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1年の2/3が終わる

8月も今日で終わります、2020年の2/3が終わるというわけです。


順調にスタートした2020年(令和2年)でしたが、1月に新型コロナウイルスの国内初感染確認で風が変わりました。


それまでは中国の武漢周辺、湖南省あたりの局地的な出来事とみていたのが、そうではないことが明らかになってきました。


武漢からチャーター機で日本人の帰国が現実化し始めると、もしかしたらと思う人も増えてきたはずです。


私は正直なところまだのんびりと構えていたようで、少なくとも2月の下旬までは当初の予定を変えてはいませんでした。


もっともこちらの思惑を超えて事態は次第に悪化方向に向かい、さすがに私も腹を括り始めました。


4月を迎える段階で、今年いっぱいは全てのことを白紙に戻した方が良いと考えるようになり、


いくらか様子見のところも残しながら次々に予定をキャンセル、5月末には結局何もかにも白紙としました。


もちろん、その時間を無にするのは望むところではありませんので、できることの模索をGW明けから始めました。


腹を括ると、それまでは見えていなかったことが色々と見えてきます。


その結果としてオンライン・ネット活用、リモートで可能なところを変えていくという試みです。


もちろんプラスの部分とマイナスの部部が必ずあります、物事には両面があるのが当たり前ですので。


ですからプラス面をよりプラスにしていく方策を考え、マイナスについては目をつむることとプラスに変えられること、


必ず両方を考えてからムリをしない中での「新たな戦術」作りにシフトしました。


それはそれとして、2月の下旬からステイホーム、今は言いかえて「やわやわライフ」を継続しています。

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最初の頃は出て行けないことにイライラすることもありましたが、これも腹を括ればどうってことはありません。


周囲の仲間たちの中には、もちろん用意周到の上で万全の注意を払って、元に近い行動に踏み切る方もおられます。


それはそれでいいと思います、ただご安全にと見守っているだけで、私がすぐに動くことはないでしょう。


このやわやわライフでもプラスとマイナスがありますが、総じてプラスの方が勝っているようです。


やや運動不足は否めませんが、健康的には大いにプラス、年齢的にも無理が効かない年代ですからいいことです。


ついでに着る物の断捨離も年末に掛けて、つまり冬物との入れ替えを機にもっとやろうと思っています。


今年の残り1/3は、自分のムダと周囲のムダ、両方をキチッと見極めて不要なモノをそぎ落としていくことにします。


さらにじっくり前を向いて、自分の目指すものを改めて確認しながら進んでいきましょう。

本当であれば

昨日は16時よりオンラインセミナー(OA大会)&交流会を開催、40人が全国より参加して下さいました。


本当であれば、リアルOA大会が長岡の地で開かれたはずなのですが。


それに続く交流会(前夜祭)を経て、この土日は第4回長岡・米百俵MGで盛り上がるはずでした。


年号が2020年に変わった時点ですでに満席(54名)のエントリーをいただき、


3月初めのタイミングでは会場や宿などの手配も、99%完了していました。


が、しかし、、、


一縷の望みは持っていました、楽観的な希望であったかも知れません。


開催への期待、30年近く地震や水害などの逆境をも乗り越えて、開催を毎年つづけてきました。


参加して下さる県内外の仲間たち(シーガルたち)の熱い想いに支えられて、途切れることなくずっとつないできました。


しかし、今回は断念せざるを得ませんでした。20190824-mg3_20200829064401


今後も続けていくために、「今年はやめる」と決断しました。


昨日のセミナーの中でも、その経緯をお話させていただきました。


たくさんの仲間がいることに感謝します。


来年のことなんて分かりません、でもきっと復活開催できることを念じてやみません。


再び新潟、「米百俵」長岡の地に全国から仲間が集って下さることを願っています。


ありがとうございます。

『私とMGと経営』こぼれ話(16)

姫路MG2日目のゲームが終わり、いよいよ西先生のまとめ講義の時間になりました。


その一言一句を詳細に書いていくことは到底不可能ですが、有り体に言えば「(私には)理解不能」の世界でした。


最初は前年11月(?)のとあるところのMGの際に、時間があって立ち寄った大きな書店で見つけた1冊の本の話。


それに大きな衝撃を受けたということだったのですが、その著者も話の内容も全く未知の世界でした。


そこから話は飛んで、MGあるいは戦略会計(STRAC)の世界の話に進んでいくのですが、


話の中で語られる固有名詞は、私のほとんど知らない人たちでした。


辛うじて井深大さんとか本田宗一郎さん、あるいはP.F.ドラッカーの名前だけが「知っている」程度でした。


また、ソニーやホンダは知っていましたが、その他の会社名はこれまた未知の社名でした。


その中で「知っている」と意識できたのは、西先生の著書に出てきた1、2社がやっとのところでした。


ただ、その話を聞いて全国にMGをやっている会社があり、学んでいる「リコモン」がいることを知りました。


そして「そのリコモンの1人がつい先月亡くなった」という話、それが佐々木隆さんのことでした。
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えっ!?佐々木さんが亡くなったって? 信じられないことでした。


つい1ヶ月ちょっと前に電話で話をして、改めてまた電話をすると約束していた人。


その頃最も会ってみたいと思っていた人が、もうこの世にいないということがにわかには信じられませんでした。


年末年始の多忙の中で連絡することをついつい忘れていた、そういう言い訳はできません。


たとえ連絡できたとしても、少し早くその死を知ったということに過ぎなかったでしょう。


だが、話はそこで終わらなかったのです、次に語られたもう1人の「すごい人」の名前。


その名前が今の私につながる、最大最強の固有名詞だった話を次回に。

只見線の復活が待ち遠しい

JR東日本の只見線、福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ、延長135kmの非電化ローカル線です。


しかし2011年7月の集中豪雨により鉄橋が流されたりして、現在も途中の会津川口駅と只見駅の間約28kmが不通です。


その架橋架け替え工事等の完成メドが付いて、2022年には復旧することが発表されました。


一時は不通区間はバス連絡のままとされる案も出されましたが、何とか全線復旧が見えてきました。


私は、上越線を中に挟んだ西の飯山線(越後川口-豊野)と、東のこの只見線が日本でも最高のローカル線だと思います。


四季折々の自然に溶け込む姿が何とも言えません、それだけ自然災害も多いことになるのですが。


冬の雪景色も素晴らしいですが、夏の緑の中を行く列車、秋の紅葉の中を走る列車、車窓風景も見飽きることがありません。

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かつては、両終点を結ぶ急行「奥只見」号なども走っていましたが、今は1~2両の普通気動車が走るのみです。


