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連載・『脳力開発と私』こぼれ話(3)

四国高松の瀬戸塾、そこでは脳力開発の勉強会も不定期開催していましたが、時にMG研修を行うこともありました。15人から20人くらいの人数でしたが、商店街の小売店主の方が多くかなり盛り上がりました。

Photo_34 清水(英雄)さんの他、MGを通じて黒田(悦司)さんにもお会いする機会に恵まれました。それはまだ翌年のことになりますが、黒田さんは、後年出向した販社の社員教育(脳力開発)でお招きすることになります。

1988年は、瀬戸塾での学びの他は、少しずつ手に入れていった城野さんの著書を通じての自習が主体でした。また、ラジオ短波から出ていた講演テープも購入してむさぼるように聞きました。

そのテープが『三国志の人間学』で、東京駅前の日本工業倶楽部で毎月定期開催され炊いた、城野さんのセミナー講演でした。現場実録音だけに音質はイマイチでしたが、何度も何度も聴きました。

その講演抄録が、西先生編著による『城野宏の戦略三国志』(上中下)で、テープと並行してこちらも再読することで、学びが深まりました。

城野さんの著書は既に廃番になってしまったものも多くあり、現在のようにネットで古本をという時代ではありませんでしたので、東京や大阪への出張などの度に古本屋巡りをして探しました。

特に神田神保町の本屋を回る為には、岡山を前夜に出て大阪から夜行列車や夜行バスで東京に向かいました。早朝時間を潰して、9時過ぎから昼まで順次開いていく店を順番に回りました。

それでも手に入らない中にもぜひ読みたい本がいくつかありました。それを読む方法はないか、ある方から国立国会図書館行けば読める、コピーもできることを教えてもらいました。

その当時はまだ京都の関西館はできていませんでしたので、こちらも東京に出た際に出かけました。ただコピーを申し込んでも著作権の関係でムリなものがあったり、受取まで時間がかかりました。

著作物の索引がありますので、それをみて一般の書籍の他に「論文集」があることを知りました。ちなみに、その論文集のほぼ半数は実物を手に入れ、その他も含めて全文のPDFファイルを手に入れています。

その他ケーススタディ集も、こちらも全部ではありませんがかなりのものを所蔵しています。講演テープもほぼ全て購入、あるいは譲り受けることができました。西さんからいただいたテープもあります。

脳力開発の本格的な学びは翌年1989年に入ってからでした。その年2月のMGフェスティバルで、出会った方々からの刺激が大きなきっかけになりました。自分だけで学び続けるより、外に出て行こうということです。

黒田さんからのお誘いで、信州・青木村の脳力開発セミナーに参加したほか、瀬戸塾では毎月清水さんを講師にお招きしての定期講座もスタートしました。

ハガキ道の坂田(道信)さんとの出会いも強烈でした。それまでも見よう見まねで複写ハガキを始めていましたが、坂田さんの話を信州で初めて聴いて、大いに感動を受けたものでした。

脳力開発を学び初めて気が付いたことは、重要なことは『実践また実践』に尽きるということに気付いたことです。ペーパー知識よりも実際知識、体験知識とも言います。それをどれだけ積み重ねていけるかというのが、脳力開発のポイントです。しかも意識して行動することを重ねていって、やがて無意識でもできるようになる。

これを『土台習慣』化とも読んでいます。土台習慣という軸を作ることによって、無意識でもちゃんとできるようになる、しかもぶれない。そのことをこの1年(1989年)でじっくり体得できました。

やがてその実践の場がやってきます、それが出向という青天の霹靂とも言うべき出来事でした。

三題噺「ゴミゼロ・掃除機・消費者」

今朝の新潟市の気温は13~14度、さすがに空気がヒヤッと感じます。日中は気温も上がって紫外線指数も上がるようですが、先日のような猛暑にまではならないようです。今朝は表題の三題噺。


今日は「ゴミゼロ(5-3-0)の日」だそうです。目に見えるゴミも気になりますが、大気中の見えないゴミ、宇宙に散乱しているゴミ、海の中のゴミ、さらには社会のゴミなど気になるものが多いですね。


そろそろ目立ち始めた、いやいやずっと目立ってきているのは政界のゴミどもでしょうか。7月には参議院選挙もありますが、国会の会期延長がないそうなので公示・投票日も確定したようです。問題はダブル選挙があるかどうか。
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あるのかないのか、ありそうでなさそうで、でもやっぱりやるんじゃないかなど予測も分かれています。どちらにしろ、ちゃんと「ゴミ掃除」をしてくれるような結果になれば良いのですが、そうなりそうもないですよねぇ。


ゴミの日に合わせたわけでもないのでしょうが「掃除機の日」でもあるとか、政界ゴミを一掃してくれるような強力掃除機はないのかな。掃除機を使いこなせる有権者が多ければゴミも少なくなるのでしょうけど。


そしてもう一つが「消費者の日」、1968年(昭和43年)に消費者保護基本法が公布・施行されたのを記念されたのを記念して、その後政府が定めたそうですが、美事なザル法であることを祝う気持ちにもなれないですね。


法律自体の主旨は良いのですが、運用がどうにも消費者側に寄り添っていない。たいていの法律というものは、細かいことはその後に細則を政府すなわち官僚どもが決めて実行するわけですが、お前らどっちの味方なんだ!?って感じですからね。


ちなみに第二条にはこうあります。「国は、経済社会の発展に即応して、消費者の保護に関する総合的な施策を策定し、及びこれを実施する責務を有する。 」ですって。で、要はあとはお任せってこと、何しろたった20条の法律ですので。


そこである意味、官僚どもがやりたい放題できるとも言えるわけです。もっとも彼らも周囲に「忖度」しなければいけないようので、同情の余地は少しありますけどね。その周囲というのが政権や業者が主体では困るのですが。


つまらない三題噺になりましたが、人に優しい政治にはほど遠いなあということが言いたかったのです。では、ゴミでも捨てに参りましょうか。自分自身が粗大ゴミにならない内に。

企業活性化の素材は足下にある

組織を活性化するためには人材が必要であること、その人材が起爆剤になるということは、殆どの経営者が口を揃えて言うことです。ところが多くの経営者が、「うちの会社には人材がいない」と言われます。

私はかつて『人財づくりコンサルタント』と名乗っていたので、そういう経営者から相談をされることもありました。どこかにいい人材がいたら紹介してくれませんかと、お願いをされることも何度かありました。

結論からいえば、どんな会社の中にも人財はいます。掃いて捨てるほどいるとはいいませんが、企業の大小にかかわらず人財というべき社員が必ずいるものです。

それを「いない」と言われるのは、経営者に人財を見いだす眼がないこと、その人財(であるはずの人)の上司がその発掘努力、あるいは育てる努力を怠っていることによるのでしょう。
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そういった努力を怠っていることが根本の原因であるのに、自分の怠慢や資質の無さを棚に上げておいて、自社には人材がいないとか育たないとか言っているのは笑止千万です。

これでは、社員のモチベーションが上がろうはずもなく、せっかくの能力を埋もれたままにしてしまいます。何も新しい人材を探してくる必要など、ない場合が多いのです。今ある経営資源、人的資源を活かすことです。

かつての私の会社は社員が15名前後の小さな会社でした。販売会社でしたので、販売のプロすなわち営業人材は豊富でした。ただ「売る」ことに関してはプロでしたが、その一歩先は物足りなかったのです。

つまり、いかに付加価値を付けて売るかとか、今よりもブランド価値を高めていこうとか、経営的にプラスになる方向を自ら考え実行する能力が足りなく感じました。

それでもきっと潜在能力を持っている、売る能力とか販売先に信頼される力を持っているのだから、必ずそれ以上のことをやりこなすはずだ。どうにかしてその能力に自ら気付かせるにはどうするか。

それが私に課せられた課題だと理解しました。そこで、私自身がやっていたMG研修そして脳力開発研修を、社員の皆さんと一緒にやっていくことにしたのです。最初はどちらかと言えば強制的にです。

でも、私には必ず役に立って効果が出ていくはずだ、みんなが自分の隠れた能力にも気が付くはずだと確信していました。結論からいえば、みんながその大小はあっても隠れた力に気付きました。

中でも一人の女性は、全く違った仕事をしていたにもかかわらず、営業能力が自分にあることに気付きました。さっそく新事業の担当者に抜擢、美事に期待に応えてくれました。

その成功が今度は周りへの刺激剤になりました。ようし自分もやれる、と言う気持ちを少なからず持ってくれたのだと思います。そうなると好循環、善循環が始まります。累積赤字は解消、やればできるという素地ができました。

経営者の皆さん、旧来の悪しき考えは捨てましょう。目を見開いて自社を、社員の皆さんをもう一度しっかり見つめ直してみませんか。

それでも人材を見いだせないのは自分の力がないのだ、見る目がないのだ、人間としての器がまだ小さいままなのだと考えてください。外に目を向けるのではなく、脚下照顧、足下を見つめ直しましょう。


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連載・『脳力開発と私』こぼれ話(2)

脳力開発の城野宏さんの講演を聴いたものの、その記憶は時間と共に薄れていった。おそらく覚えていたのは、織田信長についての話だけだっただろう。講演の際に買った本も、積ん読状態だった。

だから、1985年(12月)に城野さんが亡くなったことも知らなかった。おそらく新聞やテレビニュースでも報道されたはずだが、私はそのニュースを見た記憶がない。例え見ていても印象に残らなかったのだろう。

そしていよいよ「本当の出会い」の時がやってきた。もたらされたといった方が適切だろう。

その日は1988年1月16日~17日、姫路で開催された西(順一郎)先生のMGだった。私にとっては3回目のMG参加であり、MG開発者である西さんと初めて出会った記念の日でもあった。

その2日目、5期のゲーム決算も終了してまとめの講義は進んでいた。正直言って、西さんの話は至極難解であった。研修後に著書を読んで確認できたものもあったが、とにかく知らない固有名詞が飛び出してくる。

その中に佐々木隆さん(1987年12月21日逝去)の話があった。佐々木さんとは実際に会う機会には恵まれなかったが、電話でお話ししたことがあった。いつかMGセミナーに伺う約束をしていたが、叶わなかったことになる。

その佐々木さんの話の先に、城野さんの名前が出てきたのだ。西さんいわく、「同じ12月21日に亡くなった、すごい人がいた。城野宏という」と話し出され、脳力開発の話につながった。

その名前知っているというのが第一感覚で、一気に記憶がよみがえってきた。あの先生、亡くなられていたんだ。そして、西さんが城野さんのセミナーにも通われて、脳力開発を学ばれたことを知った。

そればかりでなく、その時の講演テープをテープアップし西さんの編集で発刊されたことも驚きだった。MGの中には脳力開発の要素が盛り込まれているのだということも、その時に初めて分かったことになる。
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これはもう一度学び直してみなければならない、しかし既に城野さんはあの世に逝かれてしまった。ならばと西さんやMG主催者の藤原さんに尋ねると、多くの著書や講演テープがあるとのこと。

実は会場にも置かれていた本があって、早速に購入した。それが西さんの編著による『城野宏の戦略三国志』(上中下)であった。MGが終わって自宅に戻ってから、むさぼるように時間を忘れて一気に読んだ。

