初シニアは1988年7月の神戸

■連載『MG&脳開企業革命』(19)

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初めて受講したMGシニア研修に、話を進めていきます。最初のMGから10ヶ月目、1988年の722日から3日間、会場は神戸市の舞子ビラ、MGの期数は57期になっていました。

 

当時の舞子ビラは、神戸市によって建てられた本館(現在は新たに建て替えられています)と現在の緑風館の建物で、さてどちらで研修があったのかは記憶が曖昧です。

 

ちなみにこの地は、有栖川宮熾仁親王が建てられた別邸のあったところです。この親王、皇女和宮の最初の婚約者であった方で、戊辰戦争の江戸城総攻撃に際しては総督を努められました。

 

参加者は20名くらい、中にはMGが初めていう方がいらっしゃって、その前日まで開催されていた姫路MGに初参加してさらに続けてシニアにという富山の方でした。

 

プログラムの大筋は今と変わりません。初日はMG3期をやって夕方からポケコンによる20171031_mg4 STRACプログラム入力。当時はまだPC-1621あるいはPC-1800(だったかな)でしたが、後者は故障が多かったようでした。(写真は2017年10月のシニア研修)


 
さすがにこの時には、STRAC-1だけで4050分かかったと思いますが、なんとか10時くらいまでには完了してビールを美味しくいただきました。「20回入れて20回消す」という西先生の言葉が思い出されます。

 

2日目はMG4期目とマイツール、その間に知的散策で近くの古墳まで行きました。MGについては青チップなしを貫いて3位くらいでしたね、決算はずっとトップを維持しました。多分15分以内でできていたはずです。

 

マイツールについては春頃から「MUG岡山」のメンバー(オブザーバー)になり、まだ私自身も会社もマシンを持ってはいませんでしたが、何度か触って普段の仕事をマイツールでできないかと試している段階でした。

 

すでに会社の中でプログラムを組もうとしていた業務があり、それをマイツールでやれることを確認し、会社に1台導入していただく上申書にOKをいただいていました。シニアから戻り次第発注予定でした。

 

そのことを西先生にお話ししましたら、何台買うのかと聞かれ「1台(デスクトップ)です」と答えましたら、即座に「1台では動かん」と言われました。どういうこと!?と思いましたが、「分かりました」と答えました。

 

ちょっと前にラップトップ型(LX)が発売されたところでしたので、予算は少しオーバーしますが3台買ってもらうことを意思決定しました。結論から言えば、これは非常に成功でした。

 

3日目のチェックテストは90点でしたが、その1問目、今でもある問題を間違えました。MGについての認識を改めた瞬間でしたし、「教えない、教え合う(教えさす)、紙は自分で」のベースだと認識しました。

 

幸い、条件なしでインストラクター免許をいただくことができました。ようし「やれる」と思っていましたが、それが思い上がりであると知るまでにはさして時間はかかりませんでした。

 

ゲームのインスト、決算チェック、戦略会計等の解説など一連のことができてもそれだけではダメ、そういうことに気が付くのはまだまだずうっと先のことでした。

 

だが、確かに次の一歩を踏み出すことができました。

8回連続のDo Nothing!

■連載『MG&脳開企業革命』(18)

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このコラムを綴っていくために、思い出の「MG100回帳」1冊目を見直してみました。懐かしT_20190113_06 い記録です。

 

「経理がわかる」25期到達が4月26日(1988年)、「経営がわかる」50期が6月ですが、ここまではずっと神戸または姫路でのMG、つまり兵庫MG会並びにその後の()MG主催のセミナーでした。

 

そしてその50期目に記念すべき大倒産をやらかしました。その時は「青チップ合戦」に巻き込まれてしまい、10枚以上の青チップを並べて時にはマイナスプライスコールありで、第4期についに討ち死にしました。

 

何しろ「PQ720円・F880円」でしたので、一気に自己資本グラフはダウン、▲467となり見事に分社倒産でした。債務超過自体は多分4回目だったと思いますが、とにもかくにも壮絶戦死って感じですね。

 

この時にハッと気付いたこと、それは「周り(の人)と同じことをやっていてはダメじゃないか」ということでした。周りが青チップ合戦をやるのなら、そうでない戦術をやっていくのがいいのでは。

 

そこで決意をします。これから100期を達成するまでは、「青チップを使わない」という決意です。とにかくそれまでは、数の多少はともかく青チップを中心にしてゲーム展開してきましたので、正直迷いました。

