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今回の西日本大水害に思うこと

西日本豪雨(正式名称は別にあるようだが)は、平成に入って最大に被害をもたらしたようだ。死者と行方不明者を含めて200名を超えるとのこと、梅雨明けの猛暑で捜索も難航しているようだ。

 

私も通算で20年近く岡山県南部に住んだので、よく知っている地名が報道されるたびに心が痛んだ。倉敷市の真備町にはかつての同僚や友人が住んでいるはずだし、車で何度か通ったところでもある。

 

決壊した小田川、その上流の地に亡母の生まれ故郷があり、小さい頃にはお盆の帰省について行き、従兄弟たちと小田川で泳いだという思い出もある。親戚も何軒か、川沿いに住んでおられたはずだ。

 

小田川自体は平野を流れるゆったりした、さほど水量も多くない川なのだが、今回は不運が重なったらしい。水かさが増えたのは事実だが、決壊場所の先で高梁川と合流するのだ。Photo_3

 

その高梁川は中国山地に流れを発する急流で、中流域は何度も蛇行していて流れが詰まりやすい。この度も小田川との合流地域で蛇行する流れが大幅に増水し、合流しようという小田川の流れを押し返したらしい。

 

何でも「バックウォーター現象」というらしい。合流地点から本流から溢れた水が逆流し、小田川の流れをせき止めてしまった感じで、その結果堤防が一気に決壊してしまったようだ。

 

洪水と聞くと、14年前のちょうど今頃に新潟県(と福島県)で起こった「713水害」を思い出します。この時も梅雨前線に暖かな南風が吹き込んで、集中豪雨になり五十嵐川はじめ信濃川水系の多くの河川が切れました。

 

この時にはまだ線状降水帯という言葉は知られていなくて、ゲリラ豪雨という呼び方だったと記憶しています。私が住んでいた長岡市の隣、旧中之島町の被害は相当なものでした。

 

数日後に復旧ボランティアに参加して、水害に見舞われた家屋の片付けや土砂のかき出しなどを行いましたが、やはり真夏日の気温には閉口しました。臭いもすさまじいものでした。

 

今回の被災地も、復旧までにはかなりの時間を要することでしょう。当面は足りないものがたくさんあって大変なのですが、全国から支援物資がたくさん届きます。ところがそれを整理する人出がない、保管場所もない。

 

ありがた迷惑という言葉がありますが、かつて水害に襲われた地域からのアドバイスや情報に耳を傾けて、送り手の側もしっかりタイミングを図ると共に、本当に必要なものを見極める必要もあります。

 

さて、今回の災害では気象庁の警告情報が比較的早めに出たにもかかわらず、それが活かしきれなかったという反省もあるようです。過去の体験は目安にはなるでしょうが、それを大きく飛び越えることも予測すべきです。

 

行政側だけでなく、住民の側にもその意味では油断があったのでしょう。避難勧告にしろ避難指示にしろ、どこまでの強制力が可能なのか。そのタイミングと、それに従う気持ち、双方に問題があったようです。

 

私の友人も、「避難した方が良いのでは」という私のメールに「多分大丈夫だよ」と返信してきました。幸いその地域では堤防の決壊は起こりませんでしたが、一歩間違えばとヒヤリとします。

 

あえて、気象庁の警告情報が出た夜にアベさんが呑み会をやっていたとか、対策本部立ち上げ前日の関係閣僚会議がたった15分で終わったとか、それについては馬鹿馬鹿しいので追求はしませんが。

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