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『私とMGと経営』こぼれ話(1)

さて今日から週に2回くらいのペースで、標題のテーマでのコラムをスタートします。


今日現在、緊急事態宣言の解除そして東京なども含めた移動自粛解除が出され、環境条件の変化が改まりました。



MG(MQ戦略ゲーム)についても、3月の下旬頃から4月5月はセミナー開催中止が相次ぎました。


6月についても多くのセミナー中止がありましたが、少しずつですが復活していこうという動きも出てきています。


中にはオンラインでやれないかという試行も始まり、MG(西研)シーガルたちの情熱を感じます。


東京での西研MGも7月から再開されますし、これから少しずつ開催するところも増えていくだろうと期待しています。


私はといえば、2月の下旬に開催されたMGフェスティバル以来、地元から一歩も出ることがなく、年内に予定していたセミナースケジュールも全て中止にしました。


私には私の考えがありますが、それを他の仲間たちに押しつけるつもりも全くありません。


MGよ永遠であれ、なぜならMGが(小さな会社の)企業経営の救世主だから。


STRAC(戦略会計)とMX(マトリックス)会計をものにすれば、「人を大切にする経営」も必ず実現しますから。


そんなMGとの出会い(1987年9月)から書き始めるのですが、その前にではMG以前の私はどうだったんでしょうか。


ひと言で言ってしまうと、「数字に余り強くない」人間でした。


小学生の頃に親に言われるまま「おこづかい帳」を付け始めましたが、三日坊主(3ヶ月)でした。


算数は決してキライではありませんでしたが、単純な計算や、いわゆる幾何学的なものは苦手でした。

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大学では法律を専攻しましたが、どうも第何条はどうのこうのというのが好きになれなくて、徐々に道を外れました。


大学入学時には司法試験を目指してみるかなどと考えもしましたが、すぐに現実の我に返りました。


たまたま法学部のそばに経済学部と経営学部もあり、乗り入れ受講も認められていました。


しかし経営学原論ですぐに挫折、今から思えば経営学部の講座には学んでおけば良いものが並んでいたのですが。


ギリギリのところで卒業単位を獲得して、無事法学士として卒業はしましたが、就職はごく普通の上場企業に。


3ヶ月間の新人研修を終えて工場の人事教育課(後に労務部)に配属、社内報とワーカー教育が最初の仕事でした。


研修の時に経理講習もあり、BS/PLなどについても学んだのですが、数日の内にはすっかり忘れていました。


結局その会社には1年半在籍しただけで、病気を理由に自己都合退職し、半年ほどは体力回復に努めました。


そして人とのご縁に助けられて2番目の会社に拾われ、4月1日途中入社の形で与えられた仕事が開発・宣伝販促企画。


こうしてしばらくは、経営や経理・会計どころか数字とはほとんど無縁の仕事に就くことになりました。

「経営者のノート」を読み込む

人を大切にする経営学会に入会して、坂本光司先生に学び初めて6~7年になります。


そのきっかけになったのは、著書「日本でいちばん大切にしたい会社」ですが、


並行してネット(Kindle)版で読んだ『経営者の手帳(2010年)でした。



独立してちょうど3年ほどの頃、経営者へのサポートとして自社の目的を明確にと頭を悩ましていた頃でした。


様々なヒントをいただく中で、「3S経営」というメッセージを発信することにした時機でした。


3Sとは、CS(顧客満足)+ES(従業員満足)+SS(地域満足)でした。


しかし坂本先生から学んだことでまずESを中心軸にし、さらに「社員満足」と言い替えました。


それでもまだ足りない、なんだろうかと模索する中で学会とのご縁ができたわけです。


そこで学んだ中で、当初は「3S+アルファ」という中途半端な表現をしていましたが、


数年間に先生の言葉をそのままお借りして「五方よし経営」を進めることを、サポートの根本に据えました。


新型コロナウイルス感染拡大に伴って、クライアントへの直接訪問・指導がやりにくくなってしまいました。


社員研修もままならない、そんな状況の中でどうしたらいいのかとしばし立ち往生しました。


しかし切り替えも早かったようで、できないことを嘆いていたも仕方がない、「今がいい」と素直に受け入れることでした。


そこでリモート、オンラインでの仕事が可能かどうか、当初は試行錯誤でしたが心配ご無用といったところです。


さて、そんな中で届いた先生の新刊本が『経営者のノート』(あさ出版)です。

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10年前の『経営者の手帳』の改訂版でもあり、この10年間の新たな変化に伴うポイントが示されていました。


新型コロナという直接表現はありませんが、そのことを頭に置いて読むといいかもしれません。


確かに企業を取り巻く状況は大変とか厳しいとかいう表現を通り越して、中には危機的状況もあるでしょう。


そんな中でも定めるべき視点を狂わせないこと、ずらすべきではないということを痛感させられます。


コロナ倒産が日増しに増え、また理不尽なリストラ(首切り)や下請け切りが横行している今日、経営者の問われる本質を確認していきたいものです。


小さな会社ほど難しいこともあるでしょうが、それが経営者の責任であることを今一度しっかり自覚したいものです。


それは、「社員とその家族を大切にする」いうこと。


さらに仕入先や協力先の社員とその家族を大切にするということです。


その上に成り立つお客様第一、あるいは地域への貢献であることを再確認して時代を切り拓いていきましょう。


この一冊をいつも手元に置いて、実践して参りましょう。

もしMGを再開するとしたら

各地で西研MGの再開が始まった。MGの本丸、東京MGも7月から4ヶ月ぶりに始まろうとしている。


とっても嬉しいことだが、危ぶむ気持ちがある、拭いきれない。


今のところ始められたところでは、幸いに何ごとも起こっていないようだ。無論、起こってもらっては困るのだが。


ただ、情報として伝わってこないだけかも知れない、感染無症状だって実際に増えているのだから。


表面的には無事であっても、事実はということになるとうかがい知ることができない。


また、周囲の見方はどうなのだろう。参加しているメンバーは、それなりの自覚も高い意識も持っているはずであろう。


だが、彼や彼女のご家族はどうなのだろう。会社の同僚たちはどうなのだろう。


主催者の周辺の方は、どのように見ているのだろう、慎重さを求められていることは間違いない。


以前にも書いたが、私は色々と考えて今年のMGセミナーを中止した方が良いという判断をした。


今日は逆に、それならばそれらをどうクリアすれば開催に足を踏み出せるかを考えてみたい。


1)会場に多人数集まるとかなりの「密」は避けられない。となれば、定員を半分くらいにする必要がある。
  → 大きめのテーブルを準備、1卓は最大5人まで、前後左右最低でも1mは確保したい。


2)ゲームでは互いに接近になるし、大きな声も出す。
  → マスク、もしかしたらフェースガードも付けてやる。煩わしいが必要だろう。


3)ゲームキットのツールの消毒をどうするのか? 白熱化すれば唾や汗もつくであろう。
  → 参加者に協力してもらって可能な消毒作業を、ゲームの合間に行う(消毒液や滅菌ペーパーなどを卓に置く)。


4)前夜祭も含めた交流会は3密になる。
  → 交流会はやらない。食事時のスピーチタイムで対応する。
    ※もし行う場合は横並び(1m間隔)主体、正対する場合には2~3m離す。


5)当然会場側にも、食事面の工夫や衛生面のグッズなどで、かなりの負担をお願いしなければならない。
  → 個別の弁当、インスタント味噌汁、ペット・缶飲料などで対応する。

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おそらく既に開催されたところ、これから開催を予定されているところも上記のような工夫、