かつては会津若松区に常駐していたキハ40型(写真)が全線を走っていましたが、北側はこの3月からキハE120型に置き換えられました。


南(小出)側はまだキハ40型(新潟色のキハ40/47=新津区所属で長岡常駐)が走っていますが、これもキハ110型に置き換えが決まっています。


なお、会津若松側の会津若松-西若松間には会津鉄道の列車も乗り入れています。


本数的にはこちらの方が多いのですが、観光列車も走っています。


2002年の5月に訪れた(全線乗り鉄)時には、元名鉄特急車のキハ8000型が健在でした。


「AIZU MOUNT EXPRESS」のヘッドマークも誇らしげ(下写真)でしたが、数年で廃車されたのは残念でした。


2年後の全線復旧開通したら、またゆっくりと全線を乗り鉄したいものです。

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YouTubeへの動画公開

改めて申すのもなんですが、このブログをずっと続けています。


途中で1年くらい休んだ(サボった)ことがありますが、2700回くらい書いていますので、約9年間続いています。


最近は日曜日をお休みにしていて週6回のペース、いくつかのテーマで書いています。


テーマを決めたシリーズコラムも書いていて、『MGと脳力開発』は小冊子に編集、多くの方にお読みいただきました。


最近までは『脳力開発と私こぼれ話』を週1~2回連載、ちょうど100回の節目のところ、実は1回オーバーして終了しました。


このこぼれ話を動画シリーズとして、公開しようと思い立ちました。


脳力開発のオンラインセミナーも、9月からの本講座開講準備が整ってきました。


それとは別に、脳力開発をより多くの方に知っていただきたいという想いで、YouTubeへの動画公開を企画したわけです。


1回分が15~16分前後、コラム内容をベースにしゃべるわけですが、時々刻々の話題や書き切れなかったエピソードなども加えていきます。


目標としてはコラムと同じ101回ですが、これまでに12回までの公開をつづけています。

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チャンネルのQRコードからお入りいただき、ぜひ登録・通知(ベルマーク)チェックもお願いできれば幸いです。


動画公開と並行して、本格的なリモート社員研修にも一歩を踏み出しました。


今回は10名以下の少人数、一方的な講話だけでなく「一対多」のやりとりや参加者スピーチもプラスしています。


さらには小グループでのセッションもやってみましたが、工夫を加えて継続します。


リモート研修には、メリットもデメリットもありますが、プラス面を強くして進めています。


とくに「発言しやすい」側面をより引き出せることを目指しています。


もう一つ、目と耳をフル活用する度合いがリアル研修よりも大きい、これをさらに活かせる工夫を考えましょう。


脳力開発の提唱者・城野宏師が亡くなって35年、こんな時代の節目、変わり目が来ることは予測の外でした。


まさに「困難な時代」の到来、だからこそ自分を変える、企業を変えるチャンスとも言えます。


否応なしに変革の時代なのだと心を奮い立たせましょう。

『私とMGと経営』こぼれ話(15)

2回目の社外MG(MGとしては3回目)、まだ交流会というモノがよく分かっていない頃でした。


この頃(の兵庫MG会で)は、初日の夕食時に2人で1本くらいのビールが出ました。


その後かんたんなSTRAC(戦略会計)講義があって、時間があれば経営計画まで行っていました。

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その日はどうだったのかは余り記憶にないのですが、その後で任意参加で呑みに行くということでした。


それがいわゆる「交流会」であったわけですが、私の認識はまだ単なる参加者有志の呑み会というくらいでした。


その日は各方面から来られていた方が同じホテルに宿泊でしたので、ロビー集合に何となく出て行きました。


参加したのは10名そこそこと兵庫MG会のスタッフ3人、姫路駅から遠くない焼き鳥屋かどこかだったように思います。


地元姫路の方の他ほとんどが初めて会う方ばかりでしたし、期数の多い方がワイガヤされているのを専ら聞いていました。


MGの話題も多くて、また各社での(MG)状況なども話題になっていましたので、聞き耳を立てていました。


これから自分の会社で社員研修としてMGを展開していく中での、参考になりそうだったからです。


業種も様々でしたが、幸か不幸か同業者はおられなかったし、そもそも「糸へん」関係者はおられませんでした。


製造業や小売業の方が多く、地元のスーパーの方もおられたと記憶しています。


インストの藤原さんは豪快に飲まれる方で、隣に座った私もつられるかのようにビールジョッキをお代わりしていました。


そこで「西先生っていつもあんな感じなんですか?」と質問を投げかけたと思います。


確か、間髪を入れず「そうですよ」と答が返ってきたようでした。


あとは会社全体でMG研修をやっておられる方を紹介していただき、色々と参考になる話を聴かせていただきました。


こういうのが交流会なんだと認識するのは、今少し後のことになりますが、


この時を機会に、初日が終わるとすぐにホテルにチェックインして寝てしまうということは、なくなりました。


翌朝は心地よい目覚め、朝食前には周辺を散歩してからタップリ朝食を摂って、会場に出かけていきました。


今日はタップリと、MGの開発者である西先生の講義が聴ける、そんなワクワク気分でした。

汝人民耐えて死ね!アベシンゾウ

猛暑が続いている。昨日は暦の上では処暑だったが、暑さは収まりそうもない。


暑さはいずれ季節の移ろいと共に和らいでいくだろうが、新型コロナウイルス感染拡大は依然として続いている。


感染症学会は「第2波」と位置づけしたが、政府はまだ公式見解としては認めていないようだ。


いや、第2波であろうが何でもいいのだ、収まっていないことがハッキリと分かっていればよい。


相も変わらず、自覚と自衛そして自責という言葉が飛び交っている。


しかも自責を求める気持ちが行き過ぎて、自粛警察だの感染者を責める言葉だとかがあちこちで巻き起こっている。


そういうものは実際には一部の事象だと思うのだが、マスコミ(マスゴミとも)が必要以上に騒ぎ立てる。


口では「人を責めるな、敵はコロナだ」などと言ってはいるが、必要以上に取り上げることで注目をそらすことをしない。


報道はしっかりとした事実だけを、正確無比に伝えてくれればよい。


添え物が多すぎるのだ、調味料も。それらによって事実が「創作事実」になってしまっていることが多い。


それらを見て自分で判断せよ、そして行動せよ、その行動にはてめえで責任を持てだってさ。


ならば動かぬ方が良いだろうということで「ステイホーム」なるものが推奨される。

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そうしたら、それじゃ経済が持たないじゃないかと言って、そっちの責任も持たされるのってたまらないよな。


