66歳2日目のメッセージ

昨日は人生66回目の誕生日を、伊豆湯ヶ島温泉で迎えました。

 

振り返ってみますと、自宅で迎えた誕生日の方が圧倒的に少なく、前職時代は仕事での出張や後半は研修参加、そして現在の仕事の中でも1年最後のセミナーやクライアント訪問で、歳を重ねることが多いです。

 

昨日はMG研修に参加の仲間たちから祝福をしていただきました。また、フェイスブックでもとってもたくさんの縁ある友達からメッセージが届きました。

 

もちろん、かみさんからも携帯メールがちゃんと届きました。今回の最終遠征から戻ったら、ゆっくりランチを愉しむ予定です。20171212_120832

 

私が生まれたのは1951年の12月、まだ世の中が「戦後」の混乱時代から抜け出していない頃でした。父親がシベリア抑留から戻ったのがその3年前。

 

私自身も予定日より1ヶ月も早く生まれ、体重が1650gの未熟児でした。なんとか成長を始めましたが、小学校の半ばくらいまでは虚弱でひ弱なやせっぽちでした。

 

それがいろんな人たちのおかげで、今ここにいることには深く感謝しかありません。

 

父や母は、どちらもすでに旅立ちました。やがて私も彼らの待つところへ、旅立っていくことになるでしょう。

 

それまでの日々、いつかということは分かりませんが、確実にやってくるその日までしっかりと使命と思える仕事に打ち込み、家族を大事にして歩んでいきます。

 

これからも多くの方に支えられていくことでしょう。どうぞ、よろしくお願いいたします。

これから先の旅はどうなるでしょう

12月も早10日を迎えました。寒暖差が日によって大きく変わりますが、着実に冬がやってきていることを感じます。

 

ちょうど、今年最後の遠征まっただ中で、仕事と仕事の合間の日曜日です。この休みの日を利用して、乗り鉄の旅を少し愉しむ予定です。T_20171210_08_2

 

目的地は島根県、江津市から江の川を遡り県境を越えて広島県三次市を結ぶJR三江線(さんこうせん))が、その目的地です。

 

この三江線、来年3月末で廃線が決まっており、残り100日あまりとなっているというわけで、全国から乗り鉄、旅鉄、撮り鉄など大勢のファンが訪れています。

 

何しろ運転本数が少なく、JR西日本のホームページにも、満員で乗れないことがありますという注意喚起のメッセージが載せられています。

 

何しろ走っている車両は、JRの中で最も小型のキハ120形。これが1両また2両編成で走りますので、当然に積み残しが発生するでしょう。

 

そんなわけで、大阪から出雲まで空を飛び、出雲市から江津まで鈍行の旅をするのですが、その先の列車に無事乗れて三次にたどり着けるか、運を天に任せます。

 

どうしようもない時には、浜田から広島へバスで抜ける手段も考えてありますが、これとて予約は取っていないのでさらに別の方法も考えてあります。

 

どうも最近の「鉄」ブームで、廃線が伝えられると人が殺到するようですが、自分もその一人ですので文句は言えません。では行ってきます。

今年も雪降る冬がやってきました

今朝はうっすら雪化粧、新潟県内は各地で積雪を記録しています。いよいよ本格的な冬、この冬は大雪になるのかどうか気がかりなところです。

 

雪のない土地から新潟県長岡市に引っ越してきたのが1990年、その年の冬は比較的雪が多かったのですが、以来「大雪」と言われたのは数回です。来る前に予想していたよりは少なかった雪ですが、四季のメリハリがあるのはいいなと感じたものです。

 

新潟市に転居してきたのは昨年の5月、新潟市は海沿いでもあり積雪は少ないところです。ただその分、除雪や排雪の体制が十分ではないので、表日本と同様にドカ雪が降ると大変です。

 

今日は今のところ降っても数センチという感じですので、電車が遅れたりすることもないでしょう。幸い昨日のうちに冬タイヤに履き替えましたので、車の走行には支障なしです。

 

長岡に来た最初の頃は、雪道の走りはおっかなびっくりでした。特に路面がシャーベット状になったりした日には、急ハンドルや急ブレーキは御法度と教えられていましたので、運転する手足にも緊張がありました。

