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磐越西線の旅路

新潟県は何地方か?


学生時代、地理の授業では中部地方と習いましたが、実際に新潟に住んでいるとちょっと違和感を感じます。


ニュースなどでも呼ばれ方はまちまちで、通常は北陸地方ということで一括されています。


それでも関東甲信越と括られることも多く、気象面では東北南部に含まれているような感じもあります。


ちなみに電気は東北電力で、ガスは北陸ガス、前者については50HZが主体ですが60HZの地域もあります。


それはそれとして東北南部というくくりで見ると、東北を東西に結ぶ鉄道の南端が磐越線です。


磐越線とは、磐城の国と越後国を結ぶということですが、鉄道建設の頃には岩越線とも呼ばれていたようです。


途中の郡山駅(福島県)で分割され、東は磐越東線で西が磐越西線であり相互直通列車はありません。


こちらも会津若松・喜多方で東西に分かれ、郡山ー会津若松ー喜多方は電化されていますが、喜多方ー新津は非電化。

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現在はSLの「ばんえつ物語」号が走る路線として知られていますが、新潟寄りには優等列車の設定はありません。


僅かに快速「あがの」が走っていますが、普通列車と同じ一般気動車による運転です。


かつては上野からの直通急行「いいで」が58系気動車・グリーン車込みで走っていたのを記憶しています。


「あがの」も急行で、仙台ー新潟間の運転で米坂線経由の「あさひ」(後に「べにばな」)と競っていました。


現在は高速バスが新潟から、会津若松や仙台方面との往復では主流になっています。


新潟(新津)側では新型の電気式気動車GV-E400が登場し、


かつてはDD51牽引客車列車がのんびり走った県境の峠越えも、スイスイと走り抜いて隔世の感があります。
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新潟駅に直通する列車も多く、新津を過ぎると阿賀野川に沿って県境に向かいます。


今はちょうど紅葉の季節、水面に映る紅葉そして峡谷美が旅路の心を和ませてくれます。


そして冬景色もこたえられない魅力がありますし、新潟県内では朝日連山の雪景色、


会津に近づくと磐梯山がその偉容を表してきます。早く佳い旅をしたいですね。

B/Sが読めますか(8)

前回(先週)、コラムの最後の方でよい税理士さん(税理士事務所)を選ぼうと書きました。


「よい税理士」さんというといささか曖昧なので、具体的な条件を記しておきましょう。


ただしあくまで私の主観・私感で、いささか思い込みもあるかも知れませんので念のため(悪しからず)。


その前にまず、経営者の方に知っておいてほしいのは、税理士さんの主たる仕事は「税務会計」だということです。


これが何かというと、平たくいってしまえば(企業が)税金を正しく払うための会計事務をしていただくということです。


そして税務会計と、経営者が知りたい会計情報の間には差異、あるいはスキマがあるということです。


ですから、税理士さんはあなたの会社の「経営アドバイザー」や「コンサルタント」ではありません。


だから「経営コンサルタントの私にお任せを」ナンテことは申しませんよ。


言いたいことは、経営も分かる、経営についてもアドバイスしていただける税理士さんにお願いすることです。


どうやったら税金を払わんでも済むかだけに血道を上げてくれる方には、大事な会社の命運を任せないように。


とまぁそのくらいにしておいて、肝心の話をしなければなりませんね。

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売掛金ですが、売上債権にはもう一つ「受取手形」という科目があります。


その殆どは約束手形(為替手形もありますが使い方は現在はほぼ同じ)ですが、手形取引の多い会社は、


しっかり管理しないと手痛い目に遭いますし、とくに裏書きで支払にも使っている場合には最大のご注意を。


約束手形は、記入してある期日に額面金額を「現金で支払います」という約束を記した紙ですが、


文字通りの紙切れになってしまうリスクを常に伴っている、ということを忘れないでほしいのです。


営業マンの中には、取引先から手形をいただいてきて「集金が完了」したと思っているとしたら大間違い。


売掛金という科目が受取手形という別科目にスライドしただけで、売上債権のくくりから抜け出てはいないのですから。


故・一倉定先生は、「手形は切るな、手形はもらうな」と口を酸っぱくして言われていました。


手形を切るなということについては、またいずれ触れることになるはずです。


とにかく、キャッシュフローすなわち資金繰りについてリスクになる要素は、極力なくしていきましょう。


では次回からは、もう一つキャッシュフローに強い影響を与える「在庫」について触れていきます。

『私とMGと経営』こぼれ話(32)

MG100期に到達までは、最初のMG(1987年9月)から1年と3ヶ月半くらいでした。


さらに200期に到達が1990年の3月ですから1年と2ヶ月、ちょっとペースが上がりました。


この間はいろんなところへ出かけて行きました。


会社が認めてくれていたとはいえ、全部が経費で認められるわけではありませんでした。


販社に出向以後はまた後に触れますが、参加費のだいたい半分くらいは自己負担で参加していました。


当時は課長職(経営管理室長)でしたが、正直言いましてそれほど高い給料でもなく。


子供の教育費にも、また新築の家のローン支払などもあり、小遣いはそんなに多くはありません。


旅費については出張に合わせて参加できるMGを探して出かけていましたが、


当然ながら参加費の他に宿泊費なども、自己負担でやらなければならないことがありました。


可能な場合は夜行列車や夜行バスなどを使い、食費も可能な限り節約して家計に負担をかけない工夫はしていました。


こうして出かけたところは、神戸や姫路、下関の他に名古屋、佐世保、東京、徳島、高松、新潟(十日町)など各地に亘り、


200期を過ぎてからのことですが、西先生から「全国銘柄」と呼んでいただけるようになりました。


その頃にはMGのゲームの方も強くなり、というかその頃が一番「怖いもの知らず」だったのでしょう、


出るMGごとに表彰状がいただけるようになり、その内の2、3回に1回は最優秀でした。


またこれだけは負けられないということで、決算順位はほぼほぼトップだったように思います。

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その間、会社内の部署別MG研修は継続されることになり、インストもようやく板に付いてきました。


