« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »

利害打算を超えたところに

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中

<連載コラム(85)>
 
 他人の利益といっても、いつでも自分の利益のための手段としてのみ意識されている状態では、結局のところ「自分だけ良しの姿勢」が土台となってしまい、それ故に最も高い水準の脳力発揮にはつながらないことになります。

 
 ことわざに『情けは人のためならず』というのがありますが、回り回って自分に返ってくるのだとしても、最初からそれを期待してやるのではないということです。

 
 それこそ、自分には返ってこないとしても、あくまで結果に過ぎませんから。もしかしたら、自分の子や孫にかえってくるのかも、という考えもあるようです。

 
 最も高い水準の脳力とは、周囲からの利害計算抜きの援助や協力というものを、どれだけ結集できるかという点に、示されてくると行って佳いでしょう。

 
 ですから、利害打算を超えたところの思いやりとか、誠意、愛、慈悲といった高度の感情を伴う、根本の姿勢が不可欠です。

 
 MG
の「互恵力」も、見え見えのものではないはずです。相手に利益を落とす、売れるチャンスなのにわざとスルーする、それが有利な材料仕入のためだとしても、それが自然の流れなら佳いではないですか。

 
 材料仕入のチャンスであっても、今やるべきは完成投入なのでそれに従えば、隣の方は素直に感謝の気持ちを持つでしょう。

 
 時にがむしゃらに材料仕入に走っても、そのことを誰も非難はしないはずです。MGは、あなたの水準を見せてくれる場なのかもしれません。

20180708_cfmg9

心のこもらない謝罪会見なんてやるな!

多くのというよりほとんどの中央官庁が、障害者雇用の水増しを白昼堂々と行っていたことが、今頃になって明らかになった。なんとその水増し数は、3460人(201761日現在)にも上る。

 

国の33機関のうち27機関で行われていたというから、全体の8割を超えるわけだ。公的機関における法定雇用率は23%だから、差し引きで3396人が必要数より不足していたことになる。

 

そうなると障害者雇用率は119%にまで落ち込む。省庁別の不足人数は国税庁の946人が最多で、次いで国土交通省(6595人)、法務省と続いている。

 

中央官庁がそうなら、当然ながら地方官庁まで右へ習へであろうから、これからどんどん芋ずる式に実態が明らかになっていくだろう。水増しの仕方もいろいろだが、当然省庁間で情報のやりとりがあったに違いない。

 

障害者手帳や医師の診断書をキチンと見ていなかった、つまり自己申告での採用はまだしも、ガンや心臓疾患、その他の持病についても障害者として雇い入れた例もある。

 

それがダメだという認識がなかったとしたら、それも当然にあきれてものが言えない部類だが、どうもダメだと認識していて雇用したと疑われても仕方の無い事例が目立つ。

 

こういうことが何年もずっと見逃されたままであったということもそうだが、それによって多くの障害者が雇用の場を失ったという事実も、決して許されるべきではない。

 

官公庁がこんな目の粗すぎるザルになっているのに反して、民間は厳しく見張られている。法定雇用率は、常用雇用者がいる事業所では、今年の4月から20%が22%に引き上げられた。

 

つまり46人以上の常用雇用者がいる企業は、1人以上の障害者雇用が義務づけられている。しかも、民間企業にはペナルティが科せられる。法定雇用数に達しない場合、不足する人数一人につき月額5万円だ。

 

国や地方公共団体も、今年の4月から25%に引き上げられたわけだが、このようなていたらくではとても達成はできまい。達成できなくても、官公庁役所にはペナルティは課されない。

 

しかし未達成という状態、しかもこれまで誤魔化しをしてきた状況では、民間企業に対し大手を振って「指導する」ことなどできようもないだろう。どの面下げて、と面罵されても文句は言えまい。

 

私の知っている多くの企業は、そのほとんど全部は中小企業だが、いずれも法定雇用数を大きく超えた人数の障害者雇用を行っている。中には、障害者が重度の障害者も含めて半数を超えるようなところもある。Photo

 

そんな会社の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。今日一日は大臣たちのお詫び、遺憾会見がひっきりなしだったが、その謝罪会見を聞いていても、ちっとも心がこもっていない。ただ原稿を棒読みの大臣もいた。

 

全く反省がないようにも感じた。とくに相変わらずの発言をやっちまったのは、口のゆがんだ財務大臣だった。申し訳ないという感覚は、あの人にはねぇんだろうな。

 

実は民間でも未達成企業は半数近い、中には納付金を納めればそれで良しという経営者もいるようだ。だが、それを上回るひどい中央官庁の現状には目を疑った。しっかり監視の目を向けなければ。

全軍を置き去りにした将軍

繰り返しになるが今一度書いておきたい。

 

幕末期における政治家の中で、最も外交的センスを持ち、国力を増大していくことにも意欲を見せ、そしてそれをなし得る力と裏付けを持っていたのは徳川慶喜であった。

 

確かに個人としては有能な人材が在野に、例えば討幕側にもいたことは間違いないが、人材、いわゆるテクノラートの数でも幕府は他を圧倒していたことは間違いない。

 

事実、新政府がスタートしてもそこには人材らしい人材がおらず、結局は旧幕府人を多く採用せざるを得なかった。彼らは、大半がいわゆる「ノンキャリ」として新政府の現場仕事を支えていったのだった。

 

そんな幕府であり慶喜であったが、薩長軍側(まだ長州軍は少なかった)に錦旗が翻ることで、形勢は一気に逆転してしまった。その錦旗が、例え間に合わせで大急ぎに作ったものであったとしてもだ。Photo

 

幕府軍の京都侵攻で一時はびびった朝廷だったが、とくに黒幕と言えた岩倉具視を励まし続けたのは、どうも大久保一蔵(利通)らしい。励ますと言うより、尻を叩き続けたのだろう。

 

いずれにしても錦旗が翻ることで、慶喜は大坂城から一歩も出ることがなかった。京都侵攻軍も、淀藩、津藩はじめいくつかの藩が新政府側に寝返り、せっかくの幕府陸軍もなす統べなく大坂に引き上げざるを得なかった。

 

しかし彼らはなおも意気軒昂であったらしい。なにしろ、まだ数の上では十分に優勢なのだから。しかも、優勢な海軍を持っているし、海軍リーダーである榎本武揚も好戦派に属する。

 

慶喜も、彼らの突き上げには「分かった」と言わねばならなかった。翌日再度の進軍を命じたのは、まさに時の勢いだったのだろう。しかし、慶喜の腹は決まっていた、朝敵になるわけにはいかないと。

 

その方法が余りにもまずかったと言うべきか、稚拙であったというのか、それとも慶喜とは所詮そういう程度の器であったというのか。

 

なんと、将兵の多くを置き去りにしたまま軍艦で夜陰に紛れて大坂を逃げ出すのだ。館長である榎本でさえ、地上に上がっていて留守の間だったという。

 

慶喜が同行を命じたのは、老中板倉勝静、老中酒井忠惇、会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬の4名だけであった。会津藩と桑名藩は、進軍部隊の中核であり多数であったが、その将兵はすべて取り残された。

 

彼らは、主君である将軍には逆らえなかったわけだ。例えそれが理不尽なことだと分かっていても、抗する訳にはいかなかったのだろう、同情の余地はある。それだけに慶喜の罪は重い。しかも江戸に戻ってからがさらに酷い。

 

松平容保松平定敬兄弟は、江戸城への登城すら許されなかったのだ。一体何のために将軍に従い、大切な藩士たちを置き去りにしたのか。

 

藩士にしても藩主の罪を責めるわけにはいかない。会津藩軍事総督の神保長輝(修理)は、藩内抗戦派からの責めを一身に受けて自害に追い込まれる。会津の悲劇はもう始まっていたのだった。

「他人の利益もはかる姿勢」とMGの互恵力

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中

<連載コラム(84)>
 
 今年の脳力開発(シニア)講座は、隔月3回のシリーズとして脳力開発指針の中の、「精神的姿勢の確立」を取り上げ、その三つの指針について掘り下げて学んでいただいています。

