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『働かせ方改革』法案が素通りしていいのか!?

大型連休に突入して、政治の世界も表向きは長いお休みに入ったようだ。おそらく水面下でのうごめきは続いているのだろうけど、今のマスコミにはそれを引っ張り出せるほどの力はないだろうし。

 

まぁ、何もないって考える方がおかしいわけで、長い休暇を利用して「海外視察」という息抜き旅行に多くの議員が出たり、そうでなければ地元の涵養とかをやっているのだろう。

 

そうでなくても開店休業の国会は、長い休みが明ければ残りの会期もいつしか迫ってくる。モリカケ&日報隠しにセクハラはどうなってしまうんだろう。

 

そんな下らんことで国会を空転させるなどとはと、知ったか評論家や有識者辺りがしたり顔で言っているが、これらは下らんことなんだろうかよ。

 

とうとう休み前にはやることがそこを尽きたのか、与党はパフォーマンスに余念がなかった。一つは委員会における時間の空費、何でも野党の質問時間はキチッととっているというフリをするのだそうだ。

 

馬鹿馬鹿しい、それなら野球で敬遠するのにボールを一球も投げないという方が、よほどマシだと感じた。それで野党に非難の矢を向けようというのだろうが、そんなパフォーマンスに付き合う馬鹿がいるとでも思っているのか。

 

二つ目は、(力のない)国対委員長の解散を匂わす発言、あれはやらせだろうという指摘もあったが、まぁせいぜいそんなところだろう。前回の総選挙からたったの半年あまり、本気で言っているとは思えない。

 

もし本気だとしたら、野党も小馬鹿にされたものだ。選挙準備ができていないのは与野党共に同じ状況だろうから、やっぱり田舎芝居にしか過ぎないわけだ。

 

で、大型連休に庶民を酔わせておいて、休みぼけになったところで『過去のこと』は記憶の彼方に押しやってもらうことにして、「働き方改革」とか次のものを取り出していく。

 

それでもさかんに突っ込まれたら、また解散総選挙をちらつかせていく。何しろ解散総選挙をやっても、与党は少し議席を減らすだろうが十中八九勝つだろうしなぁ。

 

で、「働き方改革」法案とやらだが、その説明書きを眺めて感じたことは、やたらと「いいこと」が書いてあるなということだ。新薬でもサプリでも栄養食品でも、やたらとその効能ばかりを書き連ねたものは眉唾だろう。Photo

 

とにかく「いいこと」ばかりが書いてあるのだ。考えなしに読んでいけば、これをやればいいじゃないかと、思ってしまう人も多いだろう。確かに大企業の経営者や、大企業の多くの勤労者はいいかもしれない。

 

だが明らかにこの法案は「働かせ方」改悪法案だ。大企業の勤労者も、心しておかないと気がついたら辛い状況におかれる恐れがある。また企業数の99%、労働者総数の60%たる中小企業にはどうなのか。

 

おそらくこの法案も、十二分な審議はされないままに、ちょこっとだけ修正を加えたくらいで可決されるだろう。可決後は官僚たちの運用に任され、気がついたら労働者の多くが不利を感じることになっているだろう。

 

こうなること、昨年の解散総選挙で国民が選んでしまった道なのだということを、しっかり考えよう。アホなマスコミに振り回されない確かな目で事実や正論を確かめて、自ら意思を主張していきたいものだ。

ゴールデンウィークだそうだけど

ゴールデンウィーク(GW)に入っている。この言葉はもちろん外国人には通じない、和製英語だが、いったいいつ頃できたものかはあまり知られていないようだ。

 

歴史は古く戦後しばらくの頃らしく、どうも私が生まれた頃のようだ。だからもう70年近くになるが、休日とは直接関係はない。

 

調べてみると映画業界の専門用語だそうで、戦後の映画ブームの頃この時期に一斉封切りされたことで、映画館に観客が殺到することを夢見て付けたネーミングらしい。

 

実際に、大きな観客動員だったようで、一世を風靡した映画スターが脚光を浴びた時代のキャッチフレーズでもある。

 

映画はその後テレビに押されて急激に観客を減らしていくことになるが、国民の休日として憲法記念日と子供の日が近接(飛び石)していることが火付けになった。

 

すなわち、5月4日が日曜日になれば3連休が出現することで、いつしかこれをマスコミがゴールデンウィークと呼び始めたようだ。

 

マスコミがと言ったが、実はNHKは最初から原則として使っていない。これが映画という特定業界の用語だったことによるものらしいが、よって今もって「大型連休」と呼ぶ。

 

ちなみに、いくつかの会社で商標登録もされているという。どういう使われ方、商品なのかは寡聞にして知らないが、いつの時代も目端の利く輩がいるようだ。

 

それはそれとして、やがて土曜日も半ドンや休みにする会社が増えてきたり、振替休日が制度化されたり、間の4日が「国民の休日」となったりして、休日がやたらと増えた。Photo_2

 

長い連続休暇をとる習慣が根付いていない日本では、貴重なロングホリデイズだが、その分人出が集中してしまう。

 

毎年のように大移動による交通集中が繰り返されるし、著名な観光地は芋の子を洗うような有様だ。ハッキリ言って、そんなところには近づきたくもない。

 

というわけで、今年も昨年に引き続いて自宅からあまり動かない。近場を動き回るくらいだろうか、義父の命日だからお参りには出かけるけど。

 

もちろん、GWとはいえ仕事が続く人たちも多い。かき入れ時の業種、業態も少なくない。それもあって、NHKは「ゴールデン」とは言わないのだとも聞く。

 

まぁ、今年もゆっくりのんびり過ごそうか。

企業理念・経営理念は誰のものですか?

企業理念(経営理念・創業理念)は、企業の戦略であると書いてきました。正しくはイコールではなく、ニアリーイコールですが、実務としては同じ次元で捉えても支障はありませんでしょう。

 

要は、企業理念がないということは企業としての戦略がないということなのだと、知ってほしいわけです。戦略は方向性(脳力開発では「打撃の方向」といいます)ですから、無戦略はどこへ向かうかが決まっていないことです。

 

一人会社なら、経営者本人が迷ってウロウロするだけで済むかも知れませんが、それでも家族という存在がある場合が多いでしょう。ましてやパートナーや社員さんが一人でもいたら。

 

いずれにしても方向を明示しないと、たとえ自分だけが分かっていても周りはどちらに向かっていいのか分からず、力の集中ということからは大きなマイナスになってしまいます。

 

また、経営者自身も周りの人たちが自分の思いと違う方向に動いてしまったら困るでしょう。怒鳴ったり怒ったり、嘆いてみたりと、マイナスの行動しか生まれてきません。

 

というわけで、企業理念が必要であり大切であることは、理解していただいたと思います。

 

さて、企業理念ができた、あるいはすでにあるよという企業の経営者の方に質問です。その企業理念・経営理念は、誰のものですか?

 

企業理念は企業のもの、そりゃあそうでしょうね。経営者のもの、確かに。社員さんのもの、そうかも知れない。他には? そうだ、会社を取り巻くみんなのものだ。じゃぁ、みんなって誰なの?Photo

 

まぁ、いいでしょう。捉え方によって、いろいろに考えられますので。

 

では、実際に会社の中で仕事をしているのは経営者と経営幹部、社員さんだとして、経営者のものであることは間違いないですね、だって、社長さん、あなた自身が創ったか前任者たちから引き継いだのですから。

 

だとして、社員さんのものになっているかってことなんですよ。大丈夫だよ、うちの会社では毎日朝礼で理念を唱和しているし、社員もみんなソラで言えるから。

 

中には、社員さんも参画して「理念づくり」を推進し、企業理念を作った会社もあることでしょう。みんなで作ったのだから「みんなのもの」だ、、、と思っているのは、もしかしたら経営者・社長一人なのかも。

 

もしそうだとしたら、どうします? 大丈夫、当社ではみんなで企業理念を作ったし、その後の細かい行動指針作りにも部課長に参加してもらった。部署別にミーティングや説明会をやって徹底に努めた。

 

そういう会社もありますね、でも第三者である私が訪問して(密かに)聞いてみると、社長が考えているほどには分かっていない、つまり社員さんのものになってはいないということが分かるのです。

 

ありゃぁ、困りましたね、どうします? で、ここからの回答は『有料』ですから。私も経営コンサルタントを業としているのですからね(笑)。それではまた。

落ち着けばどうってことはない


<連載コラム(51)>

さて前回も書きましたように、MGのゲームの中でもリスクカードを引いた際の心についてですが、確かにやりたいことがやれない状況になるでしょう。

 

しかし、リスクカードを3枚も4枚も連続で引いてしまうことなど、確率的にはあっても実際には殆どないでしょう。

 
 
 たまたまリスクカードを引き、マイナスのカードで困ったなと思っても、その困ったと思うことが(自分の中で)目立ってしまうが故に、困っていないという主流の部分が追いやられてしまうだけのことなのです。

 
 
 そのために、全面的にひどく困ってしまったという気に陥ってしまうわけですが、今一度落ち着いてみればどうってことはない、ことが感じられるはずなのです。

 

ましてや、結果(成績)への影響はリスクカードよりも、途中の意思決定の方がはるかに多く影響したはずですね。

 
 
 また、長所と短所、優点と劣点といいますが、短所や劣点はどうしても目立つところです。周囲からもそちらの方への指摘があるでしょうが、それ以外のところは主流であり、長所もそこに含まれているのです。

 
 
 もちろん、素直に他人の指摘は聞いて欠点を直す努力は必要ですが、余りそれにとらわれすぎて、主流であるところの普通(普遍性)の部分を台無しにしないようにしましょう。そして長所と感じる部分を伸ばしていくことが大切です。

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あなたの会社には戦略があるか!?

