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『私とMGと経営』こぼれ話(9)

初MGの最終第5期、4期は上位卓でもまれてしまい埋没しましたので、下から2番目くらいの卓でした。


もちろん次繰り(青チップ)はなく、機械は小型のまま、セールスマン2人が唯一の財産でした。


在庫も合わせて5個程度、売り物も1個だけ、キャッシュも特別融資の長期借入を含めても、緑3枚と保険加入をして辛うじとていう感じ。
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幸いに(?)周りもほぼ同じような状況でしたし、再びジュニアルールで市場にもそこそこの材料。


前期4期とは違ってゆったりとしたゲーム時間の流れ、もっともP(入札単価)は低空飛行、


ただただラッキーカードに期待ということで、辛うじて売れた分のキャッシュを青チップ1枚だけの投資に。


そんな状況の最終期でしたが、何とか単年度の赤字も比較的小さく抑えられて、自己資本は100をすこし切った数字(91)で終わりました。


最後は会社盤の上のものをほとんど売り切ってしまい、仕掛品が2個残っているだけという状況でした。


最初からゲーム成績の方は捨ててかかっていましたから、決算「勝負」に全身全霊です。


おそらく周りのことなど、全く眼中になかったことでしょう、一心不乱に電卓と鉛筆に集中。


これまた幸いに、在庫もピタッと合い(20個足らずの販売でしたから)、現金勘定もバッチリ。


同卓の誰かが在庫が合いませんといっているのを尻目に、第5表に取りかかります。


こちらも焦ることもなく、最後に縦横も合いましたのであとはSTRAC表(MQ会計表)作成。


ところがトップの方はもう早くも提出、「焦るなよ」と自分に言い聞かせて最後の仕上げ。


名前や丸付けもチェックして提出、2番目でした。決算所要時間は確か25分くらいでした。


そして間違いもなくOKが出て、決算順位を見ると、トップだったベテランさんに次いで2番目でした。


よしやったぞとは思いましたが、その時にはこのMGを今後も続けていこうという気には全くなっていませんでした。


ゲーム成績がイマイチだった悔しさはありましたが、だからといって次回はリベンジだなどという気持ちも全く起こっていませんでした。


二度とやりたくない、という気持ちはありませんでしたが、これが最初で最後かなという意思だったでしょう。


まぁこんなものかというくらいのことで、一緒に来ていた会社のメンバーもほぼ似たような成績。


その中では真ん中くらいの成績でしたし、決算はトップでしたから満足ではないにしろ、ホッとした感覚でした。

情報に振り回されずに

日々発表される感染陽性者数に一喜一憂するなと言われます、まさに正論ですしその通りだと思います。


数字自体が同じスパンではじき出されている数字ではないので、日々を細かく比較すること、上がった下がったと騒ぐことも意味は薄いでしょう。


しかしながら、いくつかの数字を1週間単位で移動平均化してみると、少なくとも収束に向かっているとは誰も思わないはずです。

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それどころか、間違いなく上昇カーブを描いている。それは私のような素人でも分かる。


一週間単位の移動平均(A)といったが、二週間単位(B)、さらに三週間単位(C)の移動平均を出してグラフ化してみれば驚く結果になるのではないですか。


おそらく徐々に下がりつつあった(C)が緩やかに上昇に転じ始め、


その(C)を(B)が緩やかに追い越していくのが見て取れるでしょう。


さらにその(C)と(B)をここに来て一気に追い越していく(A)の折れ線が見られるはずです。


これが経営データであれば「ゴールデンクロス」と言って、素晴らしく喜ばしいところなのですが。


危険度やリスク度合いから言えば、その逆の「デッドクロス」と言っても間違いないわけです。


そういうことをその道の専門家の方はよくご存じです。


だからこそ、庶民の目を何とかそらせようと躍起になるのではないかと疑ってしまいます。


曰く、日本人の感染数は欧米各国に比べると極めて少なく、どうのこうのという数字ではない。


あるいは、今のところ重症化している発症者も全数から言えば少ないし、死亡率も高くない。


そして、この新型コロナウイルスというのは弱毒性であって、罹っても軽症や無症状が非常に多い。


挙げ句の果てにもっともっと多くの人が感染して、それぞれが抗体を持つようになれば自然に収束していくなどといわれているのです。


弱毒性は事実なのだろうし、今のところ軽症者や無症状者が多きと言うことも数字の上から事実と言えます。


だからといってこのまま放置しておいて良いなどとは、暴論以外の何ものでもありません。


専門家というのは、自分の知識以外のものは目に入らないらしく、「鳥の眼」でものが見られないようです。


それに輪をかけて速やかな判断、意思決定ができないのが為政者たち、あるいは高級官僚たち。


結局泣くのは庶民たちなのです。なにしろ、自己責任が問われる社会なのですから。


事実だけしっかり見ながら、余計な情報に振り回されないで、やわやわライフをこのまま続けていきますよ。

都電は絶滅危惧種か

都電、今では荒川線が残るだけになりましたが、かつては山手線の内側はもちろん、都内を縦横に走っていました。


60年代後半から都電廃止は次第に加速して、1972年11月にほとんど全廃されてしまいました。

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荒川線も廃止の方向が示されていましたが、72年に一部系統(王子駅前ー赤羽)が廃止されたのに留まりました。


これは12km余の路線のほとんどが専用軌道であり、代替道路のないところも多かったことによります。


現在も路面併用軌道は王子駅前ー飛鳥山間と、小台ー熊野前間のみです。


後者はセンターリザベーションで車とは分離されていますので、車と競合する純然たる併用軌道は前者のみです。


専用軌道区間はけっこうスピードも出して走りますので、踏切も整備されています。


全ての停留所は高床式ホームとなっており、前後にはスロープが設けられています。


荒川線は王子電気軌道という私鉄線が前身で、元々は4つの正式線名(鉄道要覧)を持っていました。


その4つは三河島線、荒川線、滝野川線、早稲田線でしたが、95年に荒川線が正式名称になりました。


途中の折り返しはありますが、運転系統は一つです。全線を通して乗車すると標準運転時間は53分となっています。


車両も軽快な路面電車、最新のモータや制御器を搭載した車両もあり、もちろん全て冷房車です。


他の都市に見られる連接車・連結運転が見られないのも荒川線の特徴かも知れません。


「さくらトラム」の愛称もつき、これからも元気に都内を走ってくれることでしょう。


というわけで写真は72年廃止直前の錦糸町駅前の都電と、最近2016年の大塚駅前を走る荒川線です。

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『私とMGと経営』こぼれ話(8)

初MGの2日目が始まりました。


かなり遅くまで(午前様まで)起きていましたので、起き上がっても頭はいささかボーッとしていました。


同室のSさんから「何か一つ目標を設定してやるといいですよ」と、前夜アドバイスをいただいていました。


ゲームではどうも勝てそうには思えませんでしたので、決算順位で上位に入ることにしようと考えてきました。


前日の第3期で10位以内に入れましたので、少なくも10位以内、可能なら5位以内を目指そうと決めました。


第4期は前日の第3期にラッキーカードのおかげでそこそこにPQ(売上高)があがり、すこし上位卓に移動でした。


しかもシニアルールが適用されるとのこと、それって何ですか? 説明も飲み込めないままゲームがスタート。


販売力はセールスマン2人で4個売り可能でしたが、小型機械だけでは仕入も生産も追いついてきません。


青チップの次繰りは1枚もないし、さりとて特急40円はとても投資ができません。赤チップで売る知恵もありません。


ひたすらラッキーカードを待つのみですが、こういう時にはちっとも引きません、ついには東京市場に20円売りです。


それも前半はそれなりに売らせていただけるのですが、後半になると東京市場にお競合してくるのです。


何とか15個くらいは必死で売りましたが、当然にP(販売単価)は上がりませんから大赤字になりました。


こうなったら決算順位で「勝負する」しかありません、心を決めて一斉スタート。Photo_20200727203501


シニアルールでしたから人件費・経費を間違わないように気を付け、幸い在庫も合わせもピッタリ、差額もゼロで第5表に。


涙ぐましい努力で、日付と名前とはあらかじめ書いておいたのですが、前期BSはさすがにやりませんでした。


こうして業績数字は惨憺たるものでしたが、確か6、7番目くらいに提出することができました。


あとは間違いがないことを祈るのみ、私より前の人が2人「ハイ、ダメ~」でしたので、心臓はバクバクです。


バンドーさん!あ、ダメかなと思ったらすこし間をおいて「OKです」!!


