« 2018年1月 | トップページ | 2018年3月 »

マシントラブルもプラス思考で乗り越え

2月も今日が最終日、まさに「逃げる」感じで去っていきます。

 
例年にも増して寒くて雪の多かった冬も、3月の声を聞くとそろそろ終わりにして欲しいなぁと思うところですね。
 
そんな2月を終えようとする頃になってPCの大トラブル発生で、一昨日夜から昨日1日は本当にバタバタしてしまいました。
 
MacBook  AirのBootCamp上にWindows10を動かしていたのですが、記憶を辿ると使い始めの頃の更新インストールで操作ミスがあったようです。
 
そのために不具合が出て、強制終了・再立ち上げの繰り返しでしたが、慣れてしまうとさほどの不便は感じないままに過ぎていました。
 
たまに厳しい状態になることはありましたが、それもクリアできていたのでそのまま使い続けていました。00000004088266_a01
 
それが一昨日の夜にまたインストール不具合が起こり、今度は完全に使えない状態になってしまったのです。
 
そこで元々のMacを使って、メールやフェイスブックなどはほとんど支障なくやれるようにしましたが、問題はマイツール。
 
そこでは日程管理データ、名簿データ、そして経理データが満載です。パラレルでWin10を動かす手もありますが、やはり専用マシンを購入することを意思決定。
 
マシンは今日の午前中には手に入りますので、それから半日かけて設定作業です。
 
まぁ、これも前向きに捉えます。なぜなら、このトラブルによってMacを使うことも必然になったわけで、このプラスは活かさなければ。
 
少し授業料も払いますが、脳力開発の実践訓練にもなりました。
 
災い転じて福となす、何事もプラス思考でいきますかね。

大事を貫くためには小事を譲る

<連載コラム㉟>
 

本当の相互協調、あるいは相互協力とは、互いの主体性(原則)を確立し、互いにそれを尊重し合うところに初めて成り立つものです。また、真の主体性とは、他人の主体性を認め尊重することを前提としています。

 
 
 そうでなければ、互いの主体性、原則同士が真っ向からぶつかり合って、もし共に譲ることがなければそこで前に進めなくなってしまいます。Photo

 

仕事でもしかり、家庭でもしかり、あまりにも自分の主体性なり、原則すなわち信念を主張しすぎると、周りからそっぽを向かれる結果を招いたりしてしまいます。(写真は「そっぽを向く」イメージ)

 
 
 ともかく要諦は、原則は根本的に重要なこと(これはそんなにたくさんはないはずです)に限り、なるべく狭い範囲にとどめておき、その他の大半のことは「非原則」としてなるべくゆずることです。

 

 つまり、大事を貫くためには小事を譲るのです。

 
 
 仕事において、このように行動できる人は、結果としてちゃんと周囲からの協力を得られ、成果を上げていきます。最終的には描いていた目標を達成し、そのことでさらに周囲からの信頼を得ていくことになります。

この日曜日も楽しいMGインストでした

2月も最終の週に入りましたが、たったの3日間でもう3月が始まります。「2月は逃げる」で、ホントにアッという間ですね。

 

今月の初めに個人事業(ヴァンガード経営研究所)の青色申告書と、個人の確定申告書を提出。そして早くも国税の還付金が振り込まれました。

 

還付金はいったん払った税金(と予定納税)の一部、本来的に自分のお金が戻ってくるわけですが、なんとなく戻ると嬉しいものです。

 

企業でも払いすぎた税金(予定納税分)はもちろん還付されます。もっとも、会社時代は「利益が下がったということだよね」と、少しがっかり気分もあったものですが。

 

さて、企業が目指す経営数字目標は「利益を上げること」が一般的ですが、そうであるわりには経営数字から何を読み取っていくのかという知識が希薄です。

 

もう一つは、一般的な財務諸表(決算書)や月次の試算表からは、なかなか読み取れないということでしょう。もちろん専門家は、それなりに読み取るわけですが。

 

しかしながら、専門家(多くの場合は顧問税理士さんですね)の経営者へのアドバイスは、画一的であり、経営者の判断や意思決定の参考にするのには物足りません。

 

例えば、損益分岐点比率をもっと高めた方がいいとアドバイスされたとして、即座にどうすればいいかを考え実行できる経営者がどのくらいいるでしょう。

 

しかもその損益分岐点(売上高)の捉え方が、ポイントのずれたものであったとしたら?

 

そこで、経営者自らが「数字に強くなろう」というわけで、経営セミナーや講座が花盛りです。でも私から言わせていただければ、一般的な財務諸表や月次試算表の解説と解析ならほとんど役には立たないですね。

 

昨日の日曜日、長岡新産業卸事業協同組合にお声をかけていただき、MGセミナーを開講して12名の方に戦略MQ会計の世界に触れていただきました。その内9名の方が初のMG体験でした。20180225_103128

 

たった1回だけ、それもワンデーのセミナーでは実際の仕事にすぐに活かしていただくことは難しいですが、それでも役立つ経営数字は経営者自ら作ってチェックすることを感じていただけたはずです。

 

しかも、戦略MQ会計の要素法を用いた戦略会計の仕組みを使えば、誰でもカンタンに必要とする経営数字を手にすることができるのです。

 

別に税理士さんなど社外の専門家の手を煩わせなくても、経営者が自分の手で作れるのです。PCを使わなくても(使えばさらにカンタンにできる可能性も)できますし、とにかく役に立つのです。

 

昨日の参加者の方は、初めてMGを体験される方が大多数でした。きっと、ゲーム後の決算書作りは大変だったでしょうが、しかしこのようにやれば自社の姿をきちんと見ることができことを感じられたはずです。

 

本当はさらに続けて、MGの本セミナー(ジュニアコース2日間)などで学び続けていただきたいのですが、何らかの刺激を受けられたはずですので、今後の行動に期待したいところです。

 

今回はほとんど幹部社員、あるいは一般社員の方でしたが、まだMGを体験されていない経営者や経営幹部の方、創業を目指している方、そして専門家の方もぜひ学んでいただきたいものです。

4月15日新潟駅が変わる

新潟駅の高架化工事、その第1期工事が大詰めに近づいている。すでに、4月15日新しいホームの開業が決まっていて、現在は仕上げの工事が進む。

 

現在の地上駅ホームの1~4番線が高架上に移る。目玉がある、それは新幹線と在来線特急とのホーム上の直接乗り換えだ。

 

新幹線との同一ホーム乗り換え対象となる列車は、羽越線の特急「いなほ」秋田行き・酒田行きだ。

 20180205_154222
これまでは、エレベータやエスカレータ(在来線ホームは昇りのみ)はあるが、階段の上り下りを強いられる場合もある。

 
それがホーム中程の自動改札ラッチを通ることで、重い荷物を持っている旅客や高齢者などにはありがたいことだ。

 
在来線ホームには、特急以外の列車も発着するだろうが、こちらについても乗り換えられることになるだろう。

 
かつて九州新幹線の部分開業時に、新八代駅で「つばめ」と「リレーつばめ」との同一ホーム(対面)新在乗り換えが行われたがそれ以来だ。

 
もっとも、この場合は「つばめ」として1枚の切符で、同一列車が新在に分かれているという感覚で、中間ラッチはなかった。

 
山形新幹線の新庄駅では、同一ホームの南北での乗り換えになっているが、これは実は在来線同士の乗り換えだ。

 
新潟駅の改良工事は第2期に入り、さらに高架でもう1線が増える。それまでは地上のホーム(8番線と9番線)が残る。

 
また越後線は、新潟駅から白山駅東の信濃川橋梁すこし手前まで複線化される。高架上に引上げ線もできるが、現在よりも番線が減るのでどうなのだろう。

 
SL観光列車「ばんえつ物語」号は、高架駅手前の勾配を登るのがきついのと、長時間ホームに留められなくなるので、再び新津発着に戻るのは残念だ。

 
さらには、電車の115系ならびに気動車の40系も、この1~2年で新潟駅から姿を消してしまうことになるだろう。地上駅、高架駅に停車する姿もカメラに収めよう。

 
そんなわけで新潟駅も大きく変わろうとしている。最終的には東西の自由通路が平地になり、広がって商業施設などとともにより便利になるはずだ。

 
まだ先の話ではあるが、楽しみにしておこう。

働き方改革は社員を幸せにするのか?

