« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »

俗論長州をひっくり返した男

歴史の歯車を一気に回していこうと思う。2度の流罪(最初の流罪は緊急避難的だったようだ)から、再び政治の前線に戻った西郷吉之助は、まずは禁門の変で名を挙げる。

 

このとき薩摩は会津と手を握るわけだが、急進的な長州を警戒したというのが真相だろう。結局長州は「朝敵」となり、過激派の公家たちを伴って京を追われる(七卿落ち)。

 

久坂玄瑞は自害、桂小五郎は辛うじて出石に逃れる。京の都はつかの間の平和を取り戻すが、禁門の変による火災で街は大きな被害を受ける。金払いのよかった長州が去り、京の色町はしばし活気がなくなる。

 

間もなく第一次長州征伐が行われるが、長州は三家老の首を差し出したくらいで、減封もなく中途半端な幕切れであった。そのような幕切れを演出したのは、実は西郷であった。

 

その後しばらく長州は急進派が鳴りを潜めるが、その実は反転攻勢に向かって着々と準備が進んでいた。これを武備恭順と呼んだようだが、朝敵を完膚なきまで懲らしめることなく終わったことが、幕府側の失策だった。

 

実はこのとき幕府側も一枚岩ではなかった。第一に江戸の老中を中心とした政府と、京都の前線政府の溝が大きかった。後者を主導したのは徳川慶喜だが、優柔不断であったと言われる。

 

政治推進の裏付けとなる「武」については会津と桑名が中心になっていた。会津藩主の松平容保と、桑名藩主の松平定敬は実の兄弟だった。長州を厳罰にと主張する両者に対し、慶喜は煮え切らぬ態度だった。

 

そこにこれまた他人任せの傾向の強い松平慶永(春嶽)が、責任転嫁をするばかりで自らは泥をかぶらない。結局のところ、「一会桑(いっかいそう)政権」と言われても機能不全であった。

 

それをみて西郷は徐々に距離を置き始める。もっとも、この時代薩摩はまだ「倒幕」に舵を切ってはいない。西郷自身はそろそろ見切りをつけ始めていたようだが、大久保一蔵(利通)はそこまでには至らない。

 

さらには薩摩には、良識派と言われる小松帯刀が島津久光の側近として重い存在であった。だが、この辺りから西郷の独断専行が目立つようになる。結果としてはその動きに、薩摩全体が引きずられるようになる。

 

そして長州にも一人の風雲児が現れる、高杉晋作だ。

 

高杉は松陰門下に名を連ねてはいたが、決して松陰の超急進思想に引きずられてはいなかった。その辺りは久坂玄瑞とは違っていた。下関での外国船砲撃にも、京都への出兵にも冷ややかな目を向けていた。Photo

 

保守派(俗論派)が藩政を握った間は鳴りを潜めていた、投獄されていた時期もある。それがついに鎌首をもたげたのは、第二次長州征伐が始まった頃だ。

 

高杉もまたある時期はテロリストの一員であったが、情勢分析には極めて現実的だった。しかし、やるべき時にはやるという強い意志を持っていた。たった80名で戦いに踏み切った、功山寺の挙兵だ。

 

これにより長州藩は再び過激派が実権を握った。幕府憎し、会津・桑名憎しである。ここに、桂小五郎が呼び戻された。西郷はそういった状況をしっかりと見つめていたようだ、イギリスとの接近もこの頃からだ。

確定的事実をしっかりつかみ出す

<連載コラム㊸>

脳力開発でいうところの「思考」には2つの段階があって、まず前段階が「つかむ」ことです。つまり現状の事実=すでに在ること=の中から、中心・骨組を取り出す、読み取ることです。

 
 
 それをベースにして後半の段階、「計画する」ことに展開を進めていきます。ここでは、これから=まだないところ=の中心・骨組を決める、打ち立てるということになります。

 

この順序が大切で、現状をしっかり把握した上でなければ、いくら良い考えを巡らしても夢物語や、砂上の楼閣になりやすいのです。

 
 
 現状をつかみ出す努力を怠ると見事に失敗します。しかしながら、のんびりとやっていては次に進むタイミングを逸してしまいます。

 

幸いに私たちは、MGという訓練の場で繰り返し鍛錬しているはずです。自分の会社盤だけでなく他社の会社盤や市場を瞬時に眺め、一周する間に次の意思決定を決める。

 
 
 経営は絶え間のない意思決定だとMGは教えてくれますが、それは同時に絶え間なく変化する現状を的確につかむことでも在るのです。

 

MGで展開されている現状は、全てが「確定的事実」です。現場経営でも、そうやって訓練したことを活かしてしかるべきでしょう。

 
 
 しかも事実は1つだけではない、時には目の前の市場だけでなく、他の市場(卓)のことも把握しておかなくていけません。全体を観た上で個々の状況もしっかりとつかむ。MGとはなんと素晴らしい実践教育でしょうか。

Photo

3月雑感

三月は去る、というわけで間もなく3月も終わろうとしています。

 

官庁などに合わせて今月が年度末という会社も多いわけで、最終の決算を意識した整理整頓も始まっていることでしょう。

 

現役の頃は、今の時期が1年でもっとも忙しい頃で、リストアップした仕事の優先順位をにらみながら、片付けていくごとにホッとしたものです。

 

振り返ってみると、そんな現役生活から離れてもう12年近くが経とうとしています。自分も社員さんたちもよく体力が続いたものだなと、感心してしまいます。

 

おそらく「納期遅れを出してはいけない」という使命感で、懸命になっていたのでしょう。人間というのは、目標が眼前にあるとエネルギーの燃焼効率が上がるのでしょう。

 

で、私のところでは第一四半期が終わろうとしているわけで、まずまずのスタートを切ることができたなと感謝しています。

 

4月からの第二四半期についても、ほぼスケジュールが固まって、行き帰りや泊まりの手配も一部を除いて完了しています。

 

あとはそれぞれの資料やテキストの準備、まずは内容とスケジュールの再確認です。

 

ところで3月末日をもって、JR西日本の三江(さんこう)線=広島県・島根県=が廃止されます。すでに最後の乗り鉄は昨年12月に済ませました。120309_1712

 

100kmを超えるローカル線が廃止されるのは久しぶりのことで、年明けから連日廃止を惜しむ人たちが押し寄せているそうです。

 

普段からこれだけのお客が乗っていたらなぁという感想も聞こえますが、何かがないとそれは不可能です。単なるイベントだけでは長続きはしません。

 

これはお店などにしても同じことで、もはや当たり前のことではお客様は動かないということなのでしょう。

 

同様に、地方再生や地方創生が叫ばれて様々な企画が実施されていますが、同じような運命をたどっていることが多いようです。

 

まぁそういうことで、間もなく4月。新潟の桜も4月の声を聞くと咲き始めるはず。ゆっくりお花見を楽しみたいところです。

国民に顔を向けていない証人喚問

佐川前国税局長の証人喚問がとりあえず終わりました。結果は予想通りでしたが、皆さんはどういう感想を抱かれたでしょうか。

 

佐川さんは理財局長から国税局長という財務省の「王道」を歩かれ、おそらく何もなければ次かその次の事務次官になられたことでしょう。

 

しかし、その道を絶たれて今日は『無職』の立場で喚問の場に立たれました。悔しくはなかったのでしょうか、省庁のトップともいうべき財務省の王道を歩んでこられた身として、そして人間として。

 

その心を推し量ることなど、凡人の私にはとてもできませんが、もし私がその立場であったとしたら、忸怩たる思いで胸が張り裂けそうになったのではないかと。

 

そして、佐川さんの今日の喚問での発言で、胸をなで下ろした人はきっと多いのではないかと推察されます。きっと佐川さんの発言通り、アベさんやその周辺は直接的には何も言わず、行動せずだったのでしょう。Photo

 

分かりませんよ、でも私にはそのように思えます。でも「忖度」です、それが働いたのでしょう。働いた結果として、間違いなく何人かの官僚たちが動き、書き換えてはいけない書類を書き換えたのです。

 

何もなくて、書類が自動的に書き換えられるなど、あろうはずがありません。間違いなく誰かが、それもほぼ100%の確率で、財務省理財局あるいは近畿財務局の役人が書き換えたのです。

 

佐川さんは、書き換えられたその時点では知らなかったのかも知れません(事実は分かりません)。しかし、きっと書き換えられたという事実をその後早い時期に知ったことでしょう。

 

しかし、彼は今日そのことについて「刑事訴追を受ける可能性がある」ということで、一切の発言を拒み続けました。平然と拒んだとは思えません、きっと心の中ではもやもやがあったのでは?