何と何と決算順位欄には赤い文字で「3」、やったー! 大赤字に落ち込むこともなくふうっと息を吐き出しました。

クライアント社募集だったり

このブログでも何度か書いてきましたが、本業は「経営コンサルタント」です。


コンサルタントという呼び方が好きでないので、経営者へのサポーターと名乗っています。


ちなみに国が認める資格、税理士とか公認会計士、中小企業診断士などは持っておりません。


税理士は税務の専門家、会計士は企業会計の専門家、そして診断士は経営診断・相談の専門家です。


彼らはそれぞれの道のプロフェッショナルですが、惜しいかな「経営のプロ」あるいは「プロ経営者」ではありません。


私は、社員15名くらいの年商7億円前後の小さいながらも、会社を16年半に亘って経営しました。


その後も上記のように経営者へのサポーターとして、今年で13年目に入っています。


個人事業主ではありますがずっと経営を続けており、決算業務も自分で行い、幸いにずっと黒字経営です。


また社員教育・人財づくりという分野であれば、「二足のわらじ」時代を含めると20年以上の経験を有しています。


そんなわけでプロ経営者であり、かつ人財づくりのプロだという自負を持っています。


ただ狭く深くという意味での専門家ではありません、その代わりにどんな業種業態のことでも対応しています。


現在のクライアント会社も製造業あり、サービス業あり、卸小売業ありなど様々です。


大丈夫なんですかと聞かれることもありますが、経営や人財づくりのキーポイントには共通性(普遍性)がありますから。


ただこれまでは必ず条件があって、年に数回(可能なら毎月か隔月)直接顔を合わせることと現場を見ることでした。


ですから、サポートさせていただくクライアントの数も少なく限らせていただきました。


何しろここ数年前からセミナー業の方が多くなり、その多くが遠征を伴いますので会社訪問頻度を維持しようとすると、サポート社数を減らさざるを得なかったのです。


ところがこのコロナ騒動で事情が一変、セミナーの全てを中止にしたために遠征もなし。


クライアント訪問もリモート、ZOOM等による面談・ミーティングに切り替えました。

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そうすると、各社の経営者との面談は各社とも毎月にできるようになり、現場もスマホ等で巡回ビデオをリアルタイムで見ることがきます。


そこで、もしこんな私のサポートでもいいと思われる企業がありましたら、ご縁を結びたいと思っています。


また、社員研修もZOOMを活用してのオンライン研修が駆使できるようになりました。


実際に複数社でオンライン社員研修をキックオフしています。


いかがでしょうか、詳細はご連絡をいただければオンライン面談でお話をさせていただきます。


新しい時代の企業サポート、社員研修、ぜひ体験・お試ししてみられませんか。

コミュニケーション新時代

新型コロナウイルス感染拡大に伴い、働き方を変えることが会社の業種業態や規模にかかわらず求められています。


当初は収束が見えてくるまでの一過性のものと考えていた企業でも、そうはいかない状況を感じておられるでしょう。


例えば「人と会うことを8割減らす」目的から、テレワークなどの新たな仕事のやり方が必要になりました。


製造業の製造現場や接客が必須の店頭など、テレワークがほぼ不可能な場合は他の対策が必要になります。


うちの会社は社員も少ないし、テレワークができるような設備もないしと背を向けているわけにはいきません。


むしろ小さな会社ほど、やれることを考えて実施することが求められるはずです。


また、大きな会社に比べてみれば工夫次第で「すぐにやれる」という面があり、メリットも得やすいと言えます。


またテレワークに欠かせないPCを新たに購入することや、プリンタなどの周辺機器あるいはソフトの導入については補助金制度も利用できます。
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何よりも大事なことは、これまでやっていた仕事を根本から見直してみることです。


ワーク(業務)フローともいいますが、仕事のプロセスや使う道具、ツール(伝票や書類含む)を全て仕事の手順で並べてみるのです。


そうすると、手順の中にムダがないか、必要もない伝票や書類を作ることに手間が取られていないかが分かります。


さらにその中でリモートワークが可能なところ、あるいはリモート化できる部分をピックアップしていきます。


リモート化するために邪魔になるもの、例えば「確認」とか「承認」などの押印などはムダの典型になるかも知れません。


さて、もう一つの懸念はリモート化することで、社内のコミュニケーションが悪くなるのではという懸念です。


顔を合わせないことで、直接話をしないことで伝わるべきものが伝わらなくなる、そんな話を時々耳にします。


そもそも、あなたの会社はそんなにコミュニケーションが良いんですか?


ほうれんそう、報連相と日頃からうるさく言っているのではありませんか、言ってもなかなか良くならないとか。


これがリモートになるとさらに悪くなるんじゃないか、などと余計な考え方をしてはいませんか。


むしろやり方次第でコミュニケーションは良くなる、そうした事例がこのウィズコロナ時代に見られるようになっています。


リモートワークをやる上でのルールだけを、それもキチキチしたものではなく比較的緩いやり方で十分です。


ただ、「この時間までに」仕事を終えるとか、連絡を入れるとか、小さなチェックポイントだけを作っておく。


意外とそれで、これまで余り良くないとみられていたコミュニケーションがスムースになったりします。


さらにリモート会議、例えばZOOMなどを使ったミーティング、チーム会議などを行います。


その数は余り多くない方が良いですし、どちらかと言えば社員の方から求めてきた、提案してくる会議が望ましい。


こうして、みんなが直接顔を合わせるのは月に1~2回でも十分に会社が回る、そんな連携組織に作りかえてみませんか。


うちの会社はコミュニケーションが悪いと嘆いてばかりいないで、方法や道具のせいにしないで、切り口を変えてトライしてみませんか。

夢は捨てたくないけれど

もし何ごともなかったとしたら、今日は東京オリンピックの開会式当日です。Photo2_20200723224001


一部の競技は昨日から始まっていて、東京はじめ各地に世界各国から多くの人が訪れていたことでしょう。


新型コロナウイルス感染がここまで拡大していくことを、今年初めの時点で誰が予想したでしょうか。


その世界が一変しました。今や全世界で1日20数万人の感染者が発生しているのが現実です。


日本でも昨日は全国で1000人に迫る感染者、もちろんこれまでの最多人数を軽く更新でした。


東京では366人、周辺の3県を合わせると500人以上にもなります。


さらに愛知県が100人寸前、大阪府も2日連続で100人を超えてしまっています。


太平洋ベルト地帯だけでなく、そういう大都市とつながる都市、地方都市にも拡大しているようです。


我が新潟のそれも離島である佐渡でも感染者が判明、確定してはいませんが「東京由来」ではないか、


東京かどうかはともかく、島の外から持ち込まれたということはほぼ間違いないでしょう。


こういう事態こそが第二波だという専門家もいらっしゃいます、門外漢の私にはその是非は分かりませんが、


いずれにしても再び感染の再燃が始まったということを、事実としてとらえることができます。


緊急事態宣言が出る前の3月末から4月初めとは感染傾向などは異なるようですが、陽性者数ははるかに多くなっています。


少なくとも大都市を中心として、市中感染が現実のものになっているということなのでしょう。


幸か不幸か若い世代の感染が過半数を超え、比較的軽症あるいはほとんど無症状だということです。


しかし、30代を超える世代にも拡大がジワジワと見られるようになり、重症者も少しずつ増える傾向にあります。


この事実、とてもオリンピック・パラリンピックどころではなかっただろうと、さもしたり顔でいう人がいます。


そのような気分にはとてもなりません、全世界で毎日この感染症で亡くなる人がたくさんいるという事実。


まだワクチンや特効薬の切り札がないという現実、やっと先への光が微かに見えてきた段階に過ぎないのです。


1年後、本当にオリンピック・パラリンピックが開催できる世界になっているでしょうか。


悲観的な見方が多い中だが、私は一縷の希望を切り捨てたくはありません。


なぜなら、開催できるならそれは世界が平和という素晴らしい時空の中にいるということですから。


夢は捨てたくない、そうでしょう。

昭和の軽便鉄道

軽便鉄道という言葉は、現在ではほとんど死語になっています。


鉄道の敷設には厳しい法律があり、資本力の弱い地方での設立は難しかった時代がありました。


そんな時代に、主に都市部では軌道法という許認可が地方鉄道法よりは易しい法律によって、路面軌道線が作られました。


またローカル地域では、官鉄(国鉄)に連絡する簡易な鉄道として軽便鉄道法による鉄道敷設が行われたのです。

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多くの鉄道が官鉄よりも狭いゲージ(軌間)を採用しましたので、軽便鉄道というとミニ鉄道的なイメージがあります。