 

それでも、当時の私の力では青チップの数でしか競争できない、できたとしても「勝てる」場面は少しでしかないという判断でした。ならば、一気にやめてしまえ、ただし期限を付けておく方が良いということでした。

 

ところが早速試練がやってきました。初めて遠くへ行って参加した浅間MG、「池ノ平100人MG」です。全国からMG仲間が100人以上集まり、噂で聞いていた名だたる方々が顔を揃えていました。

 

50期なんぞまだまだひよこという感じでしたが、のちに「MGクィーン」と呼ばれたJ子さんとも初めて出合いました。もちろんその時から青チップは使わずです。

 

そこでなんと「8回連続DoNothing」を体験させられたのです。当時次繰り盤に置けるのは青チップのみ、赤チップは10円ですが期末に全て焼却、黄チップはまだありませんでした。

 

その卓(多分H卓だったかな)もベテラン揃い6人、途中で会社盤の上は空っぽになるくらい、そして私の前のIさんが材料仕入を徹底していて、私には全く回ってこない状況で、会社盤の上には何もなし。

 

それがしばらく、その間リスクカードでも引けば何かができるのになぜか意思決定カードばかり。8回連続何もできませんので、途中から「カード片付けます」とか「消しゴムゴミ掃除します」とかコールしていました。

 

いよいよIさんの完成投入も終わり、いよいよ売ってくるなと待っていました。そうしたらなんと「逆回り!」、思わずずっこけました。なにしろ右隣の方の会社盤も私と似たり寄ったりでしたから。

 

でも、なんとかその期にも少しだけ利益を出し、終わってみれば自己資本は400近くまで上昇しました。大変ではありましたが、青チップなしでもやれるんだという自信が湧きました。

 

公約通り100期までは青なしゲーム、その間一度も倒産はなく必ず300超え、ついに表彰状をいただける成績にもなりました。先を急ぐ前に、翌7月の初MGシニア研修参加に話を移します。

西先生との初対面

■連載『MG&脳開企業革命』(17)

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今年も、昨日から始まったLR小川会計さんのキャッシュフローMGセミナーで、遠征研修の幕が開きました。MGのインストラクターも、社内(親会社)MGの初インストから30年以上を経過しました。

 

その社内インストラクター候補に挙げられてから、最初のMG1988年の1月に行われた兵庫MG会主催の姫路MGで、この時に初めて開発者である西順一郎先生にお会いできました。

 

11月の社内研修から2冊、西先生の書かれた本を買って読みましたが、読んだだけでは分からないというのが正直なところでした。FさんからはMGの期数を積み重ねたら、だんだん分かってきますよとだけ言われました。

 

で、初めてお目にかかった西先生の第一印象は、「えっ、この方が西先生!?」でした。開発である「大先生」のイメージが先行していたせいでしょうか、ハッキリ言えば「どこのおっちゃんや?」って感じでした。

 

午前中のインストはFさんに任せきりで、ふらっと街に出かけられたようです(後から、散髪に行かれたのだということを聞きました)。その後のインストにも、特に強い印象は受けなかったのですが。

 

ところが、講義になると背筋が伸びました、私の。MGをやっている会社の話、MGがどのようにしてできたのかというお話、戦略会計STRAC(現在の戦略MQ会計)の意味するところ。20080713

 

目から鱗の話ですが、時々飛び出してくる色々な固有名詞、とくにMGに関わっている人たちの名前が全然分かりません。実はその後もしばらくは分からないまま、でも何度か聞いている内に分かってきました。

 

その名前に中で2人の方に耳が吸い寄せられました。まず1人が佐々木隆さん、新潟におけるMGの隆盛を作り、新潟をMGの「聖地」にしたリコモン・佐々木さんが1ヶ月前の1221日に亡くなられたということ。

 

これにはびっくりしました。というのも、12月の初めに私は佐々木さん(SCTという会社)に電話をかけていました。88年に新潟で開催されるMGの日程を尋ね、「春以降に調整して参加します」と答えたばかりでした。

 

その後バタバタしていて連絡を入れないままにしていました。結局、佐々木隆さんとは会えずじまい。その佐々木さんのお墓がある墓地公園の近くに、今私は済んでいます(これも何かのご縁)。

 

そしてもう1人、西先生が「もう1人、同じ1221日に亡くなった人がいる、2年前だけど」と話され、「城野宏」さんの名前が告げられたのです。その名前は聞いたことがある、というより講演を聴いたことがあったのです。