 

彼はそれで役人としての矜持を守ったと思ったのでしょうか、そうだとしたらとても残念なことです。なぜ彼は、国民の方を向かなかったのでしょうか。

 

国民が知りたいと思っていることについて、彼はついに口を開こうとはしませんでした。そのことによって、次には何が待っているのでしょうか。

 

おそらく、財務省理財局の中での粛正が始まるのではないでしょうか。そうだとしたら、佐川さんが守ろうとしたのは理財局の部下たちでもなかったと言うことになります。

 

彼は国民にも目を向けず、その知りたいことを知らせず、そして本来守るべきであった部下たちをも切り捨てたということにもならないのでしょうか。人間の道とは思えませんが、どうでしょう。

 

これでアベもアソウも守られました。多分その周辺や、アベアキエも。

 

それが許される世の中って何なのかなぁ、忸怩たる思いです。

中心・骨組で考える習慣づくり

<連載コラム㊷>

脳力開発には「11の指針」があります。指針とは、土台習慣あるいは意識と言われるものですが、三つの面に分けています。その第一がここまでお話ししてきた、「精神的姿勢の確立」です。

 

ここから第二面「思考方法の整備」に入っていきます。ちなみに第三面は、「実際知識の拡大」です。

 
 
 思考方法の整備の第一(指針その4)は、中心・骨組で考える習慣づくりです。私たちはちゃんと意識していないと、物事の一部分や局面だけを見て(あるいは考えて)、それが物事の中心だというつもりになってしまいがちです。

 
 
 逆に、全体を意識する余りに、あれもこれもと複雑に考えすぎて、何が何だか分からなくなって混乱してしまう。

 

そういう思考習慣に陥ってしまうことがありますが、いずれにしても無意識の内にやってしまう、それが習い性になっているということが問題です。

 
 
 では「望ましい習慣」はというと、いつでも全体を考える思考習慣であり、さらにそこからいったん枝葉末節をはずして、中心・骨組だけを残す(きちっととらえる)思考習慣の確立です。

 
 
 MGでも、まず全体の状況つまり誰と同じ卓なのか、市場の状況はどうかをざっくりとつかみますね。それから、それぞれの会社盤を見て在庫状況や製造販売状況、戦略チップの枚数を確認します。

 

 ある人は他の人の資金繰り表(現金残高)を見て、判断するかもしれません。それによって、自分の計画を組み立てしていきます。

20180324_112820_2

今、大企業こそがアブナイ!

こちらのブログでは、「小さな会社のマネジメント」というテーマで、中小企業とりわけ零細企業の経営への提言などを書いてきた。時にはかなり辛辣な物言いもしてきた。

 

それは、日本全体の99%を占めている、従業員の数でも34にも達する中小零細企業に、ぜひがんばってもらいたいという気持ちからだ。

 

ところが最近ふと思うようになってきたのは、確かに小さな企業には大いに知恵を絞りしっかりした経営を実現して、社員が幸せになるように努めてほしいという気持ちは変わらない。がしかし、問題はだということだ。

 

何が言いたいか、つまりは大企業の方が問題ではないのかということだ。数からいえば一握りだが、社会的には大きな影響力を持っている企業が名を連ねている。

 

そういった著名な企業、大きな会社ほど問題をたくさん内包しているのではないか、むしろそっちの方が問題ではないのかということだ。

 

例えば、いわゆる大企業と呼ばれる会社新卒(学卒)採用者の離職率だが、耳にしたところによるとそれは3割を越えているのだという。激しい就職戦線を突破して大企業に入ったというのにだ。Photo

 

さらには、新たな法律を整備して望まなければならないほど、「精神を病んでいる」社員の多さだ。いわゆる出社拒否や、引きこもり症状、ストレスによる障害、怠惰など問題のある社員が多い。

 

その数は表面に現れているのは氷山の一角というから、想像してみるに新卒で就職した社員の二人に一人は脱落していっているということになりはしないか。

 

もちろん中小零細企業に就職して、転職を繰り返す社員も決して少なくはない。だが、以外に社員の定着率が高いのは、すなわち離職率が低いのはむしろ小さな会社の方だ。

 

となると、これからは大企業も意識して「小さな会社のマネジメント」を書いた方が良さそうに思うのだ。

 

私自身は大学を卒業して(もう40数年も前のことだが)、いわゆる大企業、一部上場会社に就職した。3ヶ月の研修を終えて労務部というところに配属されて、それなりの仕事を任された。

 

そこで自分を磨いていこうという意欲はあったのだが、残念なことに体がいうことをきいてくれなかった。健康を害したために、医師からは転職を進められ、不本意ながら自主退職した。

 

健康を取り戻すのに半年近くを要したが、幸い移り住んだ土地の空気が遭っていたのだろう、元気になって新たな企業への就職が成った。そこで、独立するまでの30数年間を働いた。

 

グループで1千人に満たない企業だが、業界では大手で、仕事のやりがいも大きかった。期間の半分は子会社に出向して、その会社の経営という仕事も任された。そのことが今の仕事に役立っている。

 

生かじりだが、いろんな規模の会社に身を置いたことで、ものの見方が多様だと自分では思っている。これからはそんな目で、改めて会社への提言をしていくつもりだ。

福井MG2日目はスタート序盤がカギ

今月の土日はまさにMG漬けの日々です。第1週が神戸でのCFMGインスト、翌週はクライアント会社の社内MG、そして先週は上越MGのインストと続きました。

 

今週はそのリフレッシュをかねて、福井MGに受講者として参加しています。本当は月に一度はそのようにしたいのですが、なかなかそうはいきません。ですからこの時間はとっても貴重な学びの空間です。20180324_143113

 

福井のMGとは昔からご縁があって、現在の福井MGクラブ主催の前から何度かお邪魔をしていました。当時とメンバーもかなり入れ替わりましたが、県内外からMGシーガルたちが訪ねてきます。

 

今回のテーマは、前回に引き続いて「零細な町工場」イメージですが、なんだか仕事に追われて人材教育にまで手が回らない、という感じになっています。そこで一点集中ということで研究開発に力を入れました。

 

ところが第2期はそれでうまくいったものの、第3期は若干それが裏目に出てしまった感じでした。十分に機能しないままに辛うじて単年度利益を確保したものの、第4期への準備は不十分なまま終わりました。

 

さて、今日の第4期はどのように展開していけばいいでしょうか。あくまで「零細な町工場」ですから、一点集中というポイントは動かせません。中途半端にお金は掛けられないわけです。

 

それでもピンポイントで、大事な部分には投資をしなければいけないでしょう。まずはライバルの状況把握です、脳力開発でいうところの情勢判断。

 

その上で、どこに力を入れて一点突破していくか、そのためにはどこにどれだけ投資するか。大体頭の中にイメージはできましたが、限られた資本の中ですから無理はできません。

 

新ルール(試験ルール)によって行数制限も厳しくなりますから、その辺りの見込みをキチンと計算しつつ、どこでどの手を打つかを綿密に組み立てしましょう。

 

もちろん、100%うまくいくとは限りません。二の矢、三の矢を準備しておくことも大事です。手戻りになっても、拙速で行動するのもよくありません。

 

楽しみですね、この第4期は。特に前半15分、それも序盤に打つ手がカギになってくるでしょう。ワクワクしますね、うまくいってもうまくいかなくても、どちらも自分の学びになります。

 

戦略は大胆に、戦術は細心にという城野先生の言葉を実践で展開します。

平和な江戸時代を潰したのはだれだ?

