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西野采配を感情的に批判することへの反論

サッカーワールドカップ、西野・サムライジャパンが決勝トーナメントに駒を進めた。まずはよくやったと、健闘を讃えたいと思う。

 

何しろ下馬評では予選敗退が濃厚という評価だった。開催2ヶ月前の監督交代から始まり、経験があるとは言えオールドメンバーが選出された。しかも事前の親善試合は1勝2敗と余り振るわなかった。

 

マスコミの右顧左眄は今に始まったことではないが、そこまで言わなくてもいいではないかというような事前の報道であり、評価であった。

 

それが初戦のコロンビア戦に勝利した途端に、論調がガラリと変わった。冷静な分析をする人は後ろに追いやられた感があり、威勢の良い、お祭りムードの連中が表に出てきた。

 

まるで、戦前から実力が備わっており、それが十分に発揮されたかのような物言いにはいささか辟易した。2試合目は引き分け、それでも最後の試合に勝つか引き分けで決勝トーナメント進出だ。

 

相手は強敵ポーランド、大会前には「歯が立たないから引き分けがやっと」の事前評だったのが、もしかするともしかするぞという言い方に変わっていた。難敵何するものぞ、まるで太平洋戦争の世論を思わせる。

 

そして第3戦、やや押し気味にやれたところもあったが、次第に相手の強さが発揮され初めて来た。キーパー始めディフェンスががんばっていたが、ついにその扉をこじ開けられた。

 

こうなってくるとどうしても同点にはしたいと攻めかかっていくのだが、そうなると相手の反転攻勢に対するディフェンスが心配になってくる。そんなさなかにもう一方の試合が動いたという情報が伝わってくる。Photo

 

コロンビアがついに得点を上げ、セネガルをリードする。セネガルがそのまま敗戦となれば、勝ち点や得点差で並び直接対決は引き分け。最後のキーポイント、フェアプレーポイントなら上回れる。

 

そのためにはこのまま01で負けても良い、もちろんこれ以上の失点は許されないし、イエローカードをもらうことも避けなければならない。

 

セネガルが同点に追いついたり、あるいは逆転するというリスクはないわけではないが、指揮官はより可能性がある着地点を選択した。胃の痛くなる、しかももどかしい判断と意思決定であっただろう。

 

マスコミ論調の多くは否定的であり、消極戦術へのブーイングが渦巻いた。相手方のみならず、日本のサポーターですらブーイングをしていた。指揮官や選手への思いが強ければ、ホントにそれができたのか。

 

私は評価する。「決勝トーナメントに(2大会振りに)進出する」という戦略目標に対して、こういう戦術展開もありなのだという強い意思決定だと考える。積極的に攻め込んでいくのは格好良い、武士の意気込みだとも。

 
正確に言うと、真の戦略目標はその先にある。すなわち「ベスト8に進出する」ことが本当の戦略であり、そのためには絶対に予選リーグを勝ち抜けねばならなかったのだ。

 

だからどうなんだ。もちろん「勝てば良いのだ」とは考えないが、こういう戦術の選択もあるということを示してくれた。苦渋の決断だと思う、だからこそそれは指揮官にしかできない選択だったのだ。もし失敗すればボロクソだ。

 
素晴らしかったのは、選手がキチッと戦略を理解して戦術を誤らなかったことだ。実は私には苦い記憶がある。ここでは触れないが、だからこそ選手のすごさが分かる。

 

戦略と戦術ということを今一度しっかり思い直した。あの選択は正しかった、結果オーライだからではない。指揮官としての姿勢を貫いたからだ、それを批判してはならない。戦術への批判、とくに感情的批判はナンセンスだ。

 
あなたがリーダーで、あのような判断そして意思決定ができるのか。私にはおそらくできないだろう。だからこそ、西野さんの苦渋も理解できるのだ。

何をやるかの対策論議は後からでいい

<連載コラム(67)>

 戦略レベルの決定とは、決断であり意志決定であるわけですが、これに対して戦術レベルの決定は対応であるということを書きました。

 
 刻々変化していく外的条件への対応だというわけです。あるいはまた、具体的な計算に過ぎないとも言えます。

 
 言い換えれば、戦術は「外に合わせていく」のであり、戦略の方は自分の「内なる意志を貫いていく」ということになるのです。

 

 これを曖昧に混同してはいけません。というより、多くの場合の誤りはこの混同に起因しているといってもよいでしょう。

 
 戦術は、条件(外的要因・事実)が具体的に確定してから、その内容を詳細に決めていけば良いわけです。とりあえずは、可能性に対する大まかな方向的整理をすれば良いことになります。

 
 条件が不明確であるのに、細かいところまで何でもかんでも決めてかかろうとすると、かえって無理が生じ、結局は誤りを犯してしまいます。

 
 会社の中ではそういうことが、圧倒的に多いようです。問題が起こった時やうまくいかない時に、いきなり「何をやるか」という対策論議に花を咲かせてしまいます。

 
 まず行うべきことは別として、方法は後からで良いんだよ、まずは起こっていることや変化していることを、しっかりと押さえていきませんか。

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成績よりも期数そして交流から向上へ

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今週は仙台に移動して、月曜日の夜は当地のMG仲間たちと交流。久々にお目にかかった方もお元気そうで、愉しい時間を過ごしました。

 

そして火曜日と水曜日は、宮城蔵王の山麓にある青根温泉でMGセミナーに参加。

 

昨秋三浦海岸で行われたMGシニアセミナーでご一緒した、この温泉宿の支配人さんから開催のご案内をいただき、早くからエントリーしていました。

 

青根温泉は、かつて山本周五郎さんの「樅の木は残った」の序章の舞台になったところ、これまでもカミさんと訪れたことがありました。

 

そこでゆっくりMGと温泉を楽しめるというので、早くに参加の意思決定をしたわけです。今月はMGのインストが多い中でしたが、月初めの八戸に続いての参加でした。20180627_154310

 

いつもどういう形でMGを組み立てていくのかを考えて臨みますが、今回はとりあえずあまり大きな会社にはしない、いわゆる「中くらいの製造会社」を目指しました。

 

で、今回もスタートはいきなりのリスクカード。今年に入って参加したMGの内、1回を除いて必ずリスクカードからのスタートになっています。

 

その後も比較的リスクカードに出くわすことが多かったものの、まずは順調に進めていくことができました。もちろん、2期は小型機械にセールス1人、教育チップのみ。

 

ただ、周りの状況を見て「今日は研究開発で攻めるべきかな」と意思決定。つまりは、ユニークな商品開発型の中小企業というイメージです。

 

3期目に製造4個に販売5個の体制を整え、これで最後まで押し切りました。資金に余裕があった4期あるいは5期に大型化の選択肢もありましたが、初志貫徹。

 

最終的にはA卓を守り切り(4A)、計数力も自己資本もトップでした。

 

今回の収穫は、『情報のSTUV』の話を千葉サンと西先生のお二人から合わせて聞くことができ、その中から重要なヒントをいただいたことです。

 

今週末の上越MGの中で、そのことをしっかりと参加者に伝えていこうと考えています。よって、レジュメを少し修正です。

 

何か必ず得るものがある、学びと交流のどちらも。それが私自身のMG参加、継続の理由です。

 

あなたもご一緒にMGをやりませんか。

大政奉還から王政復古までの隙間

教科書的にいうと、一連の流れはこのようになっています。

 

徳川慶喜は、土佐藩の山内容堂の進言を容れて大政奉還を決意し、朝廷に申し入れて認められた。これによって、家康以来260余年続いた徳川幕府は政権を朝廷に返上した。

 

次いで、朝廷は薩摩藩など雄藩の支持を得て王政復古の大号令を発し、これによって文字通り幕府は終わりを告げることになった。

 

私も含めてみんなこの「歴史」を信じて疑わず、徳川(幕府)から新政権(朝廷)への移行がスムースに行われたものと認識していたわけです。

 

それならばなぜ、その後の鳥羽伏見の戦いから会津戦争、五稜郭の戦いに至る「戊辰戦争」が起こったのか。戊辰戦争と言うが、鳥羽伏見の戦い自体は確かに戊辰の年だが、その年で終わったのではない。

 

そもそも政権移行と言うが、政治には内政と外交とがある。一体誰が内政を担い、誰が外交を担当していたのか。内政はともかく外交には相手国があるのだが、それらの国は新政権を承認していたのか?

