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戊辰戦争が始まった日

1月3日は、152年前に本格的な「内戦」が始まった日。


そう、戊辰戦争の皮切りになった鳥羽伏見の戦いの始まった日である。私が習った教科書には戊辰の役と記してあったが、昨今はキチッと戊辰戦争と書いてあるようだ。


無血開城した江戸城明け渡しのイメージから、明治維新(維新という言葉もまやかしだと思う)は無血革命と賞賛されていたようだが、その表現がとんでもないことは論を待たない。


鳥羽伏見の戦いを除けば、都である京都から遠い東北あるいは越後方面での戦闘であったが故に、さほどの血が流されることなく明治新政権が誕生したように思われているが、決してそうではない。
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会津鶴ヶ城の戦い、その前の二本松城の攻防戦、さらには越後長岡城を巡る100日を超える血戦で流された血は、同じ日本人同士の戦いではなかったか。


その事実を矮小化して、さも旧弊の徳川政権から速やかに明治政権(薩長政権が正しい?)に代わったと教えてきた、歴史教育とは何だったのだろうか。


温故知新-歴史を学べ、歴史の中にこそ日本の未来を見ることができると多くの先達が言ってきたが、間違った歴史を学んだところで意味は薄いだろう。


幕末の徳川政権が老朽化・疲弊していたことは事実だが、それでも他の誰よりも情報を持っていたことは事実である。ペリー来航に狼狽えたこともあるが、驚愕して足が止まったことはない。


第一「鎖国」という事実はなかったわけだから、幕府が遅れていたわけでもない。ただ、つかんでいた情報を活かせなかった、あるいは活かせる人材を前面に出せなかったことはある。


井伊直弼を貶める表現は多いが、「開国」を推進していたのは薩長ではなく幕府ではなかったか。むやみに攘夷を叫んで無鉄砲に大砲をぶっ放し、痛い目に遭ったのは誰か。その責任(賠償)を他人(幕府)に押しつけたのは誰か。


近代装備を駆使して、時代遅れの兵器の幕府軍と闘ったというが、実態はどうだったか見直してみるが良かろう。近代陸軍、海軍を作っていたのは幕府側だった。活かしきるシステムが不備だった。


近代装備はどうやって手に入れたのか、日本を食い物にした死の商人たち(グラバーなど)から、それも密輸でではないのか。密輸というのは当時の国法を犯していたと言うことだ。


勝者だから遡って咎められることもなく正当化され、「偽造」した詔勅や錦旗を振りかざした罪も咎められなかった。


結果が良ければ全て良しではない、歴史を正しく学ぶとはどういうことなのか、考え直すべき時ではないか。


少なくとも、これまでの主流となってきた薩長史観を先ずは外して見るべきだろうね。


今年のその視点で、歴史を問い直してみようと思っている。

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