その他にも工夫をされているのだと思うが、できればその内容をぜひ公開してほしいものだ。


いずれにしても、足を踏み出すことがいいのかどうかは、主催者が各々判断すべきことだろう。


私はまだ今の時期では拙速であろうと考える。


だからといって、開催に踏み切る方々をどうのこうのと言うつもりもない。


ただ、秋口以降とくに冬場の「第二波」(プラスインフルエンザ流行)は、警戒するに越したことはない。


心配性だねとバカにされても、私は時が来るのをしばらく待つことにする。

『私とMGと経営』こぼれ話(序)

色んなテーマで、連載コラム(駄文)をつらつらと書き連ねてきました。


「MGと脳力開発」などは私家本として小冊子に要約し、多くの皆さんにお読みいただきました。感謝です。


また、脳力開発講座の副読本としてこれからも活用していく予定です。


前回は「脳力開発と私」こぼれ話というタイトルで、およそ1年101回に亘って書いてきました。


それが区切りを迎えて次はどうしようかなと考え、しばらくはお休みしようかとも思いました。


ところが新型コロナウイルス感染騒動(コロナ禍)です。


昨年までであったら(今年も最初の予定では)、毎週のように地元や全国各地を飛び回っていたことでしょう。


それが見事に全くの白紙になりました、いや自ら全部白紙にしてしまいました。


ということは、自由になる時間がタップリできたということです。まさにラッキーカードではありませんか。


オンライン講座も、脳力開発のトライアル講座から初めて社員研修もスタート、9月からは本講座も始めます。


それらのコンテンツや資料づくりも並行して進めていますが、それだけでは時間が余っています。


以前ならセミナー開催地やクライアント社への訪問で、移動時間がかなりあったのですが、それらが現在ゼロです。


そういう移動時間は専ら読書に使ってはいましたが、半分以上は現在空いているということになっています。


それなら、間を開けずに次のコラムを書いていこうと考えたわけです。


前回は脳力開発を書いたのだから、今度はやっぱりMGについて書いていこうか。


MGについて書いていけば、体験としての経営についても触れていくことになります。


代表取締役社長を退任して間もなく14年が経ちますので、そろそろナマの話を少ししても良いかなと。


もちろん、差し障りのあることは触れるわけにはいきませんが、成功も失敗も「こぼれ話」的にお話ししていきます。

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MGは現在、1414期(2/22MGF)までで止まっています。今年はここから進めないつもりです。(右は昨年の仙台MG=1400期)


来年(以降)のことは決めていません、状況(環境条件)次第での意思決定になるでしょうから。


合わせてインストについても2000期を超えたところでストップ、これもまた今年中は動きません。


動かないのであれば、じっくりと振り返ってみることは自分にとっても意味のあることだと思います。


セミナーの中ではなかなか触れられないことも含め、あるいはMGの考え(思想・哲学)についての私考/私感などにも。


MGあるいは西順一郎先生への愛を込めて、感謝を込めて来週から書き始めて参ります。


「(ヒマだから)読んでやるか」と思ってくださる方が、一人でもおられることを祈念して。

最北の路面電車

最北の路面電車といえば、現在では札幌市電になるでしょうね。


数年前に途切れていた区間が新規開通して、ループ状(環状)運転になり、利便性が向上しました。


新規路線延長の構想もあるようですが、さすがにそれは将来の夢ってところでしょう。


私が初めて札幌市を訪れたのは1971年の初夏(7月)でしたが、その頃は路線系統もいくつかありました。


車両もバラエティに富み、とくにヨーロッパ風の日本離れした前面スタイル、連結・連接車などフィルムの枚数を気にしながらの撮影でした。254_71



当時はまだ1日乗車券などもなかったと思いますので、さすがに全線踏破とはいかず、主要路線を乗っただけでした。


その後なかなか訪れる機会も少なく、その間に次々に路線が廃止されたのは残念でした。


ところで、当時は札幌の北にまだ「最北の路面電車」がありました。


それが旭川電気軌道でした。中心部と連絡していた旭川市街軌道はもうありませんでしたが、旭川電軌も現在は鬼籍入りしています。


旭川から宗谷本線(または石北本線)の普通列車で、次の駅が旭川四条駅です。


現在は駅に昇格していますが、訪れた71年当時は仮乗降場で道内時刻表にしか掲載がなく、通過列車もありました。


そこから出ていたのが旭川電気軌道で、次の旭川追分駅で東川線と東旭川線が分かれ、どちらも1時間に1本の運転でした。


四条駅から追分駅までは路面上を走り、そこから先は道路の端を専用軌道で走っていました。102_71



またl国鉄連絡での貨物運輸もあり、電車が貨車を引いていた(東川線)ようです。


東旭川線の終点は旭山公園で、残っていれば(72年末閉業)旭山動物園への乗り入れで・・・ナンテ考えてしまいます。


追分には車庫もあり、古典車両の廃車体などもあって雑然としていました。


また車庫内はポール集電で、近代的な電車にもパンタグラフとともにポールが付設されていました。


それでは今朝は、札幌市電の連接車と旭川電気軌道の車両を掲載します。


大きなチャンスと思える!?

世の中はもう「収束」している前提で、動いているようですね。


営業自粛が解除され、移動の自粛もほぼほぼ解除されて、これで元に戻りましょうという目論見。


しかしそうは問屋が卸さず、世の中は元に戻りそうもありません。Photo_20200624060902  


すでに「コロナ倒産」が300件に迫る数字になっていますが、これはホントは表面的な数字。


なぜって、この数字はお金があって「倒産」手続きができた企業のお話ですから。


お金がなくて弁護士に依頼もできない、だから民事再生はおろか廃業する段取りにさえ至らない会社の多いこと。


おそらくすでに万単位の数字で、「いつの間にか廃業」あるいは「張り紙のみ廃業」が相次いでいるのでは。


世の中の人は売上が2割減ったら、利益も2割減るものと思っているようです。


経営者ですらそのように思って、これまで仕事をして来た人も多かったのではないでしょうか。


しかし、多くの場合には売上が2割減ったらほぼ利益はゼロ、どころかマイナスになってしまうことは必然です。


ましてや7割も8割も減ってしまって、それでこれまで通り営業を維持できると考える方が異常です。


もっとも、この新型コロナウイルス感染騒動で、そのことを現実として知った経営者も少なくないはず。


その意味では効果があったナンテ言うと叱られてしまいそうですが、現実にはまさにそうなのです。


そしてまた近未来、元に戻るなどということは全くの幻想に過ぎないことを、厳しき認識をしなければなりません。


経営者ばかりでなく、我われ一般人もまた甘い期待を抱かない方が救われると思います。


元には戻らない、新たな社会がやって来る、いやすでにこれまでとは違う社会になりつつある。


ダーウィンの進化論といわれる言葉を引き合いに出して、警鐘を鳴らした政治家もいるようです。


もっとも、あの言葉はダーウィンの言葉でもなく、また進化論の本質を表したものでもないのですが。


それでも、「変わらなければならない」ということは確かにその通りです。


変わるためには現実(事実)をしっかり見詰め、甘い期待は捨てて「今これからやれること」を早く見つけけましょう。


その意味では大きなチャンスです。


チャンスを活かすか活かせないかも自分次第、自分を信じて一歩前に。


まずやる、やりながら直す。今こそそういう時代だということを強く意識して前へ。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(100)

この連載コラムを書き始めたのが、昨年2019年の5月24日でした。


それから今回で100回目


いや、実は101回目なんですね。なんと調べてみましたら、「85回目」が2回もありました。


今さら先週で100回目でしたので終わっておりました、とも言えませんのでまとめをいたします。


最初は本当に「こぼれ」話くらいの軽い感覚で想い出を書いていこうとしたのですが、


やっぱり脳力開発について多くの人に知ってほしいという思いが起こりました。


それで、基本的なことをキチッと書き残そうということで、11の指針について少し詳細に書いていき、


最終の「真のリーダーの心得」についても、くどいくらいに申し上げました。


新型コロナの問題で、リアルなセミナー(脳力開発講座や社員研修)ができなくなった今、


こういったコラムやオンラインの講座を大いに活用して、城野宏さんの思想と哲学を伝えていきます。


さて、このコラムの連載は一応今日を節目として区切りをつけます。


代わって、7/1より動画として配信していくことにして、すでに1回目と2回目分を収録しました。

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収録などと大仰にいっていますが、手元にあるPCを使っての録画です。