 

とにかく疑問だらけだ、というよりきれい事(ハッキリ言えばウソ)で固めたが故に、つじつまの合わないことばかりなのだ。それを『正史』として学ばされたのでは、迷惑極まりないではないか。

 

正しい歴史を学べと言っている政治家、学者、評論家などなどがたくさんいるのだが、こんな間違った歴史を学んでも何にもならない。

 

もしかして学校での歴史の勉強がいつも、幕末維新で終わってそのあとはさらりと流してきたのは、正しい歴史を覆い隠すが故のことなのか? そもそも多くの教師が、正しい歴史を知っているとは言いがたい。

 

さて大政奉還も事実だし、王政復古の(大)号令も史実には違いない。それを否定しようとは思わないが、その二つの出来事の間には何があったのだろうか。Photo_3

 

何よりハッキリしていることは、大政奉還のあとでも政権運営能力を持っていたのは徳川幕府であったこと。慶喜と彼を取り巻く幕僚たち、江戸の官僚たちであった事実だ。

 

朝廷の公家どもにはそんな能力など、ホンのかけらもない。彼がやれたことは、ああでもないこうでもないと無味乾燥な意見を述べるか、有職故実をさぐってみて「分からない」という結論に至るだけのことだ。

 

あとは、偽物の勅や綸旨をねつ造すること、声の大きな力の強そうな人間の意見に相乗りしていくことくらいであった。その人間の一人が岩倉具視という怪物だった。その岩倉を薩摩の西郷や大久保がバックアップしていた。

 

大政奉還をしても慶喜はまだ実権を握っていた。政治テクノラートは自分の側にしかいなかったのだし、とくに外交権は朝廷からも確かに委任されていた。諸外国もあくまで慶喜側を窓口にしていたのだった。

 

格好を付けて「王政復古」を宣言したものの、どうにも動けない朝廷側は右往左往していたのだ。何よりおカネがない、何をやるにも先立つものがない。そこで慶喜に辞官納地を命じようとしたのだった。

戦術は「外に合わせていく」こと

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<連載コラム(66)>

 戦略レベルの決定とは、決断であり意志決定であるわけですが、これに対して戦術レベルの決定は対応であるということを書きました。

 
 刻々変化していく外的条件への対応だというわけです。あるいはまた、具体的な計算に過ぎません。


 
 言い換えれば、戦術は「外に合わせていく」のであり、戦略の方は自分の「内なる意志を貫いていく」ということになるのです。

 
 これを混同してはいけません。というより、多くの場合の誤りはこの混同に起因しているといってよいでしょう。


 
 戦術は、条件(外的要因・事実)が具体的に確定してから、その内容を詳細に決めていけば良いわけです。とりあえずは、可能性に対する大まかな方向的整理をすれば良いことになります。

 
 条件が不明確であるのに、細かいところまで何でもかんでも決めてかかろうとすると無理が生じ、かえって誤ります。


 
 会社の中ではそういうことが、圧倒的に多いようです。問題が起こった時やうまくいかない時に、いきなり「何をやるか」という対策論議に花を咲かせてしまいます。

 
 方法は後からで良いんだよ、まずは起こっていることや変化していることを、しっかりと押さえていきませんか。

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両親の思いがこもっている街・高槻へ

今回の遠征は、前半が大阪でセミナーというミッション。こちらは土日で完了し、今日は午後から仙台に移動しますが、後半は自分の学びミッションです。

 

その間に、本日午前中は両親の墓参りに出かけます。そのお墓は、一週間前に地震に見舞われた高槻市の北部丘陵地帯の山の斜面にあります。Photo

 

実は、両親は昭和42年に初めて自分たちの家を持ちました。それが高槻市の郊外、当時の国鉄高槻駅からバスで15分の新興住宅街に建てた瀟洒な家でした。

 

それまでは街中の小さな社宅(アパート)住まいでしたので、高校生になったばかりの私も自分の部屋(弟と共同)を持てたのがすごく嬉しかったです。

 

ただし、かつての社宅に近い高校に通うにはバスと電車を乗り継いで1時間以上かかりましたので、毎日の通学はけっこう大変でした。

 

もっとも電車好きの私でしたので、まだ旧型電車が幅をきかせていた国鉄、そして阪急電車に毎日乗れることは楽しみでもありました。

 

陸上競技部に所属していて、自主的朝練をすることもあって、家を出るのは朝の6時頃、ほぼ始発のバスでした。

 

そんな高槻市に自分たちの墓を持つのは、両親の夢でもあったのでしょう。戦前昭和10年代の初めに、父は四国徳島から、母は岡山県の西の外れから大阪にやってきました。

 

戦時中は父が出征して戦後はシベリアに抑留されたり、母は大阪空襲で逃げ回った体験も持っていたそうです。私が生まれたのは昭和26年、大阪街中の病院でした。

 

父が昭和61年の年末に亡くなって来年は三十三回忌、母は平成27年に亡くなって昨年が三回忌でした。遠くに住んでいますので、たまにしか会いには来られません。

 

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先週の大きな地震でも気には懸かってもすぐには動けません。ようやくこの遠征で、状況の確認に出かけることができます。

 

お寺さんからとくに何の連絡もありませんでしたので、おそらく何事もなかったのだと思いますが、やはり自分の目で確かめませんとね。

 

日中はかなり暑く真夏日の気温になるようですが、行って参ります。

大阪で初めてのキャッシュフローMGセミナー開催

今週土日はキャッシュフローMGセミナー、神戸では定期開催をしていますが、大阪では初めてのCFMGです。周辺の方の他、名古屋や徳島からもご参加をいただいています。

 
CFMGは何度もご紹介していますが、通常のキャッシュでのやりとりであるMGに、売掛・買掛という信用取引を加味して、現実経営に近い感覚を体験していただくセミナーです。

 
今回のセミナーにはCFMG体験者は数名、あとは皆さん初の体験です。また、MGそのものにも初チャレンジの方もいらっしゃいます。

 
昨日の第3期までで、自己資本が300を超えた方が4名ですが、自己資本グラフの上下はほどよい正規分布になっています。

 
2日目の今朝は、初MGの方のために戦略会計(MQ会計)の解説から始め、第4期の経営計画を立案していただき、そのあと企業の4パターンでのキャッシュ差を解説しました。

 
私の体験では、意外と自社のキャッシュフローについて理解されていない経営者が、小企業では少なからずいらっしゃいます。

 
パターンは4つで、①売りはキャッシュ・仕入もキャッシュ、②売りはキャッシュ・仕入は掛け、③売りも仕入れも掛け、④売りは掛け・仕入はキャッシュの4つです。
 
あなたの会社はどのパターンでしょうか。しかも掛けには「サイト」があり、そのサイト差も考えるべき要素になるのです。

 
そんなことを考えていただきながら、第4期第5期の2年間のゲームを楽しんでいただきます。

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嫌煙権と喫煙権、どちらに重みがあるかは自明の理

たばこをやめてこの春で27年を超えた。やめたのは39歳の時だったが、それまではいわゆる「ヘビースモーカー」であった。特別な理由はなかったが、医者からの勧めではあった。

 

愛煙者であった当時は、朝目覚めてすぐの一本が至福の時でもあった。食事のあとのコーヒー一杯と共に吸う一本も美味しかったし、仕事の時には盛大に煙を吐き出していたものだった。

 

デスクの上の灰皿はすぐに山盛りになったから、一日に何度か捨てに行かねばならなかったが、それを面倒とも思わなかった。

 

列車内の禁煙もほとんどなかった(その頃までは禁煙車という言葉さえなかった)ので、旅の中でも出張の移動中も、平気でたばこを吹かしていた。公共の場でも気にすることはなかったはずだ。

 

夜は飲み会や一人呑みが多かったが、そこでも酒と友に煙を体内に入れていた。それでも、一日何本までと決めていたので、そこまで吸い終わるとあとは別に欲しいとは思わなかった。

 