しかし実際には、官鉄と同じ1067mmのところや、中には標準ゲージ(1435mm)の軽便鉄道も存在しました。


主体は762mm(2フィート6インチ=ニブロク)軌間で、北九州では915(910)mmが多く採用されました。


戦後は大半の軽便鉄道が廃止されたり、国鉄に合わせて標準軌への改軌を実施した鉄道もありました。


今日は非電化の軽便鉄道を代表する2つ、尾小屋鉄道(石川県・1977年廃止)と井笠鉄道(岡山県・1971年廃止)の2枚を紹介します。


尾小屋鉄道は、非電化軽便鉄道としては国内で最後まで残った鉄道で、現在も車両が動態保存されています。


井笠鉄道の車両は、蒸気機関車や客車が西武鉄道山口線で走りましたが、客車は今も北海道で活躍しています。


なお、電化された軽便鉄道では三重県の三岐鉄道北勢線と、四日市あすなろう鉄道が近代化されて残っています。

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オンラインで拡げる世界

様々なことが変わり、これからもますます変化の度合いが加速していくようです。


その変化は大袈裟に言えば、これまで人類が余り体験したことのないような大きな変化です。


これまでも第1次産業革命とか様々のパラダイム転換が起こり、その度に生活や仕事の大転換が起こりました。


産業革命と称されるものは人が自ら仕掛けたものでしたが、今回の新型コロナ感染拡大は少しニュアンスが違います。


疫病によるパラダイム転換は確かにこれまでに何度か繰り返されてきましたが、


この現状は「人によって地球が狭くなった」ことが、大きな引き金になっているようにも感じられます。


そんな大仰なものではありませんが、私自身の仕事にも少なからず影響を与えてくれました。


これまで当たり前に繰り返してきていたことを、いったんご破算にするような事態が押し寄せてきました。


これまで当たり前に考えていたこと、それは「直接対面する空気感」といったものでした。


クライアント社の経営者や社員さんとの面談、ミーティングやセッション、セミナーや社員研修など全ての基礎だと、


それ以外のパターンとかフェーズはほとんど考えてもみなかったわけです。


ところがそれが一気に不可能になりました。無理矢理こじ開けてでもという気持ちには、今もってなれません。


正直なところ途方に暮れかけたという感じでしたが、そこからパラダイムシフトが眼前に提供されはじめます。


純粋倫理で言うところの「捨我得全」です、あっさりと当たり前に考えていた基礎を捨ててしまったのです。


そうしたら、リモート・オンラインという世界が一気に「降りて」きたのです。


最初はせいぜいテレビ電話に毛が生えたくらいだろうと思っていたのが、とんでもない、大変奥の深い世界です。


今はまだその入り口を少し除いて、おそるおそる足を踏み入れ桁ところですが、何でもやってみようという気持ちです。


ですからいつも失敗だらけ、幸い致命的な失敗ではないというだけのことです。


例えば昨日もクライアント社の社員研修でしたが、1つのこと(ZOOMのブレイクアウトルーム機能)を試してみることに頭がいっぱいで、録画をすっかり忘れていました。202005-pr


それもまたよし、「まずやる、やりながら(あるいは後で)直す」で、これからもやっていきます。


6月にスタートした、オンラインの脳力開発講座もトライアル講座が次に日曜日で最終回。


9月からはいよいよ本講座ですが、それに付加するオンライン講座をYouTubeを使ってやることにしました。


社員研修も積極的にPR(赤チップ)していきますが、目標は年内にあと2社です。


あなたの会社もやってみませんか? ただし講習費はけっこう高いですよ。


何しろ、この脳力開発講座は私・板東秀行のオリジナル講座ですからね、笑笑。

『私とMGと経営』こぼれ話(7)