 
 この三つの指針が、全部で11
ある基本指針の中でもとりわけ重要であるからです。


 
 今回からしばらくその3「他人の利益もはかる姿勢をつくろう」という指針についてアプローチします。

 
 この指針は、いわゆる「三方良しの姿勢」にも通じるところですが、イコールではありません。共通するところは多いので、合わせてお話ししようと思います。

 
 もう一つ注目してほしいのは、他人の利益「も」というところです。「を」ではない、「も」であることは大きな意味があるのです。

 
 つまり、自分の利益もしっかりと大事にしつつ、他人の利益もはかるということなのです。自分を犠牲にしてではないのです。

 
 というわけで、ホンモノの「他人の利益もはかる姿勢」とは、単なる打算や計算に基づくものではないということになります。もっとより高みを目指しているのだといって良いでしょう。

 
 その意味では、MGのビジネスパワー分析にある、10番目の項目「互恵力」にも通じるところがあります。

 
 他人にも利益を落とす姿勢があったか、その利益の中には学びや交流という要素も含まれているはずです。
 
20180825_120200

第2回長岡・米百俵MG終わりました

長岡でMGセミナーを開始したのが1990年、そして西先生のMGをスタートしたのが1992年、途切れることなく途切れることなく毎年開催してきました。

 

最初は当時の私の会社の社員さんがメイン参加者で、社外からの参加者を含めても25名ないし30名くらいのセミナーでした。会場も毎年点々としました。

 

その後会場を会社に比較的近いところの温泉施設に移して定着し、参加人数も毎年30名を超えて40名近くになる年もありました。

 

危機は2回の地震で、1回目の中越地震は幸い前年の秋10月でしたので、翌年夏の開催には鉄道や道路なども正常に戻っていました。

 

2回目は中越沖地震、この時私自身は親会社に単身赴任中で、会場を柏崎に移し、柏崎の仲間たちに運営をお願いしていたところに、地震が直撃したのです。

 
それでも皆さんの尽力のおかげで無事に開催することができ、西先生初め参加者の皆さんから復興への激励をいただきました。

 
単身赴任から長岡に戻って私自身も独立開業して、それまでの「二足のわらじ」から文字通り、主催運営が仕事になったわけです。

 
会場も長岡市立劇場、その耐震工事に伴って現在のアトリウム長岡に落ち着き、全国から参加していただけるセミナーになりました。

 
今回も46名(8卓)、北は青森県から南は高知県、西は長崎県とホントに遠くからもお越しいただき、心より感謝です。また地元新潟県の方が増えたのも嬉しいところです。20180826_161216

 
最優秀経営者賞には、柏崎の川口さんが見事に逆転連覇でした。

 
私も2年ぶりにゲームに参加させていただきましたが、たくさんの方に「一緒にゲームができて良かったです」と言っていただき、さらにさらに感謝です。

 
西先生という開発者であり大先輩がいらっしゃり、今回もお越しいただいた千葉さんや芦田さんという先輩にならい、私もまだまだ向上を目指します。

 
来年の予定も8月24~25日の土日に決まりました。会場も仮予定ですが、アトリウムさんにお願いしました。今回のような合宿の形にするかどうかは検討します。

 
ぜひまたお訪ねをいただきますよう、お願いいたします。

ご縁を作っていくことこそ日常の行動に

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中

<連載コラム(83)>
 
 前述しましたように、情報源の主力は「人」であり、情報ネットワークとは「人のネットワーク」が中心になります。まさに人に情報あり、というのが脳力開発の基本的な考え方です。

 
 また、情報(材料)だけの問題に限らず、そもそも仕事というのは「人と人との関係をいかにつくり上げるか」ということであり、技術開発のような人間以外を対象にする世界でも、このことが言えるのです。

 
 人との関係(ご縁)をしっかりとつくり、そのネットワークを有効に広く築いていくことは、仕事の成否にとっても創造的発展にとっても、絶大な要と言えます。

 
 この、人の間のつながり関係は、それ自体が生きたパワーであり、新たな事を生んでいく源とも言えます。

 
 脳力開発の実践を決心した人にとっては、まず人との接触とその友好関係を拡大し発展させていくことが、日常における最重要の土台活動となります。

 
 MG
に参加する人にとっても同様であるのは、MGが脳力開発という土台の上に進歩発展してきたことともつながっています。

 
 その意味でも、MGの交流会に参加し積極的に人の輪の中に入ることは、とっても大事な行動であると結論できるのです。
 
Photo_2

いつまでも価格競争で良いわけがない

写真の店頭POPは一例として、某大手家電店のものを使わせていただいただけで、他意はありません。おそらく、いろんなところで同様内容のものを目にされているでしょう。
 

 

Photo

他店のチラシを持参すればその値段に合わせる(あるいはそれより安くする)というのは、もう枚挙のいとまがありません。チラシでなくてもスマホで価格POPを撮っていけばいいところも。

 

ライバル店もそれに対抗しなければなりませんから、チラシや店頭には販売価格を提示しないで、価格を書いていても「店員にご相談下さい」と明示。実際「いくらにしてくれる?」と聞けば、割引価格を提示してくれます。

 

お客さまの方もそこは抜け目がありません。その情報をメモしておいて、次の店に行って「あの店では甲でしたよ」と伝えます。証拠がない?イヤイヤ、中にはスマホで録音する猛者もいるとかいないとか。

 

こうなると、売り買いというよりはキツネとタヌキの化かし合いという感じになります。確かに1円でも安く買いたいという気持ちは分かりますけどね。

 

実際に自分が買った商品が、他店の店頭でより安く売られていたら、腹が立つという方もおられます。その時には納得して買ったのでしょうというと、いやあれは店員の口車に乗せられたのだと。

 

値引きの仕方も巧妙で、ストレートに値段を下げるところもあれば、ポイントなどの特典を多めに付けてくれるとか、あるいはまたその両方だったり。

 

いい加減にこんな価格競争はやめなさいよと言いたくもなりますが、相変わらずというか、もっと激しくという感じでこれからも続いていくのでしょう。家電、車、インテリア用品、それどころかホームセンターやスーパーまで。

 

それで史上最高売上とか声高らかに言っているわけだし、中には史上最高益と胸を張っているのですから、どうやって儲けているのか、あの価格は見せかけのいい加減なものかと、私などは疑心暗鬼になってしまうのです。

 

つまり、チラシや店頭に掲げてある価格とは一体何だろうかという疑念です。その昔はメーカー希望価格なるものがあって、それが一つのベースになっていたわけですが、今ではそれは設定できません。

 

もちろん作り手、メーカーとしてこのくらいの値段で売って欲しいという価格はあります。それは価値でありプライドと言っても良いものです。それを下回って売られたら、作り手としては気持ちの良いものではありません。

 

お客様にとっても、その商品の価値とかサービスの価値、あるいは満足を買うものですから、安易に値引きなどで対応されるのは本意では無いと、少なくとも私は思います。

 

まぁ世の中の考え方は様々ですので、安ければ良いという方もいらっしゃるでしょう。だが、そのことはお店もお客様も両方の首を絞めつつあるのだということに、そろそろ気が付いた方がいいですよ。

 

安く買えた得をしたと満足を得ること、とにかく売れて良かったと満足すること、それはもう過去の価値観としませんか。そうでないと、大きな大きなしっぺ返しがきますよ。

戦国随一の名軍師の子孫だったが

徳川慶喜についても私感を書いてみる。その前に鳥羽伏見の戦いだ。

 

幕末の戊辰の戦い、鳥羽伏見の戦いから後の慶喜の行動だけを見ていると、この人は果たして将軍の器だったのだろうかと首をかしげたくなる。

 

大坂から京都に向かった幕府軍は、そもそも討幕軍(薩摩を中心とした部隊)と正面戦になると考えていたのか。朝廷(新政府と呼んで良いかはやや疑問)に物申すだけの目的だったのか。

 

それでも、朝廷側よりも多い人数であったことは事実だし、おそらくそれほど大きな戦いにはならず都に入れると踏んでいたのではないかと推察する。

 

装備(兵の武器)の差がいろんな本に書かれているが、確かに小銃や大砲の類は若干劣っていたことは否めない。さりとて、薩摩軍がそれほど優秀な武器を揃えていたという事実はない。少なくとも差は僅かだったようだ。

 

大きな差があったのは、目的意識とさらに大きな問題点は将校の質と量だったと言える。つまり、前線指揮官の目的意識と、現場指揮官(中隊長や小隊長クラス)の質量が、圧倒的に負けていたのではないか。