 

少し慣れた頃に油断をしたのか、凍結気味の道でスリップし、除雪の雪壁に突っ込む失態もありました。ブレーキを踏んでも全く効かないことを、実感できたたのはよかったですが、壁から車を掘り出す苦労も体験しました。

 

それがもう身に染みついたと思っていた頃、今度は見通しのよい田んぼの真ん中の農道でスリップ、全くコントロールの効かないまま雪壁に激突。車はフロントが中破でした。

 

この時には通りがかった方にロープでつないでいただき、「救出」されましたが、100メートル以上は車が滑って怖い思いをしました。前からの車がなかったのが幸いでした。

 

地吹雪の怖さも何度か体験しましたが、特に高速道路上の「白い槍が次々に飛んでくるような」すごい吹雪は、ヒヤヒヤものです。Photo

 

一度ならず、高速道二車線の真ん中ラインを跨いで走行したこともあります。走行車線や追い越し車線側に寄ったら、フェンスなどにぶつかりそうな気がしたものです。

 

だだ広い平野部での地吹雪はもっと大変で、何しろ道が見えなくなりますので、両側に立っているポールなどが頼りです。

 

自然とは恐ろしいものだと実感したことも何度かありますが、その分謙虚になれたのだと思います。その気持ちを忘れずに、今年の冬を迎えています。

 
さて、どんな冬になるのでしょう。「雪が溶けると何になりますか?」の問いに、「春になります」という答えがあることを実感したのも、こちらに来てからです。

 
そんな気持ちを大事に、冬を愉しんで参ります。

高齢者社会の拠点、キーワードは駅前

白状します(しなくても大抵の方は知っていますが)、お酒が大好きです。いろんなところへ行って、その土地の肴で地酒を呑むのが大好きです。

 

ところが昨今、その楽しみが満たされるところが急速に少なくなりつつあります。特にローカルな町の駅前に、そんなささやかな楽しみを満たしてくれる小さな店がどんどんなくなっています。

 

どこに行っても駅前は閑散としたところが増えました。昼ごはんさえ、まともに食べられるところが減りつつあります。ましてや夜には駅以外の灯りが、ほとんどなくなってしまった町がいっぱいです。

 

ホテルのフロントに聞いても、少し離れた国道沿いの店を紹介したりしてくれます。駅から歩いて行けない距離ではありませんが、美酒に酔って帰ってくるのはいささか不安です。

 

そういうところに行っても、大きなお店ばかりですし、その多くがどこの町でも見かけるような全国チェーンの看板だったりします。

 

それは、別に食堂や居酒屋だけではありません。今やどの地方に出かけていっても、その地域の中心となる町には、全国チェーンの店が「国道(街道)沿い」に建ち並び、スーパーやモールなどが立ちはだかります。

 

中に出店している店も地元資本は半分にも満たず、多くが「どこにでも見かける」名前と品揃えです。町の古いメイン通りはシャッター街になり、貸店舗の張り紙が風にあおられています。Photo

 

どこの地方にでもあった「ナントカ銀座(商店街)」は、もはや看板や通称地名に残るだけになり、中にはほとんど廃墟に近い通りもあるようです。

 

しかし、それでいいのでしょうか。高齢化社会がどんどんと進み、ローカルであればあるほどその勢いが加速しています。

 

昔は駅が拠点であり、商店街も駅前を起点に伸びていることが多く、バスの始発も駅前が主体でした。しかし地方のバスは路線の数も、運転本数もみるみる減っていき、通学の学生も数を減らすとともに鉄道やバスの利用が激減。

 

その結果として、上に書いたように駅前が寂れ、夜遅くはゴーストタウンの様相です。たまに煌々と灯りがついていたり、たくさんの車が並んで止まっているのを見ると、そこは塾だったりします。

 

高齢者は今からも加速的に増えていきます。私自身も再来週には66歳を迎えます。今のところ、どこへでも車で出かけることができますが、あと10年経ってもまだ平気で乗り回せるかどうかは、自信がありません。

 

私の家内などはとうの昔に運転を諦め(ゴールド免許証は持っていますが)、70歳を超えたら免許証を返上しようかと言っています。これからも。そういう人が確実に増えていきます。

