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VAN研(ヴァンガード経営研究所)

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三現主義でないトップの方が不思議だが

三現主義という言葉を知っておられることでしょう。

 

「現場」に足を運び場を確認する、「現物」を手に取り物を確認する、「現実」をこの目で見て事実を知ることを徹底して行うことですね。

 

トヨタのカイゼンとかホンダの品質管理は、この三現主義がベースになっていると言われます。販売・サービス業でも、市場や顧客の声を聞くことが大切と言われる所以でもあるでしょう。(写真は本田技研工業)Photo

 

私も現役の頃は、まず第一線の小売り現場すなわち販売店に足を運び、実際の状況を自分の目で見ることを心がけていました。

 

また、会社の中では商品倉庫を巡回して在庫状況、あるいは出荷状況をつぶさに観察するのが日課でした。日々の経営数字も自分で眺め、分析をして事実を把握することに努めていました。

 

この三現主義、もちろん非常に重要であり徹底して行うことを勧めてはいますが、さりとて何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言います。そこのところについての私見を書いてみます。

 

全国のあちこちに本社の他に支店、営業所あるいは工場のある大会社ならともかく、小さな会社では、経営者の目の届く範囲が即現場ではないでしょうか。

 

私の会社でも、自分の席から事務所のすべてが眺められ、社員さんの一挙手一投足はもちろん、来店される方もすぐに確認ができました。

 

事務所からほんの少し足を運べば会議室と加工室、倉庫と出荷・着荷場があり、階段をトントンと上がればそこはメイン倉庫でした。

 

アナグマのように社長室に籠っていては見えませんが、私は(元)社長室は応接室としてだけに使い、自分のデスクは事務所の一隅に置きました。相棒はパソコン1台です。

 

そこは視覚の範囲で会社の動きがほとんど見えるところでしたし、お客様や仕入れ先などとの電話のやりとりも、それほど聞き耳を澄ませなくても聞こえました。キーボードをたたけば、必要なデータが画面に出ます。

 

あとの現場と言えば、実際に私たちの商品を売っていただいている小売店頭ということになりますが、営業マンが作ってくれる重要度表によって、足を運ぶ頻度や回数を調整して出向きました。

 

普段はほとんど、担当者からのデイリー情報を信頼して、よほど確認が必要と感じた時にだけ直接足を運びました。問題が発生した際、特にクレームなどの時には担当者とすぐに同行していきましたが。

 

それ以外は、年末年始のご挨拶くらいだったでしょうか(笑)。

 

何が言いたいか、、、三現主義とくに現場主義は悪くはありませんが、やり過ぎはどうかなぁと思うのです。本当の姿を見ることは大切ですが、「見せられたもの」だけ見て判断しないことが重要です。

 

規模が大きくなるにつれて、そういうリスクが高まるようです。例えば、社長が現場にやってくる時にだけ、かっこうをつけるなどということ(あってはいけないことですが)です。

 

現場情報が常に真実とは限りません。それをしっかり見る目、見抜く目をトップは持たないといけませんね。見せられたものに惑わされることにないよう、しっかりと判断し、意思決定をされますように。

 

小さな会社のトップは、社長室のアナグマにならない限りそれができるはずですから。

<連載㉗> 理想の到達点は現実から遠いもの

現在の条件、すなわち「現実(現状)」の周囲状況が望ましくなく、出来が悪いからこそ求めたい「理想」なるものが登場して、それが大きな意味を持つものです。

 

現実と理想の対比、脳力開発でなくても、常にどこでも問題となるポイントです。

 
 
 そして理想とは到達点であり、たいていの場合現実という出発点からはかなりの隔たりがあるものです。だからこそ理想だというわけです。Photo

 
 
 ところが、理想が明らかになった(成立)段階で、とたんに嘆きが入る人が多いこと、多いこと。いわく、現実がひどすぎる、悪すぎる。周りがみんな分かってくれない、周りが馬鹿ばかりで、理想に向かってちっとも進まない、進められないと。

 
 
 これは理屈に合わない論理的矛盾ではないかと、脳力開発では言っています。現実はこうだと言っているにもかかわらず、だからこそ求めるべき理想を描いているのに、その前提である現状を嘆いているのですから。