 

先に述べたように、上京部隊の指揮官はあくまで京の都に入って、有力な兵力を背景に慶喜の意思(書状)を朝廷に届け、要求を呑ませることにあった。

 

もちろん、前線部隊は戦闘準備もしっかり整えていたことであろう。しかし、例えば斥候を出して相手の配備・展開状況をしっかりと確認していたであろうか。まさか、自分たちが進軍すれば、相手は道を譲るとでも考えたか。

 

前線部隊を率いていた指揮官は若年寄の竹中重固であった。部隊は密集隊形で進軍していったようだが、結果としてこれが大きな誤りであった。散開して(コの字形に)待ち構えている薩摩軍の真ん中に入り込んだのだった。

 

まさしく飛んで火に入る夏の虫、相手の3倍の兵力があったとしてもこれではひとたまりも無い。最初の一個中隊が撃破され、その後から突っ込んだ中隊も同じ憂き目に遭っている。

 

ちなみに竹中重固は、戦国随一の軍師と称された竹中半兵衛の子孫であるのだが。しかも兵をおいて前線の兵を置いたままで敗走するというていたらくであった。

 

なお、幕府軍の進軍のきっかけとなったのは、前回までに書いた江戸における薩摩藩が操った暴徒の乱暴狼藉であり、当初朝廷側もこの戦いは「薩摩と徳川との私闘」として傍観していたようだ。Photo

 

しかし、ここで黒幕の岩倉具視が倒幕とともに「錦の御旗」を強行に要求する。そしてついに錦旗が登場するのである。もっともこの錦旗は、長州の品川弥二郎が西陣の業者に作らせた間に合わせだったという。

 

それでもこの錦旗の影響は絶大だった。2日目の戦いは幕軍が数にものをいわせてやや押し気味だったのが、錦旗の登場で離脱する藩が続出、慶喜自身も朝敵になったことに大きな衝撃を受けた。

 

慶喜は水戸藩の出身(徳川斉昭の八男)、当然ながら幼少時より尊皇教育を受けてきた。朝廷に逆らうこと、逆賊になることなどとんでもないことだった。この時点で勝敗の行方は決したのだった。

MGの交流会は単なる呑み会ではない

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中

<連載コラム(82)>
 
 MGでは「成績より期数、期数より交流」と表現していますが、これもできるだけたくさん人に交わることこそ、大事なことだと言っているわけです。

 
 西研MGでは、懇親会とは呼ばず「交流会」と呼んでいるのには、ちゃんと訳があるのです。

 
 初めてMGに参加した人は、事前に周りの人から情報を得ていても、なかなか交流会に課を出すことには抵抗があります。

 
 それは、もしかしたら交流会と懇親会とを混同しているからかとも思うわけですが、MGでは「交流会があるよ」とお知らせしても、真の意味は「教えない」ですね。

 
 交流会に出て自らその意味をつかむ、まさに「紙は自分で」なのです。

 
 ですから、初心者が多いMGでは、「成績より期数、期数より交流」の意味するところを、インストラクターの方はキチッと伝えていただきたいところです。

 
 MG
は、情報を持った人の集まる場です。しかも、既に戦略MQ会計の講義・解説が終わっておれば、今日初めて会った人とでも共通の言葉で話ができます。

 
 つまり、MG2日間の基本プログラムは、実に合理的に形づくられているのです。

 
 初回のMGでは交流会をパスした人でも、2回目3回目となってくると、自然に参加してみようと思われるはずです。

 
 もしネックがあるとすれば、会社から複数参加されている場合。自社のメンバーだけで固まらないように、それとなくお誘いするのもインストやベテランの役割です。

20170826_mg1

気懸かりなダブル台風

おはようございます。週末セミナー遠征から新潟市に戻り、今朝も爽やかな涼風の中で目覚めました。少しずつ夜明けが遅くなってきてますね。

 

さて、今週はヴァンガード経営研究所主催で年間随一のセミナーシリーズ開催です。

 

メインは25~26日の米百俵MGです。かつては「長岡MG」としてMG開発者の西順一郎先生をお招きして、30年近く32回の開催をしてきました。

 

私の新潟転居を機会として、昨年より名称を改めたわけですが、今年も全国各地からたくさんのMGシーガルたちが長岡の地にやってきてくれます。

 

さらに今年は、地元新潟県内の参加者がいつもの年より増えて、そのおかげもあって例年より多い8卓(48名)での開始を予定しています。

 

そんなわけで大いに盛り上がりを期待しているのですが、気懸かりなのはダブルで日本にやってきそうな台風19号と20号の動きです。Photo

 

19号の方はかなり発達していますが、東から張り出している太平洋高気圧がなお強力だそうで、少し西寄りに九州をかすめる感じで新潟には大きな影響はないかもです。

 

しかしその後の20号は、高気圧の勢力が東に後退した後を北上しそうで、場合によってはまともにやってくる可能性日本海に抜けてしまってもあります。

 

24日の夜には日本海に抜けてしまっていくようですが、まだ予報円が大きくて今後どういう進路になるか不確定です。

 

いずれにしても土日のMGは無事に開催できそうですが、問題は前日のOA大会と前夜祭です。また、それらに合わせて遠方より来訪される方々です。

 

交通機関、飛行機や新幹線、あるいは高速夜行バスが正常に動くかどうか、参加者の皆さまが安全に来られることを祈るばかりです。

 

そんなわけで、当日まで情報をしっかり提供していくことにしましょう。

第8回こしがやMG開催中

柴橋さん(たまサポートサービスさん)の主催で継続されている、「こしがやMG」も今回が8回目の開催になりました。

 

主として中小企業家同友会のメンバーに呼びかけ、ミニセミナーながら「地元で続ける」という決心の元で続いています。

 

今回は参加者の半数がMG初体験、経営者の方や士業の方、学びを目指す方と多彩な顔ぶれです。初参加の方も、2日目はゲームだけでなく決算作業にも慣れてきたようです。

 
ゲームの方はややゆっくりの進行ですので、後半戦は少し時間を追加して進めていくことにします。3期まではまずまずの正規分布ですが、飛び抜けていける人も出てくれればです。

 
昨夜の交流会の中でも次回以降の予定が発表され、また可能であれば同友会の地区単位でも開催を検討したという声も上がりました。

 
少しずつ広がっていけば良いと言うことでスタートした「こしがわMG」、より多くの皆さんに参加していただければ嬉しいことです。

 
同友会には経営指針を学ぶ会もありますので、経営計画を立てる上での役立つ要素もたくさんありますので、その参考にしていただけるのを楽しみにしています。

 20180819_101949_2

これから起こるだろうことへの考察

サマータイムを導入しようという声が上がり始めている。声を上げたのは、「しんきろう」こと森元首相だそうで、何でも2020年のオリンピックの為だという。

 

確かに、今年の気候を鑑みても猛暑のまっただ中で屋外競技を行うことは、様々な危険が伴いそうだ。選手はもちろんだが、競技を支える様々な人たちにとっても、下手をすれば「命がけ」のことになりかねない。

 

そこでサマータイムを導入しようというわけで、例えば2時間前倒しにすれば、午前7時は通常の午前5時となるので最も暑い時間を避けて競技を行うことも可能だという。

 

そうなるとオリンピック競技だけというわけにはいかないから、ビジネスの方も9時業務開始は現状の7時に開始となる?のかな。終業時刻が17時なら、現状の15時に終わるのでそこから余裕ができて他のことにも時間が有効に使える。

 

まぁ、「しんきろう」さんの言い出しそうなことだと思ったら、大手企業の多くはどうも導入に賛成らしい。大手がもし実施して業務のコア時間を変えれば、中小企業もそれに沿っていかないと面倒なことになりかねない。Photo

 

もしかしたら大手企業の経営者どもは、残業時間を有効に増やすことを考えているのかと、要らぬ気を回してしまう。サマータイムの17時はまだ日が高いし、呑みに行くのも気が引けるとは言わないが、ならば仕事を選ぶ人も多くなるのではないか。

 

働き方改革などというものと連動されたりすると、さらにことがややこしくなる可能性も。セミナー時間などはどのように設定すれば良いのだろうと、私などはたちまち悩んでしまいそうだ。