 

そういう人たちは、すでにかなりの人口になりつつありますが、駅から遠い郊外に立ち並ぶモールやショップ、あるいは飲食店にはなかなか行けなくなってしまいます。

 

すでにそういう影響が出始めている地域も、少なくないと思います。そんなじいちゃん、ばあちゃんが、歩いて回遊できるのは「駅前」ではないのかなと思う次第です。

 

交通の拠点であると同時に、生活を豊かにする物や事の拠点を見直さなければならないでしょう。10年先とか20年先ではありません。

 

せいぜい3年とか5年、そんな近未来を考えていかないと、とんでもない社会になってしまうと考えるのですが、いかがなものでしょうか。

残り35日を充実して有終の美を

11月も最後の週になり、後半はもう師走12月です。今年の冬の訪れは急ぎ足でしたが、雪国新潟でも11月としては早い初雪になりました。

 

先日発表された「かまきり博士」の予想でも、1120日前後の初雪を書いておられましたので、ずばりそれが当たったというところです。ではこの冬は大雪になるのか?それはどうでしょうね。

 

雪のない大阪に生まれ、晴れの国・岡山で仕事を続けた後、1990年に雪国に住むようになり早くも27年を超えました。新潟市内は県内では雪の少ない地域ですが、それでも季節のメリハリがあります。

 

来週には車のタイヤも冬装備にしますが、山里の方々はとっくに履き替えが済んでいることでしょう。私も長岡時代には、11月中頃には車屋さんを予約していましたから。

 

さて、今月の遠征も終わり、年内の遠征はあと神戸への2回の遠征を残すのみです。忘年会シーズンですので、行く先々で仲間たちとの交流が楽しみです。

 

それとともに、来年の「戦略目標づくり」を本格的に進める季節でもあります。すでに手帳は2018年版を使い始めていますが、そこに目標マンダラを書き込むリミットを決めて取り組みます。

 

マンダラ手帳を使い始めて15年余り、開発者である松村寧雄先生が先日亡くなられたのは痛恨の極みですが、学んだことを人生や仕事にこれからも活かして参ります。

 

並行して、年賀状の作成も進めていきましょう。こちらも「年賀マンダラ」ですが、自分のこの1年を振り返り、新しい年への思いを込めて参ります。

 

今週はまた金曜日からの遠征、週末は今年のキャッシュフローMGCFMG)の締めくくりを、神戸のビーラブさんとの共催で行います。1年間ともに学び交流した仲間への感謝を込めて。

 

2018年の開催セミナースケジュールや、サポート・クライアント先とのスケジューリングも9割方終了し、来年も各地への遠征が決まりました。とってもありがたいことです。

 

さらには新たな声かけもいただいており、楽しみも増えていきそうです。そのぶん、自分自身の学びもしっかりと続けていかねばならないと感じています。

 

では残すところ35日、心身共の健康第一に有終の美を飾れるように努めて参りましょう。

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スマホの英雄たちはヒーローと呼べるのか

1123日勤労感謝の日、夜来の雨も昼頃には上がって青空が急速に広がってきた。遠く西の空には雪をいただいた富士山の姿がまぶしかった。

 

勤労感謝の日は古来の新嘗祭が起源、稲の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願する古くからの祭儀。天皇が新穀を天神、地祇にすすめ、その恩恵を謝し、またみずからも食される宮中行事。

 

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かつては秋の村祭りが各地で開かれていたが、昨今はまつりの担い手がいないところも多く、毎年は開かれなかったり、止めてしまったところも少なくないらしい。

 

中には外部の「助っ人」を招いて続けているところもあるらしい。それもだんだん若い人が少なくなっていくにつれて、祭そのものの意義が薄くなっていくようだ。

 

大阪に生まれ育った私だが、物心ついてからの記憶をたどれば、近くの神社の例祭に行き着く。秋の祭のあったし、祭のたびに夜店(露店)がずらっと並ぶのが楽しみだった。

 

普段はもらえないお小遣い、それもせいぜい230円か50円くらいなのだが、それをもらって何を買おうかとか何で遊ぼうかと子供ながらに思考を巡らせていた。

 