1208110 第2期のゲームが終わり決算がスタート、その頃は全員が決算も一斉スタートで所要時間を計っていました。


第1表資金繰り表は比較的早めに間違いもなく終わったのですが、第5表はそうはいきませんでした。


原価計算のところでつまずいて、というのも製造ミスが1個あったためでしたが、そこでつまずきました。


さらにその特別損失と前期損失分の計算ミスで縦横が合わず、ウロウロしてしまいました。


隣の方が「まず差額がいくらかを書いて」とアドバイスしてくれた時には、汗びっしょりでした。


くやしかったですね、それなりに自信があったはずなのですが、ゲームはダメで決算もさらにダメダメ。


3期目は始まる前にもう「採用する」と決めていて、始まってすぐにセールスマンを増員(1人ですが)。


それが功を奏したわけでもありませんが、「商品の独占販売」を2回も引いてPQは一気に上がりました。


もっとも2回目に引いた時には製品在庫がなくて商品を仕入れて販売、隣の人が教えてくれました。


当時のリスクカードは独占販売カードは、独占販売と広告販売のどちらか選択でしたので、もちろん前者を選びました。


青チップや赤チップはまだ買えず、機械も小型のままでしたが、それなりにPQは上がり翌日は少し上の卓へ。


決算は順調でした、特損がなかったこともありましたし、商品仕入のところは隣の人がアドバイスをくれました。


多分決算順位は、50数人中で10番以内に入ったかと思います。同じ会社の中ではトップでした。


何とか初日を終えましたが、どっと疲れが出て頭はズキズキ痛いし「まだ明日もあるのか」という気持ちが本音でした。


夕食後の明日4期の準備、夜の講義と経営計画の後にビールが出て交流会となりましたが、


正直その場から早く逃れてしまいたい気分でした。呑んだビールの美味くなかったこと。


宿泊は2人部屋で、すでにMGを50期か60期やられている食品会社の専務Sさんと一緒でした。


とにかくなかなか寝付けなくて、ベッドの中で寝返りばかりうっていたようです。


何しろ、目をつぶると青やら赤やら緑やらのチップが頭の中を駆け巡るのですから、寝られないですよね。


それに気が付かれたのか、Sサンが声をかけてくださり、しばらく缶ビールでお話しすることに。


ご自身がMGを始められた頃の体験や、色んなことを話してくださいました。気が付いたら暦も翌日へ。


強烈な印象のMG初日、おそらく多くのシーガルたちも同じような体験をされたことでしょう。


正直、「合宿」でなかったら2日目はなかったかも知れませんね、ホント。

チャンスは今しかない

新型コロナ関連の経営破たん(負債1000万円以上)が、2月からの累計が全国で335件に達した(東京商工リサーチ)。


直近の6月は単月最多の103件、7月も17日までに41件と高水準が続いている。


以前にも書いたが、あくまで負債1千万円以上で法的処理が始まった、あるいはこれから始まる数なのだが。


よって、そうではない負債1千万円以下のみならず、人知れず廃休業して消えていく数は相当数に上るだろう。


コロナ関連の経営破たんというが、それだけが理由というのではなく複合原因があるはずだ。


今回のコロナ禍によって引導を渡された、そこに至るまでに顕著になっていたほころびや錆などで耐えきれなくなっていた。


それでもこれからは単純な「コロナ倒産」が頻発する恐れは高いと予測される。Photo_20200719224301


少なくともコロナ前にはそれなりに優良会社と思われていたものが、長引くコロナショックの影響が問答無用に襲いかかる。


もっとも口の悪い私などに言わせれば、こういう状態が半年や1年、いや数年続いても大丈夫な会社にすべきだろうと。


他でも繰り返し言っているのだが、会社は赤字でもすぐには倒産しない。キャッシュが無くなれば直ちに倒れる。


それが基本的な原理原則だし、どんな理由を付けようがこの簡単な理屈だけには文句のつけようがない。


要するにあなたの会社がダメになるのは、コロナショックが長く続いても耐えられるキャッシュが用意できないからだ。


単純にそれだけだな度という気はないが、最終的にはそれで会社は倒れる。


人間の死亡診断書に、途中経過がどうであっても最終的には「心不全」と書かれるようなものだ。


一人企業ならそうなってもさほどの影響はない、迷惑をかける範囲もたかが知れている。


だがあなたの会社は、小さな会社であってもかなりの範囲に迷惑をかけてしまうことになるだろう。


どんなきれい事を言ってみてもカバーしきれはしない。空しい言葉に過ぎないだけのことだ。


そうならないように、しっかりとストーリーが描かれているのだろうか。


先が見通せないなら、見通せないというシナリオをちゃんと書いておくことだ、綺麗事ではない。


残念ながらコロナショックはまだ続いていくだろう、簡単には終わってくれない。


収束しそうになったし、地方では収束したと言えるところもあるが、日本全体としてはまだまだだろう。


ましてや世界というグローバルな視野で眺めれば、とても甘いことをいってはおられない。


小さな会社だって、たとえ細い糸であっても何かしら世界情勢(世界の現実)とつながっている。


よく見極めながら、真剣に生き残っていくことを考え、実行していってほしい。


生き残ることは困難を伴う、だが小さな会社の特性・特長を活かせば、大きな会社よりも困難さははるかに小さい。


表を見るなら裏も見る、左を見たら右も必ず見る、上があるなら下もあるのだ。


それが普遍の事実だからしっかり見ることだ。どこかに必ず生き残りの芽があるはずだ。


頭を抱えている暇などはない、嘆いている暇などなおさらない。チャンスは今しかないのだ。

リスクは常にゼロではないからこそ

新型コロナウイルス感染の動きが、新しいフェーズに入ったのではないか、


素人の頭ではそのあたりのことについてはよく分かりません。しかし何かが違ってきているとは感じています。


緊急事態宣言の解除が全国に拡がり、「自粛」領域のしばりの解除も次第に広がってきたのが6月。


そんな状況下で、人の流れや行動性向にも一気に変化が見られてきています。


最初はやや腰が引けていたのが、「みんなで渡れば怖くない」ということなのか、次々に制約が解かれ始めました。


もちろん「ウィズコロナ」を意識して、やるべき対策はしっかりやった上での『再開』ですが、何ごとにも完璧はありません。
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6月の上半期頃はまだおっかなびっくりという気持ちがあったようですが、幸か不幸か感染陽性者数も次第に減ってきました。


とくに地方では「陽性者発生ゼロ」の日が続き、かつての要注意地域でもゼロの日が出てきました。


まさかそれで安心してしまい気が緩んだのではないのか、あるいは「もう大丈夫」という気持ちになったのか。


感染して陽性が明らかになるまでには10~14日くらいかかるといわれています。


その間何らかの症状が出るか、おかしいと感じられればともかく、全く無症状やおかしい感覚もないケースがあるそうです。


無症状のままじわじわと(あるいは比例級数的に)、陽性者が増えてきていたのではないのでしょうか。


そんな中で、6月の少し世の中が落ち着いた雰囲気になってきた頃から、各地仲間たちの動きも再開されてきました。


オンライン・リモートだけでなく、リアル研修再開の動きもポツリポツリと見られ始めました。


7月に入ると様子を見ていた感じのところでも、研修実施に舵を切るところが増えてきました。


西研MGの中心でもある東京MG、その少し前には三浦海岸でのMGシニア研修も3ヶ月の空白を経て始まりました。


MGを愛しているものの1人として、とっても嬉しいことです。


これで各地の動きにも拍車がかかるかもしてませんが、一方ではやはり「中止する」意思決定をされる方もあります。


それぞれの判断・意思決定ですし、実施されているところも最善の対策をしてやられていることはいうまでもありません。


ですからここで、私がどうのこうのという気持ちはありません。


ただ私は、実施に踏み切る意思決定はまだできないことをお伝えするのみです。


おりから、先週半ばあたりから東京を始めとして「感染陽性者」の数が増え始めました。


首都圏や大阪圏を始めとする都市部はもちろん、そこから地方に波及している例も顕著になっています。


東京は16日に286名、昨日17日には293名の陽性者があり、この数は第一波と言える4月初めの時点をも上回ります。


この後どう動いていくのかは分かりませんが、多くの感染症専門家はかなり厳しい予測を述べています。


こういった状況と予測を元に、慎重な判断をすべき時が再びやってきたと考えざるを得ません。


何か起こってからでは遅すぎる、もし万が一「MG研修セミナーで感染陽性者発生」という事態が起こったら、


ましてや「セミナークラスター」などということになってしまったら、MGそのものが崩壊してしまう懸念が拭えません。


そんなことにはならないよ、心配しすぎですよと多くの方がおっしゃいます。


そうです、取り越し苦労であればそれでいいのです。でもやはり、私は警鐘を鳴らし続けます。


起こっていけないことが起こってしまってからでは遅いのですから。


ですから再開、実施されるのであれば最大限のリスク回避を徹底して下さい、気は抜けません。


100年前のスペイン風邪(正しくはインフルエンザ)では、第二波の死亡率が一気に上がりました。


今回のウィルス(東京型)がさらに変異を重ねてそうならないという保証はありません。なってからでは遅いのですから。


すでに市中感染が拡大している段階に入っているのかも知れません、無症状陽性者が隣にいることも脅かしではないのです。



移す方にも移される方にも、そんな意識はないとしても現実に起こりうることです、リスクはゼロではないのです。


今どうすべきなのか、落ち着いてゆっくり考え判断して下さることを、心よりお願いします。

『私とMGと経営』こぼれ話(6)

初MG(1987.0919)初日の午後、第2期の準備とルール説明が始まりました。


この時のルールは「MGⅠ」ルールでした。


現在のルールとの大きな違いは、緑チップが3枚(@10円)で、


材料倉庫にマーチャンダイザー、これで材料が1円安く買えます。


工場の緑はPAC生産性(現在はコンピュータ)で、1個多く作れる(完成投入できる)。


営業所の緑はマーケットリサーチで、入札で売れたら記帳する時に1円高く書ける。


これが完全に頭に入り間違いなくできるまでには、最低15期から25期くらいはかかりました。


青チップは今と同じですが、次繰りできるものはこの青だけ、ですから次繰り盤には「研究所」と記してあります。


赤チップは@10円、記入は確か営業経費(現在の本社経費)欄で、一度に複数枚買えますが期末には全部返却。


そしてセールマン1人に有効なのは2枚までという制限付き、この制限がなくなったのは比較的最近です。


教育チップはまだなくて、黄色のチップは保険でした。201808


ちなみに後日「教育」ができて黄チップが使われたため、一時期保険がなくなり「経費内蔵」になった期間もありました。


オレンジチップが数ヶ月後に追加されて、こちらが「オレンジ保険」となるわけです。


それから、完成投入はどちらも@1円ではなく、投入が@2円で完成が@1円でした。


採用には人数制限がなく、一度に何人でも採用できましたが、さすがにねぇ。


いずれにしても、ルール説明はただただ聞いているだけで、頭には全く入っていきませんでした。


「やってみれば分かりますから」という藤原インストの言葉、なんやそれ!?って感じ。


不親切やなぁ、もっと分かるように説明してくれよと思っていたのでしょう、きっとね。


そしていよいよ第2期のゲームがスタート、とにかく無我夢中の暗中模索。記帳するのにあたふた。


ですから何をどうやったかなんて憶えていません、気が付くと自分の順番が回ってきていましたから。


ルール表を手元に置いていましたが、見て確認する暇もなく終わりました。


当時は行数ではなく時間で「ハイ、終わり!」、第1表は30行でしたが、多分15、6行しか使えませんでした。


で、PQは124円でQが5個、つまり単価は25円でした。どうやって売ったのでしょう。

北と南の炭鉱鉄道

昨年の早春、日本で最後の(と思われる)炭鉱鉄道が長い歴史に幕を下ろしました。


その名は太平洋石炭販売輸送(株)臨港線、釧路コールマインが採炭していた石炭を、選炭場(春採)から貯炭場(知人)へと運炭していました。


かつては釧路臨港鉄道といい、東釧路駅で国鉄と連絡していて、1963年までは旅客輸送も行っていたそうです。


私が釧路を訪れた頃にはすでに東釧路駅周辺には構外側線の線路が残るだけで、車両を見ることも叶いませんでした。


その後は訪ねる機会を見つけることもなく、時おり雑誌やネット情報としてその姿を見るだけ。


私が初めて北海道を訪れた1971年頃はまだ道内各地に炭鉱鉄道があり、SLが雄々しく煙をたなびかせていたわけです。

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その中に「知られざる鉄道」としての日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道がありました。


私がその存在を知ったのは、朝日新聞社が毎年発行していた『世界の鉄道』69年版を見た時でした。


その69年版は「蒸気9600特集」があり、専用線の9600として日曹炭鉱専用線が紹介されていました。


宗谷本線の豊富駅から東に延びる16.7kmにも及ぶ炭鉱鉄道で、雄大な登竜峠越えがこの鉄道のハイライト。


古典客車(オハ31167)もあって、炭鉱周辺の住む住民の通勤通学の足としても利用されていたらしい。


そして翌年の72年夏、炭鉱の閉山に伴い全線が廃止され、いつしか4両いたらしいSLを始め客車も貨車も消えました。


南の運短鉄道といえば、これまたつい最近6月に運用が廃止された大牟田の専用鉄道の前身、三井三池炭鉱鉄道がありました。


こちらは早くから電化されて小型電気機関車が活躍、閉山後も先日まで化学工場の貨物輸送に従事していました。


九州の炭鉱鉄道といえばやはり筑豊炭鉱が有名で、70年代初めはまだ国鉄始めいくつかの炭鉱線、引込線がありました。


ただ60年代半ば以降次々に閉山が進み、それとともに炭鉱で働いていたSLたちも廃車解体されていきました。


最後まで残ったのは、直方の南にあった国鉄宮田線(勝野ー筑前宮田)の終点付近にあった貝島炭鉱・大野浦坑周辺。
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最盛期には総延長20km近い運炭線があったそうですが、最後に残った六坑と国鉄を結ぶ線路だけが残っていました。