 

確か二度お会いしたことがあるはずなのですが、脳力開発という学びのこともすっかり記憶から抜けていました。西先生がそれを思い起こさせて下さったわけです、先生も城野先生のゼミに参加されていたのだと。

 

それからです、私が本気になってMGと並行して脳力開発を学び始めたのは。最初は両先生の著書を買い込み、ラインマーカーを持ちながら読み込みました。さらには講演テープを買って、何度も聞き込みました。

 

そんなわけで、姫路MGは大きなエポックの日になりました。

社内インスト候補に指名されました

■連載『MG&脳開企業革命』(16)

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9月の初MGが大きなエポックメイキングであり、今につながるベースになったわけですが、実はそれだけではMGによる企業コンサルティングにまでは至らなかったと思います。

 

おそらく他の社員よりは少し熱心にMG研修を受けることになった、という程度のことだったでしょう。それまでも会社からいくつかの研修に派遣されており、いくつかは実戦にも応用して役立てていたこともありました。

 

ですから、そのまま経過していったならば、そういう中の一つとしてMGを位置づけることになっていったのではと想像するところです。それがまた転換する機会が、2ヶ月後にやってきたのです。

 

MGへの幹部社員派遣は6月から始まり、私たちが第3陣で翌月の第4陣で終了しました。その後、余り間を空けずにということで、11月に、派遣された社員と取締役や部長クラスを交えた社内MGが開催されたのです。

 

7卓で約40名くらい、インストラクターはやはりFさんでした。ほとんどのメンバーが2回目のMGでしたし、気の知れた社員同士ですので、かなり激しい「たたき合い」のMGになったようです。

 

ゲームに弱い私は9月のMG同様にPQMQもさほどは上がらず、機械は小型で販売力も2つだけ。青チップもせいぜい1枚だけでしたので、最終自己資本は100を割り込んで60くらいでした。

 

ただ今回は最初から決算時間の短縮を狙っていました。前回の29分を1分ずつでも短縮していこうということを目標にして、ほぼその目標は達成、第5期は25分で決算完了、もちろん計数力トップでした。Img_8918

 

そして終了後に社長から訓示があり、その中で社内研修としてMGを実施すること、その為に社内インストラクターを養成することが発表されました。

 

社長に続き人事部長からも、社内インストラクターを3名作ることが述べられ、やろうと思うものは手を上げろと。
 

急なことでもあり、またそういう意思は持っていなかったでしょうから、誰も手が上がりません。

 

それでは指名をするということで、社員教育担当である人事の副課長のK君、生産部の代表である生産企画課長のTさん、そしてなんと私(経営管理室長)が指名されたのでした。

 

ある意味妥当な人選だったのでしょう、いずれもスタッフ部門のメンバーで、営業部本体や生産部隊のライン課長、あるいは支店営業所のメンバーは最初から外されていたのでしょう。

 

指名された3名は、MGの火付け役であったY専務から激励を受け、人事部長からは1年以内にMGシニア・インストラクターコースに参加すること、その前後に可能な範囲でMGセミナーに出てよいことが告げられました。

 

私にとっては青天の霹靂ではありましたが、これで兵庫MG会のMG研修(神戸・姫路)を中心に、各地のMGに参加できることになりました。お墨付きをいただいたというわけです。

 

そして、早速1月の姫路MGにエントリーをしていただきました。そこに、MGの開発者である西先生が来られることを、Fさんからお聞きしたからでした。仕事が多忙になる直前、ギリギリのタイミングではありました。

人生を変えた1枚の表彰状

■連載『MG&脳開企業革命』(15)

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正月3が日はいかがお過ごしになりましたか。官公庁はじめ今日から仕事始めの方もいらっしゃいますが、今年は暦の巡りで来週月曜に仕事始めの方も少なくないようです。

 

この連載コラムも、「2年目」のスタートです。MGと脳力開発による企業革命というテーマですが、まずはMGとの出合いについてしばらく書いてきました。今回もその続きです。

 

さて初MG2日目、第5期が終わって自己資本は100を僅かに超えたくらいでしたが、決算は29分で自力でやり遂げ、しかも順位はベテラン勢を抑えて2番目でした。

 

つまり、何と「ことがら表彰」の上に名前が載ったのです。そして表彰式、もちろん自己資本のトップの方からです。当時は「シニアを2回」は明記されていなかったように思います。もちろん「++」という条件もなし。

