの朝酒をいただき、読書と居眠りの内に早くも鶴岡で下車。そのまま余目に直行しても良いのですが、旅貯金を一つ増やしたいので。
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旅貯金は一昨年の秋から再開し、今日の鶴岡と余目を含めて63局になりました。乗り継ぎの時間が30~40分あれば、駅から歩いて10分くらいの郵便局までは往復可能です。

駅前にズバリあれば良いのですが、「駅前郵便局」を名乗っていても意外と離れている局も存在します。それでも大きな町ならば、散歩代わりに歩いて数局をゲット可能です。

そんなわけで、昨日はまず鶴岡駅前郵便局に足を向けました。ここは絵入りの局印、最近は増えてきているのでしょうか。観光地に多いようです。駅に戻って気付いたのは、駅ナカ以外のコンビニが見えないことでした。

次の余目駅周辺にもこれまたコンビニが見えません。少し離れた町の中心、役場のある周辺や国道沿いにはあるのでしょうけど。小さな駅ナカカフェではPayPayが使えました。

余目からは陸羽西線、キハ111形の2両ワンマン編成です。空に雲が広がってきましたが、途中しばらくは最上川の景色を堪能できます。山の緑と花も目を楽しませてくれます。

この陸羽西線もかつては急行列車が行き来し、東京から福島・山形経由で庄内地方を結ぶ準幹線でした。しかしメイン経路が上越新幹線・新潟経由に変わり、庄内空港への空路も開設されてすっかり今ではローカル線です。

「最上川」という愛称のついた快速列車もありますが、それも含めて殆どが2両編成のワンマン列車。昼間は2時間に1本といった閑散線になってしまいました。

私の初乗りは1972年の秋だと記憶していますが、この時はキハ55系の急行だったかもしれません。就職して酒田市への出張に夜行の急行「出羽」に乗りましたが、この時にはグリーン車(キロ28か58)に乗りました。

新庄では5~6分の待ち合わせで秋田行きの普通電車に。こちらは701系のロングシート車、やはり2両編成のワンマン列車です。ロングシート、いわゆるタテ型シートは通勤通学にはいいですが、旅の情緒はねぇ。

車窓の景色を愉しむにもいささか不自由ですが、何と言っても弁当を頬張ったり美味しいお酒をいただくのにも、いささか不便です。空いているときにはともかく、混んでいてはその気にもなれません。

奥羽本線の新庄以北は、今ではローカル電車(701系)だけしか走っていません。かつて特急や急行、貨物列車が走った名残は各駅の長いホームや側線に見られますが、それがかえって侘しいですね。

ローカル旅も大曲まで。もっとも秋田新幹線「こまち」も、盛岡までのルートは田沢湖線というローカル線。最高時速も130kmですが、山の中に分け入る時には速度もグンと落ちます。

この頃から雨が少し降ってきましたが、本降りではありませんでした。今日は朝から晴れ空に戻っています。遠征合間の乗り鉄旅、心の洗濯ができました。

次の週末には乗り鉄の旅

おかげさまで、土日の仕事が毎週のように続いています。仕事だけではなく、自分自身の研修参加もほとんどが土日ですので、多くの方とは逆のリズムでの毎日です。今週末も市内の企業でシリーズ研修、充実の時間を過ごさせていただいています。


県外への遠征も多いというか、むしろその方が多いのですが、そこには楽しみもあります。それは移動の時間です。最近は遠方の場合、ほとんど空の便を使いますが、時間があれば鉄道の旅を組み込みます。


タイムスケジュールは、時刻表を元にあらかじめ決めてはありますが、状況によっていくらでも勝手に変更します。あるいは、思わぬハプニングがあったりして変更を余儀なくされる場合もあり、それもまた結果として楽しみに組み入れます。


先日も神戸から金沢への移動の際、強風のために特急「サンダーバード」が湖西線から、東海道線・米原経由に変更になり、田植え前後の湖東平野を楽しめました。所要時間は30分余り余計にかかりましたが、予定より1本前の特急に間に合ったので、金沢着はほぼ当初予定の通り。


時には経路変更を余儀なくされたり、別の交通手段を採らざるを得ないことも。東北日本海側を走る羽越本線では、強風による区間運休のために代行バスの旅となったことが、2度もありました。
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信越本線の特急に鳥がぶつかり、運転室の窓が破損したために途中で運転取りやめになって、急遽経由を新幹線・東京経由に変更したこともありました。それでもたいてい時間に余裕をもっているため、約束した時刻に遅れることは滅多にありません。