国会が揺れている、「働き方改革」の審議とやらで。裏付けとなっているはずの統計資料の不備や、「誤魔化し」が指摘されているが、その数も半端な数ではない。

 

特に問題になっているのは、裁量労働制の拡大だ。裁量労働制そのものは昔からあるし、私も中間管理職になるとともにその対象とされたことがあった。

 

正直に告白すれば、私が社長をしていた会社でも、この制度を活用させていただいた。それは、年間の季節変動が大きすぎるので、この制度を活用することで年俸制に近くなるような給与制にするためだった。

 

それを一気に拡大しようというのが今回の法案の趣旨だが、問題はこれが残業代(正確には時間外割増賃金)の圧縮に利用されるということだろう。Photo

 

実際のところ(極端に言えばだが)、この制度の適用ともなれば残業をどれだけやっても、割増賃金の対象とはならない。いや、実際にそういうことが起こっている。

 

もちろん、それを考慮した賃金制度にもなっているというが、必ずしも実情に見合ったものになっているとは言えないようだ。

 

さらにゆゆしき問題があることにも気づいた。なぜ、政府・与党は裁量労働制の拡大に熱心なのか、そこには大企業のニーズがあるようだ。

 

大企業の経営指標の中でも大きなポイントとして取り上げられているのは、総資本利益率と経常利益率だと言われている。

 

そうなると、利益アップのための常識が前面に出てくる。すなわち、売上げを上げる、コストを下げる、経費を圧縮することの3つだ。

 

しかし売上げを上げていくことは厳しい、しかも輸出比重の大きな企業の場合は為替問題が横たわる。コストを下げるのは、とくに下請け泣かせという批判が大きい。

 

そこで経費の圧縮だが、ところが政府からは「支給額の(3%以上)アップ」が求められている。これをいくらか緩和するための方策として裁量労働制がある、とはもちろん表面では言っていない。

 

だが、衣の下から鎧がチラチラと覗いているようだ。となると、「働き方改革」なるものもどうも眉つばものに見えてきてしまう。

 

働き方改革がバラ色に描かれていたり、あるいは今後将来の労働力人口減少に対応していくために切り札のように言われることで、より胡散臭さを感じてしまう。

 

斜めに見てしまうからなのか、どう見ても企業側それも大企業に有利な法整備がされていくように思える。企業数の99%、労働者数の7割を占める中小企業に、果たしてどれだけのメリットがあるのだろう。

 

ましてやその中でも小さな会社、零細企業には恩恵はほとんどない、と断じても良さそうだ。それでも、変化に対応していかねばならない、小さな会社だと甘えてはおれないのだ。

 

働き方改革への傾斜は、遅れても進んでいくだろう。小さな会社は、それなりのやり方で切り抜いていかなければならない。それには会社の上から下までが、知恵と力を合わせることだ。

 

お互いの幸せや働きがいを目指して、生かせる知恵と力を結集していこう。必ずやれる。

主体性を持ちつつ柔軟な対応を

<連載コラム㉞>

さて「自分でやる姿勢」の確立です。これは、高度の主体性の確立ということでもあります。主体性とは、言い方を変えると自分自身の『原則』を持つということであり、これが確立されないと、周囲の勢いや条件にフラフラと流されてしまいます。

 
 
 自分の原則=主体性が土台にしっかりとあるからこそ、他に対して協調や協力もできるのであり、自分の主体性がないところには、周囲からの真の協力は得られないのです。

 
 
 ところが、主体性を持つためだといって、小さなことまで何でも原則にしてしまい、頑固一徹、虚仮の一徹でがんばってしまう人がいます。

 

こうなってしまうと、今度は「自分だけ良しの姿勢」になってしまい、根本的な協調性や協力性を失ってしまいます。

 
 
 MGでも、自分のやり方や狙いに頑固に固執してしまう人がおられます。こうと決めたら譲らない、例えば決してこれ以上はPを下げないと、頑張りにがんばる人がいます。

 

 しかし結局、全く売れないまま行き詰まってしまいます。周囲の状況を見極めながら、柔軟に対応していかなければならないのにです。

Photo

社内MG研修花盛りへの警鐘その2

前回も「警鐘」というタイトルにしたので、今回もそのまま続けることにしよう。でも実は警鐘とかいうおどろおどろしいものではなく、要望あるいは「ちょっと気に懸けてね」ってところなので、気楽に読んでいただきたい。

 

また、別に社内MGに限定して言っているわけではなく、すべてのMG研修について私感・私見を書いていると考えてもらえると幸いだ。

 

西研のMGシニアを修了されて、所定のMG期数を満たした方がやっておられるMGは、私などが申し上げなくても基本をキチッと守っておられるはずだ。

 

ただ、セミナーの現場を覗かせていただくと、たまに「おやっ!?」と感じることに出くわすこともある。例えばルールについての勝手な解釈とか、(特に第1期の)進行具合が気になってしまうのだ。

 

ルールについては、時として西先生(あるいは佳恵先生)が変更を加えられることがある。もちろんそれには理由があり、当初は試しにということだが、やがて定着ルールになることもある。

 

そういう情報は、昨今はSNSなどで伝えられることも多いが、実際に西先生のMGに参加してみることがいちばんだということは言うまでもない。

 

つまり、社内MGあるいは地域でのMGを主催しインストされる方は、年に数回は西先生に直接学んでいただきたいのだ。少なくとも、シニアに1回出たからジュニアはもういいというのは困りものだ。

 

私は昨年1年間で、30回くらいのMGセミナーインストをやった。そして西先生のMGジュニアには12回参加したし、MGシニアにも2年ぶり(通算10数回目)に参加した。

 

20171102_mg10

とりもなおさず、それは常に新しい情報を取り入れるためだ。ついでにいえば、MGシニアも免許更新条件が3年となっているが、私は可能である限り12年に一度は参加することにしている。

 

次に「道場ルール」についても述べておこう。これは今に始まったことではなく、昔からあった。一概に悪いことではないし、社内だけのMGなら基本を壊さない形で必要なこともある。

 

例えば、私がMGを始めた頃にお付き合いしていた地方スーパーの社内MGでは、「投げ売り」リスクカードというのがあって、それを引くと営業倉庫の商品を全部@16円で投げ売りしなければならない。

 

また、借入の限度額が決められていて、長短の借入総額がそれを超えると、長期の借入でも金利が15%に上がり、短期も25%あるいは30%に上がるというのもあった。

 

大地震ルールなど昔はポピュラーなリスクカードだった。また、現在は基本リスクに組み入れられている不良在庫ルールも、最初は道場ルールとして行われ、やがて今の形で取り入れられた。

 

そんなわけで、社内MGの中で実際の業務や業種・業態に合わせた道場ルールが、作られて付加されることは悪いことではない。だが、それはやっぱり社内に留めておいてほしいと思う。

 

中には業界向けのMGが、そういった別ルール・別リスクを加えて開催される例もあるようだ。それを否定はしないが、私自身は参加しようとは思わない。

 

基本を愚直に学ぶこと、それは武道や芸道にも通じることだ。基本を崩さず、本質あるいは真髄を伝えることに、私はこれからも徹していきたい。

<反薩長史観> 長州藩は間違いなしの朝敵

禁門の変、あるいは蛤御門の変と称されている。

 

