連載・『脳力開発と私』こぼれ話(77)

東京圏のコロナ感染がここ一両日で一気に加速しています。


小池都知事が一昨日の夜に、急遽記者会見を開いていくつかの強い要請を行いましたが、果たしてどれだけの効果を生むでしょうか。


私は都民でも首都圏民でもありませんが、もしそうであったとしたらかなり戸惑いを覚えるのではないかと感じました。


例えば(週末は)不要不急の外出は控えて下さいと言っていますが、「不要不急」とはどういうことなんでしょうか。


あるいは「控えて」くださいというのは、どの程度のことをいうのでしょうか。


もちろん全てを網羅して、逐一事例を挙げるなどということ(例えば都市におけるゴミの分別のように細かく例示すること)は無理でしょう。


それにしても余りに抽象的で、つまるところ、あとは皆さんの常識や良識の範囲内でやって下さいって言われているように聞こえました。


要するに、もう少し具体的なガイドラインのようなことが同時に発表されておれば、良かったのではないかと思うわけです。

 

例えば大勢での会食は自粛して、少人数なら良いのではと言われても、大勢とは何人くらい、少人数とはとみんな見解が違いませんか。


大勢と聞くと私は100人とか200人を思い浮かべますが、中には500人や1000人くらいと考える人もいるでしょう。


少人数ということでも3~4人で多くても5人以内と考えるのか、それとも10人くらいいても少人数ではないかとか。


ある人は、恋人同士なら2人でも「濃厚接触だ」だ、「密」はダメだなどといちゃもんを付けるかも知れません。


そこまでいってしまうと極論になりますし、細かすぎる例示をされてもかえってウロウロしてしまいます。


それでもある程度具体的なガイドライン(線引き)がないと、困るなとは思われませんか。


会社の中の会議などでは、このことが問題となって議論が紛糾してしまうことがあります。


一方はAが正しいと言い、もう一方は対立するBの方が正しいと主張して意見がすれ違い、一向に結論が出てこない。


そのAとBが抽象的な事柄であればあるほど、まとまるわけがなく「会議は踊る」状態が続いてしまいます。
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一つの例として仕事をする環境整備を取り上げ、美しい職場環境をと言ったとしましょうか。


ところが「美しい職場環境」と言う抽象的な言葉の解釈を巡って、堂々巡りが始まったりする。


美しくするということはどういう行動をとることなのか、その中身が一向に出てこないで美しいの解釈ばかりの空論になる。


脳力開発の指針、その8つめに『行動のつながりで、具体的に考える習慣をつくろう』とあります。


つまり具体的な行動を積み上げていくことが大事なのであって、その行動を一つ一つ点検していくディスカッションが必要なのです。


積み上がったら担当を決め、順番(優先順位)を決め、いつからいつまでに実行するかを決めていけば良いのです。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(76)

確定的でない要素、印象、仮定や仮説、空想や夢想、想像、評価などなど、これらも実は人間の脳の働きです。


時には重要な役割をしてくれることもあり、欠かせない重要な部分であることも事実です。


例えば仮説といった要素は、学問を深めていく上では大事なポイントであり、科学は仮説から始まるとさえ言われます。


想像をたくましくすることは、新しい発想を生み出していき、現世とか現状に囚われない自由なアイディアを膨らませていきます。Img_1424


あるいは気分を安定させるといった意味でも、脳力を積極的に強力に発揮することへの影響力は強いものがあります。


しかし、これら確定的でない要素によって振り回されてしまい、悩んだり困ったりしてしまってはいけません。


ましてや判断や意思決定の際に、気分を支配されて一喜一憂してしまうようでは、正しい判断ができません。


また、生まれつき直感力の優れた方もいらっしゃいます。脳力開発を学んで、判断力が増強される方もおられます。


たとえば洞察力が深まっていくとか、読みが鋭くなる方も少なくありません。


ところが、そういうものだけに頼っていては正しい判断ができません。肝心なのは事実材料(確定事実要素)です。


実は事実材料が足りないために、洞察や読みなどが上滑りになってしまい、正しい判断に結びついていかにことが多いのです。


そこで脳力開発では、「分からないことはすぐに調べよ」と教えています。さらには「知ったかぶりはやめよ」とも言っています。


知ったかぶりや勝手な決め込みなどは、脳力開発の大敵です。


よくこんな人がいるでしょう、誰かが意見やアイディアを述べた時に「あ、オレ、それ知ってる」と言う人はいませんか。


あるいは、「そのことは私も以前から考えていたんですよ」とも。これは、見栄とか怠慢という内部ブレーキが現れたものです。


この内部ブレーキを潰していく努力も、脳力開発では必要な思考と行動になるのです。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(75)