ただ最近は時間の余裕もタイトになり、本格的な乗り鉄の旅時間が少なくなっているのは、ちょっとばかり欲求不満です。


そこで、次の週末は自分自身の研修で青森・八戸市に向かいますが、早く行こうとすれば新幹線の大宮乗り換えです。ゆっくり日本海を愉しむならば、秋田経由の特急乗り継ぎの旅。


しかし今回は別経路で、途中のローカル旅を組み入れることにしました。すなわち、新潟からは秋田行きの特急で出発しますが、鶴岡で途中下車、ここからは普通列車を乗り継いで余目、陸羽西線で新庄、そして奥羽本線で大曲までのんびり旅です。(写真は2011年、陸羽西線のキハ110系)


大曲からは秋田新幹線、盛岡乗り継ぎの東北新幹線で八戸に夕方到着です。先日駅のみどりの窓口で切符をお願いしましたが、こういう経路の乗車券でも画面タッチで短時間発券できるのですね。昔なら、駅員さんが時刻表などと首っ引きで電卓を叩いていましたが。


そういうわけで、次の週末には乗り鉄旅が楽しめます。忙中閑あり、その時間を楽しみに仕事にも氣愛を入れていきます。

自称「旅鉄」のおじさんが行く

鉄道ファンとか鉄道マニアという言葉は、最近は余り使われなくなってきたようで、「ナントカ鉄」という言い方の方が一般的になってきているようです。例えば、撮り鉄、乗り鉄、音鉄、食べ鉄、作り鉄などなど。


作り鉄には、単なる模型の域を超えた庭園鉄道レベルのものや、既製のHOゲージやNゲージでも本格的なジオラマを作られているような方も少なくありません。私の先輩にも、庭に自分でレースを敷いて自作の車両を走らせておられる方がいます。


さて私はと言うと、最近はもっぱら「旅鉄」と称しています。乗り鉄を主体に、気が向いたらカメラを向ける撮り鉄になったり、時にはただただ駅弁や土地の食材を肴に地酒を傾けたりしています。

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趣味歴は非常に古くて、自分でもハッキリした記憶は定かではないのですが、3才頃にはもう、近くを走る大阪市電を飽きることなく眺めていたそうですし、たまに乗せてもらうことがあると運転席の真後ろに立っていたそうです。(写真は元大阪市電2601型の広島市電900型905/2011年の本川町)


小学校入学祝いにHOゲージの小さな電気機関車(確かEB58型)と、円形レールセットを親からプレゼントしてもらって、休みの日はそれで遊んでいたようです。その1年半前に転居したのは、阪急電車の走るすぐ近くでした。


父親に連れられて海水浴場や遊園地に出かける時には、阪急はもちろん阪神電車や京阪電車にも乗りました。体が弱くて病院通いの際には、病人のくせに国鉄(城東線=現大阪環状線)電車の先頭車両に立って乗っていました。


父が写真の趣味を持っていて、カメラを何台か所有していましたが、その中のペンタックスを借りて(持ち出して)写真を撮りだしたのは、小学校5年生頃で、阪急や国鉄の新淀川橋梁、あるいは国鉄大阪駅などへ出かけて撮っていました。


ただ、当時の古い写真は今は殆ど手元には残っておらず、撮り鉄としてはそれほど熱を入れていなかったのでしょう。大学では鉄道研究会にも所属しましたが、どれかに集中するということもありませんでした。


そういうわけで、今でも「旅鉄」と称するように、ただただ列車に揺られてレールの音を聞いていれば佳いというわけです。それでも国鉄からJRに変わる前には「国鉄全線踏破」もやっていましたし、私鉄も含めて未乗車の路線は僅かです。


今月は遠征の合間に乗り鉄を愉しむ時間は持てそうもありませんが、これからも時間の許す範囲であちこちのレールを目指していこうと思っています。今年もまた秋に新線開通がありますので、開通したら早めに乗りに行かねば。


のんびりと生涯可能な限り、愉しい旅鉄を続けていきます。

米坂線2004年5月3日

昨年11月、仙台へ出かける際久しぶりに米坂線に乗車しました。現在は新津運輸区所属のキハ120型が主力で、新潟から分岐駅の坂町までは快速列車ですが、米坂線(坂町ー米沢)に入ると「快速」でも各駅停車です。