 

要するに、人頼りの姿勢や現状に甘んずる姿勢、自分だけ良しの姿勢の統合から発している結果だと言えます。

 
 
 これをMGに置き換えてみればわかりやすいでしょう。どうしても思い通りには売れない、利益が上がらず自己資本が上がらない。

 

 自分は一所懸命やっているのに、相手が販売入札で下をくぐってくる、安い材料を買っていかれる、青チップを増やしてもさらに増やされる。来たくない卓に来ちゃった。こんな感じでしょうか。

利益感度分析があなたの会社を救う

MGで学ぶことの中で、実際の会社で使えることは数多くあるが、中でも飛びきり役立つものがいくつかある。その一つが利益感度分析(Profit sensitivity analysisPSAだろう。

 

これを最初に学んだ時は、正直に言ってどれだけ役立つ物かは実感がなかった。その時の私の仕事が、直接にはこの分析を役立たせるものでなかったからだ。

 

それでも、渡された資料を基に各社の利益感度分析をしている内に、ひょっとしたらこいつは実務の中で活かす機会があるのじゃないかと考えるようになった。もう30年近く前のことである。

 

この利益感度分析(以下PSAという略を使う)は、いわゆる損益分岐点による経営分析と軌を一にしているわけだが、普通の教科書には書かれていない。少なくとも、私はお目にかかっていない。

 

いわゆる教科書流の損益分岐点(売上高)は、ごく一面を語っているに過ぎない。ということも、このPSAを学ぶことで理解できた。20180128_134224

 

ということは、企業がその顧問税理士(やその事務所)からもらっている経営分析資料は、損益分岐点については部分的に正解だが、肝心のポイント資料が不足しているということになるだろう。

 

だいたい、「損益分岐点は4つあるのだ」などと書いた教科書には、ほとんどお目にかかったことがない。それどころか、多くの経営者はそんなことは初耳だというだろう。もしかしたら経営や会計の専門家も。

 

しかし、このことが分かっていないとPSAにはアプローチできない。古典的な損益分岐点公式から計算される資料だけを取り上げていては、正しい経営などできるわけがない。

 

例えば売上高が1億円の会社があったとしよう。この会社の損益分岐点は8千万円だと、資料に書いてあるとしたら、経営者はそこまで売上が落ちても大丈夫だろうと考えるだろう。

 

顧問税理士も、中小企業診断士も銀行の担当者もその線でこの会社を指導するだろう。

 

しかし、上に記したように損益分岐点は4つあるので、売上高が8千万に落ち込む以前に赤字に転落するという危険性は、大いにあり得るのだ。

 

それはともかくとして、私が引き受けた(引き受けさせられた?)会社を建て直すために、活用した手法はこのPSAであった。

 

損益分岐点が4つあるならば、利益感度(PS)も4つある。ここではその詳しい解説は省略するが、その4つとはP(売価)感度、V(原価)感度、Q(数量)感度、そしてF(経費)感度である。

 

多くの経営者(や専門家たち)は、利益を引き上げるためには「売上をアップし、コストダウンをし、そして経費を節減する」ことだと考えている。

 

もちろん、私の会社がPSAを活用して実務でやったことも、結果としては売上アップにつながったが、決してコストダウンは目指さなかったし、そうならなかった。

 

しかも、経費は「再建5カ年計画」の間に1.4倍以上にした。具体的には給料や賞与をアップし、新たな採用も行い、教育費をそれまで以上にかけ、販促費も充実して使った。

 

しかし、利益(経常利益)はスタートの前年と比較して、10倍以上を記録できた。なぜそんなことができたのか、その真髄はMGにある。

 

経営者たちも専門家たちも、MGを真剣に学んでみてはどうか。

佐々木杯・柏崎MGに参加しています

今回の強力寒波もようやく峠を越えたようで、今朝の新潟・柏崎は氷点下の寒さではありますが、風も収まって波も少し静まりました。海の向こうには佐渡もうっすらと見えています。

 

電車なども今朝は始発から平常通りに動いているようですが、これでおしまいというわけではないようで、まだまだ雪マークの予報が出たままです。

 