私が訪れた71年にもまだ煙は上がっていて、古典SLを2両見ることができました。


ちなみに宮田線も石炭輸送がなくなると旅客も減り、JR九州に引き継がれた後89年に廃線となりました。


今日は日曹炭鉱のSL9643号機の牽く石炭列車と、貝島炭坑のSL31号機を掲載しておきます。

年間計画修正

フリーランスの私は当然ですが、1月1日から新年度がスタートしました。


1月と2月はほぼ予定通りにスケジュールをこなし、計画されていたセミナーも実施することができました。


ところがそこから後、すなわち3月以降のスケジュールは状況を見ながら1~2ヶ月先のものから順次取りやめを決定。


7月以降については腹を括って、5月の連休前後から下旬までに全て取りやめることを決めました。


これで12月の末まで全ての予定を白紙に戻したわけですので、年度計画の見直しが必至になります。


経営や社員教育のサポートをしているクライアントとの、内容の見直しも必要になりました。


何しろ、少なくとも今年いっぱいは直接訪問しての面談や指導、研修はやりませんと決めたものですから。


セミナーについてもオンラインでの講座をやっていくだけと決めました。

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そうなると当然なことですが、年間計画の大幅なと言うよりも白紙の見直しが必要になってきます。


当社の場合にはほぼ「売上=粗利益(PQ=MQ)」ですが、ザッと試算してみますと前年対比で75%減という予測数字になりました。


昨年がその前年比で130%くらいでしたが、一昨年に比しても半分にも足りないという予測が成り立ちました。


普通であれば「こりゃぁ大変だ」ということになるのですが、実は余り焦ってはいません。


確かにMQ(=PQ)は大きくダウンしてしまうのですが、経費(F)も大幅にダウンします。


つまりセミナー遠征、クライアント社への訪問遠征が3月以降10ヶ月間皆無だからです。


そうなると旅費交通費はほぼゼロ、研修運営費、広告宣伝費などもニアリーゼロです。


さらにオンライン以外の講習・研修にも参加しませんので、自分自身の研修費も半分以下になる見込みです。


通信費は月額定額に近いですから、リモート業務やオンラインセミナーが増えてもさほどは増えません。


PCの周辺機材を少し買い足したのですが、ソフト関係を含めて全部合わせても数万円といったところ。


この際ですから今年度は、かけるべきところのFは惜しまないで使っていきます。


例えばセミナー充実のためにリモート用のカメラ新規購入、それにプロジェクタの買替えを模索中です。


作業環境改善のためにデスクの取替、周辺什器の更新も前向きに考えているところです。


こうなってくると、いくら下がっても完全にFを吸収するまでには至りませんので、最終予測(営業利益)は赤字です。


ところがそこに救世主、すなわち例の持続化給付金(100万円)がすでに入済です。


この雑収入を加えると経常Gはトントンになるわけです。


ということで最終の見通しもできました。


皆さんのところはいかがですか?


沈んでばかりではいけませんよ、ウィズコロナやアフターコロナに向けての積極行動を実行していきましょう。

『私とMGと経営』こぼれ話(5)

兵庫MG会(主幹・後藤昌幸さん)の神戸MGの幕が開きました(1987年9月19日)。


第1期シミュレーションが始まりました、第1表資金繰り表を取りに行くところからもうウロウロです。


いくつか用紙が並んでいたので、初心者の中には第1表だけでなく他の用紙を取る人もあり、注意を受けていました。


私は隣にいた数回目受講という方の真似をしようと思っていましたので、とりあえず間違えずにできました。


とにかく番号順にやって下さいというのですが、どの番号なんだ?と目はウロウロ。


右の上ですよ、ありましたありました。ここからなんだと頷きながら鉛筆を走らせます。


この時の鉛筆は「やや濃いめがいい」と聞いていましたが<HB>でした、普段は<H>を使って仕事をしていましたので。


藤原(良明)さんのインストはやや初心者が多めなのでゆっくりでしたが、その時の私にはすごく速く感じました。


とにかく追いついていくのに必死です。隣の方はペースを合わせていましたが、対面の方はさっさと先に進まれていました。


頭が大混乱したまま、それでもナントカ第1表を埋め終わったと思ったら、休む間もなく次の表(2/3表)です。


それも四苦八苦して提出して一息入れる間もなく、休む間もなく第5表(マトリックス会計)です。


これは当然初めて目にする表でしたから、インストの進行に合わせていくだけで大汗をかきました。


ナントカ全部が埋まり最終の縦横合計(総資産・総資本)を出したら、悔しいことに合いません、呆然でした。


アレ、インストの言う通りにやったはずなのにと思っていたら、単なる記入ミスがありました、もう汗だけです。


最後の仕上げはSTRAC表(当時はBS表やCF表はありませんでした)、これはただ言われるままに数字を書き込むだけ。


それで提出してしばらくしたら、「バンドウサ~ン、ハイ、ダメ-!」と藤原さんの声。

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え、どこか違っていたっけと出て行ったら、ここにマルがありませんとひと言。どうでもいいじゃん、と思いましたっけ。


散々な第1期シミュレーションでしたが、これはホンの序章(写真の第1表は最近のモノで当時のモノとは異なります)。


そんなこととはつゆ知らず、お昼の弁当の味も程ほどに、短い休み時間の後すぐに午後が始まりました。


その昼休みは「どこの誰、なぜ来たか?」、えっ、何をしゃべれば良いんだ。


だって、「会社の命令」とか「業務命令」と言ってはいけない・・・って言われてもなぁ。


さて、どうスピーチしたのでしょうか。ムニャムニャと何とかごまかしたのでしょうね。


そこのところは、一向に記憶にございません。

トライアル講座から本講座へ

昨日までに東京では、4日連続して200人を超える新型コロナ感染者が発生、全国でも1日で400人近い数字でした。


首都圏1都3県だけでなく、大阪を核とした関西圏でも緊急事態宣言の解除から最多の感染者が出ているようです。


4月や5月とは発生の状況には違いがあるようですが、都市部では一向に収束が見られないことは事実です。


新型コロナだけでなく、さらに長く停滞する梅雨前線の活動による大雨被害が困難な状況を生み出しています。


実はコロナ禍以前に確定していたスケジュールでは、先週の後半はセミナー遠征で九州滞在でした。


金曜日には福岡市で脳力開発講座、土日は熊本市でキャッシュフローMGセミナーの予定。


一連のセミナーが終了した後の今日は、熊本の仲間とGOLFを楽しむ予定も組んでいたのです。


結果的には4月末までの時点でセミナーの中止(延期)を決定し、スケジュールは白紙に戻しました。


でも心の何処かで、7月になれば(セミナーも)やれるようになるのではないかと、期待を抱いていたことも事実です。


もし、コロナ禍もなく予定通りのスケジュールであったなら、大雨禍という別のリスクに巻き込まれていたかも知れません。


その時にはどんな行動がとれていたのだろうか、雨についてはまさかこのような大過になろうとは考えなかったかも。


大雨の降り出しが移動予定の前週後半でしたから、その時点でどのようなどのような判断ができたでしょうか。


幸か不幸か、コロナ禍による予定の白紙化によって、大雨や水害に巻き込まれることが避けられたことになります。


ギリギリまで意思決定を躊躇していたら、直前処理が増えてしまっていて、共催してくださる方々にも迷惑がかかりました。


それも避けられたわけですからよしとすることにしますが、水害で被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。


さて、昨日はオンラインでの脳力開発トライアル講座、第5講を行いました(17名参加)。


9月からの本講座を前に、私自身のトライアル・実験そして検証というのが趣旨の第一です。


初めて脳力開発に触れる方が、少し興味を持たれて本講座にも参加していただければさらに嬉しいところです。

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ZOOMの操作にもようやく慣れましたが、細かいミスはまだありますので、ちゃんとチェックをしておきます。