この米坂線、鉄道旅行作家としては最も著名な宮脇俊三さんが、「終戦の玉音放送」(1945年8月15日)を聞かれたところ。私が初めて乗り鉄したのは、確か1971年頃であったと記憶しています。


その当時はSL(蒸気機関車)の終焉期で、私も周りの鉄道ファンに混じってSLを追いかけている頃でした。米坂線には坂町機関区に所属していたキューロク(9600型)が、旅客・貨物を牽引していました。多分、米沢から坂町へ抜けたと記憶しています。

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それから数回米坂線には出かけ、キハ58系急行「あさひ」(のち「べにばな」で現在は快速)にも乗車しました。急行廃止後は足が遠のき、仕事で新潟に赴任してからも、なかなか足を向ける機会がないままでした。


ふと行ってみようと思いついたのが2004年の5月3日、「えちごワンデーパス」というフリー切符での乗り鉄旅でした。この切符で、当時住んでいた長岡から新潟経由で坂町に至り(快速「べにばな」)、そのまま米坂線に直通し小国まで行きました。


小国がこの切符で乗れる境界駅で、唯一新潟県の外(山形県)に出られるのです。快速気動車は、キハ47とキハ52の2両編成で、キハ52は新潟でも米坂線と大糸線にだけ残っていて希少価値がありました。


もちろん乗車したのはキハ52(137)、エンジンを2台積んだ勾配用の気動車です。とはいえ、勾配区間にさしかかるとエンジンの音が大きくなるのと反比例して、速度はぐんぐん落ちてしまいます。


米坂線はかつて新潟と仙台を結ぶメインルートに当たり、郡山から磐越西線を経由するよりも距離が短く急行「あさひ」利用者も多かったようです。現在は米沢ー山形間は「山形新幹線」となり、線路は途切れてしまっています。メインは高速バスに代わりました。
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米坂線自体も完全にローカル線になり、貨物列車は遠い昔のことになり、日中は2~3時間おきにしか列車の走らない路線になりました。先日快速に乗車した際も、新潟・山形県境を越えた乗客は2両編成で10数人でした。


15年前は山形県に一駅だけ入った小国で下車、しばらく待ってから坂町行きで引き返しました。小国町は、かつては木材の集散地としても栄えていましたが、今はひっそりとした山間の町になっています。


最近は新型のE120型気動車も走っている米坂線ですが、これからも地域になくてはならない路線として存続していってほしいものです。

四日市にもナローゲージ健在

この土日は伊勢市のMG仲間、税理士の河西先生が主催されている「お伊勢さんMG」(講師・西先生)に参加しています。今年は久しぶりにフル参加です。

その前々日の木曜日、四日市で途中下車しました。昨年秋に三岐鉄道(北勢線と三岐線)に乗り鉄しましたが、ついでに四日市あすなろう鉄道にもと思っていたのですが、何となくスルーしていたのです。

そこで今回こそということで立ち寄ってきたわけです。四日市あすなろう鉄道は、元は近鉄の内部線・八王子線ですが、その前身は三重交通(三重電鉄)。近鉄時代の70年代に乗ってはいます。

三岐鉄道北勢線(近鉄←三重交通←北勢鉄道)と並んで、全国でここだけに残った通年運転の狭軌鉄道(ナローゲージ)です。他に黒部峡谷鉄道もありますが、黒部は冬期間運休です。

ナローゲージは、2本のレール間隔が2フィート6インチ(762ミリ)であり、新幹線の約半分、JRなど多くの鉄道の1067ミリと比べてもかなり狭い線路幅(軌間といいます)です。

かつては軽便鉄道とも称され全国各地にあったのですが、今現在は黒部と合わせても3つしか地方鉄道としては残っていないのです。かつては近鉄の大きな傘の下でしたが、赤字が膨らみ廃止寸前でした。

そこで地元が立ち上がり、近鉄の子会社として四日市市が25%出資した3セク鉄道となりました。内部線・八王子線の2線がありますが、合わせても路線延長は僅か7キロです。

八王子線はかつては伊勢八王子まで路線がありましたが、1974年の水害で西日野までの1区間を除いて廃止になってしまいました。

両線とも毎時2本の運転で、分岐駅の日永で双方が接続するようなダイヤで運行されています。主として260系車両の3両編成、最高運転速度は40km(多くは35kmまで)です。