分からないことに気が付くと、MGジュニアに参加して西先生や先輩シーガルから話が聞けました。


そして大きなエポックが実現することになりました、西先生を招いての社内MG研修の開催でした。


1989年11月22-23日、本社、支店営業所の部課長クラスの主力メンバーを集めて5卓のMGになりました。

北の大地から鉄路が消えていく

また一つ、北の大地から鉄路が消える。


JR北海道の日高本線の、およそ8割の当たる区間の廃止が地元の合意を得てきまった。


日高本線は、室蘭本線の苫小牧駅(実際には苫小牧貨物駅)から様似駅を結ぶ146.5kmの長いローカル線。


2016年の豪雨水害で大きな被害を受けた区間を含む、鵡川駅から様似駅までの110km余りの廃止が決まったのだ。


日高本線は、かつては富内線(鵡川駅ー日高町駅)という支線を持っていたので「本線」となっている。

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しかし実際には線路規格も低く、1986年に急行「えりも」が廃止されてからは普通列車しか走らないローカル線だ。


私は1971年に初めて北海道を訪れた際に、急行「えりも」で様似まで乗り、バスで襟裳岬に向かった。


沿線には牧場も多く、とくに競馬で活躍するサラブレッドの牧場があちこちにあった。


ずっと海岸沿いを走るので景色も佳く、3両編成の急行列車は夏休みもあって満員だった。


当時流行していたいわゆる「カニ族」が、均一周遊券を持って乗っていたはずだ。私もその中の一人だった。


当時はまだ貨物列車も走っていた(C11形牽引)が、80年代前半にはそれもなくなった。


様似駅からは北に向かい、広尾駅で広尾線につないで帯広までがつながると、より観光利用も増えたように思うのだが。


JR化の前に広尾線はあえなく廃止されてしまい、それも叶わぬ夢になってしまった。


走れば走るだけ赤字を垂れ流す状態が続き、災害復旧にも多額補費用が掛かるので来春の大部分廃止に至った。


来春とは言え、それまでに列車が走ることはないだろうし、もちろん「さよなら運転」イベントもない。
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北海道で「本線」が消えるのは、JR化前の名寄本線に次いで2つ目(もしかしたら路線名は残る?)。


次には留萌本線の廃止が取り沙汰されていて、こちらも楽観は許されないようだ。


70年代に比べれば北海道の鉄路はすでに4割が消え、もうすぐ半分になってしまうことになる。


鉄道ファンとしてはたまらない思いだが、コレが時代の流れというものなのだろうかね。

B/Sが読めますか(7)

強い意気込みを持って、大きな夢を持って起業される方が増えています。


年齢の若い人も少なくありませんが、企業でキャリアを積んで早期退職して創業される方も目立ちます。

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また昨今は、大企業などで副業を認めるところも増えてきているせいか、週末起業などの例も見られるようです。


たいていは手持ちの資金が元手ですから、比較的少ない資本でスタートされますが意外に初期投資って多いものです。


とくに製造や物販の仕事となると、仕入や設備関係の費用が先行しますので、キャッシュフローがキツくなってきます。


永年経営をしている経営者には至極当たり前のことですが、創業・起業される方は前のめりになっておられるせいか、


この当たり前のことにはとんと疎いようなので、あえて今日の解説の前に書いておきました。


さて前回の続きで、当座比率=当座資産/流動負債 ということについてです。


当座資産は、現預金とすぐに現金化されるもの(資産)ですが、「間違いなく」現金化されるとは限りません。


何度も書いてきましたように不良化した売掛金は、現金化するためには大変な努力を必要とします。


私も初めて経営者になった時に、任された会社には少なくない額の不良売掛金がありました。


長いものでは、もう7~8年前から残高として残ったままの売掛金がありました。


その会社では決算月(6月末)の2ヶ月前の残高を元に、お得意先に「残高証明確認書」をお送りしていました。


その返信が戻って来るのを待って合わせていくわけですが、差異の理由がハッキリしているものはすぐに処理します。


ところが理由にハッキリしないまま残ってしまうもの、そもそも返信のないのに差異があるものなどがそのままに放置されてしまい、年が経ると合わせることが不可能になります。


理由が明瞭でも先方の一方的な言い分であることもあり、これは営業(交渉)力がないと解決に至りません。


そういったことによる「膿」が溜まり溜まった金額が数100万円、BSの左側の、本来健全であるはずの当座資産の中に埋もれていました。


これを処理するには、右側の科目のどれかと相殺しなければならないのですが、それは純資産科目です。


端的には「利益」をマイナスしての償却、ですから処理しても利益(経常利益)が残るようでないとなかなかやれません。


創業・起業された方は、次第に増えていく売掛金をしっかり見詰めながら、確実に回収(集金)することに注力して下さい。


回収遅れ、あるいは「必ず100%回収」原則が崩れると、不良化予備軍がジワジワ増えていくことになりかねません。


あるいは手形(約束手形や先日付小切手など)をもらって、これで集金完了と言っていては経営者失格です。


そういう基本的なことを殆ど知らないままに経営していくことは大変危険です。


決算書が読めない、BSなんて全く分からない、そんな経営者になりませんように。


自分がもしダメだったら、有能な経理マンあるいは経営の分かる税理士さんにしっかり報酬を払って、自分の傍らにいてもらいましょう。

これからは週3~4回のペースで

ほぼ毎日のように(一時中断はありましたが)書き連ねてきたブログ、今日が2743回目です。


10年近くは続いているということになりますが、最近はYouTubeへの動画公開などが増えてきて、
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その編集作業に追われたりするために、書いている時間がなかなか取れなくなってきました。


そんなわけでライフサイクルも見直していこうということで、少しペースダウンをします。


引き続きブログは続けていきますが、週に3回ないし4回くらいのペースで書いていきます。


テーマについては、
 1)『私とMGと経営』こぼれ話。。。火曜日
 2) 小さな会社のマネジメント。。。木曜日
 3) その他のテーマ(旅鉄のこと、歴史のこと、セミナーのことなど)。。。土曜日や日曜日
といった感じになるでしょう。