戦後すぐに「汝人民飢えて死ね」などという過激な言葉が踊った(プラカード事件1946年)が、今は「汝人民耐えて死ね」だよ。


そろそろ動きたい、このままじゃ足が萎えるどころじゃない、頭まで萎えてしまいそうに感じる。


しかし、ステイホーム信者で「自責病」になっている周囲の状況に、まだ太刀打ちできる力がない。


今少し、今少しガマンが続きそうだ。

非常時に経営者がやるべきこと

企業経営の明暗が如実に表れる昨今、あなたの会社はどちらの側にいるでしょうか。


いわゆるコロナ倒産が460件を超えてなお増えているそうですが、データに表れないものはもっとはるかに多いのでしょう。


法的処理が取れたこの数字にしても、本当の意味で、つまりコロナの影響だけの倒産は一握りではなのかと思われます。


もちろん私の推測にしか過ぎませんので不確かなことですが、Photo_20200822070501


大半は「コロナが引き金になった」ということで、その実はコロナ以前から問題山積だったということでしょう。


厳しい言い方をするならば、これまでジワジワと崩れかけひび割れのあったダメ企業が、


新型コロナウイルス感染拡大という未曾有の出来事に、最後の引導を渡されたと言うべきなのでしょうね。


直接の死因は「キャッシュの逼迫・行き詰まり」による、「企業脳卒中」「企業心不全」と記されるのでしょうが、


その実は、慢性的な疾患が企業という組織全体をガタガタにしてしまっていたということなのだと理解して当然でしょう。


大企業はそういう慢性的な病巣がゆっくりと長い時間をかけて組織全体に行きわたり、


小さな会社はその疾患が廻るのがとくに速い、アッという間にというだけの差に過ぎません。


大小にかかわらずどちらの企業組織にも言えることは、


経営者が平時にやるべきことを怠っていた、という一言に尽きるだと考えています。


ならば、まだあなたの会社が(厳しい状況の中でも)健在であり、これからもあり続けようとするのであれば、


平時どころか非常時である今、何をすべき時なのかはまさに喫緊の課題であるはずです。


もちろん、非常に対する処置は可遡及的に速やかに、手遅れにならないようにやらなければなりません。


出血を放っておいては元も子もないことになりますから、応急処置はしっかりやることが経営者の最低限の努めです。


その上で何をすべきなのか、このコロナこそが「実践の学び」のよき題材であると想いを新たにすることです。


経営者であるあなたと、一緒に仕事をしている社員の皆さんとが共に学ぶチャンスを天より与えられたのだと。


その決心覚悟をすることからやっていくのですが、余り悠長に構えている時間はありません。


それこそ即行即止、「すぐやる、やりながら直す」の気構えで取り組んでいかねばなりません。


非常時だからこそ、何が大事で何が必要か、不要なモノやコトは何なのかがハッキリと見えるはずです。


「この会社を続けること」という方向でみんなの心が一致しているなら、それこそが実践行動かつ実践教育です。


その先にあるのは、この会社に関わるみんなの幸せに他なりません、まずは「社員とその家族の幸せ」です。


その上で、小さな会社の経営者であるあなたは「この会社の未来」を、しっかり見据えていますか。


会社の方向づけ、資源の全体最適配分、そして人を動かすことの3つの役割を確実に果たしていきましょう。


ぶれないことです、何よりも大切なことは。

『私とMGと経営』こぼれ話(14)

西順一郎さんとの初対面は、著書掲載の写真イメージとは異なり「えっ!?」という感覚でした。


勝手にこちらがイメージをこしらえていたんですね、すごい大先生というイメージ。


見事に(?)裏切られてしまいました、ショックが大きい、笑笑って感じでしたね。


お昼ごはんには間に合うように、ちゃんと(サンパツから)戻ってこられました。


「どこの誰、なぜ来たか」の自己紹介が始まり、ここで最初のお話を聞くことができると思っていました。


ところがここでも見事に裏切られました、ひと言「西です」と「じゃぁここで11分休憩」とだけ。
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なんで11分なんだ?と思いましたが、これはその後タイマーを押す時に「1」だけを2回押せば良いからと分かりました。


で、食事が終わったと思ったらまた早速例のパソコンの前に座られ、キーボードをガチャガチャと。


そんな中で第2期が始まりましたが、ここでも藤原さんが引き続きインストラクター。


ゲームの進行に合わせて各テーブルを回ってこられるのかなと思いましたが、それも独りよがりの思い。


ふと気が付くと、パソコンの前に座ったまま目を閉じられていました、まさか寝ておられるのかな?


その意味ではまさしく「大先生」だったと言えましょうか。もう散々でした、私の最初に持っていたイメージは。


ガラガラと崩れたというのではなく、新しい「講師像」というのを目の前に出されたというところだったでしょうか。


とくに2日目の講義の話がすごかったのです、ただしその日はまだ「分からない」ことばかりだったのですが。


とにかく初めて聴く話ばかり、目新しい、耳新しい話が次から次にと西さんの口からほとばしり出てきて圧倒されていました。


その話の中に突然出てきたことが、私の人生を変える大きなきっかけになったとも言えるのです。


ではそのお話はまた次回に。

越後線が面白い

私の家のすぐそばを、JR越後線が走っています。最寄りの小針駅までは歩いても5分足らずです。


もっとも2月の下旬以来「やわやわライフ」に入ってからは、一度も乗車機会には恵まれていません。


元々は越後鉄道という私鉄で国に買収されたローカル線で、現在は普通列車のみが運転されています。


新潟駅から日本海側を柏崎に向かいますが、歴史的な経緯もあって起点が柏崎、終点が新潟です。


また地図では海の近くを通っているように見えますが、海岸段丘や小高い山が間にあって海はほとんど見えません。


戦前の新潟側終点は、新潟から信濃川を渡った白山駅(現在駅より西、今は小学校)でした。


戦争中に信濃川を渡る貨物線(新潟(旧)ー関屋間)が敷設され、戦後それを旅客船としても使用、白山駅も移りました。


ずっと非電化で気動車が走り、準急や急行も走っていた時期もありました。E129129_1705


70年代から新潟大学が沿線の五十嵐(内野)の段丘に移転し、また高校も多いことから通学生が一気に増えました。


そして84年に電化され、新潟寄りの新潟-内野間は通勤通学路線となり、現在でも日中20分毎の運転です。


運転される電車のほとんどはE129系(2両~6両編成)ですが、古強者の115系もしぶとく残っていて1往復は6両編成でがんばっています。


我が家からは走る姿は見えませんが(道に出ると見えます)、走行音は風に乗って聞こえてきます。


今年いっぱいの遠征がなくなりどこへも行かない状況ながら、電車の音を楽しみながら過ごしています。

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粗利益(MQ)を正しく掴んでますか

何度もセミナー講義やブログなどでも採り上げている問題ですが、久しぶりに記してみますので考えてみて下さい。


決して難しい問題ではありません、会社やお店では毎日のように同様の問題に直面しているはずです。


【問題】100円で仕入れた商品があります。粗利益率を20%確保して売りたいので、売価をいくらにすればいいですか?