あなたの会社には戦略があるか!

 

いきなり、唐突で申し訳ないのだけれど、最近は新しいサポート申込先・相談先の会社に伺うと、上のような質問を投げかけることにしている。

 

面談するお相手は、たいていの場合社長あるいは専務・常務といった経営幹部の方なのだが、瞬時に答を口にされるところはほとんど皆無と言って良い。

 

そこで、戦略って経営理念のことですよと申し上げると、何人かは少しホッとした顔をされる。完全にはイコールではないが、経営理念を作成しておられるなら「まずは及第」といったところだ。

 

この際、経営理念あるいは企業理念の中身はあまり問わないことにしよう。

 

社長と面談の後で、チャンスがあれば社員の方にも同じ問いかけをする。つまり、社員の方も経営理念をちゃんと頭に入れているかどうかを、チェックしてみるわけだ。

 

すぐに答が返ってくるとしたら、たいていの場合は毎朝朝礼をやっている。朝礼の場で理念の唱和をやっているから、新人社員でも頭に入ってくる。Photo

 

そこでちょっと意地悪な質問をしてみる。

 

理念を実現するために普段はどんなことをやっていますか?

 

これに対してもさっと答が返ってくる会社は、なかなかの会社だといえる。社員教育レベルも高いなと納得するわけだ。日常レベルで、無意識のレベルで理念実現の行動ができているということになる。

 

そうでない場合はどうか。たとえば、経営理念があるにもかかわらず答えられない場合は、まずは朝礼をやっていないのかなと考える。朝礼は社員教育の第一歩なので、教育レベルは低いなと感じるわけだ。

 

それから、理念については答えたが平生の行動が曖昧な場合は、二つのことを考える。一つは、理念が徹底されていないこと、そしてもう一つは具体性に乏しくて行動に結びついていないかということだ。

 

経営理念が抽象的な言葉だけだと、社員おのおのがそれぞれにイメージで動いてしまう可能性がある。動けばまだしも、具体的な行動に結びついていかないこともある。

 

そういったところまでキチンと思いをはせて、経営者は理念を策定しなければならない。誰もが納得し、その目標実現に向かうことができる、心が合わせられる、そこまで練り上げられて初めて「企業戦略」と胸が張れる。

 

改めてあなたの会社に問う、あなたの会社には戦略があるか、と。

晋作はいわゆるやんちゃ坊主

<反・薩長史観>

『おもしろき こともなき世を おもしろく』は、高杉晋作の辞世の句とされている。晩年の高杉を看病し、その死を看取った野村望東尼が、「すみなすものは心なりけり」とつけたと言われています。

 

これが慶応3年(1867年)春のことだが、その少し前から労咳(肺結核)に冒されていたという。27歳の死であったが、まさに幕末の世を一気に駆け抜けた生涯であった。

 

この高杉を顕彰したのは明治新政府、とりわけ長州閥の面々でなかでも伊藤博文が熱心であった。

 

高杉は松下村塾に通ったが、塾生の中では最も高い身分であったと言われる。過激な思想を持つ松陰を師とすることには父親が猛反対であり、何度か引き離されている。

 

高杉自身も松陰のあまりの過激な発言を制することもあり、やや距離を置いていたようではあるが、安政の大獄による処刑には衝撃を受け、次第に松陰の思想に傾倒していくようになったようだ。

 

だが、禁門の変に突入していった久坂玄瑞とは一線を画し、一時は藩政からは自ら身を引いて逼塞している。だが、時代が高杉を必要とするようになる。

 

関門海峡における攘夷の実行に対し、4カ国連合艦隊が下関を砲撃、砲台占拠などを行った後の和議交渉で、高杉は全権の役を担っている。

 

上海への渡航体験で見聞したことが買われたわけだが、その態度は交渉相手のひんしゅくを買ったのではないかと思われる。もっとも強い態度が、逆に効果をもたらしたとも評されている。

 

たとえば、イギリスが「彦島租借」を持ち出した際には、日本の歴史を披瀝して煙に巻いたとか威風堂々と反論した結果、租借を免れたとも言われるが、これが史実かどうかはハッキリ言って分からない。Photo

 

この明確に分からない(事実でない)ことが、薩長史観の中では「高杉の手柄」として主張されていること自体がまやかしといえるのではないか。

 

他にも、品川御殿山に建設中のイギリス公使館を焼き討ちした事件にも高杉は参加しているが、これは上海密航留学の後である。渡航体験で「正しい認識を得ていた」などと、どうして言えるのか?

 

第一次長州征伐のおりには、「功山寺の挙兵」を実行して結果として藩政を握ることになるが、確かに行動の人であろうとは言える。だが、奇兵隊の創設、初代総督は確かに高杉だが、すぐに手放さざるを得なくなっている。

 

功山寺挙兵でも、奇兵隊は最後にやっと動いたのであり、危ういところでの挙兵成功だった。

 

第二次長州征伐では、幕府海軍を撃退したり小倉城攻撃を成功しているが、これも当初から幕府側の志気が上がっていなかったことや、将軍家茂の死去による組織壊滅によるところが大きい。

 

また、幕府側から薩摩すなわち西郷が外れていたことが「勝利」につながったであろう。しかし、結局高杉は西郷と出会うことなくこの世を去る。西郷は高杉の「功績」など、知らなかったのではないか?

目立たない側が圧倒的多数


<連載コラム㊿>

物事にはすべて両面がありますが、一方が目立っていて、もう一方は目立たないということがあります。この場合、どちらが主流なのでしょうか、判断を間違わないようにしなければなりません。

 
 
 意外なことに思われるかも知れませんが、目立つ方の側(要素)というのは、実はごく少数の例外的な部分や面です。そして反対に、目立たな方の側(要素)が、圧倒的多数例の普遍的な部分や面なのです。

 
 
 つまり、通常的には後者の目立たない方が主流の側(要素)であると言えるのです。主流の要素は、通常平凡で目立たないので意識から洩れやすく、見逃しやすい結果となります。

 

そこで改めて、確認するという行動が必要になるのです。

 
 
 目立つ方の部分は小部分であるのに、目立っているがために、それについついとらわれてしまうことがあります。

 

その結果、良い方の大部分(主流部分)を見逃したり、損なってしまうようなことをしてしまう。これは脳の使い方としては大きな誤りです。

 
 
 MGでも、リスクカードは意思決定カードの4分の1、すなわち5回に1回だけの確率なのですが、「目立つ」ので、何だかリスクカードばかり引いているような思いにとらわれます。

 

とらわれた結果として、意思決定カードを引いた時に正しい判断ができず、間違った意思決定をしてしまった。そんなことはありませんか?

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キャッシュフローMGから学ぶこと

先週の週末はセミナーシリーズということで、ワンデーの脳力開発講座(3回シリーズの第1講)とキャッシュフローMG(CFMG)を開催しました。

 

東京でのCFMGは今年2回目、今回は2卓11名のご参加でした。半数の方はCFMGを体験するのが初めてでした。

 

これまでにも何度かご紹介しましたが、通常のMG(西研MG)が全てのことが現金によるやりとりに対し、CFMGでは材料の仕入れは原則買掛、商品販売は原則売掛になります。

 

すなわち、材料を買い込む際にはキャッシュがなくてもできるということになります。もちろん、お金はいつかは払わねばなりませんので、中間時と期末に決済を行います。

 

一方、商品を売った時点では売上高が売掛金に変わるだけで、その後に集金をしなければキャッシュが増えません。20180422_134154

 

ですが、この買掛と売掛を上手に意思決定して進めていけば、現金でのやりとりよりも「やれること」が増えることになります。

 

例えば機械の大型化なども、上手な資金運用を工夫すると早めにできることになります。しかし、運用を上手にやらないと、とくに支払いの決済時にキャッシュが不足します。

 

実際の会社経営に、すなわち現実に近いという評価もしていただくゆえんです。何が資金需要を増やす要素なのか、あるいはどうすればキャッシュフローを楽にするのか。

 

そういったことを、疑似体験的に体得していただくのがCFMGの狙いです。

 