1回が15分前後、書いてきたコラムに沿ってのお話ですが、時には脱線したり違う方向に進むかも知れません。


また思い出して付け加えることもあるでしょう、書く時には思い出せなかったこことか、


あるいは書いてから後にあったこと、気付いたこと、事例なども。


とくに今年に入ってからは新型コロナの感染拡大などにも触れてきていますが、


昨年書いたことを踏まえながら、そのことにもアプローチしていくかも知れません。


乞うご期待!などとは申しませんが、暇な時間にお目通しいただければ幸いです。


配信はFacebookのタイムラインで行い、動画そのものはYouTubeの特設アカウントのライブラリに順次掲載します。


もしよろしければ、チャネル登録などもしてみてください。


コラム同様週2回くらいの動画アップを予定していますが、あくまで予定ということですし、


コラムのように100回続くのか、それとも手前で終わるのか、はてまた100を超えていくのか。


こぼれ話ですので、気楽に続けていければと思っているところです。


長い間お読みいただき、ありがとうございます。引き続き配信動画についてもよろしくお願いします。感謝。


また、9月からのスタートとなる【脳力開発オンライン講座】へも、ぜひご参加をお待ちしております。

なぜ私がMG研修を休止しているか

行動自粛、営業自粛が原則解除され、移動の制限もいよいよ撤廃されて条件はよくなりつつある。


なんの条件? セミナーとりわけMG(MQ戦略ゲーム)研修を再開する条件だ。


MG(あるいはキャッシュフローMG)は、ハッキリ言って三密の研修にならざるを得ない。


1つの卓にゲームキットを置いて、それを5ないし6人で取り囲む。左右のエリアを1m以上空けることはかなり難しい。

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どうしても大きな声を出す、自分のやる動作(行動/仕事)を他のメンバーにもキチッと伝えるからだ。


しかも、競争入札をやる際には一斉に声を出し合う、自分のプライス(販売=口頭価格)を周知しなければならない。


インストラクターも時にはメンバーのすぐ傍らで指導に当たる。


さらに「交流も大事」ということで、その日の講習修了後に情報交流会(食事会・呑み会を兼ねる)を開く。


そうそう、昼食もゲーム卓を囲んで摂る。まぁ、これは必ずしもそうしなければならないわけではなく、広いレストランで摂っても良いが。


そんなわけで、どうしても3密になってしまうことが避けられない。それがまた、MGの良さであり学びに直結しているのだが。


私が主催する長岡・米百俵MG(8/29-30)は、前日のOA大会を含めて中止を5月の内に決めた。


たくさんの方から、決定が早すぎるとか中止しなくても大丈夫な状況になっていく、心配しすぎるのはどんなものかなどの意見をいただいた。


だが、次のように考えて私は中止した方が良いという判断をした。


1)会場に50数名(9卓)集まるとかなりの「密」は避けられず、さりとて人数を半分にするのは、すでに(申込が)満席になっていることもありほぼ不可能と判断。


2)たとえ半分の人数でやるとしても、MGの特性(良いところ)上、おたがいに接近になるケースが多く、声も出す。ではマスク、さらにフェースガードまでとなるとどんなものか。


3)ゲームキットのツールの消毒をどうするのか? 白熱化すれば唾や汗もつくであろうから、参加者に協力してもらえるとしても消毒作業は大変だ(不可能ではないが)。


4)前夜祭も含めた交流会は3密になる。それを避けた形でやることは可能だが、それで盛り上がるか、学びになるのか?


5)当然会場側にも、食事面の工夫や衛生面のグッズなどで、かなりの負担をお願いしなければならない。


さらには、
6)講師の西先生はご高齢(82歳)であり、その健康に対して主催者として絶対的な責任が持てるのか。


7)参加者は「MGがやりたい」でよいだろうが、ご家族はどうなのか、会社の社員始め周囲の方たちはどう感じられるのか。


8)長岡市は8/2-3の大花火大会も中止を決定した。同月の新潟まつり(新潟市)、フジロックフェスタ(湯沢町)や、9月の片貝花火、10月の長岡米百俵まつり、その他にも県内のイベントはほとんど中止が決まっている。


その中で、県外から来られる方の多いイベント(セミナー)を開くことは、賢明な選択なのか、などなど。


開催をしたい気持ちは山ほどあり、ましてや長岡での西研MGは30年近く継続してきて、中越地震の翌年や中越沖地震の年にも開催してきた。それが切れてしまうことは断腸の思いだ。


すでにMGを開催されている仲間も少なくない、西研究所主催の東京MGも7月から開催されるようだ。待ちわびていたので、各地とも盛り上がりそうだ。


だが私はあえて中止する、自分の主催・共催する年内のMGセミナーを全て。しかも、当面は参加もしない。


それは、MGを大切にしたいからだ。ワクチンや特効薬が承認され、それを誰でも活用できるようになってからでも遅くないと考えているから。


まして、もしも「第二波」感染が始まって慌てても困る。3密がさほど心配のない脳力開発講座すらも、あえてオンライン講座に切り替えた。


クライアント会社の社員研修も全てオンラインでやる(少なくとも本年中は)。


MGセミナーを通してMGの学びを伝えることはできないが、脳力開発やその他のセミナーで、その思想と哲学は伝えられると思うから。

動画100話といきますか

昨日19日から、これまでの「自粛」が原則緩和されました。


その状態で迎える週末土日、大騒ぎするような事態が起こらないことを祈るばかりです。


都道府県をまたがる移動も自粛が解除されますが、おそらく当面はまだまだセルフ(自主)自粛が続くだろうと思います。


日本人の慎重さというよりは、変わり身の早さについて後ろ指を指されないかという恐れなのかも知れません。


感染のリスクは一気に緩和されたわけでもありませんし、「収束」ということが確実定義されているとも言えません。


ましてやワクチンも特効薬もまだ試験研究、あるいは治験の段階ですから確定するのはまだまだ先の話です。


とくに企業などは、万が一にも社員に感染者が出た場合を考えると慎重にならざるを得ないでしょう。


あくまで不要不急の出張については自粛、そうでないものについてもかなり制限をかけるでしょう。


そうなると、仲間同士のノミュニケーションや家族での外出、まして観光旅行などにもタガをはめるでしょう。


何しろ日本人は真面目で、ある意味はとっても臆病なDNAを持っていますから。


ですから、一気に人の移動が増えるということはなく、じわじわと様子見をしながら伸びていくのでしょう。


そうはいっても、ある程度「安全が確認」できたと判断した時点では、一気に動き出すということもあるかも知れません。


たがが外れるとは言いませんが、ある意味自己制御のブレーキが緩み始めると急速に緩みそうな予感です。


その意味では、この数週間をじっくり観察する必要があると考えています。


ただし私自身は、今年いっぱいは少なくとも動くことはしない、余程の「不要不急でない」ことが起こった時以外は。


それで何ができるかを考えていくと、それなりに色んなことができるという話は何度か書いてきました。


このブログに週2回連載してきたコラム『「脳力開発と私」こぼれ話』、来週には100話を迎えます。


一応ここで完了ということにする予定ですが、これを動画化することを思いつきました。


学び次元での脳力開発講座は、現在トライアル講座を無料で月2回やっていますが、


9月からはいよいよ本講座をスタートさせます。現在その準備を進めて6割くらい進捗しています。


これと並行して、雑談・雑話レベルでの「こぼれ話」をやっていこうと思い立ったのです。0-2020-1


脳力開発は誰でもやれる易しいことだと学びの場で言ってきていますが、実際に私がやってきたことを伝える場です。


雑談している内に、書いたこととは違うことを思い出してしゃべるかも分かりません。


それはちょうどリアル(オフライン)講座で時々やってしまう、「脱線話」と似たようなものだと考えて下さい。


こちらも100回続くのかどうか、その保証は全くありませんし、もしかしたらもっと切りがなくなるやも知れません。


慌てて外に、あるいは県外に足を運ばなくても、オンライン講座や雑談に全国からお付き合いいただければ幸いなことです。


おかげさまでコロナ太りをしている人たちを尻目に、私は4ヶ月近くで3~4kg体重が減りました。


体調も良く、オンラインでの講話や皆さんとのやりとりにも馴れてきました。


操作ミスも時々ありますが、それはまぁご愛敬ということでお許しをいただけたら幸いです。


新しい暮らしと新しい仕事(のあり方)など、人生も秒読みの年代に入ってこんな楽しい世界が待っていたとは。


これは大いにホンネです。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(99)