これからも引き続き、お読みいただければ幸いです、ありがとうございます。

『私とMGと経営』こぼれ話(31)

1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分 昭和天皇崩御、この日が「昭和」最後の日となりました。


昭和天皇(1月31日に追号)、神代の時代を除けば歴代の天皇でもっともご長寿で したね。


私は前日からの長い列車旅を終えて、その日の午後札幌駅のホームに降り立ちました。


土曜日でしたが、正月明けの販売小会社に顔を出して新年の挨拶を済ませました、「おめでとう」は封印でしたが。Photo2_20201019140701


当時(竹下内閣)の小渕内閣官房長官(平成おじさん)から、「新しい元号は、『平成』であります。 」と発表された様子は記憶されている方も多いことでしょう。


その平成最初の日、1月8日は日曜日で、この日に札幌市内でワンデーMGセミナーが開催されたのです。



その第1期目が私にとって記念すべき「100期」目であったのです。


その時のインストラクターは、クリエイティブ・マネージメントの野崎(晴行)さんでした。


第1回目の兵庫MG会・神戸MGから数えて477日目、1年と3ヶ月半といったところでした。


最近は1年も経たない内に100期を達成される方も珍しくないですが、


当時は西研MGを開催されているところも今のように多くはなく、情報も少ない中なので早いほうだったでしょう。


しかも私にとっては、101期目(当日の第2期)は「青チップの解禁」日でもありました。


大倒産のあとで「100期まで青チップを使わない」という誓いが、満了する時でもあったわけです。


もっとも、その日はついに青チップは使わずに終わり、その次のMGに持ち越しました。


100期達成のお祝いも、天皇崩御の翌日でしたから、札幌市内の居酒屋でホンのささやかに身内メンバーだけでした。


ところで、札幌へは「100期達成」の為にやってきたのではなく、あくまで本業の仕事の為でした、念のため。

素敵な来春に向かって

10月も後半にさしかかり、秋らしいを通り越して初冬の冷え込みになったところもあるようです。


新潟市街地でも、朝の気温が10度を割り込み始めてそろそろ暖房が恋しい季節です。


先週はテストを兼ねて我が家も床暖房を点けてみましたが、とっても温かくてホッコリしますね。


日中も20度を超える日が少なくなってきて、高い山は初冠雪、紅葉も次第に里に向かってきています。

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今年の冬はエルニーニョ現象が現れているらしく、寒くなるという長期予報が出ています。


確か3年前だったでしょうか、豪雪に見舞われて新潟市内もマヒ状態(写真)になりましたが、あの時も確かエルニーニョ現象の年。


さて明日10月20日は、5年前に亡くなった母の誕生日、もし生きていたら今日で98歳になるところです。


最後は特養と病院の往復生活でしたから、この新型コロナ騒動で厳しい状況になっていたかも知れませんね。


そういう環境条件におかれているご家族も少なくないようですが、何か良い方法はないのかなと思ってしまいます。


いやいや、私自身もそろっと古稀が近くなってくる年波ですので、健康には気を付けなければなりません。


幸いコロナ禍を避けた「やわやわライフ」を徹底してきて、体重も減り血圧や血糖値も下がってきています。


このまましっかりと健康管理をと思い、最近はラジオ体操(テレビ体操)をするように心がけています。


先週15日に結婚記念日を迎えましたが今年で44回目、これも妻のおかげですね、感謝しています。


金婚式まではあと6年、その時には私が74歳で妻は73歳、お互い心も体で健康で迎えたいものです。


来週にはインフルエンザの予防接種も予約していますので、これでダブル感染の季節に備えます。


皆さんもご健勝で秋を楽しみ、寒い冬も乗り越えて素敵な来年の春を迎えましょう。

時代の変化も道半ば

2月のMGF(MGフェスティバル)から戻って以来、やわやわライフが続いています。


当初は楽観的に考えていましたので、数ヶ月で世の中は元に戻るだろうと考えていました。


それは1ヶ月も経たない内に自分の中でも修正を余儀なくされ、ついに大きな決断を下す必要を感じました。


全国的な緊急事態宣言の出される頃には、「今年の活動は全面的に見直し」だと決意することにしました。


一縷の望みを持ちながらということも、GWを過ぎる時期になると断ち切るべきと判断をしました。


予定していたセミナー遠征はもちろん、主催・共催で開催を予定していたセミナーも年内の一切をキャンセル、


正直に書けばまさに断腸の思いでしたが、終息はおろか収束までにも長い時間がかかると判断したからです。


後悔はしていません、自分自身で確信して意思決定したわけですから。


そして「やれない」ことを嘆くのではなく、「やれる」ことを探してやっていこうと、ここは誰でも思いつきます。


まずはオンラインで可能なこと、思いつくままにマンダラノートに書き入れ、やれることから行動開始です。


思いついたことの2/3くらいは徐々に始めていくことができ、オフラインにない効果が上がったこともあります。


ZOOMやYouTubeの活用、とくに後者はこれまで余り使わないままに放っていたのを利活用する機会になりました。


どちらもまだまだ初心者レベルの活用ですが、他の方がやっておられるのを真似しながら活用範囲を拡げます。


その内に、この夏くらいから少しずつMGセミナーの復活開催が各地で始めリました。


コロナ禍での制限付き、十分に対応策を講じながらですが、開催に踏み切られたことには頭が下がります。


焦る気持ちがなかったかといわれると否定はしません、しかし年内は一切動かないと決めましたから。
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それにまだ薄氷を踏む状況であること、とくにローカル地域では慎重の上に慎重さが求められます。


主催されている皆さん、参加されている皆さん、十二分にリスク管理をお願いします。


もしもセミナーに集った仲間から感染者が出てしまったら、その方と周辺はもちろん波及の拡がりは非常に大きいのです。


「1年くらい辛抱できるでしょう」と言われます。そうですね、それができなくて何ができるのでしょう。


私は私のペースでできることを行い、新たにやれることを少しずつ模索していきます。


時代は変わっています、さらに変わっていくのだと思いますから。


まだまだ変化の道半ばです。

『私とMGと経営』こぼれ話(30)