CFMGあるいはCF-STRACが提唱されたのは、実はもう30年も前のことです。その後しばらく学ぶ機会が減りましたが、2010年頃から復活を試みました。

 

これは私自身の経営体験で、実際に資金繰りに非常に苦労したこと、資金繰り計画やキャッシュフロー経営の必要性をとくに強く感じた故です。

 

経営者の方は、日々経営の中でキャッシュフローのことを実体験されていると思いますが、現場の社員の皆さんは感覚的にはいくらか距離があります。

 

しかし、キャッシュフロー経営には現場の人たちの「正しい行動と対応」が欠かせません。少なくとも、どうすればいいのかということは知っていていただかなければなりません。

 

そこでCFMGです。ですから、経営者の方と現場の方が一緒に学ぶことをお勧めしているわけです。

 

たとえば、なぜ「社長は在庫を減らせというのか」とか、「集金を早くしかも回収率を上げよ」と命ずるのはどうしてだろうか、その理由をしっかりつかんでいただきたいのです。

 

6月は、定例セミナーの神戸のほかに、高知や京都、大阪でもCFMGを開催します。そして東京では7月の7-8日の開催です。

 

皆さまのご参加をお待ちしております。

今日はブログお休みです

東京は今日も朝から日差しが強くて、気温もどんどん上がっています。

 

昨日と今日はキャッシュフローMG、というわけで本日のブログはお休みです。

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脳力開発シニア講座・東京講座スタート

今週末の3日間は東京でセミナー開催、まず昨日の金曜日は脳力開発シニア講座の第1回目。神戸では先月開講しましたが、東京での3回シリーズスタートです。

 

今回の参加は9名、遠くは九州からもご参加をいただきました。いろんな出会いのご縁を感じる1日でした。

 

第1回目のプログラムテーマは、「自分で主体的にやる姿勢」です。テーマに入る前に、脳力開発・情勢判断学とは何か、脳力と能力の違い、提唱者である城野宏さんをご紹介しました。

 

さらに自己の脳力チェック、普段の生活の中では自分を客観的に見つめる時間を持つことはほとんどありませんので、いい時間になったかと思います。

 

午後はケーススタディのバズセッション、今回は2つのグループに分かれていただきました。発表後の講評では、強くは気付かれなかった視点についてもお話ししました。

 

まとめの講義は「歴史に学ぶ人間学」です。歴史とは、人間の行動の結果(の集積)、その中にある普遍性に学びます。

 

次回の東京(第2回目講座)は7月6日(金)、今回参加の方の内4名は6月の神戸講座に参加されますので、東京講座へのスポット参加を募集しています。

 

また、脳力開発講座のあと7-8日(土日)はキャッシュフローMGと続きます。こちらへのご参加、3日連続のセミナー参加もお待ちしております。

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主と従とが入れ替わることがある

<連載コラム㊾>

常に両面を考え、見ることが大切だということがお分かりいただけたと思いますが、その上で大事なことは、どちらが主であるか(一方は従)です。両面を考える際には、同時にどちらが主流(主導的)かという検討も不可欠ということです。

 
 
 この判定がないと、物事の把握は不十分となり不適切な判断となって、不都合な結果に結びついてしまいます。

 

主流の面あるいは要素は、本質的であり普遍的なもので、全体への影響も大きいということです。通常は量的に大きく、質的に強い方でもあります。

 
 
 例えばここに1枚の名刺があります。名刺の一方の面には会社名、氏名、住所、電話番号などが日本語で表記されています。Photo_2

 

もう一方の面(一応裏面)には、全く同じことが英語で表記されています。さて、この名刺はどちらが主流でしょうか。

 
 
 渡す相手が日本人であれば、日本語表記の面が主流ですが、相手が外国の人であればその逆になるでしょう。このように、主と従とが入れ替わることもありますが、つまり外的要因によっても変わるのです。

 
 
 MGの手段・方法も、その一つ一つが主であると共に、同時に従にもなります。

 

 それなのに一つだけにこだわり、これが全てで(普遍性で)あるように錯覚してしまうと、他の物事が見えなくなってしまいます。このことも忘れてはならないことです。

新潟駅在来線の高架ホーム使用開始

新潟駅の在来線工事、高架化の第1期工事が完了してこの15日から供用が始まった。3ホーム4線分が高架ホームの25番線となると共に、5番線は新幹線の11番線との島式ホームとなった。

 

中間ラッチが設けられて、主として羽越線特急「いなほ」とドアツウドアの連絡となり、乗り換えがスムースになった。私が利用する越後線の各駅停車は一部だけが5番線発着なので、恩恵はそれほどないが。Photo

 

実は今日午後の遠征から、初めて新ホームを利用することになる。小さな子供みたいだが、乗り鉄としてはやはり先頭車両の一番前に乗らなければならないだろう。

 

最近の新しい車両は前方の視野が大きくなり、しかも運転室(兼車掌室)と客室とを隔てる窓も大きくなったので嬉しい。一時はただの壁になった車両、窓があっても上方に小さなものだけという時代が続いていた。

 

確定情報ではないが、どうも当時力の強かった組合から要望があったらしい。乗務中の姿を見られないようにしてくれと。まさか、だらしない格好で乗務していたとは思いたくないが。

 

さて、新潟駅のリニューアル工事はまだまだこれからも続き、計画の完成は3年後だという。この時には完全高架化が実現するが、他にも南北連絡の道路やウォーキングロードも整備される予定だ。

 

駅で分断されているバス路線も、高架下を通って直通することになるかも知れない。もちろん、人間も階段の上がり下がりが緩和されるのでありがたい、とくに高齢者には朗報となるだろう。

 

ところで実は新潟に最初にできた駅は新潟駅ではなく、沼垂駅であった。また官鉄(国鉄)ではなく、北越鉄道(現在の信越本線・直江津-新潟間)という私鉄であった。この駅は貨物駅として、10年近く前まで残っていた。

 

初代の新潟駅は、その沼垂駅から西南方向に延長した、現在駅正面口の斜め前くらいのところ(現在新潟東映ホテルのある位置辺り)にあったらしい。これが1904年の開業であったという。

 

現在地への移転は戦後の1958年だったが、その6年後に震度6の新潟地震に襲われた。跨線橋が倒壊して停車中の気動車を直撃、あるいは駅周辺の液状化現象など大きな被害があったが、幸い復旧も早かったようだ。

 

ちょうど新潟国体が終わってしばらくたった頃だ。私のカミさんは当時小学生で、今は新潟市になっている郊外の街に住んでいたが、石油タンク火災の黒煙が見えたと言っていた。

 

それはともかく老朽化している駅舎も、工事が終われば県都の中央駅にふさわしい姿になるだろう。駅の南北周辺の整備も加速していくのだろうが、果たして「人に優しい」駅(周辺)に生まれ変わるのだろうか。

 

その頃には私もいよいよ本格的な高齢者の仲間入りをして、「昔に比べれば良くなったなぁ」と言うことができるのだろうか。大いに期待したいところだ。

西郷の陰謀に引っかかった江戸幕府

私は、江戸時代末から明治初期における変革を、何もかも否定しようというのではない。ただ、『明治維新』とかと名付けて異常に持ち上げるのはどうかと、疑問を投げかけているわけだ。

 

明治の変革が正しくて、その以前の江戸幕府のやり方は全て間違っていて、あのままでは欧米列強の侵略を受けて大変なことになっていた。だから明治維新は正しいことだった、という論には与しないと言っている。

 

もちろん、幕府のやっていたことが正しかったなどとは言わないし、あのまま進んでは問題が噴出したであろうということには異論はない。しかし対応能力(を持つ幕僚がいたという事実)があったことは確かだ。

 

実際のところ、明治新政府はそのスタートに際して実務官僚がほとんどいなくて、かつての幕府官僚・役人を雇わざるを得なかった。そして、彼らが現場の実務をうまくこなしたことで、維新とやらを実現したのだ。

 

その功績のほとんどは、維新とやらを推進したらしい薩長アンド土肥の藩士たちのものとされたが、事実誰がやったかということはキチッと伝えるべきであろう。

 

もっとも、為政者によって歴史がねじ曲げられることは慶応から明治の歴史に始まったことではない。古代もそうだったし、中世も近代もそうであった。例えば徳川家康がそうだった。

 

家康の事績は確かに群を抜いていたが、東照神君をあがめ奉るための「歴史」も多々あった。例えば、織田徳川連合軍が、浅井朝倉連合軍を破った姉川の戦いもその一つだ。

 

歴史にはこうある。織田軍は向かい合った浅井軍に攻め込まれ、先鋒から中軍さらに奥まで攻め込まれて危機的状況だった。それを見た徳川軍が朝倉軍と戦いながら、一部を割いて浅井軍を攻め切り崩して織田軍を救った。

 