 

ところが、どうもそうは机上で考えたようにうまくいくとはいかないようだ。サマータイム導入となると、様々な問題が生じてくる。その最たるモノがコンピュータシステムだ。

 

このシステムの大幅変更が必要になるはずで、たった数ヶ月のための変更に膨大な時間とコストがかかる。何よりも、システム構築のための人員が足りるだろうか。

 

それでなくても、既に始まっている消費財改訂に向けてのシステム改定、さらには新元号に対応するための調整など、システム業者には待ったなしの作業が要求されている。

 

その上にサマータイムによるシステム変更となれば、「勘弁してくれ」というのが業界の本音ではないか。何よりも物理的に人材・人員が不足するのだ。とても限られた時間での対応は無理に思える。

 

そんなことをするよりは、オリンピックの日程を2ヶ月、いや1ヶ月だけでも後にずらせば済むんじゃないかと思うのだが、これが簡単にはいかないんだとか。理由はアメリカ(など)の都合らしい。

 

他人や他国の都合で面倒をかけさせられる、あるいは命の危険にさらされる方こそ、いい面の皮だ。それならいっそ、オリンピックをやめちまえ!などとは言わないが、納得いかないよなぁ。

 

「しんきろう」さんも、今ではもう遅きに失したのだろうけど、ダメ元で開催を最も季節的に良い時期にと強く推すべきだったろうな。そうすれば、もう少しマシな評価をもらえただろうに。まぁ、死んだ子の年は数えまい。

「人に情報あり」だからこそ

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中

<連載コラム(81)>
 
 実際知識を増やすということは、データを拡大するということであるとともに、行動を拡大することでもあります。言い換えると、接触する範囲(領域、分野)と行動半径の拡大です。

 
 平易な言葉にさらに代えてみると、一つはどんな物事にも興味や関心を向けて、何にでも首を突っ込んでいくということです。

 
 もう一つは、どんな人にでも、できるだけ多くの人に会って仲間のネットワークを広げていくことです。

 
 こういうことを日頃から実践するよう、心がけ、意識していることが大切です。その意味で、私は西順一郎さんという人を、単にMGの開発者として以上に尊敬をしています。

 
 西先生は、まさにこの脳力開発の実践者というべきだと考えています。

 
 中には、「私は人付き合いが下手だからだめだ」などと言われる方がいますが、そう思い込むことが、ますます脳を使わなくする方向に進むということになるのです。

 
 下手だからこそやってみよう、苦手だからこそ挑戦してみよう。

 
 かつて私の仕事の先輩は「人に情報あり」と教えてくれました。だから多くの人に会い、ネットワークを結んでいくことがキーポイントになるのだと。

 
 多方面に、異種領域にも、どんどん人との出会いを求めていきましょう。MGなどは、その最良の機会です。
 
20170826_mg4

言いたいことだけは言っておかなくては

Facebook(FB)を始めたのは2010年頃だったと記憶しています。

 

それまでもミクシィやツィッターをやったり、ビジネスSNSにもアプローチしたりしました。最近はFBが主体で、LINEとツィッターを少しだけ続けています。

 

FBでは、ビジネスのページとして『よろず経営サポート・ヴァンガード経営研究所』を持ち、趣味のページとして『鉄道ファン』を主宰しています。

 

後者の方が歴史も古く、そのおかげもあって現在では1万4千人余りの「いいね!」をいただいています。ビジネスページの方は、何とか800人を超えたところです。

 

その他にもう一つFBページを持っていて、当初はビジネス用に使っていたのですが、途中から目的を変えて、倫理研究所が会員向けに発行している小冊子「職場の教養」の紹介を始めました。Img20180814_13532068

 

個人事業という一人会社ですので、10年以上前から「職場の教養」を使って毎朝「一人朝礼」を行っているのですが、それをFB上でやってみようと考えたわけです。

 

私自身はもちろん言葉に出してやっていますが、FBページを読んで下さる方と一緒にやっているという意識で、ずっと毎朝、おそらく7、8年くらい続けてきました。

 

その日のページを読んでの感想を書き加えて、ご縁につながる方々に紹介を続けてきたわけですが、8月14日をもって中止することになりました。

 

それは今月(?)、倫理研究所から出された通達で、「SNSに掲載することはダメ」ということが明記されたからです。「職場の教養」は会員だけに配布されるモノだからということ。

 

その通りです、よく理解しています。私自身も倫理法人会に入会して18年半、「約束事を守る」を人生の理念としていますので、提示されたルールは守ることにします。

 

ただひと言だけ言わせていただければ、殻に閉じこめているだけでは「佳いモノ」でも広がらないよなぁ、ということです。この何年か、倫理法人会が自ら枠組みを狭めているんじゃないかと、懸念を抱いているのです。

 

私のそういう考えが間違っているのであれば、単なる懸念であれば、それはそれでいいのです。間違いなら正しますから。

 

ただ、例えば以前にも、「県や単位法人会の三役は『社員のいる会社』の会員を原則にする」というようなことが言われたり、会員数を増やすことが手段でなく目的化していないかと気になったりしています。

 

確かにSNSでの拡散などは、控えるべきは控えた方がいいのでしょう。ただ、一律に規制しようというのはいかがなものでしょうか。

 

「職場の教養」は会費を払っている会員会社だけの「特典」と言われると、そうではないだろうと言いたくもなるのです。

 

もしそうなら、毎月無料で未会員会社に送って差し上げていること、欲しいと言われる個人の方にお渡ししていることもダメにならない? 屁理屈ですか?

 

まぁ、それ以上は言いません。ただただ残念な思いです。

神様リクエストでごまラーメン

8月15日。言うまでもなく終戦記念日、いや「敗戦の日」と言った方が正解でしょう。

 
もっとも、より正確に言えば9月2日が太平洋戦争(第二次世界大戦)降伏の日。この日にアメリカの戦艦ミズーリ号の艦上で、降伏文書に署名したわけですから。

 
それはともかくとして、1945年8月15日に「どん底」を体験し、そこから、、、なんていうのはキレイ事で、それどころではなかったというのが本音だったはずです。

 
私も戦争を知らない世代、生まれたのは1951年ですから戦後6年経った頃。大阪の地にはまだ戦争の爪痕が60年代を迎えるまで残っていた頃で、私にもいくつかの記憶があります。

 
私の父親(1986年没)自身が中国大陸の内蒙古方面に出征し、そこで捕虜となってシベリア抑留を体験して48年頃になって、ようやく帰国できたといいます。

 
ただし、その体験話を亡父が聴かせてくれることはほとんどありませんでした。よほど辛い、口舌に尽くせない体験だったのだろうと想像します。

 
92歳で大往生(2015年)した母は、亡父の出征後も大阪に住み、郵便局に勤めながら空襲に怯える毎日であったことを、小学生の私に話してくれました。

 
その両親も今はなく、大阪府高槻市の小高い丘の上に眠っています。父が亡くなった時には豊中市に住んでいましたが、高槻市は両親が初めて自分の家を持った地でした。

 
そんなわけで、お盆ではありますがお墓参りには出かけていません。6月の遠征時に墓掃除とお参りはしてきましたが、次回は秋になることでしょう。

 
そんなわけですが気は心、お盆に我が家に両親の霊をお迎えしてということにして、毎朝キチッと祈りを捧げ、この数ヶ月の報告と感謝を申し上げています。

 
このお盆の休みは、いつもは幼稚園に通っている以外の日中時間を我が家で過ごしている孫も、親子で過ごしてくれていますので、間もなく結婚42年を迎える妻と二人です。Photo




 
どこかへ行こうかとも思わないではないですが、どこに行っても人人人でしょうし、ホテルもお盆料金で高いでしょう。道路の渋滞も勘弁して欲しいし、何しろ暑いですから。

 
そんなわけで、近在を車でウロウロしてゆったりと休みを過ごしています。久しぶりに昨日は、好物のごまラーメンを食べに行きました。

 
実は月曜日も出かけたのですが、その日は外にまで待っている人がずらり、こりゃぁダメだと引き返してきました。よって昨日はリベンジ、幸い店内で少し待つ程度でした。

 
こんな小さなことでも幸せを感じられる、それでいいんだろうなと思いますし、まずは亡き両親にもそのことを感謝です。

 
美味しいごまラーメン、ごちそうさまでした。でも梅雨時以来続いているウエイトオーバー状態が、当分は解消しないだろうなぁ。

何でもやれるのはが人間の本来の脳

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中

<連載コラム(80)>
 
 「専門」家についてです。狭い意味での専門家意識で自分の脳を固めてしまうと、これが自分の専門だと決めつける範囲以外の領域に関心を向けなくなり、同時に情報のインプットを遮断していく結果にもなります。

