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脳は何をするところですか

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<連載コラム(76)>
 
 脳は何をするところ(器官)ですか?と聞くと、考えるところだとか感じるところという答が返ってきます。

 
 確かにそれもありますが、一言でいうと情報をINPUTして、その情報を元にして命令を出す(OUTPUT)ところです。

 
 その脳において、有効・有力に縦横に使いこなされている材料(データ)のことを、「実際知識」と呼んでいます。

 
 脳内の知識の中には、その反対に、具体活動の中に有効・有力に活用されていない、つまりすぐに役に立たない知識もあります。

 
 脳の中でのつながりと保存の特性から見て、知識(データ)を二種類に分けることができます。まず一つは、コンピュータ的保存の知識で、これを「連係知識」と呼ぶことにします。

 
 もう一つは、テープレコーダー的保存の知識で、こちらは「孤立知識」と呼ぶことにします。

 
 これは、プログラム(具体命令)の回路に対して、電流的にちゃんとつながっているか、いないかの違いです。

 
 つながっている連係知識は、実際行動の命令(プログラム)の中で、材料としてどんどん具体的に使われます。もちろん役に立ちます。実際知識はこちらを指します。

 
 つながっていない孤立知識の方は、信号として孤立しているだけですので、行動の中に有効に登場してきません。

 
 ただ「暗記」しているという段階の知識ですので、孤立状態にあり、行動には役に立たないというわけです。

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MG研修を通して全員経営を実現する

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ちょっと以前のことだが、ある会社から社員研修についてのご相談をいただいた。私も昔からよく知っている会社で、その当時から社員教育にはかなり熱心な会社だということで知られていた。

 

もっとも、当時から比べると社員の数も倍くらいになっているそうで、新入社員の導入教育はしっかりとやっているのだが、中堅社員や幹部社員の教育は外部の会社に任せることが多いという。

 

会社の規模が大きくなって仕事量が増えたことで、教育に割ける時間が年々少なくなってきているという。本来教育を担当させたい現場の幹部社員も、プレイングマネジャーとしてとても手が回らないのだそうだ。

 

その結果ということでもないのだろうが、ここ数年は売上も横ばいで利益の減少から、赤字になる年もあるという。前期3月末の決算も残念ながら赤字に終わったのだという。

 

ところが、幹部社員も含めて現場の社員たちにイマイチ危機感が乏しいようだと、社長はおっしゃった。赤字を出していてもこれまでの蓄積があるので、昇給や賞与もそれなりに出せているためなのか。

 

しかしこのままでは、いつか近い将来これまで累積してきた利益を食い尽くしてしまうだろう。そうなる前に手を打ちたい、それには幹部社員から意識を鍛え直すことが必要ではないかと。

 

たまたま、社長があるところで私の講演を聴かれたそうで、その話の中に出てきたMGや脳力開発という研修に興味を持たれたのだそうだ。

 

企画提案のオファーだったので、早速「幹部研修」としてのMG研修を提案することにした。とくにMGの人間教育的側面を打ち出し、そこに脳力開発の精神的姿勢の強化を盛り込んだ内容での提案を行った。

 

MGの人間教育的側面は『全員経営』というテーマに集約される。単に経営感覚を養うとか、経理計数に強くなるための研修ではないということだ。経営戦略の下で、自分で考え自ら行動する人材を作ることが目的だ。Img_8914

 

つまりこういうことだ。脳力開発では、人にはそれぞれ立場がある。たとえば、普段の生活の中では夫(妻)であったり、親であったり子であったり、会社では社長だったり課長だったり、というような立場だ。

 

その立場には必ず「役割」がある、付随している。会社の中の立場についてももちろん同様で、役割を果たしてくれることを会社は期待している。100%果たすことが基本だが、可能ならそれ以上の結果を望みたい。

 

理想的には自ら考えて、すぐに行動してほしい。もちろん、経営理念すなわち企業の(最高)戦略の「旗の下」にである。戦略をしっかりと理解した上で、チームや個々人が戦術を自由に駆使していく。

 

こういう姿が「全員経営」ということであり、その実現にはMG(と脳力開発)が有効な研修であることを提案した。ただし、じっくりと時間をかけて取り組んでいただきたいと。

 

昨今、いくつかの提案オファーをいただいているが、基本はこの時に組み立てた内容に沿って提案先企業の状況に合わせてアレンジしている。基礎に据えているのは『人間』だ。

 

MG自体が人間教育であるということ、人間主義とくに相手中心主義であることを理解した上で、社員教育に取り入れていただきたいと考えているところだ。

色があせた自民党総裁選に興味薄

西日本大水害の被害が広がる中で、通常国会が最後の追い込み審議を経て終了した。これで、政局の焦点は自民党総裁選に移ったかっこうだが、それも早々と先が見えてきた感じがする。

 

安倍一強などと言われる昨今の状況下だが、せめて自民党の中でしっかりと将来を見据えた総裁選の論戦を期待していたのだが、それも淡い期待に終わりそうだ。

 

そう、岸田政調会長が戦線を離脱してしまったからだ。安倍政権を支える政調会長だということを差し引いても、ここは打って出てもらいたかったところだ。Photo

 

岸田派といえば言わずと知れた宏池会の流れを受け継ぎ、自民党内では良い意味でハト派、あるいは良識派と呼ばれてきたはずだった。

 

それが、バリバリの改憲論者で「富国強兵」政策も辞さないようなアベにすり寄るなど、がっかりとしか言いようがない。どうせ勝ち目はないと踏んだのだろうか。

 

アベの次は自分、あわよくば禅譲のようなことになるかという思いがあるなら、キシダはとんでもない甘ちゃんで、バカの三代目とやらを地でいっているところだろう。

 

政権なぞは勝ち取っていくものだ、という気迫あるいは気概を失ってはしょうがいないな。期待したオイラが悪かった、いやいや最初から期待はしていませんがね。

 

それでも、アベとイシバとキシダの3人で(もう一人ノダもいたっけや?)争えば、それなりの論戦も期待できるかなと思ったのだが、それはもう望めそうもないな。

 

岸田派が安倍政権を支持したことで、国会議員票の34はアベに流れるだろう。地方票も同数はあるようだが、イシバも前々回のような得票には及ばないだろうから、もう決まったも同然だ。

 

どうせ、自民党という「井戸の中」の争いではあろうが、その総裁がほぼ(100%)確実に総理大臣に指名されるわけだから、これはもう国民にとっても残念至極だ。

 

アベに逆らったら、党内の要職や内閣の大臣・副大臣・政務官からもスポイルされる、そんな気持ちが働いているのだろうか。それにしたって、ポストはそれほど多くはないので、大半は餌にはありつけない。

 

「魔の三回生」を中心にトンデモ発言が頻発しているし、どうみても自民党内のタガは緩んでいそうだ。骨のありそうな人材を感じないのも嘆かわしい。個々にはイイヤツもいるんだろうけど。

 

国民もヤル気が失せているのかな。野党の結束など見込めない中では、来年の参院選も自民党が過半数を確保していくのだろう。

 

この秋10月には新潟市長選がある。現職引退で、今のところ混戦模様だそうだ。投票率が低いなんてことだけは避けていきたいものだなぁ。

迷走台風12号はどうなっていくんだろう

台風12号が列島に不気味に接近しています。

 

何しろ異例の進路を通ってくるようです。通常の台風は南海上から西に廻って、そこから少しずつ北上、東向きになっていく。

 

ところがこの台風は、何とまっすぐ北上してくる。しかも、通常と反対に列島に近づくと西に向きを変えていくのだという。

 

何でも太平洋高気圧が東と西に、2つに分かれたのだそうで、その高圧帯のすき間の低圧帯を真っ直ぐ北上してくる。そのまま北へ行ってくれれば、、、

 

台風というのは「自分で動く」エネルギー源とか動力を持ってはいない。周囲の条件のままに「流されて」いくのだそうだ。Photo

 

通常は高気圧の西の縁を廻って流され、列島に近づくと偏西風に乗っていくように北東方向に進路を変える。

 

ところが今年の偏西風は、かなり北の方を流れている。そして台風の進行前面には何でも「寒冷渦」とやらがあるらしい。これは低気圧になりきれない低圧部らしい。

 

この寒冷渦が反時計回りで、台風12号はこれにそって西に進路を変えるのだという。弱っちい渦なので、巻き込まれた台風は速度を落とす。そこで荒天が永く続くらしい。

 

すでに、土曜日夜の花火などのイベントが次々に中止になってきている。今後は日曜日のイベントも中止を余儀なくされるだろう。

 

夏休みで楽しみにしている子供たちには残念だが、それどころではないというのが本音だ。先日の水害被災地にも、さらなる災害がもたらされなければいいのだが。

 

何しろ「前例がない」台風の動きだけに、どうなるのか予測も難しいようだ。酷暑が続くので雨が恋しい、ナンテのんびりしたことを言っている場合ではない。

 