タイトルが『私とMGと経営』こぼれ話となっていますが、経営の話がとんと出てきませんね。


すみません、まだしばらくは一介の社員時代の話が続いていきますので、致し方がないのです。


MGを学ぶことによって、ゲームの中で(擬似的に)経営者になってみて初めて、その大変さを感じました。


経営は「絶え間ない意思決定」であると本の中に書いてあったことが、ゲームではあれ実感して感じることはできました。


しかし一方では、「経営者感覚や意識を持て」と言われることに違和感を感じ始めてもいました。


当時はまだ単なる天邪鬼社員としての感覚でしたが、経営を学べば学ぶほどにその思いが強くなっていきました。


確かに一般の社員でも、ましてや幹部社員なら経営者感覚や意識を持つことは必要なのかも知れません。

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現場においては、経営者に代わって判断し意思決定をした上に、責任もとらなければなりませんから。


しかし、あくまで経営者と「同じような」感覚や意識は持てても、ズバリ経営者とイコールはムリです。


なぜなら責任の取り方が全く違うのですから、つまり立場が違うわけですから「同じ」にはなりません。


このことは、脳力開発を学び進めていく中で確信になっていきました。


ならば、自分の役割としての経営者感覚や意識という範囲(ドメイン)でなら可能であり、役割を果たすことが大切だと。


そのように感じた中でMG100期が徐々に近づいて来て、ちょうど99期をもって1988年が終わりました。


明けて1989年、どんな年であるかは分かる人には分かりますね。


昭和天皇が病に臥せられ、余り盛り上がらないままの年末から正月明け、昭和という時代の終焉でした。


まさにその昭和が終わる1日前の1月6日、私は大阪から函館行きの寝台特急「日本海」に揺られていました。


目指すは北海道、暦が変わって列車が青函トンネルを抜けているさなかに昭和天皇崩御のニュースを知りました。


ラジオを聞いていた隣の寝台の方が起き出してきて、トンネルの車窓を眺めていた私に声をかけてくれました。


昭和が終わった実感は余りありませんでした。やがて雪に覆われた北の大地が、ほの暗い中で目に入ってきました。


函館で特急に乗り換え、札幌駅に着いた時に「そうか、昭和が終わったんだ」という思いが襲ってきました。

B/Sが読めますか(6)

前回は流動資産を取り上げ、その中の売掛金について少し詳しく述べてみました。


この売掛金を含め、容易に現金化できる(はずの)ものを当座資産と言います。


あらためてピックアップしますと、当座資産とは現金・預金、受取手形、売掛金、一時所有の有価証券など、
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要するに現金(プラス預金)そのものと、短期間に現金化できる資産のことを指しています。



ただし売掛金のところで言いましたように、すぐに現金化が可能かどうかということには?マークが付きます。


前回例に上げました焦げ付いた売掛金(不良売掛金)は、相当の努力をやらないと回収(集金)不能でしょう。


もちろん相手方(売掛先)が倒産や廃業してしまっていては、回収はほぼ不可能だと言えます。


そんな売掛金残高をいくら抱えていても、「飯の種」にはなり得ません。


受取手形も同様で、倒産会社や廃業先の不渡り手形は単なる紙切れですが、そのままでは立派な当座資産です。


一時所有の有価証券は証券市場で売れますが、取得価額を下回っては損失を招きます。


持ち合いの株式などは原則として売ることができませんから、当座資産からは外しておかねばなりません。



なお、不良化した売掛金や不渡り手形などは、利益との相殺で資産から除外しておくのが妥当です。


しかし償却することで利益を下げるわけですから余裕がないとできませんし、赤字を抱えていては思い通りには償却することもできないでしょう。


実は私のいた会社でも、かなりの不良売掛金を抱えていましたので、それを償却するには数年かかりました。


ところで預金(定期)も会社の自由にならないことがあります、原則は禁止されている「拘束性預金」です。


借入金のための担保と見なされていることもありますから、非常の際を除いては銀行が頭を縦に振らないことも。


定期性預金を残したままで、借り増しを依頼できる銀行との良好な関係があれば問題はありませんが。


さて、当座資産を(BS右側の)流動負債で割ったものが当座比率です。


流動負債は「すぐに返さなければならない」ものですから、余力があるかどうかの指標になるのです。


当座比率が100%を下回っている企業は、すぐに資金がショートすることになると見なされますから、取引継続するには危険度が大きいとされてしまいます。


建設業などの未成工事受入金は前受金といえますが、当座資産から外して計算するように指導しています。


私は経営指標の多くは余り重視しませんが、当座比率はこまめに見るようにしています。


ただし、上記のように「不良化している」資産をキチッと除外しなければ、無意味な比率になってしまうことに注意です。

今日は鉄道の日

今日は鉄道の日です。かつては鉄道記念日と言いました。


明治5年(1872年)10月14日、新橋-横浜間に日本で最初の鉄道が開通した日です。


1922年に鉄道記念日として制定され、1994年に鉄道の日と改称されました。



なお、正確には10月14日以前に鉄道は走り出して(仮営業)おり、その時(6月12日)は新橋駅ではなく品川駅だったようです。C5719_1707


最近では各鉄道会社が「博物館」を設置していて、保存車両も増えているのは嬉しい限りです。


しかも「動態保存」されることも多く、その整備への努力には頭が下がります。


一方で静態保存されている車両が、少なからず各地で朽ち果ててしまっていることも悲しいことです。


保存車両については、最近ではネット情報で総覧することができてありがたいですが、


いざでかけてみると、悲しい状態になっていることがあり残念な気持ちになります。


ただ車両の保存は非常に難しく、また手間も費用も掛かりますのでやむを得ないなという気持ちにもなります。


これからも多くの車両が、歴史を伝える遺産として残り続けてくれることを祈って止みません。


また車両だけでなく、その他の鉄道遺産(駅や設備など)も永く遺して伝えられることを希望しています。


再びまた気楽に旅ができて、各地の遺産にたくさんである日を待ち望んでいます。

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『私とMGと経営』こぼれ話(29)