余りにカンタン過ぎて「バカにするなよ」と思われた経営者の方も多いことでしょう。


そうですよね、経営者なら100人が100人正解を出してくれるはずですよね。

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というより、正解を出してくれない経営者の方がいらっしゃいましたら、どなたかに座を譲られるのが正解でしょう。


経営者にとっては基礎の「キ」問題ですが、では社員の皆さんはサッと正解を出してくれますでしょうか。


とくに現場で「値付け」(プライシング)をやられている社員の方は、もちろん正しい答もアプローチできますよね。


もったいぶらずにまず正解を書けよ、そうですよね。


ハイでは、[100円*120%=120円]、これでいかがでしょうか。


100%に20%を足した120%を仕入価格に掛けて答を求めました。


あるいは100円の20%の利益は20円(100円*20%)ですから、仕入れ値100円に利益の20円を足して120円。


え、まさか現場でいつもこんな計算をしていないよねと思われた経営者の方は、


月次の数字を締めてみた時に、予定粗利益率(20%)がいつも達成できていないことに首をかしげていませんか。


首をかしげているくらいならまだしも、まさかこの解答で良いじゃないと思っているあなた、


上述しましたように、社長の座をどなたかにお譲りになることです、即座に。


この答(120円)では、粗利益率20%には絶対になり得ませんよね。


粗利益率=(売価ー仕入れ値)/売価*100という計算式で求めまられすから、


(120-100)/120*100=16.7%、、、ありゃりゃ。


もしもこういうことが、日常販売の現場で行われているのだとしたら「びっくり!」でしょう。


それを上回る出来事、ウソのようなホントの話がつい昨年もありました。


それは何かというと、販売を担当する営業マンが製造部からできあがってくる製品のコストを知らないという事実でした。


もっともこれにはもっと深刻な原因があったのですが、それはここでは省いておきましょう。


とにかくコスト(原価あるいは仕入れ値)を知らないで、プライシングなどできるわけもありませんでしょう。


知っていても、間違った値付けを日々繰り返しているのだとしたら、計画している利益は得られません。


どんな理想、「社員とその家族を幸せにする」ということを理念に掲げても、


その裏付けとなることができなければ絵に描いた餅にしかなりません。


そういう現実を突きつけられたとしたら、あなたはさてどうしますか?


※ちなみに上の問題の答は125円です。もちろん、お分かりのことだと思いますが。
  100/(100-20)%=125

『私とMGと経営』こぼれ話(13)

年が改まって1988年1月、その20-21日(土日)の姫路MGが私の3回目のMG参加でした。


会場がどこであったのかという記憶がありませんが、姫路駅からそう遠くないビルの中の研修会場でした。


主催は初回(1987年9月)の神戸MGと同じく「兵庫MG会」でしたが、メイン講師が西順一郎先生でした。


MGの開発者、その著書に写真が載っていましたのでお目にかかれるのを楽しみにしていました。


その会の参加は、前回の神戸の時よりはやや少なく人数は忘れましたが、6卓か7卓くらいだったようです。


私の当時の会社は年を越すと共に繁忙期に突入しますので、私以外に同じ会社のメンバーはいませんでした。


つまり初めての単独参加、宣伝企画部門だった私は2月に入ると次年度の広告関連仕事で忙しくなるのですが、


1月はまだ企画会社からのプレンテーションが出てきていませんでしたので、参加申請が認められました。


2月以降は企画の仕事も増えていくと共に、第一線への応援にも行きますのでギリギリのタイミングでした。


まだ社外MG2回目の参加でしたので、その当時は割りに大人しくしていたようです。


何人か1回目のMGで名刺交換をした方もいらっしゃいましたが、大半は初交流で名刺交換に忙しくしていました。


それでもまだまだ、ベテランの方の輪の中に自分から溶け込んで行くにはほど遠い時代でした。


注目は西先生でしたが、それらしい方は開始時間が近づいてもなかなかいらっしゃいませんでした。


前日には入られて泊まっておられるということでしたので、藤原さんに聴いてみました。

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そうしたら、傍らのデスクのところでパソコン(マイツール)のキーボードを叩いている方を指さされました。


あの方なんですが、というのも著書に載っている写真とちょっとばかりイメージが違う感じがしたので(写真は最近の先生です)。


しばらくして立ち上がられて藤原さんのところに近づいてこられました、そして。


「これからサンパツに行ってくるけどいいかね、進めておいてくれる?」


初めて聴いた西先生の言葉はそれでした。名刺を出すタイミングも計れず、あっさりと先生は会場から出て行かれました。

ブログ・コラム再開です

お盆休みが終わりました。


新幹線は臨時列車がなくてもほとんどガラガラ、飛行機も空港の閑散光景を見れば自ずと想像できます。


高速道路も一部では渋滞があったものの、SA/PAなどの人出は例年の5~6割だったとか。


お墓参りもできるだけ密を避けてということだったし、わざわざ県外からというお参りは少なかったようです。


お墓参りの代行サービスが人気だったり、お寺さんもリモートでお経を届けたり。


田舎の実家に遠方の家族や親戚縁者が集まってということも、それほど多くはなかった感じです。


これが新型コロナ感染再拡大だからという「今年だけ」のことなのか、それとも新しい生活スタイルとなるのかは分かりませんが。


私も大阪(高槻市)にある両親の墓参りはアキラメました。


いつもの年なら、8月にどこかのセミナー遠征があり、その合間の時間にお詣りして来ていたのですが、


今年はセミナー日程も全てキャンセルしましたし、わざわざ片道600kmのドライブもたいへんですから。


そうなると特別にお盆休みにする必要もなくなり、これまでと同じペース同じ時間の流れの中に身を置きました。


それでも何かはということで、新しく購入したウエブカメラを早速使ってみました。


予想通りではありましたが、これまでのPC内蔵カメラよりも映像は鮮明でほぼ満足でした。


もっともカメラの内蔵マイクはイマイチですので、先月から使い始めている専用マイクとのコラボです。


あとはもう少し環境整備が必要かなというところ、さらにいただいたホワイトボードシートも使ってみようと思っています。

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ZOOMの活用も、ブレークアウトセッションをテストして、今週からはさらに本格的に使っていきます。(写真はイメージ)