確定的でない要素のもう一つに「評価」があります。実はこれもかなり厄介なものと言えるのです。


こんな事例が脳力開発の教科書(脳力開発入門)に載っておりますので、そのまま引用します。


例えば、Yさんが「X氏は、私から金を借りたまま返そうとしない」「X氏は腹黒い人ですよ」と言ったとしましょう。


この場合、Y氏がそう言ったという点は確定事実です。しかし「金を・・」という内容についてはまだ確定事実とは言えません。間違っているかも知れないのです。


ここで、「腹黒い人」というのは、実は「評価」の方の種類であって、「事実」の方の種類ではないのです。(ここまで引用)


ここで出てくる評価というもの、意外にこれを鵜呑みにして物事が決定されてしまうことが少なくありません。


とくにトップやリーダーが下す評価、あるいは自分の意見を強くいう人の評価は、事実以上に反映されることがあります。


他人の評価はあくまで評価であって、私(自分)が確かめた事実ではないということですし、時には自分で下した評価で判断してしまうケースもあります。


以上、これまで書いてきましたように、「印象」「仮定」「仮説」「空想」「夢想」「想像」「評価」などは、すべてが確定的でない要素です。


ただ、それらは全て人間の脳の働きとしては欠かせないものですから、それらを頭から否定するわけではありません。


そういうものが必要になる場面もありますし、時には重要なポイントとして意識して良いこともあります。


ただ、確定事実(法則・可能性)とは切り離して、必ず区別して判断、そして意思決定に至るようにするべきと言っているのです。


とくに確定的でない要素は、気分を不安定にすることが往々にしてあります。振り回されてしまう、といった感じでしょうか。


そういったものが強く気持ちや意識の中にあると、脳力発揮にはマイナスになってしまうのです。


つまり心の安定を保ち、正しく明瞭に脳力を使っていくには、確定要素とくに事実の積み重ねが不可欠だということになります。


昨今の新型コロナウイルス感染についても、事実情報をたくさん確実に集め、くれぐれも確定的でない要素に振り回されないようにしたいものです。
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連載・『脳力開発と私』こぼれ話(74)

新型コロナウイルス感染を巡る動きは、いい意味でも悪い意味でも脳力開発のケーススタディになっています。


冷静な目、客観的な視線で見ていると、片面思考が主体になっていることが気懸かりです。


右とか左とか与党とか野党とか、そういう見方ではない確定的事実をしっかり追って判断するという思考に欠けています。


自分(たち)の目指したい方向の情報・データだけを集めて、そこから判断していくという片面思考ではよい結果を招かないでしょう。


あるいは専門家と言われる人たちもまた、自分の専門という視点からだけ物事を見ているのではないかと。

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それがそういう方々の役割なのだと言ってしまえばそれまでですが、ならば、それとは異なった視点の役割の人がいなければ片手落ちになります。


しかも、さらに問題なのはその判断の中に「仮定」が混じってきてしまうことです。


この仮定というのは、前回も書きましたように「確定的でない要素」の一つ、あるいは最たるものと言ってもよいものです。


もちろん、仮定あるいは仮説を立ててそこからアプローチしていく方法は科学的な思考法ではあります。


あとから具体的な事実と照合して確認していくという方法は、様々なジャンルで応用され成果も上げています。


しかし仮定の段階では確定的要素ではない、このことはしっかりと分かっていなければなりません。


あるいは過去の振り返りの中で、「もしあの時こうしておけば」とか「自分にもしもっと時間があったなら」とかいう仮定は、これはグチにしかならないでしょう。


百害あって一利なし、言ってみれば時間のムダです。


さらにそこに「空想」や「夢想」が加わってくると、もう手に負えません。現実との境目がつかなくなってしまっているのですから、何をかいわんやです。


さらにそれが嵩じて、思い込みとか決め込みの段階に入ってしまう人がいます。そういう意見は聴く価値もないものです。


昨今の為政者や識者の意見もまた、そういうところがないのか、よく聞き耳を立ててじっくりと判断していきたいものです。


何しろ、勘違いしていましたでは済まされませんからね。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(73)