何事もありませんように、切に願いたい。

楽しみの人生か嘆きの人生か

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<連載コラム(75)>
 
 戦術の方は、遠くの話ではありません。当面レベルの詳細な条件に対して、あるいは条件の変化に対して打っていくべき手段・方法です。

 
 ですから条件の検討が不可欠で、着実に一歩ずつ定年に薦めていく必要があります。

 
 エイヤー!で「大胆に」やるべきものではありません。大胆にやって失敗した例は、歴史を振り返れば有り余るほどにあります。

 
 少し前の身近なことなら、太平洋戦争における日本軍がそうでしょうし、昨今の企業倒産例を見るまでもないでしょう。

 
 MG
でも、とにかくやってみるかで、勢いのままにやって最初はうまくいくが、終わってみたら結果が伴っていないどころか、致命傷まで負っていたなどという体験は多くの方がやってこられたでしょう。もちろん、私自身も数多くやり損ないを体験しました。

 
 戦略と戦術、このテーマの最後に「人生の戦略」に触れておきましょう。皆さんは「人生の戦略」をキチッとお持ちでしょうか。

 
 今年1年のことでも分からないのに、ナンテ言っていてはいけませんよ。戦略が軸芯にないと、周りのことや変化に振り回されてしまいます。

 
 そうなっては、気が付いたら「嘆きの人生」になっていたという羽目に陥りかねません。

 
 自分の戦略を確立して土台に据え、何が起こってもその原点に戻ってみる習慣をつくることが必要です。さすれば、間違いなく「楽しみの人生」が得られることでしょう。

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あなたの会社は当たり前の会社か?

かなり昔の本だが、新潮文庫に『良い会社』というのがあった。

 

その中に書いてある「良い会社度を測る10項目」を列挙してみよう。

 

1) 専門能力  プロとして通用する能力が開発できる

2) 評価内容の公開  社内での自分の実績が分かる

3) サービス残業  時間外労働には対価が支払われる

4) 自発性尊重  社員の希望をかなえ、納得ずくで仕事をさせる

5) 休日  大切な休みを社用でつぶさない

6) 社会活動  市民として積極的な参加を奨励する

7) 雇用契約  社員を人間として尊重する

8) 意思疎通  自由闊達な社内コミュニケーション

9) 企業目的  どんな会社をめざすのかが明確

10) 上下関係  上司への全人格的従属をせずに済む

これを見て、あなたはどう感じられるだろうか。Photo_2

 
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年くらい前の本なのだが、これら全部は「当たり前」のことではないか? それもごくごく当たり前、初歩的なことばかりではないかと、私は思うのだがいかがだろうか。

 

そういう当たり前のことがやれているのが「当たり前の会社」ではなくて、「良い会社」のレベルなのだということにもいささか驚かされる。

 

そして問題は、現在の企業のかなりの部分が、この「当たり前」さえ満たしていないのではないかということだ。しかも状況はより悪くなっていると思わざるを得ない。

 

正直言って、いわゆる大企業や上場企業の中で、上記の当たり前の10項目が全て当てはまる会社がどれだけあるだろうか。ゼロとは思いたくないが、限りなくゼロに近いのではないか。

 

それどころか、ブラック企業と言われる会社とか、そこまではいかないまでもグレーゾーンの会社がずらりと並んでいる印象だ。それをまた、「働き方改革」なるもので覆い隠す、あるいは緩和するつもりのようだ。

 

あの改革は誰のためのものかを考えると、正に自明の理ではないか。少なくとも私は、いわゆる大企業や上場企業に都合良く運用されていくのだろうと危惧している。

 

今や、上記のような当たり前を満たしているのは中小企業にしかない、それもおそらく一握りの。

 

しかし、その中のまたいくつか、すなわち絶対数はほんの僅かしかないわけだが、その当たり前の何倍も素晴らしいことをやってのけている会社もある。そのことが救いだと言える。

 

私のクライアントには、まずは上記の当たり前をクリアしていただこうと思う。そしてその内のいくつかについて、より良いレベルに引き上げていくよう支援しよう。

 

誰のために? 言わずと知れている、社員とその家族のためにだ。

あまりにお粗末な「西郷どん」の筋書き

22日夜のNHK大河ドラマ「西郷どん」を見た。ちょうど、禁門の変を巡っての動きであったが、見ての感想はあまりに西郷を美化して描きすぎだなということだった。

 

まぁ、小説をさらにドラマ化したものだから目くじらを立てる必要はないが、それにしてもここまで「持ち上げる」というのはいかがなものかなぁ。

 

史実であるところの、薩摩の高崎正風(佐太郎)が会津の秋月悌二郎に接触し、長州藩の追い落としについて合意を取り付けたことには全く触れられていない。薩会同盟とも言われるが、これは無視されている。

 

これがあったからこそ、西郷に率いられた薩摩軍は蛤御門を守って劣勢に立っていた会津を救援に駆けつけたのだし、大将(来島又兵衛)を討たれた徴集兵に投降を呼びかけたなど、笑止千万なことだ。Photo

 

長州兵たちは明らかに御所に向けて大砲や鉄砲をぶっ放したのであり、この瞬間「朝敵」に成り下がったわけだから、それを赦すなどということがあるはずもない。現場指揮者がやったら、それは越権行為だろう。

 

この時期、西郷はまだまだ「重要人物」ではありえなかったし、前回も書いたように薩摩の中でもまだ「浮いた」存在であった。

 

実際、この禁門の変で勲一等は高崎佐太郎であったし、かれは京都留守居役という重要職に就いている。しかも高崎の方がむしろ戦を否定する立場を貫いた。薩摩の実権者である島津久光の意を介して動いているはずだ。

 

とくに高崎は、幕府に対しての戦事(武力討幕あるいは倒幕)にはずっと否定的であり、そのために西郷と対立したために結果としては失脚する。よって、当初は新政府に出仕していない。

 

おそらくこのドラマの中では、長州兵の投降を赦さず皆殺しを命じた徳川慶喜の存在を浮き上がらせ、西郷との人間愛の差を際立たせる筋書きであろう。

 

次第に西郷が、慶喜との考え方の差を浮き彫りにしていき、やがて幕府を倒す方向へと舵を切る、そのきっかけの一つとして活用するのだろう。

 

そんな私の感じ方が合っているのだとしたら、ひどく底の浅いドラマだなぁと言いたくなる。もっとも原作を読んでいないので、林真理子の底も浅いのかどうかは知るところではないのだが。

 

さて、いよいよ京都では西郷と大久保の独走が始まっていくわけだ。もちろん仕掛け人がいる、それが岩倉具視だ。色分けするとすれば「謀略の人」であろう。まずはこの3人が手を結ぶことになる。

 

前回までに述べた王政復古の大号令、そして小御所会議の主役は岩倉だ。大久保はそれを表から支え、西郷が裏から支えたことになろう。何しろ「短刀一本」の御仁だから。

 

ついに慶喜は追い込まれる。しかし、まだ足りない、そこで西郷が手を打つことになる。それが幕府のお膝元である江戸市中を混乱に陥れることに他ならない。

 

混乱させることが目的ではない。堪忍袋の緒が切れた幕府あるいは親幕藩のどこかに、引き金をひかせることが目的なのだ。それに引っかかったのが庄内藩だった。

MGは絶え間ない意志決定の訓練場

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<連載コラム(74)>
 
 さて、戦略の次は細心であるべき戦術の話です。

 
 戦術は、当面する具体的行動のことですから、きめ細かな計算と、詳細な一つ一つの行動・動作の積み重ねを万全に進めなくてはなりません。

 
 意義と原理のレベルの測定や判断だけで目先の行動を突っ走ってしまっては、ロスが多すぎるでしょう。ロスが多ければ、当然ですが効率も悪くなります。

 
 そのあげくに致命傷を負って、根本の戦略まで損なうことにもなりかねません。

 
 MG
はなぜ立ってやるのか、折りに触れて話したり書いたりしてきましたが、立つことによって全体が見えるからです。

 
 自分の会社盤だけ、自分の第1表(資金繰り表)だけを見ていては、ミクロ的な測定・判断しかできません。

 
 自分の現状をしっかり見据えることは必要ですが、全体(MG市場)の中の自分が分かっていないと、目先だけの展開に走り、結果を得られないことも少なくないでしょう。

 
 でも、ただ立っているだけなら「かかし」でも立っています。あなたの目は何のためにあるのでしょう、耳は? 