桑名から急行で四日市に着いて、降りる階段を間違えてあすなろう鉄道の四日市に着いたのは、内部行き出発の2分前。フリー切符(1日乗車券)を求めて、慌てて飛び乗りました。
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内部まで乗って、折り返して日永で今度は西日野行きに乗り換え。終点まで行って引き返し、四日市に着きましたが、所要は80分くらいだったでしょうか。ちなみにフリー切符は550円、十分元が取れました。

近鉄時代以来、40数年ぶりの乗車でしたが、とりあえず廃線を免れたという段階ですので、これから先どうなるかというのは、素人の私には分かりません。ラッシュ時はそこそこの乗客もあるそうですが。

貴重なナローゲージ線だけにいつまでも残ってほしいところです。幸い、現行の260系車両などは全面リニューアル、ないしは新製された車両ですので、当分は大丈夫でしょう。

しばらくの間は、吊り掛けモーターの音を響かせてくれそうですが、将来共に安泰とはいかないでしょうから、三岐鉄道北勢線とともに、今後運転を継続してくれることを祈るばかりです。

阪神武庫川線ミニ乗り鉄旅

暖かな日曜日でした。日なたでは上着を脱いでもいいくらい、こんな日はのんびりと乗り鉄に出かけたいところですが、仕事と仕事の谷間の1日ですので、休養を優先しました。

それでもミニ乗り鉄くらいは楽しめるかなと、まずは元町駅から阪神電車に乗り込んで武庫川駅へ。この武庫川駅はホーム全体が川の上という、つまりは橋梁自体が駅という珍しい駅です。

 

西側つまり神戸側の階段を降りると、そこに武庫川線というミニ路線があります。たったの1.7km、中間に東鳴尾と洲先という2駅があります。元々は洲先が終点でしたが、その先に大きな団地ができて延長されました。

かつては洲先の先の海岸沿いに軍需工場(川西航空機)があって、東海道本線の西ノ宮駅から引き込み線が伸びてきて、北方の武庫大橋以南は三線軌条が敷かれていました。

戦後もしばらくはSL牽引の貨物列車が乗り入れていたらしく、軌条も残っていましたが、今では何も残っていません。武庫大橋―武庫川間の正式廃止は1985年だったそうです。

この西ノ宮からの貨物線は、私が鉄道に興味を持ちだした頃にはまだ武庫大橋の手前までは残っていて、やがて甲子園口駅の配線変更に活用(下り外側線に利用)されて、なくなりました。
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さて、単線の阪神武庫川線は日中や休日は20分間隔で、2両編成の電車が折り返し運転をしています。ラッシュ時には東鳴尾駅で交換することで、10~12分間隔で2編成が通勤輸送にあたっているようです。

ワンマン運転で、最高速度は45km、その為に信号機も青信号の現示はなく、赤信号と黄信号のみです。朝の洲先行きはガラガラでしたが、武庫川団地からの折り返しはけっこう混雑していました。

今日の編成は7864+7964、阪神のいわゆる急行色(赤胴)車ですが、もちろん列車は普通電車。所要5分ほどのまさにミニ乗り鉄旅でした。

このあとは梅田に出て、京都線の特急で京都(烏丸)に向かいました。

「夕張線」よ永遠にサヨナラ!

今日から新年度、新元号も発表されるということですが、昨日で「平成は終わった」と勘違いをしているSNS投稿も少なくないようです。新元号は5月1日からですのでご注意。


エイプリルフールに名を借りた「フェイクニュース」も流れていますが、中には笑えないものもあるようで注意が必要ですね。ユーモアジョークはいいですが、人を惑わすことのありませんように。


そんな中で、昨日3月31日でJR北海道のローカル線の一つが、長い歴史に幕を下ろしました。石勝線夕張支線、石勝線の新夕張から夕張までの盲腸線ですが、かつては国鉄『夕張線』という名を持つ重要な路線でした。


何が重要かといえば、最盛期の石炭輸送の要となっていたのです。当時はまだ石勝線は開通しておらず、室蘭本線の追分駅を起点に紅葉山(現在の新夕張)を経て、夕張を結ぶ中で、炭坑に伸びる私鉄や専用線がたくさんありました。


次々にやってくる石炭列車を牽引していたのは蒸気機関車(SL)で、沿線ではどこでもその煙を見ることができました。夕張線で活躍していたのは、大正生まれの9600形(キューロク)と最多両数を誇るD51形(デゴイチ)でした。


