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氣愛を込めて自然体を貫く

いよいよ残り僅か、もうやり残したことはありませんか。

 

昨日も近くのショッピングセンターに出かけましたが、正月準備の人が溢れていましたね。商品のラインナップも年末年始仕様、日々のものが片隅に追いやられていました。

 

私たちは夫婦2人だけの正月ですので、昨年からはおせちもいっぱいは頼まず、小さなセットで十分ということにしました。いくつかを買いそろえればそれでOK。

 

お餅も最小数で大丈夫だし、お飾りも一番小さなもの。お酒は、色んな方々からいただきましたので、吞みきれないほどありますので、少しずつ味わいます。

 

そんなわけで、今日明日で少しだけ正月らしいものを揃えて準備完了とします。とにかく気分だけは、のんびり正月気分でということに。

 

昨日は、2019年の人生計画マンダラを清書しました。清書しながら今年1年を振り返りましたが、ホントに色んな方に支えていただいた1年でした。心から感謝です。

 

そして新しい出会いがたくさん、たくさんありました。仕事とは「人とのつながりを創ること」という、城野宏先生の言葉を噛みしめていまっす。

 

多分その出会いが、来年1年を作ってくれて、さらにまた新しい出会いを生んでいくのだろうと思うと、ワクワクします。

 

来年のテーマは、『氣愛を込めて自然体を貫く』です。自然体とは、脳力開発でも倫理でも言っている「素直(倫理では純情)」です。

 

自然体になりすぎて惰性に陥らぬよう、また狎れてしまわないように、折にふれて氣愛を入れていきます。

 

今年1年大変お世話になりました、このブログもご覧いただきありがとうございます。心から感謝を申し上げ、お礼のご挨拶といたします。明日はブログもお休みです。

2019

氣愛を込めて今年を締めよう

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今年も残り3日、秒読みの日数となった。昨日で仕事納のところも多かっただろう。会社の中や街に繰り出して、打ち上げをして手締めをして完了だっただろうか。

 

私も、最後に残っていた仕事を仕上げて予定表に上げていた全てを終えた。年をまたぐ事項もあるが、方向は決まっているので年明けすぐにも取りかかれるだろう。

 

あとはゆっくりと新年の『人生計画』を、手帳に清書するばかりだ。骨子については昨年と大きな変更はないが、細かいところ、あるいは戦術レベルに手直しや新しい試みを加える。

 

大きなところでは、「三本の柱」のそれぞれのウエイトを見直すこと、そして最も重要な「2019年の旗印」を決めるところでまだ少し迷っている。

 

いくつか案を書いてみたのだが、ちょっとまだしっくりこないところがあるので、もしかしたら大晦日ギリギリでの決定になるかも知れない。

 

ほとんど決めていたのだが、その後にふと思い浮かんだフレーズがなかなか佳かったので、最終決定を延ばしているというわけだ。

 

それも明日にはめどを付けて、清書しながら最終まとめをしていこう。来年もきっと激動の年になるだろうから、気持ちをぐっと引き締めていこう。

 

私の好きな言葉、『氣愛を込めて』今年を締めくくろう。

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遅い!と何回も飛ばされちゃった

■連載『MG&脳開企業革命』(14)

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MG研修の2日目、第3期でそれなりのPQ(売上)だったので、真ん中から少し上の卓に移動することになりました。この卓には、既に20期あるいは30期と体験している方も数人混じっていました。

 

右隣は第1期でやはり私の隣にいた女性、多分30期くらい体験されている方でした。いわゆる関西人の典型のような方で、明るく元気はいいのですがせっかちで、しかも(場を)仕切る方でした。

 

4期が始まると、それまでの卓とは全く違った雰囲気、何よりもスピードが違います。初日はかなりのんびりムードでやっていたのが、一変した感じになり、記帳して顔を上げると自分の番が来ているという状況の連続。

 

ついには、隣の女性に「遅いわねぇ」とダメ出しを食らったり、やがて「ハイ、ちゃんと記帳しといてね、私先に行くから」と飛ばされること数回。なんじゃこれは!?と思うも、もはやパニック状態でした。

 

まぁ、そういう状態がどこにでもあったのでしょうか。「3つのダメ」ルールが明記され、前の人を飛ばしていくようなことはなくなりましたが、今でもかなり急かす人はいるようですね。

 

とにかく、おかげさまで記帳は間違うし、計算もやり直したりして散々でした。あとで見直してみたら、売価を18円つまり口頭価格で書いた上に、1円プラス(緑のC3効果)できることを忘れてしまっていたり。20180112_lrcfmg7

 

中間休み後の後半は少し落ち着きましたが、「あなたの番です」は何回か言われてしまいました。そんな状態でしたから、PQは見事に上がらずに卓も陥落。(写真はLR小川会計さんのCFMGより)

 

後半途中で人(セールスマン)を増やしたり、青チップを買い増ししてみたものの、第3期のPQを若干上待った程度に終わり、もちろん赤字は膨らむ一方でした。

 

それでも中間休みに計算は合わせておきましたので、第1表はすんなりと自力で通過できました。第5表も問題なく書き進んで縦横合計の差額もゼロ、何と提出順位は3番で、すぐにOKも出ました。

 

当時FさんのインストMGでは決算も「一斉スタート」で、タイムを計っておられました。そのタイムは確か32分くらいだったでしょうか、「早いですね」とFさんから。

 

ようしこれだ、と目標を「30分を切る」ことに定めました。ちょっとでも早くできないかと、事前に書き込めるところは書き込んでおくこともやってみましたが、これはご愛敬と思って下さい。

 

5期はG卓、もちろんジュニアルールのままです。あんまり何もやらない方が、あとの計算が楽だなとは思いましたが、そこはまぁそれなりに売ったり買ったりはしました。

 

そして決算にGO!焦ることはないと自分に言い聞かせ、とにかく慎重にやりました。「順番に、順番に」と自分に言い聞かせたおかげでしょうか、最後までミスなく縦横がぴったり合った時には「やったぁ!」でした。

 

時間は29分、提出順位は2番目でした。Fさんからの「ハイ、ダメ~!」の声もなく、ホッとしました。MGの結果は自己資本110くらいで評価もD(ダメ~)でしたが、気持ちは満足でした。

 

そしてこのあと、思わぬハプニングが待っていたのでした。

経験と勘に度胸を添えて/KKDのすすめ

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今年も「小さな会社のマネジメント」というテーマで、私自身が経営やコンサルティングの中で感じていること、セミナーや書籍の中から学んだことなどをお伝えしてきた。

 

いささか独りよがりのことが多かったと思うし、同じようなテーマを何度も取り上げたかも知れない。でも一貫してきたことがある、それは我々は大企業ではないということだった。

 

当たり前じゃないかと言われると思うが、しかし現実には小さな会社の「くせ」に大企業のやる真似をしようと、懸命にもがいている例が多い、多すぎる。

 

真似ることが悪いなどというつもりはない。やってみればいい、チャレンジしてみればいいことだ。ただ身の程を知ってやるべきだ、大企業とは全ての条件、環境が違うのだということ。

 

さて、そんな大企業の経営者や経営幹部が拠り所にしているのが、「ロジカルシンキング」だ。平たくいえば論理や法則に従って組み立てたり、判断をするということだ。

 

それを教えてくれる一つが、例えば「MBA」などのセミナーだ。セミナーに参加するのが困難でも、有り余るほどの書籍が本屋に並んでいる。

 

そのロジカルシンキングと対比されるのが「経験と勘」だが、私はさらに「度胸」をプラスして「KKD」などと呼んでいる。Photo

 

これにさらにもう一つ「D」を加えてKKDDと揶揄する人もいる。最後のDは丼勘定のことだが、経験も勘も度胸も(丼勘定も)近代経営には不要だというのだ。

 

ホントにそうだろうか。私もMGを学び始める以前、いや学び始めたあともずうっとそうだと思っていた。むしろ、KKD(D)を排除する方向で考えていた。

 

でも実際に経営の第一線にたずさわり、並行してMGの学びを積み重ねていく過程の中で、KKDの重要性に気付いていった。今は逆に非常に大事な要素だと思っている。

 

実際、MGセミナーの講義の中でもハッキリと重要だということにしている。それを科学的・合理的に裏付けしていく手段としてのMGがあると。

 

大会社は、まずロジカルシンキングありきでないと混乱してしまうだろう。しかし、小さな会社はそうではない。まずは経験と勘からスタートしてよい。

 

そこにMGという科学で裏付けをして、判断・意思決定して組み立てたことを実際行動に移す。やると決める度胸も大切な要素になるだろう。

 

来年も今以上に変化の大きな年になることだろう。経験や勘が役に立つのかと訝る向きもきっとあるだろう。だが、だからこそ経験と勘と度胸が役立つのだ。

 