新型コロナウイルス、正式には「SARS-CoV-2」という名称だそうですが、「COVID-19」はその感染症状のことです。


「COVID-19」 も略称で、「coronavirus disease 2019」というのがWHOが定めた正式名だそうです。
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日本国内がざわつき始めたのは年が明けてからですが、1月の時点ではまだ対岸の火事くらいの意識だったでしょうか。


2月に入るとざわつきも大きくなってきて、感染者の発生情報も連日ニュースに上がってきました。


この頃になると私自身も情報を集めねばということで、主としてネットからの収集に努めましたが、内容はまちまち。


つまり情報「甲」あるいは情報「乙」がほとんどなく、ほぼ全てが情報「丙」レベル。


本来信頼すべきであるはずの厚労省を始めとする政府情報も、外部から誤りの指摘がされたり、


実証のないデータとそれに基づく情報が流されたりしていて、完全に信頼することはムリ。


そうなると事実情報(確定的事実)を積み重ねていくしかない。それが感染者数のIN-OUT-残でした。


これもあとから振り返ってみると、やや信頼性に欠けるデータであったことが分かるのですが、それでもマシな部類。


それを元に判断そして意思決定を定めていったわけですが、3月の末の時点で楽観的予測を残しつつ、


この感染症の「終息」までには相当の時間がかかる、少なくとも今年一杯は自分のスケジュールを白紙に戻すのがベター。


真っ白にしてしまうと、これまで隠れていたものが見えてくるという体験をしました。


リモートワーク(ネット面談)とかオンラインセミナーなど、それまでは考えてもいなかったことが自分の前に出現。


これだと決めれば、その方向での情報を次々に集める、自然に入って集まってくる。


ZOOMが(その時点)では適当と思われましたのですぐにいくつか研修を受講、アップされているビデオを視聴。


視聴しながら、お休み状態だったYouTubeの利用にも気付いて、すぐに準備行動を開始。


既存のセミナーのオンライン化だけでなく、新しいコンテンツづくりについてもアイディアが湧いてきました。


何しろリアルスケジュールが白紙なのですから、何でもできるって感じですね。マイナスがプラスに転じた瞬間。


しかも遠方に出かけることがないので、さらに時間を有効かつふんだんに使えます。


出来なくなったものは確かに多かったけれど、新たにできるようになったものもこれから増えてくるでしょう。


さらには時期が来てリアル活動も可能になれば、オンラインとリアルとのコラボでさらに広がりができる。


いいぞ、いいぞ、ワクワクしますね。脳力開発を学んでいて良かった、感謝です。

新潟の私鉄思い出話

私が縁あって新潟県(長岡市)に住まいを移したのは1990年の春でした。


それ以前にも学生時代から何度か足を運んでいましたが、


90年までは1日か数日滞在するだけで、ゆっくりと乗り鉄や撮り鉄を楽しむことも多くはありませんでした。


それでも国鉄線はJR化を待つことなく、全線を踏破し終わっていました。


既に廃止されてしまった魚沼線、越後線(東三条ー越後長沢間)、赤谷線にも乗車済でした。


しかし私鉄にはなかなか乗る機会はなく、乗る前に廃線になってしまったところも少なくありません。

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全線に乗れたのは、新潟交通(新潟電鉄線)と越後交通の長岡線くらいでした。


大雪の長岡駅に降り立って越後交通栃尾線を見たものの、滞在時間が短く長岡線を優先したのは心残りです。


蒲原鉄道も、結局一部区間の五泉-村松間に廃線直前に乗れただけでした。


越後交通来迎寺線は私が長岡に来た時にも残っていましたが、すでに旅客列車はなく貨物専業になっていました。


会社が線路の近くにあり、またセメントサイロがあって貨物を牽引する機関車の汽笛を聞くのが楽しみでした。


新潟交通線は狭い道路上を走る区間(県庁前から東関屋駅手前の鉄軌道分岐点)があり、30kmくらいの低速電車でした。


現在は純然たる私鉄は一つもなくなり、新幹線の並行在来線(えちごトキめき鉄道)とほくほく線(北越急行)が三セクで残るのみとなりました。


これらも赤字が大きく、コロナ後に観光列車に活路を見いだしていくようですが、いつまで過疎地域の足としてがんばれるか厳しい状況が続きます。


では今日は、新潟交通の県庁前駅に停車中の電車(1972年)と越後交通の電気機関車(1990年)を掲載しておきます。

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オンライン講座への道

今年の脳力開発講座は、3年前にリニューアルした講座で神戸と東京でスタート、


昨年はさらに福岡での開催を加え、参加者は他の会場でのクロス受講も可能としました。


今年も3月の神戸講座を皮切りに、4月の福岡、5月の東京と順次開講していく予定でした。


2月初めの時点で3会場で25名くらいの参加エントリーをいただき、まだ続けて募集をかけていました。


新型コロナウイルス感染の拡大がニュースで伝えられるようになっても、


まだ予定通り開催するつもりで、参加者名簿の整理やレジュメ・資料づくりを進めていました。


ところが3月に入って感染者の数が急激に増え始めると、これは大変なことになるなという予感が頭をかすめます。


こうなるとまず3月の神戸講座は中止せざるを得なくなりました。


状況から見てしばらくは大変な状況は続きそうだと予想し、4月の福岡、極めて感染者数が多い5月の東京も中止を決定。


それでもなお、6月(神戸)からは遅れても開催できるのではないかという楽観的な見込みをしていました。


しかし4月に入って緊急事態宣言が発令されると、甘い楽観予想は捨てなければならないと考え始めました。


考え始めると判断は即時、6月開始はあきらめ秋口の9月開始を模索しつつ、ダメな時はどうするという考察を始めました。


まずは確定的事実をたくさん集める、その上で溢れる情報の中から「命を守る」観点から正しい情報を選び出す。


そうなると判断、意思決定は最も厳しいものにならざるを得ません。今年一日はムリはするまいという判断です。


具体的には全面中止、ただしオフライン講座は。つまり、オンライン講座に切り替えることを決めたわけです。


お試し講座をやる前にZOOMのオンライン研修も受講、ネット情報映像もいくつかチェックして実験を繰り返しました。


さらに5月からは「トライアル講座」と称して無料講座を企画、本講座の短縮版ですが本番と大きくは変わらない。


ここでZOOMの操作手順などを「やりながら直す」という形で、練り上げてきました。


並行してオンライン講座(有料)の案内も開始、おかげさまで昨日現在で20名の参加エントリーをいただいています。


オンラインにはメリット(プラス)も多いのですが、当然デメリット(マイナス)も少なくありません。


でもこの際、マイナスには極力目をつむることにしました。202009-p


全国から参加していただける、シリーズ講座をその日時に欠席してもVTRでフォローができる。


私(講師)が現地へ移動しなくてもよい、遠方なら往復の時間が大いに節約できる。


交通費や宿泊費も不要になるのでその分参加費を下げることもできるし、別のリターンも用意できる。


そういったことを考えて実施の運びとするほか、他のコンテンツについても少しずつ加えていきます。


来年のことはまだまだ未定ですが、少なくともこれからの脳力開発講座はオフとオンラインのMIX講座にする予定です。


どちらの良いところも参加者に提供できること、それを目指していこうとワクワクな気持ちで企画を練っています。


先ずはより多くの方にオンライン講座に参加いただくことを願っています。まずはトライアル講座からでも是非。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(98)

