一昨日の心に残るイベント

一昨日は雨の中を東京へ、法政大学の市ヶ谷キャンパスで開催された、「第7回日本でいちばん大切にしたい会社大賞」アワードに参加してきました。

 

昨年秋に入会させていただいた、人を大切にする経営学会が主催するイベントで、会長でもある坂本光司先生(法政大学大学院教授)の著書でも知られています。この日は全国から、700名を超える方々が参加されたようでした。

 

実は法政大学のキャンパスに来るのは初めてで、外堀に沿った市ヶ谷キャンパスにはそろそろ桜の花もチラホラ見えていましたが、冷たい雨はちょっとザンネン。

 

市ヶ谷と言えば、かつてはMGシーガル立ちが集う「西の会忘年会」が、私学会館を会場に毎年開かれていて、私も何度か参加したことを思い出しました。

 

今回の表彰式では、経産大臣賞、厚労大臣賞ほか17社が表彰され、大賞の4社からはそれぞれの企業紹介もありました。表彰のハードルは非常に高く、日本にある数百万社の中でも大賞となれるのはホントに一握り、だからこそ価値があるのでしょう。

 

人(社員)を大切にする、その一つの表れが人財教育ということもよく分かります。かける費用もさることながら、時間をしっかりかけていることがポイントです。たとえば全労働時間の5%あるいは10%を教育に費やしています。私の仕事に対しても、エールをいただいた感じです。

 

しかしこれまでに80社以上が表彰され、坂本先生の著書でも紹介されていますが、企業として本当にやるべきことを、愚直に、経営者も社員さんも一緒になって地道に取り組んでおられる、そういうことだということが感じられます。

 

それらの企業に共通していることは、当然に業績がよいことはもちろんですが、会社の中にも地域にも笑顔がみなぎっていて、そしてご家族には子供も多いのだそうです。高齢者20170321_5 や障害者の方も、ニコニコ働いている。

 

日本中の企業がそうなってほしいという願いは難しいとしても、1%がそうなってくれるとざっと4万社ですから、世の中が素晴らしく変わってくるでしょうね。夢かも知れませんが、私も夢を心に刻んで、クライアントのサポートをしていこうと思います。

 

当日の記念講演は安倍昭恵さんでした。考え方、やろうとされていること、やっておられること、賛同できることや頷けることも多々ありました。様々な意見や批判も、まっすぐに受けていらっしゃるように感じました。

 

帰りの列車時間の関係で、懇親会の途中で退座したのがとっても残念でした。

国が自然死しても蠢き回るモノ

春分の日が目前となり、夜明けが早くなってきました。もちろん日の入りも遅くなってきているわけで、春が確実に近づいています。そろそろ桜(ソメイヨシノ)の開花予報が出始め、来週には各地で開花のニュースが発信されそうです。

 

もっとも、古代日本人にとっての「春の花」は梅であったようで、雪月花でいうところの花はもちろん梅の花です。この雪月花の名所が日本三名園、雪の兼六園(金沢)、月の後楽園(岡山)、そして花の偕楽園(水戸)です。

 
とはいえ、日本人にとっての春を感じさせる花は、やはり桜のようです。河津桜など早咲きの桜に始まり、ソメイヨシノからしだれ桜、さらに山桜に終わるまでしばらくは桜の名所がTVのニュースでつづきます。

 
とくにソメイヨシノは葉が開く前から咲き、そのまま散りそめることから「潔さ」とともに、「はかなさ」も想起させるようで、日本人の心に強く響くようです。

 
私個人でいえば、色の鮮やかな八重桜が好きなのですが、これは幼少期を過ごした大阪で名高い、造幣局の通り抜けの桜のイメージが強いせいでしょう。あるいは新緑が始まる寸前に山を染める、山桜の孤高の美しさに惹かれるからでしょう。

 
そんな桜花に比して何とも鮮やかでないというか、ザワザワ感満載なのが国会。もっとやPhoto るべきことがあるだろう!という、原理原則論を語る気はありません。

 
喉元に刺さっているような「骨」を取らずして、何をしようというのでしょうか。というより、表面で波立っていることではなく、その裏に隠された本質を、質していくことこそ本当にやるべきことだと思うのですが。