 
 そして期数に裏付けられた体験の情報蓄積、それらを総合して、しかも一瞬に判断し意志決定して行動に移行するわけです。

 
 MG
は絶え間のない(経営の)意志決定、それも戦略に裏付けられた戦術についての意志決定を、繰り返して訓練する場なのです。

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あまくさみすみ線にも乗りました

肥薩おれんじ鉄道に乗り鉄したその日、八代から熊本まで直行すれば早く着きすぎるということで、宇土で途中下車して三角線(あまくさみすみ線)を乗り鉄しました。三角線に乗るのも40数年ぶりでした。

 

宇土駅に入ってきたディーゼルカーはキハ31形の2両編成、ワンマン運転です。確か以前は転換クロスシートだと思っていたのですが、改造されたのか申し訳に一部が転換クロスシートで、あとはロングシート。20180720_142701

 

その転換クロスシートを倒して4人分を占領している厚かましいおっさん、こちらもとくにこだわりはありませんので、ゆっくり足を伸ばせるロングシートも歓迎です。

 

終点三角は天草観光への入り口でもありますが、観光客とおぼしきはこのおっさんと、あとはアベックらしい二人連れくらい。「鉄」っぽい人は私以外には見かけませんでした。

 

かつては島原に渡るフェリーもあったようですが、既に廃止されて久しいとのこと。天草五橋を通行する観光バスや車での観光が主体に代わっています。

 

7080年代には豊肥本線に直通する急行(「火の山」)列車も走っていたのですが、確か分割民営化直前に廃止されたと記憶しています。

 

宇土を出てからしばらくして海が見えてきます。三角の少し手前までは、宇土半島の北岸を走ります。さほどの勾配区間もなく、軽快な17m車であるキハ31は軽やかに走って行きます。

 

住吉駅では熊本行きの普通列車と交換待ち、そちらはキハ47147)形の2両編成でした。三角線は、これら2つの形式車両でまかなわれているようです。

 

しかし、この線ならではの車両もあるのです。今回の三角線行では、その車両も撮り鉄するのを目的にしています。それが熊本車両センター所属のキハ185系(キハ185-4+キハ185-1012)の「A列車で行こう」です。

 

短い区間を走りますがれっきとした(臨時)特急列車、ジャズのタイトルのような愛称ですが「A」は天草のAであり、アダルトのAにも引っかけられているとか。なお実際に、ジャズナンバーもBGMで流れているそうです。

 

三角からの帰り道、網田駅にてすれ違い撮影ができました。

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3回目の熊本キャッシュフローMG開催

今年も夏空の熊本にやってきました。

 

きっかけは3年半くらい前、MGの学びと交流のなかで、熊本でのキャッシュフローMG開催が決まりました。

 

あと3ヶ月で開催、そろそろ仲間たちにも案内をしなければなと考えていた矢先、あの大地震が起こりました。2016年4月14日の夜でした、震度7のニュース速報。

 

しかもそれは前震で、2日後16日未明に起きた震度7の地震が本震であったという事実。1回目の揺れに耐えた建物が、この本震で倒壊するなどの大きな被害をもたらしました。

 

その後も余震が続きました。2004年の中越地震で、本震(震度7)以降1千回近い有感余震を体験した私には、その怖さを自分のことのように感じました。

 

幸い仲間たちの人的な被害はなかったようでしたが、会社や自宅の被害はかなりあったようです。

 
そういう状況でしたので、7月に開催を予定したCFMGも開催は難しいかなと思い、メールでの確認となりました。決して無理はされないようにとのメッセージを付けて。

 
そうしたところ、即座に「予定通りやります」との力強いご返事をいただきました。

 
幸い開催の頃には交通の便もほぼ正常に戻り、参加者も集まりました。でも、空港から市内へ車で走るとまだまだ復旧工事が手つかずのところも目につきました。Photo

 
何より熊本城の被害状況は、元通りになるには数十年かかるとの報道もなされていましたから、所々は目を疑うような目を疑うような酷さでした。

 
それでも、さすが加藤清正公の築城した城、肝心の所は大丈夫だとのお話でした。あれから3年目、確かに一歩ずつですが雄姿を取り戻しつつあるようです。

 
今回のCFMGは第3回目、18名(3卓)の方のご参加をいただきました。キャッシュフローMGのファンも定着してきていることに、感動しています。

 
今年も私の経営体験をお伝えしながら、キャッシュフロー経営、そして全員経営の大切さをお話しして参ります。

 
ご参加の皆さん、そして地震の後からも継続して開催して下さるスタッフの皆さんに、心からお礼を申し上げ、氣愛を入れていきます。

肥薩おれんじ鉄道に乗る

昨日は熊本でのセミナー前日の休日、そこで鹿児島から熊本への移動での乗り鉄旅を楽しみました。

 

実は昨年も同様のスケジュールを立てていたのですが、薩摩川内市の川内駅についてしばらくしたところで突然の地震、鉄道も一時不通になったり遅れが出たりで先が読めなくなり、乗り鉄旅は断念したのです。

 

そこで今回こそリベンジということで、鹿児島中央駅からローカル電車で川内へ。そこから肥薩おれんじ鉄道のディーゼルカーに乗り継ぎです。JRは昨日から通用開始の「青春18切符」を使います。

 

この切符では肥薩おれんじ鉄道には乗れませんが、乗り換え窓口に行くと「おれんじ18フリー切符」というのがあり、青春18切符を提示すると販売してくれます。これだと500円くらい安く乗れるのです。

 

5分間という慌ただしい乗り継ぎ時間の間にフリー切符を購入して、1両だけのディーゼルカーに乗り込むとすぐに発車。車内は私を含めて数人の乗客でした。20180720_112914

 

肥薩おれんじ鉄道は、九州新幹線の開業による「並行在来線」の分離に際して、JR鹿児島本線の八代―川内間を3セク化したものです。

 

元々交流電化されていますが、電気運転しているのはJR貨物の貨物(コンテナ)列車のみです。旅客列車は、上記のようにディーゼルカー(HSOR-100形・150形)で運転されています。

 

貨物列車は夜間を中心に5往復が、鹿児島貨物ターミナルを起終点に運転されていますが、JR貨物の機関車(ED76形またはEF81形)が10両のコンテナ貨車を牽引しています。運転士はJR貨物所属。

 

この貨物列車走行に伴う、JR貨物からの線路施設使用収入がこの鉄道の生命線とも言えます。ただ、施設の管理費用もかかるため、赤字経営状態で補助を頼りにしている状況です。

 

施設自体、かつての本線をそのまま引き継いだものであり、その維持管理も大変だろうなと感じました。旅客も子供の減少で通学客が減っているなど、一企業の努力だけではどうにもならない部分も見られます。

 

この日の列車も、鹿児島と熊本の県境付近ではほとんど乗客がなく、もちろん全線を乗車するなどという酔狂な客は私一人、普段でも鉄道ファンくらいのものでしょうね。

 

土曜休日の快速列車運転や、企画・観光列車の運転などがんばってはいますが、沿線人口の減少などもあり、今後の経営もなかなか厳しいものがあるようです。

 

新幹線の並行在来線問題は各地で問題になりましたが、これからも近い将来、石川・福井県や佐賀・長崎県あたりで起こります。これまでのやり方で良いのかも含めて、考える必要があるとも感じます。

「戦略は大胆に」決めるとはどういうことか

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<連載コラム(73)>
 
 『戦略は大胆に、戦術は細心(慎重)に』について、もう少し詳しく解説します。これは、戦略と戦術を駆使する際の最も重要な土台方針です。

 
 戦略の方は、「高い意義や高い価値が認められることで、しかも原理的に十分可能こと」であれば、大いに大胆な求め方をする方が良いのです。

 
 原理的に可能ということは、原理的な無理や困難がないということです。

 
 そして大胆に決めるということは、目の前の当面レベルの条件とか状況に支配されたり、引きずられたりしてはならないということです。

 
 大局的は判断とか、将来を見通した決め方とか、色々なパターンはありますが、目先のことだけに振り回されてはいけません。

 
 人間にやれること、当然その範囲内のことになるわけですが、それは質的に難しいか易しいかという問題ではなく、量的な違いの問題にしかなりません。

 
 つまり人間のやれることには大差がないので、その質的な難易を議論しても始まらないというわけです。

 
 「根本のねらい」は大きく高い方が、それだけ結果も大きく高くなります。逆に小さく低くとれば、結果もいきおい小さく低い水準で終わってしまうでしょう。

 
 どちらがいいですかと聞けば前者だと答えるのに、実際の戦略がそうなっていないと、結果に大差がついてしまうのもやむを得ません。

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いざという際の代替貨物輸送はお寒い限り

西日本豪雨被害は死者200人を超え、土砂崩れ・土石流や堤防決壊による浸水被害など、平成年間で最大という未曾有の災害になった。ダムの放水で町が浸水し、死者まで出たという人災にも摂れる被害も出た。

 

普段そんなことが起こりそうもないところで起こった例もあったり、想像もできないような土石流に一気に破壊されてしまったということもあったらしい。

 

