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西郷の汚点その1は教科書には載らない

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大河ドラマの『西郷(せご)どん』は、いよいよ場面が幕末の京都すなわち「維新」とやらのまっただ中に展開していくようです。そんな中で、私が『西郷の汚点』としている部分がどう描かれるか、興味津々です。

 

おそらくさらりと流していくのでしょう、あるいはことさらに必要悪だったことを強調するのでしょうか。原作者(林真理子)の思想信条からいうと、後者に近いのかも知れませんが。

 

その、私が言うところの西郷の汚点とは次の二つです。

1) 暴力をもって江戸の街を混乱させ、さらにその首謀者を冷酷に切って捨てたこと

2) 西南戦争であたら若い命を無駄に死なせたこと、その以前に江藤新平を見捨てたこと

2)の方についてはまた別の機会に譲るとして、どちらにしても敬天愛人などということを標榜している人物とはとても思えません。


さて、小御所会議は殆どなにも決められないまま、いや正確には決めたことは決めたけれども、実効性は乏しいままに空中分解してしまいます。首謀者たる岩倉具視は、おそらくかなり弱気になっていたことでしょう。

 

それを励まし、奮い立たせたのが西郷吉之助であり大久保一蔵であったと推察されます。それこそ「短刀一本で片がつく」という、西郷の考え方がここから実際に実行されていくのです。

 

ところが、教科書で教えられる維新史では、そこのところは殆ど触れられていません。教科書では、王政復古の大号令が機能して幕府の実権は停止し、新政府が機能し始めたとあります。

 

それに抵抗した幕府側が、鳥羽伏見の戦いを起点とした戊辰の役なるものに突入し、新政府軍は勝利を重ねていって維新を成功させたと。

 

事実はどうだったか、小御所会議では徳川慶喜に辞官納地を命ずるというところまでは提起されましたが、議定とくに諸侯の反対で完全に骨抜きにされてしまい、辞官納地を迫るには戦うしかないところに至ったのです。Photo

 

つまりこの時点で、初めて「討幕(倒幕)」ということが現実味を帯びてくるわけです。世の中の大勢は、この時点では決して倒幕ではなく、朝廷内の急先鋒岩倉にしてもまだ弱気であったのです。

 

島津藩つまり島津久光は元来が親幕であり、朝廷の意向は大事に奉るが決して幕府を倒そうなどとは思っていなかったはずです。むしろ西郷や大久保の動きを、苦々しく見ていたことでしょう。

 

第一、幕府は大政奉還を行ったのですから、政権は朝廷に戻っているのであり、倒幕する大義名分などどこにもないわけですから。だから西郷は、ここで秘策を繰り出さざるを得なくなってしまいます。


それは、旧幕府側を挑発することでした。これは「けんか」の発想です。相手の方から先に手を出させて、それを名分にして戦いの渦の中に引き込んでいく。やくざまがいといっても言い過ぎではないでしょう。


西郷は江戸にいた益満休之助伊牟田尚平に命じ、相楽総三たちあぶれ者の浪士たちを集めて、江戸の街中で凶悪犯罪を行わせたのです。殺人、放火、押し込み掠奪、強姦など、幕末史の汚点というべきものです。

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