共有画面でのパワーポイント資料については、手書きなどによる説明も加えるなどより分かりやすくを目指します。


同じ共有画面のホワイトボードでは、同様に画面への手書きによる解説もやってみる予定です。


今月初めのバージョンアップで新機能も加わりましたが、PC制限があって使えないものもあるのは少し残念。


いずれにしても可能な範囲で色んなことにチャレンジしていきます。


YouTubeへの動画公開も、新しいテーマでの有料動画制作を目指しますが、まずは有料に耐える内容と品質ですね。


課題が大きいほど、困難のクリアが厳しいことほど燃えてくる自分を感じています。


では今年も残り1/3余り、引き続きこのブログでも長くお付き合い下さい。


酷暑あるいはコロナ感染再拡大のみぎり、皆様方のご健勝を心よりお祈りいたします。

お盆休みです

本来ですと、連載コラム『私とMGと経営』こぼれ話のところですが、お盆休みですのでコラムもお休み、笑笑。


全国的にも、今年のお盆は様変わりといった感じのようで、空港も新幹線も高速道路も混雑とは無縁のようです。


GoToトラベルキャンペーンも、心理的抵抗が働いているのか、観光地も宿泊施設やお土産屋もガラガラが目立っています。


帰省したくても、実家には年寄りがいるからとブレーキが掛かり、「帰ってくるな」という制止の声も少なくないようです。


私はと言うと、例年お盆の時期は前後を挟んで仕事もお休みなので、ほとんど家にいます。


どこかへ出かけるにも、渋滞や混雑が好きではないので余りどこへも行かない。


ということは例年とほとんど変わらないという、今年の我が家です。2


それでも例年でしたらどこかへ食事に行ったりしていましたから、その分がマイナスになっている勘定です。


お墓参りも大阪行きは取りやめましたので、家の中の過去帳(位牌はありませんので)に手を合わせています。


義父母のお墓参りもこの夏は、皆さんも集まられないようなのでパスさせてもらいます。


また例年であれば、下旬に主催開催するMGセミナーの最終準備に追われているところですが、


今年はGW明けに早々と中止を決定しましたので、何もやることがありません。


もっとも、代わりにオンラインのOA大会を開催する予定ですし、9月からのオンライン講座の準備も急ピッチです。


ワーカホリックでは決してありませんが、毎日短時間でも仕事の時間がないとリズムが狂います。


そんなわけで通常3~4時間の仕事時間を、1時間2回というくらいの設定で集中してやっています。


午後はさすがにクーラーをかけても西日に少し照らされるので、お休みタイムにしていますが。


というわけで今日の連載コラムはお盆休み、この土日もお休みして来週月曜日からブログ再開します。


いつもお読みいただき、感謝を申し上げます。

広島と長崎の電車

戦争(太平洋戦争=大東亜戦争とも)の終結から75年、3/4世紀が経とうとしています。


戦争を終わらせる大きな要素として原爆投下が云々されていますが、それは暴論とも言うべきでしょう。


それによってなくなった方の命を思えば、「戦争をしてはならない」という言葉しかなくなるわけです。


ここではそのことについてこれ以上は書きません。


そんな2つの原爆被災地は戦後見事に復興し、原爆で大きな被害を被った路面電車も今や日本で1、2の盛業です。


広島には、原爆被害から復活した電車(被爆電車)が今も走っています(写真の車両とは違いますが)。


原爆ドームと共に、これからもしっかりと「歴史」を伝えていってほしいと願っています。


広島も長崎も、原爆投下被災からそれほど時間を置かずに電車の運転が復活しています。


これはすごいことだなと思うと同時に、電車の音が市民を勇気づけたことに思いを馳せます。
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まさに「鉄道マン」たち(もちろん女性もいました)の誇りを感じます。


広島の電車(広島電鉄)は延長距離も運転本数も日本一の路面電車、LRTシステムの先駆者でもあります。


3車体、5車体の連接電車が市内と郊外とを頻繁運転で結んでいます。


広島駅前の停留場も、新路線への変更に合わせて大幅に改築されて、益々便利になることでしょう。


京都、大阪、神戸など各地で活躍した電車が、今も現役で市民の足としてがんばっています。


長崎電気軌道も、日本で最初の「軽快電車」が走り出した先駆者であり、古い電車も大事に使っています。


これからも2つの町の路面電車は、元気で活躍してくれるはずです。コロナが終息して、また訪ねていきたいものです。

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売上8割ダウンに立ち向かう

毎日、コロナコロナと書き連ねていくのもいささかうんざりします。


感染拡大が確かな事実として、全国民が認識して間もなく半年を迎えようとしています。


感染の波が少し引いたようになって、これでとりあえず収束に向かうのかという希望的観測は裏切られました。


相手がウイルス感染症では、とても人知の及ぶところではないことを、先ずは自分に言い聞かせて再スタートです。


自分のことで言えば、3月以降はいつもの年と同じ仕事についてはほぼゼロにしました。


昨年大きく頻度を上げた公開セミナーも社員研修も、1月2月実施のものを除けば完全にゼロです。


そんな中で年度計画は大幅な見直しが必須となり、例えば売上計画は前年比で25~30%に下方修正しました。
(ちなみに当社はほぼ「売上=粗利益」です)


良くて7割ダウン、何もしていかねば8割ダウン以上の厳しい結果になるだろうと。


そこで全てのことを白紙に戻し、こんな状況の中でもやれることはないか、チャレンジできることがあるはず。


例えばコンサルティングサポートのクライアントサービスは継続していますが、こちらも仕事の中身が変わりました。


すなわち直接訪問活動は相互理解の下で取りやめ、オンライン活用によるリモート面談が主体になっています。

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さらに幹部会議やプロジェクトミーティングへのリモート参加について、積極的に提案をし早期実施を目指しています。


社員研修も脳力開発(行動学)研修については、ZOOMを使ったオンライン研修です。


使い始めて3ヶ月、ZOOMの様々な機能も活用できる知恵も生まれてきました、まだ7割くらいでしょうけど。


社員研修は現在クライアント企業のみですが、これを拡げていく心積もりです。ただ成果になるのは来年でしょう。


一方、研修の方となると、まず脳力開発講座のオンライン化を実施することにしました。


先ずはトライアル講座(70~80分程度)で私自身の習熟も図り、ZOOM機能を順次加えていきました。


さらには研修録画の活用です、これにはYouTubeを本格活用することに決めました。


当初はオンライン講座に当日欠席の方などには、自習用DVDでの提供を考えていました。


しかしこれは手間もかかりますので、YouTubeチャンネルを作っての限定公開で対応することにしました。


すでに別チャンネルで「こぼれ話」動画の定期公開をスタートし、手応えを得ています。


本講座の始まる(9/13の)1ヶ月 前までには、機器(カメラやマイク)の整備も終えてキックオフします。


講座の動画は有料提供も可能ですから、逆に言えばそれに十分耐えるものに仕上げる必要があるでしょう。


YouTubeチャンネルの公開整備も急ピッチで進めています。片方で学び、片方ですぐにやってみる、まさに脳力開発です。


やがてコロナ感染も本当に収束、さらに終息に向かえばリアル研修も復活が可能です。


しかし、そこでも以前とは違う形やプログラムでのセミナーを企画していきます。


脳力開発講座はほぼその骨格をイメージできましたので、次にはMG・CFMGをどう組み立てるかです。


例えば、MG実践企業の方などにリモートで出演いただくこと、すなわちハイブリッド研修なども視野に入れています。


不自由度があれば、その反対側に必ず自由度を高めてくれるものがあるはず。


売上が80%落ちるからこそ、知恵もさらにフル回転してくれるものです。

『私とMGと経営』こぼれ話(12)

社内メンバーだけの2回目のMGで、インストの藤原さんから何冊かの本を紹介していただきました。


MGの開発者である西順一郎さんの著書、1月にお目にかかる前に何冊か読んでおこうと決めました。

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その本の中で、MGを活用している会社として「HIDE4社」が紹介されていて、