 
 専門家意識とは、つまりはこの狭い範囲だけ自分はやっておけばいい、そのことだけは誰よりもよく分かっている。

 
 あるいはそれが高じてついには「素人は黙っていろ」といったような気分や、言動になることをいいます。

 
 結局は、脳の活動範囲や機能範囲を自ら狭めていっているようなもので、もっと大きな脳力の発揮が、それによって妨げられているという結果につながります。

 
 人間の脳というものは、元来どんな種類の情報インプットも、またどんな多量にも入れることが可能なのです。

 
 さらにまた、それらを有効に使い分けて、混乱することなく処理する能力を根本(本来的)に備えています。

 
 何にでも対応が出来、何でもやれるのが人間の本来の脳なのです。したがって、一般的に「できないのではなく、やらないのだ」という言い方ができるわけです。
(下のイメージ写真は人工知能のサイトより拝借)
 
Photo

8年ぶりの東京MGMGから学んだこと

この土日は東京MGに参加をしてきた。東京MGは、西研究所が主催する、MG開発者の西先生ご夫妻がインストラクターとして指導される、いわばMGの原点というべきセミナーだ。

 

各地で開催されている、西先生が(時にはご夫妻で)臨場されるMGセミナーには、あまり間を空けないで参加しているが、東京MGにはしばらくご無沙汰であった。

 

遠征の途中で立ち寄って、長い時には半日くらい会場に留まることは何度かあったが、セミナーへの参加は調べてみると8年ぶり、前回の参加は2010年の4月だった。

 

今回の参加は54名(9卓)、比較的期数体験のあるベテランが多かったようだった。100期を超えているメンバーも少なくなかったが、それでもけっこう時間を要した。

 

シニア講座(インストラクターコース)修了者も何人かおられたが、見ていると遅れている人への「手の出し方」がどうも今ひとつのようだった。

 

初心者や期数の浅い方もおられたのだが、そういう人への目配りというのは体験を積まないと、それほど簡単ではない。

 

教えすぎてはいけないし、手を出す(声をかける)タイミングは易しくない。何をどう迷っているのか、様子を見ていればそれなりに分かるものだ。

 

それはまた別の機会に譲るとして、8年ぶりのMGはなかなか流れに乗りきれなかった。辛うじて、一度も単年度赤字に陥ることはなかったが、思いが空回りした感じだった。

 

リスクカードのせいにはしないが、それにしても重要なポイントのところで「意思決定を阻まれた」ことが何回あっただろう。もっとも、それに対する戦術が甘かったわけだろうが。

 

やはり3期が誤算であった。ここで少なくとも「G=100」くらいを目標としていたのだが、遠く及ばずに終わると共に、次繰りのタイミングを間違ってしまった。20180812_090106

 

この時点で、最終の到達目標点を下方修正せざるを得なかった。思い切って体勢を変えることも考えたが、2つ同時の戦術転換は難しく思えた。

 

それは、カードの流れが悪かったからだ。この流れは大きく変わらないことが予測でき、実際に4期5期ともにその流れが変わらなかった。

 

変わらない中では、戦術を1つに絞るしかないと心に決めたが、最終的に自己資本467でとどまったのは、やむを得ないところだろう。

 

こういうことも、これまでにも何度かあったことだ。要は、この体験の中から何を学べたかということだ。次回に活かすことにしよう。

P/Lは読めてもB/Sはねぇ(2)

MGに出会うまで財務諸表がほとんど読めなかったことは、前回も書いたとおりだ。MGをやっても、毎回マトリックス決算表で決算を繰り返しているのに、まだ分からなかった。

 

そうなんだよね。MGで用いている第5表・マトリックス決算表では、ちゃんと自力でB/Sが作成できるようになっているのだが、「作っている」ことにも気付いていなかったわけだ。

 

通常の財務諸表のB/Sでは、右左に科目が分かれているが、マトリックス決算表では期末B/Sが縦と横に表示される(しかも期首のB/Sも)。

 

ここでテキスト的な話をするのだが、B/Sの左側が借方で右側が貸方だ。借方側を資産の部といい、貸方側を負債・資本の部という。合計がそれぞれ総資産、総資本だ。

 

当然だが、左右の合計金額、すなわち総資産と総資本はイコールだ。だからバランスシートと呼んでいるわけだ。

 

ついでにいうと、総資産の方を運用、総資本の方を調達ともいうと書いてある教科書もある。要するに何なんだ?

 

分かりやすくいうと「残り物」を集積した表のことだ。しかもその残り物は、すべて金額で表すことになっている。

 

左側の残り物は目に見えるものが比較的多い。例えば一番分かりやすいのは現金であり預金であり、在庫だとか、土地建物、機械や車両の類だ。

 

右側の方は目に見えるものもあるが、見えないものが大多数だ。見えているようで見えないものという方がいいだろうか。借入金とか資本金だとか。

 

別途積立金などという、素人には全く訳の分からないものもある。私は、「この積立金はどこの銀行に積み立ててあるのか」などと、とんでもないことを考えたりした。

 

いずれにしても、年度末最終日に残ったものをかき集めて表にしたものと思えばいい。問題は、その残り物の中に良品と悪品とがあるということだ。Photo

 

しかも、同じ科目の中に良品と悪品が混ざっていて、一目では区別が付かない。色分けして書いてはいないからだ。

 

例えば商品在庫だが、「確実に1年以内に売れる商品」、「売れる見込みが高い商品」、「売れ残る可能性が高い商品」、「絶対売れない商品」の4つくらいに分けるといいのだが。

 

各項目(科目)に、それぞれ種類数は色々だが、色分けした方が良いものが多々ある。これは左側だけでなく、右側にもある。

 

経営者は、その色分けをしっかりと把握しなければならない。とくに問題になるのが、不良在庫とか不良売掛金とか、「不良」と名を付けられるモノたちだ。

 

左側にあるものは「塩漬け」とも呼んでいる。ちっとも美味しくない、それどころか企業の健康に悪いものばかりだ。遊休土地、遊休機械なども同じ。

 

あなたは、この塩漬け資産をどこまでつかめているだろうか。

MGの原点に遡るということ

関東から東北沿岸をかすめて北上した台風13号が、東の海上に遠ざかったのも束の間、早くも次の14号が九州の南にやってきている。

 

今度の台風はいくらかまともな動きのようで、まずは北西に向かい、それから日本海に入ると偏西風に乗って、一気に東へ向かうらしい。

 

来週のお盆休みは、それほどの心配はなさそうだが、南の海上には「台風の赤ちゃん」が目白押しらしく、盆明け以降はその動きに気が抜けない。

 

何しろ20日からの週には大小の主催イベントが並んでいるので、台風などに襲われないことを祈るのみだ。遠方から来られる方も多いので、気懸かりなところ。

 

さて、先月の熊本セミナーなどから戻ってきて半月あまりは、おかげさまで充電の日々を過ごすことができた。その間に、MGの目指すところなどを改めて見直せたのはありがたかった。20171203_cfmg8


 

たまたま、地元の中堅企業から社員教育での相談をいただき、早速その資料を使ってMGに取り組んでいただく提案を行った。

 

MG(研修)が目指すところだけでなく、「教えない、教え合う、紙は自分で」の真の意味などについても、私なりに伝えることをマンダラを活用してまとめることができた。

 

これまでも、自分自身が主催・共催している研修の中では、概略的な講義をやってきているが、これからは今まで以上にしっかりと伝えていくことにしよう。

 

また、MG研修と脳力開発講座を車の両輪として解説してきたが、脳力開発が意識改革のきっかけづくり、MG研修がその実践訓練の場として位置づけようと考えている。

 

もちろん、本当の実践現場は仕事そのものだ。経営者は経営という現場で、社員さんはそれぞれの役割・職責の中で学んだことを活かし、実践していくことが大切だ。

 