そんな中で昨日から佐々木杯・柏崎MGが開催されています。各地から皆さんがいらっしゃいますので心配しましたが、幸い少し遅れた方もおられましたが、予定の顔ぶれがそろいました。

 

佐々木杯は、新潟にMGを広め全国のモデルとなる80年代を創られ、惜しくも87年に39歳で急逝された佐々木隆さんを祈念して行われているMGセミナーです。

 

当初は新潟(点塾さん)でスタートし、その後柏崎MG会にクリスタルが引き継がれて今に至っています。今回は大雪の中ですが4卓で開催されています。

 

私は先週のなにわシーガルMGに引き続き、「なるようにやる」というスタイルですが、なかなかエンジンがかかってきませんね。

 

それでも、ご都合で来られなくなった西先生の代役インスト、延命さんの「さすが」の解説、進行に感心することしきりです。私のインストの中にも、色々と取り入れさせていただきます。

 

さて2日目、体勢の整のわないままに第4期です。しばらくは、じっくりと形をつくるところからやらなければなりません。目標はやや低いところに置きましたが、それでもなかなか厳しいと感じています。

 

でもやるしかないですね、やれるという気持ちをもって。

 

しっかり朝ごはんを食べましたから、目標に向かってGO!20180128_070839

信越本線普通電車15時間余立ち往生の真因は

この冬最強の寒波だと、ニュースが繰り返している。何年かに一度の寒波だとも言っている。しかし、確か2年前にも大雪と強風で交通が大混乱した。

 

当時は新潟県長岡市に住んでいたが、強力な融雪設備を備えている長岡市ですが、道路渋滞があちこちでおこり、JR在来線は除雪が間に合わずに全面運休となった。

 

今回はそれに比べるとそうでもないという感じがしている。確かに気温は低く、一昨日などは新潟市でも真冬日であった。それでも、前々週の大雪で大混乱の時よりずいぶんマシだ。

 

山雪と里雪があって、前回は里雪で今回は山雪だったらしい。その分、山間地を走る鉄道や道路の不通が目立っている。

 

そういえば前々週の大雪では、信越本線で普通電車が雪を巻き込み15時間以上も立ち往生した。雪国に住んでいない人が、あれこれと批判をしていたが、少なくとも現場の対応は8割方正しかった。Photo_2

しかし、除雪車を出すのが遅れたとか、出す時点での不備とかは紛れもないことだ。特に今は除雪車のほとんどが鉄道車両ではなく、鉄道機械なのが問題だ。

 

昔の除雪は鉄道車両による「除雪列車」が主体だった。速度も遅く、除雪時間はかかったが出動に際してスムースにできた。また、職員数も多く周辺住民の応援確保も日頃から準備がなされていた。

 

今は、除雪車両は数を減らし、車両のほとんどは「機械」だ。レールの上を走るのだから同じだろうと思われるかも知れないが、大きな違いがある。

 

車両は、ATSなど線路を普通に走るための装置を設備していなければならない。機械にはそれが不要ではあるが、機械が通常線路上を走る際には「線路閉鎖」という措置が必要となる。

 

最近の除雪機械は、かつての除雪車両よりもずっと性能がいい。出動してしまえば、その能力を存分に発揮するだろうが、前段階の処置がスムースでなければ意味がない。

 

今回はそれに手間取ったらしい。現場状況が正しく伝わっていなかったのか?そうではないと思う、列車無線もあるから状況は運転士なり、車掌から状況連絡は運転センターに伝わったはずだ。

 

問題はそこから先の伝わり方だろう。おそらく、除雪機械の出動までには何段階かの伝達、あるいは上申が必要だったに違いない。それが遅かったが、よくあることだ。鉄道だけのことでもない。

 

立ち往生した区間は豪雪地帯ではない、ただだだっ広い平野で風が強く吹きだまりができやすい上に、視界不良になることも多い。周りの道路も狭い。

 

もう一つ問題点がある。合理化がどんどん進んで、駅の側線や中線がほとんど廃止されていることだ。一部は除雪用に残しているところもあるが、多くの駅が追い越し・追い抜きができない配線になっている。

 

頻繁に除雪はしたいが、そのたびに線路閉鎖をしなければならないし、待避線が少ないから閉鎖区間がどうしても長くなる。だからいざという時まで除雪出動できない状況なのか?それはおかしな話だ。