またその内の2社(博進堂とエリナ)が新潟にあり、その地には佐々木隆という素晴らしい人がいることを知りました。


どうも新潟は『MGの聖地』のようだなとその時に感じ、是非訪ねていってみたいと思ったものでした。


まさかその時には、やがて自分がその新潟に住むようになるなどとは、もちろん想像もしていませんでした。


まずは佐々木隆さんに会ってみたい、姫路MGの次には新潟で開催されるMGに行ってみたい。


そういうことで藤原さんから情報を得て、佐々木さんに連絡をとってみることにしました。


もっとも、ちょうど仕事や出張が立て込んできた時期でもありましたので、


実際にお電話ができたのは12月に入ってから、運良く佐々木さんは在社されていてお話しすることができました。


その時には、事務的に翌年(1988年)度のMG開催予定を尋ねたに過ぎませんでした。


会社の繁忙期が終わる5月の後半以降に参加する旨をお話しして受話器を置きました。


これが佐々木隆さんとの、最初で最後の接触機会となってしまいました。


今から振り返れば、もっともっとMGについてとか色んなことを話しておけば良かった。


たったの1~2分で電話を切ってしまったのを、今でも本当に残念に思います、出会うことも叶いませんでしたし。


その電話から10日余後に佐々木さんは急逝されてしまったのです、弱冠39歳でした。


12月21日、奇しくも城野宏さんと同じ(城野さんはその2年前の1985年)命日です。


その話を、私は年を開けて姫路のMGに参加した際に、西先生からお聴きすることになるのです。


結局その年はMGを2回、10期やっただけで終わりました、まだまだ黎明にもほど遠い時期でした。

来年の今頃はどうなる

昨日8月9日は、75回目の長崎原爆の日でした。


私自身も「戦争を知らない」世代ですが、亡くなった父母たちから戦争の話を良く聞かされた世代でもあります。


父は召集令状で中国大陸に送られ(通信兵でした)、戦後はシベリア抑留の過酷な体験をして来たそうです。


昭和23年に幸い帰国できたからこそ、今ここに私も存在しているわけですが、生前ほとんど抑留話はしませんでした。


父の引き出しの中にあったノートや写真などを内緒で見て、いくつかの事実を知ることになりましたが、自身の口から耳にできたことは僅かでした。


戦争当時両親は大阪に住んでいましたので、母からは空襲の話を何度も聴かされました。

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実際、私が物心ついた1950年代の中頃は、まだ戦争の爪痕があちこちに遺っていました。


例えば今は公園として市民や観光客で賑わう大阪城周辺には、砲兵工廠などの焼け跡が鉄骨むき出しで遺っていました。


そういうものを見た時には、主に母からどういうものであるのかを聞かされた記憶があります。


ですから実際の戦争体験はありませんが、戦後体験というのは幼心に刻まれています。


また、60年安保は映画やテレビのニュースで目にし、70年安保は学生としてそのまっただ中にいました。


戦争を知らない戦後世代として、何らかの関わりを持っていなければいけないと感じていた世代だろうと思います。


ところが戦後75年、3/4世紀を過ぎた今はどうでしょうか、戦争を体験した世代はどんどん少数派になっていきます。


今や、「戦争を知らない」どころか、「日本が戦争をした」ということすら知らない世代がどんどん増えています。


せいぜい歴史という授業の中でしか、その事実を教わらないわけ(それすらどこまでやっているか)ですから。


8月6日、9日どころか、8月15日や12月8日のことも「(歴史を)暗記する」対象ですらないように思えます。


これでいいのかなぁなどと思うのは、私自身が歳を重ねてしまっているからなのでしょうか。


さて、それはともかくとして来年の今頃、平穏であれば1年遅れのオリンピックが無事に終わっていることでしょう。


でも果たしてそうなっているでしょうか、かなり疑問符が付きそうです。


気持ちとしては無事開催してほしいと思うのですが、正直なところかなり難しいように感じています。


ワクチン開発が進んでいるというニュースも伝わってきていますが、あくまでワクチンです、特効薬ではないのです。


しかも、ワクチンにしろ特効薬にしろ、世界中にあまねく行き渡るでしょうか、1年先までに。


平和の印としてのオリンピックが開催されることを祈りつつ、まず今やることはなにかを考えるべきでしょう。


さて1年後はどういう夏を迎えているでしょうか。

反対意見の出ない会議って

三現主義という言葉は聞かれたことがあるでしょうし、実践されている経営者も少なくありません。


これは、現場/現物/現実の3つの『現』を重視し、机上論に終始しないようにということです。


ですから、実際に現場で現物を観察して、現実をしっかり認識した上で事に当たれということになります。

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A社長も、三現主義の実践者を自負していて、小さな会社のどこにでも姿を見つけることができます。


私が訪問した時にも、社長自ら各部署を案内して下さいました。


細かいところまで行き届いているなという雰囲気を感じたのですが、何となく違和感を感じたのです。


そこで社長が席を外された時に、若い社員の方にさりげなく聴いてみたのです。


「ええ、朝から晩までヒマさえあれば各部署を回られて、色々と指示されてます」との答。


その言い方に中に、面倒くさいなとか煩わしいなというマイナス感覚を感じたのです。


その日は一緒に昼食をいただいた後に、営業部のミーティングにも顔を出させていただきました。


もちろん社長も参加されていて、聞くところどうもほぼ毎回顔を出しているようです。


「できれば進行役もしたいのですが、それは営業部長に任せています」と。


2時間ばかりの会議でしたが、正直なところ余り活気のある会議とは言えませんでした。


準備がしっかりしているのでしょう、資料などは事前に配られていて、内容もまとまっていました。


論点なども明確でしたので、もっと活発なディスカッションを期待したのですが、、、


その理由が時間と共に分かってきました、出てくる意見に「反対意見」とか「質問、疑問」がなかったのです。


あとから社長に聞いたのですが、資料は社長が必ず目を通し意見した際にはそれを盛り込んで作り直しておくということでした。


これでは異質な考えを主張したり、もちろん真っ向から反対することはできないなと思いました。


会議に出て一方的に独演会をされる社長よりはマシかなと思いつつ、あんまりそれと変わらんのじゃないかととも。


ですから、予定されていた2時間の時間内に会議はスンナリと終了、ほぼ原案通り決定がなされました。


感想を求められたのでストレートに言ってしまおうかとも思いましたが、社員の皆さんの顔を眺めてみてやめました。


社長にはそれとなく感想は伝えておきましたが、おそらく変化はないのだろうなと感じています。


皆さんの会社ではどうでしょうか、小さな会社では起こりがちなことなんですが。


おそらくこの会社では、なかなか真実が表に出てこないのではないでしょうか。


とくに、社長に言いづらい情報などは担当者のところで止まってしまい、活かされること七位のでしょう。


これではいくら社長が三現主義を唱え、自ら実践して(いるように見えて)いても、その効果は大きく減殺されてしまいます。


幸いに未だ社長独演会には至っていませんし、社長にも意見を聞く耳はありそうですから、早く気付いてほしいものです。


私はその会社のコンサルタントではありませんから、アドバイスする役割ではありませんが、


それでも気にはなりましたので、研修仲間として他者の事例を紹介しながら会議のあり方をそれとなく伝えました。


未だ若い社長ですからそれに早く気が付いてくれて、良い方向に舵を切ってくれることを祈っています。

『私とMGと経営』こぼれ話(11)