雨が上がった後は一気に真夏の空になり、ところによっては猛暑日の暑さが襲っていて、復旧の作業も極めて大変なようだ。ボランティアの皆さんを含め、我が身を大事にしながらがんばっていただきたい。

 

さて、鉄道や道路の寸断も半端ではなく、道路に関しては高速道路や幹線道路、あるいは陸の孤島にならないための基幹道路については、応急修理も含めて通行できるようになってきているようだ。

 

一方鉄道については、大動脈である山陽本線を含めて広島県を中心にまだまだ不通区間が多く、復旧までには1ヶ月以上かかる線区もあるとのことです。

 

少しずつ復旧できたところから運転再開を目指しているとのことですが、橋梁が流されてしまったり、電化区間では変電所が破壊・浸水してしまったりしたところもあり、なかなかめどがつかない状況です。

 

昨日(18日)現在では、山陽本線では三原-向洋(広島の手前)間と柳井-徳山間が不通のままだ。海岸を走る呉線(三原-呉-海田市)も復旧見通しはかなり先のようだ。

 

旅客はまだ新幹線が走っているので、該当区間では代替輸送ができているのは幸いだ。ただし、通勤通学輸送が正常になるまでにはまだまだ時間がかかる。

 

一方貨物列車は、東は東福山貨物駅まで、西は新南陽貨物駅から以西しか運転ができない。山陽本線には、JR貨物の貨物列車の約13が走っているそうだが、上記駅の間は走ることができない。

 

そこで当面はトラック輸送や船舶輸送で何割かを対応しているが、やはり貨物の滞留や輸送遅れによる商工業への影響もかなり大きいようだ。

 

東日本大震災の際には石油なども含め、代替線を使っての輸送が機能した。東北本線の全面開通まで、上越線と日本海縦貫線(信越・羽越・奥羽)などを活用しての迂回輸送がなされたのだ。Photo_2

 

そこで山陽本線がダメなら、日本海側を走る山陰本線が輸送を代替できないかと誰もが考える。しかし、山陰本線は本線とは名ばかりの長大ローカル線で、線路規格が低い区間もある。

 

つまり山陽線を走っている20両や25両編成のコンテナ列車は、走らせることができない。多くが単線で線路容量も少なく、現在貨物列車は工事列車以外には走っていないのだ。

 

ならば新幹線を活用できないか、岡山以西なら線路容量にも余裕がありそうだ。しかしこれも不可能、貨物用車両、機関車も貨車もないし、駅の貨物対応設備もない。初期には貨物輸送構想(上の写真)もあったが、立ち消えになっている。

 

かくのごとく、いざという時の代替策は全く練られていないのが現状だ。まさかこれほどまでの被害が出ようとは思ってもみなかった、ということだろうが誠にお寒い限りだと思わないか?

幕末薩摩のキーマンは小松帯刀だった

歴史の教科書ほどいい加減なものはない、と断言できるほど私は研究者でも物知りでもないが、それにしても随所に間違い記述、あるいは一方的見解による記述が目立つことは事実だろう。

 

ヘンな言い方になるかも知れないが、それならばいっそ隣国のような「国家的偏見」に基づいた記述の方が、筋が通っていると思ってしまう。事実を曲げるということに関しては同床異夢だろうが。

 

幕府の崩壊が進行する幕末という時期のスタートを、ペリーの来航に基点をおくことに何の疑問を感じない記述から始まって、薩長が偉い、幕府がアホやといった根本的な考え方は誤っている。

 

遡って恐縮だが、江戸幕府は一度も「鎖国法」などは制定していないし、幅広く解釈すれば江戸開府以来一度も鎖国をしていない。限られた枠の中ではあるが、外国との交易も続いていた。

 

鎖国は祖法ではない証拠に、家康は盛んに交易を進めていたわけだし、ヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスを側近としていたではないか。キリスト教の布教は禁じたが、国を閉ざしてはいない。

 

名実ともに開国をしたのは間違いなく江戸幕府という政権であったし、そのあとでも薩長、とりわけ長州藩は攘夷を標榜し実行までやっていたではないか。その賠償金まで幕府に払わせ、あとは頬被りだった。

 

昔私が学んだ頃の教科書には、ペリーが日本に初めてやってきたアメリカ人(の外交使節)だと書いてあったが、もちろんこれは誤りである。その以前からオランダ国旗を掲げて、長崎に入港してきてもいた。

 

江戸の市民はびっくり仰天して恐れおののいたともあったが、それは江戸湾深くに進入した最初だけで、あとは極めて平静そのものだったことは、いくつもの文献に書かれているとおりだ。

 

話を進めよう、教科書には書かれていない事実のことだ。

 

小御所会議が殆ど空中分解してしまったことで、西郷たち(大久保と岩倉など)は焦った。徳川慶喜への辞官納地、とくに納地命令が直ちに実行されなければ、カネのない朝廷政府は瓦解してしまうのだから。

 

しかし、薩摩藩全体が西郷たちの思うとおりに動く状況ではなかった。いや、むしろこの時期は西郷たちの思惑とは異なる考え方の方が主流だったと思える。国父の島津久光自身がそうであったようだ。Photo

 

この後も久光と西郷たちは対立を深めていくことになるのだが、すでにこの頃から溝は深くなっていきつつあったらしい。その狭間で調整役を担っていたのが、家老の小松帯刀だった。

 

帯刀の存在を忘れて、幕末の薩摩を語ることはできない。いやむしろ、もっと中心に帯刀をおいて論じるべきではないのかと思うほどだ。身分が違う、帯刀と西郷や大久保とでは月とすっぽんだと言って良い。

 

藩主や国父に直接もの申せるのは帯刀であって、西郷たちではない。岩倉は久光にもの申せる立場だが、久光は国元に帰ってしまっている。よってこれまた帯刀を介するしかない状況だった。

 

だから、西郷は全く別の次元での行動を開始したのだ。もし万が一のことがあっても、薩摩藩とは無関係であると弁明できるところで暗闘を開始したのだった。

戦略とは旗印のことなり

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<連載コラム(72)>
 
 集団(組織体)が、ひとつの統一的方向に向かって、統一的に活動していく際に、広大な「協力の結集」を計っていくためには、旗印が必要です。

 
 この旗印(統一軸・中心軸)を戦略と言います。

 
 多くの衆(集)の力を結集して大きな総合力=組織的な力=を発揮させていくには、最高戦略に対する皆の意識・認識が、合意として統一化される必要があります。

 
 この最高戦略が、原点あるいは中心点・中心レベルです。

 
 またこれを戦略的統一(性)と言いますが、集団的、組織的な勝負や発展性などは、まさにこの点にかかってくるといいでしょう。これをやらずして、組織を一つの方向には動かし得ないのです。

 
 ところで、戦略的統一ですが、これは単に言葉や概念での抽象的統一化を指すのではありません。

 
 本心から発する行動方向として、つまりは具体的な行動として揃うことです。ただのポーズの問題ではないということです。

 
 さて、この旗印(根本の戦略)が不明確だと、組織員(直接的参加者)の活動が違ったバラバラな方向に向かってしまい、ましてや外部協力者(間接的参加者)の協力も、集中のしようがありません。

 
 もちろん、戦略の内容も正しく明確でなければならないことは、言うまでもありません。

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今週は九州に遠征します

お盆というと今では8月というところが主流ですが、本当は昨日7月15日がいわゆる盂蘭盆会で、今日16日が祖先の精霊の送り出し日。

 

そんなわけで、今日はゆっくりとして祖先の霊にお参りして、夜にはキチンと送り出すことにしましょうか。

 

さて、土日を挟んだ遠征が5月の下旬から続いていて、昨日で8週連続でした。それも今週末の遠征でようやく一区切りです。

 
昨今は企業研修も含めてセミナーの開催が主体になってきていますので、どうしても土日が移動を含めて遠征日になることが多いわけです。

 
もちろんこの間には、私自身の研修参加も含まれています。発信だけでなく、しっかり受信もしておかないといけないというわけですが、心身共にリフレッシュという意味も大きいです。

 
幸いに来週からは2週続けて土日休みを確保していますので、少しはカミさん孝行もしなくてはいけませんね。憂いなく遠征に出られるのも、家族の支えあってこそですから。

 
今週末の遠征は3年前から恒例になりました九州・熊本へ。そう、スタートしたのは熊本地震発生の年でした。

 
発生から2ヶ月、セミナー(キャッシュフローMG)開催も危ぶんでいたのですが、主催の皆さんが「やりましょう」と力強く言っていただき、第1回が実現しました。

 
昨年は1日余裕を作って鹿児島まで足を伸ばし、「肥薩おれんじ鉄道」の乗り鉄旅をもくろんでいたのですが、乗換駅の川内に着いたところで大きな地震。102_1707

 
乗車予定の列車が大幅に遅れるということが伝えられて、夕方からの予定がありましたので乗り鉄は断念し、新幹線で熊本に向かいました。

 
そこで今年はリベンジです。日程にもさらに余裕ができましたので、脳力開発の先輩・田上康朗さんとも久しぶりにお会いし、ぜひ行きたかった豚珍館さんにも足を伸ばします。

 
もちろん肥薩おれんじ鉄道にも乗車します。かつての鹿児島本線で、国鉄時代に何度か乗ってはいますが、3セク化されてからは初めてなのです。

 
昨年、『列車が遅れてしまいごめんなさいね、また来て下さい』と、切符の払い戻しを快く受けて下さった女性駅員の方は、まだいらっしゃいますか?