 
防衛省の「隠蔽体質」にしても、官僚たちや現場の人間たちの国民を欺くような動きこそ、戦後日本の体質を物語っているではありませんか。いや、もしかしたらそれこそ戦前の体質、「お上」意識が尾を引いていると思われませんか。

 
役人体質、自分たちが国を動かしているという間違ったエリート意識、それこそが「豊中」にも「豊洲」のことにも共通した「病巣」であるようです。思い切った外科手術が必要に思えますが、今の政治家たちにはそこを切除する勇気はないようです。

 
国が自然死しても、自分たち(だけ)は生き残れるとでも考えているのでしょうか。どっちが寄生生物なのかは知りませんが。

教育勅語よりも「挨拶、返事、後始末」だ

昨日は東日本大震災から丸6年だった、故に報道番組もそこに焦点を当てたものが多かったが、ふと感じたのは「風化」というどうしようもない現象だ。

 

科学的根拠も何もないが、出来事から1年たつと記憶が1/2になり、毎年その割合で風化していくとしたら。丸2年で1/4、3年で1/8、、、6年では1/64になってしまう。映像が再現されても、おそらく一過性の甦りで翌朝には忘れてしまう。

 

阪神大震災からは20年、新潟県中越地震からは12年余り、どちらも地元の人以外にはほとんど記憶に残っていないのではなかろうか。東日本の被害は大規模かつ甚大で、しかも原発事故という過去にない出来事があった。

 

その故に風化の速度も遅いかもしれない。だが、一方では心無いいじめや中傷といった、心の痛い出来事もまだ起っている。つらい悲しいことだけが、風化しないとは嘆かわしい。

 

風化と言えば、戦後71年を経過しても亡霊のごとく風化しないものが蠢き始めている。教育勅語、森友学園問題で妙な具合にクローズアップされてきている。教育勅語にとってもさぞ不本意なことだろう。

 

私も、実は教育勅語(の中身)については決して否定的ではない。一部を除き、その道徳的ないわゆる徳目については、守ってしかるべしだと思っている。法的にはすでに「存在しPhoto ないものだから」ということだが。

 

しかし、この120年前に登場した教育勅語が戦前に果たした役割や、その歴史的・思想的背景を鑑みれば、このまま塩漬けにすべきものだとも考えている。それは上記のプラス面を考慮したとしても、余りにマイナス面が大きすぎる。

 

また、道徳あるいは倫理というものは強制すべきものではない。頭を押さえつけて、さあやれ、やらなければだめだと強いるものではない。ましてや、守らなければ「非国民だ」などという攻撃はご免被る。

 

ましてや、意味の分からぬ幼児や児童に読ませることは、いくら「素読」が学びになるとはいっても限度があろう。「大学」や「論語」(私は「論語」の素読には反対だが)ならまだしも、教育勅語はなぁ。それは洗脳の類だ。

 

やるのであれば、森信三先生の「あいさつ、返事、あとしまつ」を記した文章を、子供たちに読ませ実行させるのがよい。もし私が子供たちを教育する立場なら、そちらを選ぶだろう。

 

風化に戻るが、今回の(森友学園)事件はこのまま風化していくのかどうか、その辺りも大いに気にかかるところではある。

町屋の人形さま巡り・村上

昨日の土曜日は孫ちゃんも遊びに来ないので、カミさんとドライブがてら県北・村上で開催されている「町屋の人形さま巡り」に出かけてきました。

 

新潟を出発するときには春の日差しで、車の中では防寒コートは暑いだろうと少し薄めのジャンパーを羽織って出たのですが、これが見事に失敗。

 

村上市は我が家からざっと65㎞、北上していくとだんだん曇ってくるではありませんか。しかもどうも雪雲が広がってきているようでした。

 

土日は一般に解放されている市役所の駐車場に車を止め、歩き出すと風が冷たい。しまったと感じましたが、こうなったらやせ我慢です。何しろ自分の読みが甘かったせいですから。

 

この人形さまめぐり、中心市街地の町屋の皆さんの好意で、ご自分の家のお雛様を初めとするお人形さまを展示し、開放して見せていただけるいうもの。市内のお店が多いのですT_20170304_4 が、食堂もあったり銀行や一般のおうちもあります。

 