初MGが終わった翌月、会社の研修派遣メンバーの最終グループが完了したあと、社内研修実施が告げられました。


インストラクターは、同じく兵庫MG会の藤原さんでした。


研修派遣メンバー中心、今度はみんな顔なじみでしたので気は楽でした。


東京や福岡といった支店のメンバーや工場幹部も、毎月のように顔を合わせていたので和気藹々ムードです。


それでも営業部長や経理部長も参加されるということで、会社もかなり本気なんだなと感じたものでした。


会社のある岡山市の郊外にある研修施設、一部の幹部を除いて全員が宿泊という合宿研修でした。

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もちろんほぼ全員が2回目のMG、今回初参加も数名いましたので、全員初心者といってもよい研修でした。


社長も初日の朝には顔を出され、この研修の意義を語られました。


そして2日目のまとめの講義が終わったあとに、MG導入を提起されたY専務から話がありました。


曰く、社内研修の一環としてMGを継続実施していくこと、


また幹部社員だけではなく、総合職の一般社員も部署や男女にかかわらず体験してもらう。


ついては社内インストラクターを3名養成することにするので、自薦他薦で誰かやってくれないかと。


手を挙げたのは生産管理の課長だけでしたが、人事の係長も役割として他薦で選ばれました。


あと一人ということで専務から直接指名されたのは、何と私でした。これも経営管理室長という役割のせいだったでしょう。


こうして3名が選ばれ、翌年(1988年)春以降のMGインストラクターコース(MGシニア)を目指すことになりました。


シニアに参加する前にあと数回MGを体験すること、社外の研修に参加するように告げられました。


藤原さんからは、早めに開発者である西先生が来られるMGに参加した方が良いともいわれました。


その日程をお尋ねして、年明け1月の姫路開催MGなら行けそうだと分かり、すぐに専務に申告して了解を得ました。


ゲーム成績は再び落ち込んだ社内MGでしたが、目標の決算トップは獲得、所要時間も短縮できました。


同時にインストラクターへの道がひらかれ、それが後半人生に大きくつながることになるのです。


ちなみにこの時、私はあと少しで36歳の誕生日を迎えることになる頃でした。

真夏の旅鉄

その昔、といっても40~50年くらい前には、旅に出て客車列車に揺られることもけっこうありました。


70年代の幹線にも長距離列車が、急行はもちろん普通列車も残っていました。


学生時代は夏休みを利用して遠方に出かけることが多かったわけですが、


昼間の列車は急行であっても冷房車はまだ多くなく、各駅停車は間違いなく非冷房でした。

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となると、窓は全開で走ることになりますし、古い客車だと扇風機もない車両もありました。


客車列車だと駅に停車をしますと機関車のモーターやエンジン音が聞こえるほかは無音、


昼間ならセミの声が響き、夜ともなれば蛙の大合唱がうるさかったものでした。


田舎の駅でも特急や急行列車に抜かれる時、あるいは単線で行き違いの時などは長い時間の停車もありました。


そんな時は機関車の音もあまりしなくて、いかにも夏という雰囲気を味わうことができました。


しばらくホームに降りて、駅やホームにあった水道で顔を洗うと、地下水などだと涼感も味わえました。


スモーカーであった私は、ホームに降りてゆっくりと1、2本を吸っていたものです。


すこし大きな駅なら10分以上停車することも当たり前で、時には機関車の交換ということも。


これまで牽引してきた機関車が切り離され、新たな機関車がゆっくりとやってきて連結される。


これは乗り鉄にとってはもちろん、撮り鉄には見逃せない「イベント」でした。


発車までにはもうしばらく時間があり、駅弁やお茶を買い入れるのもこういった駅でした。


かつては時刻表に駅弁を売る駅には記号が表示されており、欄外に弁当名と値段が記してありました。


またホーム上でのうどん・そばの立ち食いの楽しみもありました。
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ただ「そばアレルギー」のある私は、うどんやきしめんしかない店を選んで食べるようにしていました。


やがて発車のベルが鳴り響き、駅長あるいは助役の合図で車掌が笛を吹き、やがて汽笛一声、ガクンと客車が揺れての出発です。


こういう旅の風情はほとんどなくなってしまいましたが、未だそんな面影を感じる駅は各地にあります。


今はそこに止まる列車は、電車や気動車、それも多くは短い編成両数になってしまいました。


それでも、鈍行列車にゆっくりと揺られる旅はやっぱり最高です。

再掲・なぜリアルセミナーをやらないか

先月初めに、ある方から公開セミナー(キャッシュフローMG)についてのオファーをいただきました。


5月の緊急事態宣言の解除から、少しずつ制限が解除されてきて、しかも感染者数も減っていた時期でした。


気持ちの中でもかなり収束が見えてきているのではないかと、ホッとするところでもありました。


8月の長岡・米百俵MGも含めて年内は公開開催はしないと心に決めていましたが、僅かに「早すぎたか」という感覚も。


ですが、暑さが過ぎて秋が来る頃にはもしかしたら第二波の懸念があると感じていましたし、


何よりインフルエンザの流行期とも重なってくる、そういう未知の状況への恐れを抱いていました。


よって、決めたことを曲げようという気にはなれず、オファーについても丁重にお断りしました。


MGの良さが交流会も含めて三密と元気さ(声を含む)にあることは、以前も書いた通りです。


それが感染拡大に対してはもしかしたら引き金になる恐れがある、それがMGを開始しない理由です。


脳力開発講座についてはそこまでのリスクはありませんが、ミニセッションはやはり密にやるから愉しいものです。


そしてMGと同様に、講座後講師と参加者が膝を交えて熱っぽく語り合うことが大きな学びになります。


万全の予防・防護措置をとって開催することは可能ですし、すでに色んな仲間で一歩を踏み出しています。


でもやっぱり、私は「ルビコン川」を渡ることができません。その理由を改めて記します。
 1)三密が避けられない/その三密こそが私の主催するセミナーの良さ(プラス面)である
 2)呑み会を伴う情報交流会を組み込む自信はない
 3)完璧に近いところまで予防はできるが、もし万が一に対して打つ手がない/参加者の安全を担保できない

まぁ、端的に言ってしまえば私が「こわがり」だというのが最大理由です。



そして7月に入ってどういう状況になっているでしょうか、3~4月とは状況・局面は違いますが。


それに私自身もそこそこの高齢ですし、過去には呼吸器官系の持病もありました(現在は完治しています)。

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ですから、このままやわやわライフを続けながら、9月からは本格的なオンラインセミナーをスタートします。


またYouTubeを活用した「連載・こぼれ話」を7月から始め、多くの皆さんからチャンネル登録もいただいています(下のQRコード)。


社員研修(脳力開発)もオンラインでやり始め、これからクライアントを増やしていく心積もりです。


MGについても、社内研修としてであれば地元でのサポートから考えていきます。



やれないことをくよくよしていても始まりません、やれることをどんどん見つけてチャレンジです。


今後ともよろしくお願いします。
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『私とMGと経営』こぼれ話(10)