胸を張って、一人一人の経験と勘が活かしきれる会社にしていこう。苦難を切り拓く勇気という度胸を添えて。

三感四恩の生き方をしよう

あっという間に残り一週間を切ってしまった。

 

外に出かける仕事は終わったので、残る仕事は今年の後始末や決算の準備、それから来年のセミナー準備というところか。在庫棚卸は書籍類だけなので、あっという間に終了。

 

支払いも全部終わったし、資産の減価償却や振替処理なども例年通りなので、すぐに済んでしまうだろう。規模の小さな個人事業なので、やるべきこともさほど多くはない。

 

「いいですね、自分の好きなことができて」と羨ましがられることもあるが、何をおっしゃいますやらです。何しろ、明日の保証などどこにもないわけですので。

 

確かに抑えつけられるような天井もないし、定年退職もない、ややこしいルールにもそれほど縛られない。だから「いいですね」と言われるのあろうけど。Photo

 

その代わり、仕事についても自分一人で切り拓いていかなければならないし、ある意味日銭稼ぎで死ぬまで働くわけだ。確かに青天井だが、雨も降り込むというモノだ。

 

働き方改革とやらに左右されはしないが、時には夜を徹して「残業」しなければならないこともあるし、それをダメだよといってくれる優しいルールも適用外だ。

 

まぁ、世の中はプラスもあれば、同じくらいのマイナスも同時にあることは常なのだし、プラスの方にできるだけフォーカスしておれば、ストレスを溜めることもない。

 

問題は健康だが、幸いに「一病息災」くらいで過ごしている。それなりに気を付けているので、当面は大事ないだろう。ただ、毎年一つずつ確実に歳はとるので気を付けよう。

 

来年もおかげさまで、夏頃までのスケジュールはかなり決まっていて、昨日もご相談の連絡をいただいた。体が動き、頭も大丈夫な内は「天命」と感じてしっかりやろう。

 

何事も感謝だし、その一番は家族なかんずくカミさんにだ。果たして、二人での望年会がやれるかどうか微妙なところだが、キチッとありがとうといって今年を締めくくろう。

 

来年も、感謝、感動、感激の「三感」はもちろんだが、さらに「四恩」すなわち、家族や師、仲間や社会への恩を付け加えていこう。

 

名付けて三感四恩というところか。

頭の中がグルグル回ってました

■連載『MG&脳開企業革命』(13)

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初のMG研修体験、初日の午前中はとにもかくにもやること、見るモノ初めてですから、インストラクターの進行についていくだけで精いっぱい。

 

午後からのゲーム前のルール説明も上の空でした。ちょうどその年までは「MGⅠ」ルールであったはずで、例えば投入は12円、完成が11円と分かれていました。

 

MGⅡルールにも当初引き継がれましたが、緑チップは3枚使用(@10円)で、マーチャンダイザー/PAC生産性/マーケットリサーチと、会社盤の3ヶ所に置いていました。Img_7682

 

マーチャンダイザー(C1)は材料が11円安く買え、/PAC生産性(C2)は製造能力が機械1台Ⅰ個増/マーケットリサーチ(C3)が売れると1円高く資金繰り表に書ける、でした。

 

保険は黄チップ(のちにこれが教育チップに変わり、保険はオレンジが追加されます)でしたし、赤(広告)チップは110円で一度に何枚でも買えました。まだ、営業経費(本社経費)扱いでしたかね。

 

とにかくルールなどほとんど頭には入りません。第一、インストFさんの口調は関西弁でやや早口でしたし、「何か質問は」と言われたところで、何を質問していいかも分かりません。

 

「まぁ、やってみれば分かりますから」と言われ、なんという研修やと思ったモノです。しかし、同じコトバを今私も言っていますね。もしかしたら、もっと短い時間でルール説明しているかも。

 

2期は全く訳の分からぬまま、とにかく最低限の2個仕入・2個完成投入をして、営業所に製品ができあがればすぐに売りに出る。だけども売れない、の繰り返しでした。青チップも赤チップも使えません。

 

そんなわけで、初めて自分でやったMGPQ124円(5個販売、平均単価25円)でした。正直売れたこともよく分からず、隣の女性が「売れたよ」と促してくれました。

 

3期はそんなわけで下の方の卓(H卓だったか?)でした。ここでは、運が良かったのかラッキーカード(独占販売)を2回くらいひいて、青チップも1枚使ってみたら450円くらい売れました。

 

ところが売れてしまうと、資金繰り表への記帳間違いがあったり、在庫は合わないし現金勘定も誤差あり、もうバラバラって感じでした。頭はパニックになるし、それでも負けず嫌いだから第5表は自力で必死に合わせました。

 

夜は簡単な交流会もありましたが、正直言ってビールの味の苦かったこと。酔えませんので、いざ寝ようと思うと頭の中に赤やら青やら緑やらが、グルグル回って一向に寝付けそうもありません。

 

同室の方はもう当時で560期くらいやっておられたSさん、私よりも年上の方。そんな私の様子を見て、少し話し相手になって下さいました。なんとかそれで、気持ちは少しだけ立ち直ったかも知れません。

 

何か一つ目標を持つのがいいということでしたので、ゲームでは勝てそうもありませんから、決算を自力で、できれば早くやろうと心に決めました。そういう気持ちにさせて下さった、Sさんに心から感謝です。

 

そうして夜が明け、2日目が始まりました。

あなたの会社にしかない何か一つを

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今日はクリスマスイブ、しかも三連休の最終・振替休日です。最近は「イブイブ」の方が盛り上がっているとか言いますが、街の人出はどうなのでしょうか、天候も気になります。

 

さてクリスマスが終わると、一気に正月モードに模様替え。企業も個人も、新しいモードへの切り替えの時でしょうか。

 

それぞれの企業には年度がありますが、それでも新年はまた思いが改まる時ですね。「一年の計」なんていうのも、経営トップの皆さんは考えられていることでしょうね、きっと。

 

私も小さな会社の社長時代、正月は上半期が終わり下半期への折り返し点でしたから、社長としての抱負と共に、年度計画達成に向けての決意を新たにしたものです。

 

特に私の会社は、季節変動の大きな会社で下半期が商いの中心・大半でしたので、心が引き締まったものです。

 

皆さんの会社でも、年度のタイミングは別として新年をスタートする決意を新たにされることでしょう。まさに「心を一つにする」チャンスの時ですから。

 

さて、世の中の大多数は『小さな会社』です。少し前の資料だと、日本の法人数は380万社くらいあるそうですが、その内大企業は1万社余りに過ぎません。

 

残りの中小企業から中規模企業を除いた、いわゆる「小さな会社」が全体の85%を占めています。ただ、この数は年々かなり減少していることも事実です。

 

つまり大多数は弱者であるわけですが、それに甘んじていてはつまらないですね。そう言われてもどうしようもない、ナンテ思ってはいませんか。

 

ちょっと以前には「オンリーワン」を持てというようなことが叫ばれましたが、何でもいい、一つでいいから『胸を張れる』もの(こと)を持つということですね。

 

できれば、これならナンバーワンだというのが望ましいですが、切り口を変えて考えればそれも不可能ではありません。

 

もちろん世界でとか日本全体でとか、業界でといった中では誰もが可能にはなりません。しかし、もっと小さな中ならば、例えばこの町でとか地域でといったことならどうでしょう。

 

商品やサービスがナンバーワンだけでなく、挨拶がナンバーワンだとか、朝礼の元気さなら誰にも負けないとか、掃除ならトップだでいいのです。Photo

 

2019年はそういったナンバーワン、オンリーワンを持とうではありませんか。

 

私も、私の会社はたった一人の個人事業ですが、でも誰にでも胸を張れる「ナンバーワン」「オンリーワン」をちゃんと持っています。

 

それについては、勝ち負けとかいうのではありませんが、少なくとも私でなければならないことだと自信を持って言えるからです。

 

あなたの会社も、ぜひあなたの会社にしかない「ナンバーワン」「オンリーワン」を、経営者と社員一体となって創り育てていきましょう。

 

そして素晴らしい新たな年にして参りましょう。

スケジュールを決めることが「戦略決定」

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今年の主催・共催セミナーが完了すると共に、遠征も全て終わりました。今年も北から南へ列島を駆け抜け、各地で多くの方と交流させていただきました。

 

MG、脳力開発、そして倫理と様々な方とお会いしました。他にも、これまでとは全く違う分野の方ともつながりができたりして、ホントにありがたいことです。

 

さて、すでに来年のセミナーに向けての赤チップ(PR)もスタートしていますが、私自身にもたくさんの案内が届き始めています。

 

特に最近はSNS、とくにFacebookやLINEでの案内が主流になっています。出欠とくに出席可能だと思われるイベント、セミナーについてはすぐに返事を送っています。

 

逆に参加ができないことが明白な場合は、必要であれば不参加返信をしますが、基本的にはスルーです。スルーであればその後の情報も受け取れますから。

 