またトライアル講座では講義も30~40分ですが、本講座では参加者のやりとりも増えて1時間程度になります。


グループディスカッションも採り入れますが、こちらはテスト無しで本番ということになりそうです。


でもこうやって新しいコンテンツを確立していけることはありがたいことです。


自分の中にある、新たなチャンスに果敢にチャレンジするエネルギーにも感謝です。


9月からの本講座は現在のところ20名くらいのエントリーで、あと少し増えてくれたらと期待しています。


オンラインですから何人でも参加者は増やせますが、私の中では25名くらい、最大でも30名までです。


皆さんも、脳力開発という実践の学びにチャレンジしてみませんか。

信じて決めたことを真っ直ぐに

雨雲が空を覆っているが、少し明るい空も見えていて雨は小康と言ったところ。


とはいえ、今日明日の予報は雨が降ったりやんだりで大雨に警戒という。


そうでなくてもこの数日でかなりの雨が降り、河川は相当増水してるので警戒は緩められないだろう。


昨年秋の台風の折りには、長野県に記録的な雨が降ってその影響で、翌日の信濃川が大変な状強だった。


バックウォーター現象なども起こっていたらしい、本流が増水して水面が上がれば中小河川に逆流する。


水の力や流れの速さは想像を絶する、こんなものがというモノがアッという間に流され壊されてしまう。


古人も「水の力を侮るな」という教えのことばを多数残している。


なのに人は、日本人はそれらを忘れているのかも知れない。というより、キチンと伝えられていないことが多い。


まるで自然の理(ことわり)を征服したような、制御しているような錯覚を抱いて生活している。


自然がその傲慢な心に警告を与えているとか、鉄槌を下しているなどとは言わない。


それは余りに悲しすぎるし、被災された方々に失礼だろう。


ひたすらこの状況の真実を心に刻み込んでいきたい、自分を改めていきたい。


水害だけではない、新型コロナウイルス感染もまたそうなのだろう。Photo_20200711065801


東京での感染者数が日増しに増えて、緊急事態宣言の出る前の状況を超えている。


なのにアラートも一向に発せられないし、ましてや再びの緊急事態宣言が出される様子もない。


状況があの時とは違うのだと言われても、感染無症状が多いのだと言われても「そうなのか」とは肯けない。


相も変わらず、自分で責任をもって行動せよと言われてもなぁ。


ステイホームから「やわやわライフ」と自分で変えてみたが、やっぱり伸び伸びとしたいモノだ。


とにもかくにも、自分で決めて自分で動いていくしかない、それで良いと思い続けることだ。


自分が信じて決めたこと、これからも信じていこうぜ、真っ直ぐにな。

『私とMGと経営』こぼれ話(4)

1987年9月19日、それが私の初MG(西研MG=MQ戦略ゲーム)体験日でした。


前回書きましたように、会社の幹部社員(部課長クラス)研修の一環として派遣メンバーに選ばれたのです。


毎回7、8人での研修派遣で、私のグループは3番目、確か私を含めて8人だったはずです。


当日の朝岡山から新幹線で新大阪まで行って、バックして(神戸)三ノ宮の手前の灘駅で降り歩いて会場に向かいました。


現在は建物がもうありませんが、神戸製鋼所の研修センターでした。そこで1泊2日の泊まり込み研修。


1番目と2番目に派遣されたメンバーから、かなり詳細の情報を入れていたメンバーは「大変らしいぞ」と話していました。


私は先入観などない方がいいとその話には加わらず、いつものように持っていっていた文庫本を読んでいました。


その日の参加は50人ちょっと、9卓だったように記憶しています。けっこう広めの会場でした。


後から知りましたが、初MGは私たち8人を含めて15、6人くらいいたようでしたから、ざっと1/3は初心者でした。


講師(インストラクター)は藤原(良明)さん、これも後で知るのですがかなりのスパルタ・筋骨型インストでした。


他にも亀井さん、木田さんというお二人のスタッフが初心者を中心にフォローされていました。


会場に入った雰囲気が、それまで受けた研修とはかなり違う空気だと感じました。20190825-mg11 (写真は昨年の米百俵MG)


あちらこちらで話の輪が咲いていて、みんなが仲間内みたいな感覚があり、私(たち)は異質の存在のようでした。


それでも話しかけられるままに名刺交換して尋ねて見ると、初めて顔を合わせる同士の方が多いと知りました。


だからこそ不思議な感じがしたわけですが、初めてMG会場に入った未体験者は今も同じ感覚を持つのでしょうね。


そしていよいよ始まりました、机の真ん中に「中華料理」を思わせる道具が置いており、まずはどこへ座ったらいいのか。


ホワイトボードに「席は自由」と大書してありましたが、会社の年上の課長が藤原さんのところに聞きに行きました。


そして戻ってきて「どこでも空いているところに座れだってさ」というので、私は端っこの方に向かいました。


そうしたら「初心者は前に」と藤原さんの声、自由だって言ってるんじゃないのかと心で文句を言いながら前の方に。


さっそく、西研MGの洗礼を受けたというわけでした。

古都の路面電車

京都市というと、日本で最初の営業路面電車が走った街です。


それは1895年(明治28年)のことで、京都電気鉄道により七条停車場(京都駅)-伏見・下油掛(後の京橋)間を開業しました。


琵琶湖疎水の水力を利用した電力(蹴上の水力発電所)が用いられました。


先導役の少年(告知人)が電車の前を走りながら、「電車、来まっせ。電車、来まっせ。危のおっせ」と声を張り上げたそうです。


京都市も1912年(明治45年)から独自に建設開業(市電)し、京電との競合が問題になりました。


ところで線路の幅(軌間)が市電が標準軌の1435mmに対し、京電は1067mmで狭軌線と呼ばれました。


両者は1918年(大正7年)に合併しましたので、やがて京電路線は標準軌に改軌されていきました。


ただ一部だけ狭軌(堀川線 京都駅前-北野)が残り、4線軌道になっているところもありました。


堀川線は京都駅前の片隅から発車していて、小学校低学年の時に見た記憶がありますが、写真は撮っていなかったのが残念です。


大学に入った1970年頃から京都に行く機会も増えて市電も利用しましたが、この頃から廃止も始まりました。
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京都に行く目的は、他の大学の授業に潜り込んで受講したり、河原町新京極界隈のジャズ喫茶に遊ぶことでした。


また歌声喫茶「炎」や円山公園の野外ステージなどにもよく出かけ、京都駅や河原町から市電に乗りました。


市電の全面廃止は1978年(昭和53年)秋のことでした。


これで京都市内から路面電車が全く消えてしまったのかというとそうではありません。


嵐電(らんでん)、正確には京福電気鉄道嵐山線が現在も健在である。


京福電車京都支社には鉄道線の叡山線と鞍馬線もありましたが、分社独立して叡山電鉄と社名を変えました。


嵐電は嵐山本線(四条大宮-帷子ノ辻(かたびらのつじ)-嵐山)と北野線(帷子ノ辻-北野白梅町)の2つの路線からなっています。


嵐山線には路面軌道区間も数カ所ありますが、大半は専用軌道であり、北野線は全線専用軌道です。


そこを1両ないし2両編成の電車が頻繁運転されていて、通勤通学客も多いが名所旧跡を巡る観光客も多い。


起終点の四条大宮、嵐山、帷子ノ辻、北野白梅町はドーム状の屋根を持つ堂々たる駅舎も構えています。


市電の旧路線を復活して、嵐電や叡山電車(叡電)が乗り入れ京都駅などを結ぼうという構想もあります。


実現は難しいが、意外に道が狭く交通渋滞が悩みの種の京都市内には、むしろ必要な構想かも知れません。


そんなわけで本日は、昔懐かしい京都市電と新しい嵐電を載せておくことにしましょう。

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社員を大切にする正念場

新型コロナウイルスの国内感染者がついに昨日で2万人を超えた。


コロナによる倒産(負債1千万円以上)と見なされるものが、2月からの累計で312件を数えるという。

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何度かこのコラムでも述べているがこれは氷山の一角に過ぎず、休廃業の実態はその10倍以上とも言われている。