 

駅の無人化も進み、駅からの人員出動や駅を基点にしての活動ができにくくなっている。致し方ないといえばそれまでだが、大雪時くらいは臨戦態勢がとれるようにはならないか。

 

立ち往生はやむを得なかったが、さすがに15時間余というのは長すぎる。システムや規則の問題が明らかになったのだから、二度と起こらないことを鉄道ファンとしても望みたい。

<連載㉖> MGはいつも第1期からスタート

脳力開発では、現在の自分あるいは自社の状況をきちっと捉えることが重要だと言いますが、それは全て「現時点での条件」です。言い換えれば、ここが出発点だということです。

 
 
 真の価値は、今ここから遂げていく進歩発展にあるのです。それは自分の努力で作っていく「創造的変化」のことであり、その創造的変化を『変革』と呼んでいます。

 20170312_mg10
 
 変革を成し遂げていくこと、なんだか難しそうだなと思われましたか?でもやることは当たり前のことの積み重ねだということを、まず知っておいて下さい。

 

 以前にも言いましたが、「よし、できる、やろう(やり遂げるんだ)」という気持ちが大切です。

 
 
 今ここ、つまり現時点という「現在の客観的条件」が何であろうとも、断じて強い決心・覚悟、そして信念と誇りを持っていることが大事なのです。言い換えますと「自分が主人公」であり、リーダーなのだという強い心です。

 
 
 MGはそれを体現、体感し、行入して体験を積み重ねていく研修・講習です。しかも、条件はみんな平等、同じところから第1期がスタートします。一人一人が社長、つまり主人公でありリーダーなのです。

反薩長史観・鞍馬天狗はエエもんではない

小さい頃は娯楽の主流は時代劇映画で、ようやく始まったテレビドラマでも時代劇が多かったと記憶しています。「鞍馬天狗」などもその一つで、当時は鞍馬天狗の活躍にワクワクしたものです。

 

そう、ドラマの中では「勤王の志士」がエエもんで、それをつけ狙い惨殺しようとする新撰組などがワルもんでした。勤王の志士危うし、そこに颯爽と馬に乗って現れる鞍馬天狗。

 

バッタバッタと新撰組を倒していき、やがてまた颯爽と去って行く。カッコええなぁと子供心に思い、チャンバラ遊びでも天狗は無理でも、勤王の志士になりたかったものでした。

 

そんな頃から、もう薩長史観が体の中に染み込み始めていて、思考が毒され始めていたというわけです。吉田松陰の伝記も読んだ記憶がありますが、それはそれはかっこいい教育者でした。

 

今では全否定とは言いませんが、9割否定というところでしょうか。

 

勤王の志士、それはまさしくまがい物の志士であり、単なる無思考のテロリストたちであったことは今さら言うまでもありません。多くの志士が攘夷という言葉に踊らされ、その中身もよくは知らない、無知蒙昧な輩でした。

 

そんな志士が大きな顔で闊歩している京の都に、京都守護職に任じられた松平容保に率いられた、会津家中の武士たちがやって来ます。かれらは、文字通り武士中の武士でした。

 

松平容保は当初「話せば分かる」の姿勢で臨んだようですが、志士どもは会津家の駐屯地(金戒光明寺=黒谷さん)にやって来ては吞み食いして、また天誅を繰り返す有様だったとか。

 

ついには足利将軍三代の木像から首を切り落とし、それを三条川原にさらすという暴挙に出ました。ここに至ってさすがの容保も、完全に切れてしまいます。

 

新撰組が組織され、やがて会津家中に組み込まれたのはその少し後ですが、彼らは近藤勇と土方歳三の元で、治安維持集団としての組織を固めていきます。特に土方は、厳格な掟を作って内部を引き締めます。

 

その新撰組の名を一気に高めたのが池田屋事件、元治元年(1864年)初夏の話です。Photo

 

この事件、真実を知るまでの私は新撰組の暴挙と思い込んでいました。有能で将来の日本を担うべき志士たちを、新撰組という暴力集団が襲い惨殺したと。

 