【真のリーダーの心得 第10条】


「嘆きの人生か、楽しみの人生か、自分の意志でどちらにもできる」


ー 何が真の損得なのか? かけがいのない人生にとって ー


真のリーダーの心得も最期の第10条になります。


上記は人に対する問いかけです、嘆きの人生か楽しみの人生か、あなたはどちらを選びますか。


問いかけられた方は、十中八九「楽しみの人生です」と答えられます。


嘆きの人生を選びますと答える方は余程のへそ曲がり(天邪鬼)か、もしくは人生を捨てた人でしょうか。


企業にも同じような質問を投げかけます。


あなたの会社は進歩発展を目指していますか、それとも衰退倒産を目指していますか。


これもまた、ほぼ全ての会社が進歩発展を目指してがんばっていると申されます。


社長(経営者)に聞いても、社員さんに聞いても衰退し倒産してもいいとは答えられないでしょう。


そう、ここまでは自分の意志でどちらでも選べます。どちらを選ぼうとあなたの自由なのですから。


ところが問題はここから始まります。


ではあなたは、あるいはあなたの会社は、そうなるようにしっかり行動していますか?


もちろん、幸せな楽しい人生が送れるように、会社が発展し洋々たる未来が開けるように日々努力しています。


そうでしょうか、私の目から見るとそうでもないように見えるのですが。

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どうひいき目に見ても、嘆きに人生とまではいかなくても、楽しみの人生にはほど遠いように見えますよ。


会社の方もいささか現状維持がやっとで、新たな明日を切り拓いていくような姿勢が見当たりませんが。


楽しみの人生、会社の進歩発展を自分の意志決定として決心したのなら、


是非そうなっていくように最大限の具体的な(つまり目に見える)行動をし続けてほしいのです。


口先ばかりで夢や理想を語っても、それだけでは自分も含めて「笛吹けど踊らず」状態です。


行動とは手と足と口を動かすこと、これまで以上にフルスロットルでその3つを動かして下さい。


真の損得、それは自らももちろん幸せになり、家族や社員も始め周りも幸せにしていくことです。


その為の最大限の努力行動を惜しまないことです。


それこそがリーダーにとって、最も重要で欠くことのできないものだということを、心に刻んで下さい。


私こそがリーダーなのだという、強い自覚、意識を持って。

ウィズコロナかアフターコロナか

コロナショックとも称される今回の新型コロナウイルス感染拡大騒動も、いくらか落ち着いてきたようです。


収束が現実のものとなってきたという方もいらっしゃるようですが、私はまだまだだという気持ちでいます。


昨日も東京では50人近い感染者が出たとか、その数で一喜一憂するわけでもありませんが、「自衛」には限界があるように思えます。



各地で色々な物事について「自粛」指示・要請が解除されてきていますが、いささか拙速ではないのか。


そうはいっても、リーマンショック以上に落ち込んだしまった経済を立て直すには、やむを得ないところもあるでしょう。


人々の意識は確かに変わってきたと言えますので、ガイドライン以上に慎重に進めていただきたいものです。


問題はそこです、つまり人々の意識が変わってきているということは、人々の行動も並行して変わってきているということです。


この本質的なことを見極めていないと、これからの企業経営は成り立っていかないと言えましょう。


そんなこと分かっているよと多くの経営者は言われます。


分からないということは論外ですので、当然今の状況を踏まえた変化を肌で感じ理解することは序の序です。


脳力開発では「分かる」「できる」、そして「やる」という三つの段階の間には、大きな溝があると言っています。


今現在、頭の中で「分かっている」という状態であるとしたら、相当に立ち後れていると言わざるを得ません。


「分かる」段階からもう「できる」という意識に達していれば、、、それでも遅れています。


でもまぁ、まだ遅れをカバーしていくことは可能でしょう、一気に「やる」という段階に達すれば。


段取り八分で周到に準備をしてから、全てを整えてから始めますというのは「平時(平常時)」の発想です。


今は平時ではない非常時、あるいは「戦時」というくらいに気持ちを切り替えていなければなりません。


小さな会社だから小回りもきくし、すぐに時代(の流れ)に追いついていきますよ、、、甘い、甘い。


第三者的に観ていて分かることは、一流いや超一流の大企業の動きの速いことです、さすがだなと感心させられます。


確かに図体は大きいですが、組織・システムが柔軟に個別に動けるようにちゃんとなっているのです。


だから、やれるところから「やる」というスタイルが既に機能しているということが、具体的に見えます。


本来は小さな会社の特性であるべきことがそうではなくて、こんな状態で大丈夫かと思うことも少なくありません。


もちろん、やっているところはやっていますよ、やっていないところとの距離は開いていくばかりです。

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ロケットであれば、すでに二段目三段目に点火して、あるいはすでに新しい空間に飛び出してなければならない時機です。


ウィズコロナがどうとかこうとか、アフターコロナ時代はどうしたら良いのかなどと、のんびり考えているヒマはありません。


動きながら、やりながら考えるという小さな会社の良さを発揮しなければ、あなたの会社の存在空間はなくなります。


僅かな小姓だけを連れて清洲城を早朝に飛び出した織田信長、


熱田神宮でとりあえずの兵を集結し、善照寺砦で体制を整え、桶狭間山の今川軍に向かうその行動に倣ってみませんか。

「やわやわライフ」のすすめ

ステイホームが叫ばれて、4月には緊急事態宣言が出され、先月にはようやく解除されました。


その後は素人目には収束に向かっているように見えますが、終息にはまだ遠い道のりです。


新潟県も昨日で4週間連続して感染者発生ゼロですが、まだ首都圏との往来自粛は続いています。


アミューズメント施設や夜の街の営業自粛も解除されましたが、いったん途絶えた人の流れはなかなか戻りません。


それは、人の心は一気には変わらないということなのでしょう。


私自身はといえば、2月下旬から完全にステイホーム状況がずっと続いています。


数えてみると昨日までで110日、この間新潟市内からも外へ出ていません。


3月と4月はスケジュール表も真っ白、5月からポツポツとかき込み始めましたが、全てオンラインスケジュールです。


最初の内はイベント(セミナー)のキャンセルが入り、自分の予定を取りやめることに悲しみを禁じ得ませんでした。


それどころか、「○月になったら復活できるよな」と期待というか願望を持ち続けていました。


しかし、GW頃になるとこれ(この状態)で「いい」と、少しずつ気付き始めました。


そうしたら一気に気が晴れたというか視界が広がり、そのまま残していた下半期の予定も全部白紙に。


その代わりにこれからできることはなんだと考え始めたら、次々に出てきましたね、やれることが。


セミナーは当面全てオンライン講座でやろう、クライアントサービスもオンラインで等々。


気が付きました、オフラインでは制約になることがオンラインに切り替えるとなくなることに。


それは可能性が広がる、ドメインを拡げていくことができるということに他なりません。


いやぁ、目から鱗ですね。おかげさまでこの110日間は、すばらしき脳力開発の学びの日々であり実践のサイクルでした。

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そこで「ステイホーム」という官製の、お固い言葉はやめようということにしました。


色々と自分なりに考えて『やわやわライフ』に行き当たりました。


京言葉では「やわやわ」は「おはぎ」のことですが、お菓子でもつまみながらのんびりいきましょう。


年内の予定はオンラインばかりですが、こだわりをやめましたから家内と話し合いながら家族のオフも入れていきましょう。


では皆さん、やわやわライフを楽しみましょう。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(97)

【真のリーダーの心得 第9条】


「レベルの高い方が苦労するのは宿命である。」


ー 真のリーダーにとって、困難と苦労が生じなければそれは異常 ー


脳力開発講座で私はいつも、「これは(リーダーへの)慰め言葉です」と言っています。


そうなんです、あなたがリーダーであるからこそ常に壁にぶつかったり、葛藤したりするのです。


リーダーでなければこの困難や苦労はやってこない、リーダーだから避けられない難局にも遭遇するのだと。


だからといってリーダーであることを辞めてしまいますか? リーダーの役割を自ら下りますか?