気が付いたらその店(や会社)がなくなっていたと言うことを、目にされてる方も少なくないはずだ。


業務の縮小や操業度を下げる措置を余儀なくされている企業も数知れず、それに伴う雇い止めなども相次いでいる。


上場企業でもこの夏のボーナス支給は6%以上ダウンしたと言われるが、もらえるだけいいではないか。


中小企業、いや零細企業ではボーナスを出せないところの方が多いに違いない。


ボーナスを家計のアテにしたり、ローンの返済原資と考えている家庭には痛手になるだろう。


ない袖は振れないと突き放してしまうのか、それとも最後まで努力はしたがやむを得ずとでは大きな違いがある。


ボーナスなんて当たり前にもらえるものだと、若い頃の私は思っていたし、実際に多寡はあれど毎夏と冬に受け取れていた。


しかし、子会社に出向して専務そして社長になって、それがいかに大変なことかを実体験として知った。


その会社は残念ながら累積赤字を抱え、親会社の有形無形の支援によりやっと債務超過を免れている状態だった。


自己資本比率9%以下、実質的には債務超過だったわけで、本来ならボーナスなど出せるはずもない。


しかし、給与もほとんど上げられていない中で、ボーナスももらえないとなると社員としては大変なことだ。


しかも一生懸命会社の使命を黙々と果たしてくれている、社員たちの気持ちに報わねばならないと思った。


通常であればそこそこに利益を出すことができれば、それを原資としてボーナスを出すというのが一般的だろう。


それではダメだと思った私は、年間計画の中にボーナスも盛り込んだ、その額はお恥ずかしいものだったが。


ギリギリの利益は確保できる計画の中で、出せる精一杯の数字だった。


この新型コロナ禍の現状はそれよりもはるかに厳しい、多くの企業が赤字決算を余儀なくされるだろう。


それでも、自分の報酬を削ってでもナントカしたいという気持ちは持ってほしい。


将来利益を原資にしてでも、たとえそれがいつもの年の額には届かなくても、ボーナスを出すという意気を示してほしい。


キャッシュは特別融資に頼ったとしても、実質無利息で当面の返済猶予という借入を実現するのが社長の役割だ。


社員の皆さんは、現場でそれぞれの役割を果たしてくれているのだから、社長として報いなければ心一つにはなるまい。


目指す方向を揺るぎないものとしてみんなで進む決意なのであれば、やるべきことは決まる。


企業とは、人を幸せするための・人が幸せになるための場所のことをいう。


これは坂本光司先生(人を大切にする経営学会会長)のことばだ。


あなたの会社は、そこの社長であるあなたには、これを実現していく責任がある。


コロナ禍という困難な条件に直面していても、成し遂げていかなければならない。


揺るぎのない信念で向かってほしい、きっと周りのみんなが支えてくれるであろう。


幸せな社員はお客様も大切にしてくれる、大切されたお客様が必ず会社を支えてくれるに違いない。


だからこそ今何をすべきなのか、ということを真剣に考え、揺るぎない決心と覚悟を持って行動していこう。


このコロナ禍が試練を与えるのは、あなたが人間としてホンモノかどうかを験しているということだ。


十分に心してもらいたい。

『私とMGと経営』こぼれ話(3)

MG(西研MG=MQ戦略ゲーム)との出会いの話は、もう何度かこれまでの他のコラムにも書いてきました。


ここでは概略だけ書いて、これまでは余り触れることになかったことを「こぼれ話」として書くことにしましょう。


その前に「なぜMG研修に参加することになったのか」の話から。


その機会は今から33年前ですから、1987年(昭和62年)のことです。


もちろん昭和天皇の時代、内閣総理大臣は中曽根康弘さんでしたが、竹下登さんに交代した年でもあります。


俵万智さんの『サラダ記念日』が大ヒット、NHKの大河ドラマは『独眼竜政宗』でした。


国鉄がその年の3月31日に分割・民営化されて幕を閉じ、JRグループ6社が翌日4/1に発足しました。


私がT社にお世話になって丸12年が来ようというその冬、常務のお一人Yさん(生産部長)がある講演に参加されました。


Y常務は2年半ほどでしたが、開発部長として私の上司になられたこともあり、結婚式にも出席していただきました。


そのY常務が聴かれた講演が後藤昌幸さん(当時兵庫ダイハツ社長)で、その話に出てきたMGという言葉に反応されたのでした。35328676_10155640245276463_5800923142264 (写真左が後藤さん)


すぐに後藤さんに「MGとは何か」と詳しく尋ねられ、そこで西研究所と西順一郎先生のことをお知りになったそうです。


この先は若干推測をまじえてですが、Y常務はすぐに西先生(西研究所)にお電話されました。


そしてMGセミナーについてお尋ねになり、参加できるかどうか聞かれました。


それに対して西先生からは通常のジュニアコースではなく、他のセミナーを勧められたようです。


当時既に50歳になられていたY常務が初めて参加されるなら、『社長MG』の方がが良いということでした。


社長MGは、企業経営者それも若干年齢の高い方を対象として2泊3日のセミナーだったと後に伺いました。


Y常務はこの研修に出られ(那須高原だったそうです)、初MGの洗礼を受けられたわけです。


その受講感想として、「これは良い、ぜひ自社の研修として採用していこう」と決心されたそうです。


常務会でも実施することが決まり、まずは管理職(部課長と一部副課長)を対象とすることになりました。


神戸で、後藤昌幸さんが当時主幹をされていた兵庫MG会が毎月セミナーを開催されていましたので、


毎回8~10人ずつ、4回に亘って派遣することが決まりました。


ちなみに私はその3番目のグループ、すなわち「会社の(業務)命令」による受講だったということになります。

これがいい「やわやわライフ」

新しい一週間が始まります。


週の始まりが日曜日からなのか、それとも月曜日からなのか?


どちらでも佳いじゃないのと言われればそれまでですが、土日のセミナー・研修が多かった私は月曜日始まりです。


もっとも現在はセミナーや遠征を一切行っていませんので、こだわる必要も特にないのですが。


それでも使っているカレンダーは月曜日からスタートするものです。


毎朝の習慣はまず歯を磨くことですが、最近はその前に窓を全開して空気を入れ換えることが付け加わりました。


玄関ドアも全開するのですが、その度に「ああ、日本は平和だなぁ」ということを実感します。


たかだか10分少々ですが、開けっぱなしにできるというのは幸せなことです。


歯磨きは、以前は意識して左下の奥歯から磨き始めていましたが、今では自然とそこから磨き始めている自分に気付きます。


これが脳力開発でいうところの習慣づけなのですが、意識づけすることで行動の無意識化ができるわけです。


それでも「馴れ」は怖いので、時々朝の行動も順番を変えてみたりします。


歯磨きの前にひげ剃りをやってみたり、昨今は体温測定を歯磨きの前にしてみたりと変化を自らつくります。


こういうことを工夫していくと、普段の生活にも毎日のように違うリズムを与えることができます。


細かいことだと笑われそうですが、面白がってやることが大切だと気付きます。


振り返ってみればステイホームが始まり、途中から自分でやわやわライフ」と名付け替えしていますが、
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すでに134日目を迎えています。1年の1/4近くに迫っているわけです。(大好きなスヌーピーをシンボル的に借用)


行動範囲が狭くなっていると懸念していたら、オンラインで気持ちの範囲は拡がっていると教えていただきました。


なるほどと肯けることが嬉しいですね。


今年の後半が始まって、まだまだやわやわライフがこれからも続いていくでしょう。


毎日を楽しく笑って過ごせるようにできるのは自分自身、どんな環境条件であっても「これがいい」と進みましょう。


暗病反ことばの中でも、「難しい」「困った」「参った」の3つは言わないこと、それを守っていきます。


さぁ、新しい週の始まり、今日も生かされていることに感謝して前に進んでいきましょう。

とある会社から

いわゆる「コロナ倒産」といわれる倒産件数(負債1千万円以上)が300件を超えた。


今後もまだまだ増えていくだろうと、信用調査会社は口を揃えて言っている。


自粛要請がほぼ解除されて街中にも人出が戻り、テーマパークの再開もドンドン始まっている。


それなのに、まるであざ笑うかのように首都圏での新型コロナ感染者が若い人たちを中心に増えてきている。


このままではまた自粛要請が出されるのではないか、ではまず自制自粛するかといったムードが高まりつつある。


そうなると、これまでの倒産件数が1位2位の飲食業や宿泊業に、さらに逆風が吹いていくことは間違いない。


しかも300件超という数字は、「ちゃんと」法的処理がなされた(予定含む)企業の話である。Photo_20200703092601


それもできない(つまり処理するためのお金さえ出せない)小さな会社・店の数は、はるかに多いことが明白である。


倒産や廃業の直接原因は、言わずもがなだが「お金が払えない」(キャッシュが無くなった)ということだ。


企業は赤字が続いてもすぐには倒れないが、キャッシュが無くなるとアッという間に倒れる。


キャッシュの元は何か、売上だと思っている経営者が多い、間違いではないがそれではダメだ。


売上が上がっても、仕入支払(多くの場合売上回収に先行する)や経費の支払い、租税公課の納付ができるのか?