そんなヘビースモーカーだったが、やめると決心してからは本当にやめてしまった。でも「吸うか?」と言われて差し出されたたばこは、一切断らなかった。

 

実はそれまでにも何度か禁煙にはチャレンジした。10度とは下るまい、大体は三日坊主かそれよりも短かったように記憶している。意志が弱かったわけではない、余りに「たばこを吸う」意志が強かったのだ。

 

家を新築した時だけ、家の中で吸うことはやめた。会社の中で壁や天井が汚れているのを見ていたせいもあり、新しい家を汚すに忍びなかったからだ。

 

そんなわけで39歳での禁煙は画期的ではあったが、別に気負いもなく周りもしばらく経ってから「あ、禁煙したんですか?」と聞いてきたくらいだ。頻繁にたばこを買っていたお店の主人が嘆いたくらいではないか。

 

だから、その後の禁煙・分煙化の急速な浸透浮いても特別な感想もなかった。列車が完全禁煙になろうと、いろんな建物の中や屋外が禁煙になろうと、我関せずという感じだった。

 

ところが、今回の衆議院委員会でのとある代議士の「いい加減にしろ」ヤジには驚き、あきれてしまった。ヤジの相手は、こともあろうに国会が招いた参考人で肺がん患者の方だった。

 

当の代議士は「喫煙者の権利もあるのだ」という発想をされているそうだが、それを否定はしない。そういう権利があってもいいが、それ以上に非喫煙者の権利の方がこの際は極めて重いと思うのだが。

 

その出自を聞いてさもありなんと感じた。なんでも、九州大分を本拠地に、とくに西日本各地にファミレスなどを展開しているジョイフルグループの創業者一族で、現在も代表取締役(相談役)なのだそうだ。

 

このグループのことは不勉強でよくは知らないのだが、24時間営業店も多いとか、従業員が過労死したこともあるとかを耳にしたことがある。いわゆるブラック企業かと思ったりもするが、今回の発言は悪影響だろう。Photo

 

そこに働く社員の方がかわいそうになってくる。一生懸命にお客様のことを思って日々努力されている従業員の方も少なくないはずだ。その努力をいっぺんにふいにしてしまうなどとは、トップとは思えぬ馬鹿者だ。

 

実際にネット上では、かなり「炎上」しているとも聞いている。風評でとやかく言うことはどうかと思うが、代表者の蒔いた種が原因では、真面目な社員はいたたまれまい。

 

もっとも、これは想像の範囲なのだが、正規の社員より非正規の社員の方が圧倒的に多いのかも知れない。その区別はなく、働く仲間としてとらえれば同情に値する。

 

いずれにしても、この事件でかなり多くの客を失うことになるはずだ。第一、メインがファミレスであれば子供を連れた来客が多いはずで、そうだとしたら店内全面禁煙は必須だろうと思うがどうか。

 

それが「喫煙者の権利」などとほざいているのは、その神経や人格さえも疑ってしまう。彼にとって、会社・店は政治資金を生み出す道具にしか過ぎないのかな。これでは従業員が浮かばれまい。

 

来月は久しぶりに九州に足を踏み入れるが、ジョイフルとやらの看板を見たらきっと避けて通るだろうな。

戦術は臨機応変を旨とする

<連載コラム(66)>

 戦略達成のための手段・方法、あるいは道具のことを戦術と呼びます。変動、流動する外部条件に対しては、柔軟な対応や対処が必要です。

 
 そうしなければ、すぐに行き詰まってしまうことでしょう。戦術は柔軟であることが求められますが、さりとて右往左往していてはいけません。

 
 戦略と戦術、これを「固定軸部」と「流動部」と言い換えてみますと、そのどちらもが欠かせないことが分かります。

 
 つまり前者は余り柔軟であっては困るのであり、しっかりと軸を整える訳ですが、さりとて永遠に固定しておくべきというわけもありません。

 
 また後者の方は、すべてコロコロと変えていけば良いというものでもありません。あくまで戦術は戦略の「軸」を取り巻く範囲内であり、そこから逸脱してはいけないのです。

 
 そこで決断(意思決定)です。決断は戦略レベルの決定であり、戦術レベルの決定は決断とはいいません。

 
 戦術は臨機応変を旨としており、これは「意志の確定」というよりも、単なる外的条件に対する対応に過ぎません。あるいは単なる具体的な計算です。

 
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の中では、青チップも赤チップも黄チップも、その他ゲーム盤に入っているツールは全て戦術です。よって臨機応変、相手次第で流れによって切り替えることが必要です。

 
 それなのに、「虚仮の一徹」の如く固定的にやってしまうのは、どんなものでしょうか。

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価格競争の行く着くところは・・・

これもまたかなりの昔話です。

 

私が主催していた研修セミナーに、時々社長ご本人や奥様、社員さんが参加して下さる会社でした。ある商品群を扱う小さな卸問屋さんで、奥様と3人くらいの社員さんの小さな会社でした。

 

それでも社長さんが確か5代目というから、戦前から続いているその地方では割合名の知れた会社でした。会社は小規模卸団地の中にあり、小さいながらも効率よい社屋でした。

 

いつも綺麗に掃除が行き届き、玄関先には季節の花のポットが置かれていて来訪者の目を慰めていました。玄関を入ると社員さんがみな立って、「おはようございます(あるいはこんにちは)」と明るい声で出迎えます。

 

とくに社長室もなく、みんながワンフロアーで和気藹々に働く職場で、事務所の奥に商品倉庫があり、そこもいついってもキチンと整理整頓されていました。

 

注文があって商品を切らさないことや、納期遅れを起こさないことが自慢というか、その会社のプライドだともおっしゃっていました。金の品質を銀の価格で売ることが社是にもなっていました。

 

そんなある時、社長が暗い顔で「相談があるんです」と来られました。コンサルティング契約はしていませんでしたが、セミナーによく来て下さるご縁でお聞きすることにしました。

 

そうしたところ、「販売先の1社、それも売上トップの会社から、納入商品の一律値下げの要求があったんです」とのこと。何とその会社の売上は全体の6割にも達すること、それもこの10年余りで急激に伸びたそうです。

 

どうすれば良いかとの相談でしたが、頭からはねつければ取引をバッサリ斬られてしまう恐れもあります。何でもライバル社がそこに攻勢をかけていて、どうも主力商品についてかなり値下げした見積もりを出したらしいのです。

 

そこでもし今までの取引を続けるのであれば、その主力商品を含めて一律の値下げをするようにという、お願いというよりも一方的な押しつけという感じです。Photo

 

「もし要求を呑んでしまうと利益率が一気に下がり、今の会社を維持していくことができなくなります」と。さりとて、メーカーや仕入れ先に値下げをお願いしても無理だろうし、自分はやりたくないのだと。

 

ましてや利益が減少するからといって、ただでさえ少ない社員を辞めさせることなどできないし、給料を下げることも本意ではない。

 

おそらく、その取引先は今後も折にふれて値下げ要求を出してくることでしょう。売上の60%を依存するまでにしてしまった社長の責任ですが、それをとやかく言っても仕方がありません。

 

将来を見据えた今後の経営方針・営業政策を立て、奥様や社員さんともじっくり話し合い、まず自分や奥様の報酬を下げ、場合によっては社員さんにもお願いする。

 

その上で60%の販売シェアを、少なくとも30%くらいまで下げる努力を56年かけて行うこと、その具体策をいくつか提案しました。とにかく、社長として強い意志を持って事に当たりましょうと。

 

血のにじむ努力をされました。社長も奥様も、報酬半減どころか2年間くらいは13くらいにして、社員さんの給料は維持して賞与を少し我慢してもらったそうです。

 

社員さんの方から給与カットの申し出があった時は涙が出そうになったが、感謝しながら断ったそうです。そして多の既存得意先とのパイプを太くすることや、新規の顧客開拓づくりや直販への挑戦なども行いました。

 

それから相当の年月が経ちましたが、その会社は今も健在で息子さんも入社されて新しい社員さんたちとも、一緒に汗を流しておられるそうです。

 