確定的でない要素の話をしたいと思います。


つまり人間の脳に伝えられる様々な情報には、「確定的要素」と「確定的でない要素」の2種類があるということです。


確定的要素は次の3つです。
 ・確定事実  ・確定的法則  ・確定的可能性202003


確定事実は問題ありませんね。正確に言えば、自分の目で耳で、あるいは肌などで得ることのできた事実情報(甲情報)です。


自分の信頼する人(仲間、部下、先生など)からの事実情報(乙情報)も確定事実に入れていいでしょう。しかしマスコミ情報などは、慎重な取り扱いが必要です。


確定的法則は、こうなれば絶対に(100%)このようになるという科学的法則、自然法則などを指します。


さらに確定的可能性も、法則までは至っていないがやはり100%そうなるということを指します。ある毒キノコを食べれば食中毒に罹る、といった可能性です。


それ以外のものが確定的でない要素ということになります。どんなものがあるでしょうか。


ザッと上げてみれば、憶測、推測、印象、仮定、思い込み、空想、夢想、未確認情報、評価など。


伝聞情報なども大多数は確定的でない要素に入りますが、上記の乙情報のように確定事実に入れてよいものもあります。


ただし、例えば昨今の新型コロナウイルス感染騒動の中での専門家情報などは、やはり甲乙ではない情報(丙情報)として扱うのが無難です。


こういった確定的でない要素に基づいてしまうと、判断や実際行動がよい結果になりません。気分状態もきっとマイナスになることでしょう。


憶測あるいは推測は、確定的でない要素の典型と呼ばれるものです。身勝手な想定や推論で話を組み立てるもので、気分や感情がベースになることが多いのです。


ですから当然のように客観的ではありませんし、科学的な根拠も乏しいわけで、実際とは食い違うことも多いのです。しかし、この情報は世の中には溢れているというのが実際です。


それは、今回の新型コロナウイルス感染騒動を見ていても分かる通りです。とくに事実と混線してしまうので要注意です。


次に印象、こちらも気分や感情といった感覚的な受け止めをそのまま膨らませることで生まれます。よく第一印象とかいいますが、第一印象事態は悪いものではありません。


その印象を、判断なり意思決定に使ってしまう習慣が付いてしまっていることが問題です。


客観的に思考を整理して、つまり印象部分は外してみて初めて正しい認識につながり、的確な判断につながっていくのです。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(72)

新型コロナウイルス感染による混乱、不安がさらに拡がりつつあります。


これは確定的要素の情報が少なすぎることによるものだと思っています。


確かに政府発表からも、マスコミからも様々な情報が日々流れてきますが、事実情報以外のものがどこまで信じられるのかという不信が混乱や、不安を増幅させています。


本来なら政府発表が信頼できる確定的要素として理解されて良いのですが、一連の流れを見ていると、また朝令暮改的な要請の連発で、今ひとつ信頼できないということになっているようです。


そこにデマ(とくにSNS上のデマ・フェイク情報)が拍車を掛けています。


デマも最初の内は「そんなバカなことがあるか」と信じない人が多数派です。しかし徐々に拡散されてくると、もしかしたらという気持ちが強くなります。それがSNSの怖さでもあります。


やがてその情報を信じた人が、例えばトイレットペーパーなどの買いだめに走り出します(写真は1973年オイルショック時のもの)。Photo_20200302120101