明治維新150年のイベントが、本格的に始まろうとしている。たかがお祭りだし、教科書的には確かに150年経つわけなので、それらのイベントに異を唱えようという気はない。

 

ただ、正しい『日本の歴史』を学ぼうといっている知識人たちの欺瞞が腹立たしいだけのことだ。彼らにとっての正しさとは何だろうと、問いただしてやりたくなるわけだ。

 

まさか、まさか、戦前の明治維新とやらから80年足らずの「歴史が正しかった」などと、のたもうているのか?戦前史観が立派で日本的で、心が純粋で素晴らしかったなどとほざいているとすれば、笑止千万なことだ。

 

室町時代後期を戦国時代と呼んでいるが、応仁の乱を契機に長い戦乱の世が続いた。信長、秀吉、そして家康という三人の英傑がその乱れた世を(方法はともかく)ただし、世を平和に導いた。

 

これは歴史の事実である、誰も否定はできまい。そして家康が豊臣氏を大坂の陣で滅ぼして、本当の平和が出現した。「元和偃武」と呼んだが、偃武とは「武器を偃(ふ)せて武器庫に収める」こというそうだ。

 

実際、その後起こった地域紛争である島原の乱を除いては、武器を使う戦いは幕末に至るまでほとんど皆無だったといって間違いない。その間200年以上、世界市場もまれな平和な時代だった。Photo

 

確かに政治は一握りの武士階級が牛耳っていたことは間違いないが、だからといって農工商の人たちがさほど虐げられた生活だったとはいえない。

 

江戸時代は封建制度によりがんじがらめであり、人々は非常に惨めな生活を送っていた、そんな事実はほとんどなかったと言って良い。第一「封建制度」など、日本にあったのか?

 

明治の学者たちが、あるいは階級制度を無理矢理歴史に当てはめていこうとする、マルクス主義的歴史観を持っている一部の人たちが、江戸時代をそのように規定したのだろう。

 

それを論じるのがこのコラムの趣旨ではないので先を急ごう。要するに、江戸時代の200数十年間はおしなべて平和な時代であった。少なくとも、その前の戦国時代に比べるようもないほど人々は平和に暮らしていた。

 

その平和な江戸時代を強引に、武力を持って打ち破ったのが明治維新とやらの主役たちだった。

 

江戸に入った東軍(官軍とは呼ばない)を、江戸市民は蛇蝎のように嫌ったという。実際、東軍兵士たちは乱暴で平気で無法なことを繰り返していた、これは明白な事実だ。

 

江戸市民が東軍を嫌ったのは、それまでの江戸が平和な都市だったからに他ならない。将軍のお膝元だったからだけではない。江戸以外の都市でもローカルでも同様で、江戸はその一つの象徴だった。

 

それを東軍が無理矢理に占領し、破壊し、自分たちの欲求をそこに展開した。その先鋒となったのが、西郷隆盛に他ならない。一体西郷が何をやったのか、いくつもの事実が彼の『破壊者』ぶりを証明している。

 

繰り返す、江戸200有余年の平和を破壊したのは西郷隆盛という男だったという事実を。かれの座右の銘とも言われる「敬天愛人」が聞いてあきれる。

MGを通じて学ぶ社会的価値の追求

<連載コラム㊶>

社会的な価値追求の基盤になる原点は、愛とか慈悲といった言葉で表される高度な感情です。それをさらにもっと簡単明瞭な言葉にすれば、「思いやり」あるいは「まごころ」とか「誠意」ということになるでしょう。

 
 
 つまり脳力開発で学ぶというより確認することは、こういった最も平凡で素直な(当たり前の)ことなのです。

 

ホンモノの思いやりとか真心とは、見返りを求めることなく利害や打算を超えて、真に縁につながる人たちの幸福を願って行動する、ということに他なりません。

 
 
 これ以上に力のあるものはなく、これに敵うものもありません。まさしく最高であり最大の脳力といえるでしょう。

 
 
 MGのビジネスパワー分析の10番目、互恵力もこの考え方につながるものだと言えます。西先生が折に触れておっしゃる「Y理論」もまた、同じ軸に位置するものです。

 
 
 平凡なことを素直に、あるいは愚直にやりつづける、これはMGの決算にも通じます。私はMGセミナーでは、「とにかく番号順に、愚直にやっていけばいいのです」と申し上げています。

 

そしてベテランの方には、「初心者のペースに合わせて、先へ先へいかないように」と、いつもお願いをしています。そのことが彼ら自身の学びになりますから。

 
 
 社会的価値の追求、脳力開発の中でも最高・最大のテーマですが、MGを通じても学んでいることをお忘れなく。

Photo

就活で会社を選ぶ基準が変化してきていないか?

今年の春は桜の開花がいつになく早い。大雪の年は春の訪れが早いということも漏れ聞くが、それにしても少し早すぎないかときにかかる。案の定、この数日気温があまり上がらず春も足踏みだ。

 

春というと卒業式、そして入学式だが、昔は桜の満開の頃が入学式だったところも、最近は卒業式が桜の季節に変わっているとも言う。現役時代は、桜を眺める暇もない最多忙の季節でもあったが。

 

さて、春と言えば気にかかるのが春闘の動きだ。去る14日に大手上場企業の一斉回答がなされたが、アベさんの求める「3%(以上の)賃上げ」には届かなかった。

 

前年の回答よりも増えた企業は多かったし、ベースアップの額も増額されたところが目立っていた。賞与を加味した年間ベースでは、そこそこのアップにつながった企業もあった。

 

ただし実質賃金の増かというと、必ずしもそうではないようだ。低下してはいないが、名目賃金の上昇ほどには上がって来ないことは確実だ。これが消費行動の活性化を妨げているのは周知の通り。

 

それはともかくとして、上場企業の春闘が終われば次は中小企業に移る。こちらは、大企業以上に業種間格差や企業間格差が大きいと言われている。

 

もっとも、日本の企業の99%以上が中小&零細企業であるわけで、これらを一概に比較したりしてもあまり意味はないだろう。

 

それにしても、大企業並みかあるいはそれ以上の賃上げを模索している会社は、決して少なくない。それは昨今の雇用情勢と結びついている。

 

3月から来春学卒の就職活動が解禁になったが、昨年にもまして「売り手市場」だと言われている。学生もまた大手志向が強いわけで、その隙間を縫って採用を目指す中小企業には、かなりハードルも高い。Photo

 

そこで少しでも大手との賃金格差をなくそうとするのだが、そうなると問題も噴出する。アンケートによれば、内部留保に回す利益を少しでも賃金アップに回したいとする、経営者が増えているという。

 

涙ぐましいと言えばそれまでだが、果たしてそれは本当に企業のため、ひいては社員のためになるのだろうか。もちろん、そうやって人材を確保することが将来につながると言えばその通りでもある。

 

しかし、現実問題として新卒人材を確保しようとするあまり、初任給が既存社員の賃金を上回ってしまうと言った弊害も見られるという。賞与を合わせても、年齢的格差が縮まっているのだという。

 

これではせっかく良い人材を確保することができたとしても、既存の人材の志気が落ちはしないかと心配になる。

 

私は「日本型年功序列賃金制度」を支持する立場なので、中小企業の近未来を大いに憂える次第だ。当年利益の成果配分で賞与を確保し、それを業績評価で按分することの方が正解ではないか。

 

それよりもなによりも、若い人たちが会社を選ぶ基準は何なのか、それをしっかりと考えてほしい。見渡せば、全国各地に応募者の殺到する中小企業が少なくないのだ。そういう会社をぜひ研究してもらいたいものだ。

本日は仕事もブログもお休みです

本日はブログ休日です、春分の日ですしね、カンケイナイカ。

 

そう言えば夜明けが早くなってきました。空が白んでくるのが分かって目が覚めるようになりました。

 

本当ならお墓参りですが、両親の墓は大阪ですので、来月関西に遠征する際にお参りに行ってくる予定です。

 

親父が亡くなってもう32年目、ということは今年の暮れには三十三回忌ですかね。おふくろが亡くなってまだ3年目、数年後の七回忌までにはお墓をどうするか決めなくては。

 

そして明日はカミさんの誕生日、私と同じ「准高齢者」の仲間入りです、あ、これはナイショかなぁ。

 

明日からはまた孫ちゃんが降りてきますし、あさってからは週末遠征ですので、今日の内にお祝いもしておこうかな。

 

というわけで、本日は仕事はお休みです。

Img_7782

価値追求に向かうことの意味

<連載コラム㊵>

さて、脳力開発の本論に戻ります。社会的価値追求ということについて、書いていくところで少々脱線してしまいました。

 
 
 人間にとって、書物の中の理屈や言葉の上の理論よりも、本来の素直な基本感情において、そして他人の言に振り回されることなく自分自身の本心において、最も納得のいく「境地」の裏付けがこの社会的価値追求という土台です。

 
 
 満足感が高く、また安定感のある価値追求であり、人間が最も普遍的に本来的に備えている、根源の生命感情であると言ってよいでしょう。

 
 
