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2018年11月23日 (金)

人との出会いの縁は奇なものなり

■連載『MG&脳開企業革命』(4) 

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大学時代のこと、それほどとりたててお話しする話題があるわけではありません。ただ、今につながる小さなご縁があったわけで、そこに触れないわけにはいかないでしょう。

 

70年安保の学生運動真っ只中であったことで、前期の授業は半分も開かれないままに終了。履修した科目はとりあえず取りこぼしもなく後期に突入、ここから本来の学生生活でした。

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当初は高槻市の自宅から神戸(六甲)まで通っていました。バスからの乗り換えが便利で、乗換も1回で済む国鉄を選択しました。当時は快速電車がまだ六甲道駅には停まらず、芦屋駅で乗換。

 

六甲道駅からは教養部のある鶴甲(つるかぶと)へはバスで。何しろ山に向かっての登り道ですので。ただ、親から交通費を「借金」しての学生生活でしたので、数ヶ月で歩きに変更しました。

 

家からは、入学時の入学金と4年間分の授業料を渡されただけで、「後は自分で」やるように言われました。そこでバイトとして家庭教師の口を見つけたり、それではとても足りないので稼ぎ口を探しました。

 

それがパチンコ、六甲道駅前のパチンコ屋で稼ごうと思い、1ヶ月間は投資してデータを集め、それを大学ノートに記入して分析し、2ヶ月目から「回収」に取りかかりました。これで何とか交通費と食事代は稼げました。

 

しかし、通学時間(片道1時間半以上)がもったいないので、下宿を探して2年生になった頃からそちらに移りました。港の見える斜面の大きな下宿屋、しかも南側に張り出した4畳の小さな長細い部屋でした。

 

残念ながらその家は、阪神大震災で大きな被害を受けて取り壊されてしまいました。阪急電車の沿線でしたが、駅と駅の中間くらいの位置、大学までは2km以上歩いて坂道の上り下りでした。

 

ところがその下宿に落ち着いていたのは1年ほどで、鉄道研究会の仲間と旅に出たり、その中で体験したユースホステル(YH)に興味を持ってひとり旅をし、ついにとあるユースホステルに出会うことになります。

 

それが岡山市内にあったYH岡山県青年会館、古い建物でかつてある宗教施設の建物だったものを移築し、増築した定員60名余り、詰め込めば100名くらい泊まれるYHでした。

 

初めて泊まったのが1972年の冬、新幹線が岡山まで開業する直前でした。出会ったスタッフの温かさに感激し、そして病床にあった館長(ペアレント)のN氏との出会いがありました。そして5月、N氏の病死と葬儀。

 

自然な形で、私自身もYHを支えるスタッフ(ヘルパー)の一人になっていました。そしてこのご縁が、やがて仕事につながり、さらには現在につながっていくとは、さすがにこの時には分かるはずもありませんでした。

 

人との出会い、その不思議なつながりを今も強く感じます。

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