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来年の今頃はどうなる

昨日8月9日は、75回目の長崎原爆の日でした。


私自身も「戦争を知らない」世代ですが、亡くなった父母たちから戦争の話を良く聞かされた世代でもあります。


父は召集令状で中国大陸に送られ(通信兵でした)、戦後はシベリア抑留の過酷な体験をして来たそうです。


昭和23年に幸い帰国できたからこそ、今ここに私も存在しているわけですが、生前ほとんど抑留話はしませんでした。


父の引き出しの中にあったノートや写真などを内緒で見て、いくつかの事実を知ることになりましたが、自身の口から耳にできたことは僅かでした。


戦争当時両親は大阪に住んでいましたので、母からは空襲の話を何度も聴かされました。

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実際、私が物心ついた1950年代の中頃は、まだ戦争の爪痕があちこちに遺っていました。


例えば今は公園として市民や観光客で賑わう大阪城周辺には、砲兵工廠などの焼け跡が鉄骨むき出しで遺っていました。


そういうものを見た時には、主に母からどういうものであるのかを聞かされた記憶があります。


ですから実際の戦争体験はありませんが、戦後体験というのは幼心に刻まれています。


また、60年安保は映画やテレビのニュースで目にし、70年安保は学生としてそのまっただ中にいました。


戦争を知らない戦後世代として、何らかの関わりを持っていなければいけないと感じていた世代だろうと思います。


ところが戦後75年、3/4世紀を過ぎた今はどうでしょうか、戦争を体験した世代はどんどん少数派になっていきます。


今や、「戦争を知らない」どころか、「日本が戦争をした」ということすら知らない世代がどんどん増えています。


せいぜい歴史という授業の中でしか、その事実を教わらないわけ(それすらどこまでやっているか)ですから。


8月6日、9日どころか、8月15日や12月8日のことも「(歴史を)暗記する」対象ですらないように思えます。


これでいいのかなぁなどと思うのは、私自身が歳を重ねてしまっているからなのでしょうか。


さて、それはともかくとして来年の今頃、平穏であれば1年遅れのオリンピックが無事に終わっていることでしょう。


でも果たしてそうなっているでしょうか、かなり疑問符が付きそうです。


気持ちとしては無事開催してほしいと思うのですが、正直なところかなり難しいように感じています。


ワクチン開発が進んでいるというニュースも伝わってきていますが、あくまでワクチンです、特効薬ではないのです。


しかも、ワクチンにしろ特効薬にしろ、世界中にあまねく行き渡るでしょうか、1年先までに。


平和の印としてのオリンピックが開催されることを祈りつつ、まず今やることはなにかを考えるべきでしょう。


さて1年後はどういう夏を迎えているでしょうか。

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