 この価値追求に向かう時にこそ、毎日毎日の自分の活動に、充実した情熱や高度の信念に裏打ちされた「生きがい」を感ずることができます。

 

そしてこの時にこそ、脳力は最高に発揮されることになり、深く大きい知恵がわいてくるという結果になります。

 
 
 MGを会社に導入し、社員と共に「良い会社」に発展させていくということも、その究極の目標が正しいものであれば、まさにこの価値追求であるということができるはずです。

 

 それは単なる利益の増大だとかで終わるものではなく、例えば「社員を大切にする会社になる」といった、本質的目標であるべきでしょう。

20180316_132543

上越MGの第2回開催が決まりました

「復活!上越MG」の第1回目、おかげさまで盛り上がって終了しました。

 

感想文を一つずつ読ませていただいて、参加された皆さんの熱い思いを感じています。

 

初MGの方、ほぼ初MGの方、そして期数を重ねているベテランの方と、とてもバランスの良いメンバーに恵まれました。

 

決算している初心者を励ます姿が、とっても印象的でした。

 

そして、早くも「第2回」の開催が決まりました。初日夜の交流会の中で「次もぜひやりましょう」の声が出て、日程調整の結果、100日後の開催です。

 
決まって開催日は6月30日~7月1日、会場も今回と同じ直江津駅前の学びの館です。

 
今回はやや窮屈な2卓でしたが、次回はゆったり3卓を目標にしたいと思っています。

 
新潟県内の皆さんはもちろん、県外からの参加も期待しています。

20180318_101050

復活!上越MG

この土日は、上越市・直江津でMGセミナーを開催しました。これまで数年間、こちらではワンデーMGを何度か開催してきましたが、ようやく念願のフルプログラムによるツーデーMGです。

 

かつてこの地では、熱心な地元企業さんが企業単位あるいは地域単位でMGセミナーを開催されていて、私もそのいくつかに講師として支援させていただきました。20180317_141027

 

また、数年間ですが開発者の西先生をお招きしての「直江津MG」も開催されていました。その後中断していた中で、酒屋のかじや・宮崎さんが核になってワンデーMGを続けてきたわけです。

 

ですから今回は「復活!上越MG」ということで準備を進め、県の内外から13名の方のご参加をいただくことができました。

 

面白いのは、参加者の会社が酒造会社、醤油味噌の製造会社、そして麹の製造会社、酒屋さんにお米の生産者など、不思議なご縁でつながっていることです。ちなみに私はお酒の愛飲者です。

 

そして全く初めてMGを体験される方がお二人、ほぼ初めてという方も二名、2回目という方も1名。そこに何百期も体験を重ねている方も数人おられて、ほどよいメンバー構成です。

 

高校在学生やこれから大学生になられる方もいるかと思えば、5060代もいらっしゃる。その年齢差は50歳以上というのも、少人数のMGとしてはかなり珍しいでしょう。

 

まさにMGの真骨頂である「芋洗い」が実現しています。初めての方は大変かと思いますが、ベテランの気遣いや「教え愛」が感じられていいムードです。

 

つくづく思うのは、誰と一緒にMGをやるか(やれるか)ということって重要なファクターだということです。とくに初MGの体験と印象は、その後も続けていくかどうかを左右するものです。

 

私はもう30年以上も前のことですが、最初のMGのことは強く心に残っています。ゲームでは大変な思いをしたということしかないのですが、初日の夜にじっくり話ができた同室の方が強く印象に残っています。

 

その方からのアドバイスをいただいたおかげで、決算順位が上位で「新人決算特別賞」という表彰状をいただいたことが、今の私につながっています。

 

今回参加いただいた初心者の方たちが、ぜひこれからも長くMGを続けていって下さるよう、願いを込めて残り1日しっかりとインストしていきます。

 

その中から企業としてもMGをやっていこう、MGの考え方や手法を仕事に取り入れていこうという事例ができることを、心から祈っています。

西郷は僧月照を心中に見せかけて・・・

いよいよ西郷(隆盛)である。今回の大河ドラマの評判(視聴率)のことは知らないが、今はまだ激動前のことであるので静観といった感じである。

 

昔から人気は高い、知名度も幕末では坂本龍馬と双璧だろう。江戸城を無血開城したとか、新政府においてもカネや栄誉に執着しなかったとか、西南戦争での潔い自決だとかが決め手になっているらしい。

 

同じ郷中(ごじゅう)出身の大久保利通と比べれば、その差はダントツであるが、では西郷が「新政府で何をやったか」となると、こちらは大久保にくべて極めて分が悪い。

 

しかも西南戦争(西南の役)では「朝敵」となったために官位を剥奪され、当初は靖国神社には祀られなかった。明治22年の憲法発布に伴う御社で赦され、追贈(正三位)されるとともに、改めて靖国の英霊となった。

 

過去にも触れたことがあるが、写真は遺されていないらしい(残っている説もあるが西郷とは確認されていない)。上野や鹿児島の西郷像は、実際のイメージとはどうも違うらしい。

 

有名な肖像画も本人とは違う。ただ、錦絵にはいくつか描かれていて、それが本当に西郷の姿ではないかと言われ始めている。

 

だいいち、隆盛という名(諱)も本当ではない。これは父親の諱で、西郷は「隆永」だったらしいが、届け出の際に隆盛と誤って届けられ、それで通したのだという。細かいことにはこだわらなかったのだろうか。

 

さて私の隆盛観であるが、幕末の史実を知るにつれて大きく変わってきている。

 

坂本龍馬が西郷を評して、「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と言ったとか。

 

この話に頷いている頃は、やはり西郷は偉大な人物で「維新の英傑」であると思っていた。ただ、政治的には大久保よりは少し落ちるかなぁ、それがまた西郷の魅力だというくらいに評価していた。Photo

 

しかしだ、幕末に西郷が実際にやったことをつぶさに見つめてみると、果たして英傑と呼んでいいのかどうか疑問を感じだした。そのいくつかを、私なりに述べていくことにしよう。

 

その第一は僧月照との「心中未遂」事件。詳しくは省くが、月照は溺れ死にしたが西郷は蘇生した。ちっともおかしくないではないか、と反論されるだろう。記録にそうあるじゃないかと。

 

ではその記録はいつ誰が書いたのか?少なくとも、当時の薩摩では月照は邪魔者であった、疫病神と言っても良い存在だった。ならば、、、うがちすぎだろうか。

 

西郷は最初の流刑に遭う、しかしそれは「身を隠す」程度のものだったのではないか。実は西郷自身が月照を殺害したのではないか。殺害を指示した側の遺した資料でしか判断できないのでは、真実は闇の中だろう。

 

ここで今回の紙数がいっぱいになったので、後は次回に。

MGシニアは本質と開発者の思いを学ぶ場

<連載コラム㊴>

前回の続きですが、私は別にMGシニアを受講してインストラクター免許をいただいた方がセミナーを開催していることをとやくかくいうつもりはありません。

 

しかし、免許を取るために、あるいは自らセミナーを開きたいが故にMGシニアを受講する、というのでは本末転倒ではないかと思うです。

 
 
 MGシニアはあくまで、MGの理論やベースになっている思想・哲学、あるいは開発者の西順一郎先生がどんな思いを込めてMGを創られたのか。

 

そういったことをキチンと学ぶ機会であり、修了証や免許証は表現は悪いですが「おまけ」、あるいは「付録」です。

 
 
 ですから、一度や二度MGシニアに出たくらいでは、一体どこまで理解できているのだろうかと思ってしまいます。理解できていなくてもMGのインストはできますし、セミナーは開催できます。

 

でも参加者の皆さんに、「ぜひ本質や真髄は西先生から学んで下さい」と伝えるだけでは余りに寂しい限りです。

 
 
 反論される方、ではあなたはシニアで学んだポケコンやMTを、あるいは戦略MQ会計をどれだけ日常の企業経営に活用し、駆使していますか。

 

さらには、脳力開発やTOCなど、MGの現場実践を強力に補完する学びにどこまでアプローチできていますか。

 
 
 手前味噌ですが、私はMGを始めて30年、その間にMGシニアには多分15回以上参加、あるいは顔を出していると思います。それでもなおまだ、分からぬことだらけです。

 

 日常的にポケコンやMTを使い、脳力開発についてはMGより長く学び続け、TOCも実践応用してきました。

 
 