善は志士たち、悪は新撰組だと思っていました。ですが、明らかに真実は逆です。池田屋に集まった志士たちが決行しようとしていたことは、京都中を火の海にして反対派を抹殺し、天皇を拉致すること。

 

その目論見が新撰組や会津候に知られてしまったので、決行日を早めようと画策したものでした。そこには桂小五郎(のちの木戸孝允)も加わっていましたが、かれは事件直前に姿を消しました。

 

まさに「逃げの小五郎」です。もちろん事件後「指名手配」されますが、うまく逃げおおせたのは悪運のよほど強い男であったのでしょう。それが日本にとってプラスだったかは疑問ですが。

 

池田屋事件で惨殺された中には松陰門下の四天王の一人、吉田稔麿(重傷・脱出後に自刃)などもいて、そのことに久坂玄瑞は憤りを覚え、新撰組と会津家憎しの心を固めます。

 

この瞬間に、過激な扇動家であった吉田松陰の遺志を継ぐ、テロリスト・久坂玄瑞が誕生したと言えます。

 

なお池田屋は人手に渡り佐々木旅館として残りましたが、後に廃業して建物も壊されます。今はビルが建っていて、「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑(写真)があります。

ワイガヤ会議・バズ会議はうまくいくか?

会議の工夫ということでは、小さな会議・短い会議を頻繁にやるという会社もあります。会議とは呼ばずにミーティングとか、セッションと名付けているところも。

 

そういう工夫をされても、会議の目的とか目標を定めていなければ、結局中身のないもので終わってしまい、時間の無駄になってしまうことは言うまでもありません。

 

そのほかにリーダーシップが未熟あるいはリーダー不在で、せっかくの場が単なる井戸端会議になってしまって、結論に至らないこともあるでしょう。

 

そこで反省がなされて、「会議の活性化」対策なるものが協議されたり、中には「会議活性プロジェクト」なるものを創出した会社がありましたが、これなどは本末転倒、笑止千万といったところでしょうか。

 

脳力開発セミナーではバズセッションという手法を紹介しています。いわゆるブレーンストーミングのやり方を取り入れて、より発言が頻繁に出るようにいくつかのルールを設けたものです。

 

これを早速自社の会議・ミーティングに採用された会社がありました。この会社でも従来は月次の会議がいくつもあり、しかもそれぞれが半日以上の長時間会議でした。

 

脳力開発でやっているバズセッションは基本が2時間まで、その範囲でまとめや結論に至ることをめざしています。その会社では2時間、および3時間(90分ハーフ制)とされました。

 

また、わいわいガヤガヤやるというわけで、これも何かの本から情報を得られたようですが、「ワイガヤ会議」と名付けてスタートされました。Photo_2

 

この会社の取り組み、さてどうなったと思われますか。

 

結論から言いますと、半ば失敗、半ば成功でした。

 

失敗というのは、1つは相変わらず会議の性格として報告事項が多く、報告時間を制限したものの資料の多さを集約しきれなかったこと。報告が主体になってしまう弊害はなくならず、結論が出ない傾向が続きました。

 

そして、わいわいガヤガヤはいいのですが、いつしか「声の大きい」意見が通ることが多くなり、とくに社長や社長に近い幹部が出席すると、どうしてもそちらの報告や発言に流されがちになりました。

 

そういった傾向をコントロールできるリーダー(ファシリテーター)の不在、このネックが克服できなかったことも大きな要因でした。

 

そのために会議の趣旨とは異なる情報の話が飛び出し、そちらに流されてしまうこともあったようです。あるいは、逆に社長や幹部不在の際には、不満の吐き出し的な意見が多くなることもあったそうです。

 

要は、会議時間ややり方のせいだけではないのです。もっと大事なことが欠落していたか、あるいは弱かったことにうまくいかない要因がありました。

 

脳力開発では、バズセッションの目的と着地点=何をするかという具体的目標=を、あらかじめきちんと伝えておきます。企業内の会議でも、最低限それだけはやらなくてはいけません。

 

それさえ示し、時間配分も決めておけば、「会議は踊る」状態あるいは「小田原評定」などにはなりません。ワイガヤ会議は発想の展開や自由発言など、プラスの要素も多いのです。(写真は小田原評定ゆかりの北条氏繁栄の礎を作った北条早雲の像)