さて社内のMG研修が本格化していく中でしたが、自分自身のMG受講もコンスタントに続けていました。


7月のMGシニアの1ヶ月後に下関MGがスタートし、ここで三福水産の河村社長(故人)に初めて出会いました。


工場や事務所も見学させていただきましたが、その強烈な個性や情熱にただ圧倒されました。Photo1_20201012135601


下関MGはその後2~3ヶ月ごとに開催(インストは主に藤原さん)されますが、ほぼ毎回のようにお邪魔していました。


それがご縁で、翌年の秋に開催した社内でのフルMGに河村さんをゲストでお呼びすることになりました。


また10月には、キャッシュフローMG(CFMG)との出会いがありました。


CFMGは名古屋のマスト21(横田真さん)さんが始められたもので、CF-STRACという新たなものに出会いました。


経営管理室で仕事をしていた私は、PLとBSについてはようやく一端の知識と実体験を積み重ねていましたが、


CF(キャッシュフロー)については、殆ど分かっていないというのが現実の姿でした。


なにしろ少し以前までは、「(BSの)別途積立金はどこの銀行の積み立ててあるのか」と経理部長に尋ねたほどですから。


もちろんキャッシュフロー計算書など知るよしもなしという状況でした。


もっともCF計算書はアメリカ等では使われていたものの、当時の日本ではまだほとんど用いられていませんでした。


神戸で開催されたCFMG、その時のインストラクターは牧口さん(現在公認会計士・岐阜在住)と、


サブインストが牧野さん(現在伊賀市在住で伊賀MGなどをやられています)でした。


その時にはまだCF計算書(現在の第6表)はありませんでしたが、第1表と5表はCFMG専用の用紙でした。


つまり現金項目と掛金(売掛・買掛)項目が分けられていたのです(現在は既存の表を使うため分けていません)。


また「集金」は、意思決定カードの半数(30枚)に小さなシールが貼ってあり、


そのカードを引いた時にだけ集金しても良い(売掛1件だけ)ということになっていました。


また、期首に金利と配当・納税を払うのに現金がない場合には、看板に「倒産旗」を立てることになってました(笑)。


以来何度かCFMGをやり、ここで「UZK&W」について学べたことは、後に販社に出向した際に役立ちました。


11月には藤原さんの誘いで高松MGに参加し、多くの瀬戸塾メンバーとの交流を楽しみました。


こうしていよいよ「MG100期」が目前になり、どこで達成するかをあれこれと考えていました。


昨今のようにHPやSNSもなく、MGの会場で出会った方や藤原さんからの情報がすべてでした。


そして、12月の神戸MGの際に狙いを定めて決定しました、その地は真冬1月の札幌。

野生との共存共栄

秋が一気に進むかと思うと、どうもそうはいかないようで今朝は少し暖かい朝です。


日中もそこそこに気温が上がって、夏日になるところも少なくないようです。


夏のタオルケットから冬の布団に切り替えたのが先週の初めですが、今朝は邪魔で蹴飛ばしてしまった感じです。


そんな中で各地から「クマによる人的被害」のニュースが伝えられています。

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新潟県でも毎日のように伝わってきますが、今月初めに襲われた高齢女性が亡くなったという悲しいニュースも。


クマだけでなくイノシシやサル、あるいはタヌキなどが人家に近い畑などに現れているようです。


さらには住宅地にも姿を見せているそうで、子ども達も通学時の集団登校などで気が抜けない毎日です。


原因は夏の異常気象、長雨とそれに続く猛暑でエサとなる木の実などが不作だということが伝え聞かれます。


確かに人間社会でも野菜の不作が続いて、価格が高騰するなど影響が大きかったわけですが、


野生の世界ではもっと深刻な状況が見られるのでしょうか。


里山が荒れてきているということは、しばらく前から言われてきました。


そのあたりのことも、原因の一つに数えられるのでしょうか。


人間と野生との共存共栄、その間にあるのが里山でもあるわけです。


新型コロナウイルス感染の影響とか、それによって人間の生活の変化なども関わっているのでしょうか。


私たち自身もいろいろと考え直さなければならないのでしょう。


新しい一週間の始まり、今週が平穏無事でありますように。

B/Sが読めますか(5)