禁門とは禁裏の門ということで、つまり天皇のおられる御所の各門のことである。もちろん、そこには警備の兵が配置されていて通常の一般人は通ることができない。

 

天皇が住まわれる御所は決して侵してはいけないところなので、禁裏と呼ばれているわけであるが、前回の池田屋事件で書いたように、「勤王の志士」どもはそこに放火しようとしたのだ。

 

池田屋事件で吉田稔麿ら藩士を殺された長州藩の急進派は激高して、すぐにも京都へ攻め上ろうとします。高杉晋作や久坂玄瑞は、拙速だと意見しますが勢いに押されてしまいます。

 

しかも久坂自身は次第に急進派に傾き、自らも「孝明天皇に冤罪を訴えて、八月十八日の政変の恥を雪ぐ」として上京していきます。

 

久坂らは天王山(山崎)に本陣を置きますが、先鋒の来島又兵衛や福原越後は早くも洛中に入ろうとします。朝廷内でも長州シンパの急進派公家たちが暗躍します。

 

これに対して孝明天皇は毅然たる姿勢を守られ、長州藩兵に対して退去命令を出し、そして一橋慶喜や京都守護職の松平容保に掃討を命じます。

 

この時久坂は、天皇が退去命令を出されたのであればやむを得ずとして、命令に従おうとしたと言われます。しかし結局は急進派に圧されるまま、自らも御所に近づこうとします。

 

Photo

洛中での攻防が最も激しかったのが蛤御門です。ここを守っていたのが会津藩兵でしたから、憎しみに燃える長州兵の攻撃も激しいものがあったようです。

 

さらに中立売門や乾門などにも攻め込みますが、薩摩藩兵の応援部隊が入ってこれを阻止します。この時薩摩兵を率いていたのが西郷隆盛であったようです。

 

八月十八日の政変では会津と薩摩はタッグを組んでいたわけですが、禁門の変では薩摩の出兵がかなり遅れています。西郷にもしかしたら迷いが生じていたのでしょうか。

 

久坂が御所に近づこうとした頃には戦闘はもはや終わりに近づき、長州兵は指揮官を失って退き始めていました。もちろん久坂は御所に入ることができず、隣接の鷹司邸に入ります。

 

ここで前関白輔煕に朝廷への建白書(赦免状?)を託そうとしますが、すでに出仕の後でした。結局、久坂らは屋敷内で自害して果てます。

 

こののち、改めて長州藩の追討が決せられ、これが第一次長州征伐につながっていくわけですが、この時点で明らかに長州藩は「天皇に弓引く」朝敵でした。

 

弓引くどころか、鉄砲やあげくに大砲を撃ち込んだわけですので、弁解の余地はありません。洛中も大半が火災によって焼けてしまい、多くの屋敷や寺社、商家などが消失してしまいました。

 

その朝敵が「維新」とやらのどさくさの中で赦免されて朝敵を解かれ、幕府や会津藩等を追討する側に回るなどとは、笑止千万でしょう。

 

教科書にも、こういう市街戦闘があったことと京都の町の多くが消失したということだけが、さらっと書かれているだけというところに、欺瞞を感じざるを得ません。

何よりも実行することが大事

<連載コラム㉝>
 

明元素言葉の続きです。例えば、状況の悪いときや失敗の重なった時など、悲観的で惨めっぽい言葉を使うべきではなく、またそういう類のイメージは、鮮明に描かずに振り払ってしかるべきです。

 201301
 
 逆にわざとでもいいから、たくましい建設的で肯定的な言葉をどんどん使い、また、発展的で創造的なイメージを鮮明に描くように意識、あるいは努力するのが良いわけです。

 

MGでも、リスクカードを引いて「またかぁ」と後ろ向きになると、かえって悪いカードがくるわけではないけれど、気がつかない内に気力が低下してしまいます。

 
 
 こうした点は小さなことのようではありますが、脳の特性の一部として無視できないことであり、とくに進歩発展を目指す姿勢の確立に影響が大きいのです。

 

よく「やる気」とか「精神力」とかいいますが、少しばかり抽象的ですね。意識する、あるいは習慣を作ると表現されることをお勧めします。

 
 
 そして何より実行することが大事で。口先だけで「やる気」を唱えていても、何も変わりません。闘志に火を付けるのなら、実際の一歩を踏み出すことです。失敗を恐れず、まずチャレンジです。

今週は地元活動からスタート

今日はブログお休み日ですが、なんとなく日記風に。

 

昨夜はスピードスケート女子500mの金メダル、小平奈緒さんは素晴らしかったですね。あれだけ期待されて、しかも「金確実」などという声もあり、すごいプレッシャーだったでしょう。

 

Photo

そんな中で勝利するというのは、快挙としか言いようがありません。羽生選手とはまた違った意味で、称賛に値しますね。

 

今回のオリンピックも色々と言われていますが、ようやくスポーツの祭典としての意味が強くなってきたようです。

 

この後も期待種目がありますので、応援していきましょう。

 

さてしばらくは遠方への遠征もなく、地元で活動です。今日は柏崎で、商工会議所青年部さんの勉強会での講演。

 

何年ぶりでしょうか、懐かしい顔にも会えるかも知れません。氣愛を入れて、戦略会計の真髄を伝えていきましょう。

 

久方ぶりの地元活動ですが、今年は少し増やしていこうと思っています。やはり、地元への貢献が一つの夢ですから。

第3回スワールMG終わりました

スワールコミュニケーションズさんの社内MGも、今回で3回目ですが毎回参加人数が増えています。

 

スワールさんのメンバーだけでなく、同じ神戸の三八商会さんやナガサワ文具さんからの参加もあり、3社合同研修と言ってもいいでしょう。

 

しかも今回のセミナーは三八さんの会場での開催、ご縁のある他社の方も多数、遠くは岩手県や九州・福岡からの参加もあって熱気にあふれた2日間でした。

 

初MGの方はいらっしゃいませんでしたが、いつものようにじっくり第1期からキチッと学んでいただきました。

 

初日はゲストである京屋染物店(岩手県の一関市)の社長、蜂谷さんの特別講演。私が常々お話ししている「人間中心の経営」をしっかり実践されています。

 

というよりも、私の話を遙かに超えた素晴らしい「指示なし経営」を実現されています。もちろん一朝一夕にできたわけではなく、時間をかけてじっくりとやられてきました。

 

染め物という、間違いなく「絶滅危惧」される業種の中で、使命を持ってがんばっておられる社長と社員さんの、心ある仕事に大いに感動しました。

 

2日目のまとめ講義の中では、蜂谷さんのお話を踏まえながら「MGの目的」について、語らせていただきました。

20180217_100409

 

次回第3回目は6月開催、さらに盛り上がり学びが深まることを期待しています。

社内MG研修花盛りへの警鐘

西研MGMQ戦略ゲーム)が、時代のブームになっている。開発者である西順一郎さん(80)が講師をされるMGセミナーが、本拠地の東京のほか、ほぼ毎週のように全国各地で開催されている。

 

それに加えて全国に散らばっているインストラクターによる、地域版のMGセミナーもいろんなところで開催されている。毎週のようにたくさんの経営者や社員さんがセミナーに参加され、学んでおられるわけだ。

 

MGが目指すところが、全員経営・戦略経営・科学経営であるから、その真髄を学ぼうとしている方が増えているのは実に望ましいところだし、長くMGセミナーに携わっている身としても嬉しいことだ。

 

一方でまた、企業単位でMGを社員研修としてやられているところも多くなった。いわゆる「社内MGと称する研修で、経営者自ら、あるいは社員の中からインストラクター資格を取ってやられている。