よくある、私も時に受け取るのは「日程を調べて検討します」とか、「スケジュールが合うようなら参加します」という返信。

 

私は絶対にこういう表現の返信はしません。スケジュールなど、現段階ででも分かることですし、本当に参加したいなら、他の予定が入ることを極力避けようと努めますから。

 

基本は先縁優先ですが、たまにはどうしても変更せざるを得ない、参加するつもりができなくなるケースもあります。でもそれは、かなり稀なケースです。

 

私が感じるのに、上記のような曖昧な返信を送ってこられる方が、やっぱり「参加します」と言われることは、これまた非常に稀です。20171101_mg62

 

同様に、セミナー終了後の感想の中にある、「機会があればまた参加します」というのも、最もアテにならないフレーズです。「機会を作って」なら別ですが。

 

さて、あなたはどうでしょう。まず、スケジュールなどは少し先くらいまでなら、すでに頭に入っているはずで、出欠の即答など訳のないことです。

 

中には、せっかく案内をいただいたのに欠席や不参加の返事を出すのは悪いと思う方もおられるようですが、案内する方から言えば期待を抱かされる方がいささか迷惑です。

 

私はほとんど期待をしない方ですが、それでもセミナーが近づけば、「どうですか?」と問い合わせてみます。そして十中八九までは「不参加」です。慣れっこです。

 

本気で参加する気であれば、そんな曖昧な表現はしません。相手を気遣う必要もないでしょう、ダメならダメと明言する方がマシですから。

 

そんなわけで、今年もたくさんセミナーのご案内をお送りします。曖昧な返事は要りませんので、どうぞお気遣いなくスルーして下さい。

 

でももし、「出たいな」と思われたら、参加意思表示して下さい。結局スケジュールが合わずにやむを得ず欠席であれば、早めにお知らせ下さればOKですので。

 

もちろん、私もいただいたイベント・セミナー案内には、そういうスタンスで臨みますので。すでに、上半期の案内には参加できそうなら全て「参加」の返信を差し上げました。

 

スケジュールを決めることが「戦略決定」だということを、来年も実践していきます。

北野高校82期東京同期会忘年会にて

昨日は、毎年恒例の高校の東京同期会忘年会。新潟から参加するのは私一人ですが、そりゃぁまぁそうです、同期での新潟在住者が、今現在多分私一人ですからね。

 

転勤で赴任した同級生は過去にいたかも知れませんが。東京には、今も周辺に住んでいる人も含めるとかなりの人数がいるようです。

 

あくまで同窓会の事務局に登録している人だけです。私だって、新潟に転居したときには事務局への連絡を忘れていて、一時「不明者」になってました。

 

昨夜新宿に集まったのは、ちょっと少なめの20名、昨年並みかな。幸いこの一年物故した仲間は今年はいなかったようですが、病欠の情報もパラパラ。

 

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再来年は、大阪で(卒業)50周年のイベントをやるらしいです。東京同窓会の幹事仲間からも、チラリとそういう話が出ていました。

 

確か母が亡くなる直前の2015年の5月末に、大阪で同窓会があり100人くらいが参加しましたが、来年ではなく70歳の古稀の年にやるのかも知れません。

 

行けるようなら、そちらにも出られるように健康でいなければいけませんね。とはいえ、もうそんなに年を経たのかという気持ちにもなりました。

 

人生も「あと何行」と勘定が必要な、分岐点にさしかかっているのでしょうかねぇ。来年の幹事や忘年会日程も決まり、和気藹々の会を終えました。

教えない、教え合う、紙は自分で

■連載『MG&脳開企業革命』(12)

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昭和62年(1987年)の919日。人生の中でもっともエポックメイキングな日を選べと言われたら、躊躇なくこの日を選ぶことでしょう。確かに他にも選ぶべき日はあるのでしょうけど。

 

MG(西研・MQ戦略ゲーム)に出合った、まさしくその日です。私の人生そのものを変えるに至った、あるいは天命というものが私にもあるとしたら、その萌芽の日であったわけですが、もちろんその朝はそうではありませんでした。

 

自分から望んだわけではないけれど、業務命令だからやむを得ずといった感覚で、そうですね、意図しない苦役に向かわされる囚人のごとくと言ったら、少し大げさすぎるでしょうか。

 

でも本当にそういう気分だったかも知れません。同じ会社(親会社)から参加した9名のメンバーの中で、当時私が最年少でした。といっても、既に35歳になっていましたが。

 

会場には、他の研修にはないムードが既に漂っていました。その日は50名を超える参加者がいて、会場に多くの方が入っていて、あちらこちらで和気藹々の会話が始まっていました。にこやかに名刺交換している人も。20180825_2mg1

 

そんな中へ我々9人は、まるで他の星からきたような、会場のメンバーの多くとは違った雰囲気を持ってのそのそと入っていきました。どこへ座ればいいのか、座席表のような類は入り口にはありませんでした。

 

たいていの研修では入り口に受付の人がいて、テキストや座席表などが渡されるものですが、そんなものは一切ありません。ただ、前のホワイトボードに大きく「席は自由」と書いてあるのみでした。

 

9人はウロウロしながらも、てんでに分かれて空いた席に腰を下ろしました。目の前には、何だか中華料理の満漢全席を思わせるような円卓と色とりどりのマグネットなどなど。なんだい、こりゃぁ。

 

とりあえず腰を下ろすと、隣の方々から「おはようございます」と元気な声。早速に名刺交換が始まりました。「初めてなので、よろしくお願いします」と応じるのがやっとという感じでしたね。

 

何人かの方はもう何度も受講されているように見えました。お隣は女性の方、神戸市内の司法書士事務所の方でした。見渡すと女性の数もそこそこ、テーブルの上の名簿をもらうと企業単位での参加も多かったようです。

 

10時きっかりに研修が始まりました。インストラクターはFさん、その自己紹介から始まり、スタッフのKさんともう1人のKさんが紹介されました。ほとんど前振りもなく、MGとは何ぞやの説明もなく、いきなり始まった感じでした。

 

「教えない、教え合う、紙は自分で」と言われましてもねぇ。会社がお金を出してくれているとは言え、なにも教えてくれないのかよって思う間もなく、「じゃぁ、第1表資金繰り表をとってきて」でした。

 

なんだそれはと思いつつも、隣の人についていって、テーブルに置いてある紙を手に取りました。他の紙もとろうとしたら、「あ、第1表だけですよ」と早速注意されてしまいました。

 

席に戻るやいなや、インストラクターのFさんの指示が矢継ぎ早に始まりました。ちょっと早口だなぁと思いながら、その流れについて行くのが必死です。番号順に言われても、どれがその番号なんだって感じでした。

 

こうして波乱のMG1期が幕を開けたのでした。

経営は楽しく笑顔でやらなくっちゃ

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先日ある方から「なぜMGをやって(続けて)いるんですか?」と、唐突に聞かれました。ここのところ、そのことについて真剣に考えてこなかったのでちょっと面食らいました。

 

そこで、「楽しいからですよ」とお答えしましたら、ちょっとびっくりしたような顔をされました。おそらく、「経営の役に立つから」とか「自分の為になるから」といった答を期待されていたのでしょう。

 

まぁ、確かにそのように考えていた時期もありましたし、多分学びの結果として、経営の役に立ったり自分の向上につながっているとは思っていますよ。

 

だけどやっぱり、正しい答は「楽しいから」とか「面白いから」だと思うのです。あなたはいかがですか? そんな不真面目なと思われますか、私はいたって真面目なんですが。

 

だってそうじゃないですか、もう30年以上(正確には31年と3ヶ月)もMGをやり続けているのですから。今年だって受講生として8回、インストラクターとして30回やったんですから。

 

とても楽しくなければできないでしょう。辛い苦行であったら、やってられませんよね。時間で言えば、ざっと受講生として150時間、インストラクターとして500時間です。20180603_mg7

 

楽しいから続くのだと思われませんか、趣味だってゲームだってそうでしょう。学校の勉強だって、楽しいものなら時間を忘れてでもやりましたが、面白くないものはすぐに放棄。

 

楽しい仕事なら徹夜をしてでも、我を忘れてでも一生懸命取り組むでしょう。嫌々ながら、命じられたからしょうがない仕事は速く辞めたいでしょう。

 

人生も楽しいから続いているのだし、そうだとしたら経営というお仕事も楽しくあれば良いのじゃないですか。というより、経営者としては自分で楽しく組み立てればいいのでしょう。

 

ましてや自分ばかりでなく、周りの社員の皆さん方や協力していただける周りの人たちも楽しく一緒にやれていれば、こんな素晴らしいことないじゃありませんか。

 

なのに、どうしてそんなにいつも苦虫を噛みつぶしているんですか? 売上や利益のことを考えたら夜も眠られないって。資金繰りで頭が痛いんですか。

 