とにかくポケットに入れた小銭をなくさないようにと、人混みの中で必死にポケットを押さえていたものだ。買い食いは親から禁止されていたので、狙いは金魚すくいとか水ヨーヨー釣り、時にはパチンコだった。

 

パチンコは一つずつ玉を入れてはじくだけで、その動きを最後まで見ていたが、10円で買った玉はあっという間になくなった。スマートボールもあったようだが、そちらはやらなかった。

 

他に射的とか輪投げとかもあったが、興味は余りなかったようだ。金魚すくいが一番の楽しみだったが、友達にその「名人」がいた。クラスでは目立たない子だったが、祭ではヒーローだった。

 

何しろ私などは小さな金魚を3匹か4匹すくい上げるのがやっとなのに、、彼ときたらやや大きめの金魚をそれも10匹以上うまくすくい上げて、金物のボールにひょいといれるのだ。その妙技に感心するばかり。

 

パチンコの名人もいた。大人顔負けで、玉を連続投入し、見事に点のピンを狙って百発百中だった。そんなやんちゃな仲間が好きだった。普段はクラスの中で余り口も利かなかったくせにだ。

 

あの時代、そういう子供があちこちにいた。ある子は相撲の英雄だったし、ビー玉の名人がいたし、メンコ(大阪ではベッタンと言った)の達人もいた。

 

勉強のできる子も尊敬はされたが、それ以上に人気のあるのはそうではないヒーローたちだった。私はというと勉強はできるが体が弱くて、いささか引っ込み思案だった。ヒーローになれる要素も乏しかった。

 

体育の授業が特に苦手で、かけっこもビリ、鉄棒も逆上がりがなかなかできなかった。跳び箱も苦手で、いつも最後まで居残り組だった。担任の先生が厳しくて、なかなか帰れと言ってもらえなかった。

 

でもあるとき、苦手だった跳び箱が跳べた。たったの3段か4段だったがとんだ瞬間に、体が浮かんだ気がした。そして周りのクラス仲間たちが拍手をしてくれたのだ、嬉しかった。

 

もうあれから60年近くの日々が過ぎつつある。あんなヒーローたちは、もういなかうなったのだろうか。それともスマホの英雄たちが闊歩しているのだろうか。

 

今日は青森県八戸市で朝を迎えた。この街には昔ながらの祭は残っているのかな。

1年の締めくくりに向けて精進第一で

強い寒気が大陸からやってきて、早くも冬型の気圧配置になり、越後は週間天気予報にいよいよ雪マークが現れ始めました。

 

今週末には各地とも一気に気温が下がってくるようですから、十二分にお気をつけ下さい。私なども気温差アレルギー体質ですので、急激な変化には気を配っています。

 

昨日はかかりつけのお医者さんで、インフルエンザの予防接種を済ませました。もちろん、だからといって絶対大丈夫というわけではありませんので、手洗いやうがいはキチンとやっていきますよ。9092249

 

それはそうと、今年はインフルエンザの流行が早く始まっているそうですし、しかもワクチンの製造が追いつかないということもあって、私の通う医院でも今月の予約は受けられないとか。

 

12月に入ればワクチンも間に合ってくるようですが、それでも具体的にいつになるかは未定とのこと。早めに予防接種と思われている方は気が焦ることでしょう。

 

健康といえば、今年の健康診断も無事に完了しました。おかげさまで要治療や再検査、精密検査に至るモノはなく、経過観察部分をいくつか指摘されただけでした。

 

指摘部分も僅かに健診基準値を超えている程度で、主治医の先生からは医療面から言えば許容範囲ですよといっていただきました。改善された数値もあり、ガン検診も大丈夫でした。

 

それでも念のための薬は続けて下さいということで、毎日の弱い降圧剤と逆流性食道炎の薬だけは継続です。血圧も毎朝測ってチェックしていますが、何しろ間もなく66歳、立派な(笑)准高齢者ですから。

 

昔から一病息災ともいいます、私の場合幼い頃は気管支炎や喘息に悩まされ、長じて体力が付いてからもなおアレルギー性の鼻炎や軽い花粉症がつきまといます。

 