私鉄や専用線には、オリジナル機や古典機関車もあり、それらを見て回るのが楽しみでした。各駅はそれぞれ多くの貨物側線を持ち、セキと呼ばれる石炭貨車が並んでいました。5_71


私が初めて夕張線を訪れたのは1971年の夏7月、この年は天候不順が続いていて、冷たい雨が連日降って薄手のジャンパーでは寒いくらいでした。そんな中を北海道周遊券とカメラ2台を抱えて、道内を回っていました。


札幌のユースホステルを基点にしていましたので、夕張線には1日足らずの余裕しかなく、しかも当時は情報も少なくて全てを回ることはできませんでした。


しかも、末端の一駅鹿ノ谷から夕張までは乗り鉄ができず、その後に一駅だけ乗るためにやってくるということもありました。その頃にはすでにSLはなく、ディーゼル機関車に牽かれた石炭列車も僅かになっていました。


そんな「夕張線」が昨日で廃線になりました。増結されたり、臨時列車も運転されたようですが、いずれも満員の乗客だったそうです。今朝は、当時撮影した中から2枚の写真を掲載します。


上は清水沢駅から出ていた大夕張鉄道の石炭列車(入れ換え作業中)、牽引機はキューロク形の5号機。下は沼ノ沢駅を発車するデゴイチ・D51117です。
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スイッチバックの二本木駅

スイッチバック駅も数少なくなりました。山岳地帯の上信越にもかつてはたくさんありましたが、現在はJR篠ノ井線の姨捨駅(他に信号場あり)と、えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインの二本木駅を残すのみです。


その二本木駅(の駅舎と雪囲いなど)が登録有形文化財に指定する答申が行なわれたそうで、認められると新潟県内でも最初の登録になります。妙高はねうまラインはかつての信越本線で、歴史は古く1911年(明治44年)の開業です。


北陸新幹線の開通で「並行在来線」として三セク化され、妙高高原でやはり三セクのしなの鉄道北しなの線と接続しています。お隣の関山駅もかつてはスイッチバックでしたが、国鉄時代の1985年に勾配途中の棒線駅に改まりました。


さて、妙高はねうまラインはJR貨物も第2種鉄道事業者となっていますが、これは災害時の迂回線として利用するためで現在貨物列車は走っていません。二本木駅にはかつて日本曹達二本木工場が隣接していて、専用線が敷かれていました(現在も線路残存)。


2007年までは専用線発着の貨物列車もあり、到着すると小さな入換機関車が出てきて貨車の移動をしていました。現在はローカル電車のみの発着で、通過列車(駅に立ち寄らない列車)も定期運転ではなくなりました。


つまり妙高はねうまラインの電車に乗れば必ずスイッチバックを体験できるわけで、それを楽しみにやってくる鉄道ファンも少なくないようです。写真は2012年9月、信越本線時代の189系「妙高」号(普通列車)です。

今日からダイヤ改正です

今日3月16日は、全国のJRグループが一斉にダイヤ改正を行います。

 

今回は新線の開通は「おおさか東線」のみで、規模からいうと中規模の改正になりましたが、大きな変化のあった地域・路線もいくつかあります。Photo

 

毎月のように遠征が多い私ですから、ダイヤ改正のチェックをしなければなりません。幸いに大きく変わるところはほとんどなく、数分以内の改定でした。

 

乗り鉄愛好者としては、今回開通する新線や開業新駅などにいつどうやって乗りに行くかがポイントですが、一方ではローカル線における改正が気にかかります。

 

これまで毎回のようにローカル線の本数減などが繰り返されてきました。その度に、その路線の今後が心配されたのですが、今回の改正でもいくつかその傾向はありました。

 

全体としては本数増なのですが、やはり地方ローカル線の、とくに末端区間などでは利用しにくくなっているケースもあるようです。

 

利用実態・実績に合わせているとJR各社はいいますが、本数減が利用しにくさを招いてさらに減便となるような、負のスパイラルがこれまでも繰り返されてきました。

 

また、「お金を出せば快適に」といった傾向が少しずつ、これはJRだけでなく私鉄にも広がっています。それは悪いことだとは言いませんが、ベースの底上げなしというのではね。

 

サービスは有料なりということは承知しています。だが、少なくとも運賃という対価を払って乗車する車両設備が、お粗末なものでは困りものです。

 

まぁ、各地での改正に対する評価がどうなるのか、しばらくは注視しつつ乗り鉄の旅を引き続き楽しみます。

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