本論に入る前に、ちょっと横道にそれてみます。


少し以前から、(とくに)大企業は利益の蓄積(利益剰余金)をやりすぎではないか、それに対して税金をかけよとか、


それを放出して従業員の給与や福利厚生の向上に充てよ、という主張や議論がなされています。


いわゆる内部留保を悪者扱いにして、その部分を吐き出せと言うことなのでしょう。


全面的に間違いだ、暴論だなどとは申しませんが、そもそも利益剰余金とか内部留保がなんたるかを分かっていないですね。


これらはBSの右下、すなわち純資産の中の繰越利益剰余金や別途積立金などの科目として計上されています。


ただ、それが全てBS左上の「現金・預金」ではありません。その他の資産項目となっているわけです。


全てが現預金であれば、それを従業員の給与アップに充てよということも不可能ではありません。


しかし、事業に必要不可欠な資産(とくに固定資産)に形を変えていたとしたら、それを取り崩すなどできないでしょう。


もちろん、内部留保が企業の規模やその他の面から見て過大すぎるというのは、問題があります。


なぜならそれは、もしかしたら従業員や外部協力先(仕入先、下請け先)などに労苦を強いて蓄積したのではと、感じられるところが否めないからです。


では、横道から本論に戻りましょう。


さてまずはBSの左側、その上の方にあるのが流動資産の科目です。Photo2_20201010074201


流動資産とは簡単に言いますと、現金・預金ならびに「1年以内に」現金化されるものと定義されています。


現金・預金は分かりますが、その下には売掛金から始まり、受取手形や在庫、貸付金、仮払金と言った科目がずらりと並びます。


売掛金は製品・商品を販売し、その代金がまだ回収(集金)されていないものの集積です。


いずれは集金されて現金化されるわけですが、それまでは「販売先(得意先)にお貸ししておく」金額と思って下さい。


貸したお金ですから当然返してもらう、つまり堂々と「約定に基づいて」集金してくれば良いのです。


即時現金商売でない限り、売上はまず売掛金になるだけですから、そのまま放っておくとキャッシュが窮屈になります。


いくらたくさん売り上げたと威張っていても、「集金してナンボ」だということを忘れないで下さい。


この売掛金がいつまでも残っている、いつまで経っても払って(集金させて)もらえないのが「不良売掛金」です。


あなたの会社の売掛金残高の中に、この不良売掛金(不良資産)はありませんか?

『私とMGと経営』こぼれ話(28)

親会社時代の1988年秋、本社や支店・営業所までの範囲でMG研修(ワンデー)をひと渡り終えました。


終盤にはインストラクターとしても進行がスムースになり、まとめの講義もゆとりを持ってできるようになりました。


MQ会計(当時は戦略会計・STRAC)を力を入れて講義しましたが、さてどこまで理解してもらえたでしょう。
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それでも営業・管理・開発部門を網羅して、次のステップは生産管理部門や販社にも拡げたいという思いがありました。


また、一通りワンデー3期をやっただけでは十分ではないという思いで、期末(6月)以降来期も継続を人事課の教育担当者にも伝えました。


そのくらいでやめておけば何ごともなく良かったのでしょうが、やっぱり調子に乗っていたのか、言わずもがなのことを幹部会議で発言してしまったのでした。


幹部会議は部長以上、一部課長クラスも参加する会議で、元々私も経営管理室長として事務局の立場で出席していました。


たまたま、MG研修が終わってその報告をするということになっていたのです。


一連の経緯と結果を報告して終わっておけば、それでチョンだったのですが、、、


最後の最後の「蛇足ですが」と付け加えてしまったのです。


今後もMG研修を継続されていくと思いますが、その体験期数を評価の基準に加えてはどうでしょうか、、、と。


人事部長の表情が変わるのが分かりました、かなり近い席でしたから。


それよりも早く、一人の営業担当部長から「板東クン、それは余計な越権発言だ」との鋭い声。


ハッとして、「申し訳ありません」というのがやっとで腰を下ろしました。


確かにそうです、私は本来教育担当者ではありませんし、人事の担当でもありません。


ただMGに関して、その研修のインストラクションを委嘱されているだけの立場だったのですから。


とくに人事評価のことなどは、人事課が素案を作り、最終的には部長会議・常務会で決めていくことですから。


もしかしたら、MG研修はこれでポシャってしまうかなと思いつつ唇を噛みしめました。


MGを最初に受講し、社内研修として提案された専務が助け船を出して下さったのですが、その言葉には上の空でした。


その後を引き継いで、人事部長から「今の板東さんの意見も検討の中に入れておきましょう」との発言があり、その場は収まったようでした。


ある後日談もあるのですが、それは語らないでおきましょう。


幸い、次の年度にもMG研修は部門研修として継続されることになりましたが、体験期数は評価対象にはなりませんでした。


当時37歳になったばかり、まだまだ修業の足りない頃でした。

越後路を疾走した485系

北陸・東北西部路を日本海に沿って走る鉄路を日本海縦貫線と称します。


新潟県内の路線名で言うと、西から北陸本線(現在はえちごトキめき鉄道)、信越本線、白新線、羽越本線です。


ただし直通の貨物列車の多くは、信越本線の新津駅からすぐに(新潟駅方面に行かずに)羽越本線に直通します。


この日本海縦貫線を走り抜けたかつての急行列車(大阪ー青森間)には、「日本海」というふさわしい愛称がつきました。


やがて同じ区間をキハ82系の特急が走り出し、「白鳥」という優雅な愛称で呼ばれることになりました。


この「白鳥」は気動車時代のあとに電車化されて、485系特急電車の12両編成が海外沿いを疾走しました。


しかし時代の流れの中、新潟駅で2つに分けられることになり、新潟以西は「雷鳥」グループの一員になります。

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当初は大阪ー新潟間を走る長距離特急でしたが、やがてこれもまた金沢駅で東西に分かれることになり、


金沢ー新潟間の特急には「北越」という愛称が定着しました。  


北越とは「北の越の国」の意味で、加賀国と越中国そして越後国を結ぶローカル特急(6両編成)となったわけです。


この間ずっと特急用として全国を駆け抜けた485系車両が用いられ、様々なバリエーションが越後路を走りました。


16年前の中越地震の時には、大きな被害に遭った長岡周辺を避けて越後線を「快速」として走ったこともありました。


そして2015年3月14日に北陸新幹線が全通すると同時に「北越」号は廃止されて、


永年がんばった485系車両とともに、過去帳入りして歴史の幕を閉じました。

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失敗体験は自分を磨く

脳力開発の学びについて、1年余り「こぼれ話」をこのブログにコラムを連載してきた。


それを今年の7月頃から動画にして公開を始めた。


15~16分くらいの長さだが、だいたいいつも一気に録画して編集している。


録画を始めたのは6月からだが、最初の頃はパソコン(PC)のカメラ・マイクを使っていた。


その段階から試行錯誤を繰り返し、マイクやカメラなどの機材も新たに購入してきた。


少しずつレベルも上がってきたかなと思ったところで、落とし穴というものがあるものだ。


26話目の録画を先週やったのだが、何度かミスをしてしまって撮り直しをした。


その撮り直しがどうも不満足、当初はこのくらいで良いかとも考えたのだが、やはり気持ちが落ち着かない。


そこで昨日撮り直しをした、専門用語的には「テイクスリー」となるわけだった。

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事前準備も怠りなくやって、部分的にはリハーサルもやっておいた。