それでもおかげさまで大病をすることもなく、何年かに一度風邪を引く程度で済んでいるのは、ホントにありがたいことです。とにかく必要な休養はしっかりとって、無理はしないことですね。

 

何よりストレスを溜めないこと、その第一は家庭円満です。家の中でもニコニコ笑顔で過ごすこと、腹を立てないこと、余り細かなことに気を遣わぬこと。

 

もちろん油断は大敵、とくに気候の変化には特に気を付けなければですね。何しろ、仕事がら健康維持と体力づくりが欠かせません。喉が命でもありますし。

 

今週末から12月中旬までは、セミナーやコンサルティングの仕事が波状的につながるほか、自分磨きや新たな交流を求めてのセミナー参加もあります。

 

体調万全で皆様に会えますよう、日々精進します。

今回の遠征を振りかってみました

久々に新潟の自宅で朝を迎えました。昨日までの10日間、MG三昧」の遠征でした。

 

初日は乗り鉄旅の移動に始まり、その夜は軽井沢MGの前夜祭を楽しみ、土日のセミナー本番では1人の参加者として大いに学び交流させていただきました。

 

台風(22号)の接近で雨にたたられた面もありましたが、山里の冷気の高い中でじっくりと学びを深められたと感じました。

 

4日目はコンサルティングの仕事を終えて、ミニ乗り鉄の旅。神奈川県の大船から江ノ島モノレールで、江ノ島に出て、そこから江ノ電(江ノ島電鉄)に揺られて鎌倉へ。

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平日にもかかわらず江ノ電には観光客の姿も目立ちました。終点の鎌倉では旅貯金のおまけ付き、今回の遠征では直江津駅前と、鎌倉、そして三浦海岸近くの南田浦と3つの局員が増えました。鎌倉は観光地らしく、鳥居のイラスト入りでした。

 

5日目は三浦海岸に至り、マホロバマインズで開催されたMGシニア研修に3日間参加しました。初めてシニア研修に参加したのは29年以上も前ですが、その時には若い方から数えて数人目でしたが、今回は講師の西先生ご夫妻を除けば最長老でした。

 

時代は流れていくものだと感慨深いものがありましたが、メンバーもこれまでお会いする機会のなかった方が目立ちました。ただ、フェイスブックでつながっていた方もおられたのは時代ですね。

 

29年前には先輩シーガルの皆さんに引っ張られたいた私も、今回のセミナーでは牽引役あるいはサポート役に徹する立場でした。

 

そんな若いメンバーを見ながら、あの頃は自分も「何でも吸収してやろう」と意気込んでいたなと、当時を振り返っていました。時代は変わっても、本質は同じです。

 

それにしても我が師・西順一郎先生は若いです。とても80歳には思えません、私なんかよりも何倍もセミナーをこなされ、全国のシーガルたちに会いに行かれています。

 

シニア研修の終わった7日目の夜は、静岡でシーガル仲間とミニ交流会。久しぶりにじっくりMGについて語り合えたようです。こういう時間も大切ですね。

 

8日目は移動途中に豊橋に立ち寄り、路面電車(豊橋鉄道東田本線)の乗り鉄旅。短い路線ではありますが、全線を乗車してきました。

 

そしてその豊橋の電車が、元いた街が岐阜市(名鉄岐阜市内線他=2005年廃止)。12年前に写真を撮りに出かけた思い出をたどりながら、最後のミッションに備えました。夜はシーガル交流会も。

 

そして9日目と10日目は、初めて岐阜市でのキャッシュフローMGCFMG)、小さなご縁から実現したセミナーでしたが、交流のご縁をさらに広げることができました。

 

最後は少し時間切れのところもありましたが、CF経営のポイントと共に「なぜMGをやるのか」という、私の思いもお伝えすることができました。

 

また、1年先のセミナー開催についてのお声かけもいただき、さっそくスケジュール表に書き込みました。

 

さすがに10日間の遠征はきついものがあり、やや喉の調子を狂わせた感じもありますが、今日はゆっくり休んで週末、そして来週以降のセミナーに備えることにします。

今秋の軽井沢MGにも来ることができました

この土日は軽井沢MGに参加しています。

 

会場は長野県蓼科山麓の春日温泉もちづき荘、軽井沢でないのに軽井沢MG?

