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2018年11月27日 (火)

住友の一員になりました

■連載『MG&脳開企業革命』(5)

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1972年の夏頃(大学3年次)からは、下宿はそのままで、岡山市内のユースホステル(YH)岡山県青年会館で過ごす時間が増えてきました。

 

夏休み中の大半はヘルパー(ボランティア)として過ごしました。毎晩のミーティングでは、自分で言うのも何ですが人気者になり、愛称までつけて呼んでいただきました。私を目当てにやってくるホステラーもいたとか。

 

そうなったきっかけは、前回も書きましたが前ペアレントの死でした。私との関わりは薄かったのですが、YH内での仲間との交流の中で、その存在の大きさを感じ、その方の心に寄り添ってみたいと思ったのです。

 

結局、神戸市内の下宿は翌春を待たずに契約を打ち切って、YHの中で生活することになりました。つまり常駐のヘルパーになったわけです。その春には、現在の妻との出会いもありました。

 

大学4年次は、ほとんどの履修単位は取れていましたので、卒業までに必要なのはゼミの単位ともう1科目くらいになっていました。ゼミも月に1回くらい出てレポート指導をいただけばよかったのです。

 

そんなわけで、YHの中で出会いや仲間との交流を通じて、あるいは時間を見つけて旅をすることでの学びが多かったわけですが、学生の本分としてもう少し学部で学んでおけばという反省もあります。

 

隣接して経営学部と経済学部がありましたから、特に前者について希望履修を申し込めば、もしかしたら経営や会計に関するもっと深い学びができたのかも知れません。

 

それとは別に、卒業を控えて就職をどうしようかという課題が目の前にありました。親は(父親が公社員でしたので)公務員などになってほしいと、願っていたようです。しかしその気は全くありませんでした。

 

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一般の企業に勤めたいと思っていましたが、3月末までほとんど就職のための活動はやっていませんでした。心配した義理の従兄が、自分の会社(重役でした)に入らないかといってくれましたが、縁故というのもなぁと断りました。

 

それでも周りがどんどん就職を決めたという話を聞くと、さすがに焦ってきます。5月の連休を過ぎて、YHの仕事も暇な時期になりましたので、ようやく重い腰を上げて会社訪問を行いました。

 

まだ就職可能な会社をというような情報は、そのころはネットなどもないので分からず、目星を付けた何社かを3日くらいで回りました。その結果、3社から内定電話や通知をいただくことができました。

 

その中で、最初に電話をくれた会社である、住友軽金属に就職を決めたわけです。本社機能は既に東京に移転していましたが、発祥地でメインである名古屋製造所に43人の同期仲間が集結して、社会人1年生がスタート。

 

3ヶ月間の新人研修があり、その内1ヶ月は工場で4直3交代勤務も体験、6月に労務部人事教育課に実習生として配属されました。最初の仕事は毎月発行の社内報編集、取材も任されました。

 

またワーカー教育にも関わることになりましたが、現在の仕事が人材教育であることを思うと、運命はその道につながっていたのかと感じてしまいます。

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