ちなみに一律値下げを要求してきた会社、ならびに低い見積で攻勢をかけてきたライバル会社は、ともに現在は別のところに身売りしてしまったそうです。

「維新」という言葉の胡散臭さに物申す

明治「維新」という言葉がいつ頃から使われ出したのか、これについても実は諸説がある。明治10年前後の文書に記載があるとも言われるが、大正デモクラシーの頃、あるいは昭和に入ってすぐくらいとも。

 

少なくとも、幕末にこの言葉が使われたということはない。「御一新」というような言葉は使われていたようだが、勤王の志士と呼ばれたテロリストたちが維新という言葉を使った記録は皆無のようだ。

 

そもそも維新という言葉はうさんくさい臭いがする。それを名乗る中央政党や地方政党があるが、とくに前者の方はつかみどころがない。支持が広がらないのもさもありなんだ。

 

とくに忘れてはならないのは「昭和維新」とやらだろう。かれら、すなわち軍部や右翼たちが何をやって、どういう結果を招いたかを思い浮かべてみるがいい。

 

テロを多として次々に反対派や重臣を暗殺したことも、また天皇の名を語り利用したことも、何だか幕末の薩長どもの動きに通じるところがある。もしかしたら、それを真似していたのかも知れない。

 

維新という名に酔いしれて、その表面事象だけを自分たちに都合良く脚色し、理由付けしてやっていたとしか思えない。その結果がどうなったのかは、ここに書き連ねるまでもないだろう。

 

そんな明治「維新」を150年記念とか称して、改めて絶賛しようというのか、とんでもない話だ。いや、もう各地でいろんなイベントが始まっている。先日訪れた土佐高知でも、様々な幟や看板が林立していた。

 

江戸幕府(徳川政権)や幕藩体制、あるいは幕政が良かったなどという積もりはない。そろそろ時代に合わなくなってきた事は認めざるを得ないし、世界の流れからいえば変わるべきところではあった。

 

だが、幕政の進んだ部分まで全面否定することはなかったし、活用すべきことは活用すべきであった。それを無視して、がむしゃらに討幕に走ったのはいかがなものか。

 

こうしたことが、薩長史観をベースにしている歴史教育が全く無視して、あたかも幕末の志士と言われる連中が維新という意識を持ち、それが西欧を追いかけていく新しい体制を作り得たとするのは言語道断だ。Photo

 

その代わりに200数十年の平和という、世界にも稀な江戸時代そのものを否定してしまい、あまつさえ幕末の徳川官僚たちの世界観や外交努力まで全否定しているのは許せない。

 

一方、最後の将軍慶喜も策を弄しすぎた感がある。おそらくこちら側から積極的に動くことで、主導権を握ろうと考えたのであろう。確かに、当時の朝廷側には外交も内政もできるテクノラートがほとんどいなかった。

 

自ら大政を奉還して、右往左往する朝廷側から妥協を引き出し、再び新政権のリーダーになろうとしたのであろうが、逆にその自信満々が故にスキが生まれたようにも思える。

 

討幕側は一発逆転の秘策に出た。大政奉還と同じタイミングで出そうとした王政復古の勅(もちろん偽勅)は失敗したが、慶喜の主導権を渡さない状況で新たな勅「王政復古の大号令」を出したのだ。

 

これも偽勅に類するものだろうことは論を待たない、と私は思っている。

戦術は臨機応変を旨とする

<連載コラム(65)>

 戦略達成のための手段・方法、あるいは道具のことを戦術と呼びます。変動、流動する外部条件に対しては、柔軟な対応や対処が必要です。

 
 そうしなければ、すぐに行き詰まってしまうことでしょう。戦術は柔軟であることが求められますが、さりとて右往左往していてはいけません。

 
 戦略と戦術、これを「固定軸部」と「流動部」と言い換えてみますと、そのどちらもが欠かせないことが分かります。

 
 つまり前者は余り柔軟であっては困るのであり、しっかりと軸を整える訳ですが、さりとて永遠に固定しておくべきというわけもありません。

 
 また後者の方は、すべてコロコロと変えていけば良いというものでもありません。あくまで戦術は戦略の「軸」を取り巻く範囲内であり、そこから逸脱してはいけないのです。

 
 そこで決断(意思決定)です。決断は戦略レベルの決定であり、戦術レベルの決定は決断とはいいません。

 
 戦術は臨機応変を旨としており、これは「意志の確定」というよりも、単なる外的条件に対する対応に過ぎません。あるいは単なる具体的な計算です。

 
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の中では、青チップも赤チップも黄チップも、その他ゲーム盤に入っているツールは全て戦術です。よって臨機応変、相手次第で流れによって切り替えることが必要です。

 
 それなのに、「虚仮(こけ)の一徹」の如く固定的にやってしまうのは、どんなものでしょうか。
 
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心の教育、正しい人間教育がカギになる

新しい仕組み、システムを導入したのにうまくいかないんだよなぁ。時々耳にする社長の悩みだ。

 

ある企業がそのシステムを使って成功している話を聴き、実際に会社を訪問して使っている現場を見せていただき、これは良いということで早速自社に導入したのはいいのだが、うまく動いてくれない。

 

具体的な事例を集めると1冊の本がすぐにできるくらい、世の中にこういう話はとても多い。

 

現に私のクライアント会社でも、他社でうまく活用されているコミュケーションシステムを試用されているが、2ヶ月くらい経った今もどうもうまく機能していないようだ。

 

どうしてだろう、とそのクライアント会社の社長から尋ねられて、「きっと企業風土の違いだね」と答えておいた。つまりベースとなっているものが違うので、道具だけを更新してもすぐにはうまくいかないのだ。Photo

 

企業風土というのは、業種業態とか企業の大小には無関係で、創業以来積み上げ染みついたものだ。一朝一夕には変わらないが、決して変わらないものではない。

 

もっとも経営者がいきなり変えようとしても、そうは問屋が卸さない。さりとて時間が経てば変わるものでもない、やっかいといえばやっかいなものだ。

 

しかし、時間をかけてでも変えねばならないと経営者が判断し、強く意思決定すれば変わる方向に向かう。大事なのはトップの強い思い、こうなりたいと念じる心だ。

 

つまり大事なのはスキル教育ではなく、心の教育だ。上記のコミュニケーションシステムでいえば、操作技術ではなく利用技術(リテラシー)の方が大事だということだ。

 

このシステムを使って何をしようとしているのか、使うことによってどのように(自分たちの)仕事にプラスになるのか、そこをしっかりと示さねばならない。

 

その上で実際に使ってみて、なるほどこうなるのかと納得できたら強い。時間がかかっても、そういう心のレベルまで達してほしいものだ。

 

そうなって初めて有用なシステムも機能するし、期待する結果も生まれてくる。何より経営者も社員も仕事がより

佳くなり、効率も成果も上がってくるというものだ。

 

急がば回れと言いたい。システムを構築し、それだけでうまくいくならどんな会社でも成功する。しかしそうではないから、キチンとやったところに成果というご褒美が来るのだ。

 

つまりは社員教育それも心の教育、正しい人間教育がカギだ。それをおろそかに、あるいはいい加減にしていて、道具や仕組みだけをピカピカにしてもダメだ。

 

戦術で戦略は変えられない。心してほしいものだ。

充実また充実の長期遠征も一区切り

今日は今回の遠征最終日です。

 

先週の8日に新潟を出ましたので、今日がちょうど10日目になります。最近ではいちばん長い遠征になりました。

 

初日と最終日は移動日でしたが、残り8日間は連日のセミナー、最後まで声が続くかどうか心配しましたが、何とか最後まで努めることができました。

 

途中では、ややハスキーな声になったなぁと自分で感じる日もありましたが、幸いに参加の皆さんに見苦しさを見せることはなかったようです。

 

この間のセミナーは全部で5つ(7日半)でした。

 

まず神戸でキャッシュフローMGセミナー(CFMG)2日間、翌日が脳力開発講座。講座の修了後陸路を四国に移動し、翌日は高知でマイツール講座。

 

さらにCFMG2日間を終えて、今度は空路で大阪経由京都に移動。最終セミナーは京都で30名のMGセミナーとなりました。35329986_10155640234621463_77904494

 

