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あの地震から25年経った

昨日1月17日で、あの阪神・淡路大震災からちょうど25年が経った。


もう25年経ったのかという思い、あの日のことは色んな意味で忘れられない。


震災の3日前の14日に、震災で大きな被害に遭った東海道・山陽本線を西へ、さらに山陰の友人たちに会いに行った。16日はその中のN夫妻と四国に渡って遊んだ。


N夫妻は鳥取に戻り、私はその夜岡山泊まり。学生時代からしばらくボランティアをしていた、ユースホステルのおやじ(ペアレント)と一杯やり、2階の部屋に休んだ。

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ゆっくり休んでそろそろ起きようかなと布団の中で伸びをした瞬間、異様な音(地鳴りだった)と共にガシガシという音。さらにガタガタと木造の建物が揺れ始めた、40~50病くらい揺れは続いていた。


すぐに1階の事務室に飛び込みテレビをつける。速報が流れていて最大震度6との情報、だがこの時まだ神戸市内の激震震度は発表されていなかった。


次第に映像が入り始めたが、この時にはまだそんな大きな被害が出ているとは思ってもいなかった。岡山の震度は4であった。4でもかなり揺れたので、被害が出ただろうとは感じていた。


その何年か前に秋田に出張中に、日本海中部地震の遭遇したのだが、その時は震度5でひどい揺れだったが。


やがて神戸市内の状況がニュースに流れ始め、各地に火災が起こっていること、そして阪神高速道路や鉄道の高架線が倒壊していつ様子が映し出され初めて、呆然とした者だった。


その日は親会社で販社の全国会議が予定されていたが、当日来られないメンバーもいる(何しろ新幹線始め交通は完全に寸断だった)用で、連絡を入れると中止の旨が伝えられた。


それにしても、新潟に戻らなければならない。家族も心配しているはずなので電話を入れ、無事を歌えたが、さてどうやって帰ろうか。


新幹線はダメ、ならば空路だとネットで岡山空港発(羽田行き)をチェックしたが、臨時便も含めすぐに満席の表示。近くの空港、広島は新幹線不通で行けないし、少し遠い。


ならばと四国高松空港をチェックすると、午後の東京便に空席あり、すぐに予約を入れて岡山駅に向かう。幸い、瀬戸大橋線は徐行運転ながら動いているという。


間髪を入れずに飛び乗ったが、この1~2便後から運転取りやめになったらしい。幸運だった、意思決定が早かったことで、ナントカ高松駅に着きバスで空港に向かう。


飛行機の上から見た神戸周辺の状況は遠くてハッキリはしなかったが、火災の煙は見えていた。ビルや家屋など倒壊も少なからず分かった。


そうやって、夜には我が家に帰り着いたのだが、、、


その10数年後に今度は新潟(長岡)の地元で中越地震、さらには中越沖地震に見舞われ、自分もまた被災・避難者になろうとはその時には考えてはいなかった。


その後2011年に東日本大震災長野県北部地震と立て続けに起こったが、幸か不幸か新潟には大きな被害はなかったし、直接に遭遇することもなく今に至っている。


でも、いつどこで大きな揺れに見舞われてもおかしくないのが日本列島だ。危機に備えての心構えや準備は怠るまい。


今日も無事に過ごせることを祈っている。

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