 

それを活かしていくための最低限の要素を、明確にして望んでいただきたいものです。

<連載㉕> 脳の力をかなり遊ばせている

脳力開発では、自分に関わる全ての人やものを、大きな目的の方向に向けてみんな有意義に、プラスに活用していけるようにと教えています。

 

況んや、嫌いな人や苦手なもの、あるいは自分に反対意見を持っている相手でもです。そうでなくては、脳の力をかなり遊ばせていることになると。

 
 
 ですから、どんな人間でも「活かしていこう」という心構えを根本に持たないと、高いレベルの人間の力、集団の力(組織力)を発揮させることはできません。Photo

 
 
 逆に、この心構えを根本に置いただけで、日頃から嫌いな相手とかやりにくい不都合だと思っている相手に対しての、気持ちや態度が変わってきます。つまり、人間関係のあり方が大きく違ってくるというわけです。

 
 
 MG研修では、ベテランも初心者も同じテーブルの中でゲームを行います。多くの研修では、何度も受講しているメンバーと、初めて受けるメンバーとを明確に区別します。

 

 またMG研修では、ゲームに強かろうが弱かろうが、PQ(ゲームでの売上高)によって「順番に」卓を分けられます。

 
 
 そうやって、様々な条件や場面を作り出して、それにどう対応していくかという「試し」あるいは「体験」を積んでいくわけです。やりにくい相手、天敵とも言うべき相手、一から十まで指導しないといけない初心者。どう向き合うか、繰り返し体験するのです。

MG効果を見る二つのチェックポイント

週末研修(MG)がつづきます。この土日は大阪で「なにわシーガル」MG、そして今週末は地元新潟の柏崎で、「佐々木杯柏崎」MGです。

 

どちらもMG開発者の西順一郎先生のインストですが、ところが変われば参加者も変わり、雰囲気というか空気感が違います。その変化を愉しむ、そこから新たな効果を得る。

 

そう、MGのめざすところは「効果」です。いや、MGのみならず、どんなセミナーや研修でも「効果」が自分自身や自社にもたらされなかったら、何の意味があるでしょうか。

 

世の中には、セミナーや研修が花盛りで、私のようなちっぽけな個人事業の会社にも毎日のように案内が、メールやSNSで送られてきます。一応目を通すのですが、それだけでも結構大変です。20170129_mg1

 

私の場合はどういう内容やテーマのセミナーに出るのか、大枠を決めていますので迷うことはありませんが、皆さんはどういう基準で選ばれているのでしょうか。

 

何人か「セミナー好き」な経営者の方を知っています。その中のお一人は、私から見ても「よく行かれるなぁ」と感心をします。まさにセミナー好きです。

 

MGにも「MG好き」な方が、いらっしゃるようです。幸いなことに、しっかりと目的を持っている方が多いので心配はありませんが、中には首をかしげてしまう方もいらっしゃらないわけではありません。

 

バロメータがあります、MGには。一つは、その会社の社員さんも(一緒に)参加されているか、あるいはまたその方はマイツール(PCソフト)を使うようになられたか。

 

私はその二つをチェックポイントにしています。もちろん、さらに推し進めてその会社が「変わった」かというポイントもありますが、これは実際の会社を見てみないと分かりません。

 

しかし、二つのチェックポイントは簡単に見る、あるいは耳で聞くことができます。

 

この土日のMG研修の中でも、西先生が「いくら(MG)期数を重ねても」という話をされました。コンサルタントとして、あるいは企業研修のインストラクターとして仕事をしている私にも、とっても重い言葉です。

 

私の関わっている企業が良くなっているか、人材が育っているか、自分の向けての鋭い言葉の刃として受け取りました。今年の新たな戦略目標に、しっかり加えていきます。

 

幸いなことに今のところは、進み方にはいささか気にかかる会社もありますが、どの企業も方向を間違ってはいないようです。でも歩みは着実に、脳力開発的にいえば「一口ずつ、一歩ずつ」です。

 

