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2018年11月30日 (金)

もしかしたら山形県酒田市へ

■連載『MG&脳開企業革命』(6)

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人事教育課への配属は、「人と関わる仕事をしたい」という希望が通ったわけですが、任された仕事は社内報の編集・発行が主でした。当時は毎月発行で、表紙はカラーでページ数も多く充実していました。

 

ところが1973年の第1次オイルショックの影響がじわじわ出てきていて、秋頃からレイオフが始まり、週休3日とか4日の変則シフトが導入されると共に、労務部は公的補助金を受け取るための書類づくりが多忙を極めました。

 

工場は基本として止められないので、交代勤務を維持しながら個人の休みを増やしていくわけで、班の定員を維持しつつ、止めうる機械は止め、必要な機械だけは24時間稼働を続けていました。

 

労務部員も同様に出勤日が減るのですが、仕事の量は同じどころかレイオフ関連の業務が増えて大変でした。毎日のように遅くまでの残業を強いられるとともに社内報の見直しも始まりました。

 

まずページ数が減らされ、次には表紙もカラーからモノクロに変更、さらに毎月発行から隔月発行になることが検討されることになりました。余力時間は、他部門他部署の手伝いに回されたわけです。

 

とはいえ、翌春入社予定の人数は今さら変更ができず、確か学卒は我々より多い60人くらい、高卒ワーカーも確か300人近く採用していたように記憶しています。そのワーカー教育の企画を任されることになりました。

 

23歳の時ですが、これが今につながる人材教育の嚆矢となるわけです。独自のカリキュラムを工夫して作ってみたり、YH時代にやっていたゲームをアレンジしたプログラムを作ったりしました。

 

その内に、新たな状況変化が起こり始めていました。それが、「アルミの一貫生産体制」プロジェクトで、もちろん私が入社する以前から推進されていたものです。

 

住友軽金属はいわゆる一次加工メーカーで、製錬会社から購入するアルミのインゴットを溶かし、それを延べ板や管あるいは形材に加工して二次加工メーカーに売ることを行としていました。

 

アルミインゴットは原料のボーキサイトから作りますが、それらは全て輸入品でした。そこで製錬工場を建設して、国内一貫生産体制を目指すというものでした。

Sakata

住軽アルミニウム工業が別会社で設立され、山形県の酒田市に工場建設が始まり、それが完成に近づいていました。電気の塊と言われるアルミですので、火力発電所もまた別会社で傍に造られました。

 

社内報の担当者として、社長や担当重役にインタビュー取材をしましたし、酒田に取材にも出かけました。特集号を組んだこともありました。

 

しかし結論から言うとこのプロジェクトは失敗に終わり、別会社は解散、工場も取り壊され酒田共同火力発電所だけが海岸沿いの広大な敷地に残っています。要するに高すぎる電力に、採算が取れなかったのです。

 

その裏に、住軽金の本家会社である住友金属(現新日鐵住金=住友グループから離脱)と、住友化学とのトップ同士の熾烈な主導権争いがあったことは、後々に知りました。

 

それよりも問題は、私がもしかしたら酒田に「出向」になるかも知れないということでした。

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