 
その九州では、神戸や東京で開催している脳力開発講座(3回シリーズ)を、福岡もしくは他の地でもぜひ開催したいと考えています。

 
まず自分が強い気持ちになっているかどうか、意思決定できる覚悟ができているか、田上さんの意見も聞きながらこの旅の中で確認して、決めていきます。

 
では九州に皆さん、19日からよろしくお願いします。

「産めよ増やせよ」発言が容認される世の中が怖い

少子高齢化と言われますが、本例的に言えば少子化と高齢化とは全く別物です。それを十把一絡げで論じるところにこそ、問題があるのではないかとさえ思えてしまいます。

 

どちらも問題も、ある日突然に発生したことではありません。地震や水害のように、想定をしていなかったのに起こってしまったというわけではありません。もとより、ずいぶん前から予測され警告がされていたことです。

 

ところが場当たり的なその場しのぎの対策が出ては、効果の薄いままでたち消えになることが続き、有効な抜本策はほとんど打たれないままに、少子化も高齢化もどんどんと加速していっています。

 

相変わらず「大変だ、大変だ」と騒いでいるばかりで、それどころか、昨今問題をすり替えたような発言が飛び出してくるのは、何とも恥ずかしい限りです。

 

例えば、「女性はたくさん(3人以上)子供を産むべきだ」とか、「そのために早く(若い内に)結婚した方が良い」など、問題点をすり替えたような発言が飛び出してくるのはいかがなものでしょう。Photo

 

それも政権与党の国会議員がですから、あきれてものが言えません。自分たちの責任を転嫁するような、しかもとくに女性を蔑視するような姿勢は許せないと思いませんか。

 

何だかかつての「産めよ増やせよ」を奨励するかのような雰囲気で、その内結婚しない男や女、子供を産まない女性などは「非国民」と呼ばれかねません。

 

私たち夫婦なども、たった1人しか子供が産まれませんでしたので、つまり「縮小再生産」ですので、非国民となるのでしょうかね。

 

少子化、出生数の減少問題などは、私が仕事の現役時代である何十年も前に企業としての対策をどうするか、知恵の限りを尽くして考え実行したものでした。

 

一企業(の担当者)でもなんとかしなければと思ったことが、政府や自治体でどうして考えられなかったのでしょうか。20年も30年も前から、抜本的な施策がなされていたら、少しは変わっていたのではないかと。

 

高齢化にしても打つ手が皆無だったわけではないはずなのに、今になってバタバタとしているとは嘆かわしい。准高齢者などと呼ばれる私たち夫婦には、現実問題として立ち塞がっていることです。

 

それでも高齢者問題には、目先の対策でも効果の上がるものもありますが、少子化についてはスパンの永い問題ですので、今すぐ手を打ったところで効果が上がってくるのはそれこそ何年、何十年も先のことです。

 

その間、子供や孫世代に大きな負担をさせ続けることに、政治家や高級官僚どもは痛みや申し訳なさなど、なにも感じないのでしょうか。官僚はともかく、そんな政治家を選んでしまったのは一体誰なのでしょう。

 

厚顔で「産めよ増やせよ」を叫ぶような愚かな政治家に、日本の将来を任せているなんて、とても耐えられないこととは思われませんか。それとも、あなたも一緒になって「産めよ増やせよ」と叫ぶのですか?

本日のブログはお休みです

本日は月1回のブログお休み日です。青森県の八戸市に昨日の午後からやってきています。こちらはまだ梅雨明けしていないとのことです。   昨日から「八戸たなばた祭り」が始まったそうですが、街の中心から遠いこの辺りは静かです。早朝は霧が懸かっていましたが、雲が多いものの雨は大丈夫でしょう。   今日は1日、社員研修のMGです。

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戦略を変えずに戦術を変える

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<連載コラム(71)>

 戦略(の達成)の絶対条件とは、行動の追求の積み重ねであって、単に言葉を並べることではありません。

 
 どんなに悪条件の中であっても、それらをはねのけて推進力を持って前進できるかどうかにかかっています。

 
 当然頑強な抵抗も予想されます。例えそうであっても、容易に戦略を変えてみたり、譲ったりすることなく遂行していかなければなりません。

 
 それだけの決心・覚悟を伴わなければ、戦略たりえないのです。

 
 右へ行くと決めたのであれば、「右へ行ったら、左に行くよりもよほど苦労が多く、あるいは痛い目に遭うかも知れない。それでも行くのだ」という、強い意志をもった決心と覚悟とが必要なのです。

 
 それがあれば、少々のことに動ずることはなく、また迷いを生じることもなく前進していくことができるでしょう。

 
 つまり、戦略を決定するということは、決心や覚悟を定める、原に落とし込むということに他ならないのです。

 
 その上で、周囲の条件の変化に合わせて、定めた戦略を変えるのではなく、行動(戦術)の中身を変えていくことが求められるというわけです。

 
 それが戦略と戦術の関係です。MGは、まさに相違という訓練の繰り返しだと言えます。

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今回の西日本大水害に思うこと

西日本豪雨(正式名称は別にあるようだが)は、平成に入って最大に被害をもたらしたようだ。死者と行方不明者を含めて200名を超えるとのこと、梅雨明けの猛暑で捜索も難航しているようだ。

 

私も通算で20年近く岡山県南部に住んだので、よく知っている地名が報道されるたびに心が痛んだ。倉敷市の真備町にはかつての同僚や友人が住んでいるはずだし、車で何度か通ったところでもある。

 

決壊した小田川、その上流の地に亡母の生まれ故郷があり、小さい頃にはお盆の帰省について行き、従兄弟たちと小田川で泳いだという思い出もある。親戚も何軒か、川沿いに住んでおられたはずだ。

 

小田川自体は平野を流れるゆったりした、さほど水量も多くない川なのだが、今回は不運が重なったらしい。水かさが増えたのは事実だが、決壊場所の先で高梁川と合流するのだ。Photo_3

 

その高梁川は中国山地に流れを発する急流で、中流域は何度も蛇行していて流れが詰まりやすい。この度も小田川との合流地域で蛇行する流れが大幅に増水し、合流しようという小田川の流れを押し返したらしい。

 

何でも「バックウォーター現象」というらしい。合流地点から本流から溢れた水が逆流し、小田川の流れをせき止めてしまった感じで、その結果堤防が一気に決壊してしまったようだ。

 

洪水と聞くと、14年前のちょうど今頃に新潟県(と福島県)で起こった「713水害」を思い出します。この時も梅雨前線に暖かな南風が吹き込んで、集中豪雨になり五十嵐川はじめ信濃川水系の多くの河川が切れました。

 

この時にはまだ線状降水帯という言葉は知られていなくて、ゲリラ豪雨という呼び方だったと記憶しています。私が住んでいた長岡市の隣、旧中之島町の被害は相当なものでした。

 

数日後に復旧ボランティアに参加して、水害に見舞われた家屋の片付けや土砂のかき出しなどを行いましたが、やはり真夏日の気温には閉口しました。臭いもすさまじいものでした。

 

今回の被災地も、復旧までにはかなりの時間を要することでしょう。当面は足りないものがたくさんあって大変なのですが、全国から支援物資がたくさん届きます。ところがそれを整理する人出がない、保管場所もない。

 

ありがた迷惑という言葉がありますが、かつて水害に襲われた地域からのアドバイスや情報に耳を傾けて、送り手の側もしっかりタイミングを図ると共に、本当に必要なものを見極める必要もあります。

 

さて、今回の災害では気象庁の警告情報が比較的早めに出たにもかかわらず、それが活かしきれなかったという反省もあるようです。過去の体験は目安にはなるでしょうが、それを大きく飛び越えることも予測すべきです。

 

行政側だけでなく、住民の側にもその意味では油断があったのでしょう。避難勧告にしろ避難指示にしろ、どこまでの強制力が可能なのか。そのタイミングと、それに従う気持ち、双方に問題があったようです。

 

私の友人も、「避難した方が良いのでは」という私のメールに「多分大丈夫だよ」と返信してきました。幸いその地域では堤防の決壊は起こりませんでしたが、一歩間違えばとヒヤリとします。

 

あえて、気象庁の警告情報が出た夜にアベさんが呑み会をやっていたとか、対策本部立ち上げ前日の関係閣僚会議がたった15分で終わったとか、それについては馬鹿馬鹿しいので追求はしませんが。