やはり脳力開発の中では「困難を楽しむ」という言葉もよく使います。


これは指針のこぼれ話の中でも触れたと思うのですが、私たちは意外に困難を楽しんでいます。


例えばスポーツがそうでしょう、自分より強い相手に果敢に挑む。あるいはかなり難しい目標にチャレンジする。


碁や将棋でも、自分よりはるかに弱い相手とやってもあまり面白くない。
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自分よりも少し強い相手、あるいはかなり実力に開きがあってもハンデを断ったりする。


そのような形で困難を楽しんでいる(というと言い過ぎかもしれませんが)。


日本のことだけではなく、キリスト教の聖書にも「狭き門より入れ」(マタイ伝より)とあります。


その困難さが大きいほど、燃えてくるのがリーダーだとも言えませんか。


その困難さの向こうに何があるのか、何が見えるのか、その大きな期待で突き進んでいく。


それもいつも自力で切り拓いていこうとする、それこそがリーダーなのだと心に刻み込みましょう。


困難だ、大変な苦労だと思えるくらいに自分はさらに鍛えられ、究極目標すなわち変革に向かっていける。


間違いなくその先には、困難や苦労という扉の向こうには達成の喜びというご褒美が待っているのですから。

旅鉄の原点は路面電車

60数年前には「鉄道ファン」という言葉も定着していなかったでしょうね。


ちなみに月刊誌『鉄道ファン』(交友社)が発刊されたのは1961年、私が10歳の時でした。


月刊誌として先輩にあたる『鉄道ピクトリアル』の創刊が1951年で、私の生まれ年に当たります。


当時住んでいたところ(大阪市旭区)のすぐそばに大阪市電が走っていて、それを日がな眺めるのが好きだった子供。


そんなわけで、私の「鉄」の原点は路面電車にあったということになりますね。


ちなみに昨日は「路面電車の日」でした。「ろ(6)でん(10)」(路電)と読む語呂合わせだそうです。
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1995年に、全国の路面電車を持つ自治体が広島市で開催した「第2回路面電車サミット」で制定されたとか。

一時は全国各地を走っていた路面電車も、1960~70年代に次々に廃止されました。


当時は高度成長のまっただ中、車社会へ急傾斜している時代でした。


つまり新しい交通社会の邪魔者として、各地で線路が外されていったわけですが、それが良かったのか悪かったのか。


路面電車がなくなっても交通事故や渋滞は増える一方、さらに空気汚染が広がりました。


大都市に開通した地下鉄は弱者には余り優しくない乗り物になり、バスも昨今は赤字に苦しんでいます。


21世紀に入ってようやく見直しが起こり、各地の路面電車が都市交通機関、弱者にやさしい乗り物として認知されました。


LRT(ライト・レールウェイ・トランジット)と称されるシステムは、まず低床電車などの車両側から始まり、
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富山ライトレール(現富山地方鉄道岩瀬浜線)により認知度が高まりました。


宇都宮市では新規のLRTが開業を目指して建設中の他、既存の路線でも新規延長などの予定が具体化してきました。


路面電車新時代に入ったと言えるかも知れません。


現役路線には、富山の新規開業線(富山駅高架下連絡線)以外は全て踏破(乗り鉄)完了しています。


それでは昔懐かしい京都市電と、もっとも最近乗車した万葉線(富山県)を今日の2枚に取り上げます。

核動作で考えるとうまくいく

脳力開発に「核動作」という言葉があります。


何かをする、すなわち行動はいくつかの動作の連続集合体だというわけです。


その連続(時には非連続があるかも知れませんが)している動作の一つ一つを、核動作と呼んでいます。


例えば、部屋の中で椅子に座っていて、そこから外に出てジュースを買いに行くとしましょう。


これを核動作に分解してみると、
 椅子から立ち上がる → 部屋の出口まで歩く(左右の足を動かす) → ドアを開ける → 靴を履く
 → 玄関を開ける 
→ 外に出る(玄関を閉める) → 自販機まで歩く → お金を出し投入する →
 ボタンを押す → ジュース(缶)
 を取る → 元に戻る(歩く) → 玄関を、、、といった具合です。


どんなことでも、このように細かな動作(核動作)に分解して考えると、どれも簡単な事ばかりということに気付きます。


どのような大がかりなことでも、一つ一つの動作はさほど難しいことではないのです。


複雑に見えることも、動作の組み合わせや順番が少し違うということだったり、使う道具が違うだけのこと。


あるいは核動作の量が非常に多いとか、動作する時間がかかる、あるいは動作と動作の間の時間を要するとかです。


ただ、これまでやったことのない(経験がない)動作にぶつかると、難しく感じることもあるでしょう。


そうだとしたら、その動作について少しだけ情報を集めて「やれる」ように自分を変えていくことです。


体験したことのある(他の)人に教えを請うこともいいでしょうし、部分的に手伝ってもらうことも有効です。


やるということ、あるいはその方向を決めたら、やり方などは無数にあるのです。


その時に、一つ一つの核動作は簡単なものであって、それらの組み合わせに過ぎないと意識すれば気も楽になります。


またレベルアップとかスキルアップなども、全体を一度にやると大変ですが、核動作に分けてやってみれば良いのです。


一連の行動が困難を伴うもので合っても、実は困難さはその中の一部分の核動作だけにある、

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もしかしたらそういうことも掴めるかも知れません。そうなればしめたものです。


かつて脳力開発を本格的に学び始めた時、これらのことを教えていただきやってみたところ、確かにうまくいきました。


新型コロナの影響でそれまであった仕事のほとんどができなくなっても、新たな仕事を見いだすことができました。


そしてその仕事を核動作に分けてみると、これまでの仕事の大半を応用あるいは準用できることが分かりました。


そのままでも使えるものや少し手を加えれば良いもの、新たに加えるもの等々。


後はそれを整理整頓して連続させるだけで、「新しい仕事」として創り上げることができたわけです。


こうして仕上がった脳力開発オンライン講座を、皆さんと一緒に学べる日を楽しみにしています。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(96)

【真のリーダーの心得 第8条】


「まず自分が変われ、さらに一歩変われ。」


ー それが変革の原動力 ー


他人を変えることはできませんが、自分を変えることは可能であるというのが全ての基本(原則)です。


ならば変えられるもの(すなわち自分)を変えようじゃないか、それに「脳力を集中しよう」ということです。


変革という土台基盤を変えていくような仕事は、なまじの覚悟ではやりとげることができません。


信念を変えることなく、言いかえればしっかりとした戦略をもって臨まなければなりません。


やってやってやり抜く、滴が岩に穴を開けるくらいの執念も必要になります。


さらにその過程においては幾多の困難、壁にぶつかることでしょう。


それがどんなに厳しい、険しい困難であっても乗り越えていかなければなりません。


時には真っ向からぶつかっていくことが必要でしょうし、Photo1


また時には大きく迂回していかなければならないこともあるでしょう。


それでも進むべき方向や最終到達点を変えてはならないわけで、変えて良いのは戦術そしてそれを駆使する自分自身です。


如何なる環境にも適応していき、あるいはまた条件を組み合わせる、新たな条件を加えるなど、


やるべき戦術を繰り出していくためには、時として自分を変えていくことも必要なのです。


なぜなら一人で何もかにもはできないので、できるなら周囲を巻き込んでいくことが必要になるからです。


その為にも自分を変えることが不可欠になる、それでは足りない、もっと変われということにもなるのです。


リーダーたるあなた、その覚悟は持っていますよね。

松下幸之助さんは成功の秘訣を問われて、「成功するまでやり続けることや」と答えられたとか。

成功のイメージを脳裏に刻みながら、即行を心がけて参りましょう。

私が『脳力開発』を奨めるわけ

新型コロナウイルス、中には中国(武漢)ウイルスという人もいるようですが、


確かに最初の感染流行地は武漢であったとしても、今の日本のウイルスは欧米で変異したものとも言われていますね。


根本的なところを一つとっても、こんな風に情報は様々で別の説を唱える人もおられます。


この例では事実(確定的事実)はいくつかあるのかも知れませんが、


たいていの場合は一つの事実に対して諸説が出ていたり、あるいは確定的でない情報が諸々あるということも。


今回の感染情報にしても、最初の頃は「他のコロナウイルスと同様ただの風邪の原因」くらいだという情報がありました。


武漢での流行の時にも、コウモリからだとか市場の食材(魚介類など)が媒体だというものがあり、


人から人に大感染するという事実が出てきてようやく、これは大変だとなったのではないでしょうか。


それでも当時(1月や2月の初め)はまだ対岸の火事という意識で、私自身もまさかこれほどの状況になることはほとんど予想し得ませんでした。


情報が不確かで判断がまだ右往左往している頃は、どうしても自分が望む方向に気持ちが引きずられかけます。


目先のイベント(セミナー)や訪問遠征などは取りやめても、数ヶ月先には状況が良くなることを期待していたようです。


それが甘い見方であることは、やがて事実情報が整理できてくると分かってきて、当然ですが判断も変わっていきました。


年内に「元に戻ることはない」と判断すれば、今年の戦略は一気に転換です。


新たな戦略を決めれば、これまでの戦術に固執する必要はありません。


できないことはあっさりと捨てきり、やれることを考え実行して行くのみです。


普通の会社の仕事はそうはいかないよ、ってあるクライアントさんが言われましたが、「普通」って何でしょう。


当社が特殊な仕事(コンサルティングやセミナー)をやっているとも思わないのですが、周りからはそう見えるのかな。


そのクライアントさんには、戦略とくに経営理念や長期計画はそのままでいいが、短期計画は見直しすべしとアドバイス。


それに基づいてやれることとやれないことを、まずはキチッと整理整頓してみるようにお願いしました。


こういう(会社を取り巻く)環境条件下では、以前と同じことでできないことが多々出ているはずです。

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それを無理矢理に中央突破していくことが正解なのか、それとも迂回してでもやるのか、


そうではなくて全く違うやり方ややることを見いだして、そこに力をかけていくのか。


経営トップであるあなたがどう判断して、どの方向に進むことを選ぶのか、まさに正念場と言えましょう。


会社の命運は経営者の双肩にどっしりとかかっています。今こそ脳力開発を学ぶことをお奨めします。


判断と意思決定、そして社員の皆さんを(とその家族をも)巻き込んでいくのですから、強いリーダーシップが求められます。


今こそ脳力発揮の時、ピンチをぜひチャンスに変えていきませんか。

限界は自分が作る

新潟市(県)は3週間感染者ゼロを更新中です。


収束してきたものと思われるという市からのメッセージもありましたが、動きの完全復活とはなりません。


学校も6月からは次々に再開され、朝の通学風景も戻ってきています。おそらく電車やバスも混んできているのでしょう。


しかし、街中の賑わいは元には戻らないようで、とりわけ夜の街からは嘆き節が聞かれます。


夜だけではなく、外食行動や買い回り行動も減ったままになっていて、日常生活が変わったことを実感します。


我が家を振り返ってみても、もう100日以上外食をしていません、全くです。


以前は週に一度以上はランチに出かけていましたし、外呑みも月に何度かありました。


ましてやセミナーや研修などで県外に出かけると、クライアントや仲間との呑み会が常でしたから。


それも全くなくなって、外出そのものも近くのマーケットやショッピングエリアに出かけるのみです。


それが普通になってしまうまでには数週間を要しましたが、日常になってしまうと徐々に抵抗感も少なくなります。


各地の仲間たちは、少しずつ行動を開始したようです。


クライアントへの訪問活動やセミナー開催も始めた方もおられます。もちろん以前の通りにとはいかないようですが。


感染防止に気を遣い、とくに三密にならない工夫をしながら前を向き始められています。


私も少し前までは、収束方向に向かい始めたら自分も行動を開始しようと思っていました。


その為に何をすれば良いのかという段取りも考え始めていました。


ですが、今はもう少し様子を見ることにします。GO!という意思決定はまだできません。


1年くらいのガマンができなくてなんとする、ってところでしょうかね。



仲間たちが行動を始めることを否定する気はありませんし、むしろすばらしいなとその姿を見ています。


年のせい(68歳)とは思いませんが、周囲のことを考えすぎるようになったのでしょうか。


以前から分かっていたつもりでしたが、限界というものは「自分が作る」ものだなということを強く感じています。


それはそれでいいと思うのです。人それぞれに役割というものがありますから
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要はそれを自分の行動の「内部ブレーキ」にしないことです。



私はオンラインの活用という方向に自分の役割を見いだし、確立していきます。


やりますよ、まずは9月からのオンライン講座(脳力開発)をスタートします。


さらに新しい講座を企画中、またYouTubeの活用も模索していきます。


ワクワクしてきますね。このワクワクを、やがて皆さんに伝えられる日を夢見ながら。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(95)

【真のリーダーの心得 第7条】


「与えてもらうのを待っているばかりでは流されるだけである」


ー 誰がやるのか? 自分は何をするのか? ー


オフラインのリアル講座では、いつも次のように言っています。


「棚から牡丹餅は口に届かないし、二階から目薬は目に入りませんよ」と。

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でもどこの会社にも、誰かが牡丹餅を口に運んでくれるのを待っている社員がいます。


社長やリーダーから「誰かやってくれないか」と声がかかっても、誰かが手を挙げてくれるのをただ待っている。


そのくせ成果が出始めたとか、うまくいきそうになるとおこぼれにあずかろうと虎視眈々とそばに近寄る。


中には最後のところだけ(一番易しい、美味しいところに)手を出して、それなりの分け前にはあずかる。


プロジェクト会議などでじっと黙り込んでいるメンバーは論外としても、


活発に意見を述べ持論を展開するのだけれど、誰がやるのかということになると口を閉ざす。


こういう人を私は「社内評論家」と称するわけですが、とてもリーダーにはなれません。


リーダーたる者は自らの考えをしっかり述べると同時に、


自分もやるから一緒にやろうじゃないかと力強く声をかける存在でありたいものです。


リーダー的存在が別にいるのであれば、そのリーダーをしっかりバックアップする存在になりましょう。

思い出の吊り掛け式電車

吊り掛け式(釣掛式 )電車といっても、鉄道ファンの一部の方にしか分からないでしょうね。


モーターが台車の(車)輪軸に直接吊り掛けられている構造、つまりかなり単純な仕組みです。

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丈夫で重量が重いが、これは路盤(線路)からの衝撃を直接受けるためであり、