幸いだったのは、都市の大きな本屋に行くとまだ城野さんの著書が並んでいたこと。とにかく手当たり次第に買い求めて読み漁った。その後殆どの書が絶版になったわけだから、タイミング的にラッキーだったことになる。

こうして、城野宏という存在と脳力開発の真髄を知ることになったわけだ。それだけではなかった、MGのおかげで知り合った四国・高松の仲間が、脳力開発の勉強会を開いているという。

その案内をもらって早速行ってみることにした。当時住んでいた岡山からは、ちょうどその年の春に開業した瀬戸大橋線快速「マリンライナー」で、1時間ちょっとで行けるようになった。

これもまたチャンスカードとしか言いようがない。高松の西研MGシーガルメンバーたちは、「瀬戸塾」という学びの会をやっていた。お茶の亀屋さんの尾碕さんご兄弟を中心に、10数名が参加していた。

講師として来られていたのは、城野さんのお弟子さんでもある清水英雄さん(ヒューマンウェア研究所)だった。企業などで社員教育にも使われている『ありがとう』の著者で、城野さんについて書いた著書も出された。

孫聞きという形ではあったが、城野さんの提唱された教えを聴く機会に恵まれたわけだ。さらに学びが広がっていくのだが、それはまた次回に。

MGは期数、交流も期数。

この土日は企業研修でMGでしたが、今週末は自分自身の研修でMGに参加してきます。


MGを受講する楽しみは、私の中では3つあります。その1はゲームを楽しむことですが、毎回同じパターンでやるのではなく多種多彩に戦術を変えることが大きな楽しみです。「毎期赤字を出さない」戦略をどこまで貫けるかを目標に。


2つめは交流です。ゲームの場での情報交流はもちろんですが、終了後あるいは研修日前後での交流会にもできるだけ顔を出します。その交流については、もう少し書いてみることにします。


3つめの楽しみは、研修会場への往復の道のりです。最近は一人で行動することが常ですが、会社に在籍していた頃には可能であれば社員さんと一緒に出かけるようにしていました。彼らはもしかしたら迷惑だったでしょうか(笑)。


できるだけ遠くのMGに出かけるのが良いともいいますが、それはこの往復の時間が大切だということでもあります。とくに研修が終わってからの帰路には、振り返りもできますし、時には反省もあるでしょう。社員や仲間が一緒なら、共通話題に花が咲きます。
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そしてもう一度交流ですが、西研MG(MQ戦略ゲーム)においてはこの交流会をとっても重要だと考えています。シーガル仲間は「3.5期」と呼んでいますが、単なる呑み会でないことを確認しておきましょう。


もちろん話の潤滑油としてのお酒も要素の一つですし、私などは各地の美味しいお酒に出会えることも楽しみの一つです。しかし、交流会は一連のMG研修プラグラムの一環であり、初日と二日目をつなぐ結節ポイントでもあります。


つまり交流会自体も研修だという意識を持っていただきたいのです。共通の空間の中での学び、言葉や知識そして体験の共有、それらをさらに交流会という場で昇華していくのです。研修会場だけでは得られない親近感、さらに相手の体験や感覚も感じることができます。(写真は柏崎MGでの交流会)


ですから西研では、MGは成績より期数、期数より交流とも言っています。ただ私は、「成績より期数、交流も期数」という方がふさわしいのではないかと思っています。少なくとも「期数<交流」という位置づけではないと。


さらには交流を通じてもっと向上を目指す、ということが大事だと言いたいのです。つまり向上することが戦略であって、ゲームも交流会も手段=戦術であるということです。これをはき違えてはいけません。


というのも、昨今何だか交流をやるためのMG(とまでは思いたくありませんが)がありはしないかと、懸念しているのです。MGはあくまで会社を良くするための研修であり、体験の場であることを忘れてほしくありません。


では会社を良くするのは何のためか、それは一緒に仕事をする「みんなを幸せにする」という目的を達成するためです。その為に成果を積み重ねていくためです。その上でのMGであり、交流であることを意識していきましょう。

次の週末には乗り鉄の旅

おかげさまで、土日の仕事が毎週のように続いています。仕事だけではなく、自分自身の研修参加もほとんどが土日ですので、多くの方とは逆のリズムでの毎日です。今週末も市内の企業でシリーズ研修、充実の時間を過ごさせていただいています。


県外への遠征も多いというか、むしろその方が多いのですが、そこには楽しみもあります。それは移動の時間です。最近は遠方の場合、ほとんど空の便を使いますが、時間があれば鉄道の旅を組み込みます。


タイムスケジュールは、時刻表を元にあらかじめ決めてはありますが、状況によっていくらでも勝手に変更します。あるいは、思わぬハプニングがあったりして変更を余儀なくされる場合もあり、それもまた結果として楽しみに組み入れます。


先日も神戸から金沢への移動の際、強風のために特急「サンダーバード」が湖西線から、東海道線・米原経由に変更になり、田植え前後の湖東平野を楽しめました。所要時間は30分余り余計にかかりましたが、予定より1本前の特急に間に合ったので、金沢着はほぼ当初予定の通り。


時には経路変更を余儀なくされたり、別の交通手段を採らざるを得ないことも。東北日本海側を走る羽越本線では、強風による区間運休のために代行バスの旅となったことが、2度もありました。
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信越本線の特急に鳥がぶつかり、運転室の窓が破損したために途中で運転取りやめになって、急遽経由を新幹線・東京経由に変更したこともありました。それでもたいてい時間に余裕をもっているため、約束した時刻に遅れることは滅多にありません。


ただ最近は時間の余裕もタイトになり、本格的な乗り鉄の旅時間が少なくなっているのは、ちょっとばかり欲求不満です。


そこで、次の週末は自分自身の研修で青森・八戸市に向かいますが、早く行こうとすれば新幹線の大宮乗り換えです。ゆっくり日本海を愉しむならば、秋田経由の特急乗り継ぎの旅。


しかし今回は別経路で、途中のローカル旅を組み入れることにしました。すなわち、新潟からは秋田行きの特急で出発しますが、鶴岡で途中下車、ここからは普通列車を乗り継いで余目、陸羽西線で新庄、そして奥羽本線で大曲までのんびり旅です。(写真は2011年、陸羽西線のキハ110系)


大曲からは秋田新幹線、盛岡乗り継ぎの東北新幹線で八戸に夕方到着です。先日駅のみどりの窓口で切符をお願いしましたが、こういう経路の乗車券でも画面タッチで短時間発券できるのですね。昔なら、駅員さんが時刻表などと首っ引きで電卓を叩いていましたが。


そういうわけで、次の週末には乗り鉄旅が楽しめます。忙中閑あり、その時間を楽しみに仕事にも氣愛を入れていきます。

ほぼ全員初MGは学びが多い

暑いですね、この週末は。予報が出るごとに、最高気温予想が上がっていくようでもあります。今日から土日は、もしかしたら全国各地で真夏日に、ところによっては猛暑日になるかもとのこと。

学校の運動会シーズンですから熱中症が心配です、生徒だけでなく見物の家族も。特に高齢者にはかなり堪えそうな感じです。しっかり水分を補給するなり、塩飴あたりが効果ありそうです。

さて、そんな中で昨日は新潟市内にある製造販売業会社の社員研修で、MGMQ戦略ゲーム)を実施していただきました。社長さんが昨年暮れに一度受講されて、今回はワンデー研修ですが社員さんも一緒に取り組みます。

お取引先にMGを盛んにやられているところがあり、そこからも「ぜひやったらいい」と勧められて、本格的に取り組む第一歩です。本当は2日間のフルプログラムがベターですが、ムリせずに始動するということです。

社長さんを除いてはもちろん皆さん初MG体験です。社長さんにしてもこれが2回目、少人数ではありますが、全員への目配りが必要な1日でした。

初めて受講される方が多い場合には、いつもまずMGの歴史を伝えることにしています。1976年に、開発者である西順一郎先生がソニーの社員教育用に作られた教育モデルを、一般に公開されたこと。

そこには「人を大切にする経営」や「研究開発重視による価値を高める経営」など、あるいは手法として未来型会計であるマトリックス会計が盛り込まれたことなど、基本ベースをお伝えします。

そしてMG研修の基本である、「教えない、教え合う、紙は自分で」というお話をします。この深い意味についてはツーデープログラムの際には触れますが、ワンデー研修の昨日は重要ポイントのみにとどめます。
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そして力を入れて解説するのは第1期のシミュレーション。まとめの講義の時間がどれだけ取れるかわかりませんので、会計の基礎的な知識(と言っても核となるのは会計恒等式のみ)をキッチリと伝えました。

午前中の第1期はほぼ時間通りに終了、これなら午後からも順調に進められるかなと思ったのですが、そこは少々甘かったですね。それでもルール説明までは予定通り。

ほぼほぼ初心者ばかりですから、ゲームの時間は前後半2分ずつ延長、特に前半は両テーブルとも5行まで進むのがやっとでした。初めてならそんなものですから、ルールの勘違いもあっても心配はしませんでした。

しかし決算で躓きました。少なくとも第1表が全員終わるのを待ち、第5表もプログラムの7番までは全員一緒にやるべきでした。そうすればもうちょっとうまくいったかなと反省です。

もっとも原価計算でのミスが多かったので、そうやっていても結果は似たようなものだったでしょうか。結局、全員のフォローに回らなければいけない状況で、第3期のゲームは見送らざるを得ませんでした。

それも予測の範囲内、戦略MQ会計の講義だけはどうしてもやりたかったので、17時半終了の予定を少し延ばしていただきました。幸い、この講義は好評で「よく分かった」との感想が殆どでした。

終了後の社長を交えた懇親会の中では、「またやりたい、それもきちんとツーデーで」との声が上がり、その方向で話が展開していくようです。またMQ会計の勉強会(理入)やその他の指導も依頼がありました。

ぜひ、フル研修を実施されると共に、今日の参加者の中から何人から外部研修に出ていただくようにお願いし、充実の1日を終えました。

今日明日はまた別の会社での研修です。こちらは、今回が3回目、ただ前回から4ヶ月間が空いていますので、基本からしっかりとやりながら、体が覚えている部分を引き出していきます。

連載・『脳力開発と私』こぼれ話

『脳力開発と私』というテーマで雑文を書いていこうと思う。体系だったものでもなく、固い理論的な話でもなく、ただただその日に思いついた内容を書き連ねていく予定だ。そこで「こぼれ話」という尻尾を付けた。

というわけだから、高尚なことは書かないというか書けないわけで、今度はどんな連載コラムになるのかと期待しておられた向きには申し訳ない。まぁ、そういう奇特な人など数えるほどもないはずだ。

では話を始めよう、とキーボードを叩きながら、そういえば今回最初の話の内容を殆ど考えていなかったことに気付いた。そこで、脳力開発との出会いの話なんぞを最初の切り口にしよう。

ここでは脳力開発と書いているが、正確にはどうなのだろう。脳力開発・戦略行動学というように、私の講座では名乗っているが、提唱者の名を取って城野式脳力開発と呼ぶ方もおられる。

というのは、世の中には脳力開発と名のつくセミナー、講座、勉強法などがいくつもある。中には、本当に脳みその中身にアプローチするものや脳波を鍛えるものまであるらしい。子ども達向けの七田式脳力開発もある。