西郷の汚点その1は教科書には載らない

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大河ドラマの『西郷(せご)どん』は、いよいよ場面が幕末の京都すなわち「維新」とやらのまっただ中に展開していくようです。そんな中で、私が『西郷の汚点』としている部分がどう描かれるか、興味津々です。

 

おそらくさらりと流していくのでしょう、あるいはことさらに必要悪だったことを強調するのでしょうか。原作者(林真理子)の思想信条からいうと、後者に近いのかも知れませんが。

 

その、私が言うところの西郷の汚点とは次の二つです。

1) 暴力をもって江戸の街を混乱させ、さらにその首謀者を冷酷に切って捨てたこと

2) 西南戦争であたら若い命を無駄に死なせたこと、その以前に江藤新平を見捨てたこと

2)の方についてはまた別の機会に譲るとして、どちらにしても敬天愛人などということを標榜している人物とはとても思えません。


さて、小御所会議は殆どなにも決められないまま、いや正確には決めたことは決めたけれども、実効性は乏しいままに空中分解してしまいます。首謀者たる岩倉具視は、おそらくかなり弱気になっていたことでしょう。

 

それを励まし、奮い立たせたのが西郷吉之助であり大久保一蔵であったと推察されます。それこそ「短刀一本で片がつく」という、西郷の考え方がここから実際に実行されていくのです。

 

ところが、教科書で教えられる維新史では、そこのところは殆ど触れられていません。教科書では、王政復古の大号令が機能して幕府の実権は停止し、新政府が機能し始めたとあります。

 

それに抵抗した幕府側が、鳥羽伏見の戦いを起点とした戊辰の役なるものに突入し、新政府軍は勝利を重ねていって維新を成功させたと。

 

事実はどうだったか、小御所会議では徳川慶喜に辞官納地を命ずるというところまでは提起されましたが、議定とくに諸侯の反対で完全に骨抜きにされてしまい、辞官納地を迫るには戦うしかないところに至ったのです。Photo

 

つまりこの時点で、初めて「討幕(倒幕)」ということが現実味を帯びてくるわけです。世の中の大勢は、この時点では決して倒幕ではなく、朝廷内の急先鋒岩倉にしてもまだ弱気であったのです。

 

島津藩つまり島津久光は元来が親幕であり、朝廷の意向は大事に奉るが決して幕府を倒そうなどとは思っていなかったはずです。むしろ西郷や大久保の動きを、苦々しく見ていたことでしょう。

 

第一、幕府は大政奉還を行ったのですから、政権は朝廷に戻っているのであり、倒幕する大義名分などどこにもないわけですから。だから西郷は、ここで秘策を繰り出さざるを得なくなってしまいます。


それは、旧幕府側を挑発することでした。これは「けんか」の発想です。相手の方から先に手を出させて、それを名分にして戦いの渦の中に引き込んでいく。やくざまがいといっても言い過ぎではないでしょう。


西郷は江戸にいた益満休之助伊牟田尚平に命じ、相楽総三たちあぶれ者の浪士たちを集めて、江戸の街中で凶悪犯罪を行わせたのです。殺人、放火、押し込み掠奪、強姦など、幕末史の汚点というべきものです。

戦略決定とは方向の選択

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<連載コラム(70)>

 戦略は大胆に。これは脳力開発の師・城野宏の名言ですが、最初にこれを聞いた時には、なぜ大胆なのかに疑問を感じたものでした。

 
 戦略とは最も重要なものだから、それを大胆に決めて良いのか、慎重に熟慮して決めるべきではないのか、と。


 
 実は、戦略は大胆にしか決められないというのです。なぜなら、戦略は二者択一(で決めるもの)だから。

 
 二者択一性の性質を持っていて、全く正反対の向きを持つ二つの方向の、どちらかを選択するという形態だからです。

 
 具体的に言えば、Aという方向を選択すれば、それと反対の反Aの方はとらない、捨てるのです。Bに役立つ方向を選んだら、Bに役立たない方向は切って捨てるということです。

 
 どちらでも良い、どちらをとろうと状況次第などという、どっちつかずの状態では、戦略を決めたことにならないのです。

 
 これは戦術レベルの問題になってくるだけのことです。元々二者両立、あるいは多者多立のものがありますが、これを対象にするのも戦術です。


 
 戦略決定とは方向の選択ですから、例えばMGを例に挙げれば、青チップで戦うかそれとも赤チップで戦うかということは、戦術の問題です。

 
 なぜなら青チップでも赤チップでも、会社盤の上ではちゃんと両立します。一方、自己資本を伸ばしていくのか、下げていいのかということは両立しませんから、こちらが戦略レベルの問題だというわけです。

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あなたの会社の危機管理は機能したか?

先週来の西日本大水害は、死者と行方不明者が150人を超えるという、正に未曾有の災害となりました。ようやく週明けは落ち着いたようですが、まだまだ油断はできません。

 

大地が、とくに山の斜面などが大量の水を含んでいるために、崖崩れなどの危険性が去ったとは言えないのだそうです。

 

欧米の人たちが日本の川を見、「これは滝か!?」と驚いたという話も伝わっていますが、山の水を集めた河川は依然として反乱の危険性をはらんでいます。Photo

 

いずれにしても、なお警戒する心を保っていなくてはいけません。また、交通網の遮断などで企業活動も停滞を余儀なくされているようですが、安全に配慮を願いたいものです。

 

状況を見ての判断、意思決定が遅かった事例が今回も目につきます。予測をはるかに超える大雨ということを割り引いても、危機管理が不十分であることを露呈しました。

 

中には、肝心な時にトップが不在という事例もあったようで、不在の際の対応策が確立していなかったことを大いに反省し、組み立てを急ぐことが必要でしょう。

意思決定の仕組みなどは、平時と非常時とで違って当然ですが、そういう意識すら薄いことを痛感させられました。

 

あるいはまた仕組み(システム)などはできていても、キチンと運用ができないという事例も見かけました。仕組みがあるから大丈夫とは言えないわけです。

 

不測の事態、とくに交通障害や停電などが今回も大きなファクターとなりました。まだ回復に数日かかるというところも少なくないようです。

 

企業活動もそうですが、社員の皆さんの生活も含めて、企業は非常の場合のことを考えていかなければならないでしょう。

 

普段から「人が大切」といっている企業が、この非常の場合に何ができたのか、何をしたのか、胸に手を置いて見直してみることも必要です。

 

災害が起こってから考えるのは遅いかも知れませんが、この次に起こることを考えて「備え」を整備していくことはムダではありません。

 

小さな会社だからこそ、できることは山ほどもあるはずです。

 

最後に被災された地域の皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。

MG研修実施のお問い合わせについて

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昨今、ホームページをご覧になってからのMG研修」依頼・問い合わせが増えてきています。先月来6HPからの問い合わせ、及び直接お電話をいただき、内2件はワンデー研修ですが日程も決定しました。

 

お問い合わせの先は企業様の他、公的機関あり、サークル・グループありと様々で、人数も10名くらいから30名くらいとこちらも色々です。

 

お問い合わせやオファーをいただくことは嬉しいことですが、私としては2日間のフルプログラムでの実施をぜひお勧めしています。

 

この2日間プログラム(西研MGジュニアコース)は、1976年以来40数年のMG史の中で、多くの人の手で体験と共に磨き上げられてきたものです。人間の脳力成長にも沿った素晴らしいプログラムです。20180707_132104

 

MGの概要や趣旨説明から始まって、第1期のシミュレーションでは、ゲームキットのツールを実際に動かしながら、仕入・製造・販売など一覧の企業活動を疑似体験し、その都度資金繰り表に記帳します。

 

そこから2種類の原価計算(全部原価と直接原価)での決算を自分の手で行い、そこに差が出ることを自分の目で確かめます。その過程で。BS/PLさらにはキャッシュフロー計算書(C/S)も作成します。

 

2期以降は同様にゲームと決算(直接原価)を行い、初日は第3期までで終了し、翌日は第4期と5期を行います。その間、経営計画や中間決算と損益分岐点の学びなどを行います。

 

時間に余裕があれば、戦略MQ会計をより深く掘り下げたり実際の企業事例を紹介できます。また利益感度分析やビジネスパワー分析など、オプションプログラムもやることが可能です。

 

ワンデーはその2日間で行うプログラムの一部を切り取るものですから、どうしても学ぶ側により大きな負担がかかります。時間的に無理があることもあり、要素を割愛しなければならいこともあります。

 

とくに初心者の方には負荷がきつく、とくに自力で計算して決算をしますので(だからこそ会計を徐々に体得できるのですが)、それがキツいということでMGもキツいというイメージになります。

 

講義にしても、ワンデーでは戦略MQ会計についての基本をざっと解説するのがやっとで、その応用などはほとんどお伝えすることができないでしょう。

 

そのために、面白さや大切な要素を肌で感じていただく前に終わってしまうことにもなります。それゆえに、これからMG研修を企画される皆さまには、ぜひ2日間の研修をご検討いただきたいのです。

 
また研修の日程ですが、土日については当ヴァンガード経営研究所(VAN研)主催・共催のMGが毎月12回全国のどこかで開講されており、私自身の西研MG受講参加もあって、今年はほとんど空きなしです。

 

来年も前半については、とくに土日はかなり埋まり始めています。幸いに平日は比較的宇日程をとることができますので、企業研修には平日がお勧めです。

 

私としてはMGが多くの企業や、学ぼうとする皆さんに広がっていくことは大いに嬉しいことですので、ご要望には積極的に協力をさせていただきます。

 

そのためにも、日程については36ヶ月の余裕をもってお尋ねをいただければ幸いです。

 

なお、研修料金につきましては規定料金をホームページに掲載していますが、それを目安に、あと開催地や人数によって改めて見積もりさせていただきます。お気軽にお尋ね下さい。

 

直通電話は、090-3333-4211です。また、ホームページの「問い合わせ」ページからもお尋ねいただけます。

脳力開発講座とキャッシュフローMGセミナー

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西日本の各地が大変なことになっていますね。

 

私が通算で20年近く住んだ岡山(岡山市と玉野市に住みました)も、「晴れの国」の名にそぐわない大雨特別警報が出っぱなしの状況。

 

耳慣れた地名のところで大雨災害が相次いでいるのに、心が強く痛みます。また、いつも伺っている神戸市や、先月も歩き回った高知市あるいは京都市でも、大変な大雨です。

 

この雨はまだ今日も続くようで、さらに災害が広がっていくのが心配です。もし皆さん方のところも特別警報や警報の地域でしたら、早めの避難行動をお勧めします。

 

さて、東京でのセミナー3日間がスタート、昨日は脳力開発講座の第2講でした。テーマは「進歩発展の姿勢」ですが、『現状打破の姿勢』という方が分かりやすいですね。

 

現状維持でなく現状打破、つまり今の状態をそのまま保っているだけでは、変化の世の中では逆に停滞から下降してしまいますよということ。20180706_1

 

多くの方は、現状維持より現状打破(の行動)の方が難しい、大変じゃないかと考えられているようです。ますそういう意識を捨てましょうと呼びかけています。

 

行動を小さく分解、すなわち核動作の連続ととらえていくと、難しい行動など一つもないことに気が付きます。つまり質的には同じ、ただ量的なところが違うだけ。

 

例えば、時間がかかるとかお金がかかるとかなので、手間さえ厭わなければ誰でも簡単にできてしまいます。ならば、現状打破の方が良いと思われませんか。

 

昨日は講話やケーススタディのセッションで、このことを学んでいただきました。あとは日々の実践の中で、行入すなわち身につけていただければ佳いわけです。

 

さて今日と明日はキャッシュフローMGセミナー、今回も10名の方がご参加、遠方からもはるばる参加される方もいらっしゃいます。

 

手前味噌ですが、私のCFMGでは、かつて私自身が体験したキャッシュフローに振り回された企業経営についての話が、キーポイントになっています。

 

今年後半はまだ、この東京の他に神戸、熊本、伊勢、岐阜などでも開催予定です。来年の開催スケジュールも少しずつ決まってきました。

 

より多くの方に、キャッシュフロー経営の重要さ、「利益は意見、キャッシュは現実」という重い意味を学んでいただけたらと思うばかりです。

戦略不在の不毛な戦術議論

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<連載コラム(69)>

 戦術とは、戦略達成に対する手段・方法であり、あるいはそれらの代案です。ですから戦術(代案)は、戦略が確立されてからでないと、決められない性質のものです。

 
 戦略がまだ決まらないのに、早々と戦術を決めていっても意味がないのです。


 
 切り口を変えていえば、戦術レベルで戦略(レベル)を変えてはいけないのです。

 
 つまり対策ばかりを話し合って決めていっても、一体何のための戦術なのかが分からなくなり、戦術に合わせて戦略目標を変えて(作って)しまったなどは、決してあってはいけないのです。

 
 このルールをしっかり守っていないと、致命的な失敗や損失を招く結果に陥ります。そこまでいかなくても、少なくとも効率の高い、強力な前進をすることはきっとできないでしょう。

 
 また、戦術の良し悪しの判定基準は、戦略によって定められます。戦略に照らし合わせて、この戦術は良いか悪いか、妥当かどうかが決まるのです。

 
 戦略が不十分、あるいは不足であるとしたら、戦術の詳細や評価の白熱議論は全く無意味であり、即刻辞めるべきです。


 
 これを、戦略不在の不毛な戦術議論といいます。会社内の会議の中には、こういった会議がいくつもあるようです。早く気が付いて、ただちにやめるべきでしょう。

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路面電車にエールを贈る

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今月は後半から九州にも遠征します。九州に行く楽しみは、いくつかの街で路面電車ががんばっていることです。鹿児島市と熊本市では市営電車が、長崎市では長崎電気軌道が健在です。

 

そういえば、先月訪れた四国の高知市では土佐電鉄ががんばっていましたし、愛媛県松山市の伊予鉄道市内線も運転本数も多くビジネスにも観光利用にも至便です。

 

こう見てきますと、相対的に西日本の方が路面電車を残し、優しい街の交通機関として定着しているように見えます。中国地方では岡山市(岡山電気軌道)、広島市(広島電鉄)に路面電車があります。

 

大阪市内にも阪堺電鉄が堺市を結んでいるほか、京都市内にも嵐電(京福電鉄嵐山線・北野線)が健在です。西日本の政令指定都市で路面電車がないのは、神戸市と北九州市、そして福岡市の3つです。

 

このいずれの街にもかつては路面電車が走っていました。神戸と福岡では、代替交通機関として地下鉄が開通していますが、北九州市は旧西鉄北方線沿いにモノレールが開業したのみです。

 

嵐電を除く上記の各路線には低床車が走り、連接車・低床連接車も中四国・九州の各社では主力になっています。とくに広島市内線の連接車は3車体・5車体連接があり、郊外線との直通も頻繁です。7030412

 

欧米に普及しているLRT(ライトレール・トランジット=次世代型路面電車システム)に近い運行がなされ、乗降人員数も全国ナンバーワンを誇っています。

 

かつて、大都市の路面電車が次々に廃止され始めた頃、60年代の後半から70年代でしたが、増加していく自動車交通に「(車の通行に)邪魔である」というのが、廃止の大きな理由でした。

 

ところが、路面電車が廃止された大都市の自動車交通がスムースになったという事実はあるのでしょうか? 相変わらず道路に溢れる自動車による交通渋滞が繰り返され、歩行者に優しくない街になったままです。

 

大都市には地下鉄網が整備されていますが、長い階段のアップダウンを強いられたり、少なくとも道路のすぐそばから乗降できる便利さはありません。アクセス時間も、前後のアプローチを加味すればさほどの差もないでしょう。

 

郊外電車との直通運転が広がって便利になった部分はありますが、それは一部の大都市に限られます。政令指定都市も含めて地方都市では、地下鉄は不似合いでもあり費用負担が重すぎます。

 

その点、人口が数10万くらいから100万人前後では、路面電車を見直してみるのが盛会でしょう。欧米ではもっと人口の多い都市でもLRTが普及し、また隣接の街とも直通運転しています。

 

高齢者にも優しい、そしてコンビニエンスであり、しかもバスなどよりも中量輸送に適していて、さらに地球を汚さないなど多くのメリットも持っています。まだまだ改良点は多いですが、もっと目を向けても良いはずです。

 

宇都宮市がLRTの新規建設をスタートしましたが、既存都市でも延長などが考えられています。より身近で親しみのある路面電車が、各地に普及していくことを夢見ています。

小御所会議を決した「短刀」の真実

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慶応3年(旧暦1867年)の12月に、「王政復古の大号令」というものが出される。王政復古の勅は、本来それ以前に準備されていたが、徳川慶喜の大政奉還にタッチの差で躱される。

 

その後は、確かに慶喜の思惑通りに進んでいた。当時の朝廷には政権担当能力はなく、とくに外交に関しては幕府に依存せざるを得ない。海外勢力も、外交権が将軍(慶喜)にあることを認めている。

 

第一に、朝廷にはその政権を支える戦力が確立していないばかりか、何よりもカネがなかった。戦力は辛うじて薩摩や芸州軍などが集結しつつあったが、会津や桑名の在京軍にはまだ太刀打ちできない。

 

当初出される予定だった王政復古の勅、もっともこの詔勅はどうも偽造くさいのだが、いずれにしても引っ込めざるを得なかった。

 