初MGもゲームが終了し、まとめの「戦略会計」講義が始まりました。


その冒頭で成績発表・ことがら表彰があるのは、今も昔も変わりません。


ゲームの成績(最終自己資本)は自分には関係ないことと傍観していましたが、その中に自分の名前がありました。


あれ、なんであるのかなと目を凝らしてみると、「決算順位」が記載されているのです。


しかも2番目に書かれています、なるほどここは最終の5期の順位なんだと理解しました。


初めてのMGで2番目というのはすごいですね、とインストの藤原さんから言われて「そんなものなんだ」と思いましたが。


成績順に表彰状が渡されたその後に、(私にとっての)ハプニングがありました。

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それは特別表彰ですと言って私の名前が読み上げられたのです。


新人決算特別賞、へぇそんなことで表彰状がもらえるのかと思って、すこし照れてしまいました。


結果的に言えば、この特別表彰状が私がその後長く、今に至るまでMGを続けるきっかけになったようです。


もしこれがなかったとしたら、続けていこうという気持ちは大して湧かなかったのではないかと感じています。


ゲームの成績で(本当の)表彰状をいただくのは、それからかなり先のことになるのですが。


その時に、目標にすることは単に成績(自己資本)やPQ(売上)だけではないという、気付きをさせてもらったこと、


そのことが強い刺激になったことは間違いありません。


実際に、次の目標は決算順位でトップになることになりましたし、


決算時感を1分でも短縮していくことになりました、まずは20分を達成することから。


いずれにしても、「機会があれば続けよう」という気持ちにはなったようです。


自分から進んでやっていくという前向きな気持ちになるのは、もう少し後のことになるのですが、次回はそのあたりから。


帰りの新幹線の中では、岡山までぐっすりと居眠りできたようでした。

強みが弱みになる時代

企業の行き詰まりが後を絶たない、あるいはこれからまた加速していくかも知れない。


新型コロナウイルス感染拡大を防ぐための緊急事態宣言が功を奏したのか、一時は収束への期待も高まった。


実際のところ、東京でさえも感染者数が激減していたし、我が新潟県でも感染者ゼロの日が1ヶ月以上続いた。

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様々な自粛が緩和され始めた時も、この状況なら大丈夫だろうという期待もあったし、うまくいくような気持ちも持った。


だが、それは余りに甘い見通しであったことを、さほど時間もかからず目の当たりにすることになった。


若干感染者がそれまでよりも増え始めても、自粛や制限緩和の小さな結果に過ぎず、収束への方向は揺るがないと。


しかしすぐにそれは誤りだと気付いた時には、既に遅かったのかも知れない。


緩んだ気は、そうはカンタンに戻らないのが人間の弱さだろうか。


見る見る間に、感染自粛前の数字を追い越し始めた。


検査数が当時の何倍も増えたのだからという理由で、すこし安心させられたのもいけなかった。


第二波なのか何なのかは分からないが、陽性率を始めとして悪化の傾向がハッキリと目に見えてきた。


そういう状況だこれからも続いていくだろうし、以前と同じ緊急事態宣言は出ないとしても再び自粛や制限が出てくる。


そうなると、様々な事業体が再び大きな影響を受けることになる。


とりわけ直撃を受けるのは「現金商売」が主体のところだろう。


実は現金商売は、かつては強い商売だといわれてきた。確かにそうだろう、日銭が確実に入ることは強みに違いない。


さらに仕入などは後払い、締め日に請求書をもらっての月末や翌月払いが多いはずだ。


中には支払には手形を切って、キャッシュフローを有利にやっている「つもり」になっているところも少なくなかった。


しかしコロナ時代にはこれは完全に裏目と出てしまう、なぜなら肝心の日銭が思うように入ってこないのである。


つまり現金商売というのは、日々の売上が立たなければ成り立たないということだ。


しかもこれまでは日銭が入るからということで、手元資金はかなり絞り込んでいた。


設備資金はともかくとしても運転資金は借り入れに頼ることなく、現金商売の強みを活かしていた。


この強みが弱みに変わった今、企業倒産の引き金になることが明らかになってきた。


目先はコロナ対策としての給付金や補助金、あるいは事実上無利子の特別借入でしのげよう。


だが、こんなに早く第二波が来ることは想定の外だったし、コロナの影響がさらに長引くということも予測外だった。


さて、あなたの会社、お店は現状どうなんだろう。まさにキャッシュ不足の危機に直面していないか?


さらに運転資金の借入も考えられるが、借りたものは必ず返さなければならない。


今は良くても、いずれは据え置き期間も終わって返済が始まる。


先の見通しがあれば、経営計画書を提出して返済猶予などのいわゆるリスケの道を開くことも可能だろう。


だが、見通しが立つのか、コロナの終息どころか収束も見えない中でどうなのだ。


待ったなしだ、一瞬たりとも時間は無駄にできない。先ずは弱みを脱する工夫をやることだ。


座しては死を待つばかりということを、ハッキリと自覚してほしい。ホントに待ったなしなのだ。

世の中変わったのですから

新型コロナウイルス感染が拡がる中で、世の中の環境が大きく変わりました。


世の中が変わったということは人の意識が変わり、人の行動が変わったということです。


経済の動きとは人の動きそのものですから、経済環境あるいは経営環境も変わったわけです。


それは否応もなしに、好むと好まざるとに関わらずあなたの会社にも当てはまっています。


もちろんプラスに働く場合もあるでしょうが、今のところ多くはマイナスに働いているようです。


プラスに働いているといっても、同じ業種業態の企業がどこでも同じように享受できているわけではありません。


どんなことにもプラスの要素とマイナスの要素、その両方がいつも存在しているということなのでしょう。


平等に提示されている、本来見えているはずなのですが、いち早く見つけられる人・企業とそうでないところがあります。


これもまたやむを得ないところですが、あなたの会社がどちらの立場に立てるか、それは大きな問題です。


ハッキリと言えることは「変わった」ということです。


パラダイム転換などと大仰なことを言うつもりはありません、言葉の問題ではないのですから。


でも「変わった」ことを現場第一線におられるのであれば、日々肌で感じられているはずです。


そこに如何なる手を打つのか、これまでと同じことをやっていて良いわけはない、当然のことです。


なのに、相変わらず同じやり方、手段/方法/道具を変えないまま立ち向かっているのではありませんか?


どうやったらいいのか? おやおやそれも分からないでウロウロしておられるのですか。

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分からなければ、これまでとは反対のことをやってみてはいかがですか。


物事には表と裏、上と下、右と左というように反対が必ずあるわけですから。


それがダメなら誰かがやっていることを徹底的に真似てみる。


いつまでも真似ていてはだけですよ、真似ている間にあなたのところのオリジナリティを見つけて加えねば。


立ち止まっているヒマなどありません、今からすぐに歩き出さねば、一歩を踏み出さねば。


失敗したらどうしよう、などと考えているヒマはありません。


止まっていても地獄なら、歩み進んでいっても地獄の方を選んでみては。


止まっていると地獄が続いているだけですが、進めば違った局面が現れない共限りません。


しっかり目を見開いてその瞬間をとらえるので、それが微かなプラスであってもそこに光明があるかもしれません。


求めよ、さらば与えられん。さぁ、一歩足を踏み出しましょう。

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