だって世の中には、そういうことを楽しくやっている経営者がいますでしょう。えっ?そういう会社は儲かっている会社だって? そうでしょうか。

 

楽しくやっているから、周りの人たちも一緒になってニコニコ楽しくやっているから、結果がいいんじゃないのでしょうかねぇ。あなたみたいに顔が歪んでいたら、、、あーあ。

 

小さな会社は社長のあなた次第なんですから。あなたがいつも前向きにプラスの言葉を使って、ニコニコ元気にやっていたら、その波動が周りにも伝搬するって思えませんか。

 

あなたの会社のうまくいかない原因は、ぜーんぶあなたにあるんですよ。特に、楽しそうに見えないその顔はいけませんね。いつも出てくる言葉はマイナス言葉、ダメですよ。

 

経営というお仕事をもっともっと楽しんでやりましょうよ。MGを続けていたら、経営もこんな風に楽しくなるって、そこまでは言いませんけどね。

2018年も残り10行余り

今年最後の遠征も今日が最終日。

 

関西に来るのも今年最後になりますので、両親の墓参りも済ませてから新潟に戻ることにします。20181215_192645_2

 

遠征前半はセミナー(キャッシュフローMG)、そして後半は四国の乗り鉄旅。

 

ホント、充実の5日間でした。6日目は両親へのお礼と、乗り鉄の締めくくり。

 

この1年も健康で無事に終わることができそうです。残り「10行余り」の2018年。

 

どんな1年だったかな、落ち着いて自分を見つめ直す時間も持ちましょう。

 

素晴らしい1年だったと、胸を張って言えるのかどうか、自分では70点くらいと思っているのですがどうなんでしょうか。

 

来る2019年は平成最後の年、新しい元号と共にどんな変化があるのか、ワクワクするところもありますね。

 

おそらく多くのことが継続していきますが、また新しい何かを求める「旅」になるように気持ちを整えていきます。

 

とはいえ、今年もまだまだやるべきことがいくつか残っています。しっかりやり遂げて、次繰り在庫のないように気を付けねば。

 

さて、氣愛を入れていきますか。

いくつかのラッキーが重なり合ったけど

■連載『MG&脳開企業革命』(11)

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親会社がMG研修を自社に取り入れることになった経緯は、直接に見たり聞いたわけではありませんので、やや不明な点はありますが、次のような流れでした。

 

1987年、あるいはその前年かとも思われますが、当時の経営陣の一人であったY常務が、タナベ経営かどこかのセミナーに出られて、後藤昌幸さん(現滋賀ダイハツ会長:写真)の講演を聴かれたのがきっかけでした。Photo

 

後藤さんの話の中に出てきたMGというワードにピンとこられた常務は、それがどういうものかということを後藤さんに確かめられ、早速西研究所・西先生に連絡を取られたようです。

 

ご自身がMGに出るという前提でお尋ねになったようですが、先生から年齢を聞かれ「50歳」と答えられたところ、MGジュニアのセミナーではなく、「社長MG」を勧められたそうです。

 

社長MGは昨今はやられていませんが、年配の経営者を対象とした3日間(5期)のMG研修であったようです。場所は那須高原(温泉?)だったそうですが、常務はすぐに参加を意思決定されました。

 

そして実際に自分自身でMGを体験したことで、「これを会社に導入するのがいい」と感じられ、他の二人の常務に提案され(その内の一人が後の玉井社長)、常務会で承認されました。

 

神戸で行われていた兵庫MG会(主幹が後藤昌幸さん)のMGセミナー(ジュニア)に、課長以上の幹部社員を全員参加させると決められ、各回79人の4つのグループに分けて参加することになったわけです。

 

副課長だった私も、9月に課長に昇任する予定ということで滑り込みメンバーに選ばれました。そして9月の19日と20日に行われた神戸MGに参加することになったというわけです。

 

Y常務と後藤さんとの出合いがなければ、私がMGに参加することはなかったと思いますし、ちょうどのタイミングで課長昇任という状況に当たったことはラッキー以上の何物でもありません。

 

もっとも、その時の私はラッキーさを感じることなど微塵もありませんでした。ハッキリ言えば、研修なんて面倒だなぁとしか感じてなかったはずです。

 

私たちのグルーより前に参加した2つのグループのメンバーからは、「大変な研修だった」「しんどかった」ということしか聞かれませんでした。面白かったという声は皆無でした。

 

経営ゲームをやることは分かりましたが、詳しいことは教えてもらえません。どうも経理とか会計のことを、それも自分で電卓を叩いてやるのだと聞いて、それは参ったな、困ったなという先入意識でした。

 

いよいよ当日がやってきます。新幹線を西明石で乗換、普通電車で灘駅に着いて、会場である神戸製鋼所の研修センターまで、自社のメンバーと一緒に歩いて行きました。

 

気持ちはちっとも前向きになってはいませんでした。何をやるのかよく分からない不安と、業務命令だから仕方がないというアキラメの気持ちが、混じり合っていたと記憶しています。

 

ついに、初MGの会場に到着しました。

四国乗り鉄の旅へ

土日の神戸セミナーが終わり、今年の遠征セミナーも無事に完了しました。プライベートの予定はもう少し残っていますが、気持ちが解放されました。

 

そこで、次の予定(プライベート)までの空き日を利用して、乗り鉄の旅を楽しむことにしました。神戸からの移動に適したところということで、今回は四国を選択。

 

昨日は神戸から、バスで明石海峡大橋を渡り淡路島を縦断、大鳴門橋を越えて徳島にやってきました。徳島は私の亡父の生まれ故郷ですが、今回は単なる出発地。

 

JR四国の企画切符「バースデーきっぷ」(9500円)を購入、これは3日間有効で、四国内の特急自由席を含む全列車に乗れる切符です。T_

 

10年前に一時岡山に在住していた際に、一度使ったことがありますが、今回はそれ以来ということになります。

 

今日は徳島から高松まで特急「うずしお」、高松で讃岐うどんを食べてから、特急「いしづち」で一気に松山まで向かいます。

 

松山からは予讃線の海線を各駅停車でのんびり旅、卯之町で特急「宇和海」に乗り継いで、今夜は宇和島泊まりです。宇和島には30年ぶりくらいでしょうか。

 

明日は宇和島から予土線のローカル列車で窪川まで、途中四万十川の清流を眺めながらの旅です。窪川から高知までは特急「あしずり」、高知で遅い昼食です。

 

高知からは特急「南風」で阿波池田、ローカルに乗り換えてふりだしの徳島に戻ります。さらにこの日は、徳島港からフェリーで和歌山に渡る予定です。

 

一見忙しい旅のようですが、列車に乗っているのが楽しいので、これでいいのです。2日間たっぷり、乗り鉄を楽しみます。

キャッシュフローMGをやってみましょう

12月も残り半月、2018年も最終コーナーを回ってホームストレッチです。

 

そんな中での神戸CFMG(キャッシュフローMGセミナー)、こちらも本年ヴァンガード経営研究所が主催(共催)する最終セミナーです。

 

参加者11名・2卓、女性が半数を超える7名。皆さん期数を重ねておられる方々です。キャッシュフローMGは初めてという方も数名ですので、予定通りの進行で初日終了。20181215_133132

 

2日目の今日は、CFの基本講義からスタートして、第4期のゲームに入っていきましょう。グラフもきれいな正規分布、でもそろそろ「波乱」もありそうです。

 

キャッシュフローMGは、基本のMGに信用取引すなわち売掛と買掛を加えただけですが、それだけのことで戦術の幅が大きく広がることがゲームの中で体験できます。

 

一方で、リスクもその分増えるわけで、『何が大事か』を考えて進めていかないと、例えば大きな借金を重ねていくこともなります。

 

ゲームでは、いくらでも借入が可能ですが、実務に置き換えればなかなかそうはいきません。有利な条件をいかに活かし、どうやってリスクを避けていくかの実戦訓練です。

 

無理に無理を重ねては、いくら利益が増大しても決して「いい会社」にはならない、そのことも考えていただきたいわけです。

 

売掛は形を変えた貸し付け金、一方で買掛は形を変えた借入金。双方のプラス面をどう企業運営に活かしていけばいいのか、マイナス面をいかにカバーするか。

 

それをゲームの中でも考えてやってみることが、必ず実務に生きてくるはずです。

 

今年のCFMGは今日で幕締めですが、来年も1月の東京セミナーから全国で開催の予定です。1月は東京と高知、2月は京都、そして神戸は3月です。

 

2019年もたくさんのご参加をお待ちしています。

『愚直に』がまだまだできてませんね

ルミナリエで賑わっている神戸の街、クリスマスムードも溢れています。そんな中で、今日と明日は最終セミナー、神戸でもそして全国でも今年最後となるキャッシュフローMGです。

 

私自身としては今年通算30回目のMGインスト、こちらも打ち上げというところです。これで、新年は1月の10日までお休み。といっても、ゆっくり冬休みとはいきませんが。