さて、来週はお盆休みだが、週の後半からまたしばらくは仕事の遠征が続く。その前に、今週末は自分の学び、それも『NEWドン』をすることにしよう。

 

どこまで虚心坦懐に自分を見つめられるか、周りを見られるか、素直にを超えた「愚直」の心持ちを保てるかを確認しよう。

 

そこが本当に「原点」と呼べるところなのかも含めて、しっかりと肌体験してみるか。

本当の一流は専門外にも強い

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中

<連載コラム(78)>
 
 MGにおいても、他の人のゲーム展開を見て自分もやってみようと思っても、いざやってみると同じようにはいかない。

 
 しかし、それまでの自分のやり方では得られない結果が得られる。このように、実際にやってみるということが大事なのです。

 
 頭の中であれこれ想像を膨らますだけでは十分ではない。次はこうやりたいという感想文も見かけるが、さて「次回」そのようにやられたのだろうか。

 
 最たるものは「機会があれば(MGを)またやりたい」で、本当にやったかどうかで先のことが決まることを強調したい。

 
 さて、かつては「一芸に秀でる(一道に長ずる)」ためには、狭い範囲の専門に集中することが大切であって、他のことに目を向けて余計なことに首を突っ込むのは佳くないとされていました。一心不乱が最上であるとされていたわけです。

 
 しかし、脳のしくみから言うと、これはむしろ反対であって、特にこれからの時代はいっそう「一芸に秀でるためにこそ、多方面の異種・異質の領域の結びつきや、多種多量のデータが必要なのだ」といえます。

 
 一つの狭い範囲や専門世界のデータだけではもはや足りないのです。

 
 ともかく材料(情報)だけでも、広範囲に多量に集めておき、いつでも使える状態にしておくことが望ましいのです。

 
 本当に一流と言える人が、専門でない分野にも話題が豊富で、人をうならせることができるのもこれを証明しています。
 
Photo_2

P/Lは読めてもB/Sはねぇ(1)

仕事柄たくさんの経営者にお目にかかる。業種業態は様々で、私もとくに選別はしていない。コンサルタントとして得意分野がないわけではないが、素人目で見た方が惑わされなくて良いことも多い。

 

社会人としてのスタートは労務屋だったし、その過程で社内報づくりを業務としたこともある。転職して企画屋になったが、それも初めは販促宣伝企画屋で、途中から経営企画屋になった。

 

最初の会社は非鉄金属製造業で、その次はアパレル(主としてスクールユニフォーム)製造販売の経営企画をやったわけだが、その後ユニフォームの卸業、販売会社に移って経営をやることになった。

 

いずれにしても30数年間実業の中に身を置いたわけで、それなにり現場の飯を食ってきたことになる。

 

経営企画屋になる前は、数字とはほとんど無縁だった。社員株主になって決算書をもらっても、ほとんど内容を理解できなかった。せいぜい、損益計算書(P/L)の「利益」を見て黒字なんだと思う程度だった。

 

でも、その利益と名の付くものが5つもあることには気付いても、どれがどうなんだということは知らなかった。知らないわけに行かないと思い、参考書を買って読んで表面的な理解はしたかも知れない。

 

経営企画屋になってすぐにMG(MQ戦略ゲーム)との出会いがあり、何事も継続だと学び続けている内に、すべてのことが氷解して理解出るようになり、今ではコンサルティングをしている。

 

ところで、経営者でも財務三表、つまりP/L、B/S、C/Sがすべてキチンと読めて理解できて、さらにそれを見て次の手を考え実行できる人はほんの一握りだ。

 

まぁ、財務三表(決算書や月次試算表など)は過去のデータ集積なので、どこまで経営の役に立つかは議論の余地があるが、それでも読めるに越したことはない。何しろ会社の「通知表」なのだから。

 

通知表あるいは健康診断結果表といっても良いわけで、どこが良いか悪いか、変化しているところはどこなのか、くらいのことは分かるはずだ。病巣発見の助けくらいにはなるわけだから。

 

ところがP/Lは読めても、B/S(貸借対照表)が読めない経営者が少なくない。C/S(キャッシュフロー計算書)はB/S(とP/L)の延長上にあるので、何としてもB/Sを理解して欲しい。Photo

 

MGを学び、期数を重ねてそろそろ100期を迎えようというのに、B/Sのことがもう一つよく分からないという方がいるのは、ちょっと嘆かわしい。まぁ、自己資本比率くらいは分かるのだろうけど。

 

昔々、MGを始めてしばらくの頃に、ある人が私にこう教えてくれた。「P/Lは食パンのふわふわした美味しいところ、そしてB/Sは食パンの耳だ」と。その時は???だったが、次第に分かってきた。

 

何しろ、転身した販売会社の状況は最悪で、辛うじて債務超過でなかったくらいのデッドラインだった。その要因はもちろんP/Lの中にもあったのだが、最大の課題は実はB/Sにあった。

 

それが一目で分かったのは、MGを200期続けてやったおかげであった。続く。

西郷に使い捨てにされた相楽総三と赤報隊

赤報隊と聞くと、31年前に起こった朝日新聞社阪神支局を襲ったテロ事件を思い出す。あの事件も卑劣極まりないものだったが、犯人は未だに捕まらないまま公訴時効を過ぎてしまった。Photo

 

さて犯人(たち)が名乗っていた赤報隊とは、幕末に結成された尊皇攘夷過激派集団が名乗った名前だ。結成は慶応4年、彼ら自身は草莽の士だと言っていたが、間違いなくテロ集団に違いない。

 

その名前は「赤心を持って国恩に報いる」から付けられたようだが、結成の後押しをしたのは西郷隆盛と岩倉具視らしい。隊長は相楽総三、下総の郷士の子として江戸で生まれたそうだ。まだ20代の後半。

 

この赤報隊が結成される以前に、相楽は江戸の薩摩藩邸(三田)を根拠地として、藩邸に集まった不逞の輩と共に江戸市中での乱暴狼藉を繰り返すことになる。相楽はそうした浪士隊の総裁を名乗っていたようだ。

 

おそらく藩邸にいた藩士も、何らかの形で騒乱の中に加わってきたのだろうが、いずれにしても堂々と薩摩藩邸に出入りを繰り返すのだから、「知りません」では済まされない。

 

もちろん、西郷からの指令での動きであるから、いずれ何かことが起こることは予測していたはずだ。というよりも、西郷はそれ(報せ)を今か今かと待っていたに違いない。

 

ついに庄内藩を中軸とした幕府側が藩邸を襲撃し、浪士どもを斬り捨て、あるいは捕縛したことは前回も触れたとおりだ。すなわち大半がこの時に命を失うか、あるいは散り散りに逃げた。

 

この事件が導火線になって、戊辰戦争の最初の戦い、鳥羽伏見の戦いが始まるのだが、それについては次回以降に書いていくことにしよう。

 

問題は京都に逃げ帰った相楽たちの行く末のことだ。相楽を隊長に赤報隊が結成され、東山道軍いわゆる「官軍」の先鋒隊として江戸を目指すことになる。

 

相楽たち赤報隊は、新政府の許可を得て各地で「年貢半減」を宣伝して進軍する。これが各地の民衆の支持を得たことは当然だろう。しかしあくまで口約束で、裏付ける新政府の文書などは発行されていない。

 

第一に、カネのない(江戸に向かう軍費用さえ乏しかった)新政府に、全く財政的裏付けのない年貢半減など、明らかにまやかしの宣伝に過ぎなかった。

 

新政府は密かに年貢半減の「(空)手形」を取消し、これは赤報隊が勝手にやったことだとし、ついには「偽官軍」であると触れて廻った。つまり、相楽たちははしごを外されたわけだ。

 

これに対して西郷がかばい立てに動いた形跡は全くない、見殺しにしたわけだ。用が終わったから不要になった、使い捨てだといった方がいいだろう。相楽総三は信州で敗戦し、下諏訪で処刑された。

 

実際のところ、相楽たちは官軍を名乗りながら行軍の途中で略奪を繰り返していたし、「官軍の捨て駒にされた悲劇の主人公」といった綺麗事ではない部分が多い。

 