 でもなお、学び続けると思います。前回のシニア受講は2015年の12月でしたが、その後2017年の10月にも受講しました。ではこの話はここでいったん終えて、再び脳力開発の本論に戻します。

20171101_mg5

国民に謝罪する気持ちなどなかった麻生太郎

財務省が大揺れですね。省庁の中の省とも言われ、絶大な権限をも有する財務省だが、集中砲火を浴びている状態になっています。

 

この財務省のトップが、副総理でもある麻生太郎氏。これまでにも何かと物議を醸す発言をしてきた方だが、独特のキャラクターを支持する人も少なくありません。

 

また財務省としても大臣としてもっとも信頼できる権力者であるし、常に自分たちの側に立って発言してくれる麻生氏の存在は心強いようです。

 

しかしその麻生大臣、12日の記者会見ではかなり品位を損なったというか、トップの品格を疑われる発言を繰り返してしまったようです。Photo

 

私はニュースの中で断片的にしか聴いていませんでしたが、財務省のトップとして平身低頭謝らなければならない場面とは思えない、不遜な態度、言葉だったように感じました。

 

文書書き換えは財務省理財局の誰かが「自分の意思で」命じて、近畿財務局の現場担当者がさも「勝手にやった」ことだと決めつけたような発言に聞こえました。

 

そしてその大本の責任は、当時理財局長であった佐川氏にあるということで、何度もその名前を繰り返していました。

 

つまり大臣たる自分は何も知らなかったし、すべて一つの部局や出先で担当者がやったことだと。

 

この記者会見を見ていて、頭に浮かんだのは少し以前に起こった企業のデータ改ざん事件での、トップの記者会見でした。

 

社長たる自分は何も知らず、この事件が発覚して初めて報告を受けた。そのように言っていたトップがおられてように記憶しています。

 

それと見事に重なってしまいました。しかもそれ以上になんだこれはと感じたのは、麻生大臣がついに「平身低頭して謝る」ことがなかったという事実でした。

 

そういえば、この記者会見自体もまるで『ぶら下がり会見』のような感じで、とても誠意を持って国民に謝罪したとは、とても思えませんでした。

 

企業の不祥事があってはいけませんが、小さなクレームはいつでも起こりうることです。そのときにどういう対処をするか、反面教師としての出来事として書いてみました。

 

財務省や麻生大臣がこれからどうなるのか、安倍政権がどうなるのか、それは別のこととして、他山の石として学ぶことも多いように感じた次第です。

マニュアルなしの理念経営

「ハンバーガーを50個下さい」
「こちらで食べて行かれますか、お持ち帰りですか?」

 

この会話はマニュアルの弊害として、昔からよく使われますね。常識で判断しろよと言いたくなるわけですが、しばし待てよ、やはり尋ねることが基本(動作)ならそれでいいではないか。

 

1個や2個なら聞くが、では何個以上は聞かないのかはマニュアルに書いていないのなら、何10個でも尋ねることが基本動作ではないのか。

 

マニュアルとはそういうものなので、目くじらを立てることではありませんが、仕事のレベルとしては一番下のレベルだねと言われても、致し方ありません。

 

ハンバーガーショップならそれで良くて、あなたの会社ならどうなのでしょう。

 

そもそもマニュアルなんてものがありませんと、胸を張っていえる会社はどれだけあるでしょうか。おそらく、本当はマニュアルが必要なのに作られていないということではないか、とも思えるのです。

 

じゃぁ、おまえの会社にはマニュアルがなかったのか?と聞かれれば、あるにはありましたと答えるでしょう。いくつかの仕事には、通常にマニュアルと呼べる手順書は確かにありました。

 

またマニュアルを必要とするような仕事も、確かに存在していましたから。ですが、大半の仕事についてはマニュアルなしというスタイルであり、それで当時も(おそらく現在も)支障がありませんでした。

 

基本的なルールはありましたが、それさえ守って行動すれば他のことは個々人に任せる、そういう会社が理想ではないかと考えていたからです。

 

ですから、同じ仕事であってもAさんとBさんとではやり方が異なる、ということも容認していました。その方が工夫が見られるし、創造性の(実地)訓練にもなりますから。Photo_3

 

先日読んだ記事に、長野の中央タクシーさんのことが書かれていました。この会社のことは以前から知っていましたし、ある方の講演の中でも紹介されていましたから興味を持っていました。

 

実際にまだ乗車したことはないのですが、長野市に住む研修仲間からも色々話は聞いていました。彼や彼の家族は、いつも電話予約しているそうです。

 

まさにマニュアルなしの会社です。もちろん三大ルールというのはあって、それは雨の日には傘をさしかけること、自分の手でドアを開け閉めすること、そして必ず自己紹介することです。

 

それ以外のことはすべて運転手に任されているとのこと、共感します。MGや脳力開発の目指す経営、つまり「全員経営」そのものだと感銘します。

 

「お客様が先、利益は後」という経営理念がウソでないことは、様々な実績や「伝説」が証明しています。機会を作って是非乗ってみたい、そう思わせるタクシーですね。

『良い人にならない』MGをやってみる意味

<連載コラム㊳>

昨年(2017年)1月からMGフェスティバルを含めると、インストしたMG4回)を除いて、4つのMGセミナーに参加してきました。その内西先生のMG3つ、いささか自慢になりますが全て「最優秀経営者賞」をいただきました。

 
 
 2回がパーフェクト(4A・決算1位・自己資本1位・区間賞総なめ)で、1回は区間賞が3つ、もう1回は区間賞が2回でした。20170129_mg4

 

何が言いたいか、私の戦略目標は、(ここまで)いったい何だったのでしょうか。ちなみに最優秀経営者賞あるいはパーフェクトが、目標だったのではありません。それは結果です。

 
 
 実は『良い人にならない』ことでした。戦術的に言うと、互恵力で12をいただいてもよい仕掛けや入札、あるいは仕入を厭わず、第一感で感じた通りに意思決定してやる、ということに他なりません。

 

幸いに互恵力では1はいただけませんでしたが(笑)。

 
 
 脳の「原動力」の中で、最も深慮強大なるものは何だと思われますか?それは『社会的価値への追求心』です。例えば使命感などは、その一つの表現です。

 

歓喜と感動が脳力を発揮させることはよく知られていますが、持続させる最も重要な要素は使命感とか天命と呼ばれるものだと思っています。

 
 
 それとこれまでのMGにどういう関係がある?一言で言えば、最近のMGの傾向に警鐘を鳴らすことが、私の役割かなと思ったりしているのです。不遜だと思われるかも知れません、本来は私の役割ではないのかも知れません。

 
 
 ですが、MGの場に実際出ていって感じている範囲、あるいはMGシニアに一度出て「免許」をいただいて、すぐに公開セミナーに着手する方の多さに違和感を感じていると言ったら、反発される方もいらっしゃるでしょう。

 

 どうぞ、反論して下さい。続きは次回に。

速やかに歩を進めろ、笑っている場合じゃない!

国会が揺れています、それも激震です。

 

森友問題、財務省が文書書き換えを認めるといわれていますが、その陰で近畿財務局の職員が自殺という悲しいニュース。

 

人が犠牲にならないと「先に進まない」のかこの国は!?って思いが駆け巡ります。これまでも、同じようなことが起こったことが何度も何度もありました。

 

誰かが責任をとって辞めればいいというものでは、もちろんありません。佐川(国税庁)長官の辞職で幕引きにならないことを祈っています。

 

中には、「くだらない」ことで国会が空転するのはけしからん、税金の無駄だなどとおっしゃる方がいますが、では森友問題の中身は税金の無駄ではないと?