 

MGのインストを初めて、今年でちょうど30年。最初は自社の社員研修からで、人前でインストをやれるようになったのはしばらくしてからです。

 

もっとも、最初の内は西先生のMGに出て、そこで指名されてルール説明をやったり、第1期の2/3表、あるいは第5表の進行をやるところからだけ。

 

MG全体のインストをやり始めたのは、社内研修を除けば、半公開の研修を自分で企画した1992年頃だったでしょうか。MGの期数だけは、もう300期以上に達していたでしょう。

 

だからというわけではありませんが、「やれる」という自信に溢れていました。それまでにも西先生はもとより、先輩シーガルの皆さんのやることも見ていましたので。

 

自分でも「やれる」という自信満々でしたが、実際やってみると冷や汗と熱い汗が混じり合ってたらたら、冷房の効いた部屋でも額に大汗でした。

 

見事に天狗の穴をへし折られたわけですが、その時にこれが『守破離』の一歩目なんだということを強く感じたわけです。その目でもう一度西先生をじっくり。20181201_ecmg2

 

何度も何度もMGに通い詰めた中で、最初は徹底的に真似をしました。それこそ先生の九州弁まで、話のオチまで全てそのまま真似をしました。だけどもうまくいきません。

 

まだまだ素直さが足りなかったと、今では分かります。第1期の決算でも「ひたすら愚直に」と言っていますが、インストもまたそうなんですね。

 

自分のインストを、初めてMGをやる自分が聞いている感覚になるまで、さすがに時間はかかりました。でもそれが「できた」時に、自分の中で何かがはじけた感じでした。

 

でもそこからがまた長い道のりでした。それは、もういいだろう『守』から『破』に移ってもいいだろうという、自分のおごりでした。まだまだ『愚直に』を続けよと。

 

そうなんです、『破』はもとより『離』なんてのは自分がそこだと思うのではなく、人がそう感じていただくことでした。だから、今でも自分は『守』の段階だと思っています。

 

基本は変えません。というより、変える必要はないでしょう。ただ、受講者の顔を見て、プラスしてもいいものとそうでないものを見極めるだけです。とにかく愚直にです。

 

だから、MGシニアを受講してすぐに、MGのインストを始められる若手メンバーを見ると、ただただすごいなぁと思います。

 

それを見ても、私はこのスタイルを変えないで続けていきます。ちなみに、MGの期数は今年で1347期(公認分)ですが、インストはおそらく2000期は超えたことでしょう。

 

まだまだゴールには達しませんね。インストを終えて、今でも毎回反省があります。やろうとしてやれなかったこと、その反対も。いけませんね、『愚直に』がまだ不十分。

 

さて、また原点に立ち返っていくとしますか、2019年も。

MGとの出合い前夜のお話

■連載『MG&脳開企業革命』(10)

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親会社には1976年春に入社して、依願退職したのが2008年の春3月末ですから、通算では32年間在籍したことになります。その内新潟・長岡の販社出向期間が16年半。

 

というわけで親会社の本社で過ごした期間は差し引きで15年半、またその内の12年間は開発部(宣伝企画室・マーケティング室)で過ごしたことになります(ただし半年間は兼任期間でした)。

 

1987年の9月にトップの交代があって、直属の上司であった開発部長(玉井義郎氏)が5代目の社長に就任されました。その少し前に話があって、私にも仕事を手伝えとのことでした。

 

つまり配転で、従来の経営企画課と秘書室が一緒になって、新たに経営管理室なる部署が作られ、その室長(課長)に抜擢を受けたのです。ただし、上記のように開発部の室長も半年間は兼任することになりました。Img_5421_251693

 

経営管理室は私を入れてもわずか6人の所帯で、男が2人であと4人は旧秘書室の女性でした。仕事はその秘書室の業務を引き継ぐと共に、新たにマーケティングやマーケットリサーチの仕事も追加されました。

 

要するに社長あるいは取締役会直属のスタッフ部門という位置づけで、会議の資料や各部門の業績管理、出先の支社や営業所、あるいは販売会社の業績管理を命じられました。

 

もっとも、要は月次試算表や財務諸表をストックして、必要に応じて提供する仕事です。ただ新社長からは、新しいミッションとして部門別業績のチェックと評価という課題が与えられました。

 

それは無理というものです、私は全く経営数字が読めないのですから、などとは口が裂けても言えません。早速に何冊か経営(管理)や会計に関する本を買い込み、読み始めましたがとにかくちんぷんかんぷんです。

 

3歩進んで2歩後退ならまだしも、2歩進んで3歩後退なのですから、どうしようもありません。どの本も2030ページ読んだところであとは断念、棚に並ぶだけでした。

 

そんな時でした、MGに出合う機会がやってきたのは。

 

こんなラッキーがあるでしょう、と今になっては思えるのですが、当時はそんなことなど思いもよりません。とにかく会社の命令だから参加するしかないかということだけでした。

 

すでに参加をした人たちから聞くと、なかなか大変な研修だというのです。二度とやりたくないという感想を漏らした人もいましたし、何が面倒って会計の計算が大変なんだと言うばかりです。

 

いささか怖じ気づきました。ただでさえ、自習しようとして挫折しているのですから、この上大変な研修に立ち往生してはどうしようもないなという思いでした。

 

でもついにその日がやってきました、1987919日土曜日。それがまさに運命の日だったのです。

 

次回はなぜ、親会社が西研MGを社員教育として採用するようになったのか、その辺りのことを。

この世に生命を与え給う亡き両親に感謝

昨日は、自身67回目のアニバーサリーでした。

 

毎年1つずつ積み重ねていく歳、考えてみれば積み重ねに比例して向上していければいいのですが、反比例して落ちていくのは体力でしょうか。幸い今年の健診も異常なしでしたが。

 

誕生したのは1951年の12月、大阪市のど真ん中の病院で生まれました。両親が結婚して8年目くらいでした。その間にあの大きな戦争がありました。

 

結婚後しばらくして父は二度目の出征、中国大陸の内蒙古へ、そして戦後はシベリア抑留という悲惨な体験をしたそうです。

 

母は郵便局に勤めて戦中は空襲の中を逃げ回り、戦後はひたすら父の帰国を待つ日々だったそうですが、考えてみれば私の誕生も奇跡と言っていいのでしょう。

 

父の復員帰国から3年目でしたが、予定日よりは1ヶ月以上早産で、体重は1350gという未熟児だったそうです。ダメかも知れないと言われたそうですが、これまた奇跡的でした。

 

戦後の物のない時代でしたし、そんな誕生の状況だったこともあって虚弱児でした。呼吸器、とくに気管支が弱くて少しのことですぐに風邪をひきました。

 

時には喘息の発作が起こり、布団の中では寝られず籐椅子に朝まで身を横たえることも。小学校に上がっても、月に2回は病院通いでした。

 

そのような虚弱児が素晴らしい担任の先生(故人)に出会い、入院時には素晴らしい友を感じ、やがて陸上競技と出合って強靱な体を得るのですから不思議ですね。Photo

 

そんな両親も天国に旅立ち、私自身も父の享年まで視界の見えるところにきました。

 

でも当分は、そちらの世界には行けませんのでごめんなさい。まだまだ、私にはやるべき仕事がいくつもあるようです。ご縁をいただいた方への感謝を込めて。

 

今週末も、今年最後のセミナー遠征。しっかりと締めくくってまいりましょう。

 

メールで、Facebookでお祝いのメッセージをいただいた皆さん、ありがとうございます。心より感謝申し上げます。

 

そしてずっと傍にいてくれる妻に、一番の感謝です。ありがとう。

なぜ元号なのかを知るべきだ

今年も残り3週間、相変わらず巷には『平成最後の』が溢れている。平成という元号が使われるのも、残すところ140日余りになり、新元号がどうなるのか憶測記事もネット上などに散見される。

 

いつ発表されるかの議論も出ており、政府は1ヶ月くらい前を考えているようだが、反対意見、すなわち新天皇が即位の後に発表するようにという声も少なくない。

 

平成の場合には、昭和天皇が崩御されてほとんど間をおかずに発表されたのだが、生前退位の場合はどうするのか、新憲法・新皇室典範の下では前例がないので、そういった議論も巻き起こるのだろう。Photo

 

今の法律では一人の天皇に一つの元号と定められているわけだが、歴史的に見ればそれはほとんど例外的なことだったわけで、それこそ災害や大きな出来事のたびに改元された例が多い。

 

勝手に想像するのは甚だ失礼だろうが、古代いや近世の事例に照らし合わせても、東日本大震災や今年の大水害発生に合わせて瑞祥年号に代えられたのではないだろうか。

 

今年は明治維新150年ということだが、明治天皇の御代は「元号は明治(だけ)だった」と思っている人が多いが、それは正確ではない。

 