 

規模がそこそこの会社になると、社員全員を外部研修に出すことがなかなか難しい。そこで、社内研修を回数多く実施してできるだけ全員を体験させることになる。

 

大きな会社だと、部門別とか部署別に研修を実施したり、あるいはまた階層別研修として年間スケジュール化しているところも少なくない。

 

私自身も二つの会社で、社員研修としての社内MGをやってきたし、今も毎年何社かの社員研修をお手伝いしている。

 

小さな会社の場合は、社長や幹部社員も一緒に参加することがほとんどだ。その際には、社長の思いやMGをやる目的などを短時間でも語っていただくことができる、というより必須だと考えている。

 

それはMGを単なるゲームとしてだけで終わらせないためだ。社内MGのいくつかを見ていて、どうしてもゲームを繰り返すことが目的化していると感じることがある。

 

楽しく研修すること、それはそれでいい。でも忘れてはいけない、MGは何のためにやるのかという根本的なところを。これを社長はいつも熱く語ってほしい。

 

ある時、こんなことは決してあってはいけないが、MGで「賭け」をやっている会社があった。そこまでいかなくても、ゲームの勝ち負けにこだわってしまうことも皆無ではない。

 

別にMGに限ったことではないが、研修には研修自体の学ぶ目的がある上に、その研修を通して会社をどのようにしていくのかという、一段上の大切な目的がある。

20180216_134702

それは、とりもなおさず自分がどう成長し、進歩発展していけるのかということである。MGならMGを通じて、自分が磨かれ、同時に会社も磨かれていくことだ。

 

繰り返しになってしまうが、なぜMGをやるのか、そしてMGを通して会社が目指しているのは何かということを、どんなときにも忘れないでいただきたい。社長はそのことを、常に語ってほしい。

 

今日もスワールさんの社内MG2日目だが、公開MGと目まがうほどに社外の参加者も多く、そして目的にかなった内容が繰り広げられている。

 

格好をつける必要はない、きちっと基本を守っていくことだ。

 

では良い会社とは何か、それは「人、とくに社員とその家族を大切にする経営」に他ならない。MGで目指すはそういう経営だ。

明元素の「素直に」を実践する

<連載コラム㉜>

「明元素(めいげんそ)」という言葉を聞かれた方も、少なからずいらっしゃいますね。昨今はMGセミナー会場でも時おり聞かれますが、私から言わせると脳力開発を知らずして安易に使うのは、どうなのかなという感じを持っています。

 
 
 明元素とは「明るく元気に素直に」ということですが、どうも明るく元気にのところで止まってしまっている感じで使われているようです。(写真はイメージです)

Photo_2

大事なのは実は最後の『素直に』なのですが、多くの方がこれが何を意味しているのかを深く考えておられないようです。脳力開発の真髄は、ここにあると言っても過言ではないのです。

 
 
 それはまた別の機会に述べることにして、明元素言葉について。日常的に使っている言葉も、イメージと連動して、気分や身体に対して、あるいは物事の実際的結果に対しても大きな影響力を持っています。特に気分は、言葉によって左右されやすい面が大きいのです。

 
 
 したがって、いつでも前向きで積極的な言葉をできるだけ使うように意識し、反対の、後ろ向きで消極的な言葉は極力使わないようにする習慣作りも大いに必要なのです。

 
 
 MGの中でも、状況が悪くなったり厳しくなったりした際にも、明るさを失わない、リスクカードの一喜一憂しないなど、これにつながることは多いでしょう。

 

 だから、MG会場でも明元素という言葉が言われているのでしょうが、もっと大きなポイントは、その現状をありのままに受け入れることです。これが「素直に」の実践です。

反薩長史観・池田屋事件から見えること

池田屋事件というと、新撰組が「起こした」テロ事件だと教科書的には教えられましたが、その真相は真逆に近いものであったことは、すでに正しい歴史として語られています。

 

この事件には伏線がありました。池田屋事件は元治元年(1864年)6月(旧暦)のことですが、その1年前の文久3年に「八月十八日の政変」が起きています。

 

八月十八日の政変は、京都在住の会津藩と薩摩藩を中心とした公武合体派が、尊王攘夷の核となっていた長州藩と朝廷内の急進派公家たちを、京都から武威を持って追放した事件です。

 

政変の前には、長州藩による攘夷の実行(アメリカ商船などへの発砲)があり、外国からの報復攻撃を受けた長州藩が他の藩にも攘夷実行を迫り、尊攘派公家たちが天皇の大和行幸を企画します。

 

これを良しとしない会津藩と薩摩藩が諸藩にも呼びかけ、孝明天皇の了承を得て政変を実行したわけです。これにより長州藩士の多くは帰郷を余儀なくされます。

 

さらに過激派の公家たちも朝廷、さらに京都を追われ「七卿落ち」として長州へ下ります。この事態に長州藩の急進派は激高し、京都奪回を目指すことに血道を上げます。

Photo

久坂玄瑞も、もちろんその中の中心人物として動くことになります。

 

ところで、この政変によっても桂小五郎など一部の長州藩士や、尊攘・過激派の志士たちはまだ京都に潜伏し、巻き返しの機会を狙って「地下での動き」を強めます。

 

そしてついに、とんでもない計画を立て実行しようとするのです。なんと、祇園祭前の風の強い日に御所を焼き打ちし、混乱に乗じて孝明天皇を拉致して長州に連れて行くというものです。

 

この計画を見ても、「勤王の志士たち」が尊王だとまだ唱えることができますか?すでに武器や火薬などは、潜伏先に蓄えられ始めていました。

 

その潜伏先の住人であった古高俊太郎を新撰組が捕獲し、激しい拷問を加えてこのとんでもない計画の自白に追い込みます。その実行打ち合わせが行われる日も特定します。

 

しかし、どこで打ち合わせが行われるかがはっきりせず、新撰組の近藤勇(局長)は隊士を二つに分け、近藤自身が率いた10名ほどが池田屋に踏み込みます。

 

2階にいた過激派志士たち20余名に向かって斬り込んだのは、近藤たち4名とされています。逃げ出す者が多かったようですが、当然ながら激しい斬り合いになったのは言うまでもありません。

 

松陰門下の四傑の一人だった吉田稔麿も命を落とします。この時斬られた志士たちは後に新政府から「殉難七士」と呼ばれますが、とんでもないテロを実行しようとした彼らをですか!?

 

これをもってしても、薩長史観の欺瞞性が分かるでしょう。どうみても新撰組の方が正義であり、志士たちの方が悪者であるとしか思えませんがいかが。

 

なお、桂小五郎は事件が起こる前にさっさと逃げ出しており、その後京都にしばらく潜伏して後、芸者幾松とともに但馬の出石に逃亡していきます。

 

この事件に、久坂たちはさらに激しい怒りを爆発させますが、どちらに非があるのかハッキリしていますから、久坂もまた尊皇ではないと断言できるのです。

 

次はいよいよ禁門の変(蛤御門の変)です。

進歩発展を目指す姿勢の根本は戦略

<連載コラム㉛>

目的(目標)意識というのは、脳力開発の指針その2である「進歩発展を目指す姿勢」と、一体関係にあります。

 

進歩発展の成果をより積極的に、より確実に産んでいくためには、目的・目標をいつでもしっかり確立し、明確にしていく習慣が不可欠です。

 

この目的・目標を、厳密には少し違いますが「戦略」と言います。戦略を確立した際に、「そう決めたんだ!!」という決心(意志確定、覚悟)を、いちいち自らに確認していくことの繰り返しが要となります。何度も何度も、意識付けを繰り返すことが大事なことなのです。

201302

MGにおいても、最初に決心した今日の目標を、色んな場面で確認して意識付けを強めることをやっておられますか?