 

森友だけではない、カケ問題もありましたし、スパ問題も解決したとは思っていません。おそらくこれらは、表面に現れてしまった問題に過ぎないのでしょう。

 

目立っていないことがまだまだたくさんありそうです。それらがなぜ起こるのか、本質を変えなければ税金の無駄遣いがこれからも繰り返されることでしょう。

 

とはいえ、いつまでも国会を空転させるべきではないことも当然のことです。あまりに無力な野党が、鬼の首でも取ったようにはしゃぐのもどうかなと。

 

少数だからこそやれることがある、そのくらいの気概を持ってやってほしいもの。

 

一気に解決などという幻想は抱きませんが、速やかに歩を進めてほしい。ただそれだけを願うものです。

 

少なくとも「笑っている場合」じゃないですよね。Photo_2

忘れてはならないもう一つの地震

あの日がやってきました。もう7年も経つのかと思われる方もいれば、まだ7年しか経っていないのかと感じられる方も少なくないでしょう。

 

大津波に襲われた三陸沿岸の町は、その姿が大きく変わったところがほとんどです。鉄道が不通のままのところもあるほか、駅や線路が高台に移動した町もあります。

 

それによって、駅周辺に広がっていた町の中心街がなくなったり、移ることをやむなしとされた店もあります。廃業された商店や工場もかなりの数に上ります。

 

とくに福島第一原子力発電所の周辺では、まだ帰宅することができない地域が広がっているほか、帰宅が可能なところでも、帰宅者が半数に満たないところも多いのが実情です。

 

今なお同じ福島県内の他の町に、そして県外に居を移した状態の方もあり、その多くが元の町への帰還を諦めたという話もあります。

 

今日311日を間に、テレビなどでも多くの番組が組まれていますが、それを見てやっと「あの日を思い出した」方もいらっしゃるでしょう。普段はもう「忘れてしまった」状態になっています。

 

私は阪神大震災を身近に体験し、その以前にも秋田県で起こった日本海中部地震にも遭遇しました。そして中越ならびに3年後の中越沖地震も体験して、忘れたくても忘れられない気持ちです。Photo

 

そして、東日本大震災の翌日に起こった長野県北部地震についても、記憶から消すことはできません。この地震は東日本の陰に隠れてしまいましたが、地域としては決して消せない記憶です。

 

いずれにしても地震とは縁の切れないのが、日本という国、日本人の宿命です。毎日のようにどこかで揺れが発生し、中には震度5を超えるような揺れも少なくないのです。

 

時には、TV画面や携帯、スマホから緊急地震情報が流れて、一瞬身構えてしまうこともありますね。幸いに大きな揺れではなかったとしても、全く幸いであって、大地震でない保障はどこにもありません。

 

先日も自宅の防災品・グッズを点検しましたら、足らない物がいくつもありました。やはり東日本の大災害からそこそこの年月が経過して、気持ちに油断が生まれていたのだと反省したものです。

 

やはり、それなりの準備をしておくことが肝要だと再認識しました。さらには、7年前を忘れてはいけません。明日は自分の住んでいるところで、起こらないとは限らないのですから。

 

7年前には友人や研修仲間にも、大きな被害がありました。自宅や会社、お店が流されたとか、不幸にも津波に巻き込まれて犠牲になった方もおられました。多くは復興されて新たな生活を始められてはいます。

 

幾多の事実を忘れることなく、犠牲になった方のご冥福を改めてお祈りすると共に、災害への心得をしっかりと持ち続けていきましょう。

悪条件は不可避ではあるが不可欠なもの

<連載コラム㊲>

少し切り口を変えてみましょう。正しいこと、あるいは当然のことを正しく主張したとします。しかし、これがそのまますぐに通るわけではなく、素直に聞いてもらえないこともあるはずです。というより、正論だからこそ反対や抵抗が多いこともあります。

 
 
 しかし、『正しい戦略』に向かって真剣な前進や努力を続ける限り、必ずたくさんの味方が次第に増えていくのです。やがて確実にこちらが主流になっていきます。この認識を強く信じていかなければなりません。

 
 
 そこでこう考えます。悪条件とは、むしろ自分を高めるために存在しているのであり、あるいはまた、最高の目的をより高いレベルで達成できるために存在している。

 

つまり悪条件というものは不可避ではあるけれど、同時に不可欠なもので、必ず明日につながるのだということです。

 
 
 MGならば、少しでも(体験の)期数が多い相手、自分よりも力のある相手と同じ卓を囲むことであるとか、カードのめぐりが良くなくてリスクカードを引く回数が多い。

 

 これもまた、自分のためになることなのだと自覚して、「良い条件をいただいているのだ」と前向きに考え、気を込めていくことが大切です。

20170414_mg8

キャッシュフローを知らない経営者が多すぎる

さて、私が口を開くとキャッシュフローの話です。なぜなら、どんな企業であろうともキャッシュフローが行き詰まると倒産の憂き目に遭うからです。

 

もっとも大企業なり中小企業でも大きな会社は、機関投資家と呼ばれる大株主や銀行などの金融機関が、そこそこまでは支えてくれます。

 

かの東芝だって、昨年度の決算では債務超過だといわれていましたが、さりとて「東芝が倒産した」などという話は流れませんでした。このままでは危ない状況に陥る、くらいはいわれていましたが。

 

ところが、小さな会社つまり多くの小企業・零細企業は、債務超過に陥ろうものなら誰も支えてくれず、そのまま夜逃げや廃業ということが少なくありません。

 

それどころか、たとえ何某かの黒字を出していても、またどんなに自己資本比率が高かろうが、キャッシュが行き詰まれば(支払う金がなくなれば)倒産の憂き目に遭います。

 

現実に毎日のように何社かが倒産していっていますが、その多くが資金繰りの行き詰まりです。どんなに技術力が高かろうが、どんなに良い商品やサービスを提供できても、金の切れ目が縁の切れ目なのです。

 

そのことをご存じでない経営者が多いということに、いささかあきれかえります。

 

いや、そんなことくらいは分かっているのでしょう。そりゃあそうです、支払うお金がなくなりそうになれば、経理の担当者からはやいのやいのと言われるでしょうし、取引銀行さんも黙ってはいません。Photo

 

支払いが滞れば、仕入れ先からは即座に電話がかかってくるでしょう。社員さんの給料がキチンと払えなければどうなるでしょう。

 

ところが、毎月税理士さんから出される試算表を見て「利益が出ている」ことに安閑としたまま、キャッシュがギリギリの状況を疑問には思わなかったり、相変わらず夜の付き合いやゴルフにうつつを抜かしてはいませんか。

 

このコラムでも何度か書いてきましたが、『利益(PL)が意見、キャッシュ(CF)は現実』なのです。計算上の利益がどれだけ出ていようとも、キャッシュがなくなれば倒産です。

 

その瞬間は、明日にでもあっという間にやってくるかもしれない、小さな会社は常にそういうリスクにさらされていると、自覚しておかねばなりません。

 

そして、利益が出ているのにどうしてキャッシュフローが厳しくなっているのか、その原因を正しく分かっていないといけないのです。

 

決して難しいことではありません。もちろん、経理担当者や顧問の税理士任せで、キャッシュ(フロー)には無関心な経営者は論外です。

 

あなたが会社を、商品やサービスを、そして家族や社員さんたちを本当に大切にしようとされるなら、真剣に学んで原因をつかみ取り、常に先行して手を打っていかねばなりませんよ。

明治新政府・「志士」たちのドタバタ

日曜日ごとに放映されるNHKの大河ドラマ、そのテーマあるいは主人公は戦国時代と並んで、幕末・明治維新と呼ばれている時代が多い。

 

そういえば最初の大河ドラマは「花の生涯」で、主人公は井伊直弼だった。そして今年は西郷隆盛が主人公である「西郷(せご)どん」である。

 

私も歴史的な小説やドラマは好きなので、大河ドラマは毎年見ている。今年も遠征で見られない時には録画をしておいて、続けて見ている。原作の林真理子は好きではないが、個人の好みはどうでもいい。

 

話は西郷が江戸(薩摩藩上屋敷)に赴任した頃まで進んでいる。つまり、ペリーが2度の来航をした頃だと考えれば良い。江戸の町も幕府も上に下への大騒ぎになっている、というのが教科書で教えられたことだった。

 

かの上喜煎の歌、すなわち「たった四杯で夜も寝られず」も真実ではない。第一、アメリカはじめ外国の船が初めて江戸湾に入ってきたということすら史実ではない。

 

すでにペリー以前に日本にはたくさんの外国船がやってきている。「鎖国」をしていたわけではない、鎖国令なるものがなかったことも明白である。すでにペリー以前に「外国船打払令」などは廃止されている。Photo

 

また、外国船に薪や水、食料などを供給することも、幕府はとっくに認めている。その中に石炭は入っていないが、これはまだその頃には蒸気船がやってきていなかったからで、ペリー艦隊の蒸気船もたったの2隻だった。

 