この間に、コンサルティングや打合せ、お礼訪問などもあり充実の遠征となりました。おかげさまでいずれも来年の開催スケジュール決定という、ご褒美もいただきました。

 
ぜいたくは言いません、少しだけ休み時間をいただければ。

 
そんなわけで今日は、昼前の空便で一気に新潟へ戻ります。久しぶりに孫ちゃんの笑顔をたっぷりみたいものです。

 
しばらく見せてあげられなかったPCのビデオも、見せてあげることにしましょう。

 
もっともまた、次の金曜日から遠征スタート。その前に倫理法人会のモーニングセミナー講話が一つ、それに図書館への本の返却も忘れないように。

 
新しい出会いも多かったので、名刺の整理もしなければなりませんし、セミナー感想文にしっかり目も通します。さらにはクライアントへのレポート送信。

 
やはり簡単には休めそうもないですね、これもおかげさまでと感謝です。いっぱい、ありがとうございます。

人材教育に掛ける費用と時間

先週から今週、連日各地でセミナーを開催していただきました。

 

先週の土日が神戸でキャッシュフローMGセミナー、明けて月曜日は同じく神戸で脳力開発講座、いずれも共催・主催研修でした。

 

さらに火曜日は高知でマイツール教室、水曜と木曜は同じくキャッシュフローMGセミナーと続き、京都に移動して昨日からMGセミナーです。

 

神戸と高知は公開セミナーでしたが、京都は元来企業内研修を公開にしてご縁につながる多くの方が参加されています。20180614_101833

 

いずれのセミナーも、参加されている方は経営者であったり、社員の皆さんであったりと様々です。これはMGの特長でもありますが、階層とか役職にとらわれないのです。

 

参加企業に共通していることは、言うまでもなく社員教育に力を入れているということです。では、どのくらいの費用と時間を掛けるのが適当でしょうか。

 

もっとも社員教育と言いましても様々なものがあるわけで、大きく分けるとOJTとオフJTの二つです。小さな会社の場合はOJTだけしかやっていないことも多いようです。

 

OJTの場合は業務と並行してやりますので、経営者や幹部・先輩社員がその任に当たり、技術教育や業務教育が中心になることは言うまでもありません。

 

朝礼(あるいは終礼など)も、ある意味ではOJTという社員教育の一環と言えるかも知れませんね。

 

一方オフJTは、業務に直接関連したもの、例えば技能などのスキルアップを目的とした社外機関での講習などの他、人間力や人格向上のための研修もあるでしょう。

 

これらを総合して『社員教育』というわけですが、ではどのくらいの費用と時間を掛ければいいのでしょうか。多く掛けるに越したことはないものの、無限というわけにはいきません。

 

一つの例として、私はかつて自分の会社で「MQ(粗利益)の2%」というガイドラインを、設定していました。ざっと1億5千万円くらいのMQだと、教育費は年間300万です。

 

これが妥当なのかどうかは皆さんで判断していただくとして、実際には国の助成金などもうまく活用して、実質負担を下げていたことも事実です。

 

時間はというと、総労働時間の5%くらいはかけるべきというのが、私の持論です。総労働時間が年間2000時間なら、100時間くらいは教育にかけるということです。

 

私の会社ではオフJTだけでそれに近い時間をかけていました。効果が出てくるまでは時間を要し、個人差もありますが、それでも業績向上に結びつきました。

 

まず社員教育に費用と時間をかける。利益が出てからやるという企業も耳にしますが、それは考え方が反対です。教育を地道にやるから、利益という効果を生むわけです。

 

あなたの会社は、社員さんの向上と幸福のために、しっかり費用と時間をかけていますか。それは結果として会社の未来に通じるということをお忘れなく。

戦略とは「打撃の方向」である

<連載コラム(65)>

 さて、いよいよ脳力開発の学びでは佳境というべき「戦略と戦術」にアプローチします。

 
 とにかくこの二つが混線して用いられていることは、今更いうまでもありません。売れているベストセラー本ですら、この基本的な過ちを犯しているモノが多数見られます。

 
 MG
の場においても、多くの方が戦略と戦術を取り違えておられます。というか、ほとんどの方が口にしている「戦略」とは戦術レベルのことであり、正しく戦略を理解している方は一握りに過ぎません(これは断言できます)。

 
 ではまず戦略の定義ですが、城野宏さんは『打撃の方向』と言われました。戦争の弾の下をくぐられてきた先生だからこその表現ですが、まさに正鵠を射ています。

 
 つまり戦略とは、最も中心的な位置にくる目的・目標・方針といった根本レベル(根本の方向付け)のことです。

 
 MG
では、基本的に自己資本(300円)を増やして5期)終わることがこれに当たりますが、人によっては自己資本を維持するとか、あるいはゼロまでには抑える(債務超過にならない)ことを目標に設定するケースもあるでしょう。

 
 そのいずれもが、流動する外部条件に左右されない固定的な方向になるものです。周りのメンバーいかであれ、最終的に到達したい数字的あるいは位置的な目標と言えるでしょう。

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土佐の高知でキャッシュフローMG

土佐高知に土佐高知に入ったのは11日の夜、神戸を出発する時には雨でしたが、乗換駅の岡山では虹も見えていました。

 

瀬戸大橋を渡って四国入りして、あとはずっと夜の闇の中を走って高知に到着。幸い雨が上がって、傘をさすこともなく良かったです。

 

そして翌朝からは見事な青空、比較的空気も乾いていて朝晩はとっても爽やかです。そんな中で、昨日13日と今日はキャッシュフローMGセミナーを開催していただいています。

 

今回の参加者にはMG未体験者はいらっしゃいませんが、まだMG2回目という方も。殆どの方はCFMGは今回が初めてです。

 

それぞれ企業の中では経営者あるいはリーダーの方ですが、とっても前向きで明るい方が多いのは、南国だからというわけでもないのでしょうけど。

 

会社の中では現金での取引もありますが、それでも仕入は信用取引が主体、販売でもクレジットカードの増加など、キャッシュフローを知っておくことは大切です。

 

今日2日目は経営計画からのスタートですが、キャッシュフローだけでなく戦略MQ会計の基礎もしっかり学んでいただくことにします。

 

昨夜は美味しい土佐料理で、銘酒酔鯨をたっぷりいただきました。

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坂本龍馬と司馬さんの「竜馬」とは違う存在だ

土佐の高知に来ている。前回来たのが5年前の2013年2月だったから、5年ぶりの訪問ということになる。一昨夜は夜遅くに着いたので、そのままホテルに直行した。

 

高知と言えば坂本龍馬である。いや、歴史的には山内容堂や後藤象二郎、乾(板垣)退助の方が重要な役割をしたと思うのだが、やはり龍馬に注目が集まる。

 

今年は明治維新150年ということで、高知もまた龍馬を中心としたイベントが始まっているようだ。今回は時間がなくて記念館などにも行けないが、町の雰囲気は感じられる。

 

龍馬に注目が集まるのは、司馬遼太郎さんの影響が大きいのだろう。経営者のみならず、若い人にも司馬遼太郎さんの『竜馬が行く』を愛読書とする人が少なくない。

 

だがしかし、ホンモノは龍馬であり「竜馬」ではない。竜馬はあくまで、司馬さんが小説の中で作り出した主人公である。Photo

 

しかし、小説の中の竜馬のようにホンモノの龍馬も同様のことをやったのだと、思っている人も少なくないはずだ。

 

竜馬は英雄であり、歴史の中の傑物である。歴史を動かしたと言ってもいい、明治維新は竜馬が企画し多くの人たちが実行した、というようにもとられている。

 

完全に否定しようとは思わないけれど、とくに土佐の高知ではそういう話をしてはいけないのかも知れないけれど、フィクションはあくまでフィクションだ。

 

確かに、坂本龍馬は当時としてはかなり先進的な意識や世界観を持つに至ったが、現実にそれほど大きな役割を果たしたとは思えない。

 

薩長同盟(とやら)の立会人ではあったが、それ以上でも以下でもない。ましてや、日本最初の商社を経営して世界に乗り出そうとしていた、などというのは司馬さんの創作である。

 

もちろん若くして暗殺されてしまったので、天寿を全うしていたらもしかして小説に描かれたような夢を、実現していったのかも知れない。

 