それを視認した人たちが、半信半疑ながら同様の行動に走り出します。噂が噂を呼んで、さらに広がっていくことは明らかです。


その内に、デマを信じていなかった人たちにも、(信じた人たちが)買いだめに走ると物がなくなるという推測が生まれてきます。


こうなると冷静に考える前に「手と口と足」が動いてしまいます。自分もまた急がなければという気分になって、買いだめ行動に走ります。


結果としてあっという間に店頭から物が消えていくことになります。その様子が放映され、SNSにアップされるとさらに火が点くわけです。


本来の行動としては「確定的要素」に基づくものであってほしいわけですが、心理的に揺れ動くと例えそれが結果的に間違った行動でも、自らはそれを正当化します。


物が戻ってきて落ち着いてしまえば、アレは何だったんだろうと言うことになるのでしょうが、その為には今ひとつの確定的要素が必要です。


すなわち、この「新型コロナウイルス感染」騒動がいつになったら収まってくるかという要素(情報)です。


今現在はそういう確定的要素がほとんどないので、しばらくは混乱が続くのだと覚悟しておきましょう。


では、次回は「確定的でない要素」について検討していくことにします。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(71)

次の脳力開発指針テーマは、『確定的要素から出発して考える習慣をつくろう』です。


新型コロナウィルス・COVID-19の感染についてのニュースが、毎日毎時のようにTVやネットから流れてきます。


その中には確かに事実であるという情報がありますが、それが大半なのかというとそうではないのではないかと思っています。


つまりテーマにあるように確定的要素としてとらえてもいい情報は、実はホンの一握りではないかと。


流れてくる様々な情報を集めて、全てに共通する事項については「確定的要素」と推定されるくらいの感覚ではないでしょうか。
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例えば色々な国々が伝えている情報がほぼ共通していれば、確定的要素として自分の考えの中に取り入れていく。


今問題になっているのが新型コロナウィルスであり、「COVID-19」とWHOが名付けた、これは間違いのない事実です。


最初に感染が認められたのは中国の武漢である、じつはこれは事実であるのかどうか?マークをつけた方が良いかもしれません。


武漢で大感染が起こり、その数が日増しに増えていき死者が出て、ついに武漢市が閉鎖状態となった。これは事実情報です。


といったように、一つ一つをキチッととらえていかないと判断・意思決定を誤ることが出てくる恐れがあります。


つまりマスコミ情報や、とくにネットに流れている情報は十分に注意してみていないと、思わぬ間違いにつながるということです。


「確定的要素」と「確定的でない要素」とをしっかりと区別し、可能な限り確定的要素から出発して考えることが大切です。


もちろん、今は確定的でない要素であっても、さらに情報を集めて調べていけば、確定的になる可能性はあります。


とくに情緒的に流れてしまったり、目の前にはまだ起こっていないのに、もう起こっているような錯誤をしてしまうことは危険です。


その意味では、今回の新型コロナウィルス・COVID-19感染騒動は、私たちの判断力や対応力を試されているようにも思えます。


いずれにしても、できるだけ確定的要素を多く集めて、正しい判断、的確な意思決定をしていきましょう。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(70)

立場と立場の対立、その中でも最も基本的根本的な対立は、現状打破の立場と現状維持の立場とのぶつかり合いです。


現状打破とはいうまでもなく「今この状況を変えていこうとする立場」です。


他方の現状維持は、「現状をこのまま変えないでいこうとする立場」です。


この2つの立場は決して相容れるものではなく、今後の意思決定や行動を決定づける根本的な対立であり、衝突です。

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会社の会議などではこの場面がよく見られます。ただ見た目には単純に2つに割りきれるものではありません。


言葉のやりとりや意見のすれ違いは、一軒複雑そうに見えます。ですが、じっくり聞いているとこの2つのぶつかり合いであることが分かります。


そこでまずはこれを交通整理してみることが大切です。つまり立場の振り分けを行うことが大事です。


双方に共通していることは、どちらも「何かを守ろうとし、それに対立しているもう一方をたたこうとしていること」です。


となると、その何かを具体的にして中心点を明確にするところから始めなければなりません。


つまり、具体的な希望と行動の方向あるいは内容を明らかにします。これが「立場の整理」ということです。


いくつかの意見が出ていても、どの意見はどの立場から出されている意見なのかを、冷静に検討して整理してみます。


冒頭の例では、どれが現状打破の立場の意見であり希望なのか、どれが現状維持の立場から出されているものなのかを振り分けです。


この時に大切なことは、自分の立場もちゃんと明らかにしておくことです(自己の点検)