気を引き締めて、今週末の柏崎MGに参加して参ります、新たな気づきを求めて。

山椒は小粒でもぴりりと辛い

金曜日の夜から「なにわシーガルクラブMG」に参加しています。ところは、池田市中心から少し離れた伏尾という山間。

 
この伏尾には、小学生の頃に遠足(ハイキング)で来たことがあります。もう58年も前のことですが、当時から比べると周りには住宅が増えています。

 
そんな環境の中でのMGセミナー、若手のなにわシーガルクラブが幹事として主催するようになって今回が3回目です。

 
今回のMGから、「MGを愉しむ」ことに重きを置いています。もちろん、これまでのMGでもいつも愉しんでいたわけですが、いろんな「重し」を取り払ってみようと思ったわけです。

 
例えばこれまでは、単年度たりとも赤字を出さないようにとか、常に「A卓」にいようとか、あるいはまたいつも表彰状を目指してなどいろんな目標を作って愉しんでいました。000_1

 
それを、「愉しむ」ことだけにしようと思ったわけです。特に理由などありません。その方が面白いかなと、ふと感じただけです。

 
何もかにもが変わりました。もちろん楽しいです、最高に学べています。これまでとは見えているものが違います。

 
原点に返ったなどと、大それたことは言いませんが、あるいはそれに近いのかなと感じています。周りがすごくよく見えます。

 
そんなわけで、2日目。ちなみに第3期が終わって現在の自己資本は240。ゆるゆるとやって300に戻せばいいかなという程度。でも無理はしません。

 
零細企業ですから、人材は2人だけで機械も小型機械だけ。教育にかけるお金はなく、ただ品質は業界でもトップを目指している、それくらいでしょうか。

 
ただ、今日の2年間は少し方向を変えることを模索します。山椒は小粒でもぴりりと辛い、といった程度のことですが。

 
では大いに愉しみます。

脳力開発シニア講座へのいざない

戦略は大胆に、戦術は細心に。脳力開発・情勢判断学の提唱者、故城野宏先生の至言です。

 

その意味するところを、実際の経営やMG研修を通じて追い求めてきました。ようやく自分自身の言葉で語れるようになった、そう実感して昨年開講したのが『脳力開発シニア講座』です。

 

今年も、神戸では3月から、そして東京でも4月から3ヶ月おきの3回講座として開講します。定員は最大でも10名、少数精鋭でじっくりと真髄を学び、感じ取っていただきます。

 

3回の講座は、脳力開発11の指針の中から、私が最も重要としている精神的姿勢の確立から3つの指針をテーマとして展開します。

 

その3つとは、

1) 自分で主体的にやる姿勢をつくろう/人頼りの姿勢をやめよう

2) いつも進歩発展をめざす姿勢をつくろう/現状維持の姿勢をやめよう

3) 他人の利益もはかる姿勢をつくろう/自分だけよしの姿勢をやめよう  です。

 

上記のように、いずれも対比(志向)で学んでいただきます。すなわち、「やめよう」という姿勢を明らかにし、常に意識してやらないことで、めざす姿勢に近づいていきます。201800

 

また、単に頭で理解する(理入)だけでなく、ケーススタディのバズセッションを通じて疑似体験的に学んで(行入)いただきます。

 

これは学んだことはすぐに使う(知識はすぐに使う習慣をつくろう)指針にも、つながっているのです。

 

また、3回シリーズの中で冒頭に書きました戦略と戦術、つまり戦略は大胆に、戦術は細心にということにもアプローチします。戦略と戦術を正しく区別できると、行動が大きく変わります。

 

そうです、脳力開発のめざすところはあなた自身の意識と行動の変革、なのです。

 

変革とは、ちょっとだけ変えるといった程度のものではありません。改良とか改善といった、生やさしいものでもありません。時には、これまでの自己否定になることすらあるでしょう。

 

脅かすわけではありませんが、そのくらいの覚悟をもって参加していただければと思います。なぜなら、あなたやあなたの会社を取り巻く環境は、これからもますます大きく変化していくでしょうから。

 

その変化に速やかに、そして的確に対応できる力を持っていただきたいのです。

 

3月からの神戸講座、4月からの東京講座、スケジュールに合わせてクロスで学んでいただくことも可能です。同じことを両方で(最大6回)学ぶこともできます。

 