 
5
期ジュニアで自己資本が上がっても表彰対象ではなかったと思いますが、少なくとも5期シニア卓の方から表彰だったように記憶しています。いずれにしても上位3人が表彰されました。

 

その後でインストラクターのFさんから、「今日はもう1人表彰状が出てます」とのひと言。そして「初めてのMGで決算2位に入った・・・」ということで、私の名前が呼ばれました。198709

 

へっ!?という感じで、自分を指さしながら立ち上がりました。その表彰状が写真のそれです。しかも、兵庫MG会の主幹であった後藤昌幸さんの名前。

 

まさに私たちの会社がMGをやるというきっかけになった方でしたので、強い因縁を感じました。それどころか、この表彰状が私をMGに導くというか、のめり込ませる最大因子となりました。

 

何しろそれまでは、初MGのしんどさというか成績も上がらず、もう二度とはやりたくないなという思いで座っていたのですから。ところが表彰状をもらって席に戻った時には、「またやろうかな」という気持ちに変わっていたのですから。

 

さはさりながら、MGの中身が理解できたわけではありません。ただ「経理の分かる25期」と百回帳にありましたので、そこまではやってみようかなというくらいの思いでした。

 

それも、会社がまたやらせてくれるのならという、さほど積極的ではない思いに過ぎません。またやる機会があるかどうかも、もちろん分かりません。明日のことを知りうる立場にはなかったわけですから。

 

ところが既にそういう機会が来ることは、私の知らないところで決まっていたのです。つまり翌月10月に、私たちの次のメンバーがMGを受講し、それを待って11月に「社内MG研修」の開催が決まっていたのです。

 

そんなことも露知らずでしたが、帰り道の気分はかなり軽くなっていました。1枚の表彰状が、私の気持ちを大きく変えてくれたわけです。この表彰状、今も大事に持っています。

 

昨年6月に京都で行われた、スワール・コミュニケーションズさんとびわこシーガルさんの合同MGでインストさせていただいた際、後藤さんがゲスト講演されたのです。その時に持参してご覧に入れたところ、とっても感激していただきました。もちろん、私も感動ものでした。

20180615_mg11

遅い!と何回も飛ばされちゃった

■連載『MG&脳開企業革命』(14)

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MG研修の2日目、第3期でそれなりのPQ(売上)だったので、真ん中から少し上の卓に移動することになりました。この卓には、既に20期あるいは30期と体験している方も数人混じっていました。

 

右隣は第1期でやはり私の隣にいた女性、多分30期くらい体験されている方でした。いわゆる関西人の典型のような方で、明るく元気はいいのですがせっかちで、しかも(場を)仕切る方でした。

 

4期が始まると、それまでの卓とは全く違った雰囲気、何よりもスピードが違います。初日はかなりのんびりムードでやっていたのが、一変した感じになり、記帳して顔を上げると自分の番が来ているという状況の連続。

 

ついには、隣の女性に「遅いわねぇ」とダメ出しを食らったり、やがて「ハイ、ちゃんと記帳しといてね、私先に行くから」と飛ばされること数回。なんじゃこれは!?と思うも、もはやパニック状態でした。

 

まぁ、そういう状態がどこにでもあったのでしょうか。「3つのダメ」ルールが明記され、前の人を飛ばしていくようなことはなくなりましたが、今でもかなり急かす人はいるようですね。

 

とにかく、おかげさまで記帳は間違うし、計算もやり直したりして散々でした。あとで見直してみたら、売価を18円つまり口頭価格で書いた上に、1円プラス(緑のC3効果)できることを忘れてしまっていたり。20180112_lrcfmg7

 

中間休み後の後半は少し落ち着きましたが、「あなたの番です」は何回か言われてしまいました。そんな状態でしたから、PQは見事に上がらずに卓も陥落。(写真はLR小川会計さんのCFMGより)

 

後半途中で人(セールスマン)を増やしたり、青チップを買い増ししてみたものの、第3期のPQを若干上待った程度に終わり、もちろん赤字は膨らむ一方でした。

 

それでも中間休みに計算は合わせておきましたので、第1表はすんなりと自力で通過できました。第5表も問題なく書き進んで縦横合計の差額もゼロ、何と提出順位は3番で、すぐにOKも出ました。

 