 

実際にゲームが始まると、状況の変化によって途中で諦めてしまい、まぁいいやと投げ出してしまってはいないでしょうか。「原点に返れ」とはこういうことを言うのかもしれません。

 

こんな時に大切なのは、実は自分自身の言葉やイメージです。うっかり口をついて出る嘆きの言葉、思い通りにいかずについてしまうため息、リスクカードを引いて思わずイヤだと叫んでしまっていたり。

 

ところが、そういう言葉やイメージが気分や体に影響を与えていることに、意外と気が付いていないものなのです。

「LINE@」にチャレンジします

三連休はMGセミナー(インスト)で充実していました。

 

今週はもう一つMGセミナーがあり、こちらも2日間インストいたします。

 

そんな中ですが、新たなことにチャレンジするために準備期間に入っています。そのチャレンジは「LINE@」の活用です。

 

Line

すでに大いに活用されている方には、なんだ今頃と思われるかも知れませんがね。これもまた60(歳)の手習いならず、「66歳の手習い」です。

 

きっかけは、これまではミクシィに始まり、ビジネスSNSのWizliそしてツイッターとフェイスブックと、次々に活用を模索してきました。

 

そんな中でLINEも個人的には少し、試しにやってみると言った程度に使っていましたが、今のところは添え物という感じでした。

 

ところが、LINEとは別にLINE@という存在があり、ビジネス活用で成果を上げておられる事例をいくつか紹介してもらい、なるほどこれはやってみる価値があると感じたわけです。

 

なにしろ「第一感を信ずる」人間ですので、まずはやってみようということです。とりあえず、MGパートナーの柴橋さんに教えてもらい、LINE@のアカウントだけはとりました。

 

しばらくは使い始めの設定をのんびりやりながら、まずは情報を知るところから始めていきます。なにしろ、最初の設定でもう要修正という状況ですので。

 

来月くらいには、まずはMG仲間の皆さんに発信できるくらいにしようということで、しばらくは準備期間です。

 

どこまで自分のビジネスに役立てていけるか、いろんな意味を込めてチャレンジして参ります。「紙は自分で」ですが、教え合いもよろしく。

MGは「教えない」からお互いに学べる

再び雪の新潟を離れて、この三連休は埼玉県です。関東の晴れ空を見ていると、それだけで暖かさを感じます。

 

さて、昨日から始まった「第6回こしがやMG」セミナー、参加人数は少ないモノの正に精鋭セミナーという感じです。

 
初MGの方もいらっしゃれば、今回が2回目、あるいは期数を重ねたベテランの方とうまくバランスのとれたメンバーで、お互いの学び合いが充実しています。

 20180212_6_13_49
MGの基本は「教えない、教え合う」ですが、この「教えない」ということがなかなか難しいことなのです。どうしても教えてしまうのです。

 
特にMGを初めて期数を重ねてくると、私自身もそうでしたが、初心者の方の手が止まっているとすぐに「ここはこうして、ああして」と具体的に口を出してしまいます。

 
中には、自分でやって(差し上げて)しまう方もおられますが、確かにその方が進行は早まるのでしょう。しかしそれでは、その初心者の方の勉強にはちっともなりません。

 
じっと我慢できるように、すなわち本当に「教えない」姿勢を作れるまでは、私自身もかなりの年数、期数がかかりました。

 
どうやったらこの人に学んでもらえるのか、ようやくそういう気持ちになれたのは、いつ頃でしたでしょうか。

 
いずれにしても、MGを学ぶ皆さん、教えすぎは禁物ですよ。もちろん手を差し伸べることは必要ですし、常に自らも相手と一緒に学ぶ姿勢を忘れませんように。

 
では今日も、良い学びを求めてセミナーに臨むとしましょう。

建国記念の日ということに思いを馳せて

今日は建国記念の日(「建国記念日」ではない)、日本書記によるとカムヤマトイワレビコノミコトが大和の橿原の宮で即位したとされる。カムヤマトイワレビコノミコトは神武天皇のことだそうだ。

 

明治時代には紀元節として建国を祝う祝日であった。戦後廃止され、やがて祝日として復活した頃私は中学生だったが、周囲の空気は「軍国主義の復活につながる」という声が多かった。Photo

 

私もその意見に与していた。日の丸・君が代も素直に受け容れないという考えを持つ、ひねくれた少年だった。

 

大学時代はノンポリ学生だったが、左翼的な意見に共感して時には反戦デモに参加し、「米帝打倒!」「自民党政権打倒!」を叫んでいた。

 

しかし考え方というのは変化してくるものだ、それは正しい歴史を学んだからかもしれない。もしかしたら最も左寄りに行く先に、ぐるりと回って最も右寄りの考えがあったのかも。

 

日本を愛する青年(ナショナリストだと言われた)になったのだと、自分では思っていた。当時の仲間たちは「転向だ」と私を非難した。

 

今は身近な人たちからも「右翼的だ」と言われている。当たってないとは言わない。国を愛し、日の丸・君が代を素直に受け容れ、建国記念の日も祝える。

 

でもそれはごく自然なことではないか。オリンピックで日の丸が揚がり、君が代が流れたらホロッと涙がこぼれる。しかし戦争につながるような動きには、懸念を持っている。

 

憲法9条は素晴らしいと思う、確かに時代に合わせて変える必要はあると思うが、少なくともその理念と歴史的ベースは守ってもらいたい。

 

ナショナリスト=右翼ではないし、皆が改憲ではない。国を愛し、国を護らなければという気持ちの強さや、心の方向、あるいはどういう手段に依るのかということではないのだろうか。私でいえば護憲であり、それ故に改憲をも支持する。

 

さて建国の日である。確かに神武天皇は神話の中の天皇だが、間違いなくそれに類する史実が古代に存在したのだと思う。

 

神話の中の建国であっても、私はそれを素直に祝う。その時代にまだ「日本」とも呼ばれていなかったのだろうけど、間違いなく古代の日本人が国を造ったのだ。

 

日本書紀が、どういう背景で編纂されたのかということはここでは問題にしない。何らかの意図があったのだとしても、確かに神話として創られた「古代人による裏付け事実」があったのだと、私は信じているのだ。

 

そして私もその古代人から、ずっとつながっているのに違いない。神話の中の荒唐無稽なことをと、おっしゃる方に問いかけたい。では、あなたにとっての国(日本)とは何か、日本という国はいつできたのか?と。

立春寒波がようやく抜けたけど

今週は立春で幕が開きましたが、春どころか強力な、数年に一度とかいう「立春寒波」に襲われて大変な一週間になりました。

 

何でも西回りで寒波が次々に流れ込んできたとかで、とくに北陸地方、とりわけ福井県には昭和56年の「五六豪雪」いらいの大雪が降り積もったそうです。

Photo

56年の時には数日かけて降り積もったらしいのですが、今回は一晩で一気に積もった雪で除雪が全く間に合わず、鉄道も道路もマヒ状態になったようです。

 

そういえば先月上旬の寒波では、新潟市が同じ状況になって郊外の我が家でも80センチ以上の雪が一気に積もり、にっちもさっちもいかない状況でした。

 

この時も寒波が通常の入り方ではなく、やや西回りにやって来たとかで、普段なら佐渡島が壁になって新潟市にはそれほどの雪が降らないのに、その壁をすり抜けた雪雲が暴れまくったそうでした。

 

これらはどうも偏西風の蛇行あたりが主原因らしく、オリンピックが開催される平昌の冷え込みも、同じ原因ではないかと言われています。

 

ようやく立春寒波は峠を越えましたが、来週にはまた次の寒波と雪雲がやってくるそうで、今回のようではないとしてもこの先も油断ができません。

 

