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西郷の陰謀に引っかかった江戸幕府

私は、江戸時代末から明治初期における変革を、何もかも否定しようというのではない。ただ、『明治維新』とかと名付けて異常に持ち上げるのはどうかと、疑問を投げかけているわけだ。

 

明治の変革が正しくて、その以前の江戸幕府のやり方は全て間違っていて、あのままでは欧米列強の侵略を受けて大変なことになっていた。だから明治維新は正しいことだった、という論には与しないと言っている。

 

もちろん、幕府のやっていたことが正しかったなどとは言わないし、あのまま進んでは問題が噴出したであろうということには異論はない。しかし対応能力(を持つ幕僚がいたという事実)があったことは確かだ。

 

実際のところ、明治新政府はそのスタートに際して実務官僚がほとんどいなくて、かつての幕府官僚・役人を雇わざるを得なかった。そして、彼らが現場の実務をうまくこなしたことで、維新とやらを実現したのだ。

 

その功績のほとんどは、維新とやらを推進したらしい薩長アンド土肥の藩士たちのものとされたが、事実誰がやったかということはキチッと伝えるべきであろう。

 

もっとも、為政者によって歴史がねじ曲げられることは慶応から明治の歴史に始まったことではない。古代もそうだったし、中世も近代もそうであった。例えば徳川家康がそうだった。

 

家康の事績は確かに群を抜いていたが、東照神君をあがめ奉るための「歴史」も多々あった。例えば、織田徳川連合軍が、浅井朝倉連合軍を破った姉川の戦いもその一つだ。

 

歴史にはこうある。織田軍は向かい合った浅井軍に攻め込まれ、先鋒から中軍さらに奥まで攻め込まれて危機的状況だった。それを見た徳川軍が朝倉軍と戦いながら、一部を割いて浅井軍を攻め切り崩して織田軍を救った。

 

確かに、織田軍が浅井軍に押し込まれたことはあったが、切り崩されたことは事実ではない。結局、これは家康の戦を素晴らしいものだった、さすがに神君であると言いたかったのであろう。

 

歴史は繰り返される。幕末の薩長軍も、結果としては幕府軍を鳥羽伏見の戦いで打ち破り、江戸まで攻め込んだことは事実だとしても、これは幕府軍の拙攻や指揮系統の乱れ、何より総大将の慶喜の責任であった。

 

鳥羽伏見の戦いそのものも、圧倒的に幕府軍の方が数は多かった。装備の近代化が薩長軍より遅れていたことは事実だとしても、全体としては(数を含めて)決して劣るものではなかった。

 

その戦いの火を付けたのは西郷隆盛だ。薩長軍は、どうしても幕府軍に先に大砲や鉄砲を撃たせたかった。それを朝廷すなわち天皇への発砲とすることで、大義名分を作りたかったのだ。Photo_3

 

そこで西郷は、遠く離れた江戸の街で騒乱を起こした。騒乱というが、内実は乱暴狼藉、略奪だった。騒動を起こした連中は薩摩藩邸に逃げ込んだ。そこで業を煮やした庄内藩(江戸市中取締役)が薩摩藩邸を攻撃した。

 

西郷はその報せを聞いて「やった!」と叫んだことだろう。指を鳴らしたかも知れない。名分はできた、あとは相手に先に撃たせればさらに良い。その仕掛けに、幕府軍は見事に引っかかってしまった。

 

許せないのは、その乱暴狼藉を起こした連中を、西郷は生かすことなく抹殺したことだ。彼らは使い捨ての道具に過ぎなかったのだ。そんな西郷に「敬天愛人」はふさわしくないと思うのだが、いかが。

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