« コロナショックに耐えうるか | トップページ | 寂しいダイヤ改正 »

連載・『脳力開発と私』こぼれ話(74)

新型コロナウイルス感染を巡る動きは、いい意味でも悪い意味でも脳力開発のケーススタディになっています。


冷静な目、客観的な視線で見ていると、片面思考が主体になっていることが気懸かりです。


右とか左とか与党とか野党とか、そういう見方ではない確定的事実をしっかり追って判断するという思考に欠けています。


自分(たち)の目指したい方向の情報・データだけを集めて、そこから判断していくという片面思考ではよい結果を招かないでしょう。


あるいは専門家と言われる人たちもまた、自分の専門という視点からだけ物事を見ているのではないかと。

Photo_20200311081701
それがそういう方々の役割なのだと言ってしまえばそれまでですが、ならば、それとは異なった視点の役割の人がいなければ片手落ちになります。


しかも、さらに問題なのはその判断の中に「仮定」が混じってきてしまうことです。


この仮定というのは、前回も書きましたように「確定的でない要素」の一つ、あるいは最たるものと言ってもよいものです。


もちろん、仮定あるいは仮説を立ててそこからアプローチしていく方法は科学的な思考法ではあります。


あとから具体的な事実と照合して確認していくという方法は、様々なジャンルで応用され成果も上げています。


しかし仮定の段階では確定的要素ではない、このことはしっかりと分かっていなければなりません。


あるいは過去の振り返りの中で、「もしあの時こうしておけば」とか「自分にもしもっと時間があったなら」とかいう仮定は、これはグチにしかならないでしょう。


百害あって一利なし、言ってみれば時間のムダです。


さらにそこに「空想」や「夢想」が加わってくると、もう手に負えません。現実との境目がつかなくなってしまっているのですから、何をかいわんやです。


さらにそれが嵩じて、思い込みとか決め込みの段階に入ってしまう人がいます。そういう意見は聴く価値もないものです。


昨今の為政者や識者の意見もまた、そういうところがないのか、よく聞き耳を立ててじっくりと判断していきたいものです。


何しろ、勘違いしていましたでは済まされませんからね。

« コロナショックに耐えうるか | トップページ | 寂しいダイヤ改正 »

『脳力開発と私』こぼれ話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« コロナショックに耐えうるか | トップページ | 寂しいダイヤ改正 »