おそらく企業活動も、大きな影響を受けたことと思います。自然のなせる技だけに、また予測を遙かに超える一気に大雪だけに、対応がどうしても後手に回ったことでしょう。

 

企業活動への影響は特に次の二つが大きかったと思われます。

 

一つは、社員さんの通勤に大きな支障が出たこと。道路の渋滞や通行止め、鉄道の運転見合わせなども長時間つづきましたので、丸23日間休業を余儀なくされた事例もあったようです。

 

もう一つは物流のマヒ、国道でのトラック大渋滞はもちろん、鉄道貨物も空路輸送も全面的にストップしてしまい、製造の材料が不足した工場や販売品がなくなるお店などが続出。

 

あらかじめ予測して在庫を積んでいても、その予測を超えればどうしようもありませんし、例えば生鮮品などは在庫を積んでおく訳にもいきません。

 

雪国ではない地域の方にはなかなか想像もつかないことだと思います。私自身も、1990年に新潟県長岡市に移ってくる前には、全く考えられないことでしたから。

 

雪はやみましたが、うずたかく降り積もった雪が溶けるのには、まだまだ相当の時間を要します。たかだが2030センチしか積もらなかった我が家の周りの雪でも、いつ溶けてくれるのかなという感じですから。

 

それでも地道に除雪し、雪の山を少しずつ崩し自然の熱に委ねるしかないのです。

 

企業活動も元通りになるには、少し時間がかかるかも知れませんね。トップから社員さん、あるいはパートさんに至るまで心と力を合わせて、平常への復旧にがんばってまいりましょう。

 

くれぐれも体調を崩されたり、ケガをされませんように。

環境・条件に流されず、条件を活用していこう

<連載㉚>

MGで、相手の青チップに圧倒されたり、材料仕入のめぐりも良くないし、リスクカードも悪いカードが連続してやってきます。そんな状況の中で、あなたはどういう気持ちになっていますか?どうして打開していこうと思われていますか。

 201803_cfmg
 
 条件に流され支配される行き方ではなく、『条件とは活用するものである』という気持ちに立って、いつでも仕掛ける側、攻める側に回れば良いのです。主導・能動の側に立てば、楽しめることにもなりますし、漸進的な成果も出るものです。

 
 
 相手が、自分の思い通りの手を打ってこないことは、最初から織り込み済みのはずです。色々とやってくることが、こちらの邪魔になることもあるでしょうし、こちらのやることがスラスラと運ばないことも。それこそが「ゲーム」の楽しみの本質のはずです。

 
 
 ゲームなら理解できることでも、いざ仕事や家庭などの実生活の場になると、この基本を忘れてしまい、ひどく嘆いてしまったり、惨めな気持ちになったりすることが 少なくないようです。

 

意識して根本を見直し、土台習慣を改めて明確にし、再度向上志向を強めてみましょう。

 

 この次のMGでは、うまくいかない時にこそチャンスだと気持ちを切り替えて、今までやったことのない手をやってみるとか、何らかの切り替えを自分でやってみることです。ならばもっともっと愉しくなるはずです。

「戦略を創る」のは経営者の仕事

戦略と戦術についてです。

 

これまでも何度か取り上げたテーマですが、先日あるセミナーに出席したところ、講師の方が参加者に向けて「戦略とは何か、戦術とは何か」と問いかけられましたので、改めて取り上げてみます。

 

私も脳力開発セミナーやMGの社員研修でも、同じような問いかけをします。自信を持って答えられる方はほんの一握りで、その答も残念ながら的を射る答でないことがほとんどです。

 

また、大多数の方は「分からない」という顔をされます。「違いは?」と聴いていますので、さすがに戦略と戦術とは同じものという答は出ませんが、それでも近い(近似な)ものだと思われているようです。

 

以前にも書いたことがありますが、相変わらず本屋の棚には戦略本と題する本が並んでいます。そのほぼ99%が戦術本だと、私は断定します。(写真は数少ない戦略本)

Photo

正直に言いまして、まともに戦略について書かれた本にはほとんど出合いません。期待を込めて読み始めて、がっかりすることのなんと多いことか。

 

さて、ここでは我が師・城野宏さんの言葉を借りましょう。

 

曰く、戦略とは「打撃の方向」であり、戦術とは戦略達成のための手段、方法、道具などである。

 

つまり、世の中の大多数の通称「戦略本」は、手段、方法、道具などを紹介し、その使い方や活用・応用法について書いてあるわけです。

 

ところで、ここが非常に大事なポイントなのですが、戦略と戦術をキチッと区別できるようになるだけで、経営の質が大きく変わり、当然ですが結果が変わって来ます。

 

区別するだけでホントに?と思われるかも知れませんが、本当です。

 

あなたの会社にも経営理念(あるいは創業理念とか経営指針)があるはずです。ないという会社は論外であって、もしないのであれば是非とも創らねばなりません。

 

この経営理念が、会社の進むべき方向を明らかにしているはずであります。つまり戦略と呼べるものであるはずです。経営理念を見れば、人を大切にする会社かどうかも一目で分かります。

 

その理念達成の手段や方法として、経営計画がつくられ、さらに具体的な政策が組み立てられます。計画以下はすべて戦術と言っていいでしょう。

 

中には計画も戦略として考えておられる専門家もいらっしゃいますが、私はそこから以下がすべて戦術だという捉え方をします。

 

戦略すなわち経営理念を創るのは、経営者にとって一番大切な仕事です。社員の皆さんや外部スタッフの意見や助言を活用することは大事ですが、最終的に決めるのは経営者一人です。

 

そこには経営者(社長)の夢やロマンが満ちあふれ、強い決意・決心と覚悟が込められています。まさに、会社が向かうべき方向を指し示すこと、それが戦略の決定です。

 

城野宏さんはこうも言われました、『戦略は大胆に、戦術は細心に』と。

反薩長史観・池田屋事件前夜の京都

尊王攘夷といいますが、これは本来別物であって一体ではありません。尊王ということについて考えてみれば、日本(人)は古代からずっと尊王であり、江戸幕府もまたその一線を守っています。

 

自ら天皇になろうとすることが「反尊王」であるとすれば、明らかなのは足利義満と、もしかしたら織田信長くらいでしょうか。弓削道鏡は自ら目指したかどうか、孝謙天皇がそれを望んだのか微妙なところです。

 

徳川将軍は、たしかに公家諸法度などで朝廷を圧迫はしましたが、政権自体は天皇から委嘱されたものでしたし、言うなれば公武合体に常に心を配っていたといえます。

 

一方攘夷は、外敵を排除しようという思想であり施策ですが、開国することと矛盾するものではありません。幕府の官僚たちは諸外国事情を誰よりもよく知っており、武力による攘夷が危険なことを知っていました。

 

それでも、相手(諸外国)が我が国を侵害しようとするならそれは排除する(戦う)、そのためには富国強兵や兵制の近代化をすぐにもやらなければならないと考えていました。

 

孝明天皇のお考えも、根底には夷狄(外国人)嫌いがありましたが、あくまで平和的にということであったと思います。また、外国との交渉を含めて政治向きは幕府に委任しているという根本発想です。

 

ところが、京都市中で「勤王の志士」と名乗る暗殺屋たちが跋扈し、次々に血祭りに上げていく様子をみて大半の公家たちは怖じ気づいてしまいます。

 

その中で声を大きくしていったのが攘夷派の公家たちです。その代表が三条実美(写真)であり、それを後押ししたのが久坂玄瑞をはじめとする長州藩士たちでした。

Photo

三条たちは次々に天皇に諮ることなく勅(偽勅)を乱発し、志士と名乗るテロシストたちはその偽勅をネタに過激行動を繰り返していきます。

 

何しろ当時の京都においては、京都守護職である会津藩士の武力が幕府側最大のものでしたが、一方の長州藩の勢力は他藩の過激派を含めるとそれを遙かに超えるものでした。

 

その武力を背景に、久坂たちはどっちつかずの公家たちを圧迫し続け、さらに過激な行動を繰り広げていったわけです。図に乗っていたといってもいいでしょう。

 

ところがこの長州藩士たちが、今日の町衆には意外と人気があったのです。それは彼らが花街でお金を落としてくれたからといわれています。それに比して会津藩士は堅物で、あまり遊び歩かない。

 

では島原などで遊ぶことの多かった新撰組の方はどうか、こちらも一部の乱暴狼藉者を除けば、決して嫌われてはいなかったようです。

 

話が横にそれました。いよいよ「池田屋事件」前夜です。

 

この事件の背景とされる事実を見れば、いかに長州藩士を主とした志士たちが無茶苦茶であり、尊王を標榜しながらその実は真逆であったことが証明されます。

 

明治新政府が、この事件を新撰組という暗殺集団による、有能で前途ある志士たちへの殺戮だった、と定義した理由がわかるというものです。

 

その中心人物は木戸孝允、すなわち事件当時の桂小五郎ですが、桂自身はうまく逃げおおせます。では、次回は池田屋事件の経緯を正しく見ていきましょう。

MGでも環境や条件のせいにしてはいけない

<連載㉙>

現実の状況(確定的事実)を作り上げている要因、あるいは環境のことを条件とも言います。現状にまだつながっていない条件も存在しています。この「条件」は流動的なものであって、固定しているものではありません。

 
 
 ですから、今悪くとも(悪要因であっても)将来は良くなるかも知れませんし、その逆のこともあるわけです。人間の活動次第でどちらにも動くものだ、といった方が正解でしょう。

 
 
 悲観的な気分に支配される習性というのは、今の断面のまずい、悪い側の一面(一部)の条件だけを見て、「それに流されるよりしょうがない」という極めて受動的、被動的な姿勢から発しています。

Photo_2

まさに土台が『人頼り』であり、現状に甘んずる姿勢と言えます。

 
 
 こうした姿勢に基づくと、いつも「疲れる」結果となります。疲れるというのは、ともかく精神的姿勢がかなり後ろ向きで、受動的になっているとき、特に逃げ腰になっている時をいいます。

 
 
 MGの研修でも体験されていることでしょう。何をやってもうまくいかない、こちらがやろうとした先の先を相手にやられてしまう。いざやろうとすると、リスクカードに邪魔をされてしまう。

 

 こんなとき、気持ちの上で疲れを感じて「どうしようもない」と思ってしまいませんか。条件の悪さがさらに重なって、ちっとも展望が開けない、、、と。

経営の三要素は「ヒト・ヒト・ヒト」に尽きる

昔も今も経営の教科書を開くと、経営の三資源とか三要素という言葉が出てきて、それは「ヒト・モノ・カネ」だと定義されている。中にはこれに情報を加えて、四要素と書いてある本もある。

 

あるいは「人材、技術、情報」を三要素と定義してある本にも、お目にかかった。その多くが、中でも大切な要素は「人(ヒト)」ですと書いてあるのだが、それ以上の展開はなされない。

 

一昨年から法政大学大学院の坂本光司教授が主宰されている、「人を大切にする経営学会」に参加し、学ばせていただいている。

 

その以前から坂本先生の著書に接していたが、そこから引き出せることはMGや脳力開発を通じて学ぶことと、ほとんどイコールであることに気がついた。

 

気がついて学会の門をたたいたわけだが、そこで多くの事例に接することでますます意を強くしている。あるいはまた、MGや脳力開発の中で少し勘違いしていたことが見事に修正できた。

 

言うまでもなく、ベースに流れる考え方は「人が中心」あるいは「人が第一」である。つまりは「ヒト・モノ・カネ」ではなく、「ヒト・ヒト・ヒト」である。

 

考えてみれば自明の理で、モノもカネもヒトが自在にかつ有益に使うものに他ならない。さらにいえば、ヒト次第でどうにでもなるものだ。同じ1円を使っても、それ以上になるかならないかの差である。

 

こんな計算もある。ヒトが毎年10%増しの力を発揮すると、10年も待たずして倍の成果になる。逆にたった1%毎年手を抜いた仕事を積み重ねると、10年を待たずに一割ダウンの成果しか得られなくなる。

 

脳力開発では、ヒトは自ずから持っている脳力の3%前後しか普段使っていないとする。しかし、ヒトはそれだけしか使えないかというと、実は10%でも20%でもあるいはもっと多くの脳力を使えるのだ。

 

出し惜しみしているわけではないのだが、結果としてはそうなっている。だから脳力開発では、意識を持つことと同時に行動することを提唱する。それによって、容易に10%以上の脳力発揮ができる。

 

MGはそういう脳力開発の提唱を、実地訓練する場だと位置づければ良い。脳力開発ではわかりやすく、いくつかの指針に分けて解説するが、MGでその一つ一つを意識して取り組んでみると良い。201803_2

 

さて、話を人を大切にする経営学会に戻すと、毎年「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞アワードが、春先の3月に開催されている。

 

今回が第8回目になるが、私は昨年の第7回に初めて参加した。受賞企業のスピーチが素晴らしい、経営者と社員さんが一つになって「よい会社」にしようと努力しておられる。

 

満々たる優しさの中に妥協のない厳しさがあり、またそれを温かく包み込み風土がある。

 

MGや脳力開発を学ぶ企業も、是非このレベルを目指してほしいなと思う。インストラクターとしても、そのことをもっともっと伝えていかなければと感じている。

 

今回はスケジュールの都合で懇親会に出られないのは残念だが、スピーチの中から心を体感してこよう。

 

その感動を、セミナーに参加して下さる皆さんにきちんと伝えられるように。

MG 脳力開発 戦略経営も立春リスタート

今日は二十四節季の一つ、立春ですね。旧暦では、この日が一年の始まりということになっていました。

 

年の節目というわけで昨日が節分、言い換えれば大晦日でありました。1年間の厄払いというわけで、豆まきなどを行うわけです。

 

そして立春になると、禅寺では早朝に「立春大吉」というお札を貼ります。これはいったい?Photo

 

縦書きでは左右対称になりますね。そこで玄関にこの紙を貼っておくと、邪鬼が玄関を入っても、ふと振り返ると先ほどと同じ紙(実は裏側)が見え、再び玄関を入るつもりで出て行ってしまうわけです。

 

さて立春、新年で春が立つということは春のスタートというわけですが、気候的にはまだまだ冬。今日日曜日には、新たな「立春寒波」が西日本に襲いかかるようです。

 

日本海側も当然のように雪、どうも今年の新潟市は積雪が多いなぁというのが偽らざる感想。先月11日に降って積もった雪が、自宅の裏側にはまだ除雪した残塊として残っています。

 

気温も平年より低めの日が続いていたので、日陰になる裏側の雪がなかなか消えないのですが、そこに新雪が降り積もるのでますます溶けずに残ります。

 

春という実感には遠いのですが、それでも自宅の西側の晴れば日の当たる土の上の雪は、比較的順調に消えていきます。やはり土の持つ保温力でしょうか、土の力はすごいものです。

 

そういうことでいえば、春のスタートというよりも「春を感じ始める頃」と表現した方が良さそうですね。実際の春は、春分を待つことにしましょう。

 

それでも暖かい地方ではそろそろ梅の花が咲き始めますし、早咲きの河津桜も咲き始めます。例年だと、2月の下旬には三浦海岸のセミナーに出かけ、河津桜を見るのが楽しみだったのですが。

 

今年はその日にズバリ仕事が入ってしまい、「仕事優先」ですのでお花見はアキラメました。

 

ところで、2月と言えば確定申告が始まりますが、私の方は個人事業の青色申告と一緒に、毎年受付日前に提出するのを旨としています。

 

昨年は26日の提出でした。ことしは暦の関係で1日早い5日、つまり明日には新潟税務署に出向いて提出の運びです。そういえば、昨年も雪が降った日だったかも知れません。

 

申告書提出が終わりますと、今月はセミナーがつづきます。MGセミナーがワンデーを含めて3つ、戦略会計のセミナーと倫理法人会モーニングセミナーの講話が一つずつです。

 

他にも勉強会があり、いわば春から学びに充実という感じです。

 

皆さんも、改めていいスタートがきれますように。

コラムページの表現をより具体的にしてみました

これまでは「小さな会社のマネジメント」として、経営についての私見を書いてきましたが、もうちょっと明確に表現した方がいいというアドバイスをいただきました。

 
イメージ的にはこれまで通り「小さな会社」を意識して書いていきますが、書いている内容は大きな会社にも当てはまることだと思っています。

 
こういう言い方をすると叱られているかも知れませんが、大会社といっても組織を分解してみれば、小企業とそんなに変わりません。

 
そういう小企業(体)の集合体が中企業、あるいは大企業ではないかと。大きくは間違っていないと考えていますが、いかがでしょうか。

 
これまで書いてきたコラムも、その多くはMGや脳力開発に関連している内容だったわけですが、これからもそのアウトラインは続けていきます。

 
もちろん、MGと脳力開発にとらわれることなく、それに関連して学んできている純粋倫理やTOC、戦略マンダラ・MY法、その他諸々のことにも触れていきます。

 
でも、実際に経営現場で自分自身が活用し実践してきたこと、あるいは企業へのサポート活動の中で採用、実践していただいたことがあくまで主体です。

 
見てきたようなウソは書けませんから。T_20170312_mg8

 
ただし、実際事例をまじえるといっても、コンサルタントとしてクライアントに対する守秘義務がありますので、そのあたりはデフォルメしたり、他のことに置き換えることはあります。

 
また、信頼できるパートナーたちから見聞したことについては、彼らの承諾の範囲で引用することがあります。すでに世に広く出ていることについてもです。

 
同時に、このコラムのタイトル&リードも変更します、というよりすでに変更済みです。

 
ブログの新しいタイトルは、『MG 脳力開発 戦略経営のVAN研』です。リードについては、『人財づくり支援家・VANちゃんのブログ』としました。

 
趣味のコラムや歴史への私見も、時々これまでと同様に入れていきますので、大要は変わらないはずです。が、より「経営感覚」を強めに出して参ります。

 
これからもどうぞよろしくお願いします。

<連載㉘> トップの脳力発揮が足りない

会社や組織の中では、現状を『変革』するという言葉が使われますが、現状を現実、変革を理想と言い換えますと、前回までに説明したようなことと同じことだと分かっていただけると思います。まさしく、変革=到達点とは、現状=出発点がかなりまずい状態だからこそ出現するのだと言えます。

 
 
 
誰かが口で『変革』と唱えたくらいではとても実現されない、という現実の状況だからこそ、単なる言葉だけではない本当の変革が必要なのです。

 

本当の変革とは、本質的な変化あるいは創造的変化を指します。その実現には実際的活動が不可欠であり、それこそが仕事なのです。

 
 
 そして、単純に思い通りに運びはしないからこそ、脳力をフルに駆使、発揮して変革を推進していかなければならないのです。変革は一人から始まりますが、そこから周囲の協力の結集によって、実現していかねばなりません。そういう結集がリーダーの役割です。

 
 
 MGも社長一人がしゃかりきになってやっているだけでは、会社や組織への落とし込みにはほど遠く、いかに社員を巻き込んでいくかが成功へのカギになります。

 

 社員がちっとも参加してくれないとか、熱心にならないで困っている、そんな声をよく耳にします。自分はこんなに一所懸命なのに、というのです。

 
 
 申し訳ありませんが、それは社長たるあなた自身が悪いのです。まだまだ脳力の発揮が足りない、あるいはポイントがずれているといって間違いありません。しかも、他人は思い通りには動かないのですから。
20180128_mg5

反薩長史観・尊皇でなかった勤王の志士

明治維新からちょうど今年で150年になるという。そこで、なんだかお祝いムードを高めて景気を浮揚させようというまではそうかなですませるが、ついでに憲法の改正も一気にというわけにはいかないだろう。

 

第一に、明治維新という言葉自体が使われ始めたのは、明治の時代もかなり進んだ頃らしい。明確な答えは知るよしもないが、少なくとも150年前にはなかった言葉だ。

 

当時は維新という言葉も使われていなくて、一部では「御一新」と称されていたらしい。ところが新しいことというが、ハッキリ言って何か新しいものやことが打ち出されたのかというと、甚だ疑問である。

 

明治初期に行われた一連の政治改革などを指すらしいが、それらが果たして改革だと言えるのか。またそのスタートとなったのは大政奉還だというなら、明治維新ではなく「慶応維新」というべきではないか。

 

おそらく明治維新という言葉を唱え、流行らしていったのは薩長政府とりわけ長州人たちらしいと推察されるのだが、これがやがて「昭和維新」につながって、第二次大戦における敗戦に結びついていく。

 

昭和維新が叫ばれた最初は、どうも「5.15事件」そして「2.26事件」の頃らしいが、どうにも血のにおいがしていけない。早い話が卑劣なテロだ。

 

そんなわずか80年くらい前のことを、日本人はもう忘れてしまったのか。維新を名乗る政党もあちこちにあるようだが、歴史を知る人には不気味な響きではないだろうか。

 

さてテロの話であり、テロリストたる久坂玄瑞の話である。

 

まぁとにかく、井伊直弼暗殺後の徳川幕府は弱体化が進んでいく。もっとも、幕府の官僚たちが弱々しく、また世界情勢に無知であったわけではない。

 

少なくとも、当時の朝廷の公家どもや、長州を中心とした過激派(そう、勤王の志士よりはこの方がふさわしい)たちの誰よりも、有能で世界情勢にも通じていたのは幕府の官僚たちだった。

 

この事実はもっと教科書にも載せるべきだと思う。その代表は小栗上野介忠順であり、今に残る横須賀の造船所は彼の企画によってスタートしたものだ。Photo

 

勝海舟も加えてもいいが、彼の場合は幕府の足を引っ張る言動の方が多かったように思われる。それでも世界情勢に詳しかったわけは、彼が幕府にいたからだろう。

 

そのたあまたの精鋭官僚たちが幕府を実際に動かしていたのだが、それにくらべると久坂玄瑞などは数段も数十段も落ちる。人間の質も比べるまでもない、何しろテロリストだ。

 

人格とか品格という言葉があるが、久坂をはじめとする長州人たちのそれは全くひどいものだ。何しろ殺戮は平気だし、脅迫もお手の物だ。脅迫された公家たちが天皇に背いて、偽の勅を乱発していた。

 

だが彼らは「尊皇」を標榜していた。これが真っ赤な嘘であったことは言うまでもない。尊皇なら、偽勅をこしらえたり、それを利用して自分の行動を正当化するようなことはしない。

 

孝明天皇は確かに「毛唐(異国人)嫌い」ではあったが、彼らと戦争しろとは言われていない。彼らに国を危うくさせられてはならないというお気持ちだったし、第一に幕府への政治委任をやめるとは言われなかった。

 

むしろ、京都守護職であった会津候・松平容保を心から信頼しておられた。久坂らの行動は、そういう御心を裏切るものだ、楯突くものだと断定してよい。

 

その証拠を、次回は見ていこう。

« 2018年1月 | トップページ | 2018年3月 »