台車にモーターおよび歯車の振動が、特に加速時にノーズを介して台車枠に伝わるので特有の騒音を出しうるさいのが欠点。


50年くらい前までは電車の主流でしたが、カルダン駆動のいわゆる「新性能」電車が主流になり、


今は高速電車のほぼ全てがカルダン式駆動になっています。


現在では路面電車の半数くらい、また高速運転もする電気機関車には吊り掛け式駆動が使われています。


というわけで、私が物心ついて鉄道ファンになった頃は、ほとんどが吊り掛けモータを唸らして走る電車でした。


カルダン式の新性能電車が走り出すと物珍しく、わざわざ何本か見送ってからそれに乗ったものでした。


吊り掛けモータとは違う、「ウィーン」という軽やかなモータ音にうっとしたものでした。


高校時代の通学は当時の国鉄(東海道線)、あるいは阪急電車(京都線)を使っていました。


どちらも主流は吊り掛け式の大型モータの電車で、特に阪急のデイ100型(上写真)の豪快なモータのうなりは最高でした。


国鉄のモハ51型(下写真は51系のクハ55)はセミクロスシートで、これまたわざわざそれを選んで乗っていました。


もう50年以上も前の懐かしい想い出です。
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東京アラート発動

東京アラート発動、やっぱりなぁという感じです。


緊急事態宣言の解除、多くの地域では早くないタイミングだったと思いますが、大都市圏ではどうなのか。


今さらそんなことをとやかく言っても仕方がありませんが、Photo_20200603083601


それに東京と北九州市だけに感染者発生が集中しているというのは、これまたどういうことなのか。


北九州市は、濃厚接触者の範囲を拡大する中での検査が徹底していることと、若者には無症状陽性が多いという事実も。


東京の場合とは事情も違うようです。


しかし、どちらにしても同じようなことが「どこでも起こる可能性」があることも、十分に考えた方が良さそうです。


私の住む新潟県は、当初はクラスター感染が多数発生、また後半では経路不明の感染が増えるなど不安が募りました。


しかし、全国的にも充実している検査態勢などもあって、次第に収束に向かってきました。


これまでに82人の感染が発表されましたが、すでにほとんどの方が退院して入院者が一人になった状況です。


新潟市も半月以上感染者ゼロ、昨日の時点で「先月15日頃には収束した(模様)」との見解を明らかにしました。


緊急事態宣言の解除で街中の営業自粛も取り払われました。


確かに少し人出は増えていきつつあるようですが、以前の賑わいには全く戻っていないようです。


まだまだ動きは慎重であるのと、「もし自分が感染したら」大変なことになるという意識が強いようです。


そのあたりが大都市、東京などとは人間の意識が違うところでしょうか。


とはいえ、東京とは新幹線や高速道路がつながっていますから、今は往来が激減しているとはいえ今後は分かりません。


外から持ち込まれる心配は常にしておかねばなりませんし、まだまだ油断はできません。


学校も再開しており、北九州市のような学校でのクラスター感染が起きない保証もありません。


常に心の中に危機意識、アラート気分を持って、その中でできることを少しずつ拡げていきましょう。


まだまだですよ、ということを東京アラート発動が教えてくれています。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(94)

【真のリーダーの心得 第6条】


「他人や周囲は、言うことを聞いてくれないものである。」


ー 物事は思い通りにならない方が通常 ー


社員や部下が自分の指示に従ってくれない、言う通りにちっともやってくれない。


あるいはこんな風に行動を変えてほしいものだが、全然変わってくれなくてイライラする。


ぜひ受講してほしい研修なのだが、自分から手を挙げて参加する社員がいないんだよなぁ。


そういう声を、これまで山ほど聞いてきました。


経営者だけでなく社員の側からも同じような言葉が聞かれました。


身近なところでは奥さんや夫がこう変わってくれたらなとか、子供が言うことを聞かないんだよとか

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要するにどれもこれも、自分の思う通りに考える通りに相手の方が動いたり、変わってくれよということ。


でもそれはいくら望んでみても、あなたの思う通りにはなりませんよって言っているわけです。


強く望めば望むほど現実は遠ざかっていく、しかしそれで当たり前なのだと。


だって、あなたと彼とは立場も違えば望んでいることも違う。


それをあなただけの願いが叶うようにしようなどとは、そちらの方が間違っていますよ。


だから思い通りにはならないことの方が当たり前なのだと思えば、そんなに腹も立たないでしょう。


逆にもしあなたの思うように相手が動いてくれたら、それは大喜びものになるのでは。


喜びを身体中で表して相手を讃えてあげれば、一緒に喜んでみせれば、相手もさらに期待に応えようとする。


それが人間の普遍性というものです。


まず自分がやるべき事をキチンとやり、それを相手に押しつけるのではなく、一緒にやろうと呼びかける。


やってくれなくても決して嘆かない、文句も言わずに自分はひたすらやり続ければよい。


それで気付いてくれない相手なら、それはもうそれまでじゃないですか、期待しすぎれば相手の負担になります。


相手が精神的にも物理的にも負担を感じず、共鳴してくれるようにあなた自身が努力すれば良い。


相手の立場や希望に合わせていくことも厭わない、それができてこそ周囲を動かしていけるというものです。

今日は創業記念日

6月が始まりました。


月が改まっても状況はそのまま、人間たちが「次のステップ」と定義していますが、さてどうなりましょうか。


そんな中で6月1日は、当社ヴァンガード経営研究所の創立(開業)の記念日です。


もっとも、あくまでこの日は開業届に書き込んだ日であって、事情は少し異なります。


実質的に独立した会計として「長岡MG研究会」としたのは2001年(1月)からです。


それを引き継いで「ヴァンガード経営研究所」という個人事務所に名前を変えたのが、2008年の4月1日。


ただ、長岡MG研究会としての会計事務は5月31日までやっていて、翌日に切換をしたことになります。
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開業届を出したのが6月6日で、その際に区切りの佳い6月1日を開業の日として提出したわけです。


3月末に32年間在籍した(ただしその内16年半は販社に出向)会社を辞め、心機一転独立しました。


スケジュール表はほとんど真っ白という中でのスタートでしたが、縁あって長岡商工会議所で仕事をいただきました。


中小企業からの相談を受けて専門家につなぐという、応援コーディネーターという新事業にタッチすることになりました。


その年の秋に見舞われたリーマンショックで、仕事の出番も増えました。


本来の仕事に位置づけたクライアント企業へのサポートはまだなく、公開セミナーや企業研修もポツポツでした。


幸い応援コーディネーターとして3年間仕事をいただき、100社を超える様々な企業と関わることができました。


その仕事に区切りをつけていざという時に起きたのが東日本大震災、これで研修や講演の仕事の大半がキャンセルに。


また「ニュードン」を強いられることになったのですが、視点を変えていくというきっかけになりました。


おかげさまでサポートするクライアントも増え、企業研修、そしてとくに主催・共催セミナーが年々増えていきました。


昨年などはほとんど週末に家にいないというスケジュールが続きました。


それではいかんぞ!というのが、今回のコロナショックなのかも知れませんね。


3月以降、見事にスケジュール表が空白になっていきました、1月、5月、そしてこの6月も。


開業の年がそうだったのですから、一巡して元に戻ったと思えば気も楽です。


ところがここに来て、オンラインでの仕事スケジュールを書き込める状況に変わってきました。


月初めはクライアント企業とのコンタクト、リモートミーティング(MTG)が続きます。


土日は主としてオンライン研修日に当てることにしました。


間違いなく新しいフェーズに入ってきたわけで、これから新たに何ができるかを考え実行していきます。


創業の日の気持ち、つまり原点に還りつつ、新たな歩みを刻んでいきます。


一歩ずつ歩め、一口ずつ食べよ。脳力開発の基本に立ち返って。


今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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