当時FさんのインストMGでは決算も「一斉スタート」で、タイムを計っておられました。そのタイムは確か32分くらいだったでしょうか、「早いですね」とFさんから。

 

ようしこれだ、と目標を「30分を切る」ことに定めました。ちょっとでも早くできないかと、事前に書き込めるところは書き込んでおくこともやってみましたが、これはご愛敬と思って下さい。

 

5期はG卓、もちろんジュニアルールのままです。あんまり何もやらない方が、あとの計算が楽だなとは思いましたが、そこはまぁそれなりに売ったり買ったりはしました。

 

そして決算にGO!焦ることはないと自分に言い聞かせ、とにかく慎重にやりました。「順番に、順番に」と自分に言い聞かせたおかげでしょうか、最後までミスなく縦横がぴったり合った時には「やったぁ!」でした。

 

時間は29分、提出順位は2番目でした。Fさんからの「ハイ、ダメ~!」の声もなく、ホッとしました。MGの結果は自己資本110くらいで評価もD(ダメ~)でしたが、気持ちは満足でした。

 

そしてこのあと、思わぬハプニングが待っていたのでした。

頭の中がグルグル回ってました

■連載『MG&脳開企業革命』(13)

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初のMG研修体験、初日の午前中はとにもかくにもやること、見るモノ初めてですから、インストラクターの進行についていくだけで精いっぱい。

 

午後からのゲーム前のルール説明も上の空でした。ちょうどその年までは「MGⅠ」ルールであったはずで、例えば投入は12円、完成が11円と分かれていました。

 

MGⅡルールにも当初引き継がれましたが、緑チップは3枚使用(@10円)で、マーチャンダイザー/PAC生産性/マーケットリサーチと、会社盤の3ヶ所に置いていました。Img_7682

 

マーチャンダイザー(C1)は材料が11円安く買え、/PAC生産性(C2)は製造能力が機械1台Ⅰ個増/マーケットリサーチ(C3)が売れると1円高く資金繰り表に書ける、でした。

 

保険は黄チップ(のちにこれが教育チップに変わり、保険はオレンジが追加されます)でしたし、赤(広告)チップは110円で一度に何枚でも買えました。まだ、営業経費(本社経費)扱いでしたかね。

 

とにかくルールなどほとんど頭には入りません。第一、インストFさんの口調は関西弁でやや早口でしたし、「何か質問は」と言われたところで、何を質問していいかも分かりません。

 

「まぁ、やってみれば分かりますから」と言われ、なんという研修やと思ったモノです。しかし、同じコトバを今私も言っていますね。もしかしたら、もっと短い時間でルール説明しているかも。

 

2期は全く訳の分からぬまま、とにかく最低限の2個仕入・2個完成投入をして、営業所に製品ができあがればすぐに売りに出る。だけども売れない、の繰り返しでした。青チップも赤チップも使えません。

 

そんなわけで、初めて自分でやったMGPQ124円(5個販売、平均単価25円)でした。正直売れたこともよく分からず、隣の女性が「売れたよ」と促してくれました。

 

3期はそんなわけで下の方の卓(H卓だったか?)でした。ここでは、運が良かったのかラッキーカード(独占販売)を2回くらいひいて、青チップも1枚使ってみたら450円くらい売れました。

 

ところが売れてしまうと、資金繰り表への記帳間違いがあったり、在庫は合わないし現金勘定も誤差あり、もうバラバラって感じでした。頭はパニックになるし、それでも負けず嫌いだから第5表は自力で必死に合わせました。

 

夜は簡単な交流会もありましたが、正直言ってビールの味の苦かったこと。酔えませんので、いざ寝ようと思うと頭の中に赤やら青やら緑やらが、グルグル回って一向に寝付けそうもありません。

 

同室の方はもう当時で560期くらいやっておられたSさん、私よりも年上の方。そんな私の様子を見て、少し話し相手になって下さいました。なんとかそれで、気持ちは少しだけ立ち直ったかも知れません。

 

何か一つ目標を持つのがいいということでしたので、ゲームでは勝てそうもありませんから、決算を自力で、できれば早くやろうと心に決めました。そういう気持ちにさせて下さった、Sさんに心から感謝です。

 

そうして夜が明け、2日目が始まりました。

教えない、教え合う、紙は自分で

■連載『MG&脳開企業革命』(12)

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昭和62年(1987年)の919日。人生の中でもっともエポックメイキングな日を選べと言われたら、躊躇なくこの日を選ぶことでしょう。確かに他にも選ぶべき日はあるのでしょうけど。