脳力開発という言葉そのものには商標、意匠などの登録や特許などもなさそうなので、私も自分のセミナーに使っている。もっとも私の場合は、あくまで城野宏さん(写真)が提唱された脳力開発にこだわっているというか、準拠している。

脳力開発を、我われMG仲間では「のうかい(脳開)」とも呼んでいる。時には「NK」などと書くこともある。私などは、MGとNK、そしてMT(マイツール)を揃えて三種の神器と称することもある。

実際、かつて私が代表を務めていた会社ではその3つを社員と共に駆使して経営に当たり、赤字・債務超過一歩手前状態の会社を再建し、並以上(と私は自負している)の会社にした。

ただ学ぶだけでなく、学んだことを日々実践した成果がそれを成し遂げたわけだが、MGとMTが車の両輪だったとすれば、NKはその二つをパワーアップするCPUだった。

さてその脳力開発だが、能力開発と誤記されることも多い。後者の方と直接間接につながってはいるのだが、全く別物だと考えていただく方が良い。だが、セミナー受講者でも感想文やメールにも誤記するくらいだ。

いつだったか、大きな会場でのセミナーの時だったが、玄関脇にある看板には能力開発と墨書してありながら、2階への階段口には脳力開発の看板があり、セミナールームの入り口は再び能力開発だったことがある。

いちいち「脳みその脳力です」と説明するのも面倒なので、どう書かれても放っておくことにしている。そんなことに頭(脳力)を使っても大したことではないと思っているからだ。

で、脳力開発である。0

脳力を開発する、鍛えるということには間違いない。その辺りの話は次回以降にやることにして、私と脳力開発との出会いは実は二つ(2回)ある。1回目は文字通り初で、城野先生との出会いでもあった。

つまり城野さんの講演を聴いたわけだが、不良生徒(天邪鬼社員)だった私は内容も師の顔も殆ど記憶にとどめなかった。2回目も講演だったが、この時の想い出は少しばかり記憶している。ただそのまま薄れるに任せた。

だから、その次が本当に出会いなのだ。ただ、その時にはもう城野さんはこの世の人ではなかった。といっても、師(城野さん)の亡霊に出くわしたわけではない。出会ったのはもう一人の師、西(順一郎)先生だった。

次回はその出会いから書き出すことにしよう。

「心配性(心配症)」ではなく『心配り』を

何事にもマイナス思考をしてしまう人がいる。物事には両面があるのだから、時にはマイナスに向かうこともあるとは思うのだが、見ていると殆どがマイナス思考とマイナス行動だ。

マイナス方向に考えないといけないとでもいうのだろうか、それともプラスに考えると余計なエネルギーを要するとでも思っているのだろうか。ちなみにどちらに向かおうと、エネルギーは同じようなものだ。
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そのマイナス思考の最たるものが「心配性」、あるいは「心配症」というものだろう。後者の方はもう病的に近いものだろう。取り越し苦労という言い方もあるが、やらなくてもいい苦労を背負い込むわけだ。

一方、心配とはホンの一文字違うだけだが、心配りという言葉がある。しかし、その中身は大違い、それこそ正反対とも言うべきものだ。心配りから心配につながることもあるが、それは前向きな心配だ。

心配りとはプラス思考と言ってもいいと思うが、それ以上に「相手中心主義」というのがふさわしい。相手のことを思いやる心だ。

心配りが意識の核となっていると考え方だけでなく、行動そのものも汎化していく。さらにはそれを目的としてやるわけではないが、自分にも必ずプラスがかえってくる。まさに、情けは人のためならずだと言える。

心配りには限界がない、何しろ前向きのプラス思考なのだから、やればやるほどに感謝される。感謝の方にも限界がないのだ。

卑近な例だが、セミナー(MG)参加者にもこの両方がいらっしゃる。単純にプラス思考、マイナス思考と言うだけでなく、相手のことや周りのことにまで気(心)を配っているかが成績にも現れる。

必ずしも成績が良いとは限らないが、一緒にゲームをしているそのグループ全体(の成績)が上がっていくという傾向が見られる。波及効果、あるいは波動が伝わるのだということなんだろう。

自分の会社に当てはめるとどういうことになるのか、これはもう自明の理であろう。心配りのできるキーマンがいるグループ(部門)と、そうでないグループとを比較してみるといい。

短期的にはいざ知らず、中長期に眺めていれば結果が見えてくるはずだ。いや、たとえ短期的な成果にも違いが見えるだろう。時間と共にその差が開いていくということだ。

あなたの会社には、そんな心配り(気配り)のできるキーマンがいるだろうか。そして社長のあなた自身も、そういうキーマンであってもらいたい。

次につながる遠征を終えました

昨日は「ブログ休日」ではなかったのですが、朝バタバタしていて書くことができませんでした。早く目覚めたのですが、ゆっくりお風呂に入っていたら(ホテルに大風呂がありました)、ついつい書くのを忘れました。


とまぁ言い訳から始まった今日ですが、連載しようとしているコラムのタイトルがなかなか決まらないというのがホントの理由です。私の場合は、まずテーマなりタイトルを決め、それから何回くらい書くかを構想してから書き始めるのです。


そんな風にかっこよく言っていますが、要は怠け者なのでキチッと決めておかないと平気でサボってしまう(昨日のように)のです。そして実はまだタイトルが決められていません。書くことはだいたい決まったのですが。


何とか明後日くらいからは連載を始めたいと思っていますので、よろしくお願いします。


さて、先週の東京遠征に続いての関西遠征も昨日で無事に終了しました。セミナーとコンサルティングのミッションがいくつかあり、それぞれに今後のスケジュールも固まりました。


おかげさまで、今年年内のスケジュールがまた増えました。幸いにこれまでのスケジュールに追加する形ですので、空のチケットを1つキャンセルして予約し直すくらいのことで済んでいます。
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ただ、旅鉄(乗り鉄)の予定をなかなかはめ込めないのがちょっとザンネンで、当面は我慢するしかないようです。旅鉄予定を組み込むことができないわけではないのですが、そうなるとゆっくり体を休める時間が縮まります。


それに平日に孫ちゃんの面倒を見ているカミさんの、手助けをできる時間が減ってしまいますので。その辺りのバランスはしっかりと考えておかないと、笑顔で遠征に送り出してもらえませんからね。


まずは収穫の多かった今回の遠征、クライアントの皆さまに深く感謝を申し上げます。ありがとうございます。

山ちゃんの想い出(マイコラムより)

山ちゃんといっても、昨今の西研MGの中でも知らない人たちが過半になった。それも時代の流れなので仕方がないと思うわけだが、かつての佐々木隆(1987年没)さんも記憶の向こうに遠ざかり、山ちゃんもそうなのかと思うと少し胸が痛い。


山ちゃんが亡くなって、先日の5月10日で丸10年になった。ますます記憶は風化していくのだろうか。そんな気持ちが強いので、今日は西先生が書かれた『マイコラム』を無断ながら拝借させていただく。お読みいただければ幸いだ。


 一本目の電話

それは朝1058、秋田の千葉ちゃんからだった。「芦田さんからの電話によれば、山ちゃんが5/10の午後、会社で亡くなったそうです!」 5/10と言われてカレンダーを見ると、日曜日。休みにも彼は会社に出ていたのか? 他に人はいたのだろうか?

電話を受けたとき、私は琵琶湖→壱岐と四日連荘の出張中で、最終日に当たっていた。この日の飛行機で帰京する。

 

追っかけ、山ちゃんの地元の芦田さんから第二報。

「告別式は5/14の正午からだが、そのあと”偲ぶ会”があるので、来れるんだったら、1300ごろ佐久平に来てくれれば、迎えにいく。」

このあと、ようやく妻に電話が繋がって、二人で駆けつけることになった。


 山ちゃんとの出会い

「山ちゃん」(山崎進=浅間エンジニアリング㈱社長、60歳)と言われても、西研MGをここ10~20年やっていない人にはなじみのない名前かも知れない。しかし、全国で西研MGをやっている仲間には非常に知られた有名人なのである。

 

私が山ちゃんと初めて会ったのは、1990年ごろの小諸グランドホテルだった。東部町のA社主催のMG会場であった。非常に前向き/表現型の山ちゃんは、初めて会ったというのに、何の遠慮も臆するところもなく、嬉しそうに言った。


 「うちは今度PIPSを入れるんですよ!」
 「おおっと、ちょい待ち。それは即キャンセルしてマイツールを入れなさい。」
 「えっ、もうとっくに発注して、数日中に入るんですよ。」
 「だから、今すぐ断わって、MTに切り替えなさい!」

 

そこで別れたのだが、後になって彼はしょっちゅうこのときの話を繰り返し語るのだった。私には『PIPS革命』という記念すべき一冊があるし、当の本人から「それはやめてマイツールにしろ」と言われたら、誰だって面食らうだろう。

 PIPSとマイツール

思えば、私自身PIPSからマイツールに切り替えるのには越えねばならない溝があった。当時、私の横浜オフィスにその名もMTという切れ者のヤングがいて、私のPIPSのフロッピーを全部マイツールに移し変えて、「さぁ使え」と私のお尻を一蹴りしたのである。こうして私はPIPSからMTユーザーに変われたのである。
(今具体的に、自分のPIPS→マイツールへの切り替え時期を調べてみたら、1985.0422からとなっている。それまでは、PIPSで日程管理をやっていた。)

 

PIPSもMTも作者が同じだから同根の兄弟だ。しかし後から作られたMTの方が数段オリジナルPIPSに近い。また、素晴らしい飛躍もあった。山ちゃんは、それがキッカケでPIPSユーザーになるところを、幸運にもマイツールユーザーになることが出来た。

 

後日、小諸にある彼の会社を訪問してみると、彼自身が経理システムなどのオートを精密に組んでいるのを見せられて、驚いた。山ちゃんは、見るからに豪傑タイプ、大雑把タイプで、朝からビールを飲み、土日はゴルフをやっているタイプである。とてもこんな緻密な仕事を自分でやるとは思わなかった。しかし考えてみると彼も理科系だから、別段無理もない話かもしれない。

 SP山ちゃん

彼はMGをやり、すぐMGシニアに来、タヒチにも来た。1988年以降、私がSP(spiritualism)を始めると、彼も山本貞彰先生のセミナーに通った。山本先生は以後、英国SPツアー、アイルランドツアーなどを実施されたが、その第一回は英国の湖水地方を訪問し、ロンドンのSPチャーチを二箇所めぐるというものだった。


SPチャーチで、全員が一人ずつリーディングを受けるのだが、そこで守護霊からアドバイスを受けたり、いろんなことがある。山ちゃんはそのとき、「ヒーラーの素質がある」と言われたのだ。

 

見たところそうは見えないのだが、実際彼が他人の胸や背中に手のひらを当てると、ジーンと暖か~くなるのだった。この「手当て」は私などがやっても少しは効力があるようだが、山ちゃんのは特別だ。但し彼は特にその能力を開発しようとはしなかったように思う。いずれにせよ、彼は、あらゆる人、多くの人に親切にし、暖かく接し、感謝された。

 

1987年に新潟で亡くなったSCT社長の佐々木隆(39↓)はMG界の巨人であり、生前「歩くF」と言われたが、この山ちゃんも多分に「歩くF」であった。私たちも何度彼から夕食をおごってもらったか判らない。

 軽井沢ちゃんちゃんこMG

年二回の軽井沢MGも、先月(註:2009年)で第15回に達した。このとき60歳の赤いちゃんちゃんこを芦田氏の奥さんが四着作って、山ちゃん、千葉ちゃん、芦田さん、延命さんの四人が着てMGをやったのは壮観だった。このちゃんちゃんこMGが彼の最後の姿となった。(もっとも、彼自身は所用のため、初めの二時間しか参加できなかった。)

 

彼の思い出は強烈であり、かつ人脈が幅広い。ただ呑み過ぎるほど呑む人なので、誤解を受けることもあったかも知れない。彼は、西研MG、西MG、西イズムの強烈な赤チップマン(宣伝マン)であった。とても私自身にはいえないほどの推薦・推進の弁を、彼は人並みはずれた説得力・話力で皆に語った。聞かせた。泣かせるものがあった。

 

もはや、あれほど手放しで西研の宣伝をしてくれる人はいなくなった。彼は年末に軽トラで走っていて、電柱に激突し、三ヶ月近く入院した。命に別条はなかったが、足は複雑骨折だった。ご家族も、社員もものすごく心配しただろう。

三月初めにようやく退院して、社業(今は未曾有の不況下だ)に復帰したばかりだったのに、この5/10、心筋梗塞でということは、やはり極度の過労だったのではないだろうか?

 

 「どんなに赤字が続いても社員は整理しない」という珍しい社長だった。そのY理論社長が一人この世から消えた。しかし、もうすぐあの世で、また例の豪傑ぶりを発揮し、皆に愛される山ちゃんであり続けるはずだ。1987年12月、一足お先に逝った新潟の佐々木隆とも、あの世で「PIPSだ」「いや、マイツールだ」とやりあう日が近いかも知れない。 

ホンモノを伝え続けたい

セミナーを通じて伝えたいこと。


キャッシュフロー経営セミナー(CFMG)を通じて、自分は一体何を伝えようとしているのか、ふと立ち止まって考えてみることがあります。MGに出合ったのが1987年、西(順一郎)先生都の出会いが翌年88年、その年にはCFMGにも参加しています。20190518-110506


そこで自分が感じ、学んだことを伝えていく、それは当たり前の基本です。しかも自分の言葉としていうからには、ただ学んだことだけではなく実践してきたことが不可欠です。 


幸か不幸か、その実践の場がほとんど「債務超過」状態だった、累積赤字を抱えて瀕死状態であった会社だったおかげで、普通ならやらなくても佳かったであろう労苦を社員と共に積み重ねることができました。


私自身だけではなく、私ができなかったことをやってくれた社員の皆さんからも、大いに学ばせていただきました。それが今、セミナーの中で私が語ることのすべてです。もちろん書物の中からも必要なことは引用します。


でも、ホンモノと言えるものは間違いなく私と社員の皆さんとの、「合作」であると断言できます。


今日は、大阪で年一回開催していただくキャッシュフロー経営セミナー(CFMG)の2日目、初めてMGを体験される方、CFMGに初めていらっしゃった方に、そのホンモノの中からどこを切り取って共有していただきましょうか。


それを、セミナーのスタートまでに決めて参ります。いつものことですが、一切の妥協なくしっかりと氣愛を込めて。

超低レベルの国会議員ども

昨日の午後から大阪です。夏日の暑さ、確か最高気温は27度くらいあったようですが、今朝は雲が広がっていて少し涼しい感じです。もっとも、日中はかなり蒸し暑くなるとか、九州方面は大雨警戒の週末です。


大阪は私の生まれ育ったところ、実際に生まれたのは街中の病院でしたが、幼い頃は大阪北西郊外の旭区で育ちました。当時はまだ都市化が進んではおらず、まだ畑が残っていたり、淀川では堤防などの河川工事をやっていた記憶があります。


大通りを走っていた大阪市電と、堤防の堤防工事に従事していた小さなSLとトロッコが、私の鉄道趣味の原点になっています。その当時はまだ戦後の混乱を少し引きずっていた頃で、大阪城の周辺には爆撃で鉄骨だけになっていた軍需工場の跡も残っていました。


父(1986年没)は戦時中2度目の応召で大陸に渡り、そこで終戦を迎えた際にはソ連軍によってシベリアに抑留されることになりました。一方母(2015年没)は、空襲に逃げ惑い幸い家は焼かれなかったものの、戦後も苦しい生活を強いられたそうです。


父がシベリアから帰還したのは戦後3年経った1948年で、よくぞあの過酷な中から生還したものだと思います。母は戦時中の大変さを折にふれて話してくれましたが、父は抑留中のことなどは殆ど語ってくれませんでした。


よほど辛い毎日だったんだなと想像を絶する思いですが、古ぼけたノートの中にその一端を垣間見たことがありました。父が、バラを始めとした花作りを趣味としたのも、心の安らぎを求めていたためなのでしょう。


そういう両親から育てられましたので、私も体験はなくても戦争してはダメなんだという気持ちを醸成していきました。平和というものが、そう簡単に得られるものではないということも、歴史を学ぶ中で分かってきました。


だから、今回語られたおバカな衆議院議員の「戦争」暴言が許せないのです。酒の上での失言だった、とは余りにお粗末な言い訳にもならない言葉です。苦し紛れでも使うべきではなかった言葉と。Img_b5120b9e9834be2d4df29682743d293c2604


素直に謝ればまだ佳かったとも思いません。戦争を紛争の解決手段になどと考えていること自体が、問題であり異常そのものです。戦争を知らない世代なんて、軽く言ってもらいたくないですね。


無知蒙昧、それ以上に表現する言葉を知りません。すぐにも議員を辞めるべきなのに、居座る気持ちのようです。国会の辞職勧告決議案も、どうも曖昧模糊としてただただ取り繕っているしか思えないし、しかも可決の見込みの薄いようです。


その理由も笑止千万、取り繕いの塊。あげくには自分への「ブーメラン」を心配するなどと、笑いを通り越してあきれかえりますね。そんな輩が国政を担っているとは。


気を取り直して、この土日もセミナーがんばりますか。

借金は怖くないようにするために

「借金」というと、何となくマイナスのイメージを感じる人が多いかと思います。借金の厳しい取り立てといったイメージが、テレビドラマなどに頻繁に出てくるせいでしょうか。

MG(MQ戦略ゲーム)研修においても、借金することに抵抗があるのでしょうか、借入が認められる状況になっても借金を避けてしまう人も少なくありません。

実は私もMGを始めた最初の頃は、借金をするよりはしない方が良いと考えていました。やむを得ず借入をする際にも、できるだけ少ない金額に抑えて借入をしたものでした。

その考え方はMGの期数が進むにつれて、だんだんと変化をしていきました。なぜなら、「おカネがないと何もできなくなる」ということを肌で感じるようになってきたからです。

実際、やりたいことがあってもおカネがない、あるいはここでやってしまうと資金繰りが厳しくなってしまう。そういう現実を突きつけられて、結局小さなことしかできずに終わってしまうことも度々でした。

これはMGの中だけではなく、実際の会社経営でも同様の状況が起こります。無借金経営というとかっこいいなというイメージですが、よほどの資産家でもなければ、それ以上に会社を大きくすることは至難の業です。

上場企業のみならず、大企業でも中小企業でも、その殆どが借金をして経営を維持、あるいは発展させています。運転資金は無借金経営でも何とか回るかも知れませんが、大きな設備投資などには借金が不可欠です。

長期借入、短期借入の他にも社債を始めとして、資金調達の方法は企業の大小や形態で様々ですが、必要に応じて借金をすることは経営者の判断・意思決定の中でも大事なことです。

小さな会社の場合は資金調達もなかなか苦労なことで、とくに業績が芳しくなければ金融機関からの新規借入は至難のわざとも言えます。貸出先を探している銀行でも、「悪い」会社には貸してはくれません。

昔から「銀行は晴れているときには傘を差しかけるが、雨になるととたんに傘を引っ込める」などといわれ、会社がいざ借金を申し込んでも条件が整わなければ、おいそれとは貸出を承認しません。

銀行も貸し出しを積極的にやらなければ、利益を稼ぐことができません。かといって、小さな会社にはすでに社長の個人保証の範囲内で相当の貸出をしていれば、それ以上のことはと二の足を踏みます。

それではいけないというので、国や県でも中小企業の支援というわけで信用保証協会など、保証機関を通しての銀行貸し出しを推進してくれています。保証料という金利は上乗せになりますが、借り入れできるのですから。
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しかし、喜んで飛びつくのはどうかなと私は思うのです。他に借入方法は無い、あるいは必ず返済できる確信があるというのであれば、公的支援資金も含めて利用するのもいいでしょう。

ただ、もしこういう保証協会付きという条件設定が自分たち、企業にとって優しいありがたい制度だと思っておられるとしたら、それは甘いですねと言っておきます。

この制度は中小企業、小さな会社の、あなたの会社のための制度だなんて思ったら大間違いです。これは、あからさまに言えば「銀行のため」の制度です。銀行が貸し出しやすくなる、それはすなわち損がないからです。

あなたの会社が少し不安のある貸出先だとしたら、銀行の融資担当者は積極的に保証協会付き融資を進めてくることでしょう。有り体に言えば、協会保証がつかないなら新規貸出ししませんということです。

もし万が一、あなたの会社が返済不能の状況になっても、銀行は保証協会すなわち国から弁済を受けられます。そして協会は100%完済まであなたの会社に張り付きます。一銭も負けてはくれません、念のために。

これがもし銀行のプロパー融資なら、方策は数多くあります。減殺される可能性もあるくらいです。しかし、相手が国のカネの場合それはあり得ません。行き着くところは「破産」処理です。

銀行との距離感を保ちながら、いざという時に傘をさしかけてもらえるようにするのも、経営者の大事な役目です。あなたはできていますか?

大仙陵はホントに仁徳天皇陵なのか?

国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関のイコモスが、世界文化遺産に「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)を登録するよう勧告したという、嬉しいニュースが入ってきた。

来月には、間違いなく登録が決定されるだろう。この古墳群には大小49の古墳があるそうで、それらは4世紀後半から100年前後の天皇(正確には大王=おおきみ)や、豪族の墳墓であるはずだ。

私は大学卒業までは大阪や神戸に住んでいたので、この古墳群には小学校の遠足で来たこともあり、歴史を学んでいた学生時代にも何度か訪れたことがある。

この内最も著名な古墳(前方後円墳)は、墳丘の長さが525m、紺としての最大長が840mもある大仙陵で、説明書きには「世界最大」とされている。古墳の周りをぐるりと1周すると3キロ近くある。

ところでこの墳墓の主、すなわち埋葬されているとされているのは仁徳天皇(第16代)である。私が小学校時代に習った教科書には「仁徳天皇陵」と、明確に記してあった。
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それがいつしか大仙陵と呼ばれるようになり、「伝仁徳天皇陵」と表現されることもあった。要するに、仁徳天皇陵かどうかは不明・不確定であるということで、仁徳陵ではないという説も根強い。

こんな、世界最大とも言われる墳墓の主が分からない、確定されていないとはどういうことだと思われる人も多いはずだ。ところが、今回の世界文化遺産登録に当たっては「仁徳天皇陵」と明記されている。

それでいいのだろうかと、私などは思ってしまう。もちろん私自身は仁徳天皇陵に間違いないはずだと考えているし、そうであるという資料(史料)も少なくない。でも、実際には不確定なのだ。

墳墓が作られたのは5世紀頃なので、現在のように整備保存されていたわけではない(管理はされていた)ので、江戸時代には内部の一部が露出していて盗掘の跡もあったらしい。

仁徳天皇陵に比定しているのは、他ならぬ宮内庁である。天皇のお墓だからそういうことになるのだろうか、宮内庁はこの墳墓の精密な学術調査を2018年まで許していなかった。

これは大仙陵に限ったことではない。古市古墳群野中で最大の誉田山(こんだやま)古墳も応神天皇陵と比定されているが、こちらも未調査だったため不確定である。その他全国には同様な墳墓が多数ある。

どうして宮内庁は(墳墓墳丘内部の)学術調査を許さなかったのか、そのことを記した本もあるが、私はまだ読んではいない。しかし、天皇の墓だからという理由だけでは、理由にならないのではないか。

仕方がないので、墳墓墳丘の外部あるいは周辺の調査のみがされていた。また天皇陵(らしき古墳)の周辺に点在する、陪塚(ばいづか)すなわち近親者や従者の墓はどうなのだろうか。

学術調査を求める声が大きくなり、世界文化遺産登録の申請を行うことからなのか、ようやく1年くらいに前に調査が許可された。まだ、その端緒についたばかりで大きな発表は成されていない。

調査が進めばきっと今まで知られていなかったことや不確定だった事柄が、一気に判明する可能性が大きい。もしかしたら仁徳陵である可能性が高まったのだろうか。

何しろ「倭の五王」が一体どの天皇なのかについても、完全には明らかにされておらず諸説あるくらいなのだから。私などは、今後の調査に大いに期待したいところだ。少なくとも閉鎖的な宮内庁ではあってほしくない。

アベノミクスとやらが馬脚を現した

前週で連載コラムが終了し、次の連載に向けて思考を巡らせているところです。テーマは脳力開発ということで決めているのですが、どういう展開でお伝えしていくのか、まだ少し迷っているのです。

今週いっぱい悩んで、来週からは書き始められると佳いなと考えているのですが、さらにもう1週くらい思索が必要かも知れません。今しばらくお待ち下さい。

さて、大型連休が終わって1週間経過し、長い休みで狂ったリズムももう取り戻せた頃でしょう。気に懸かるのは、こんな長い休みがあったことで、いわゆる「五月病」が例年よりも増えてはいないかということです。

そうでなければいいのですが、幸い私の周りでは余り悪いニュースが聞こえておりません。皆さんのところではいかがでしょうか。もっとも五月病は新人だけが罹るのではない、という人もありますね。

そんな中で、景気動向指数の内閣府基調判断が「悪化」という発表になりました。昨年末に、首相が意気揚々と戦後最長の景気だとぶち上げたのが、まやかしであったことが明らかになってきました。96958a9f889de6e6e5e2e5e2ebe2e3e1e2e7e0e2

基調判断には5種類あるそうですが、この「悪化」という言葉は上から4番目なのですが、その下は「下げ止まり」ですので、この「悪化」が最も悪い判断だと言えます。

要するに、アベノミクスとやらは完全に失敗状態で推移している。だって、もうかなり前から景気が良いという実感はないという声が圧倒的に強くなっていたのですから。

庶民の思いにようやく中央が追いついてきたのかという感じですが、それでもなお政府は強気を崩さないようです。おそらく政府の月例経済報告はなお強気の言葉になるのではと思われます。

せいぜい景気は横ばいという、これまたまやかし言葉になるものと推察していますが、いい加減にもうやめろよと言いたくもなります。

この先には消費税の増税が待ち受けています。おそらく、今回は予定通りに引き上げを実施するはずです。いまここで舵を切ることは、ちょっと考えられないように思うわけです。しかしそれにより、さらなる悪化が心配です。

経済評論家、アナリストなどと呼ばれる方々が、これからどういうことを言い出し始めるのか興味津々です。彼らの多くは、間違いなくアベノミクスを指示してきましたし、その成果を評価してきています。

彼らもまた、庶民感覚からは切り離された世界、私に言わせれば小さな「井の中」で活動しているように見えます。少なくとも庶民感覚などと言うモノよりは、自分たちはもっと高レベルなのだとでも思っているのでしょう。

素人感覚のコラムはこの辺りで終わりましょう。私もそんな評論家の真似などしたくありませんから。

ではゆっくりと次のコラムについての考えを、練ることにいたします。

キャッシュフロー経営こそがカギ

新緑がどんどん燃え上がってきて、山が膨らんできたような感じさえ受けますね。いつの間にか山の雪も消えかけ、高い山の峰が白くなっているだけになってきました。


我が家の庭(猫の額)の木も、気が付いたら青々とっしてきていて、先日はどこからやってきたのかウグイスが留まって軽やかな鳴き声を発していました。その後はどこへ行ってしまったのか、もう現れなくなりましたが。


さて、土日の企業研修MGでは「キャッシュフロー(CF)」をテーマに取り上げました。通常はキャッシュフロー経営セミナー(CFMG)の講義でしゃべる内容を、少しアレンジして参加の皆さんにCFの持つ意味を伝えました。


誤魔化しと言ってしまうと強い表現になってしまいますが、企業が作成する決算書(財務諸表)は完全無比に会社の状況を表しているとは限りません。少なからずそこには作為があって、小さなものなら節税への工夫が盛り込まれます。


これはあくまで法の下に許された範囲ではありますが、それが嵩じてくると法を超えたところ(脱法)に至ることがあります。その究極が粉飾決算と言われるモノで、過去の日本は会計に対する縛りが緩かったせいもあって、粉飾に近いものがかなりあったとも言われています。


しかしルールが国際基準に沿って厳しくなってくると、本来であれば粉飾はできないことになるはずなのですが、実際には倒産企業のいくつかは間違いなく粉飾決算を行っていたようです。


いや、倒産企業だけでなく著名な大企業やその参加のグループ企業もまた、粉飾に手を染めていた事例は少なくないとも聞き及んでいます。じっくりと財務諸表を眺めればおかしさに気が付くのでしょうが、通常の眼では分からぬくらいに巧妙だとか。


確かに貸借対照表(BS)と損益計算書(PL)の段階では、いくらか誤魔化しも利くようですし、キチッと(というのは変ですが)つじつま合わせも可能です。ですが、キャッシュフロー計算書(CF)の段階でむじゅんが矛盾が露出してしまいます。


ところが大多数の人はBSとPLには目を通しても、CFにも目を向ける人はそれほどいないのではないかと思います。CFがまだ馴染みが薄いこともありますし、財務諸表のCFは素人には分かりにくいのです。
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CFの解説書もたくさん出されていますが、読んでもよく分からないというのが本音ではないでしょうか。私もかつて手に取ったことがありますが、正直言って理解不能だなと思える感じでしたね。
 

そんなわけで、MG(MQ戦略ゲーム)の中ではより分かりやすく、CFを解説しています。なぜなら、CFは企業実体を明確に表しているからです。ある意味、誤魔化しが利かないというポイントもあるのですから、CFを見る目は大切です。


企業倒産はここ最近は減ってきているそうですが、実は「黒字倒産」は増えているのだそうです。つまりBS/PLでは利益を出しているのにもかかわらず、CASHが行き詰まって倒産するということです。勘定合って銭足らずが多いのです。


利益とキャッシュは別物、「利益は意見、キャッシュは現実」と言われる所以です。というわけで、今年はキャッシュフロー経営セミナー(CFMG)ではもちろん、通常のMGの中でもキャッシュフロー(経営)を重点にやっていきます。


今週末は大阪でCFMG、資料に追加する講義内容をこれからチェックします。

強い意識からチャレンジ行動へ

長い大型連休が明けて、しばらくは三連休もない週が続くとか。最も私はというと、これから7月の末までは土日の仕事がほぼ毎週のように続きます。その最初が今週末の一社企業研修、MG(MQ戦略ゲーム)をやっています。


ミッションは、「元気、活力のみなぎる企業づくり」ですが、その基本は社員の一人一人が高い意識を持って行動することです。企業トップからは、最近社内に危機意識というものが薄くなったように思うという投げかけがありました。


それは本社事業所の第1回研修の時から、私もいくらか感じました。まず第一に、当初予定されていたメンバーが第1回でも数名の欠席者があったこと。もちろん病気などやむを得ない事情などはあったのかも知れませんが、「なぜこの研修をやるのか」が浸透していない感がありました。


私は経営者の方と研修スタッフに、第1回の研修にはトップの方が参加していただき、研修の目的をレクチャーしていただくこと、可能であれば一緒に参加をしてほしい旨を伝えました。


様々な事情があって、研修の前に社長より研修予定者を集めて目的などをお話しいただくことになったようです。研修スタッフの方らかもお話があったですが、そのことが参加者に十分にはしみこんでいないという感触でした。


この企業では、本社と支社の2事業所で研修をスタートしていますが、後者は支社長自らが参加されています。この土日はその支社研修なのですが、今回が3回目の研修とあって慣れは出てきていますが、活気がまだ空回りしている感じです。
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もう一度研修目的を再確認してもらうことが、必要かなと感じているところです。4回の研修プログラムでは、第1回が基本、第2回が損益分岐点と利益感度、そして今回3回目はCF(キャッシュフロー)を学んでいただきます。


とくに支社の場合は営業部隊が中心ですので、意識しているいないにかかわらずキャッシュフロー、とくに売掛管理がキーポイントです。一方本社部隊についてはメーカー的ですので、在庫管理がキャッシュフローのカギになります。


それらを意識して平生の行動を今以上に活性化していく、さらに厳しい状況に直面した場面でも対応していける力を身につける。意識と行動、このリンクが今回の研修課題だと考えているのです。


そのためには、たかがゲームされどゲームですので、今以上の前向きな活気が不可欠だと思うわけです。それをどのように醸成していくのか、この2日目午前中に行うゲーム前の講義と経営計画づくりが要です。


今回の支社研修第1回目は今年の1月でした。その際には殆どの方がMG初体験でしたので、ゲームの展開も大人しく、決算もかなり時間がかかりました。2回目(3月)もほぼ同じような感じ。しかし今回は、少なくとも決算は早くなりました。


それだけでも大きな進歩向上、そのことを皆さんにお話しして「やればできる」感覚を強めてもらいます。その上で、チャレンジする気持ちを新たにしてもらい、「まずやってみる、やりながら直す(修正していく)」行動感覚を身につけてもらいます。


面白い研修2日目、そういう形になっていくよう氣愛を込めてインストします。

相談できる相手がいますか?

この土日は東京で企業研修です。いわゆる「令和最初の」研修仕事というわけですが、平成の昨年から続いているシリーズで今回が4回シリーズの3回目。ちょっと間が空いていますが、お互いに慣れた頃です。

今回は、自習用の資料を作成して参加の皆さんに配布することにしました。どれだけ開いてくれるのか、その辺りは学びを深めたいという意識のバロメータになるのでしょうね。

さて話は変わりますが、このブログをお読みにいただいている中の経営者の方に質問です。

あなたは、経営で困った時に相談する人がいますか? それは誰でしょうか?

経営者は孤独だなどとよく言われますが、確かに会社の中にあっては誰にも相談できないことがあるでしょうね。現場の仕事ならともかく、経営上の悩みや壁にぶつかっていること、今後の進むべき道などは。

相談相手としては様々考えられるが、最も身近なのは家族、配偶者や兄弟というところ。親あるいは子もその対象になるはずですが、実際の仕事に関わっていればともかく、そうでなければ相談はやりにくい。

同じ会社にいても、やはり血のつながった親族には相談しづらいこともあるはずです。とくに多少に関わらず利害関係がありますから、もし利益相反するようなことだと余計に言い出しにくくなります。
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あとはどうでしょうか、会社の顧問先生、税理士さんなどが最も相談を持ちかけやすい相手でしょうか。毎月数字を見ていただいている先生なら、話もすぐに分かってもらえるだろうと思うのでしょう。

その他には学生時代の同級・同窓生、クラブ活動やサークルの仲間、あるいはJCとかYEG、さらにはロータリーやライオンズクラブの先輩などなど。

私の場合には、その他に研修の仲間という存在がありました。MG(MQ戦略ゲーム)や、脳力開発セミナーの中で出会い知り合った仲間です。その殆どが異業種、異業態の方々でした。

そしてこれらの仲間たちが、いちばん力になってくれました。直接的にだけでなく、訪問して仕事の現場を見せてもらったり、やっている仕事そのものを時にはコピーして下さることもありました。

そこには同業との付き合いの中からでは得られない、貴重な情報もたくさんありました。もちろんそのままでは使えませんが、大きなヒントになることもありましたし、自社流にアレンジして使ったものもありました。

脳力開発の故・城野先生は、人とのネットワークを持つことが仕事であり、そのネットワークの多さがカギにと教えてくれました。何を知っているか(知識)よりも、誰を知っているかがこれからの時代は大切だと。

その話を聞いたときには「そんなものかな」くらいで聞き流していましたが、現実の経営の中で実際にキーポイントになる場面に遭遇すると、その言葉の重みを強く体験として感じました。

その体験から、研修仲間だけでなく直接間接に関わりを持つ方々と縁がつながっていくことが、愉しくなってきました。学びの場や交流の場、時には遊びの場での新たな出会い、これぞ私の財産です。

中でも研修仲間とのつながりは、これからも大きく広がっていくことと思っていますし、最も大切にしています。何より利害関係がないので、お互いに本音で話せます。というより本音で話すからこそ、生まれ育つ縁です。

時には気軽に電話やメールで、たまには一杯飲み交わしながら、そしていざという時には真剣に膝を交えて相談相手になってくれる。そういう仲間のご縁に恵まれたいと思われませんか?

総合自己評価は70点

■連載『MG&脳開企業革命』(50)

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さて、この連載コラムも50回を数え、そろそろここらで最終回にしようと思います。販社に出向してから親会社に戻るまで、16年半の長きに亘ったわけですが、ここでは再建の5年間を中心にお話ししました。

出向してからは専務取締役(代表取締役社長は親会社の社長が兼務)でしたが、実際上は社長としての役割を行っておりました。名実ともに代表取締役社長に就任したのは、1997年の9月の株主総会でした。

やっている仕事自体はほとんど変わりがなかったのですが、代表取締役のゴム印に自分の名前が入ると、やはり責任の重さを感じました。

メインバンクにも、自分の名前で連帯保証書を提出します。形式的なものですからと言われましたが、それでも万が一会社に何かあったらどうなるのかと思うと、身が引き締まりました。

借入金の期末ゼロを含めて第2次5カ年計画も、大過なく順調に進んでいました。ピークに達したのはその計画の4年目にあたる99年6月末決算でした。期末借入ゼロを達成した年でもあります。

この年のPQ(売上)は7億4千万円、私が退任して以降もここまでは到達していませんので、会社の史上最高といってもいいでしょう。引き継いだ年(90年6月末)と比較して136%、MQ(粗利益)は160%です。

社員の数は3人増えただけ(123%)ですので、大幅に生産性が上がったことにもなります。経常利益も、コンスタントに1千万円を超え、この年は2千万円を越してこれも史上最高益となりました。

もっとも経常利益率は3%内外ですので、それはまだ低いですねという声もあるでしょう。確かに世の中で良い会社と言われるところは10%とか20%という利益率を上げておられる企業があります。

でも私は、3%くらいで十分(ちょうど良い)ではないかと思っていました。同業ではトップ、の企業の中でも上位の給与水準に達し、賞与も年2~3回出せるのです。その上で将来への内部留保も年々増やしてきました。
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ただ、第2次5カ年計画の後半からは2つの問題点を感じ始めていました。一つは「守りの姿勢」でした。確かにどん底からの這い上がり時期はみんなが必死になって、新しいことへの挑戦にも前向きでした。

失敗を恐れない、失敗も恕すという会社の雰囲気もありました。それが6年7年と経つにつれて、少しずつ薄れてきたように感じました。いや、というより私自身が守勢の行動になっていたのかも知れません。

もう一つはm率(粗利益率)を重視する余り、m率を稼げない商品や得意先を避ける傾向が出てきたことです。とくに新規開拓が企業制服以外に伸びてこないことが気に懸かりました。

幸い、MGについては3人に2人は100期以上を体験、なおも期数を伸ばしていましたし、脳力開発については私が講師となって継続しており、その研修の中で「カツを入れる」ことにしました。

創業よりも守成が難しいのは、失敗を恐れない姿勢が薄れてくるからとして、新規開拓・深耕開拓の目標の見直しを行いました。またm率よりもMQ絶対額の重視を打ち出しました。MQミックスの勉強も加えました。

大きな目標が必要ということで、第3次5カ年計画には「自己資本比率30%」という旗印を掲げました。2000年6月決算では25%を超えましたので、早期に達成できるものと考えていました。

しかし、実際には次の5カ年では僅かに届かず、私が代表取締役を退任する直前の2006年6月決算で、ようやく30%の大台を超えることができました。すでに市場の縮小が始まり、PQ/MQとも減少する年もありました。

新規事業への挑戦もやや不発(1勝2敗)に終わりました。しかし、人づくりという面では「自ら考え自ら動く」人財づくりができたと思いますし、色んなところから評価もしていただきました。

企業は人なり、この目標には到達できましたが、では「社員とその家族を幸せにする」ことができたかについては、道半ばというところで終わってしまいました。総合自己評価は70点というところでしょうか。

というところで、このコラム『MG&脳開企業革命』の筆を置きたいと思います。

心のままに日々雑感

新緑萌える季節といいますが、アッという間に見える風景が変わってきました。


平成から令和への「さわぎ」もようやく落ち着いてきたようですね。平成最後のという形容詞に比べると、令和最初のという表現は何となく少ないように感じます。これから、しばらく令和の時代が続くからでしょうか。


昨年の今頃は、自宅周辺がとっても騒がしく沈痛な空気に包まれていました。小学校2年生の女の子が、列車に轢かれて亡くなった事件。やがて誘拐殺人ということが判明し、近所の男が逮捕された事件です。すべてが近所の出来事でしたので、まだ記憶に新しいです。


その男の裁判は当然に裁判員裁判になるようですが、まだ公判前審理が続いている段階で、いつ始まるのか未定です。ここ数日は周辺にテレビカメラや記者の姿も見えましたが、報道は地元だけで、大多数の皆さんの記憶からは消えていることでしょう。
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そんな中で、昨日は痛ましい交通事故のニュース、我が家にも5才の孫がいますから決して他人事ではない気持ちです。令和が始まってこの方、とくに悲惨な交通事故が続いている感じです。(写真はニュース映像より)


詐欺と交通事故、そんなニュースがなくなってくれることを祈る思いです。


前者の詐欺の方は、我が家にも電話がかかってくることはありませんが、メールは頻繁にやってきています。「裁判所」らしき名前を名乗るハガキが来たこともありましたね。まぁ、狙われる年代ということなのでしょう。


そうそう、宅配便の配達持ち帰りメールもありましたっけ。ますます巧妙に、悪知恵が働くものだと感心しますが、その知恵をもっと違うことに使わないものでしょうか。経営でいうところの「ニッチ戦術」に通じるところです。


同じ頭をどちらに使うかも自分次第、脳力開発の事例としても使えそうかな。とにもかくにも、せっかくの知恵は良いことに、プラスの方向に使っていきましょう。


さて、今週末からいよいよ令和のセミナー・研修がスタートします。7月末までは土日休みが殆どなしというスケジュールですので、体調管理万全でいきましょう。心も体も油断は大敵、氣愛を入れて。

時間を守れない会社はダメになる

同じことを何度も何度も言ったり、書いたりするのは好きではないのですが、やっぱりこのことは繰り返し語った方が良いでしょうね。それは「時間を守る」、厳守する、いや命がけで守るということです。

約束を守るということが人間としても、また仕事の上でも最も重要なことだと言われますが、その中でも時間を守るということは最高最大のものと言えます。

倫理研究所発行の『万人幸福の栞』の第9条は、「約束を違えれば、己の幸いを捨て他人の福を奪う」とあり、その中に特に「時間を守る」ことは、文化人として最初のテストだと書かれています。

時間を大切にしない、守らない経営者の会社はダメになる。断言しても良いかと考えています。長い間企業のコンサルティングをやってきて、痛切に感じていることです。

ただ有り体に言いますと、ダメになったかどうかということを実際にこの目では確かめていません。なぜなら、そういう経営者の会社とは原則として付き合わないからです。一度の面談でサポートをお断りするからです。

トップが時間にだらしない会社は、おそらく社員も同じように時間にルーズであろうなと想像ができます。そういう会社の経営がうまくいくとは、とても私には考えられません。

分かりやすい事例でお話ししましょう。例えば、営業会議の開始時刻に出席者の一人が遅れてくるとしたら、その人を待って会議のスタートが遅れます。Photo_27

10人が会議に出ることになっていたとして、その中の一人が5分遅れると、他の9人すなわち5×9=45分の時間を無駄にすることになります。中には会議の中心人物である、社長や部長が遅れてくることも。

メンバーの一人くらいなら見切り発車で始めることもできますが、中心人物不在だとそういうわけにもいきません。ある会社の企画会議にオブザーバーで参加した際には、社長の参加が20分も遅れ憤慨したことも。

こういう会社は、お客様を待たせることに対しても無頓着であることが多く、電話はたらい回しにすることがある。あるいはメールの問い合わせなどにも一向に返事が来ない。

催促しても来ない、何度目かにようやく返信が届いた頃には、こちらの熱気が失せてしまっています。熱気に代わって、相手に対しての不信感が芽生えて大きくなってきています。

その会社は、社長からしてそうでした。こちらの問い合わせ、例えば日程の選択や確認に対しても何度か催促しないと返事が来なかったのです。ようやく来た返信にも、お詫びの一つもない。

私はスケジュールが確定しないので、周辺の他の予定も確定することができない。航空券の手配、あるいはJRなどの切符の手配、宿の手配もできません。その意味では多大の迷惑を被っている。

そのことに相手は気づいていないわけですから、そんな会社とは付き合わない方が良いなと思いませんか。例え高額(そんなことはないでしょうけど)のコンサル料をいただいてもお断りです。

時間を守らない経営者の会社が、他の約束を守ると思いますか?思うのであれば、あなたは相当のお人好しでしょうね。一事が万事とまでは申しませんが、こと時間については別です。

第一に、時間を守らない経営者は時間の使い方も下手くそです。時間を大切にしていない人間を相手にすれば、こちらの時間も粗末にされて被害を受けてしまいます。

さて、あなた(の会社)はいかがでしょうか。すべてにおいて時間を守っていますか?