売上も回収(平たく言えば集金)ができなければ、キャッシュは手元に溜まっていかない。


先日ある会社から電話があった。知り合いの知り合いという縁で、相談事があるという。


こういう時代だから、リモートで相談を受けることにして30~40分くらいお話を聞いた。


コロナ騒動で売上が大幅に落ちてこのままいくと立ちゆかない、どうやって売上を上げたらいいか相談に乗ってほしいと。


とにかく切羽詰まっておられるのだろう、次から次へと息を継ぐ暇もなく状況を語られ「大変だ」と繰り返される。


社員さん10人足らずの小売業だということは、しばらく経ってようやく分かった。


このままいくと「ご先祖に顔向けができない」というところで、ようやく状況説明が終わった。


ところで、と私は切り出した。「前月までの業績、売上と粗利、経費の総額はどのくらいでしょう?」


一瞬間があった。(その突きの第2営業週くらいだったが)「まだ数字が出ていません」と言うご返事。


いつ頃分かりますかと重ねて尋ねたが、「いつも翌月の中頃に税理士さんから(試算表が)届きます」という。


これでは相談もあったものではない、せめて前々月のものとも思ったが、それではこのコロナ禍での現状が不明だ。


結局、当たり障りのない一般的な対策、とくにキャッシュフローについての対策をお話ししたが、理解されたのだろうか。


先方ももっと具体的な妙手を期待されたのであろうから、少しガッカリされたことだろう。


最後に似たような業態の店がやられている事例を1つだけ紹介したが、おそらくそういうことはやれないだろうなと思いつつ電話を切った。


社員の皆さんのためにも、ぜひ厳しい事態を乗り切ってほしいと願うばかりだが。


あなたの会社はどうだろうか、前月の数字(とくにMQ=粗利額)は翌月すぐに把握できているだろうか。


当月の見込み数値、もちろんMQの見通しあるいはせめてMQ目標が見えているだろうか。


月初めの営業会議にその数字が反映された当月の対策、行動計画が立てられなければならない。


いい会社であれば自明の理のことだが、もしあなたの会社がまだできていないなら、それこそ「大変だ」と自覚してほしい。

『私とMGと経営』こぼれ話(2)

前回は転職した会社での仕事について書き始めましたが、企画開発部門にずっと腰を据えることになります。


1976年4月の入社で4日目には配属、88年の3月末まで12年間(最後の半年は兼務)同じ部署にいたことになります。


もっとも部署の名称は何度か変わり(最終時は開発部マーケティング室)、仕事場も3回ほど移動しました。


当初は宣伝企画室でグラフィックデザイナーさんたちと一緒に机を並べていましたので、


門前の小僧というか、見よう見まねでDMやチラシのデザイン、店舗設計のパース絵なども覚えました。


また前職で社内報作成などをやっていたことを買われて、コピーライター的な仕事も任されました。


あるいはモデル撮影やタレントを使ったCM撮影現場にも立ち合い、けっこう楽しんで仕事をしていました。


数字とは無縁といいながら、宣伝販促の予算管理はそれなりに電卓を片手にやっていました。


とくに展示会で使う工作物や什器などが「資産」にならない(10万円未満)ようにする工夫だとか、


期末(6月末)をまたぐ販促宣伝物、提供什器などの期間計算など、面倒な仕事もありました。

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とくに2年に一度国税局による定期税務調査が入る際には、1週間くらい禁足を経理部長から申し渡されていました。


販促宣伝物は「目を付けられやすい」ことを知りましたが、とにかくその期間は仕事にならないくらい質問攻めでした。


もっとも、そういう費用が会社(経理)の中でどういう位置づけなのかなどということは、全く知らないままでした。


そんな時に、突然「数字を扱う」部門への異動が命じられました(半年間はマーケティング室兼務で)。


直属の上司であった開発部長(常務)が社長に就任され、10年一緒に仕事をして来た「縁」で引っ張られたのです。


それまでの小さな部門2つを統合して、新たに「経営管理室」が生まれたのでした。


たった6人の職場、私が室長(課長)で少し年上の副課長(男)とあとは妙齢の女性が4人。


本社や支店・営業所、販社、本社工場と物流センター、衛星工場などの経営数値管理が主たる業務です。


それらの数字(データ・資料)を整理整頓して、常務会に資料として提出する。


得意先との売買契約についての管理とチェック、信用調査やマーケットリサーチ。


そういう部署に配置された、まさにその時にMG(MQ戦略ゲーム)と出会うことになったのです。

最南の路面電車

沖縄(県)には鉄道がありますかと聞かれることがあります。


ハイ、もちろんあります、沖縄都市モノレール(愛称ゆいレール)が那覇空港駅とてだこ浦西駅を結んでいます。


いや、それはモノレールじゃないですか。しかし、モノレール(日本跨座式) もれっきとした鉄道です。


レールの上を走る鉄道じゃないでしょう、それはそうですが、実は日本最西端(那覇空港駅)と最南端(赤嶺駅)の駅もそこにあります。


では(2本の)レールの上を走る鉄道はというと、戦前にはありましたが沖縄戦で完全に破壊されてしまいました。


路面電車もありました、沖縄電気という電力会社が運営していた沖縄電気軌道です。


1914年の開業で通堂ー大門前ー首里間の6.9kmという短路線でした。


しかし遅れて運行を始めた並行バス路線に客を取られ、1933年夏にわずか20年足らずで廃止されてしまいました。
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そんなわけで、それ以降も今日に至るまで日本最南端の路面電車は鹿児島市電(鹿児島市交通局)です。


路線延長は13.1km、市内中心地を2つの路線で貫き郊外に延びています。


鹿児島駅前には立派な路面電車ターミナルもあり、主たる2つの系統の電車が頻繁に発着しています。


初めて訪れた時(1972年)は西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)で夜行列車に乗り換えただけでした。


次に訪れてゆっくり電車を眺め乗車したのが1981年のことでした。


それからも、さすがにそうは何度も訪れることができませんでしたが、3年前と2年前にも熊本セミナー遠征のついでに足を伸ばしました。


3年前の2017年には帰り道に途中下車した川内駅(薩摩川内市)で地震に遭遇し、前途の列車が遅れて少し慌てました。


では1981年の西鹿児島駅前のスナップと、2018年の鹿児島駅前からの1枚をご紹介します。

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2020年の後半に向かう

昨日は東京で54人の感染者、そしてお隣の神奈川県で31人(大変は横浜市)と首都圏が揺れている。


相変わらず夜の街での感染者が多く発生、感染経路不明者の割合も約半数を占めている。


埼玉県は都内での会食や夜の街に出かけることを、自粛するようにと知事が呼びかけた。


そんな中で負債1千万円以上の経営破綻(法的整理、私的整理 )は300件の大台が見えてきた。


6月1ヶ月だけで100件を超えているが、もちろんこれは表に出た数字であって、人知れず消えていったケースは含まない。


無論そちらの方がはるかに数が多いことは、今さらいうまでもないことだ。



飲食業と宿泊業の破綻数が群を抜いているが、今後もこの傾向は続いていきそうだ。


そして昨日、その中でも最大負債の倒産が発生した、大阪の旅行会社「ホワイト・ベアーファミリー」だ。


負債総額は持ち株会社と合わせて350億円余り、民事再生法の適用を申請とあいなった。


「星野リゾート」がスポンサーについて事業継続、再建に当たるようだが前途は多難だろう。


景気を支えるのは、いつの時代も個人消費なのだが、明日から大きな出来事がある。


それは、消費増税の見返りというか緩和を目的に実施されていた、キャッシュレス決済還元がなくなることだ。


ある意味消費を支えていたと言ってもいいし、キャッシュレスの買い物行動が増えたことは消費増にもつながっていた。

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それがなくなって、マイナポイントなる制度が始まるが、こちらの方はマイナンバーカードを持っていることが前提だ。


今のところ4人に1人くらいしか持っていないそうだし、マイキーを申請取得しなければならない。


しかもどれか1つのキャッシュレスシステムへの登録が、必要十分条件になる。


その登録が今日から受付開始だが、初日はネット申請が集中するかも知れない。


私は使う頻度の高いクレジットカードを登録する予定だが、今週中に可能だろうか。


今年も半分が経過して残り半年が始まった。前半はステイホームが長かったが、後半はどうなっていくだろうか。


良い方向に向かっていくように、自力での試行錯誤が続いていくだろう。


仕事は基本的にオンラインに集中する、セミナーもコンサルティングも。


その中での新規展開を模索していくが、それが果実になるには時間もかかるに違いない。


くれぐれも「新型コロナのせい」にしないことだ。それだけは意を決していこう。


ある条件を使って、今ない条件を作るのが仕事だと言われた、師の言葉を胸に刻んで前に向かおう。

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