 

MG(西研・MQ戦略ゲーム)に出合った、まさしくその日です。私の人生そのものを変えるに至った、あるいは天命というものが私にもあるとしたら、その萌芽の日であったわけですが、もちろんその朝はそうではありませんでした。

 

自分から望んだわけではないけれど、業務命令だからやむを得ずといった感覚で、そうですね、意図しない苦役に向かわされる囚人のごとくと言ったら、少し大げさすぎるでしょうか。

 

でも本当にそういう気分だったかも知れません。同じ会社(親会社)から参加した9名のメンバーの中で、当時私が最年少でした。といっても、既に35歳になっていましたが。

 

会場には、他の研修にはないムードが既に漂っていました。その日は50名を超える参加者がいて、会場に多くの方が入っていて、あちらこちらで和気藹々の会話が始まっていました。にこやかに名刺交換している人も。20180825_2mg1

 

そんな中へ我々9人は、まるで他の星からきたような、会場のメンバーの多くとは違った雰囲気を持ってのそのそと入っていきました。どこへ座ればいいのか、座席表のような類は入り口にはありませんでした。

 

たいていの研修では入り口に受付の人がいて、テキストや座席表などが渡されるものですが、そんなものは一切ありません。ただ、前のホワイトボードに大きく「席は自由」と書いてあるのみでした。

 

9人はウロウロしながらも、てんでに分かれて空いた席に腰を下ろしました。目の前には、何だか中華料理の満漢全席を思わせるような円卓と色とりどりのマグネットなどなど。なんだい、こりゃぁ。

 

とりあえず腰を下ろすと、隣の方々から「おはようございます」と元気な声。早速に名刺交換が始まりました。「初めてなので、よろしくお願いします」と応じるのがやっとという感じでしたね。

 

何人かの方はもう何度も受講されているように見えました。お隣は女性の方、神戸市内の司法書士事務所の方でした。見渡すと女性の数もそこそこ、テーブルの上の名簿をもらうと企業単位での参加も多かったようです。

 

10時きっかりに研修が始まりました。インストラクターはFさん、その自己紹介から始まり、スタッフのKさんともう1人のKさんが紹介されました。ほとんど前振りもなく、MGとは何ぞやの説明もなく、いきなり始まった感じでした。

 

「教えない、教え合う、紙は自分で」と言われましてもねぇ。会社がお金を出してくれているとは言え、なにも教えてくれないのかよって思う間もなく、「じゃぁ、第1表資金繰り表をとってきて」でした。

 

なんだそれはと思いつつも、隣の人についていって、テーブルに置いてある紙を手に取りました。他の紙もとろうとしたら、「あ、第1表だけですよ」と早速注意されてしまいました。

 

席に戻るやいなや、インストラクターのFさんの指示が矢継ぎ早に始まりました。ちょっと早口だなぁと思いながら、その流れについて行くのが必死です。番号順に言われても、どれがその番号なんだって感じでした。

 

こうして波乱のMG1期が幕を開けたのでした。

いくつかのラッキーが重なり合ったけど

■連載『MG&脳開企業革命』(11)

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親会社がMG研修を自社に取り入れることになった経緯は、直接に見たり聞いたわけではありませんので、やや不明な点はありますが、次のような流れでした。

 

1987年、あるいはその前年かとも思われますが、当時の経営陣の一人であったY常務が、タナベ経営かどこかのセミナーに出られて、後藤昌幸さん(現滋賀ダイハツ会長:写真)の講演を聴かれたのがきっかけでした。Photo

 

後藤さんの話の中に出てきたMGというワードにピンとこられた常務は、それがどういうものかということを後藤さんに確かめられ、早速西研究所・西先生に連絡を取られたようです。

 

ご自身がMGに出るという前提でお尋ねになったようですが、先生から年齢を聞かれ「50歳」と答えられたところ、MGジュニアのセミナーではなく、「社長MG」を勧められたそうです。

 

社長MGは昨今はやられていませんが、年配の経営者を対象とした3日間(5期)のMG研修であったようです。場所は那須高原(温泉?)だったそうですが、常務はすぐに参加を意思決定されました。

 

そして実際に自分自身でMGを体験したことで、「これを会社に導入するのがいい」と感じられ、他の二人の常務に提案され(その内の一人が後の玉井社長)、常務会で承認されました。

 