人形さまは季節柄お雛様が多いのですが、五月人形や武者人形、あるいは土人形やフランス人形も見せていただけます。古いものは江戸時代のものもあり、代々受け継がれてきた大切なものです。

 

大町の中心から歩き始め、主だったところを選んで見せてもらいました。何しろ全部で80軒くらいありますので、とても全部は見られません。

 

中にはお茶までふるまって下さるところがあったり、謂れなどを語って下さる方もいらっしゃいました。このイベントは1か月余り続きますから、大変だろうなと感じました。

 

また、村上は城下町ですが、昔ながらの「黒塀」の復活事業、あるいは町屋そのものを復活させることにも町ぐるみで取り組んでいて、ゆっくり歩いて回るといろんな発見ができる街です。

 

また近くの三面川や日本海でとれるサケを利用した料理、美味しい地酒、さらには北限のお茶などもあります。海岸の瀬波温泉で、日本海に沈む夕日を見ながらゆっくり湯につかるのもいいでしょう。

 

途中からは冷たい小雨が降り始めましたが、心温かい街の人たちと触れ合い、いろんな人形さまにも出会えてとってもいい休日でした。

似非教育者は教育を語るなかれ

ムッシュ(・かまやつ)が亡くなった。小さい頃に音楽に興味を持った初め、聞いていたのはムッシュのお父さん(ディープ)のジャズソングだった。

 

そのあとGS時代に入って、スパイダーズ時代のムッシュに魅かれた。楽器を持ちだした頃だったので、歌い方などを真似てみたものだった。

 

ソロ時代の歌「我が良き友よ」は、風呂場での愛唱歌だった。バンカラに憧れたが、学生を卒業して社会人になってそうもいかなくなった頃だ。何となくシャイで、照れ笑いのような顔が思い出される。ご冥福を祈る。

 

大阪・豊中市の国有地払い下げ問題が、連日国会でもTV報道でも続いている。くだんの土地には記憶がある。大阪に亡母の家があったが、車ですぐ近くを走っていた。

 

いやもっと以前に関りがあったかも知れなかった。幼稚園に入った5歳の頃だから、もう60年も前の話だ。親の転勤で引っ越して間もなく幼稚園に通うことになったが、近所に3つのPhoto 幼稚園があった(子供の記憶なので)。

 

その一つが今話題の塚本幼稚園だった。戦後にできたそうだが、昭和30年頃にはもう存在していた。もしかしたらそこに通うことになっていたかもしれないが、家から少し遠かったので、より近い幼稚園(ひかり幼稚園)に入園した。

 

そこはお寺さんの幼稚園で、訳の分からぬまま「のんののののさま」ナンて歌っていた。でも、「教育勅語」を読まされるよりは良かったかも。

 

素読を否定するものではないし、むしろ小さいころから素読を通じて古典に親しむのはいいことだと考えている一人なのだが、「過ぎたるは」はいけないよなぁ。

 

「論語」や「大学」、あるいは「言志四録」(佐藤一斎)くらいまでだろうなぁ。この事件で、素読にまで白い眼が向けられるのは困ったものだ。

 

断言できることは、かのカゴイケとかいう輩は教育者とは言えないということだな。

青春の街神戸とは縁が深かった

先週の金曜日から神戸に来ています。本拠地の新潟よりも関西での仕事が多く、神戸のMG仲間の事務所を「居候オフィス」としています。

 

実はこの街・神戸は、私の青春の街です。生まれは大阪の市内ですが、小さい頃は大阪と神戸の中間にある甲子園の浜で海水浴をしました。また小学校時代は六甲山に遊びました。

 

そして大学は神戸大学に進学をして、大阪郊外の自宅から1時間半くらいかけて通学をしていました。入学当時は「70年安保」の学生運動がまだ残っていて、家を離れる許可を親Photo_2 から与えられませんでしたが、運動の鎮静化でようやく下宿を許されました。

 

下宿は、学部のあった大学本部から歩いて20~30分のところにありました。時間の幅があるのは行きは上り坂が主体、帰りは下り坂が主体だったからです。

 
ちょうど六甲山系の山すそに当たり、頂上を眺めつつ、海(神戸港)を見ることもできるという、絶好のロケーションでした。しかも南に張り出した部屋で、三方が窓、明るくてよかったのですが、夏の暑さは半端ではなかったです。