またレコーディングは常にONに設定しておいて、当然長めの録画になるが編集でどうにでもなる。


あとはストップウォッチで、コアの部分を16分以内に納めるように気を付けることだけだった。


できるだけアドリブで語ろうと思っているが、昨日はストーリーをしっかりと決めてやることにした。


失敗をすることは次へのステップになるとは言うものの、同じ失敗を三度やってしまうのは良くないと思うから。


小さなミスはやったが、それは編集段階で除くことが可能な範囲であった。


全体の出来がどうかということは別にして、失敗体験は自分を磨く道具になると再確認した。


別のコラムで「MGのこぼれ話」を書いているが、やはり失敗の体験が後々の役にたったことを確認している。


脳力開発では「失敗は悪いことではない」と教えている、まさにそのことを実践の中で実感している。


だが、素直に学ぶ心がなければせっかくの失敗もムダになる、ということも付け加えておきたい。


ああ、学びの道は永遠だな。

『私とMGと経営』こぼれ話(27)

初年度の上半期といっても、9月の上旬から12月の初めまでの3ヶ月間で、


本社ビルの部門、営業・管理・開発部門のスタッフ全員についてひと渡りMG体験研修をやることになりました。


12月の中旬以降は次第に繁忙期に入っていきますので、それまでに完了するためにタイトなスケジュールでした。


期数をこなされている皆さんならお分かりになるでしょうが、ワンデー研修はなかなかキツいものがあります。


しかも副課長以上の管理職を除くと、「MG初体験」になるわけですから参加者もインストも大変です。


体験者と言っても1~2回やっただけですから、初心者の面倒をと言っても余り頼りにはなりません。


その上にインストラクターが全くの若葉マークなのですから、大変を絵に描いたような研修になりました。


こちらも研修を通じて伝えたいこと、解説したいことを全部やろうとするものですから大騒ぎでした。


汗みどろになりながら、と言っても半分くらいは冷や汗だったのかも知れません。


毎回受講者の6~7割が初心者ですから、できるだけ分かりやすく詳しくと思うものですから、


時間がかかるわ、その割には参加者の顔を見ると首をかしげているような状態。


ゲームをやっても決算をやっても渋滞したり、立ち止まってしまったり、間違いがあったりでした。


とくにインスト初回の部門はもちろん、スタートから1ヶ月半くらいの受講部門は災厄だったでしょうね(汗)。


今から思い出しても間違ったことを言っていたようですし、しまった、しまったと思うことの連続です。


一生懸命に説明したにもかかわらず、「説明が分かりにくかった」などと感想に書かれるとへこんでしまいました。


こっちは自分の仕事も抱えながら、ときには休みも返上でやっているんだと思うものの、それは受講者にとっては関係のないことです。


そういう試行錯誤を繰り返しながら、それでも回を重ねていく内に「上手になって」いくものです。


まさにMGは期数、MGのインストもまた期数すなわち実践体験だということが、よく分かりました。


分かってくるとメリハリの付け方や、良い意味の手の抜き方もやれてくるものです。


例えばルール説明にしても最初は1時間近くかかっていたのが、最後の部門の研修では40分も掛からなくなっていました。

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決算チェックもドンドン早くなるばかりか、ザッと見るだけでおかしなところを見つけられるようになりましたし、


立ち往生している人のところにもすぐに駆け寄れるようになり、間違い発見も早くなりました。


インストをやることで、実は私自身の大きな学びになってたということでした。


そこで得意の頂に登ってしまうところが、私のまだまだ甘ちゃんなところでした。


その鼻をへし折られるような事態が目の前に迫っていたことに、全く気付かないままに。

B/Sが読めますか(4)