しかも慶応に改元されたのは孝明天皇の御代である。孝明天皇が崩御されたのは慶応2年で、新天皇が即位された際にはすぐには改元されなかったのだ。

 

だから、もしかしたら明治天皇ではなくて慶応天皇だったかも知れないし、明治維新ではなく慶応維新と歴史の教科書に記されたかも知れない。新政府樹立という大きな節目なので、改元されたわけだろう。

 

あるいはまた、孝明天皇の御代の元号は「孝明」ではない、「元治」である。元号が諡号とされるようになったのは、明治天皇からだ。それまでの諡号は、元号とは同じではなかった。

 

つまり今盛んに論議されている、検討されている元号は、皇紀2600数十年(神話の時代を含めて)の歴史の中では、全く新しいテーマなのだと言ってよい。

 

日本人なら、こういう歴史の流れを知っておいてほしいと思うが、おそらく現代の歴史あるいは公民と言われる学校教育では、一部を除いてはやられていないのだろう。

 

そういう意味では、歴史教育がないがしろにされていると言っても過言ではないだろう。元号の持つ意味、そして諡号(来年の場合は生前退位なのでまだ先のことになるが)の持つ意味を、知るべきだと思うのだがいかが。

 

元号廃止という意見も少なくない、その方が合理的だという意見に私も反対ではない。しかし、廃止するべきではない。なぜなら、日本人はこれまで元号の元で歴史を刻んできたのだから。

 

元号の意味するところ、その元号がなぜ制定されたのかまでを含めて歴史なのだ。それをいい加減に、あるいはないがしろにすべきではない。「維新」とやらから150年、その前後の歴史を正しく知ることと含めて。

決算書が読めなかった頃

■連載『MG&脳開企業革命』(9)

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親会社の宣伝企画室は商品開発部長の直轄部門でしたが、室長とグラフィックデザイナー2名が嘱託、正社員は先輩のM氏(すぐに転勤されました)と私の2人という陣容でした。

 

仕事は多岐に亘っており、外部の広告会社、企画エージェンシー、デザイナーやカメラマンとの仕事が多く、自社の営業部隊の他に販社や代理店(問屋)からの依頼仕事もかなりありました。

 

2回の本社展示会の他にも各地の展示会があり、当時はメイン工場に専門の大工さんもおられて、大道具などの製作・組立も行っていました。

 

私の仕事はそれらの管理、コーディネイトや企画書などの作成、予算管理も任されました。その他に、カタログ・パンフレットなどのコピーライトや、情報誌の取材・編集などもありました。
 

 

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出張も多く、月の内半分近くは会社にいない月もありました。数年後からは契約タレントを使ったCMやポスターづくりなども始まり、例えばその最初は松本伊代であり、翌年は工藤夕貴であったりしました。(写真は当時のCMフィルムの一コマを借用しました)

 

カメラマンの立木義浩さんとの出会いがあったり、小林亜星さんともお知り合いになれました。もっとも、私の役割はあくまで予算管理やスケジュール調整でしたので、いわば裏方であったわけです。

 

裏方仕事の中で、期をまたぐ費用の振り分けや、展示会などの工作物などをコマ別に10万円未満に納めるとか、訳の分からないうちに脳みそに汗かく事柄もあったようです。

 

ただその頃の私は経理・会計的な知識は全くなく、経理部門から言われるままになぜそうするのかを考えることもなしに、機械的に作業していたようです。パソコンもなく手書き、手計算でよくやったものです。

 

数年毎に広島国税局の税務調査もあり、販促宣伝物あるいは店頭用の提供看板・什器などは目を付けられやすく、調査の間の内1週間くらいは禁足を強いられたりしたものでした。

 

結局、その部署には76年から88年の春まで12年間所属し、その間にマーケティングの仕事も加わって、係長から室長と役職も代わっていきました。部長もK氏からY氏に、そして後に社長となる玉井義郎氏に代わりました。

 

係長になりますと組合員(2年くらい組合役員も務めました)を外れ、自社株を持たされ(持ち株会)、決算書も配られます。しかし当時の私は、全く決算書が読めない人間でした。

 

決算書の1ページ目、営業報告は日本語で書かれていますので読めば分かります。業界動向、その中での自社の位置づけ、そして業績の状況は何とか理解できました。

 

ところがその先がいけません。まず期末貸借対照表(B/S)が超難解でした。一体この項目は、この数字は何を意味しているのか、さっぱり分かりません。雲をつかむような科目と数字の羅列に、目をぱちくりです。

 

次の期間損益計算書(P/L)は、少しだけ分かりました。利益欄に▲がない、つまり赤字でないことだけは何とか分かりました。でもそれだけです。「利益」と名のつく項目が5つもある、それが一体何かは分かりません。

 

といったようなわけで、決算書・財務諸表を見ての感想もなく、ましてやそこから今後何をどうしていけばいいのかなどは、さっぱり見えてくるわけもなく、ゴミ箱の中にポイと捨ててしまいました。

残り3週間をいかに締めくくりに向かうか

先週襲来したこの冬一番の寒波、新潟にも遅い初雪が降りました。それまでが比較的暖かだっただけに、この寒さは身に堪えます。

 

気温の乱高下は今後も各地で続くのだとか、体調を崩しやすい空模様は勘弁してほしいところですが、私などは気温差アレルギーもありますので、要警戒です。

 

そんな中で今年ももうあと3週間、日めくりカレンダーの枚数も少なくなりました。個人事業主としては年度末ですので、決算そして申告の準備も怠りなくといったところです。

 

ややこしい部分は既に差異をチェックして修正しましたので、それほど手間取らないとは思いますが、面倒がないように心がけます。Resize_image

 

年末と言えば忘年会、こちらも残りが少なくなってきています。今年最後の忘年会は、例年通り家内と2人だけの忘年会ですが、ぎりぎりの日になりそうです。

 

何にしても今年1年、無事に終われそうですのでホッとしているところですが、気を抜かずにいかなければです。

 

遠征も今週末・金曜日からの遠征が今年最後、セミナー(CFMG)も今度が最終です。セミナー後は、少しだけ時間を作って「乗り鉄旅」を楽しんで有終の美です。

 

年末年始はゆっくり休めそうですが、年明けは10日には最初のセミナーが決まっています。7月まではほとんどの土日が予定で埋まり、嬉しい悲鳴です。

 

毎週のように遠征が続くという月もありますので、しっかり体作りもしなくては。膝の痛みがひどくならないように、ウエイトダウンとストレッチをがんばります。

 

セミナーに参加いただく方に、いつも最高のコンディションでお目にかかれることをますます心がけます。

 

皆さんも、やり残しのない2018年を締めくくりましょう。

会社の規則・規程が細かすぎるのは

会社の中には様々な規則(ルール)がある。ベースには労働基準法があり、それに則った形で就業規則が定められている。就業規則を受けて、さらに細かい規程がいくつも定められている。

 

時代に合わせてそれらも改廃をされていくわけだが、中にはやたらと細かい規則を定めている会社がある。もちろん必要だからであろうが、中にはがんじがらめのような規則も少なくない。

 

何だか例外的なことが出てくるたびに、付け加えていったような感じがする規則・規程もある。また昨今は、企業のコンプライアンスが叫ばれていて、コンプライアンスをしっかり守るためにさらに細かくなっている事例もある。

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先日もある会社から依頼を受けて、来春からの就業規則変更やそれに伴う細則・規程の変更についてサポート要請があり、訪問してきた。いやぁ、びっくりした、何と規則・規程の多いこと、山盛りって感じであった。

 

昼ごはんが終わっての休憩時間に社員の数人に尋ねてみた。そうしたところ、やはり予想通りという答が返ってきた。まずは規則・規程が多すぎて、よく分からないとのこと。さらに時々変更(追加)されるということ。

 

私から言わせれば、多すぎる規則・規程は「自由度を損なう」ものだし、社員の思考や行動を制限する以外のなにものでもない。もちろん、賃金規程など定めなければならないものもあるが。

 

総じて言うならば、規則・規程を次々に定める会社は企業体質として現状維持的である。何しろ新しい発想や、それに基づく活動をどんどん縛っていくのだから、現状維持的にならざるを得ないだろう。

 

前向きに新しい発想をする社員がいても、規則に照らし合わせて「それは(やっては)ダメだ」とか、そのやり方は「規程にない」からダメだというのである。これでは、現状打破などやろうとしてもできないだろう。

 

さらにくだんの会社でいうと、規則・規程を改めるための会議がやたらと多いのである。なんでも、社員の(みんなの)声を広く聞く為なのだという。アホらしい、要するに「議論封じ」だろう。

 

全員が参加することで、「聞いた」「聞いていない」といったことを防いでいるわけで、さらには全員一致で決めておけば何にも言えなくなるわけだ。どうせ、トップのあらかじめ決めている通りになるのだから。

 

私は感じたことを、社長と総務担当の取締役に表現は柔らかくして申し上げたが、どうも通じている様子はなかった。社員のためにならないなぁと思いつつ、それ以上は私が言うべきことでもないのでやめた。

 

ただ最後にこう言い残して会社を出た。「規則や規程も大事ですが、社員の皆さんのやる気を削ぐようなことだけは避けて下さい。」と。

 

多分、ダメだろうなぁ、ふうっ。

MTを使わないのはもったいないぜ

今週5日は「MUG(マグ)ゆきぐに」の例会だった。MUGとは「マイツール・ユーザーズ・グループ」の略で、MT(マイツール)というソフトを使う仲間のサークルだ。

 

MUG
の歴史は古い。MT(最初はリコーのSP-250、その後MR.マイツール)が生まれた直後に誕生だから、もう30数年経過していることにある。

 

しかし、マイツールという簡易言語型・リレーショナル・データベースソフトはすでにリコーのフォローがなくなり、一時期フリーソフトになったものの、すでにベクターのリストからも外れている。

 

そんなわけで、今や絶滅危惧種のソフトなのだが、MGをやっているメンバーを中心にたくさんの活用者がいる。新潟では新たにMGを学ぶ人たちの中から、MTを使おうという人が少しずつ増えてきている。

 

MUGゆきぐには30年くらい前に立ち上がったMUG柏崎をベースに、新潟県内の他のMUGも加わって、現在も例会・勉強会を軸に活動している。

 

私は1990年に長岡にやってきたが、その年の内にMUG長岡を立ち上げ、後に合流する形になった。現在は事実上県内で唯一のMUGだが、少しずつ新しいメンバーも増えている。

 

今週は今年最後の例会(勉強会)で、新たに参加された方も顔を見せていた。

MGを体験された方はぜひMT(マイツール)をやってほしい、それがMG開発者の西先生の言葉ではあるが、想像ではあるがおそらく10数人に一人くらいだろう、マイツールに進まれるのは。Photo

 

私自身はMGを始めて、1年を待たずしてMTを使い始め、それから30年を超えて使い続けている。なぜかって聞かれることも多いが、「使えるから」としか言いようがない。

 

30年余使い続けてきて、「これがやりたい」あるいは「こんなことができるか」と思ったことの、100%ができている。つまりできなかったことはないということだ。そんなPCソフトってあるか?

 

だから、MGをやったのにMTをやらない人(大多数なのだが)がいると、もったいないなぁと思うわけだ。でも、口で言ったところで分からないだろうと思うので、「使え」とはいえない。ただもったいないなぁ。

 

そんなこと(マイツールでできること)はエクセルでもできますよね、と言われることが多い。否定はしない、きっとできるのだろう。でも、たぶんエクセルでは「思い通りに」できないことも多いのだろうなと思っている。

 

だからこそもったいないと思うわけだ。そこに、経営をあるいは仕事を革命的に変えるチャンスがあるのに、それを手にしないなんてもったいないですよね。

 

MTでやる仕事は①日程(スケジュール)管理、②顧客管理(住所録)、③経営管理の三つが主だ。西先生は日程管理が8割だといわれる。私も、たぶんMT活用の5割はそれだなと思っている。

 

MGをやったのにMTを使わない、それは変化への対応機会を自ら放棄してしまうことだと思っているくらいだ。MGをやったあなた、それでもMTをやりませんか。

新しい仕事は宣伝企画室

■連載『MG&脳開企業革命』(8)

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1976年の正月、私が仮住まいしていたYH(ユースホステル)の所有者であった、財団の新年互礼会が開催されました。私は理事でも監事でもありませんでしたが、若手のヘルパー代表として出席しました。

 

そこで出会ったのがS氏でした。名前は知っていましたし、チラリと姿を見たこともありましたが、同席して身近にという機会は初めてのことでした。お年は召しておられましたが、古武士然とされた堂々の紳士でした。

 

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お世話になっていたYHのペアレントのN氏から、再就職を勧められており、S氏が社長(3代目)を務められていたテイコク()ではどうか、社長と面接してみてはということでもありました。

 

実はテイコク()=以下親会社と称します=では、すでにその年の学卒者採用が決定しており、中途採用をしてくれるかどうかは分からない状況でした。

 

S社長とのその時の面談は、ごく短いものでした。ですが、N氏を通じて「一度会社に面接に来るように」との報せを受け取りました。一応書いておかねばと、履歴書の用紙を買いに行き、顔写真も撮ってもらいました。

 

面接は社長とではなく、M副社長と人事課長が会ってくれました。副社長は創業者の養子(奥様共に両養子)に当たる方で、開発部門を統括されておられました。

 

実は、私は当時親会社のことを、どんな仕事をしているのが業種業態も余りよくは知らず、会社のパンフレットを見て初めて『トンボ学生服』のメーカーであることを知りました。

 

玄関に掲げられていた経営理念「テイコクの心は学生の心」というのが、ようやく腑に落ちました。そんな私を、親会社は補欠というわけでもなく、追加中途採用という位置づけで社員としてくれました。

 

中途採用でしたが、研修は新学卒者と一緒でした。新卒採用は4名(他に高卒者10数名)、彼らは約1ヶ月間の現場実習や派遣研修を含む研修がありましたが、私は4日目に現場に配属されました。

 

新任部署は副社長が統括されている商品開発部で、宣伝企画室担当でした。部長はK氏、かつて営業の第一線でならし、業界でも遣り手と言われ辣腕をふるわれた方でした。

 

K部長は小柄でしたが全身に迫力をみなぎらせた方でしたが、社内での派閥争いに敗れたという噂を耳にしていました。その部長から与えられた最初の仕事は、何と「たい焼き(部員のおやつ)を買ってくること」でした。

 

宣伝企画室は、グラフィックデザイナーで嘱託の室長、そのデザインスクールの弟子とも言えるデザイナー夫妻、そして営業から配転の先輩社員という小さな所帯です。

 

宣伝や販売促進の業務、CMやポスター、カタログ、DMやチラシといった販促ツールの制作全般、あるいは展示会の企画と運営などを担当しているほか、店舗設計レイアウトなどもやっていました。

 

かつて社内報をやっていたこともあり、私はまず毎月発行の情報誌を任されました。全国各地のSHOP訪問記事も担当しましたので、毎月取材に出かけました。モデル撮影などは、ほとんど東京で行いました。

 

そういうことで、門前の小僧でグラフィックデザインを習得、カタログやDMなどのコピーライトも任されました。腰掛けくらいに考えていましたが、結局通算で32年間その会社にお世話になる結果となりました。

歴史は面白いという視点を大切に

「歴史に学べ」とか「歴史に学ぶことはいいことだ」と、言われるエラい人が少なくない。感じるのは、うがった見方かも知れないが『上から目線』だ。

 

そのようなことを書かれている評論などもたくさんある、1冊の本にされているのも見かける。私も何冊かを手に取って読んだ。共感する部分もあったが、時には反発も感じた。

 
もちろん、私も歴史から学ぶことは大事だと思っている。これから未来に向けての示唆にもなるとも、現在の迷いを解決する手段の一つだと考えてもいる。

 
歴史は「人」が作ったというか、人が行動することによって生まれたものだから、学ぶ価値は大いにある。その時の環境・条件の中で、誰がどう動いたかを知ることは有意義だろう。

 
全く同じ環境・条件であることはないにしても、似たような環境・条件は自分の目の前に現れることがある。その時の参考にはなるはずだ。

 
つまり私の思う「歴史に学ぶ」とは、人間の行動を学ぶことに尽きるわけで、人間(学)を学ぶということに他ならない。

 
上から目線の方々が言うところの「歴史に学ぶ」ことについて考えてみると、二つの問題がある。

 
一つ目は、学ぶ対象が歴史に名を残す人物、さらにいえば時代を作った英傑と呼ばれている人物から学べと言っていることだ。

 
もちろん、無名の人は歴史に名を残さないので、学びようがないということもある。だが、そういう英傑だけを取り上げていいのか。まぁ、中には「失敗に学ぶ」視点もあるようだが。

 
戦国時代でいえば3人の天下人、幕末で言えば3英傑といったところか。それもいいのだが、表の部分だけを取り上げて良いのかということも感じる。Ct0o6gb0_400x400

 
すなわち二つ目の問題、果たしてその歴史は正しいのかということである。歴史はその時の為政者たちによって、都合のいいように歪められているということだ。

 
そこのところをしっかり見ておかないと、誤った認識をしてしまう。脳力開発で学ぶところの両面思考、あるいは多角度思考が大切だ。

 
私も自分のセミナー・脳力開発講座で歴史の人物を取り上げて講義をするが、その視点だけは忘れないようにしている。

 
よって、様々な角度の本を読んで自分なりの考えをまとめている。最近も織田信長に関する、つまり桶狭間の戦いを中心とした「否定的な」内容の本を読んだ。

 
それによっていくつか修正が必要と感じたポイントもある。しかしそれは部分であって、全体を左右するものではないとも思った。

 
明治維新と呼ばれる歴史についても、両方の見解を記した本をたくさん読んできた。ネット情報も数多く拝見した。これからもそうしていくつもりだ。

 
100%正しくということは不可能だろうが、少しでも『真実』に近づけることを目指そう。それには、確定的事実は何かをしっかりととらえることだろう。

 
感情的な思い入れや、無条件の絶賛だけは避けようとも思う。ハッキリ言えることは、「歴史は面白い」ということだ。

父の脳梗塞と自身の病

■連載『MG&脳開企業革命』(7)

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大学を出て就職したのが1974年の春、その1年後に父親が突然倒れました。前年の秋に神戸市北区に新しい家を建てて、両親と高校生だった弟が転居、私は私物のみが新しい家に移ったことになります。

 

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そんな早春を待つある日、突然の電話で父が倒れたことを知りました。父は当時の電電公社に勤めていたわけですが、その年の7月に定年退職を迎えるはずでした。

花とくにバラの花が好きだった父は、新居の庭造りを休みごとに一人でやっていたようで、ちょうど小さな池を完成させて何匹かの鯉を放したところだったようです。原因は脳梗塞。

すぐに休暇を取って戻りましたが、入院して意識がほとんどない状態でした。幸い意識は戻りましたが、右半身が動かず、言葉もよくしゃべれない状態になり、治る見込みは薄いと言われました。

退院まで数ヶ月、休暇を取ったまま退職日を迎えました。弟は大学に受かっていましたが、母一人では当面心許ないということで入学早々に休学してくれることになりました。

本来なら私がなんとかすべきかとも思いましたが、20歳で実質的に家を出てしまっていましたから、弟には申し訳ないがと頭を下げました。名古屋に戻ってしばらくして意識も戻りました。

麻痺が残りましたので、程なく有馬の温泉病院に転院したようです。もっとも、この時点では私の方も、体の変調がかなりひどくなっていました。ぶり返したのです、喘息の症状が。

治っていたはずでした、少なくとも岡山時代は症状が出ることはほとんどありませんでした。ところが名古屋にやってきてから、「木曽川の水」が合わなかったのか、時おり軽い喘息症状が出始めたのでした。

それがひどくなったのは1975年の春先からで、吸入剤をいただいてようやく事なきを得る状態でしたが、それも頻繁に使うと効かなくなります。それに父のことや、仕事のストレスとかが影響したのでしょう。

梅雨頃からは欠勤することも何度かあり、自分でも限界かなと感じるようになりましたので、人事教育課長に退職の申し出をしました。高校の大先輩でもあった労務部長からも慰留されましたが、体調のことでしたから。

結局9月10日付で、たった1年半の住友生活を終えました。大した荷物はありません、一番高価なサイクルバイクは、大阪の後輩が引き取りに来て譲りました。学生の頃から愛用していた自転車でした。Yh


神戸の実家に戻るのもためらわれ(何しろ父が入院中ですから)、岡山のYHに戻ることにしました。ペアレントのNさんも温かく受け容れてくれ、またヘルパー生活に戻ったわけです。

夏のボーナスと微々たる退職金が手元にあるだけでしたが、Nさんの好意で僅かですがバイト料も受け取ることになりました。そして不思議なことに岡山に戻ると、喘息症状がすっかり出なくなっていました。

こうしてYH生活に戻って数ヶ月、その間東北や九州を旅したりして過ごしましたが、翌年の正月に運命的な出会いを迎えるのです。それがYHの親元である財団の理事長でした。

「平成最後に」に思うこと徒然に

土日のセミナー(新潟ECグループMG)が終わり、今年のセミナーインストも残すところあと一つ(神戸キャッシュフローMGセミナー)になりました。

 

それを含めて今年は30回のインストを務めましたが、ワンデーMGも含まれていますから「インスト期数」でいうと140期ちょっとですね。

 

自分が参加したMGセミナーは47期の受講、両方合わせて200期には少し及ばないことになりますが、これだけ多くに関われたことは、幸せな1年ということになります。

 

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そんな中で感じていることは、若い人たちが増えてきているなということ。今回土日のMGも、平均年齢は(計算していませんが)かなり若かったと思います。

 

特にEC(Eコマース=ネット販売)などでは、若くして起業された方が多いようです。上手に事業継承の進む会社の、若手経営者あるいは後継者も見かけます。

 

ただ後者の方はまだまだ少ない印象です。さらに少なく感じるのは、いわゆる「専門家」と呼ばれる人たち、例えば税理士、公認会計士、中小企業診断士。

 

MGの中で深く学べとは申しませんが、少なくとも1回くらいは「どんなものか」と興味を持ってほしいなと思います。そこから先は自身で考えられることですから。

 

振り返ってみれば、MGに出会ったのが1987年、MGが世に公開されて31年目という頃でした。開発者の西(順一郎)先生との出会いが翌年の1月。

 

思えば昭和の最終局面でMGと出会い、平成の時代をMGと共に走ってきたとも言えます。実際に企業経営者として、学んだことの実践の場を与えていただきました。

 

今やちまたでは「平成最後の・・・」が溢れ始めていますが、独立創業を含め、自分の人生の最も充実部分は平成年代だったなと感じています。

 

間もなくまた一つ歳を重ねて67歳を迎えますが、師の西先生が80歳を超えてなお現役で全国を回られている姿を見れば、ここで引っ込んでいる訳にもいきませんね。

 

追いつくことは不可能ですが、私は私なりの道を拓いて進んでいこうと、決意を新たに。

 

2019年も共に学んで参りましょう、氣愛を込めて。

新潟ECグループMGセミナー開催

12月のスタートは、新潟のEC(ネット販売)グループのMGセミナーから。何でも今回が第2回目の開催とか、前回は秋でインストは九州の「悪代官」こと四ヶ所さん。

 

今回は19名(4卓)の参加、ECグループMGのメンバー以外にも、地元の方が参加して下さって、まさに「芋洗い」研修が見事に実現されています。

 

MGに初めてチャレンジされる方も5人くらい、あとも2回目の方も多いです。外部参加の方は100期超えの方が数人というわけで、なかなか好いバランスです。

 

またECグループには若手も多く、裾野も広いのでこれからがますます楽しみです。昨夜の交流会も大いに盛り上がり、「これからも続ける」という声が圧倒的でした。

 

いずれにしてもこの機運をムダにしないように、そしてMG効果が現れると共に、周囲にも相乗効果が出てくるように願わずにはおられません。

 

かつてはとにかく売上(PQ)だけ上げればいいという傾向もありましたが、MGを学ぶことによって視点が変わってきているとか。

 

すでに効果の現れている事例も少なくないので、ますます面白くなりそうです。

 

それではこれから2日目のプログラムがスタートします。

 

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参加者の向こうに会社を見据える

今日から師走、今年も334日間が過ぎ去ってカウントダウンの季節になりました。私にとっても年度末の1ヶ月、最終着地の姿を頭に描きながらの毎日です。

 

そんな12月の始まりですが、朝から荒れた空模様。時々雨が降ってきたり、遠くで雷鳴(雪起こしかな)が聞こえたり、そして木枯らしが唸っています。

 

エルニーニョ現象とかで、この冬は比較的暖かいなんていっていますが、さて本番はどうなるのでしょう。暖冬の年でも豪雪になることもあるらしいですからね。

 

さて、この師走のスタートは新潟市内でのMGセミナーから。以前は本拠地が長岡でしたから、現在お膝元の新潟市内でMGを開催するのは久しぶりなのです。

 

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しかも前回はワンデーMGでしたので、いわば初開催と言ってもいいのです。小さなきっかけ、ご縁から開催が決まりました。参加者の多くが地元のECグループメンバーです。

 

若い方が多いことも特長、もちろん今回が初MGの方も何人かいらっしゃるようです。そこにベテランの方も何人か混じっての「芋洗い」研修、大いに楽しみです。

 

私自身のMGインストも今回で今年29セミナー目、あと神戸でのCFMGが残っていますので合わせて30回のインストをさせていただくことになります。(写真は私がMGを続けるきっかけとなった表彰状と今年6月の後藤昌幸さんとの再会)

 

1988年に当時の会社内でのMGインストを始めてから30年、公開セミナーでのインストを始めて20年、独立してから11年、年間30回は初めてですね。

 

インストすることで私自身が学びを深めていることに、感謝しながらやっています。正直言って、私自身が一番学んでいるのかなといつも感じています。

 

初めてのMGシニア(1988年)の時に、西順一郎先生が「MGは、MGというゲームを活用した企業コンサルティング。参加者の向こうに会社を見据えてやること」と言われました。

 

その言葉が、30年経ってようやく腑に落ちた感じがします。それは公開セミナーでも、企業内研修でも同じことです。

 

では今日もしっかり氣愛を入れていきますか。

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