期末借入金残高をゼロにできた

■連載『MG&脳開企業革命』(49)

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この連載コラムも今回で49回目、そろそろ一区切りをつけようと思っています。もちろん、「企業革命」はまだまだ続くわけですが、5カ年計画の達成で「普通レベル」の会社になったことまでが大きなヤマでした。

次の5カ年計画で立てた目標も、期末の借入金ゼロとかイントラネットの構築などいくつかありましたが、これらも紆余曲折を経て実現・達成ができました。

ことにイントラネットなるものは、おそらく相当に時代を先取りしたのではないかと思います。最初は採ってもアナログ的で、1枚のフロッピーを全員に回して書き込み回覧するという形。

フロッピーには営業報告とかクレームとかタイトルが付けられており、毎朝私の手元に集まってくるスタイル。全部が集まると、その集まりが今時のサーバーというイメージです。当時はまだ内蔵ハードディスク(HD)がなかったのです。

それもすぐにHD内蔵のPCが登場、最初は20MBとか40MBでしたが、そこは日進月歩です。さらに電話回線を通してのネットアクセスを採り入れると、全員がNIFTYのIDをとって本格ネット参戦でした。

NIFTYのHOMEPARTYに情報集結場所を作り、そこに全員が書き込んで共有する。ツリー構造の書き込みスタイルでしたから、関連を辿ることも、またキーワードで検索することも容易でした。

ちなみにIDを取得してメールやイントラネット環境を作り始めたのは1996年ですから、第2次5カ年計画の前半の頃でした。

借入金のことも少し触れておきましょう。制服屋、とくに学校制服・体操服が主要扱い商品ですから、季節変動が大きいことは以前にも書きました。その上に、シーズン前には在庫をしっかり積み終えます。
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とくに親会社からの仕入ウエイトが大きく、その支払は手形でということになっていますので、その手形決済がシーズンオフの夏前後にピークを迎えます。

それに合わせた資金繰りをしますが、8月ないし9月に借入額が一気に増えます。私が出向して来て引き継いだ頃(1990年)の期末には、年間のピークが約2億4千万、期末にも1億近い借入残高でした。

これを10年で期末残高ゼロにすることを目標にしました。もちろん親会社への買入債務(買掛金と支払手形)あってこそできる数字ですが、少なくとも決算書(BS)に(期末)借入なしというのはいいでしょう。

10数年前に土地を購入し社屋を建てた時に借りた高度化資金(長期借入)が、1998年には完済できますので、できればこの年にゼロにしようと心密かに目標を描いて取り組みました。

短期借入すなわち運転資金を減らすためには、売上債権を減らすことと在庫を減らすことが必要条件です。前者は集金を増やす、回収率を微増でいいから上げていくこと、手形集金は無くすことです。

在庫についても不良在庫を処理することで、適正在庫をストックすることができます。さらに、新学期商戦の販売予測精度を上げることで、在庫を減らすことを目指しました。

こうして決算末の1ヶ月前、5月末までには短期借入金を全額返済することができたのは、計画より2年早い1998年5月のことでした。心の中で「やったぞ」と喝采を上げました。

次の借入は8月初めですので2ヶ月間の余裕があります。この期間に年間の資金繰り計画表を作り、取引銀行との交渉をじっくりとすることができるようにもなりました。当然、有利な条件に恵まれるようになりました。

金利の低下傾向にはありましたが、それ以上の条件提示を受けられるようになったのは、金融機関からも評価される会社に生まれ変わったということです。大きな壁を突破できた喜びを噛みしめました。

結論の先延ばしは容認できない

天皇陛下の践祚を挟んだ大型連休もいよいよあと1日、半数くらいの方が10連休あるいは9連休だったようですが、余りの長さに時間を持て余したという向きもあるようです。4ないし5連休くらいがちょうどいい、と言う声もあるとか。


私はと言えば、1年中土日を挟んだ3~4日間が仕事で、平日は休みといえば休みという感じの毎日です。この大型連休は大半の企業も連休か、もしくはサービス業の場合は書き入れ時の会社もあって、仕事の依頼はさすがにありません。


大型連休最初の2日間は自分の学びの時間ということで、軽井沢MGに参加をしましたが、その後の8日間は適当に仕事を組み込みながらの休日を過ごしました。余り人の混み合うところは苦手ですので、近場の穴場を探してドライブするくらいでした。


平成から令和に時代が移り変わる数日間は、テレビを付けてもその関連の話題ばかりで、いささか食傷気味といったらその筋の方から叱られてしまいそうですね。ただ、せっかく時間がありましたので、天皇を中心とした歴史を少し振り返ってみました。


天皇制の是非などということをここで論じるつもりはありません。なくてもいいという方の主張を別に否定はしませんが、私はあっていいんじゃないのくらいの意見ですし、「日本にはずうっとあった、そして続いている」ことが大事かと思うわけです。


つまり、あるべきだと強く考えているわけでもありませんが、ない日本も考えられないなと。そういう観点から冷静に見てみると、このままでは近い将来消え去ってしまうことがあるのではと憂えるわけです。


すなわち、現在の皇室典範の条文がそのまま生き続けていくとしたら、どこかで行き詰まってしまうことが予測されます。退位された上皇陛下の即位の時には承継資格を持たれる男性皇族は6名6名いらっしゃいました。


しかし現在は「たった」の3名の方しかいらっしゃいません。書き方の非礼はともかくとして、秋篠宮文仁殿下にさらに男子誕生という可能性は殆どないでしょうし、悠仁親王殿下にもし男子が生まれなければ「そこでおしまい」になります。


昔は夭逝される確率が高かったのと、正室に必ずしも男子が誕生しないからと、歴代の天皇は明治天皇までは殆ど側室をお持ちになっておられました。実際、承継された天皇の多くは正室のお子様ではなく側室のお子様でした。


今上天皇陛下の曾祖父様である大正天皇も、明治天皇のご側室からお生まれになりました。他の男子のお子様は5人おられたと記憶していますが、皆さまご幼時にお亡くなりになっています。当時は宮家が多くありましたので、いざという時の備えはありましたが。

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まさか、「男系男子でなければならない」と主張される方々が、側室制度の復活などは考えてはいないでしょう。いやいや、言い過ぎました、失礼しました。そこで次善の策で、旧宮家の復活ということが話題に上るのでしょう。


あるいはまた、先進医学・科学の活用などという「(ある意味)倫理、人倫に照らして疑問なこと」などを視野に入れておられるというようなことは、あってはならないとも思うのですが。


日本の天皇家の伝統だと言われますが、男系男子に限るのは伝統ではなく、明治時代(明治22年)の皇室典範制定で初めて明記されたものです。ですから日本では推古天皇以来10代8人の女性天皇が即位されています。いただいずれも男系女子ではあります。


でも他国と同様、女系天皇(女系男子あるいは女系女子)を容認することも考えるべきじゃないかと、私は主張するわけです。


少なくともこれ以上議論や結論を先延ばしすることは良くない、と思われませんか。小泉内閣時代(平成17年)に、皇室典範の改正についての有識者会議報告書が出ていたはずですが、それをベースに早く決めるべきだと思うのですが。


男系女子の天皇(伝統というならこちらの方がいにしえよりの伝統)を認めるだけではダメで、女系天皇を容認するか否か、あるいはそれに伴い女性宮家(200年以内にもあったのです)の創立も含めて、考えなければならないでしょう。


事は急ぐ。そう思われませんか。

採用活動も逆転の発想が必要か

この春新入社された新人の皆さんも1ヶ月が経過、長い大型連休で果たして休暇後に元のリズムを取り戻せるのかが、いささか心配です。5月病が例年より増えるナンテことがなければいいのですが。

さて並行して、3月頃から来春の学卒者採用活動も始まっていますが、大型連休中はこちらもしばしお休みでしょうか。街中にリクルートスーツ姿は余り目立ちませんが、それでも企業訪問を受け付ける会社もあるようです。

来春の就職戦線について、基本の流れは今春と大きくは変わらないということのようですが、何しろ求職人口が減る中で採用希望数が増加する「売り手市場」傾向は、ますます厳しくなるようです。

結果として中小企業、ことに多数を占めている小さな会社は「採用氷河期」などと言われる始末。実際、採用イベントなどにブースを出しても学生が余り立ち寄ってくれないと、嘆く経営者も少なくありません。

そんなことはない、小さな会社でも応募者が殺到しているところがある、数人の求人に対して100倍、1千倍の応募がある会社もあると聞かされても、それは自分のところとは無縁のことと半ばアキラメ気味です。

それでもイベント出展、共同求人活動、ホームページの活用などなど打てる手をしっかり打って、会社説明会・面接に来てくれる学生もいるわけです。その人たちの心をしっかりとつかむ方法を考えていますか?
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たいていの場合、会社説明会からスタートして、一次面接、二次面接、さらに役員(社長)面接といった形に続くのがオーソドックスな形です。

ダメ元ならと、昨年のことですが、ある会社の社長はこの順番をひっくり返したそうです。つまり、会社説明会の中で社長自ら壇上に立って、会社の歴史と経営理念、さらに将来構想について力を込めて話したそうです。

ちょっとリキが入ったかなと言われていましたが、40分間念を込めてしゃべったそうです。幹部社員はその間、参加者の学生をじっくり観察してチェックメモをとっていました。

しかも社長は、いくつかのポイントで参加している学生たちに質問を投げかけたそうです。単に挙手させたりだけでなく、何人か個人を指名することもあったそうです。

そんな中で視線を外すことなく時おり大きくうなずきながら聞いていた学生、メモをとっていた学生、その反対にうつむき加減の学生やただただじっと座っているだけに見える学生。

社長はこのように言われていました。学生諸君は自分たちが会社を選ぶという意識を持って参加してきているのだろうけど、実は会社の方こそ誰を採用するかを選ぶ気持ちが強くて大事なことなんだと。

会社の理念、目的あるいは将来像に共感してくれる人を見極めるのが、この「逆転の発想」だったのでしょう。そして会社の方がここでふるいを掛けて、次の面接に来てほしい学生に通知を出したのだそうです。

次の面接会では幹部社員と人事担当者が対応したそうですが、彼らもまた会社の理念や社長の思いを共有しているからこそ、こういうやり方が可能だったんだろうなと感じました。

最終結果として、採用予定人数に絞り込むのが大変だったそうですが、それだけ採りたい人材が残ったわけで、急遽幹部会で採用増員を決めて実行したそうです。

いいなと思って同じことを真似してみても、うまくいく会社は少ないでしょう。上辺のハウツーだけをコピーしたところで成功はしない、そのことだけはハッキリと書いておきます。