確かにモクモクと煙を上げる蒸気船に最初はびっくりした浦賀や、江戸の市民もすぐに馴れてしまった。見物に押し寄せることもあったが、それは現代人でもやっていることだ。

 

幕府もその頃には多くの情報を得ていたので、「江戸に向かって上陸する」ことについては、慌てて断りをいれたがさほど狼狽えたわけではない。

 

確かに時間稼ぎはしたが、ペリーが再びやってきても幕府の官僚たちは堂々と対応している。その主張には、ペリーですら要求を縮小せざるを得なかったくらいだ。

 

ところが歴史の教科書には、そういう史実はほとんど書かれていない。いかにねじ曲げられているか、それは明白だ。つまり『江戸幕府はだらしない、けしからん。古い陋習や封建観念で凝り固まっていた。』というわけだ。

 

それを打破したのが薩長の先進的な考え、思想を持った「志士」たちであった。そういう彼らが作った明治新政府は素晴らしい、しかも江戸城を無血開城に導いた広い心を持っていたと。

 

ではその明治新政府とやらが何をやったか、江戸(以前の)文化の破壊活動だった。廃仏毀釈などはその典型といえる。いや、あれは「神仏分離」を命じただけで、神官や庶民が勝手にやったのだと。

 

急激な欧化政策の究極は鹿鳴館だ。ついこの間まで「攘夷」をとなえていた連中が、一気に西洋かぶれとなって、夜な夜な踊り狂うわけだ。おそらく、そこに参加した西洋の人たちは、なんと愚かな国民だと思っただろう。

 

書きたいことはもっともっとあるが、今回の紙も尽きた。西郷どんにアプローチする前に、もう少し寄り道するとしようか。

妥協点や協調点をあげていく努力を

<連載コラム㊱>

現状が良くない、どう見ても不良だという時には焦ってはいけません。とはいっても、実際状況が良くない状態なのに慣れてしまい、これが「通常」だなどと思うようになってはなおいけません。その前にきちんと手を打つことが必要です。

 
 
 こうした場合、自分の原則を維持する範囲内で、周囲との妥協や協調が必要になります。さもないと自滅を免れなくなるからですが、それでも目標や矜恃をなくしてはいけません。

 

というのは、そのままではずるずると流されてしまい、気付かない内に「現状に甘んじる姿勢」になってしまうからです。20180304_132937

 
 
 ですから強い意識を持ち続けることをやめてはいけないのです。できれば、妥協点や協調点を少しずつ向上方向に上げていく、そういう積み重ねの努力を怠らないことです。

 
 
 MGに例を借りれば、どうしても売れない状況があった場合、目標としているプライスを下げざるを得ないケースもあるでしょう。

 

 しかし、その状態にただ流されてしまわず、これもしょうがないのだと諦めずに、もう一度目標プライスに戻す努力をやるということです。少なくとも、そうするのだという強い意識を投げ出してはいけません。

今年の脳力開発講座スタート

今年の脳力開発講座がスタートしました。昨年と同じ3回のシリーズ講座で、まずは神戸のセミナーから幕が開きました。

 

3ヶ月おきの開催ですが、通して受講される方が10人以上いらっしゃいます。その他2回目からとか、スポット受講される方もおられますので、たくさんの方にお越しいただきます。

 

脳力開発(セミナー)ではどういうことをやるんですか?というお尋ねを、よくいただきます。答えることは簡単ですが、それでは多分イメージを捕まえていただけないと思っています。

 

MGのようにはっきりと、経営のシミュレーションゲームですというようにお話しできればいいのですが、実のところ多岐にわたっているので答に困るのです。

 

講義と演習とケーススタディのセッションと、というようにやることを羅列して、これらを通して人間学とか行動学を学んでいただきます。これでお分かりになります?

 

ですから、一度試しに受講してみませんかと呼びかけています。一度受けていただければ、イメージとしても捉えていただけるからです。20180305_142224


 

さて、第1回目の講座はまず「脳力開発(・情勢判断学)とはなにか」です。脳の力である脳力とは、あるいは脳はどういう役割なのかということは、脳科学でも語られます。

 

しかし、それだけではないということをつかんでいただきたいのです。面はゆい言い方ですが、ある意味で人間の本質に迫るものです。

 

言い換えれば、私はどうしてここに生きているのだろう、ということすら問いかけているものだと考えているのです。

 

私たちは、普段の生活の中で、あるいは仕事の中でもほとんど「無意識」の世界で思考し、行動しています。その割合は98%とも言われます。

 

つまりはたったの2%しか意識化で行動していないわけで、脳力をフルには使っていないと要ってもいいのです。

 

ではフルには使えないか? もちろん使えますが、そこまでやらなくても今よりほんの少し、そうですね、数%余計に使うだけでいいのです。

 

そうすればきっと、今以上のびっくりするような果実(成果)を得ることができます。

 

そんなことを、いろんな角度から体験的に学んでいただくのが脳力開発講座です。

 

来月は東京講座が東京講座がスタートします。こちらは、まだもう少し定員枠があります。行動を変える、さらには「自分を変える」体験をしてみられませんか。

 

4月20日の10時より開講します。

コンピュータトラブルから学んだこと

先週突然に起こったコンピュータトラブルは26日の夜のことだったから、今日でちょうど1週間目を迎える。即座にノートパソコンの入れ替えを決断し、翌日店頭注文、月末の28日に受け取った。

 

そこから一気にセットアップを完了して、まずはマイツールのインストールとデータフォルダの移行。ここには日程管理、経理、そして名簿のデータが詰まっている。

 

次にネットアクセスの再構築を急いだ。こちらの方は、ブラウザを前マシンと同じにすることで、そのアカウント設定がそのまま引き継げた。Img_5627_3

 

さらにドキュメントデータや写真・ビデオなどのデータ移行を進めたが、これが面倒であった。前のマシンはMacBookAir)であり、それに乗せていたWindows10のトラブルが今回の源だった。

 

つまり前マシンを本来のMacで使うことにしたのだが、これが30年以上PCを使ってきた私にも、実は初の体験だったのだ。つまり、使い方がよく分からない。

 

そこでいろんな方、Macを使いこなしている方からアドバイスをいただいた。それで試行錯誤しながら、Macでデータフォルダ・ファイルを開き、外付けのHDを経由して新マシンに移行する作業だった。

 

幸いほとんどのものを移行できた、と思っていた。

 

ところが、いざそのデータを活用しようとして、かなりの齟齬が生じていることが分かった。つまり、フォルダやファイルごと丸ごと移行したつもりだったのが、多数のフォルダ・ファイル内で移行できていないデータがあったのだ。

 

どうしてそうなったのかは分からないが、総じて最近のデータが漏れていた。おそらく、HDのフォルダ・ファイルを上書きしていったのだが、それがきちんとできておらず、とくに最近データが移行されていなかったのだろう。

 

すぐに支障を来すものではないが、それでもやろうとしていた仕事の一部を、先延ばししなければならなかった。ちゃんと確認をしなかったことが大きな要因だ。

 

明日家に戻ったら、早速不足データを補わねばならない。幸い、前マシンのデータはそのまま残してあるので、大丈夫だろう。

 

いくつかの反省事項があった、これも脳力開発のトレーニングだと思えば学習になったわけだ。

 

今日のセミナー(脳力開発講座)の中でも、事例として早速に使うことにしよう。

自社の資金繰りが正しく見えていますか

今年第1回目の神戸キャッシュフローMGCFMG、この土日に開催しています。

 

今回は参加者の皆さん、すでに通常のMG体験期数はかなり積み重ねておられますが、半数の方がCFMGは未体験です。

 

20180303_124947

CFMGでは、材料は原則として掛け払い(買掛金計上)ですので、手元に現金が少なくてもゼロ円でも材料を買うことが可能です。

 

しかし、販売した際も売上高が原則的に売掛金に振り替わるだけですので、集金(という意思決定を)しなければ手元現金は増えません。

 

しかも、売上(売掛)が計上されてから、一定の期間(行数=4行)を空けなければ集金ができないルールになっています。一般の会社でも、おそらく集金までにはタイムラグがあるはずですね。

 

その場で現金決済、すなわち現金仕入れで現金販売という会社も、例えば小売店レベルなどではあるでしょうが、大半の企業ではほとんど必ず売掛・買掛が存在します。

 

売掛から集金までの、いわゆる回収サイトは業界やその企業によって異なります。また同じ会社の中でも、売り先によって契約内容に違いがあることも少なくありません。

 