確かに、織田軍が浅井軍に押し込まれたことはあったが、切り崩されたことは事実ではない。結局、これは家康の戦を素晴らしいものだった、さすがに神君であると言いたかったのであろう。

 

歴史は繰り返される。幕末の薩長軍も、結果としては幕府軍を鳥羽伏見の戦いで打ち破り、江戸まで攻め込んだことは事実だとしても、これは幕府軍の拙攻や指揮系統の乱れ、何より総大将の慶喜の責任であった。

 

鳥羽伏見の戦いそのものも、圧倒的に幕府軍の方が数は多かった。装備の近代化が薩長軍より遅れていたことは事実だとしても、全体としては(数を含めて)決して劣るものではなかった。

 

その戦いの火を付けたのは西郷隆盛だ。薩長軍は、どうしても幕府軍に先に大砲や鉄砲を撃たせたかった。それを朝廷すなわち天皇への発砲とすることで、大義名分を作りたかったのだ。Photo_3

 

そこで西郷は、遠く離れた江戸の街で騒乱を起こした。騒乱というが、内実は乱暴狼藉、略奪だった。騒動を起こした連中は薩摩藩邸に逃げ込んだ。そこで業を煮やした庄内藩(江戸市中取締役)が薩摩藩邸を攻撃した。

 

西郷はその報せを聞いて「やった!」と叫んだことだろう。指を鳴らしたかも知れない。名分はできた、あとは相手に先に撃たせればさらに良い。その仕掛けに、幕府軍は見事に引っかかってしまった。

 

許せないのは、その乱暴狼藉を起こした連中を、西郷は生かすことなく抹殺したことだ。彼らは使い捨ての道具に過ぎなかったのだ。そんな西郷に「敬天愛人」はふさわしくないと思うのだが、いかが。

社内会議が片面思考議論になっていませんか?


<連載コラム㊽>

両面思考に対比するために、片面思考についての例を一つ挙げてみましょう。白熱する会議ということなのですが、皆さんは会議の中で議論が戦わされて盛り上がることはいいことだと思われますか?

 

丁々発止で互いの主張が繰り返され、ヒートアップしている、きっといい結論がでてくるだろうと。

 
 
 しかしたいていの場合、それは大きな勘違いです。その証拠といっては何ですが、国会での与野党のやりとりを見られたことがありますか。

 

互いの主張の言い合い、どんどんヒートアップしていきますが、その中から何か建設的な結論が導き出せているでしょうか。

 
 
 あれなどは片面思考議論の典型です。互いに反対の面の事実を主張し合う余りに、相手方の主張している事実を否定し合う。それがホントの白熱した議論と、呼べるのでしょうか。

 

もし会社の中であのような議論の形が繰り返されているとしたら、まさに不毛な議論としか言いようがありません。

 
 
 国会の議論は別として、企業内のディスカッションであれば、互いに角度(立場や観点)を変えて、つまり反対に入れ替わってみれば、直ちに双方の事実(主張)が互いに納得できるはずなのです。

 
 
 MGでも、自分の状況だけを考えるのではなく、相手の状況をよく見て次は何をしてくるだろうかと、考えているのではないですか。

 

 まさか、人は人、我は我とだけを考えて、自分がやりたいことをただやり続けますか?それでは成績は決して伸びませんね。

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今週末(20日~22日)は脳力開発講座とCFMG

4月も半ばを過ぎて、雨が上がると共に気温も再び上がり始めました。これから新しい生命が萌え始め、新緑が美しくなる季節ですね。

 

また、今春社会人となられた新人の方々も、多くの方が研修を終えて現場に出られたことでしょう。学生時代とは違うことが分かっていても戸惑うこともありながら、新しい息吹をもたらしておられると思います。

 

さて、今週は週末の3日間が主催セミナーです。金曜日が脳力開発講座、東京での3回シリーズ第Ⅰ講座です。今回は定員10名に対して、9名のエントリーをいただいています。

 

これまでに受講されて再受講の方もおられますが、第1回目は「脳力と脳力の違い」などの脳力開発の基本、そして重要指針(精神的姿勢の確立)のその一、『自分で主体的にやる姿勢』がテーマです。

 

この姿勢と対比されるのが『人頼りの姿勢』なんですが、責任や(うまくいかないことの)要因を自分以外に押しつけること、というものです。最近の国会のドタバタは、基本がこの姿勢にあるのではないかと。

 

それは別として、脳力開発講座では講義の中で概要をつかんでいただくと共に、ケーススタディのバズセッションで、早速「実践」的に考えをまとめていただきます。

 

すなわち「学んだことはすぐに使う」ことを、体で覚え込んでいただくのです。MGでも言っている行入が大切、ということを脳力開発も基本にしているわけです。

 

朝の10時から昼食を挟んで夕方18時前までのプログラムですが、きっと時間が短く感じられるはずです。あと数名、当日のみのスポット参加(参加費2万円)ができますので、ご遠慮なくお越し下さい。

 

そして続く土日はキャッシュフローMGCFMG)セミナーです。20170930_cfmg1

 

会場は脳力開発もCFMGも、神田(東松下町)のウィズアクトさんのセミナールーム。神田駅からはあるいて5~6分ほど、岩本町駅からは数分です。ただし、駅のどの出口から出るかで所要時分は変わります(笑)。

 

CFMGについては先週の締切までに11名のエントリーですので、2卓での開催です。今回もCFMGは初めてという方がいらっしゃいますので、じっくりと第6表キャッシュフロー計算書を学んでいただきます。

 

目指すは「動脈硬化を起こさない」経営です。キャッシュフローは現金の流れですので、本来はハッキリと目に見えているはずですが、実は見えない部分の要素が大きく影響を与えます。

 

それが何か、どう対応して良いのかを疑似体験で学ぶのがMGCFMGです。通常のMGでは全てが目見えていますが、売掛と買掛の二つを加えたCFMGでは見えないものが存在してきます。

 

それを実体験して、実務の現場ではどうしたら良いのかを身につけていきます。ですから、失敗することも必要な体験なのです。私自身もCFMGの中で、一度ならず資金ショートを体験しました。

 

こちらのCFMGは見学OK、お一人だけならゲーム体験も可能です。なお、東京での次回開催は7月の予定になっております。

新潟県倫理法人会の県内レクチャラーとして

おはようございます。

 

久々にバシャバシャの雨になっています。時おり吹く強風に、横なぐりになることも。満開だった桜も一気に散り初めて葉桜になってきました。

 

幸いに散り初めの桜をゆっくり見られたので、今春も「お花見ができた」と日記には書いておきましょう。

 

さて、この春から新潟県倫理法人会の「県内レクチャラー」という、お役をいただきました。

 

レクチャラーとは、地域の各単会で毎週開催されているモーニングセミナーなどで、主に自身の体験をお話しするお役目です。

 

以前にも単会の会長時代などに、「法人レクチャラー」として全国各地へ出講していたことがありましたが、しばらくお休みしておりました(個人的にお招きを受けてはいましたが)。

 

今度は県内への出講ですので、それほど時間的な制約もないでしょうから、推薦をいただいた際に快くお受けしました。何しろ倫理では「ハイ」と素直に受けることが大事ですから。

 

これまでは、レクチャラーとしてではなくお話をしてきましたので、それほど倫理にこだわることもなかったのですが、これからは自分の倫理体験も少し織り込みます。

 

幸いに、倫理以前(倫理法人会入会が2001年)からやっていた脳力開発、この指針と倫理の「17か条」がピタッと合うのです。Photo

 

何より、脳力開発の大きなテーマである『明元素』と、倫理(正確には純粋倫理)の『明朗・愛和・喜働と純情(すなお)』とが、ぴったりフィックスしているのです。

 

これなら、私の体験も織り込んでお話しすることができるなと感じています。

 

さらに、先日県外のあるモーニングセミナーに参加した際に、「歴史から学ぶ」というテーマでお話しになった方からも、ヒントをいただきました。

 

かつてのレクチャラー時代に各地でお話しした、「歴史に学ぶ人間学」も倫理の「17か条」と紡ぎ合わせながらお話しができることに気付きました。

 

どれだけのことをお伝えできて、お役に立てるかは分かりませんが、脳力開発を30年以上、そして純粋倫理も17年以上学んできましたので、お返しをしようと思っています。

 

これも発顕還元の原理の一つかなと、感じているところです。

 

皆さまのところに伺いましたら、その節にはよろしくお願いします。

終身雇用と年功序列賃金が会社を救う

働き方改革とやらが叫ばれて久しい。少子高齢化が進むと共に、総人口自体が減少に転じ始め、労働人口の減少がこれから加速していくことに対する策だとされている。

 

しかしながら、少子高齢化も総人口減少もはるか以前から分かっていたことであり、今さら何を慌てているのかとあきれてしまわないか?これまで何も手を打ってこなかったこと、そのことがおかしいわけだ。Photo

 

いや、何も手を打ってきていないことはないと(政府や与党政治家たちは)言うだろう。では聞くが、それらの施策はどれだけの成果を上げ得たのか。まぁ皆無(ゼロ)とは言わないまでも、限りなくゼロに近いはずだ。

 

場当たり的な対症療法にしか過ぎないものばかりで、しかも手遅れだったり総花的だったり、要するに効き目はほとんどなかったに等しいことは、誰もが知っているだろう。

 

そこで「抜本的に」やらなくてはいけないということで、働き方改革なる花火を打ち上げようというわけだ。が、骨格さえまだハッキリと見えてこないのが実情だ。何しろ政府も立法府も大混乱状況だ。

 

ハッキリ言って、制度がどうとか法案がどうとか、そんなことを待っている暇・時間は中小企業、とりわけ小規模企業にはないはずだ。第一、制度や法律ができても小さな会社にメリットがどれだけあるだろう。

 

そんなおこぼれや「棚からぼた餅」を待っているのは、時間の無駄だ。小さな会社は、今この時間から自ら生き残る道を模索し、自分たちでやれる自分たちの独自策を実行していくべきだ。

 

根本的なベースは言うまでもないことだが、「人を大切にする」施策だ。現在一緒に仕事をしている社員たちが、仕事にやりがいを持つと共に、生きがいを感じられる幸せな生活をしているかということだ。

 

100点満点で自己採点してみようではないか、その上で社員たちからの声を聞いてみたら良かろう。彼らが何を望んでいるのか、それに対して今できることはなにか、将来やるべきことはなにかを一緒に考えていこう。

 

私からの提案だが、昔から日本の会社(経営)の柱とされていた、終身雇用制度とか年功序列賃金だとかをもう一度見直してみるのがいいと思う。

 

定年は65歳と定めても、「いいよ、体・健康がOKなら働けるだけ働いたら良いよ」としてはどうか。事実、そういう会社も僅かだがちゃんと存在している。当然だが大企業にはない、小さな会社の特典だ。

 

そして付加価値労働だとか奇妙な理屈を付けて、成果型賃金制を取り入れているところが少なくないが、小さな会社ではその割合を半分以下、できれば12割にとどめるべきだ。

 

もちろん、基本は勤続年数に合わせた年功序列賃金制だ。これなら誰もが納得する、そこに成果に対するインセンティブをプラスしていくのが望ましい。あくまで加点主義で、ノルマだとか減点主義はとらない。

 

会社の身の丈に合わせて、この二つをやってみようではないか。そこにもう一つプラスするなら女性の活用だ。社員の奥さんやその友達を巻き込むこともいい。在宅勤務でやれることも考えるといいと、他にもやれることがある。

 

国や市町村の施策を待っている余裕はないのではないか。自分たちのことは、できるだけ自分たちで考え実行していく、少なくともそういう観点から行動してみないか。でないと、10年後にあなたの会社はなくなるよ。

常に両面を見る習慣を作る


<連載コラム㊼>

両面思考習慣の続きです。物事は、互いに反対関係にある両面を持っていますから、この両面ともよく知って把握しないと、物事の真の認識はできませんし、まともな思考や判断もできないことになります。

 
 
 したがって、いつでも何に対しても、その両面・双方を抱き合わせのセットとして見たり、考えたりするような反射的習慣をつけていく必要があります。

 

最初は少し抵抗感があるかも知れませんが、ちょっと無理をしてでもそういうクセをつけてほしいものです。

 
 
 意識しながら頻繁に繰り返していくと、すぐに自然な感じというかその習慣が通常になってくるもので、この状態を「身についた」と称しているわけです。

 

でもまだ完全に無意識習慣にはなっていませんので、ここでもう一踏ん張り、意識を高めて土台作りに取り組みましょう。

 
 
 なお物事という事実についての両面だけでなく、評価についても例えば善し悪しという形で両面があります。評価の場合は基準が問題になりますが、自分自身の中での基準が固まるまでは、柔軟に両面を見る姿勢を持つことです。

 
 
 MGの場面でも、「こうやればうまくいく」と同時に、「こうやってもうまくいかない」の両面が常にあるわけです。

 


 それを片側だけに視点を固定してしまい、それが外れて右往左往しているところをよく見かけます。両面を捕まえ、瞬時に判断する力をつけるのが
MGの学びです。

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どうも最近のビジネスホテルはなぁ

仕事柄、ビジネスホテルを利用することが多い。よって、東京とか大阪、あるいは神戸など都市部のホテルがほとんどである。たいていは、何度も利用しているところをリピーターとして泊まる。

 

その中にはメンバー登録をしているところもあり、そういったホテルではネットでの予約ができるし、またチェックイン時でも面倒が少ない。もっとも、それはごく限られたところだ。

 

リピーターといっても。年に数回程度、あるいは毎年同じような時期に1回だけといった利用も多い。そういうところでは、いつも初めてという感じでの応対になるし、宿泊カードもフル記入を要求される。

 

それもまぁ規則だから特段なんとも思わないのだが、プロなら何度か泊まっているお客様を見分けるくらいのことはしてほしい。あるホテルは、年に10泊以上するのだが相変わらずの対応である。

 

カード記入はやむを得ないとしても、キーの使い方や朝食の案内など全てをマニュアル通りにやってくれる。こちらは、分かっていますよと言いたいところを我慢して聴いているのだが。

 

それが先日はようやく顔を覚えてくれたのだろうか、「いつもありがとうございます」といきなり言われて、少し面食らってしまった。でもそれは一瞬で、多分こちらも笑顔になっていたはずだ。

 

何度も利用しているホテルであれば、当然のこととして(メンバー登録などなくても)住所や名前のデータは蓄積されているはずで、有能なホテルマンなどは事前に、何度利用したかまでチェックしているだろう。

 

著名なホテルのフロントマンは、一度泊まったお客様でも忘れないという。伝説のドアマンの話もあるし、努力している人はちゃんとやれているのだ。Photo_2

 

これらのことは、別にホテル業に限ったことではなく、いかなるサービス業にも等しく当てはまる。サービスの内容がそれぞれに違うだけで、根本の、ベースになる心構えは同じことだ。

 

言い古されたことだが、それは「お客様の立場になって」考え、行動するということだ。自分たちだって、立場を変えてお客様になっているわけだから。

 

それを思う時、昨今のホテルのサービスで気になるのは、予約が取りにくくなってきているということだ。以前は観光シーズンなどでそういうこともあったが、最近は特に都市部や観光地などでのホテルがひどい。

 

私などは早めからスケジュールを決めておくので、時には半年前からでも予約を取ろうとするのだが、すでに満杯であることもしばしばだ。おそらく海外からの旅行客(団体予約)だと思う。

 

その上に、曜日によって料金が上がったり下がったりするというのもいただけない、それも極端にだ。中には、平常の倍近い料金を設定しているところもある。数泊すると、毎日料金が変わっていることもある。

 

温泉旅館など観光地の宿が、以前から繁忙期に高い料金設定をしていたのにも腹立たしい思いだったが、ビジネスホテルよ、お前もか!?ってところだ。実に腹立たしいので、あるホテルはメンバー登録をやめた。

 

私一人がいなくなっても痛くもかゆくもなかろうが、同じサービス内容で料金が違うというのはどうしても納得がいかないのだ。経理管理的には理由も分かるのだが、心情的に納得したくないのだ。考えてほしいなぁ。

西郷隆盛は「敬天愛人」ではなかった

昨日は、とある倫理法人会のモーニングセミナーで「歴史から学ぶ」というテーマの講話を、聴く機会に恵まれた。ここにも、私と同じ考え方をされる方がいるのだと思うと嬉しかった。

 

語られた内容については、いくつか異論を呈したいところもあったがそれはそれ、いずれにしても「正しい歴史」を学ぶことの大切さという観点は共通であった。

 

いずれにしても、かねてから私は「歴史は人間(の行動)が創る」と、いつのセミナーや講演でも申し上げてきた。あくまで行動の結果としての歴史を学ぶことであって、作られた歴史ではない。

 

つまり、時の為政者によって作り上げられた(都合良くねじ曲げられた)歴史ではない、ということだ。それは真実ではないのだから、学ぶ価値はないとまではいわないが、異論にも耳を傾けるべきであろう。

 

そんなわけで、私自身もこのブログのコラムで、明治維新と言われる「官製歴史」について異論を書き連ねているわけだ。150年経ってようやく、様々な異論が出て問題提起がなされていることはいいことだと思う。

 

例えば大河ドラマで今年は西郷隆盛が主人公だが、その描き方が今後どういう形になっていくのかについては、甚だ心配をしているわけだ。

 

というのも、いつの頃からか大河ドラマの「質」が下がったように思えるからだ。視聴率が20%前後だと言われるから、単純計算で2500万人が観ていることになる。その多くは歴史と大河ドラマの区別がつかない。

 

大河ドラマで描かれている世界が、「歴史(史実)そのものだ」と思ってもらっては困るのだ。かなり以前は、それでもドラマとしての『質』が高かったので安心していたのだが、ここのところはひどすぎる。

 

特にひどかったのは、何作か前の「花燃ゆ」だった。それこそ、時の総理大臣の心を忖度したとしか思えない内容であった。第一、あの作品の主人公はいったい誰だったのだろう?

 

それはともかくとして、いよいよ西郷が幕末史の表に登場してくる。彼の座右の銘とされるのは「敬天愛人」だが、この中の「天」とは天の下すなわち日本世界だとかではなく、尊敬していた島津斉彬だと言われる。Photo

 

文字通り「天を敬い、人を愛す」人間であれば、幕末に西郷がやったこととは大いに矛盾する。天を敬うのであれば、あの時代なら天皇(のお考え)を敬うことであるはずだが、彼にとっての天皇は「玉(ぎょく)」だった。

 

孝明天皇の真意は親幕であり、公武合体であったことは前回のコラムに書いたが、間違いなく朝敵長州を討伐することを望まれていた。が、西郷はそれを徹底しなかったし、第2回征伐には薩摩藩を出兵させなかった。

 

人を愛すの方についていえば、彼自身は尊皇攘夷の『人斬り』はやらなかったが、反対派に容赦なかったことはいうまでもない。田中(人斬り)新兵衛や中村半次郎(後の桐野利秋)が、西郷の代わりを実行した。

 

鳥羽伏見の開戦において、幕府側から「まず撃たせる」ことを意図して行ったのは、江戸での乱暴狼藉だった。平和な江戸で争乱を起こし、幕府側が感情的に立ち上がらざるを得ないようにもっていった。

 

だがその実際の首謀者は、事が終わると抹殺されている、指示したのは西郷だ。己の手を血まみれにはしなかったが、彼によって血まみれになったのはだれだったろうか? いよいよ踏み込んで語ろうか。

戦略は原則、戦術は非原則

<連載コラム㊻>

戦略と戦術について、もう一度キチンと整理してみます。まず、容易に譲ったり変更したりしてはならない、「原則」の範囲に属するレベルのものを「戦略」といいます。

 
 
 一方、状況や条件に応じて柔軟に対応、対処していく「非原則」の範囲に属するレベルのものを「戦術」といいます。

 

ですから戦術は変更していいし、譲って良いことになりますし、戦略に対して(戦略達成のための)手段・方法の関係にあることを忘れてはなりません。

 
 
 次に、思考習慣について述べて参ります。物事の片面・一面だけを見たり考えたりしただけで、それが全面を示していると決め込んでしまう思考習慣。

 

また、片面・一面に極端に偏ったり、振れたりしやすい思考習慣は、改めるべき(まずい方の)習慣であるといえます。

 
 
 物事は互いに反対関係にある、両面を必ず持っています。これは根本的性質として、どんなものにもある構造上の法則です。

 

 この根本に沿って、両面ともよく知って把握しないと、物事の真の認識はできません。必ずセットで考えることが大切です。

 
 
 MGでも常に、一方を考えると同時に他方も考えることが必要です。つまり、物事はうまくいくことがあると同時に、うまくいかないこともあるということです。うまくいく方ばかり考えてしまうと、うまくいかなかった時に対応できません。

 
 
 つまり、MGは非常に大切な思考習慣の訓練を、絶え間なくやっていることになるのです。

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経営理念は必要最低条件

一昨日は、クライアント社の経営指針発表会にお招きを受けて参加してきた。ご縁ができて以来、ほぼ毎年参加しているが年々そのレベルが上がってきているのは嬉しい限りだ。

 

この会社は同友会(中小企業家同友会)のメンバー企業でもあり、社長も同友会の経営指針作り勉強会などに積極的に参加し、また仲間企業の発表会にも多く顔を出されている。

 

経営指針作りの基本を守りながら、他社の佳いところを取り入れ、そして自社の経営理念・経営指針を磨き込んでいこうという姿勢は大いに共感できる。20180407_161513_4

 

ここで、経営理念とは何かについてあえて述べる必要はないと思うが、念のために記しておこう。経営理念とはその企業の存在意義、あるいは仕事の目的を簡潔に言い表したものである。

 

社是と言うこともあるが、こちらはより簡潔に表現した言葉であると解釈している。また、経営指針あるいは行動指針は、経営理念をもう少し具体的に「行動レベル」に落とし込んだものとして捉えておきたい。

 

だから当然であるが、経営指針発表会ではまず経営理念の確認がなされる。つまり経営者から社員の一人一人までが、目指す方向を一致させることが大事なのだ。

 

この方向が狂ってしまっていては、せっかく崇高な理念を掲げても意味がない。てんでバラバラに行動されたのでは困るのだ、行動の中身はともかく、目指す方向は一つでなければならない。

 

経営理念のない会社は羅針盤や地図を持たずに航海に出た船のようなものである。最近はそんなものを持たずとも、スマホでGPSで確認ができるが、それとて「どこへ行くのか」が決まっていなければ検索できない。

 

ところが経営理念のない会社は少なくない。たいていは創業する時に創っておくものだが、日々の仕事に追われて後回しになっていたりする。

 

経営が軌道に乗ったら創ろうとでも思っているのだろうが、そんな甘いものではない。理念を創らないまま、半数以上の新規起業会社は消滅しているのが現実の姿だ。

 

私自身も創業のお手伝いをすることが何度かあったが、多くの場合は業績計画や資金繰りの相談であり、まずは経営理念を創りましょうと言うのだが、聴く耳を持つ人は少ない。目先のことで精一杯ということだろうか。

 

これではせっかく「世の中のために役立とう」と思って起業しても、残念な結果に終わってしまうことが多いのもうなずける。起業サポーターとしては忸怩たる思いだが、さりとてこちらが創ってあげても意味はない。

 

せめて事業を軌道に乗るようにお手伝いし、早めに経営理念づくりに着手できるようにしなければと思うばかりだ。何しろ「お湯をかけたら3分で」できるものではないので、経営者もサポート側も強い信念が必要だ。

 

最近は、金融機関だけでなく就活の学生たちも経営理念に目を向けていると聞く。そうなると、これからの採用面でも企業理念のない会社は、大きなハンデを背負っていることになる。

 

採用のために創るわけでは決してないが、会社が未来に向けて進歩発展するには、経営理念が最低必要条件なのだと知ってほしいところだ。あなたの会社には、もちろんあるでしょうね。

社員に評価されない会社に未来はない

企業の評価について考えてみたいと思います。

 

売上高が100億円の会社と1億円の会社、どちらがいい会社でしょうか。あるいは利益率が20%の会社と3%の会社では、どちらが立派な会社でしょうか。

 

多くの方は、売上高100億円の会社がいい会社で、利益率20%の会社が立派な会社だということでしょう。企業経営者の多数もおそらくそうではないかと思います。

 

たまに、いや売上高での比較はあまり意味がないよとおっしゃる方がいますが、そういう方でも利益率の話になると、3%より20%の方が立派だ、素晴らしいと言われます。

 

確かに、売上高にしろ利益率(主として経常利益率)にしろ、企業を比較する上での指標の一つにはなります。20180408

 

では、売上高が100億円で利益率が3%の会社と、売上高は1億円だけど利益率は20%だという会社とではどうでしょう。どちらがいい会社だと思いますか?

 

ある人はこう言われました、前者の会社は利益額が3億円だが、後者の会社は2千万円だ。利益額で比較すれば圧倒的に前者の会社の方が儲けが多い(から良い会社だ)。

 

ハッキリいいますと、ここまで書いてきたような比較などあまり意味がないことです。経営結果としての数字など意味はないなどとはもうしません。自社を知るには必要な数字だとしても、他社との比較はどうでしょう。

 

あえて言うなれば、同業種同業態の会社比較であれば、いくらか意味があるのかも知れません。業界の平均値や中央値との比較もやってみるのは止めませんが、だからどうなのって言いたくなります。

 

売上を追いかけ、利益を追いかける、経営なら当然のことではないかとおっしゃるでしょう。そう、経営の目的を達成するには利益が不可欠であるし、その利益は売上から得られるものでしょう、と。

 

さて、「企業の評価」についての結論を書きます。

 

何より第一は、社員あるいはその家族の皆さんが、あなたの会社(社員にとっては自分の会社)を「いい会社だ」と評価していることです。ハッキリ言えばこれに尽きると言ってもいいのです。

 

社員やその家族の方が、いい会社だと胸を張れないようでは何をか言わんやではないですか? 売上がいくらであろうと、利益がいくらであろうと(もちろん赤字はいけませんよ)です。

 

社員が自分の会社を誇りに思う、その社員の家族が「うちのお父さん(お母さん)の会社は素晴らしい。私も大人になったら入れてほしい」。そんな風に言ってもらえますか、あなたの会社は。

 

次に仕入れ先や協力会社から「いい取引先だ」と評価をもらっていますか。そしてもちろん、顧客から評価をされていることはいうまでもありませんが、前二者が評価しているなら、顧客は当然に評価してくれているはずです。

 

さらに地域(の人たち)からの評価、最後はいささか付けたりで株主からの評価です。売上が高く利益率も高く株主が喜ぶことは、ハッキリ言って二の次だと思いますが、いかが!?

貴社でもやりませんか?脳力開発研修

脳力開発はなぜ「脳力」なのか。そもそも、能力と脳力は何が違うのか。脳力開発講座では、まずそこのところからお話ししますが、少し要約してご紹介します。

 

簡単に言えば、脳力を使った(発揮した)結果が能力です。いわば脳力が木の幹とか根、すなわち根幹に当たるわけで、能力は枝葉や花や果実というわけです。

 

そして大事なことは、能力には個人差とか年齢差がつきまといますし、同じ人間の能力も年と共に変化していくことはお分かりいただけるでしょう。若い時には早く走れた人でも、還暦を過ぎると走ることすら覚束ないことも。

 

その一方、脳力には個人差がありません。人間はみな平等であるというわけで、誰もが生まれながらに持っているのが脳力であり、死ぬまで持ち続けていると言ってもよいでしょう。

 

なぜなら、脳の働きとは「情報をインプットし、その情報を元に判断を行い、意思決定して行動する命令、すなわちアウトプットをする」役割を果たし続けることです。

 

それを司る脳細胞(大脳皮質細胞や小脳細胞など)の数は、どんな人でも同じ数だといわれ、その脳細胞がお隣の脳細胞とつながることで仕事をしますが、そのつながりの早さも人類平等らしいのです。201304_inout_01

 

ですから、どんな人でも脳力は同じだというわけです。ただ、日常生活の中ではその内の2~3%しか使っていないということも、脳科学の研究から解明されています。

 

では、もっと使えないのか?というと、これにはまた限りはないというのです。つまり5%でも10%でも、自分が望むだけ使えるのだというのです。望むというか、意識次第といった方がいいのでしょうね。

 

そういったことを行動科学的に、しかも実践例とケーススタディの演習を通じて学ぼうというのが、脳力開発講座・セミナーなのです。

 

この脳力開発プラス情勢判断学という行動科学大系を、今から40年も前に提唱されたのが、城野宏先生(1985年没)です。城野先生の生涯をたどるだけでも脳力開発の学びになるくらい、素晴らしい方でした。

 

そんな城野先生の考え(思想・哲学)を基本に、脳力開発では「基礎習慣づくり」の11か条を学び、日常の行動の中で実践していただくことを狙いとしています。

 

私の脳力開発講座では、この11か条の中の最も重要な精神的姿勢の確立3か条について、徹底的に学びます。これを社内研修としてアレンジして、企業の皆様にご提案しています。

 

1日2時間、あるいは3~4時間(半日)の3回ないし4回講座がお勧めです。参加人数は4~6人、さらにそれが4グループくらいまでが適切人数です。

 

講義を一方的に聴くだけではなく、合間の各種演習や資料の読み合わせ、ディスカッション(バズセッション)を伴いますので、このくらいの規模でのご提案になるわけです。

 

新入社員、経年社員、幹部社員などの階層別にも対応するカリキュラムになっております。ぜひ、貴社の人財づくり研修としてご検討下さい。

手段・方法は常に複数ある

<連載コラム㊺>

ところで大事なポイントですが、1つの目的・目標に対する戦術、つまり手段・方法は必ず複数を考える習慣をつくるということです。

 

この複数の手段を代案、あるいは二の矢・三の矢とも言います。さらにもう一歩進めてみましょう。

 
 
 手段・方法はいつでも複数あるわけですから、それは縦列にも横列にも当てはまりますから、ピラミッド構造にもなり、中間目標への手段・方法とかが存在することになります。

 

中間の目的・目標は当然ですが最終の目的・目標が前提です。

 

 ということは、どのレベルの手段・方法であっても、最終レベルに結びついているということを意識してほしいのです。一気に最終レベルには到達できないから、まず一歩一歩進めていく、これは
MGの中でも実践されていることでしょう。
 

 
 例えばMG2期のゲームの例が分かりやすいですが、今日はどんな方向のMGを展開しようか、まず頭に描くでしょう。

 

手段・方法も考えますが、思い通りに行かないこともあるはずで、その際にどう切り替えるかもカギになります。代案がすぐに実行できるかは、すでに頭にあるか否かに左右されます。

 
 
 また戦略チップ(青赤黄)を次繰りするためには、まず1枚を買うことが必要です。すでに2段階のピラミッド構造になっているわけで、最終形(BS)を頭に描いて進めていく、そういう実践訓練になっているというわけです。

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孝明天皇は夷狄嫌いだが親幕だった

長州征伐(征討)は2回行われた。1回目が禁門の変後の元治元年(1864年)で、2回目が翌年から慶応2年(1866年)にかけてだが、この時点で長州藩は「朝敵」であったことを忘れてはならない。

 

明治「維新150年」が語られる際に、明治新政府の中核を担ったのが薩摩と長州の藩士たちだったということで、過去に朝敵だったことはあまり表立っては語られない。だが事実は事実なのだ。

 

もちろん、王政復古の大号令から倒幕の勅命が下される段階で、朝敵であることが取り消されたのも事実であるが、過去に朝敵であった事実が消え去るわけではない。

 

しかも長州の息のかかった公家たちを時には脅し、孝明天皇のあずかり知らぬところで偽勅を出させもしたし、禁門の変では御所に向けて大砲や鉄砲を撃ち込んだ。

 

だからこそ、孝明天皇は長州を決して許そうとはされなかった。確かに天皇は「夷狄嫌い」ではあったし、幕府に対し攘夷を命じられたが、それはこちらから戦争を仕掛けるものではなかった。

 

しかし長州は自ら発砲し、四国艦隊の報復(下関戦争)を招いた。しかも、その講和の中では全てを幕府の責任であるとして、賠償金を幕府が払う羽目になった。この講和時に担ぎ出されたのが高杉晋作だった。

 

なお、この時イギリスが彦島の租借を要求し、高杉が断固としてこれをはねつけたとされているが、どうもそういう事実はなかったようだ。高杉の名声を高めようとする、後世の作り事らしい。

 

さて孝明天皇だが、天皇は一貫して幕府擁護すなわち公武一和(合体)を望まれていた。だからこそ異母妹である和宮の降嫁を実現されたのだ、決して幕府側の横暴に屈したのではない。

 

禁門の変後に徐々に幕府側から距離を置き始めた薩摩にとって、天皇のこういう意思は非常に邪魔だったに違いない。しかし、当面は従う振りをしておかねばならない。その薩摩の前線にいたのが西郷隆盛だった。

 

西郷は、この時点で長州を潰してはならぬと感じたのではないだろうか。彼自身も、少なくとも禁門の変までは倒幕の意思は持っていなかったと推察される。だからこそ、会津藩と歩調を合わせた。Photo_3

 

それによって京都における主導権を確保しようとしたのだろうが、それを行うには兵の数が少なすぎた。圧倒的な兵力を持っていたのは会津藩であり、藩主松平容保の弟である松平定敬の桑名藩だった。

 

しかも孝明天皇は容保を心から信頼されていた。病弱だった容保は、それでもその御心に叶おうと藩士を叱咤激励し、藩士たちもそれに応えた。

 

だが、会津藩は京都で主導権を握るにはあまりに豊かではなく、人材に恵まれなかった。いや、人材はいたが彼らを活かす風土になかった。豊かでないことは兵備に表われる、次第に薩長と大きな差がついてくるのだった。

 

長州第1次征伐を実際に前線で指揮したのは西郷だった。そして第2次征伐では薩摩は兵を出さなかった。寄せ集めの幕府軍は一部の戦闘では勝利したが、各所で打ち破られた。

 

その敗戦つづく中で、14代将軍家茂が大坂で病死する。後継と目されていた慶喜は徳川宗家は継承するが、将軍職にはなかなか就かない。歴史の傾斜が始まったのが、この第2次長州征伐だったと言える。

入社式をいじくってもしょうがない

今週は年度始まりということで、各社の入社式などがニュースの話題になっていた。堅苦しい式ではなく、パーティのようなユニークなものが取り上げられていたのは時代の流れなのだろう。

 

私が大学を卒業して某大手メーカーに就職したのは1974年、だからもう44年も前のことになる。いわゆる学卒者が40数名、高卒者が200数十名いたと記憶している。

 

入社式はメイン工場の講堂で行われ、いわゆる形式張った堅苦しい式であった。正直なところ、あまり強い記憶はない、それなりに緊張していたせいだろうか。前夜の入寮歓迎会でいささか飲み過ぎていたせいか?Photo

 

社長以下居並ぶ経営陣と対面して、代表者が決意表明を読み上げ、社長や労働組合長、先輩社員代表などからの歓迎挨拶があった。

 

記念撮影の後、早速新入社員研修が開始され、それが学卒社員の場合は2ヶ月間つづいた。数日の集合研修のあとは社外での合宿研修、再び社内に戻っての研修、それから工場での現場体験実習研修。

 

最後は研修旅行だった。その間は「実習生」という辞令で、給料も実習生手当だったと記憶している。研修最後の日に新しい辞令書が手渡され、私は希望通り人事教育部門(労務部)に配属された。

 

もちろん、今でもこういう流れの企業も少なくないだろう。ニュースなどに取り上げられているのは、脳力開発の考え方でいえば、『特殊な事例(特殊性)』であろうと思う。

 

ではなぜそういうことをやるのか、その理由は「会社への定着を図る」ことが目的なのだという。それだけ離職率が高いわけで、いわゆる大企業でも3年以内の離職率は3割を超える。

 

企業とすればなんとかずっと残ってほしいと思うのは当たり前で、それがユニークな入社式ということにつながっているのだろうが、果たしてそれは効果があるのか?

 

結論から言えば効果は薄いだろう。そう言ってしまうと身も蓋もないだろうが、「入社式効果」というものがあるとしたら、その持続は数ヶ月からせいぜい半年くらいだろう。

 

昔から「五月病」なるものが問題にされてきた。入社して1ヶ月も経つと、会社の風土や内情もそれなりに分かって来るし、入社前に期待していたこととのギャップに気がつき出す。

 

最近は五月病が嵩じてストレスや、うつになるという新人が少なくないらしい。小さい頃から「温室」で育てられてきたせいもあろうが、それだけではないと感じる。

 

そんな新人君にも要因はあるのだが、やはり企業自体にも問題があるのではないか。第一、新人を含めて社員の辞めない会社が存在している。新入社員が5月も6月も、1年経ってもはつらつと働いている。

 

そういう会社と、社員が辞めていく会社はどこがどう違うのか、真剣に考えてもらいたい。社員、とりわけ新入社員が次々に辞めていく会社には未来がない。

 

あなたの会社はどうだろうか?

まず、目的・目標・方針等を明確に

<連載コラム㊹>

昨今注目されているのが将棋の藤井六段、15歳だそうですが500手先まで読んでいるとか。天賦の才だけではなく、その上に積み重ねた努力の数があるはずです。また、最終棋譜を頭に描いて手を読んでいるのではと理解しています。

 
 
 状況の中心・骨組を的確につかみ、次に目指すべき中心・骨組を決める。それは主として、目的・目標あるいは方針といった方向付けを明確にすることです。

 

 状況を判断しながら決定していき、大枠の骨格を組み立てていくわけです。これが戦略決定です。

 
 
 この目的・目標の確立、さらに持続というのは、脳の統一指令の根源になる働きをするものです。つきつめていえば、これがないと人間の頭は本格的に強力に働かない、ということになります。

 
 
 ひとまとまりの行動(計画)においては、必ず目的・目標・方針等をまずハッキリさせてから、それを達成するための手段・方法を具体的に考えていく。つまり戦術の組立てですが、この習慣をしっかり確立する必要があります。

 
 
 なお、目的・目標といった意識は、意欲や気分とも直結した関連をもっており、脳力開発基本指針その2「進歩発展を目指す姿勢」とも一体的関係にあります。

201302

普段から帳票・帳簿の整備をキチンと

3月で公的機関は原則的に年度末である。これに合わせて企業もまた3月末決算が多いかというと、実は290万社全体の20%程度だという。3の倍数、6月、9月、12月が多いそうで、合わせてざっと半数だ。

 

これが大企業になると、平成25年の統計だが、資本金10億円超の会社(5,190社)では決算月3月が68.0%と圧倒的に多い。官公庁や銀行などと歩調を合わせているのだろう。

 

そんなわけだから、決算後に開催される株主総会も圧倒的に5月下旬が多いことになる。私のところのような個人事業者は12月末決算だが、事業者の数は多いから全体では12月決算会社が多いのだろう。

 

さて、会社や事業者は決算末が過ぎると決算書の作成に入る。決算書と言っても特別のものではない、毎月の残高試算表の総まとめといったところだ。

 

期末に集中してやるべき会計処理・振替処理やらがあるので、それを加味して仕上げることになる。大事な仕事は棚卸し、すなわち商品・製品、仕掛品、材料、貯蔵品その他の在庫を正確に把握することだ。

 

在庫は二種類あって、一つが帳簿在庫で、もう一つが実地(棚卸)在庫だ。前者は昔は「台帳」に手書きしていたが、最近はコンピュータが代わりにやってくれて、帳票として吐き出される。Photo

 

実地在庫も電子管理は進んでいるが、基本は人間が目で見て数えることになる。バーコード読み取りやカメラのついた機械読み取りといった先進技術も使われているようだ。

 

いずれにしても、その二つの在庫数字がぴったりと合えばOKとなる。がしかし、合わないことも多々ある。基本は実際の数に合わせることだが、もし大幅に合わないとなるとこれは大きな問題になる。

 

とにもかくにも在庫を中心に残高を合わせることが決算への入り口になる。主としてBSの右側にある、現預金残高、売掛金などの売上債権残高、在庫、仮払金や前払金・前払い費用、貸付金など項目も多岐に亘る。

 

固定資産などは減価償却の対象になるものがたくさんあるので面倒だが、資産リストが完備されておれば作業としては易しい。

 

さらにはBSの右側、買掛金などの買い入れ債務と未払い金・未払い費用、前受金、そして借入金などについても、しっかり残高を把握しなければならない。

 

普段からというより、毎月キチンと残高合わせができていれば期末に慌てることもないが、中小零細企業や個人事業者はそれができていないところが多い。

 

日々の伝票処理すら満足にできていないところも少なくない。決算のお手伝いをすることもたまにあるが、段ボール箱に伝票類を詰め込んで渡される事例もある。せめて、種類別に分けていてくれよと叫びたくなる。

 

帳簿が揃っていない事業者も多い、法人会社はもちろん、白色申告・青色申告で常備が決められているものですらない、そんな状況でいったい経営がちゃんとできているのかと首をかしげたくなる。

 

さて、他人のことはどうでも良い。私のところも、第一四半期の帳簿、帳票を整備しておくことにしよう。

乗り鉄旅を楽しみに行きたいなぁ

春休み、桜を筆頭に花の季節の到来です。車窓から眺める風景の中にも、いろんな花が見られる季節です。南からスタートすれば、桜前線を追っていくこともできますね。

 

実際、「青春18きっぷ」を利用して普通(または快速)列車を乗り継ぎ、車窓からのお花見を楽しんでいる人も少なくないでしょう。

 

18きっぷの利用者も年代の幅が広いようですが、実際に普通電車に乗り合わせてみると、けっこう年配の方が多いようにも見えます。

 

乗り鉄といっても中身はいろいろで、私のようにただ列車に揺られていればそれで満足(もっとも旅のお供にアルコールと読書本が欠かせませんが)という類。

 

何かこだわりを持って、たとえば「全線乗りつぶし」を楽しんでいる方、「乗ったで降りたで」といって、途中下車を楽しまれている類。T_20170421

 

後者の中には全駅を乗り降りして回っている猛者もいらっしゃいます。これは想像するだけでも大変だと思えますが、すでにかなりの人数の達成者がおられるとか。

 

各地の弁当(主として駅弁)を楽しみながら乗り鉄する人は、最近では駅弁の販売駅が減ってきているので、なかなか大変そうです。

 

駅弁を販売している駅でも、ホームでの立ち売りは滅多に見られなくなり、ホーム上の売店も激減して今や絶滅危惧種です。売っているのは駅ナカや駅前のコンビニ。

 

いざ駅弁を買って乗っても、ロングシート(線路と平行に座席がある形)では、弁当を広げるのもなんとなくやりにくいし、第一情緒がありません。

 

ところが、都会の通勤線はもちろん、最近では地方のローカル線でもロングシート車が増えていて、せっかく買っても食べられない体験をされる人もありそうです。

 

また以前は、トイレがついていない車両が使われていて、しかも停車時間が短いために駅のトイレに駆け込むこともできず、大変な思いをした形もあったのでは?

 

最近は大都会の通勤型車両以外には、ほとんどの車両にトイレが設置されるようになりましたが、一部のローカル車両にはありません。

 

また通勤型車両が、そのままローカル区間に結構長い時間直通するという列車もありますから、よく情報を仕入れておかないと厳しい状況に置かれるリスクも。

 

そういったことはいくつかありますが、やはり乗り鉄は愉しいもの。何回かの遠征の内1回くらいは時間を生み出して、乗り鉄の旅をしたいものです。

 

乗り鉄旅はやっている時はもちろん、実は計画の段階でもワクワクするものです。季節もよくなってきます、いつも前向きに。

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