自称「旅鉄」のおじさんが行く

鉄道ファンとか鉄道マニアという言葉は、最近は余り使われなくなってきたようで、「ナントカ鉄」という言い方の方が一般的になってきているようです。例えば、撮り鉄、乗り鉄、音鉄、食べ鉄、作り鉄などなど。


作り鉄には、単なる模型の域を超えた庭園鉄道レベルのものや、既製のHOゲージやNゲージでも本格的なジオラマを作られているような方も少なくありません。私の先輩にも、庭に自分でレースを敷いて自作の車両を走らせておられる方がいます。


さて私はと言うと、最近はもっぱら「旅鉄」と称しています。乗り鉄を主体に、気が向いたらカメラを向ける撮り鉄になったり、時にはただただ駅弁や土地の食材を肴に地酒を傾けたりしています。

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趣味歴は非常に古くて、自分でもハッキリした記憶は定かではないのですが、3才頃にはもう、近くを走る大阪市電を飽きることなく眺めていたそうですし、たまに乗せてもらうことがあると運転席の真後ろに立っていたそうです。(写真は元大阪市電2601型の広島市電900型905/2011年の本川町)


小学校入学祝いにHOゲージの小さな電気機関車(確かEB58型)と、円形レールセットを親からプレゼントしてもらって、休みの日はそれで遊んでいたようです。その1年半前に転居したのは、阪急電車の走るすぐ近くでした。


父親に連れられて海水浴場や遊園地に出かける時には、阪急はもちろん阪神電車や京阪電車にも乗りました。体が弱くて病院通いの際には、病人のくせに国鉄(城東線=現大阪環状線)電車の先頭車両に立って乗っていました。


父が写真の趣味を持っていて、カメラを何台か所有していましたが、その中のペンタックスを借りて(持ち出して)写真を撮りだしたのは、小学校5年生頃で、阪急や国鉄の新淀川橋梁、あるいは国鉄大阪駅などへ出かけて撮っていました。


ただ、当時の古い写真は今は殆ど手元には残っておらず、撮り鉄としてはそれほど熱を入れていなかったのでしょう。大学では鉄道研究会にも所属しましたが、どれかに集中するということもありませんでした。


そういうわけで、今でも「旅鉄」と称するように、ただただ列車に揺られてレールの音を聞いていれば佳いというわけです。それでも国鉄からJRに変わる前には「国鉄全線踏破」もやっていましたし、私鉄も含めて未乗車の路線は僅かです。


今月は遠征の合間に乗り鉄を愉しむ時間は持てそうもありませんが、これからも時間の許す範囲であちこちのレールを目指していこうと思っています。今年もまた秋に新線開通がありますので、開通したら早めに乗りに行かねば。


のんびりと生涯可能な限り、愉しい旅鉄を続けていきます。

再建計画達成で「普通」レベルに

■連載『MG&脳開企業革命』(48)

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新規事業(企業ユニフォーム)を立ち上げてしばらくして、親会社もレディス・ユニフォーム事業を新規に立ち上げました。桂由美さんなどともタイアップしての華々しいスタートでした。

親会社の事業ですから私たち販社もラインナップの一つに取り上げましたが、私は自らつながりを作った仕入先数社をメインにしました。商品アイテムも多く、また取引条件も有利でしたから。

ワーキングウェア(作業服)については親会社が手を付けていませんので、こちらは私がまず東京や広島(福山・府中)のメーカーを直接訪問し、その大半と取引契約を結びました。

親会社のウエイトは新規事業立ち上げ時点では95%以上ありましたが、ここから少しずつ下がっていきます。もちろん全体のPQ/MQを上げていきましたから、親会社との取引の絶対額は常に増えていました。

新たなメーカーとの取引は白紙からのスタートですので、いくらかこちらの希望も聞いてもらえました。取引額の少ない内はそれほど無理が言えませんが、それなりのボリュームになれば要望も出しやすくなります。
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ただ失敗が一つありました。それは一定額以上の支払を手形で行ったことです。新規事業スタートの時点ではまだキャッシュフローが安定せず、資金繰りの厳しい月もありました。

故一倉先生から「手形を切ったり受け取る商売はダメだ」と教えられていましたが、背に腹はかえられないという部分もありました。もっとも、まだ私自身が手形の怖さを知っていないからだったと反省しています。

ちなみに、社長になった頃からは徐々に手形支払の基準を引き上げ、退任前には親会社以外の仕入先への手形支払は廃止することができました。

先を急ぎすぎました。新規の企業ユニフォーム事業は、2年目から女性のHさんがメイン担当になり、私はバックアップに回りました。企業の新規開拓活動は、引き続き私の担当でしたが。

メーカーの展示会や、メーカーの本社訪問なども彼女に任せることが多くなりました。旦那さんや子どもさんもいましたが、義父母さんが面倒を見てくれるというのに甘えて、どんどん外にも出てもらいました。

1年も経たない内に商品知識はもうベテランの域に達し、むしろ私の方が教えてもらわなければならないくらいに。そうなると自信もついてきますから、セールストークにも誠意と安心感が満ちてきます。

2年目の目標3千万円(PQ)はさすがに厳しかったのですが、それでもあと一歩というところまできましたし、MQ(粗利益)は目標を突破して営業の男性たちを驚かせました。

とくに繁忙期シーズンは新春の3~4月、夏物の5~6月、秋の衣替えなどスクール&スポーツユニフォーム部門と重なりますので、ほとんど一人で企業回り、受注からメーカー発注、加工外注から納品までやらねばなりません。

ホント、脱帽でした。自ら志願して始めた仕事ですから周りを頼れないとも思っていたでしょうが、それにしてもMG効果とはすごいものです。

この部門、やがて介護施設向けのユニフォームなども加わった他、医療や看護、介護などの専門学校へもアプローチを広げ、後者には男性担当も充てるなどして、スクール&スポーツと並ぶ第3の柱に成長しました。

おかげで、少子化傾向が加速していき始めても、業績は落ちることなく少しずつ伸びていくことができました。当初の5カ年計画も達成して会社の再建ができ、地域での普通レベルに達するところまで到達しました。

美しい経営ということについて

西研MG(MQ戦略ゲーム)の中に、次のようなフレーズがあります。

 1)楽しくなければMGではない
 2)美しくなければMGではない
 3)効果がなければMGではない

1)については言を待たないでしょう、ゲームは眉根に皺を寄せてやるものではない。成績より期数、うまくいってもいかなくても笑顔で愉しんでやっていきましょうと。楽しいからこそ、学びも交流も深まるというものです。

3)も分かりやすいですね、ゲームをただただ繰り返しているだけでは意味を成さない。実際の経営や、仕事の現場で効果(成果)を具体的に上げていきましょうと。「期数からさらに向上へ」です。

さて、今日のテーマは2)の『美』について、私の考えていることをまとめ直して書いていこうと思うわけです。

MGというゲームの中での『美』は、小さなことではシートの字をきれいに書くとか、壁貼りのポスター(自己資本グラフやMQ会計表)の文字や線を太く書くといったようなこと。

あるいはまた、ゴミや消しゴムかすをキチンと捨てるとか、終わった用紙類はすぐにファイルする、会社盤の上のツールをちゃんと並べることなどたくさんあるでしょう。

さらにはルールを守ること、言葉を荒げないとか、人を煽らない、(特に初心者などを)急かさないことなども『美』に当たるのではないかと思っています。


また、特に初心者に対しては相手中心の思いや行動が大切なことです。自分自身が初心者であった頃を思えば、何を成すべきかは分かるはずです。それもまたMGでいうところの『美』です。

では、実際の経営すなわち会社の中ではどういうことが『美』だと定義されるでしょうか。いくつかのポイントがありますが、私がピックアップするとすれば次の3点です。

 <1> 礼節が社内に浸透していること
 <2> 明るく元気かつ素直な企業風土を持っていること
 <3> 整理整頓を柱とした環境整備が行き届いていること

礼節、易しい言葉に直せば「先手の挨拶と元気な返事」です。その根本は相手を思う気持ちにあります。社長自らが率先して社員に声をかけ、かけられた社員も笑顔で応える、この気持ちよさが美しいということです。
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企業風土が明元素であること、失敗を恐れずチャレンジする気持ちに満ちあふれていて、互いに成果を喜び合う。厳しい辛いことがあってもみんなで分け合える、「みんなの幸せ」にみんなが向かっている。

そして仕事をする環境の美しさは、5Sとか3Sといった実践を通して磨き込むことです。その柱となる整理整頓が徹底すれば、ミスやロスがなくなるのはもちろん、環境の変化に対しても速やかに対応できるのです。

いずれも、日常の行動として至極当たり前のことばかりです。そうです、特別なことではなく、それぞれがやるべきことをキチンとやり続ければ良いことばかりです。

社長は社長の、社員は社員の、それぞれの役割と責任を果たしていくことです。背伸びをすることはありません、淡々と「これが自分の役割」ということを続けていくことです。

そういった社長も含めたみんなの実践行動の積み重ねによって、美しい会社ができあがっていくのです。美しい会社は社員とその家族を、会社の縁につながる人たちを、さらにお客様を幸せにしていきます。

一人一人がその役割を持っているのだということをしっかりと自覚して、日々実践して参りましょう。

令和新時代に自らを振り返って

令和元年5月1日。おはようございます。


午前零時に新天皇がご即位されて、新しい時代の幕が開きました。何だか大晦日とお正月が今年は2回あった感じですが、平成の幕開きとは違った感覚でのスタートになります。


昭和から平成への改元時は、昭和天皇の長期間の病気療養からご崩御ということで昭和が終わり、そして何事も自粛ムードの中での平成新時代が始まりました。それから30余年、202年ぶりの譲位による改元で明るいムードに満ちています。
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昭和最後の日、私は移動中の寝台列車の中でした。そこで昭和天皇崩御のニュースを聞き、函館で列車を乗り継いで札幌に至りました。小渕さんが新元号を告げるニュースをそこで見ました。


そして、翌日平成元年の最初の日も札幌で迎えましたが、実はMG研修の輪の中にいて最初の第1期で「MG100期」に到達しました。自粛ムードだったからではなく、当時はそれほど「100期を祝う」感覚はなかったですね。


それから30余年、平成の時代は私にとっても本当に大きな変化の時代でした。翌年平成2年には子会社への出向、新潟(長岡市)への一家揃っての転居、代表取締役就任(平成9年)、そして16年余の販社時代が続いて平成18年に退任。


親会社に戻ったものの1年半後の平成20年に早期退職し独立、ヴァンガード経営研究所を創業しました。そして平成22年5月30日にMG1000期を達成、なにわMGの第5期でした。


それから一人娘の結婚、初孫の誕生があって、さらに平成28年住み慣れた長岡市を離れて新潟市に転居、三世代同居の新生活が始まり現在に至っています。長かったとも思えるし、アッという間だったかとも思える平成の時代でした。


私も還暦を過ぎて准高齢者という世代となって現在67才、幸い心身共に特に問題はなく「現役」を続けています。生かされているという時間まではまだまだですが、おかげさまで「必要とされている」実感はあります。


令和新時代、これからも体力と氣力の続く限りは、これまで経営実践の中から学んだことを皆さんにお伝えして参ります。もちろん、引き続いて元気な笑顔の実践を続けていきます。


今後ともよろしくお願いいたします。

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