だがそれはあくまで歴史のイフであって、事実ではない。さりとて、維新史に全く影響を与えていないとも言えないはずだ。龍馬は間違いなくコーディネーターであった。

 

いや、コーディネーターを目指していたのではないか。あらゆる考え方を取り入れて、そこから新たな組み合わせを創案し、提示していく能力はあったのだと思う。

 

だが、明治の初めしばらくは坂本龍馬は全く無名の存在だった。明治の中頃になって、ようやく「姿を現した」のだ。それは、時の政府にとって必要だったからではないか。

 

そういう背景を理解した上で、龍馬が生きた時代を振り返ってみることが必要だと思う。

具体的な事実や行動で考える習慣をつくる

<連載コラム(64)>

 概念や言葉は、もちろんコミュニケーション(意志の伝達)の道具として不可欠なものです。あるいはまた、整理や分析のためにも欠かせない大切な道具です。だからこそ、十分に駆使する必要があります。

 
 大事なことは、いつでも概念と具体的な中身とを、共に提出して活用するということです。

 
 これが、「具体的な中身を具体的なつながりで考える」ということです。このようにしてこそ、脳の力は発揮される結果となります。

 
 この際、中身とは具体行動、すなわち「手と足と口を動かす」に他なりません。具体的行動を、具体的なつながりで考え示していく、ということを意識していきましょう。

 
 会社の中の例で言えば、訓示や訓話などで、いくら抽象的な理念や概念用語を並べ立てても、一向に聞いている人たちには響きません。

 
 具体的な例示を伴わなければ伝わらないこともありますし、当然ながら具体的な成果にはつながりません。

 
 会議などで抽象的な概念議論に陥った時には、すぐに具体的中身の追求に切り替える事が必要です。

 
 普段から、できるだけ具体的な事実や行動で考える習慣が備わっておれば、問題なくできることでしょう。

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キャッシュフローMGセミナー・神戸2018Vol.2

この土日に、神戸で今年2回目のキャッシュフローMGを開催しました。

 

参加者は15名(3卓)、お一人MG未体験の方もいらっしゃいましたが、周囲の方にフォローされて無事2日間を終えられました。

 

結果は債務超過でしたが、最終5期目には最小のヘルプだけで決算を終了されるなど、充実の時間を送られたようです。

 

また、半数の方はキャッシュフローMGへの初挑戦、普段のMGでは第5表(マトリックス会計表)にあるキャッシュフロー計算書をやったことがないという方が、殆どでした。

 

そんなわけで、通常はお目にかかれない第6表(キャッシュフロー計算書)にもチャレンジ。仕組みをしっかりと理解されましたでしょうか。T_34962772_765982730457370_17244303

 

初日の第1期目で、参加者の一人坂本さんが「MG100期」を達成、全員参加された夜の交流会では皆さんから大きな祝福を受けました。

 

MGでは『成績より期数』を大切にしており、100期は大きな意味を持っています。継続は力になってくるのです。自分で気付かないうちに、「心が強く」なっているのです。

 
2日目は講義の時間も予定通りにとれて、キャッシュフローの実務ポイントについても、キチッと伝えられました。

 
ともすれば、利益が出たかどうかに目が向きがちですが、もちろんそれも大事ではありますが、効率よくキャッシュフローを回すことの重要性を感じていただけたでしょう。

 
今月はこの後、高知そして大阪でもキャッシュフローMGを開催します。来月7月は東京と熊本での開催、秋9月以降年内は毎月どこかでやっていますので、ぜひご参加下さい。

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なぜこの会社は生き残れなかったのか。

これは最近の体験話ではありませんが、でもおそらく今でも見られることではないかと思います。実名は出すことができませんので、若干実話をアレンジしていることをお許し下さい。

 

ある日、とある機関からの依頼で、少し離れた町にある会社を訪問することになりました。ピーク時の売上高に比べて現在はおよそ半分に落ち込んでいて前期は赤字だったし、今期の見通しも良くない。

 

大胆な経営改革改善を進めていきたいので相談に乗って欲しい、他社で実行してうまくいった事例や、新たな経営戦略についてアドバイスをお願いしたいということでした。

 

たまたま繊維・アパレル関連の製造販売会社でしたので、ジャンルは違うものの元アパレルにいた私に声がかかったようでした。

 

その町はかつて繊維業で栄え、戦後一時は「ガチャマン景気」で夜の繁華街も賑わったそうですが、それも既に過去の話、今では企業の数も全盛期の数割に落ち込み、町全体も構造不況に沈んでいる状況でした。Photo_2

 

そんな一般的な知識・情報を頭に入れながら同社を訪問しました。事務所は工場と同じ敷地に2階建ての瀟洒な作りで、古ぼけた工場とは対照的に垢抜けた感じでした。

 

入り口の自動ドアが開いて「おはようございます」と入っていきましたが、殆どの方がパソコンの画面を見ておられて、私の方に視線をチラリと向けた方もすぐに画面の方に。いわゆる受付業務の方はいらっしゃらないようでした。

 

しばらく待っていると、お盆にお茶をのせた女性が現れこちらに近づいてくると、「いらっしゃいませ、少しお待ち下さい」と事務的にいうと、社員の方にお茶を配り始めました。

 

それが一通り終わってようやく私の方にやってこられました。でも「お待たせしました」でもなく、「いらっしゃいませ、ご用件をお伺いします」と。あららと思いましたが、ニコッとして「社長とお約束しているのですが」。

 

私を来客用(とおぼしき)椅子に案内するでもなく、「少々お待ち下さい」でもなく、無言のまま電話の内線ダイヤルをプッシュされたようです。そして二言、三言。そして自席へ戻ってパソコン操作。

 

なんとなく意気込みを削がれた感じでそのまま待つこと5分、つまり社長もしばらく社長室から出てこられなかったのです。ふと事務所の正面を見ましたら神棚があり、その右側に経営理念らしき額。

 

そこに書いてあった文字に、思わず吹き出してしまいそうになりました。達筆というか、おそらくどなたかに書いていただいたものでしょう、署名と紅い落款がありました。その書は黒々と『お客様第一主義』と。

 

やがて降りてこられた60代後半とおぼしき社長に、2階の社長室に招かれましたが、そこにも立派な額が。そこに書いてあった文字は『誠意』。そして名刺を交わした後、長々と独演を聞かされることになりました。

 

何の話って?そりゃぁ、過去の栄光の話に決まっているじゃないですか。

 

その後、その会社を二度と訪れることもなく(お声をかけていただいて機関には丁重にお断りして)、数年後その会社が地元の大手の会社に身売りされたことを、風の噂に聞きました。

 
ちなみに、私(ヴァンガード経営研究所)は、現在『お客様第一主義』よりも『社員とその家族(の幸せ)第一主義』経営を勧め、指導させていただいています。

どんどんマイペースで進めることの害

<連載コラム(63)>

 概念つまり言葉というものは、いつでも具体的な中身をちゃんと詰め込んでおかないといけません。

 
 あるいは具体的中身の例示によって、意志伝達の際の解釈・理解の幅を狭くして共通化していかないと、いくらでも空回りをしてしまいます。

 
 またその意味では、概念をつなぎ合わせただけでものを考えた(頭を使った)つもりになるのは、脳の使い方に関するはなはだしい錯覚であると言えます。これでは当然ながら、具体的な成果につながらない結果で終わります。

 
 最近でもイデオロギーを振りかざして、ある種のエリート風を吹かせる向きがあります。そこまで極端でなくても、分かったつもりになって得意顔で言い回す人たちは、MGの中でも少なくありません。

 
 これは害あって益(利)なしです。とにかく、知ったかぶりがいけないので、知らないことは少しも恥ではありません。

 
 MG
を何10期か重ねた人に見られるのが、例えば第1表(資金繰り表)でも第5表(マトリックス会計表)でも、インストラクターの進行と合わせることなく、どんどんマイペースに進めていくことです。

 
 私の目には、何だか「私はできるのよ」と、無言で(いささか上から目線で)語りかけているように感じられます。

 
 あるいはインストラクターの説明を聞くこともなく、ベテラン同士で私語することもその体現例になるかも知れませんね。

 
 MGは成績より期数ですが、そんなことではいくら期数を積み重ねていても、ちっとも身になっていないというように感じられます。

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慶喜の大政奉還は逆転満塁ホームラン

一気に歴史の歯車を進める、慶応3年まで、西暦でいえば1867年になる。つまり「明治維新(とやら)150年」のわずか1年前ということになる。

 