 
大学に入ったのが1970年、ちょうど大阪万博の年でしたが、その下宿にいたのは70年の秋から2年余りで、72年の夏ごろからは岡山に「移住」して、その年の暮れで下宿は引き払いました。

 
卒業前の1年半は岡山市内のユースホステルにヘルパーとして住み、授業やゼミのある日だけ、月に数回電車で(3時間近くかけて)神戸に通学していました。

 
下宿時代を軸に、神戸の街を山も海・港も暇さえあれば歩き回りました。貧乏学生でお金がなくて贅沢はできませんでしたが、心の栄養はたくさんいただきました。

 
現役時代は、仕事で神戸を訪れることはほとんどなかったのですが、独立開業をしてからは出会った方とのつながりの中で、神戸で仕事をする機会に恵まれました。

 
2015年までは大阪に拠点もありましたが、その少し前からセミナーを神戸で開催することが多くなり、今年も関西での活動の8割は神戸の地で行う予定です。

 
阪神大震災でかつて下宿した家も半壊で取り壊され、周辺の景色も変わりました。大学本部はかつての建物も残っていますが、新しい建物が増えました。「べっぴんさん」でロケ地に選ばれたのは、記憶に新しいところです。

 
気候がよくなったら、時間を作ってかつて青春を過ごしたキャンパスを、ゆっくり歩いてみたいと思います。

病に罹らないことが大事なのだけど

今週は体調を狂わせてしまった。風邪を引いたということだが、「風邪」は病名ではないので、おそらく上気道炎とか気管支炎というべきなのだろう。

 

幸いに検査の結果インフルエンザではなかった。体がだるかったり、節々に痛みを感じていたのでもしかしたらと案じたが、陰性と言われてほっとした。ちなみに、予防注射は秋11月に受けていた。

 

水曜日に、とある薬を処方いただいている内科医に診てもらい、薬をいただいたが、そのPhoto 中には抗生物質もあった。ということは細菌性の「風邪」症状ということなのだろう。

 

その薬のせいだとは言えないが、体温が平熱よりも下がってしまっている。常は36.5度±0.1度くらいなのだが、しばらく36度ジャストが続いていた。

 

症状が出た火曜日には37.6度あったので体がだるかったのだが、体が冷えすぎてもだるさを感じるものらしい。血圧も普段より下がった状態だ(もちろん正常の範囲内だが)。

 

ふだん、余り病気になることがないので、こうやって(常備薬以外の)薬の厄介になるとどうも効きすぎるらしい。と言って、自分の判断でやめるわけにもいかないので厄介だ。

 

まぁ、だるさを感じなくなったら、最低限抗生物質薬だけはやめることにして、金曜日で打ち切った。幸いに、それ以降は次第に体調が戻ってきているようだ。

 

何しろ、体が資本のしかも「1馬力」の仕事なので、正常な体調を保つことが第一だ。来週後半からは、今月の長い遠征が始まる。その時にはピークにもっていくことが肝心だ。

 

それまで1週間、徐々にセットアップしていくことにしよう。焦ってはいけない、気持ちだけ先走ってもいいことはない。

 

病を得ると教えられることが多いなぁ。むろん、病に罹らないことが大事なのだけど。

年賀はがきのあと始末はどうする?

新年もあっという間に1か月が過ぎ去り、もう2月が始まって4日目、立春という季節の節目になりました。寒さはこれからも繰り返されるようですが、気に掛かるのは花粉ですね。

 

私もここ数年いくらか花粉症気味ですので、花粉のピーク時には点鼻薬などを使いますが、できるだけ頻繁にならぬよう気を付けています。新潟は杉の木も多く大変です、3月頃から始まるのでしょうね。

 

2月と言えば確定申告の季節、今年も16日から受付が始まります。私は事業部分の青色申告がありますので、それと合わせて毎年受付の前に提出しています。

 

今年も自社の内部決算書類・帳票類は1月中に完了させて、2月に入ると同時に申告書作成に取り掛かりました。それも清書が終わり、添付書類も揃えて、来週早々には提出する予定です。

 

