無料ブログはココログ

« 意思決定を迷ったら「やる」べし | トップページ | 第15回うかいMG(キャッシュフロー)開催ちう »

2018年11月10日 (土)

「おはぎといも」が歴史をねじ曲げた

「おはぎといも」、何のことかお分かりでしょうか?

 

今正に明治維新150年、大がかりなイベントこそ余り伝わっては来ませんが、地域によってはかなり盛大に祝っているところもあるようです。そう、お「はぎ」と「いも」のところなどでは。

 

おはぎは萩藩、すなわち防長州毛利家であり、いもとは薩摩島津家です。このはぎといもとが、明治維新というすごいことをやってのけたと、歴史の教科書にもハッキリと記してあります。

 

徳川幕府、徳川宗家はこの「はぎといも」に負けたことになるわけですが、歴史の事実を見ていけばどちらに「理」があるのか意見は分かれますが、私は『教科書通り』ではないだろうと感じています。

 

徳川慶喜が大政を奉還したのは事実であるわけですし、慶喜の目的が奈辺にあったかは別として、大政奉還時点で「討幕」の密勅を用意していたものの、それが偽勅であったことも明らかな事実です。

 

朝廷の反幕派公家たちや「はぎといも」の中の一部、例えば西郷や大久保、木戸たちは焦ったでしょうね。慶喜の巻き返しに遭うことは容易に想像できたでしょう。

 

しかも慶喜の目指していたものは、有力公家や大名による合議制であり、それは後に五箇条の御誓文につながる、「万機公論に決すべし」につながることなのですから。

 

慶喜はその合議政体をリードする立場、名称としては「統領」あるいは「議長」あたりを意思していたと思われます。孝明天皇も崩御前にはどうやらそういう形、あるいは慶喜そのものを支持していたようです。

Photo

ところが実際の歴史は、異なる形で進みました。まさに、逆転サヨナラホームランと言えばかっこいいですが、どちらかと言えば「だまし討ち」でした。そして見事に、慶喜が期待していた「はしご」を外してしまいました。

 

それが「王政復古の大号令」なるもの。明治天皇の勅ではありますが、その御年齢から推察するに、天皇自ら勅の内容を考えられたとは思えません。まさに、討幕を意図する側のクーデターだったわけです。

 

しかし、教科書にはクーデターだとは記されません。なぜなら形だけでも実権を握った側による「仕掛け」なのですから。ここで慶喜が毅然として腹をくくれば、とは歴史のイフにしか過ぎませんね。

 

しかし、これで一巻の終わりとはいかなかったわけで、慶喜は辞官納地に全く応じなかったわけですし、しかも在日諸外国は幕府に外交権がなおあることを認めています。

 

そこで、討幕側は「血を見なければ収まらない」ということで、鳥羽伏見の戦いを仕掛けていき、幕軍はその挑発にむざむざと乗ってしまった。それが維新と言われるクーデターの真相ではないか。

 

といったことを、なぜ歴史教育として教えないのか。答は簡単明瞭、「はぎといも」が政権を奪取したからだ。政権側が、事実とは異なる歴史をねつ造することは、ほとんど全ての国がやっていることだ。

 

その血祭りの直接犠牲になったのが、越後長岡であり、二本松や会津であり、そして蝦夷共和国だった。事実が語られなければ、それらの犠牲者は永遠に浮かばれまい。

« 意思決定を迷ったら「やる」べし | トップページ | 第15回うかいMG(キャッシュフロー)開催ちう »

歴史へのアプローチ(歴史私見)」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「おはぎといも」が歴史をねじ曲げた:

« 意思決定を迷ったら「やる」べし | トップページ | 第15回うかいMG(キャッシュフロー)開催ちう »

2022年2月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28