1014日(旧暦)に大きな政治的事件があった、言うまでもなく大政奉還だ。二条城で、徳川慶喜が京都在住の諸藩士(重臣)を集め大政奉還を諮問し、その後明治天皇に奏上したということで、正式勅許は翌15日だ。Photo

 

大政奉還に至る経緯はいろんなところに書かれているのでここでは触れないが、土佐藩からの建白・勧奨があったことは事実のようだ。ただしそれが坂本龍馬からの意見具申から始まった、というのは甚だ疑問だ。

 

もちろん大政奉還が龍馬のオリジナル意見でないことは自明の事実だが、土佐藩内で実力を持っていた後藤象二郎が、どれだけ龍馬から意見を聞いたか、あるいは受け容れたかについてはどんなものだろう。

 

この土佐藩の建白を、薩摩藩(西郷、大久保)が当初承認したわけだが、おそらく慶喜が受けるわけはないだろうと考えていたのだろうか。とすれば、なんとも慶喜を見くびったものだ。

 

とくに西郷がどのような政権構想を抱いていたのか、それについては遺されたものがほとんどないので想像するしかないのだが、おそらく慶喜の半分もまともなものではなかったように思われる。

 

私は慶喜という人物は好きでないし、彼がもっと毅然として事に当たっていたら越後(長岡)や会津の悲劇はなかったのではないかと思うので、甚だ遺憾な行動を続けたと思っている。

 

しかしそのことを差し引いても、当時の日本で最も第一級情報をたくさん持ち、世界レベルでの将来展望持ち得ていたのは、慶喜であり彼のブレインであったはずだ。

 

西郷など、勝海舟に一度面会して「世界に目を開いた」とも言われているが、これは私の想像だが、西郷が目を見開いたのは海舟が論じた「幕府はダメだ」ということではなかったか。

 

百歩譲っても、薩摩藩の世界への窓はイギリス(の恫喝外交)であり、フランスへの対抗ということで伝えられる情報ルートでは、グローバルな物の見方ができたとは思えない。

 

そして、西郷も大久保も朝廷内の黒幕であった岩倉(具視)に振り回されるのだ。その意味では、岩倉は非常に興味ある人物には違いないが、なぜ「500円札になったのか」その理由が分からない。

 

岩倉は一度失脚している、というより天誅の嵐におびえて逼塞しただけだ。その当時は孝明天皇の公武合体主義に追随していたわけだが、長州過激派から恫喝されると尻尾を巻いて逃げ出している。

 

それがのこのこと戻ってきたらと思ったら、公武合体主義を取り下げてしまい、討幕論に傾いていく。それが故に孝明天皇の「病死」に関して、疑惑を抱かれる存在になったのも自業自得だろう。

 

確かなことは、孝明天皇の死が歴史の回転を一気に逆回転にしたことだろう。そこに岩倉が介在したかどうかは知ったことではないが、何らかの関わりがあったと想像することはたやすい、それまでの人物だったということだが。

 

その岩倉は王政復古を企画して暗躍し、偽勅を作成して行動を起こそうとした、その刹那に慶喜の大政奉還に機先を制された訳だ。ある意味痛快なことだった。

日本海縦貫線を特急乗り継ぎで行く

青森県八戸市からの帰り道、昨日は休養と趣味をかねて日本海回りでのJR乗り継ぎ旅を選択しました。新幹線大宮乗り換えであれば正味4時間ほどのところを、乗り継ぎも含めて倍の8時間です。

 

幸いに今日までは安定した天候のようで、新緑に萌える山々や青々とした水田を眺めながら、そしてゆったりとした日本海を見ながら下っていきます。

 

八戸から新青森へは新幹線の旅、Jはやぶさ95号はR北海道のH5系の担当。もちろん全車指定席ですが、この区間は立席特急券で空いている席に座れます。

 

新青森からは10分足らずの乗り換えで、E751系特急つがるに。4両編成で後ろ2両が自由席。ダイヤ改正毎に本数が徐々に減ってきていて、ある意味絶滅危惧種になっている特急(現在3往復)です。T_20180605_11

 

左側に腰掛けると、途中の弘南鉄道黒石線や大鰐線、秋田内陸縦貫鉄道の車両も眺められます。弘前までの間は、右側に岩木山が見えます、車内が空いていますのでこの間は席を移動でした

 

「つがる」の乗車率はオフ期の平日とあって20%もないくらいでしょうか、途中停車駅での乗り降りも数人といったところで、当面は残るでしょうが、明るい将来ではありませんね。

 

日本海縦貫線はどちらかといえば貨物列車が主流になっています。新潟-酒田間を除くと、特急の本数も少なく短距離のローカル列車が行き交う状況です。

 

さて、秋田では乗り継ぎ時間が1時間以上あり、ここでゆっくり昼ご飯です。ただ、駅ビルや周辺には秋田周辺の名物料理を食べさせてくれる店はすくなく、ここでも全国チェーン店が幅をきかせています。

 

つまり旅人を歓迎してくれる店では、普段はさほど儲からないということで、これも全国的な傾向と言えるでしょう。中には駅前周辺にはそういう店が殆どないといったところもあり、旅人にはさみしい限りです。T_20180605_12

 

秋田からは羽越本線の特急「いなほ」、かつて常磐線を走っていたE653系が塗色も変えてがんばっています。酒田以南は本数もそこそこありますが、秋田に足を伸ばすのは3往復だけです。

 

停車駅もその昔の急行や準急並みで、表定速度はまずまずですが、「特別」急行列車というイメージではなくなった感じです。こちらも乗車率はオフ期で低く、せいぜい30%ちょっとというところだったでしょうか。

 

さすがの定時運転で新潟駅に到着、高架化された新潟駅ですが、東側から入線したのは今日が初めてでした。で、この「いなほ」は同じホーム(在来線5番線と新幹線11番線)での新幹線接続はなかったようです。

MGは社内に共通用語を作る

<連載コラム(62)>

友だち追加

 概念あるいは活字というのは、非常に広範囲の具体内容を、無理して僅かの単語に集約的に抽象化したものです。その具体的な解釈には、かなりのバラツキが生じてしまいます。

 
 より高度に集約された概念であればあるほど、そういう傾向が強くなります。つまり意志が伝わりにくいということが生じます。

 
 MG
の素晴らしさは、社内に共通用語をもたらすことにもあります。PVQFGという5つのアルファベット(要素)が、どんな抽象的な概念も具体的な形に変えてくれます。

 
 社内の会議でしたら、自分たちだけに伝わる言語であれば、何の問題もありません。

 
 脳力開発ではこんな風にも言っています。概念としても言葉は、包装紙の方であって中身そのものではない。

 
 あるいはたくさんの中身が詰め込まれた、整理棚に付けられている索引(インデックス)や表札に過ぎないと。

 
 このことを良く承知していないと誤解や理解の相違が起こります。ですから、概念の中にはできるだけ具体的な中身を詰め込んでおくことが重要になります。

 
 その点、MG5要素文字は誰でもすぐに分かる(もちろんMGを学んだ人にとって)、誤りのない意思伝達になるわけです。

 
 MG
を全社で取り組む効用の一つはここにあります。誰もが分かる共通用語を持つことの強み、これが確定材料、すなわち経営の事実数字を誤りなく、しっかりつかむことにもつながるのです。

 
 余計な会社や推測を挟み込む余地がない、つまり間違いがなくなるのです。

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いよいよ今日は本業の仕事です

遠征の季節、6月が到来し1日から青森県八戸市に来ております。友だち追加

 

1日は曇り空で気温もやや低めでしたが、この土日は青空に恵まれ気温も平年よりも高い初夏の陽気になっています。

 

朝方の気温は下がりますので、日中との気温差が大きく体調を狂わせないように気を遣っています。今日4日も30度近い気温になるかも知れません。

 