さて話をBS(貸借対照表)に戻します。


PL(損益計算書)がある一定期間(通常は1年間)の成績表=通知表であるとするならば、


BSは、創業あるいは設立の時からの歴代経営者の成績積み重ね表と言ってもいいでしょう。


公認会計士のある人に言わせると、そこには経営者の意思が感じられる、心が反映されているそうです。


ところが残念なことに、小さな会社の多くの経営者がBSの本質を分かっていません。


私もコンサルタントとして200社を超える会社の経営者にお目にかかりましたが、


例えば自社の自己資本比率をお尋ねして、正確に即答された方は1割か2割に満たないくらいです。


このコラムをお読みになっているあなたはいかがでしょうか?Photo3_20201004164501


あるいは、これまでの自己資本比率の動きを、例えばここ3~5年間どう推移しているのか答えることができますか。


前々回くらいに書きましたが、BSの左側は会社のあるもの(資産)がどう使われているのかを表しています。


そして右側の数字は、それらはどういうお金が元になっているのか、どのように調達されたのかを示しています。


右側の上側は「負債」と呼ばれ、流動負債と固定負債に分けられますが、要するに「借金」類です。


その下にあるのが純資産、すなわち自己資本と言われるもので「返す必要のない」お金=資本です。


資本金とか、過去からの利益の積み重ねとか、今期(今年度)新たに積み上げた利益などの集積です。


この部分が右側、つまり総資本(負債+純資産)の何%であるかを示すのが、自己資本比率です。


平たく言えば、会社にあるもの(の全て)が、自分の金でできているのか、他人の金でできているのかということです。


自己資本比率50%の会社であれば、半分は自分の金でできているということになります。


一方、自己資本比率が10%の会社は、大半が借金(類)によって形作られているというわけです。


ですから自分の会社の自己資本比率を知っていることは、経営者として当たり前でなければならないのです。


規模の小さな会社なら、自己資本比率100%ということもないわけではありませんが、


それはごくごく小さな商いしかしていない、してこなかったという証でもあるわけです。


そこそこの商いをすれば、仕入を掛けで行うことも通常であり、銀行からの借入も必要になります。


この2つは負債科目ですので、これらの残高があれば自己資本比率100%にはなりません。


それでも自己資本比率が高いということは、企業基盤がしっかりしているという証明になります。


とりわけ歴史の中で積み上げられてき積立利益のウエイトが高ければ、


信用という目に見えない「財産」も並行して積み上げられてきた、と見て間違いないでしょう。


ではさらに、このBSについて踏み込んでみていくことにしましょう。

ウィズコロナが続く時代に向かって

10月に入り、気温はやや高めだが秋が日増しに感じられる季節になった。


朝の気温が15度を切ってくると紅葉も始まるというが、高い山ではそろそろ始まってきているようだ。


季節の流れと共にだんだんと里にも下りてくるのだろうが、今年の冬はどんな気候になるのだろう。


長期予報では「寒い冬」とも伝えられているが、昨年のような少雪にはならなさそうだ。


一昨年の冬のような大雪・豪雪はゴメンだが、やはり雪国らしい雪模様にはなってもらいたいものだ。


幸い今年は水不足にはならず、米(コシヒカリ)の出来も悪くはなかったが、経済にも影響は出てしまう。


もちろん普通に生活をしている身としては、できれば雪は余り多くない方が良いのだが。


さて雪や寒さも心配だが、何といっても新型コロナウイルス感染がどのように推移するのか、それが一番の気懸かりだ。


現状の感染状況がどういう評価なのか、専門家ではない私には分からないことばかりだが、


良くもなく悪くもなく、可もなく不可もなくといったところではないだろうか。


とはいえ、収束というには程遠いと言わざるを得ないのではないか。


少なくとも気を緩められる状況では、とてもないだろうから、自分にできる自己規制は続けていかざるを得まい。


しかしその後のことは、可能な範囲で前向きに考える時が来たようだ。


いつまでもアナグマに徹していたって埒はあかないし、オンライン「だけ」の次を模索すべきだろう。
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ある人はこう言っている、アフターコロナは来ないかも知れない、しばらくはウィズコロナが続くだろうと。


同感だ、というより「新型コロナ」もあるという世界が当たり前になりそうだ、インフルが当たり前のように。


その時には「新型」という接頭辞もとれてしまうだろう、距離をとりつつ向かい合うことだろう。


その時が来ているようだ。

『私とMGと経営』こぼれ話(26)

1988年に(西研MG)インストラクターの資格をいただいてから、今日までにどれだけインストしたか、


実はハッキリとした記録がありません。


MG受講であれば100回帳に記帳しますが、とくにインストの記録を残してはいなかったのです。


社内研修として集中的にやった(ただし主としてワンデー3期)時期もありますが、


昨今のように主催や共催セミナーでのインストが本格化したのは、独立した2008年から後のこの10数年です。


マイツールの中にインスト記録(成績表)がキッチリ残っているのは、やはり独立後の2008年からです。


一部消去してしまったものもありますが、以前のものを推測するとしてざっと2000期以上はインストした計算になります。


MG受講と同様、インストにも「最初の1期」というものがあるわけで、その時の記憶を思いおこしています。


7月(1988年)の神戸シニアでは、無条件での新ストラクター免許状をいただくことができました。


その時の「テスト」は確か2つ不正解だったと思うのですが、それでもお情け(?)で免許をいただきました。


期数が60期を超えていたこともあったのでしょうか、「ジュニアをあと★★期」という条件はつきませんでした。



免許をいただいたタイミングでは、すでに新年度(7月~)の教育計画ができていて、


「社内インストラクター」による、部門・部署別社員研修が秋からスタートする旨が記載されていました。


その時点でMGシニアを受講していたのは、インスト候補3人の内では私だけでした。

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さっそく教育担当課長から呼び出しがあり、「よろしく頼むよ」とのお達しがありました。


新しいMGゲーム盤の2台購入が決まっていて、夏が過ぎる頃には届きました。


これで12名ずつの部門別研修がやれることになり、営業部門のいくつかからスケジュール打診がありました。


もちろん通常の業務をやりながら、そのスケジュールを加えていくことになり、中には休みの土曜日にという要望も。


担当の業務については、部下の副課長やスタッフに手伝ってもらえばナントカなると腹を括りました。


問題は、果たして自分にやれるのかということですので、スタート前に数回MGに参加して先輩インストのやっていることをじっくり観察しました。


それでいよいよ初インスト研修(ワンデー3期)に臨むことになりました。

豪雪地帯を走る飯山線

JR飯山線は、長野県の豊野駅と新潟県の越後川口駅を結ぶ100km近いローカル線です。


豊野からはしなの鉄道に乗り入れて、全ての列車が長野駅まで乗り入れしますが、別の鉄道なので運賃が高くなります。


工夫をすれば安くできるところですが、少しだけの緩和措置だけです。

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越後川口側では、朝の一部の列車が長岡駅まで上越線を直通しています(写真は1978年頃の越後川口駅)。


かつては急行「のざわ」も全線を走っていたことがありますが、かなり鈍足な急行列車でした。


長野側は比較的運転本数も多いのですが、中間の戸狩野沢温泉駅と十日町駅の間は3時間以上間が空くこともあります。


全線を乗り通す(長野発着)と3時間前後もかかりますが、車窓の風景は刻々と変わり飽きが来ません。


とくにこれからの秋は木々の紅葉が美しく、またつかず離れず信濃川(千曲川)が並行しています。


ところで、この飯山線沿線は名にし負う豪雪地帯で、冬は真っ白な雪景色の中を走ります。


旧国鉄最高積雪を記録した駅(森宮野原駅)も途中にあり、その積雪は7.85mというとんでもないものです。


駅には標柱も立っていますので、もし行かれることがあったら車中から眺めてください。


積雪が多い時には除雪列車が運転されますが、その間は定期列車が運休になることもしばしばです。


これは除雪列車の速度が遅く、とくに最近は機械扱いの除雪車もあり、その場合は線路(閉塞)閉鎖になる故です。


また合理化が進んで、単線で行き交い交換ができる駅が減っているという事情もあります。


ぜひ豪雪の中を1両編成のキハに揺られて飯山線を旅してみませんか。


下の写真は観光列車にも使われるおいこっと」車両です。

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