昭和に入って相楽たちの名誉が回復されたそうだが、そのことが冒頭の昭和末期のテロ事件に糸がつながっていたのだとしたら、何をか言わんやである。

実際知識を増やすために努力し実践する

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中

<連載コラム(78)>

 
 知識を役立つものにする過程においては、実際にやって(使って)みることが重要であるということを申し上げました。

 
 ところで、孤立知識であるペーパー知識というものは、一般的には非常に分量が多いわけです。

 
 人間の生涯の中で獲得していく知識としては、圧倒的にペーパー知識が多いので、これをどしどし使うという習慣があるかないかが、キーポイントになります。

 
 すなわち、連係知識にどれだけ変えることができるかを意識していないと、大変もったいないことになるのです。

 
 さて、連係知識たる実際知識の土台基盤は、なんといっても体験知識です。直接知識とも呼んでいるように、実際に体験、経験したことによって裏付けを得た知識のことです。

 
 この体験知識を豊富に持っている人ほど、脳の力を幅広く多様に使いこなしうる可能性を持っていることになります。

 
 判断力という面でも、想像力という面でも、「材料」の豊かな人ほど有利です。

 
 この材料こそが実際知識なのであり、体験や経験の中で体得したモノで、少しでも多く増やすことが重要なのです。

 
 増やすための努力や実践、これが脳力開発の最も大きな、そして多様で長期に亘るテーマであるといえるのです。

 Img_7514

この夏も「18切符」で旅をしよう

最近は「青春18切符」の利用者が増えているという。しかも、50代以上の比較的高年齢の人たちがであるらしい。

 

確かにここ数年、本線たとえば東海道本線などを18切符で、つまり各駅停車で旅をしていると、けっこう高年齢者のグループに出会うことが多い。

 

かなり以前なら、そういう人たちはほとんどが地元の短区間利用者だったのが、この頃は私と同じように主要駅でさらに乗り継いでいく人が多い。

 

もっとも、こちらも既に高齢者なのだが。
20180805_144350

そんなわけで、夏と冬には私も18切符をもってローカル列車を乗り継いで、のんびりと先を急がない旅をすることが多い。さりとて、時間を作ることが年々困難になりつつあるが。

 

そこで仕事の遠征時を利用して、仕事の前後に時間の取れる日を作り、のんびりと列車に揺られるわけだ。

 

この夏の18切符は7月20日から通用期間がスタートした。ちょうど九州にいて、鹿児島から熊本への移動に使った。

 

もっともこの移動の大半は、18切符が使えない肥薩おれんじ鉄道への乗車だったが、18切符利用者用のお得なフリー切符があり、それを購入した。

 

また、時間があったので、三角線というローカル行き止まり線を往復した。以上は先月のコラムにも書いたので、興味のある方はそちらを見ていただけると幸い。

 

次回はというと、しばらく間が空いてしまう。今月、新潟から関東方面への移動に使う予定だ。上越線を南下するのだが、実はこれがなかなか面倒なのだ。

 

というのも、上越線で上越(越後国と上野国)国境を越える区間、つまり越後中里から水上間がネックなのだ。国境を越える定期列車はたったの5往復しかないからだ。

 

その後は9月だ。神戸からの帰り道、名古屋での泊まりを挟んでほぼ丸1日の旅を楽しもうと思う。気懸かりは天候だが、これはもう運を天に任せるしかない。

 
あともう1回余ってしまうのだが、これも「秘策」を考えている。そう、旅に思いを馳せて案を練ることも、実に楽しい「乗り鉄」旅の一環なのだ。

5%と10万円の投資ができないの?

 
今日のタイトル、これまでもこちらのコラムに数回、表現を変えながら書いてきたことです。5%とは、労働時間の5%を従業員教育として使いましょうということ、10万円はもちろんその費用(支出)です。

 

それにしても未だに、経営の要素(あるいは資源)とは「人・物・金」だと思い込んでいる経営者の多いこと。さらにはそこに、情報やら技術やらを詰め込もうとする不届きな学者・評論家がいますが。

 

とはいえ、私もつい最近までは「経営の三要素とはヒト、モノ、カネです」なんて講義をしていました。しかしそれは教科書的な経営学であって、経営ではないのだと気が付きました。

 

もちろん、そう教えていた時にも「後の二つの物はヒトが使う物」なんて、分かったようなことを言っていたのですが。そうではない、企業は何といっても「ヒト、ヒト、ヒト」なのだと今は断言します。3

 

だからこそ、経営者は自分自身を高めていくことはもちろん、社員さんの成長を願って教育に力を注いでいかなければなりません。

 

小さな会社ならではというなら、社員さんの「教育」の中に社長自らが入っていくことも可能ですね。時には講師として、時には一緒に学ぶ仲間として、正にそれが『共育』と呼べるモノでしょう。

 

中には、外部の教育機関あるいはコンサル会社などに丸投げしてしまう、自らは参加せずに現場のリーダー任せにしてしまう経営者も見かけますが、それでうまくいっている例は稀です。断言できます。

 

第一に、従業員教育とは何かについて良くお分かりでない経営者も多く見かけます。そこでちょっとおさらいをしてみますか、会社の中での教育とはどんなものかを。

 

代表的なのはOJT、すなわち日常業務を通じての従業員教育。現場リーダーたる幹部社員や、先輩社員が担当することが多いですね。

 

これに対して社外で行う教育訓練がオフJT、現場から離れて学ぶところに意味があります。内容は業務に直結するスキルアップ教育とは限らず、広範囲に亘ります。

 

この二つが企業における教育の柱になりますが、ほかにも朝礼(や終礼)を通じての教育、通信教育などを活用する自己啓発などもあります。OJTでも、PTなどを通じてより実践的に行う教育もあるでしょう。

 

そしてこれらにかける時間と経費が、5%であり10万円であるというわけです。かつての私の会社では、MGと脳力開発を中心に、オフJTだけでざっと年間一人100時間を教育に使ってもらいました。

 

費用は最初から、年間MQ(粗利益)の2%を教育として予算化していました。ざっと250300万円、社員15名として一人1620万円ということになります。だからこそ、毎年利益を確保し税金もしっかり納付しました。

 

背伸びをする必要は決してありませんが、経営者が明確な教育理念をもっていれば、自ずと「5%・10万円」は実行していけるはずです。その成果が必ず実ることを信じてやり続けませんか。

青年の過失ではなくて老人の跋扈である

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中

 

事業の進歩発達に最も害をするものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈(ばっこ)である。

 

これは、明治時代に総理事として住友財閥を率いて発展させた、伊庭貞剛の名言である。この時伊庭は50代の後半、現代に当てはめるとざっと65歳から70歳くらいだろうか。

 

もちろん、伊庭自身はこの名言を記した書を残して現役をスパッと引退している。平均寿命が格段に延びたとは言え、こういう潔い経営トップを見ることが少なくなってきた。

 

中小企業、小さな会社の場合は経営トップ自身がオーナーであり、資本家であるから長くその地位に留まることもあるだろうが、それとて後継者がハッキリしているのなら、地位に恋々としているのは見場の良いものではない。

 

後継者が決まっているのであれば、じっかりした「事業承継プログラム」を作成し、そこに描いたスケジュールの下に粛々と実行していくのみである。ためらう理由などはない、ためらっては後継者にも周囲にも失礼だ。

 

後継者が決まっていない、これは良くない。それも後継候補はいるのだが、経営トップが決められないで迷っているのであれば、そこは速やかに意志決定をするべきだ。なぜなら「老い」は確実に進んでいくのだから。

 

候補もいないというのは、小さな会社には致命的なことになる。だが、現実には小さな会社の約半数はこの状態にあるらしい。それもオーナー社長が70歳をはるかに超えてその状態、という事例も少なくない。

 

でも今日は、そういうことをいいたいわけではない。こういった後継者問題については、またいつか日を改めて書くことにしよう。

 

そう、老人の跋扈について書こうと思ったのだ。

 

実業界だけの話ではない、ありとあらゆるところのこの「老害」というヤツがはびこっている。政界はいうまでもない、官界は定年があるからそうでもないだろうと思ったら、OBとしてにらみを利かす元ボスがいるらしい。

 

そして驚いたことにスポーツ界にも、この老害がまるで梅雨時のカビのようにはびこっている。一つは日大のタナカ(元は相撲部)理事長であり、もう一つは日本ボクシング連盟のヤマネ会長だ。2018080200077_2