遠征の初日はクライアント会社での社員研修、中途入社のお二人と脳力開発の学び。短い時間でしたから、たった一つ「明元素ことば」を使おうということだけを強調しました。

 

いずれにしても実践が肝心、そのためにもしっかち意識して「暗病反ことばを使わない、明元素ことばを使う」ことを、心がけてくれると嬉しいところです。20180603_154550

 

そしてこの土日はMGセミナー、昨年も参加して最優秀経営者賞をいただきましたので、今年も「連覇」を目標にして参加しました。

 

ところが出だしから思い描いた展開になかなかなりません。どうしても悪条件の側に振れていくので、自ら条件を作っていかねばと意識するのですがどうも空回り。カードの巡りと市場の状況がかみ合わないのです。

 

結局最後の最後まで、空回り状況すなわち売りたい時に売れない、仕入れたい時に仕入れできないが繰り返されてしまい、そうかこんな日もあるのかと妙に納得した次第。

 

おかげさまでそうした事態にも慌てることはなく、「なるようになる」ではなく「なるようにする」の気持ちを維持できましたので、最終的にはナントカ逃げ切りました。

 

ということで「連覇」は達成、戦略目標に届きました。そして今回も新しい出会いのご縁があり、充実の学びと交流の時間でした。

 

さて、明日はもう一日「本業」のミッション(志事)です、氣愛を込めて。

MG社内定着への紆余曲折を語る

この土日は、青森県八戸市で開催されているうみねこMGに参加しています。

 

今年で第6回、毎年MG開発者の西順一郎さんをお迎えして開催しています。クライアントである(株)岩岡さんが主催されていますので、私も毎年参加しています。

 

かつて私の会社が、「社員全員を東京MGほか各地の研修に参加させたい。でも経費がバカにならない、それなら地元で開催し、全国から参加してもらおう」と考えて「長岡MG」を立ち上げたのと同じ思いでのスタートでした。

 

そんなわけで、参加者(34名)の半数以上が岩岡さんの社員さんです。全国から来られている皆さんの元気や笑顔、それを体で感じて欲しいというのが社長の思いです。

 

正直言って社員さんの中には、「業務(社長の)命令だから」仕方なく参加している人もいますし、もしかしたらまだ主流なのかも知れません。20180602_193640

 

私のかつての会社もまたそうでした。最初の頃は、イヤイヤながらという表情が顔に出ている状況でした。

 

もちろん朝礼やアフターファイブの飲み会などで、MG研修をやる意味や目的を熱く語り続けましたが、中には「MGをやるなら(会社を)辞める」と訴える社員も。

 

それでも、(当時赤字だった)会社を建て直して、みんなが幸せや働きがいを感じる会社にするためにはMGが必要なんだと、言い続けました。

 

残念ながらお辞めになった社員さんもいましたが、ほぼ全員がついてきてくれ、会社も赤字体質を脱皮し「良い会社」になることができました。

 

ですから、岩岡さんの社員さんも必ずついてきてくれに違いない、と信じているのです。社長の思いもそうでしょう。私の役割はそれをしっかりサポートしていくこと。

 

MGを会社に取り入れている会社の多くも、おそらく同じ悩みや苦心をされていることだと思います。でも「思いは叶う」という信念を持ち続けましょう。

 

MGを好きになって欲しい、MGをやって会社を良くしよう、そしてみんなが幸せになろうよという思いを共有してくれることを願っています。

 

必ず思いは実ります、必ず。

 

そんな思いを込めて研修2日目、社員の皆さんに前向きのエネルギーを感じていただけるよう、私も氣愛を込めてセミナーに臨みます。

消費税率改定準備はできてますか

平成が残り1年になって早くも1ヶ月が過ぎていってしまった。この調子で流れていくと、あっという間に四季が過ぎ去り、気がついたら残り何ヶ月になっていそうだ。

 

新しい元号はどうも当面は発表されないままになり、改元の少し前まで明らかにならないらしい。カレンダー業者や手帳業者はもちろん、ありとあらゆるところに影響は出てくる、いやもうすでに出ている。

 

先月あたりの通信関係の請求書などは、今まで平成を使っていたところでも「2018年」に書き換えられているところがある。あるいは有効期限1年の会員証など、「2019年●月まで」のように記載されている。

 

私の事務所では、既に何年も前から西暦表示であるので、また経理処理も原則西暦で進めてきているので手戻りはない。慌てなくても済みそうだが、元号を使ってきたところは対応が急がれる。

 

つまりシステムも変えなければならないわけだが、まぁ年号くらいはさしたることもない。ちょっとプログラムを変えれば、ある意味素人でも対応は可能だろう。

 

パソコンソフトやレジなどは、元からどちらの使い方もできるようにしてあるはずだから、ある日一斉に切り替えるだけで大丈夫だろう。もっとも、それすら業者の手を煩わさねばできない会社も少なくはないと思う。

 

元号はまだしも、もっとややこしい問題がその後に控えている。それが消費税10%への引き上げだが、いつの実施かは知っておられるだろうな。忘れていたでは、話にならない。

 

記憶を呼び起こしてもらおう、2019年の10月からだ。ということは残り16ヶ月経てば実施されるということだ。再度実施が伸びるのではないかという声もあるが、国家財政の現状を見ればこれ以上の先延ばしはあるまい。Photo

 

当然ではあるが、これへの対応も待ったなしで進めていかなければならない。16ヶ月ということは、もう残りの日数は500日を切っているということなので、そろそろ焦らねばならないかも。

 

何しろ、今度の改定には「軽減税率」なるものが付帯されている。つまり10%にならずに8%のものもあるということだし、その状況によっては同じものが8%だったり10%だったりすることもあるのだ。

 

飲食料品を扱っている業者だかのことだろうなどと、おっとり構えていては困る。一般の会社にしても、会社で使うお茶やお菓子の類などはその対象になるわけだし、食事や接待なども扱いが面倒だ。

 

会議などで弁当をとる場合、出前宅配を頼めば8%の税率になるが、同じものをその店内で食べたら「外食」ということで10%の税率になる。

 

出前の弁当なら良いが、ケータリングを頼むと外食扱いになったりする。もしあなたの会社の商品に、お菓子などをセットにして売った場合はどうなるか、などいろんなケースを想定しなければならないだろう。

 

また、飲料の中でも酒類は8%にはならない。ペットボトルのウォーターは食品として8%だが、水道水は食品ではない(食品表示法)ないので10%になるとか、面倒なこと甚だしい。

 

税率が2つになれば、納品書や請求書の類もそれに対応が必要なことは、言うまでもない。これらへの対応を、来年の9月末までには完了していなければならない。

 

レジをたくさん抱えている店などは大変だ。またそういった作業が一気に集中するから、今から準備を整えていても早すぎることはない。買い換えやシステム改修などの補助金制度もチェックしておいた方が良い。

 

税額計算の特例もある(基準期間の売上高が5000万円以下の中小事業者)ので、それも研究しておいた方がいい。ギリギリになって慌てることのないように、くれぐれも。

「知ったかぶり」は見栄と怠慢だ

<連載コラム(61)>

 どんなに判断力が向上し、推測や予測等の能力が高まったとしましても、分からないことはあくまで分からないのであって、確定的材料(事実)が足りなければ正しい判断はできません。

 
 ここに一つ重要なルール(ポイント)が登場します。それは「知ったかぶりをするな:ということです。これは実は脳力開発にとっては大敵です。

 
 よく、「あ、それはオレ知ってるよ」とか「実はオレも考えていたんだよ」と、口をはさんでくる人がいます。

 
 知っているのなら、すでに考えているのであれば、それを先に言えよという感じがしませんか。

 
 こういった「知ったかぶり」の心理的基盤は、実は見栄だとか怠慢です。よってこの双方とも、潰していかねばならないことです。

 
 例えば、議論や話し合いによって確定できない性質のものは、どんなに熱心に長時間をかけて議論し検討しても、やはり確定ができません。

 
 そうやってずるずると長引いてしまう議論や話し合いは、時間とエネルギーの無駄となります。

 
 確定的でない要素は、実際に(実地で)調べるか、自分自身でやってみないと、確定的にはなりません。もし実際にやって見る場合には、リスクをできる限り小さくすることも必要になります。

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