その他に恒例の仕事と言えば、いただいた年賀状や寒中見舞い、喪中はがきなどの整理です。転居された方、会社を移転あるいは転職された方もいらっしゃいます。電話番号やメールアドレスの追加や変更もあります。残念ながら亡くなられた方も。

 

そういった情報をチェックし、「住所録」を最新のものにリニューアルするわけです。この住T_mt_df 所録は、セミナーの案内や会社のお知らせ等をお送りする元データになります。

 

データのチェック、変更(追加)に使うのはもちろん「マイツール(MT)」というデータベースソフトです。MTをふだん活用されている方でも、余り馴染みのないのが「DF(Display by Format)」というコマンドですが、これが非常に便利です。

 

作業手順は、DFドン(ドンはEnterです)、JSB(=住所録のデータファイル名)ドン、そしてもう1回ドンで、写真のような画面になり、例えば山田さんのデータを検索する際には、氏名の欄に「山田*」と入力し、上の[F3検索]をクリックするだけで元データが読み込めます。

 

これをデータ修正し、最後に[F6変更]をクリックするだけでOKなのです。簡単でしょう。

 

さて、終わった年賀状はどうしましょうか。基本は「捨てる」です。でも、半年くらいは保管しておきます。中には、PDFにして保存されている方も知っていますが、そこまではやったことがありません。

 

ハガキの連続スキャニングも可能なスキャナーですので、やろうと思えばできますが。皆さんはどうされていますか?

師の後を追う

柏崎MG、例年のように師である西順一郎さんのMG、今年最初の受講です。

 
師のと出会いは1988年(書籍での出会いはその前年でしたが)、それからもう29年を過ぎImg_3631 30年目に入りました。その間、ずっと師の後を追っています。

 
その先生も今年の秋には80歳になられます。でも、今もなお毎週のように全国にキャリーバッグを引いてお出かけになり、週に1~2度の公開MGセミナーをこなされています。

 
その力にはただ頭が下がります。私自身も月の半分近くは遠征に出ていますが、とても先生の移動距離やセミナー回数に及ぶべくもありません。

 
何とかその真似をしようと実行していることは、移動の時間に本を読むということです。先生の読まれるジャンルは広く、これもまた私の及ぶところではありませんが、私は私なりに歴史というジャンルに的を絞って読み続けています。

 
もちろん、MGに関わる本や経営の基礎を学べる本も、これはと感じたものを中心に読んでいます。ハウツウ本はあまり読みません、読んでも斜め読みか拾い読みです。

 
そしてもう一つは、MGの学びにはゴールがないことです。学び始めた頃は、これを極めてやろうという気持ちで、ゴールを目指していました。そして、自分なりのゴールを感じたものの、その時には師はすでに一歩も二歩も先を歩かれていて、愕然としたものです。

 
そうか、MG(には限りませんが)の学びにはゴール、極みというものはないのだと気が付きました。だから、今もなお基本のセミナー(MGジュニア)に「生徒」として参加し、初心者と一緒に学ぶわけです。

 
25年余前に小さな会社ながら、『企業革命』を目指した熱い情熱を忘れず、これからもしっかり学び続け、師の後を追ってまいります。

素晴らしい好天の海を見ながら

1月最後の日曜日、昨日に引き続いて柏崎MGに参加しています。


昨夜は、都合で遅れていた秋田の千葉さんも交流会には間に合い、遅くまで楽しい時間を過ごしました。


さすがに私は午前様までは付き合えず、早めにベッドにもぐりこみましたが、この交流の時間がMGでは講義にも増して大切な時間です。


さて、今朝も大寒の季節には珍しい好天、いつもの年なら荒れている日本海もとっても波静かです。気持ちが穏やかになりますね。


私は、MGだけでなく色んなセミナーを選んで出かけますが、波動の佳い、心穏やかな研修にはなかなか出会えません。


ある講師に懇親会でそのことを話しましたら、それはご自身に課題があるのではと言われ、それもそうだがと思いながら、イヤ〜な気分がしたものでした。


ても、昨日今日はとっても波静か、今朝の海のような静かな、それでいて押し寄せるような波動を感じています。


夕方まで、同じ学びの仲間たちと過ごせる、大げさではなく至福の時間。だからこそ、佳い学びができるのだと確信しています。

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