 

もっとも、この2人も実は氷山の一角というか、たまたま顕在化しただけなのだろうとも思える。ただまぁ、このタナカとヤマネとはよく似ているなと思う、スポーツマンらしい潔い姿勢の無さと子供たちへの愛情の欠如だ。

 

よくもまぁ、こんなオトナの風上にも置けない輩をトップに抱いているものだ。正に老人の跋扈以外の何物でもないと思える。ヤクザでさえ、本物の渡世ヤクザは義理人情に厚いはずだが、それさえも感じられない。

 

ただ、この2人を見ていて思う、どちらも小心者なんだということを。第一自分の進退を、どう身を処したら良いのかが分からないのだから。

 

私もいろんな場面で老害にならないように、しっかり気をつけよう。その意味では、良い反面教師(という教材)を見せてもらっているわけだ。彼らの価値は、せいぜいそんなものかな。

孤立知識を連携知識に変えるのはカンタン

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中

<連載コラム(77)>
 
 孤立知識(テープレコーダー的保存知識)を、連係知識(コンピュータ的保存知識)に転換していく方法は、極めてカンタンなことです。

 
 それは、実際行動や具体行動として「使ってみる」というだけのことで良いのです。学んだことを実際にやってみることです。

 
 知識は実際に使う、そのことだけで連係知識の範囲に入り、役立つ形の知識となるのです。

 
 もし、直接的に実際行動の中で使うことができない場合には、間接的に頭の中で、具体的に克明につながりをつけていくという積み重ねによっても、連係の実践として効果があります。

 
 これは、頭の中でどんどん行動してみる(行動のつながりで具体的に考える)ということで、さらに各要素のつながり関係をできるだけ具体的に、なるべく幅広く追いかけていくというような、思考の訓練や実践のことなのです。

 
 この際に、つながりをつけて行く途上でつっかえたり、分からなかったりする点がたくさん出てくきますが、それに対して新たに調べたり確かめたり、あるいは実際にやってみたりすることが重要なのです。

 Photo

天命に向かって愚直に歩んで行こうか

友だち追加 ←ヴァンガード経営研究所・LINE@フォロワー募集中
 

私は現在66歳で、4ヶ月余後の12月にはまた一つ年をとります。

 

30数年間勤めた会社を辞めたのは56歳の時でした。もっともその間の半分16年半は、関連販売会社に出向していて現地責任者、さらに代表取締役というお役目もいただきました。

 

本当は人生の節目と思っていた50歳で辞めて独立を考えていましたが、販売会社での最終目標を達成するのがやや遅れ、その上に親会社に戻ってプロジェクトを任されましたので、タイミングが遅れました。

 

独立して今年で11年目に入り、当初目指した形とは少し異なってはいるものの、天命としてやるべきことと考えていた仕事に取り組ませていただいています。

 

具体的には、本来は経営のサポート・コンサルティングを中心に考えていて、当初3年間は地元の商工会議所でのサポート&コーディネートの他、ご縁ある会社のサポートも行いました。

 

たまたま、当時は大阪に母の家があり、そこを拠点事務所にして関西方面にもクライアントを増やすことを考えました。しかしながら、コンサル業務は時間と手間が必要だと感じました。

 

とくに私が意図したのは「人財づくりを通じてのコンサルティング」でしたので、クライアント社の経営者や社員さんと関わる時間も多く必要であり、『一馬力』では限界があります。

 

そこで仲間とのネットワークづくりを指向してみましたが、私自身がプレイング・コーディネーターをやるのは荷が重いということで断念。そんな中で、公開のセミナー開催がゆっくりと軌道に乗ってきました。

 

これなら、セミナーを通して多くの会社の「人財づくり」に寄与できるのではないかと思い至り、思い切ってサポート業務はクライアントを絞り込むこととし、公開セミナーと企業研修を主体に切り換えました。20180603_mg6

 

石の上にも3年、どころか5年はたっぷりかかりましたが、おかげさまで年間定期開催(共催含)の回数も徐々に増え、来年はさらに増えることが決まってきました。

 

セミナーは企業研修も含めて、MGMQ戦略ゲーム)とその応用であるキャッシュフローMGCFMG)、そして脳力開発講座が柱です。どちらも人間的側面、とくに行動学研修と位置づけています。

 

当たり前のことですが、企業を動かすのは人であり、進歩発展向上を担うのは人です。私の研修で目指すものはあくまで人財づくりであり、人が持つ本来の力を本人が気付き、引き出していくことです。

 

ところで冒頭に年の話をしましたが、自分なりに75歳という年齢を一つの区切りと考えています。70歳までは今のペースや調子で走れると考えていますが、その先は「一年更新」です。

 

75歳以降のことはまだ正直考えていませんが、自分の力をまだ活かすことができるのであれば、その時に考えていきます。それまではひたすら、愚直に天命に向かって歩んで参ります。

 

支援して下さる皆さまに、改めて感謝を申し上げます。

西郷が待ち望んだ江戸藩邸襲撃

徳川慶喜が大政奉還を申し出ると同じタイミングで出された討幕の密勅(実は偽勅)、その先兵として西郷隆盛の命により、江戸に送り込まれたのが薩摩藩士の益満休之助と伊牟田尚平であった。

 

すでに江戸三田の薩摩藩邸には相楽総三が、尊皇攘夷の浪士や不逞の輩を数多く(一説には500人とも)集めていた。益満と伊牟田が司令塔となって江戸市中での組織的な乱暴狼藉、放火、略奪、暴行が開始された。

 

大政奉還の直後に討幕の実行延期の沙汰書がなされ、討幕の密勅は事実上取り消されのだが、その報せが江戸に届いたのはずっと後だったし、走り出した過激な動きは止めようがない。

 

しかも乱暴狼藉や略奪、強姦の類は実行部隊の「実益」なので、いかんともしがたかった。幕府よりと目された商家への押し込みにはまだ理由が明確だったが、その内に見境がなくなる。

 

幕府も手をこまぬいていたわけではない。主力部隊は京都に出向いていたので、慌てて陣容を整えたが、その主力となったのが庄内藩であり、幕府傘下の新徴組であった。

 

取り締まりは強化されたが狼藉部隊は神出鬼没、しかしその内に「基地」が三田の薩摩藩邸であることが明白になってきた。藩邸というのはいわば治外法権だから、幕府といえども簡単には手を出せない。Photo

 

しかし証拠は明らかであり、凶行はエスカレートしている。その範囲は江戸市中のみならず、周辺にも広がり集団も大規模になっていく。その連中も皆、薩摩藩邸に逃げ込むのだ。

 

逃げ込むところを捕まえようとしたのだがうまくいかないし、藩邸に逃げ込まれてはどうしようもない。逆に、新徴組の屯所や庄内藩の屯所が銃撃され死者が出るに及んで、ついに堪忍袋の緒が切れた。

 

ついに薩摩藩邸に出向き、浪士や狼藉者の武装解除と引き渡しを通告したが、藩邸の留守役がこれを拒否。それを契機に庄内藩兵が一気になだれ込み、銃撃を行いさらに火をつける。

 

何しろ多勢に無勢で薩摩藩邸は全焼し、一部は逃亡に成功したが、150人以上の浪士が殺されるか捕縛された。これが世に言う「薩摩藩邸焼き討ち事件」である、時は慶応3年の暮れ。

 

西郷はこの報せを、今か今かと待っていたという。つまり相手から「手を出させた」わけで、戦いへの名分ができたことになる。しかも、江戸から知らせを受けた大坂の幕軍はいきり立ち、討薩ムードが高まっていく。

 

こうなると慶喜や老中たちもこれを抑えきれない。抑えつけようものなら、逆にキレられてしまう感じだったようだ。慶喜たちも意志を固める、そして年が明けて慶応4年冬、ついに京都への進軍を開始したのだ。

 

西郷のもくろみが成功したわけだ。しかし、そのために江戸市中の罪もない人がどれだけひどい目に遭ったか、正に手段を選ばずという姿勢が見えてしまう。

 

しかもなお後日談がある。それは江戸の狼藉部隊を率いた相楽総三のことだ。いかに西郷が非情の男であったか、それを追ってみることにしよう。

 

今日はここらでよかろうかい(と「西郷どん」風に)。

« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »