« 連載・『脳力開発と私』こぼれ話(62) | トップページ | 47都道府県を制覇しました »

大分MGはどんな戦略&戦術で?

昨日から大分県日出町です。先ほどから雨が降り出しました。


この日出町は小さいながらも城下町、豊後日出木下家2万5千石は江戸時代初めから明治まで変わらずこの地にありました。

Photo_20200125085901
初代木下延俊は、豊臣秀吉の正室・北政所おね(高台院)さんの甥に当たります。


関ヶ原前後では東軍につき、その功績によってこの地を与えられたそうで、以後16代を経て明治に至ったそうです。


ちょうど来る途中で歴史の本を読んでいたのですが、高台院は東軍側か西軍側かという色分けについての話が載っていました。


皆さんはどちら側だったと思いますか?


大坂城の実質的主であった淀殿との対立から、東軍側に付いたと考える方も多いでしょう。その故に小早川秀秋(甥)に裏切りを示唆したとか、加藤清正や福島正則などを支援したとか。


ただ、これはあくまで結果から出たこじつけみたいなものかなと思います。


高台院は多分「豊臣派」だっただけで、対立は望まなかったというのが私の見解です。


では淀君は、「関ヶ原」時点ではどちら側だったと思いますか?


もちろん秀頼名義ですが、上杉討伐軍の東上に当たり家康に多額の軍資金や兵糧を与えています。でも、石田三成が挙兵した際には何も与えていない。


その当たりの歴史の事実を組み合わせてみると、色んな発見が出来るものです。


ちなみに、小早川秀秋は関ヶ原合戦の最終盤で「突然に」裏切ったのではないということ、最初から東軍側だったなども事実をつなぎ合わせると導き出せます。


そう、事実を正確に見ること。思い込みや結果からの類推ではなく確定的事実で考えよとは、脳力開発・城野宏の教えです。


さぁ、今日から大分MGセミナー。どういう戦略と戦術でいこうかなぁ。

« 連載・『脳力開発と私』こぼれ話(62) | トップページ | 47都道府県を制覇しました »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 連載・『脳力開発と私』こぼれ話(62) | トップページ | 47都道府県を制覇しました »