そこで一発逆転を狙って出されたのが、12月の「王政復古の大号令」なるものだった。いわば宮中クーデターというべきもので、その中心にいたのが岩倉具視、支えたのが大久保一蔵と西郷吉之助だったといわれている。

 

果たして事実はどうだったかというのはわからないが、この号令の意図するところを実現するためにもたれた会議が、いわゆる小御所会議であった。Photo

 

号令の意図するところは、幕府の廃止と慶喜将軍辞職の承認、合わせて摂政・関白の廃止、それに代わる総裁・議定・参与の設置などである。そして徳川家に、その膨大な領土を朝廷に返納(納地)させることであった。

 

会議の冒頭にかみついたのは山内容堂であった。前将軍の慶喜が会議に参加していないのはおかしいのではないかと。慶喜は将軍を辞したが、徳川宗家のトップであるわけで、その納地を謀るなら出席は当然だろうと。

 

その容堂を、岩倉は言葉尻を捉えて沈黙させる。このあたりが岩倉の面目躍如だろう。それで黙ってしまう容堂も容堂だが、それでも会議は紛糾して、何も決まっていかない。

 

それを解決したのが西郷だと言われる。西郷は議定メンバーに入っているが、小御所会議自体には参加せず、建物周辺の警備に当たっていたそうだ。

 

そして休息の時間に、「短刀一本あれば解決することではないか」と、岩下方平を通して大久保と岩倉に伝えたそうだ。これが土佐の後藤象二郎を通じて容堂にも伝わる。

 

この時代の西郷が何を目指していたかが分かるエピソードだ。もっとも真偽のほどは不明で、そんなことは言わなかったとも。しかし、会議所の周囲を取り巻く警備の軍のリーダーが、そういう意識でいたわけだ。

 

これで会議の雰囲気が変わり、ついに慶喜への辞官納地命令が決定される。ただし、決定事項が実行されたわけではなく、次第に骨抜きにされたほか、大名メンバー(参与)は次々に帰国してしまう。

 

そこで西郷はついに牙をむき出しにしていく、「短刀一本」と同じ発想だ。徳川を戦いの前面に引きずり出してくることだ、とくに先に手を出させるのが一番だ。西郷の『汚い部分』が始まるのだ。

戦略が明確なら戦術も明確になる

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<連載コラム(68)>

 戦略的には、もしくは「方向づけ」のレベルでは、自分の意志確定をするのですから、客観条件の本質・中心がつかめるだけのデータが少しくらい不足であろうとも決定はできます。

 
 ですから、確定的でない材料を並び立てて、末端レベルの段階で紛糾させるのは誤りであり、損失のもとであると言えます。

 
 もしどうしても、意志の確定のために必要なだけの、本質判断材料データが不足している時には、どういうデータが必要なのかを明確化して、すぐにデータ収集の作業を行う(行動する)べきです。


 
 MG
であれば、全体的な状況だけは把握できていて、同じ卓のおそらく競合するであろう相手のデータが不足だと思えば、会社盤の上はもちろん、前期の決算書や、中間段階などでは資金繰り表の展開状況などをしっかり見れば良いわけです。

 
 それによって、今期はどのようにゲームを展開していき、どのような結果を狙うかということはすぐに決められるでしょう。

 
 あるいは、中間(決算)以降をどのように「戦って」いくかも判断できて、具体的な戦術を導き出してこられるわけです。


 
 戦略が明確であればあるほど、組み立てていくべき戦術も明確になります。そこまでできれば、後はそれに沿って行動していくだけです。まず判断、意志決定をしてくことが重要なのです。

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第2回上越MGの何がすごかったか

上越市の誕生は1971年、当時の高田市と直江津市が合併、そして2005年の平成の大合併で周辺の町村が一気に編入合併され、面積もグンと広がりました。

 

かつては上杉氏の春日山城を中心とした城下町でしたが、江戸時代は高田が中心に。そして直江津は、港の海運(北前船)と商業で栄え、明治以降は鉄道の街としても繁栄してきました。

 

その直江津の街が、北陸新幹線の開業でJR東と西との中継点の役割が終わり、鉄道の街が大幅縮小になり街の賑わいもだんだん失われているように見えます。

 

そんな直江津でのMGセミナー開催は、今回で2回目。その以前にもワンデーセミナーはやったことがありましたが、2日間のフルプログラムでの開催は3月が最初でした。

 

それまでは主に高田でワンデーセミナーとして続けてきましたが、やはりMG2日間の完成されたプログラムでやるのが良いと、「上越MGをスタートしたわけです。

 

3月の第1回目は13名(2卓)の参加でしたが、今回(63071)は21名の参加、4卓での開催でした。しかも初めてMGを学ぼうという方が半数の10名。

 

2回目、3回目の方もいらっしゃいましたので、さてさて進行が心配だねと言っていましたが、それは全く杞憂に終わりました。

 

各卓に初心者がそれぞれ3名くらい、そこにベテランの方がうまく配置されました。それも別にインストラクター(の私)が指示したわけでもなく、自然のそのようになりました。このあたりが西研仲間たちの素晴らしいところです。

 

結果として「教え合い(教えさす)」セミナーが実現、初日は予定していたプログラムを予定の時間ぴったりに終えることができました。20180630_163004

 

2日目も、戦略(MQ)会計の基礎講義からスタート、初めての方にオーバーフローにならないように気遣いましたが、その懸念もほとんど必要では無かったようです。

 

結果的には半数初心者のMGとは思えないスピーディさで、通常よりもむしろ早くゲームと決算が終わりました。どうしてだろうかと考えれば、初めて参加する皆さんが明るく前向きな意識を持たれていたのでしょう。

 

多くのメンバーは会社からの「研修参加」命令であったかも知れませんが、普段会社の中でやっていることを、このセミナーの中で確認するという気持ちが強かったそうです。

 

今までぼんやりと見ていた資料が、こういう意味を持っているのかと改めて感じたそうです。また少し年配の初参加者ご夫婦も、一度耳にしたMGあるいは戦略会計をこの目で、肌で感じようという意気込みがありました。

 

おかげで、最終講義もたっぷりと時間がとれ、最初の30分で「利益感度分析」についてお話しし、後半のまとめでは「なぜMGをやるのか」についてもキチッと伝えることができたようです。

 

上越MGは、長岡(米百俵)MG、柏崎MGを合わせて年4回開催する、ということも決まり、来年の日程もスケジュールに入れました。さらに多くのご参加をお待ちしています。

仙石東北ラインから女川への旅

6月28日、遠征の最終日にほぼ午前中だけの「乗り鉄」旅をした。

 

目的は、ハイブリッド気動車・HB-E211に乗車すること、すなわち「仙石東北ライン」快速に初乗りすること、そして足を伸ばして地震から復興して新駅舎となった女川駅に降り立つことだった。

 

仙台発8時20分の快速気動車は4両編成、車内にはハイブリッド車の案内と仕組みの映像も流れていた。ホームでは、この列車が塩釜までは東北線を走り、そのあと仙石線に入る旨を放送していた。20180628_092326

 

つまり、松島観光の旅行者はこの列車に乗ってはいけない、松島海岸駅は通らないということなのだが、そこのところの案内が不親切で、案の定何人かの乗客がご乗車をしていた。

 

高城町から2駅仙石線を引き返せばいいわけだが、単線で便利な折り返しがすぐにあるかどうかは運次第。今回も多分30分くらいホームで待つことになるはずで、もう少し丁寧な案内が必要だろうと感じる。

 

ズバリ、「松島海岸に向かう方はこの列車の乗らないこと」をPRすべきだろう。もっとも、仙石線の仙台駅は地下で少し離れて歩くのが面倒だから、安直にこの快速に乗る観光客も少なくないのだろう。

 

快速は東北本線の塩釜駅を出て、松島駅の手前の仙石線と並行している区間で転線し、仙石線に入った。信号待ちが繰り返されたが、それもやむを得まい、安全第一だから。

 

高城町から石巻までの区間では、震災の津波で大きな被害を受け、区間によってはかなり内陸に移動した。海岸寄りでも高い防波堤で景色が見えないというのも仕方のないところだ。20180628_100151

 

石巻駅で石巻線に乗り換え、終点の女川まで行く。この区間も津波の大きな被害を受けたところで、女川駅は高台に移って新築された。日帰り湯も併設、無料の足湯は駅前にあって人気のようだ。

 

駅前の郵便局で旅貯金、この局も昨年の春に移ってきたようだ。そこから海に向けて新しいストリートができていて、少しずつ観光客を対象にしたお店もオープンし始めていた。休日などには賑わってほしいものだ。

 

しかしながら全般的には、震災復興はまだまだ半ばにも達していないのではないかという感じを受けた。工事はまだあちらこちらで進められている、道路や護岸工事、住宅の建設など。

 

単なる旅人が偉そうなことは言えないが、何か一つでもとお土産を買って帰ることにした。

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