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2018年11月16日 (金)

順調満帆(?)な生い立ちを振り返る

連載ブログの2回目、少し私の自己紹介をさせていただきます。

 

私は大阪生まれの大阪育ちです。生まれたのは大阪のど真ん中、天王寺区の烏ヶ辻町、最寄りの駅は大阪環状線(当時は城東線)の桃谷駅。大阪逓信病院で産声を上げました。

 

亡くなった父が出征して内蒙古で終戦、戦後はシベリア抑留となり帰国し母の元に戻ったのが昭和23年、その最初の子として昭和26年に生まれました。予定日より40日早く、かなりの未熟児だったそうです。

 

それでも無事に退院できて、大阪市旭区今市町にあった電電公社の社宅に戻って来ました。近くに淀川があり、また大通りには大阪市電が走っていました。産土神社は近くの大宮神社、今でも時々お参りをしています。

 

この地から、幼稚園に進む前に東淀川区の十三(にあった社宅)に転居、4月から仏教系の幼稚園に上がります。ここで、小学校と中学校を卒業することになります。

 

そして高校も同地にあった(中学校とは道路を挟んで向かい側)府立高校に進学しますが、自宅はその春に新築された新居に移り、バスと電車通学が始まります。

 

Photo

新居は大阪と京都の中間である高槻市に位置し、国鉄の高槻駅から北へバスで15分ばかり走った山の斜面に開発された大きな住宅団地の中でした。家族は両親と5歳下の弟の4人家族、弟と共同の部屋が与えられました。

 

そこから高校まではバスと電車(国電)を乗り継いで、前後の徒歩を含めて1時間半近くかかりました。並行する阪急電車を利用すればもう少し時間はかからないのですが、始発電車に座れる国鉄を選びました。(写真は高校・旧校舎に残る戦時中の機銃掃射跡)

 

クラブ活動もやっていましたので、朝は5時過ぎに起き6時過ぎに家を出て、クラブ活動を終えて帰宅するのは夜の7時半から8時前でした。

 

3年生になってからは時間短縮ということで阪急電車通学に変更、駅から学校までは繁華街・十三を通り抜けて行くことになります(小学校時代も繁華街をかすめていましたが)。

 

有数の進学校でしたが、受験勉強を始めたのは12月頃から(11月下旬に開催された大阪高校駅伝大会に出場)、それでもなんとか神戸大学(法学部)に現役合格できました。

 

ここまでは、小学校までは体の弱かったこと(5年生で呼吸器の病気で入院)を除けば、まずは順調な人生を歩んできたのだと思います。また、現在までつづく『鉄道趣味』は、就学前から始まっていました。

 

楽観的というか、なんとかなるさという考え方も、大学進学までの18年間で身についたものかも知れません。波瀾万丈でもなかったわけですが、それが一転して大きく変わっていくのでした。

 

ちなみに、現在も関西弁のイントネーションは直りませんし、セミナーでは大阪弁を多用する方がしゃべりやすいのは、こういう生い立ちが背景となっていることを付け加えておきます。

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