神戸で行われていた兵庫MG会(主幹が後藤昌幸さん)のMGセミナー(ジュニア)に、課長以上の幹部社員を全員参加させると決められ、各回79人の4つのグループに分けて参加することになったわけです。

 

副課長だった私も、9月に課長に昇任する予定ということで滑り込みメンバーに選ばれました。そして9月の19日と20日に行われた神戸MGに参加することになったというわけです。

 

Y常務と後藤さんとの出合いがなければ、私がMGに参加することはなかったと思いますし、ちょうどのタイミングで課長昇任という状況に当たったことはラッキー以上の何物でもありません。

 

もっとも、その時の私はラッキーさを感じることなど微塵もありませんでした。ハッキリ言えば、研修なんて面倒だなぁとしか感じてなかったはずです。

 

私たちのグルーより前に参加した2つのグループのメンバーからは、「大変な研修だった」「しんどかった」ということしか聞かれませんでした。面白かったという声は皆無でした。

 

経営ゲームをやることは分かりましたが、詳しいことは教えてもらえません。どうも経理とか会計のことを、それも自分で電卓を叩いてやるのだと聞いて、それは参ったな、困ったなという先入意識でした。

 

いよいよ当日がやってきます。新幹線を西明石で乗換、普通電車で灘駅に着いて、会場である神戸製鋼所の研修センターまで、自社のメンバーと一緒に歩いて行きました。

 

気持ちはちっとも前向きになってはいませんでした。何をやるのかよく分からない不安と、業務命令だから仕方がないというアキラメの気持ちが、混じり合っていたと記憶しています。

 

ついに、初MGの会場に到着しました。

MGとの出合い前夜のお話

■連載『MG&脳開企業革命』(10)

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親会社には1976年春に入社して、依願退職したのが2008年の春3月末ですから、通算では32年間在籍したことになります。その内新潟・長岡の販社出向期間が16年半。

 

というわけで親会社の本社で過ごした期間は差し引きで15年半、またその内の12年間は開発部(宣伝企画室・マーケティング室)で過ごしたことになります(ただし半年間は兼任期間でした)。

 

1987年の9月にトップの交代があって、直属の上司であった開発部長(玉井義郎氏)が5代目の社長に就任されました。その少し前に話があって、私にも仕事を手伝えとのことでした。

 

つまり配転で、従来の経営企画課と秘書室が一緒になって、新たに経営管理室なる部署が作られ、その室長(課長)に抜擢を受けたのです。ただし、上記のように開発部の室長も半年間は兼任することになりました。Img_5421_251693

 

経営管理室は私を入れてもわずか6人の所帯で、男が2人であと4人は旧秘書室の女性でした。仕事はその秘書室の業務を引き継ぐと共に、新たにマーケティングやマーケットリサーチの仕事も追加されました。

 

要するに社長あるいは取締役会直属のスタッフ部門という位置づけで、会議の資料や各部門の業績管理、出先の支社や営業所、あるいは販売会社の業績管理を命じられました。

 

もっとも、要は月次試算表や財務諸表をストックして、必要に応じて提供する仕事です。ただ新社長からは、新しいミッションとして部門別業績のチェックと評価という課題が与えられました。

 

それは無理というものです、私は全く経営数字が読めないのですから、などとは口が裂けても言えません。早速に何冊か経営(管理)や会計に関する本を買い込み、読み始めましたがとにかくちんぷんかんぷんです。

 

3歩進んで2歩後退ならまだしも、2歩進んで3歩後退なのですから、どうしようもありません。どの本も2030ページ読んだところであとは断念、棚に並ぶだけでした。

 

そんな時でした、MGに出合う機会がやってきたのは。

 

こんなラッキーがあるでしょう、と今になっては思えるのですが、当時はそんなことなど思いもよりません。とにかく会社の命令だから参加するしかないかということだけでした。

 

すでに参加をした人たちから聞くと、なかなか大変な研修だというのです。二度とやりたくないという感想を漏らした人もいましたし、何が面倒って会計の計算が大変なんだと言うばかりです。

 

いささか怖じ気づきました。ただでさえ、自習しようとして挫折しているのですから、この上大変な研修に立ち往生してはどうしようもないなという思いでした。

 

でもついにその日がやってきました、1987919日土曜日。それがまさに運命の日だったのです。

 

次回はなぜ、親会社が西研MGを社員教育として採用するようになったのか、その辺りのことを。