一方仕入れの決済も、20日締めの月末払いとか、月末締めの翌月払いなど、その会社によって様々です。仕入れ先別に設定が違うこともあるでしょう。また手形払いをされているケースもあります。

 

このように、お金(キャッシュ)の動きは、実際の販売や仕入れとは異なります。

 

また、PL上の利益とキャッシュも異なります。利益がそのままキャッシュにはならないのです。「利益は意見、キャッシュは現実」と言われるゆえんです。

 

このことをよく知っていないと、PL上で利益が上がっているのに、キャッシュがどんどん減っていってしまい、気がついたら資金ショートに陥ることもあるのです。

 

会社は少々の赤字でも、時には債務超過になっても倒産しませんが、キャッシュが行き詰まると即倒産の憂き目に遭います。これが「黒字倒産」というものです。

 

例えば、東芝が債務超過だといっても倒産に至らないのは、銀行などが資金繰りを支えてくれているからに他なりません。しかし、そういう裏付けのない零細企業は、倒産のリスクは極めて現実的です。

 

そんなことにならないように、経営者はきちんとした資金(繰り)計画を持っていなければなりません。資金繰りについては経理担当任せだとか、資金繰り計画書は顧問税理士さんに作ってもらうだけ、ではいけないのです。

 

少なくとも、自社の資金繰りには常に目を光らせ、決して資金ショートに陥らないように細心の注意を払わねばなりません。正しい知識を持ち、知恵を働かせられるようにしていただきたのです、社員や家族のためにも。

 

ぜひキャッシュフローMGをやってみませんか。

「グロスキャッシュフロー」をご存じですか?

今日33日は上巳の節句、桃の節句あるいは雛祭りともいいますね。

 

55日は端午の節句なので、間にある44日を「ハーフの節句」なんて呼んでいるそうです。

 

それはそれとして、今年の神戸でのキャッシュフローMGCFMG幕開けです。東京はすでに1月にスタートしていますが、神戸でも3ヶ月おきに年4回の開催を予定しています。

 

その他関西では6月に大阪での開催、さらに他にもやってみたいという声があがっていますので、皆さんに学んでいただけるチャンスもさらに増えそうです。

 

CFMGは、通常のMGMQ戦略ゲーム)に売掛・買掛という信用取引の要素を加味したものです。使用する用紙やルールなど基本は同じです。

 

CFMGは私のオリジナルではなく、30年前の1988年に名古屋の横田真さんが考案された、CF-STRAC(キャッシュフロー戦略会計)を学ぶためのものです。

 

西研MGの一つの形として広がり、MGフェスティバル等でも公開開催されました。90年代半ば以後は諸事情もあり、しばらく公開MGとしては開催されていませんでした。

 

それをとっても残念に思いましたので、2010年頃に西先生(MG開発者)に「復活」を打診し、私が言い出しっぺで再開することになったわけです。

 

上場企業では財務諸表の中にキャッシュフロー計算書を含むことが義務づけされていますが、中小企業でも作成が当たり前になっています。Photo

 

ところが、正しく読める人はほとんどいません。それは、財務諸表で作られているキャッシュフロー計算書では、経営(判断と意思決定)の役には立たないからです。

 

おそらく多くの経営者がキャッシュフロー計算書を見ても、それがどういう意味を持っていて、今後の経営に中でどうしたらよいかという答を出せないからでしょう。つまり役に立たないのです。

 

CFMGでは、分かりやすいCF-STRACという形に置き換えて、その意味するところ、すなわち本質を学んでいただきます。なにしろ、通常のMGと同様に自分で作成するのですから。

 

その中で、例えばグロスCFです。経常利益あるいは当期利益に減価償却費をプラスしただけのものですが、これが何を意味しているかおわかりですか?

 

銀行があなたの会社にお金を貸すかどうか、その第一関門がこのグロスCFです。赤字会社でも、グロスCFがプラスなら・・・といったことを学び取っていくのです。

 

そのほかにもCFMGから学んで実務の中に活かすことは、たくさんあります。すでにCFMGの中からヒントを得て、経営に活かされた事例がいくつも出てきています。

 

あなたもぜひ、各地のCFMGの中で学んで「良い会社」を実現していきませんか。

嵐の中のフライト前に

昨日から新潟地方には、季節外れの暴風が吹き荒れています。今朝もまだその余波が残っていて、海には大きな白波が打ち寄せています。


今日から関西・神戸への遠征ですが、予定していた朝のフライト便は欠航となり、辛うじて次の便が予約できました。


ところが、自宅から新潟空港までの足がまた大変、電車(JR越後線)は大幅遅れで路線バスにチェンジ。昨夜のうちに時刻はチェック済みでした。


バスはほぼ予定通りの運行で、駅で空港行きリムジンバスにも間に合い、こうして空港ロビーでコーヒーを飲みながらコラムを書いています。


あとはフライトが大丈夫かですが、今のところはということで、まだ新しい情報は伝わっていません。折り返し便が無事に到着しますように。


クライアントにも、昨日のうちに遅れることを連絡しましたが、これ以上連絡を入れる必要のないことを祈っています。


何があるか分からないのが、旅の楽しみでもありますが、事前にやりうることはやっておくことが、基本中の基本ですね。


脳力開発の実践訓練にもなります(笑)。

薩長同盟のウソと逃げの小五郎

さて、桂小五郎である。池田屋事件で、現場から早めに「消えていた」ために命を長らえることになったことは、前々回に書いた。それらを含めて『逃げの小五郎』という異名をとった。

 

維新の三傑の中ではただ一人、畳の上で死んでいる。京都三本木の芸妓幾松との出会い、そして彼女は桂の逃亡生活を助け、やがて妻(木戸松子)となり死を看取っている。

 

幼少の頃に名門桂家の養子になり、幕末の志士と言われる人物の中では比較的高い身分だ。藩校明倫館で学んだ時に吉田松陰と出会うが、松下村塾で学んだことはない。つまり松陰門下生ではない。

 

しかし、松陰の思想には大いに共鳴し、その後は久坂玄瑞や高杉晋作らと共に過激な攘夷派として行動している。確か映画の「鞍馬天狗」の中でも度々登場している、もちろん正義の志士としてだが。Photo

 

下関での外国船打ち払いに際しては、高杉と共に久坂に批判的だったが、積極的な反対行動はとっていない。このあたりが高杉とは違うところで、あくまで思想家という片鱗が見られる。

 

八月一八日の政変後も京都に潜入したまま、朝廷内の長州シンパの公家たちと連絡を取り合い復権を目指すも、禁門の変で水泡に帰す。

 

もっともこの頃にはすでに京都を脱出し、但馬の出石に逃亡していた。第一次長州征伐後、保守政権を倒した高杉らが長州藩の主流になると、呼び返されて政権の中枢につくことになった。

 

そういう意味では幸運な男である。剣術の達人というが、彼自身が剣を抜いたことはほとんどないらしい。しかしおそらく、過激派の天誅の裏には桂の影がチラチラしている。

 

藩に戻った桂は、武備恭順の姿勢を貫くと共に、新式兵器を購入して兵制改革を進めていく。実際の推進に当たったのは村田蔵六、のちの大村益次郎らしい。

 

そして有名な「薩長同盟」を結ぶのだが、この同盟は果たしてきちんとした同盟であったのかは、多くの史家が疑問を投げかけている。

 

私は専門家ではないので分からないが、少なくとも口約束に毛が生えたくらいのものではないかと思っている。坂本龍馬の活躍も有名だが、龍馬がそれほど重要な役目だったとは思えない。

 

龍馬は、長州と薩摩すなわち桂と西郷の間の口約束を「確認書」の形にしたものに、第三者として署名しただけだろう。それも龍馬という重要人物ではなく、イギリスあるいはグラバーの代理人としての役割ではないか。

 

ただ、これを機に薩長が合同して倒幕に向かったことは間違いなく、まぁ同盟らしきものは同意されていたのだろう。これ以降は、いよいよ西郷の出番である。

 

つまりは理論派の桂ではなく、行動派の西郷が表舞台に出てくるのだ。行動派というが、西郷はあくまで暴力革命いや政権奪取を目指したのだ。

 

これは史実だ。どうきれいに飾ろうとも、西郷は「敬天愛人」などという高邁な思想があったとは思えない。

« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »