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明治新政府・「志士」たちのドタバタ

日曜日ごとに放映されるNHKの大河ドラマ、そのテーマあるいは主人公は戦国時代と並んで、幕末・明治維新と呼ばれている時代が多い。

 

そういえば最初の大河ドラマは「花の生涯」で、主人公は井伊直弼だった。そして今年は西郷隆盛が主人公である「西郷(せご)どん」である。

 

私も歴史的な小説やドラマは好きなので、大河ドラマは毎年見ている。今年も遠征で見られない時には録画をしておいて、続けて見ている。原作の林真理子は好きではないが、個人の好みはどうでもいい。

 

話は西郷が江戸(薩摩藩上屋敷)に赴任した頃まで進んでいる。つまり、ペリーが2度の来航をした頃だと考えれば良い。江戸の町も幕府も上に下への大騒ぎになっている、というのが教科書で教えられたことだった。

 

かの上喜煎の歌、すなわち「たった四杯で夜も寝られず」も真実ではない。第一、アメリカはじめ外国の船が初めて江戸湾に入ってきたということすら史実ではない。

 

すでにペリー以前に日本にはたくさんの外国船がやってきている。「鎖国」をしていたわけではない、鎖国令なるものがなかったことも明白である。すでにペリー以前に「外国船打払令」などは廃止されている。Photo

 

また、外国船に薪や水、食料などを供給することも、幕府はとっくに認めている。その中に石炭は入っていないが、これはまだその頃には蒸気船がやってきていなかったからで、ペリー艦隊の蒸気船もたったの2隻だった。

 

確かにモクモクと煙を上げる蒸気船に最初はびっくりした浦賀や、江戸の市民もすぐに馴れてしまった。見物に押し寄せることもあったが、それは現代人でもやっていることだ。

 

幕府もその頃には多くの情報を得ていたので、「江戸に向かって上陸する」ことについては、慌てて断りをいれたがさほど狼狽えたわけではない。

 

確かに時間稼ぎはしたが、ペリーが再びやってきても幕府の官僚たちは堂々と対応している。その主張には、ペリーですら要求を縮小せざるを得なかったくらいだ。

 

ところが歴史の教科書には、そういう史実はほとんど書かれていない。いかにねじ曲げられているか、それは明白だ。つまり『江戸幕府はだらしない、けしからん。古い陋習や封建観念で凝り固まっていた。』というわけだ。

 

それを打破したのが薩長の先進的な考え、思想を持った「志士」たちであった。そういう彼らが作った明治新政府は素晴らしい、しかも江戸城を無血開城に導いた広い心を持っていたと。

 

ではその明治新政府とやらが何をやったか、江戸(以前の)文化の破壊活動だった。廃仏毀釈などはその典型といえる。いや、あれは「神仏分離」を命じただけで、神官や庶民が勝手にやったのだと。

 

急激な欧化政策の究極は鹿鳴館だ。ついこの間まで「攘夷」をとなえていた連中が、一気に西洋かぶれとなって、夜な夜な踊り狂うわけだ。おそらく、そこに参加した西洋の人たちは、なんと愚かな国民だと思っただろう。

 

書きたいことはもっともっとあるが、今回の紙も尽きた。西郷どんにアプローチする前に、もう少し寄り道するとしようか。

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