自分もまたある立場で考えて行動するわけですから、それが明確でないと強い発言に流されてしまう恐れがあります。


あるいは偏った目を持って、無意識の内に流されてしまうことになりかねませんから。例えば人の好き嫌いといったことは捨てておくべきです。


あるいは利害関係だとか、自分の仕事との関わりとかが強すぎると客観的な把握の邪魔をしますので、自分自身の立場の点検も不可欠だと言うことになるのです。


こういったことを日常的に習慣づけておくことが重要だと、脳力開発・情勢判断学では教えています。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(69)

さて「立場」ですが、脳力開発では立場の中身を「希望(あるいは利益)」という言葉で要約して表します。


すなわち、「こうしたい」「こんなことをやりたい」という行動の内容が、その人の立場を表しているということです。


見方を変えると、希望ということがある立場のことを示している、とも言いかえられます。


店頭で接客に当たる社員に「お客様の立場にたって」というのは、お客様という相手の具体的な希望あるいは利益を考えて行動せよ、ということになるのです。Photo3_20200220215601


私はここに、さらに「役割」という言葉も付け加えてお話をしています。


会社の中では、社長を筆頭に末端の社員やパートの社員まで、それぞれが役割を持って働いています。


ですから社長という役割には社長としての希望があり、それによって考え行動しています。部長には、課長にはと、役割と希望が少しずつ異なり、その行動も違ってきます。


立場・役割によって、希望や利益が異なる。それはとりもなおさず、立場によって価値の内容(質や量)が異なるということです。


よって次のように言い表すことができるでしょう。
 *立場・役割によって、主張や意見が異なる
 *立場・役割によって、評価(ものの良し悪し)が異なる
 *立場・役割によって、進む方向やルールが異なる
一括していえば、立場・役割によって戦略が異なるということです。このことを頭に置いておかねばなりません。


そうなるとどういうことが起こるでしょうか、当然のことですが、立場・役割のぶつかり合い(衝突)が起こるでしょう。


そこで衝突が起こった時には、逆にそのぶつかり合いの内容から、どういう立場・役割どうしがぶつかり合っているのかをつかむのです。


大概の場合は、お互いの中心点(重要点)どうしが衝突していますので、その中心希望と方向(戦略)を明らかにするのです。


中心点をつかめば、解決への道筋も見えてくるものです。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(68)

前回まで両面思考ということについて述べてきましたが、さらに一歩進めて多角度思考ということを考えてみましょう。


あなたもこういうことを言われたことがないでしょう、「頼むからオレの立場にもなってくれよ」と。


あるいは仕事をしている時に、「経営者の立場になって考えてみてほしい」という言葉に腕組みしたことはありませんか。


自分自身を見ても、会社の中では一人の社員であり、例えば課長とか係長という肩書きを持っていたりしますね。

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家に帰るとどうでしょうか、奥さんがおられれば夫という立場であり、子供さんがいれば父親という立場が加わります。


近所ではどうでしょうか、地域社会の一員であり、もしかしたら町内会やPTAでも役割を担われているかも知れませんね。


普段はそういうことを余り意識していないでしょう、この時はどういう立場で接するかなどと改めて考えないと思います。


立場という言葉は余りに当たり前のことであって、それがどうしたということかも。


でも例えば重要な場面で、「私(の立場)としましては」とか「個人的には」と断りの言葉を挟んで発言していませんか。


小さい頃に「あなたももうお兄ちゃんなんだから(小さい子をいじめてはダメですよ)」と言われて、戸惑いませんでしたでしょうか。


この『立場』という言葉を、当たり前の決まり文句として捉えないで、具体的な思考の元になる言葉として捉えてみませんか。


考え方の整理をするためには、実は立場ということがとっても重要な要素になっているのです。


しかも立場というものは、それだけが単独に存在しているわけではありません。夫という立場は妻が対極にいるからですし、一つだけ切り離しても意味がないのです。


脳力開発では、立場というのは「複数の要素の間の相互関係」を整理して考えることが大切だと言っています。


これが分かっていると一方から考えて答を出すのではなく、関連するいくつかの立場からのアプローチをして考え行動するという、土台習慣ができるのです。


そうでないと、一方からだけ考えて行動してしまい、周りとぶつかってしまう、対立してしまうということになりかねませんから。


商売でも売り手の立場だけでなく、買い手(お客様)の立場からも考えないといけないと言われるでしょう。さらにそこを掘り下げていきましょう。

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