 

そうなんです、スタート時は軽井沢で開催されていて毎年春と秋の2回、今年で32回目を迎えています。

 

今の会場は温泉にも恵まれ、霊気にあふれロケーションも抜群です。私も可能な限り参加するようにしています。

 

それは軽井沢MGを立ち上げた芦田さんと山崎さんとのご縁。山崎さんは残念ながら、還暦を迎えて日を経ずして還らぬ人になってしまわれましたが。

 

そんなわけで、今秋も山ちゃんに会いにやってきました。

 

今回は何と第2期で、自分のMG史上で最高のPQ(売上高)を記録できました。これまでの記録を100円以上上回る763円。

 

何があった? そう、何かがあったんですよ。山ちゃんのニコニコ笑顔がね。

 

さぁ、今日2日目もがんばりますか。20171028_114713

まだまだ予断は許しませんが

台風21号は静岡県に上陸、そろそろ関東方面を北上しているようですね。暴風域が大きいので、広範囲に雨風が強そうです。

 

昨日は伊勢市でのCFMGを第4期で打ち切り、まとめの講義も短く切り上げて14時過ぎには会場を後にしました。雨が次第に激しくなってきていましたが、車でお越しの方は無事に帰られたようです。

 

列車組は宇治山田駅と伊勢市駅に向かいました。私は近鉄特急に乗るべく宇治山田駅に着きましたら、名古屋線は線路か架線の支障で不通になっているとの情報。

 

窓口で聞きますと、大阪までは大丈夫で途中の八木で乗り換えると京都に行けるとのこと。その言葉にすぐ切符を買ってホームに上がりましたが、待てど一向に電車が来ません。

 

これはまた状況が変わったのかと駅員に尋ねますが、余り要領を得ません。ただ、不通区間が広がっているように感じましたので、外に出てタクシーでJRの隣の伊勢市駅に向かいました。

 

ところがここでも、JRの運休情報が流れていました。どうも昼頃には「今日は全面運休」という決定がされたようです。近鉄のそのすぐ後に支障が出て名古屋線が不通に、その後他の線にも広がったようです。20171022_180615

 

それが15時前、切符を払い戻してネットで空いているホテルを検索。ちょうど、2日間泊まったホテルが空いていましたので、すぐに予約を完了。雨をついて、すぐにホテルに向かいました。

 

チェックインしてすぐに自宅に電話、カミさんに状況を伝え、「しょうがないね」と。

 

ホテルの1階が居酒屋ですので、伊勢市駅で開通を待っているらしい仲間に連絡、彼らもその店にやってきて合流しました。

 

その後主催者の河西先生も自宅から駆けつけて、図らずもセミナーの打ち上げ会になったのでした。二次会にも出かけましたが、ここから戻る道が大変、大雨に道路が冠水して足首以上に水に浸かってほうほうの体でホテルにたどり着きました。

 

バスタオルを余分に借りて、濡れた靴やズボンを洗って乾かしました。ズボンは洗い流して軽く絞り、バスルームにつるしておきました。朝からはズボンプレッサーにかけています。

 

今日は、台風の接近で夜半から状況がひどくなると予想していましたが、その以前に秋雨前線の雨でもう鉄道が不通になってしまったのは、ちょっと予測が甘かったなと反省をしています。

 

それでも昼前に終えても間に合わなかった感じがしますし、もし間に合っていたとしても電車の乗っている途中で止まってしまったことも考えられます。

 

その意味では現地にとどまったことは、正解と言えるのかも知れません。今日がどうなるのかは、まだ情報が整っていませんが、少なくとも午後には動けそうな感じです。

 

朝すぐに(名古屋に)移動するには難しそうですが、今日中に新潟の自宅に帰り着けばいいので、楽観的には見ているところです。

 

そんなわけで、今回は色んな意味で思い出深いCFMGセミナーになったと考えます。状況の変化の中でどう動くかという、脳力開発の実践訓練にもなりました。

 

来年も同じ時期での開催が決まりましたが、今回のようなことにならないことを祈っています。

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