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2020年10月27日 (火)

『私とMGと経営』こぼれ話(32)

MG100期に到達までは、最初のMG(1987年9月)から1年と3ヶ月半くらいでした。


さらに200期に到達が1990年の3月ですから1年と2ヶ月、ちょっとペースが上がりました。


この間はいろんなところへ出かけて行きました。


会社が認めてくれていたとはいえ、全部が経費で認められるわけではありませんでした。


販社に出向以後はまた後に触れますが、参加費のだいたい半分くらいは自己負担で参加していました。


当時は課長職(経営管理室長)でしたが、正直言いましてそれほど高い給料でもなく。


子供の教育費にも、また新築の家のローン支払などもあり、小遣いはそんなに多くはありません。


旅費については出張に合わせて参加できるMGを探して出かけていましたが、


当然ながら参加費の他に宿泊費なども、自己負担でやらなければならないことがありました。


可能な場合は夜行列車や夜行バスなどを使い、食費も可能な限り節約して家計に負担をかけない工夫はしていました。


こうして出かけたところは、神戸や姫路、下関の他に名古屋、佐世保、東京、徳島、高松、新潟(十日町)など各地に亘り、


200期を過ぎてからのことですが、西先生から「全国銘柄」と呼んでいただけるようになりました。


その頃にはMGのゲームの方も強くなり、というかその頃が一番「怖いもの知らず」だったのでしょう、


出るMGごとに表彰状がいただけるようになり、その内の2、3回に1回は最優秀でした。


またこれだけは負けられないということで、決算順位はほぼほぼトップだったように思います。

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その間、会社内の部署別MG研修は継続されることになり、インストもようやく板に付いてきました。


分からないことに気が付くと、MGジュニアに参加して西先生や先輩シーガルから話が聞けました。


そして大きなエポックが実現することになりました、西先生を招いての社内MG研修の開催でした。


1989年11月22-23日、本社、支店営業所の部課長クラスの主力メンバーを集めて5卓のMGになりました。

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