それぞれの講座をスポットで受講していただくこともできますが、可能であれば、3回の講座をきちんと受けていただくことをお勧めします。

 

ぜひ、ご参加をお待ちしています。
ホームページからのエントリーはこちらからどうぞ。
http://www.vanken.jp/

<連載㉔> 嫌いな相手も動員する度量をもつ

MG研修でも、今日はこのような最終結果を目指そうとか、こんなことにチャレンジしてみようと決めたことは、それを戦略と名付けていますが、これは容易に変えてはいけない原則と言えます。状況の変化や、周囲の相手の出方によっても、原則として守っていくべきものです。T_cimg3140




 



 しかし、実際にやろうとしている手段・方法、すなわち戦術は臨機応変に変えていっていいのです。同じ市場のライバルに対しても、時には対立で進むべき時がありますし、それよりも協調や協力のスタイルの方がうまくいく時もあるはずです。

 



 現実の世界、つまりビジネスの現場を想定しても、嫌いな相手や苦手な相手が全くいないということは、少ないことでしょう。時には、そういう相手が同じプロジェクトのメンバーだったりすることもあります。

 



 嫌いな相手や苦手な相手を敬遠する、自分とウマの合う相手や自分の好む相手とだけしかやっていけないような、狭い範囲の展開では、レベルの低い脳の使い方になります。

 

 事を成す、特に大きな仕事には「人の動員結集」が最重要な仕事になりますから、それに対して大きなマイナスを自ら作り出してしまうことになりかねないからです。

過激で幼稚な長州人の攘夷と実行

最近、相次いで薩長史観への反論書が出版されるようになりました。そのいくつかに目を通しましたが、うなずけるものも多々あるものの、いささか感情的なものも少なくないようです。

 

ちょうど今年は明治維新から150年ということで、その評価を巡っての諸説が公にされていくのでしょうが、学界は相変わらず史料偏重らしく、天地がひっくり返るような「事実」はなかなか出てこないようです。

 

そんな中で先日のTV番組で、「坂本龍馬暗殺は誰が指示したか」というテーマでの話がありました。このテーマは維新史の中でも常に論議を呼ぶところであり、私のブログでもやがて触れることになります。

 

その中では、意外な人物が「黒幕」として取り上げられ、それはこれまで封印されていた龍馬の書簡から証明できるとのことでした。しかし、私の感想ではそれはいささか無理があるなぁというものでした。

 

いささか荒唐無稽な発想かも知れませんが、龍馬を切ったのはその場に相対していた中岡慎太郎ではないか、そういう思いが私には強いのです。中岡も重傷を負い数日後に死にますが、龍馬に切られた?

 

真相は藪の中です。でも、龍馬と中岡が言い争いになり互いに太刀で斬り合いになった、そこへかねて龍馬を狙っていた幕府見廻組が踏み込んだ。やはり、無理な発想でしょうか。

 

さて、話を久坂玄瑞に戻しましょう、これが当面の本題ですから。

 

玄瑞をもって「幕末の英雄」と評する論が多く、長州の英傑として語り継がれていますが、以前から申し上げているように、私はそれにはとても与することができません。

 

高杉晋作と並べて「松下村塾の双璧」、あるいは「松陰門下の四天王」などと呼ばれていますが、間違いのないことは、松陰の『狂気』の部分を色濃く引き継いでいるということでしょう。

 

ことに、松陰が安政の大獄で刑死してから、その傾向が一層強まります。師が老中暗殺を口にしている際には止めに入り、師から罵倒されていたのに、死後はむしろ最強硬派に転じます。(写真は長州攘夷派が出入りしていた品川塾の土蔵相模跡)Photo

 

ただ、その思想はまだ未熟なものではなかったかと思われます。ありていにいえば、学びが浅かったということ、過激(で幼稚)な尊皇攘夷思想から一歩も抜け出せていません。

 

ですから、攘夷決行日に関門海峡を通った外国船に大砲をぶっ放す、その先頭に立っていたわけですが、その試みは見事に失敗に帰します。

 

正しい海外情勢への認識や、外国船を一方的に攻撃したらどうなるかという先を見る力がなかった、そう断言しても良いでしょう。こんな男が英雄・英傑であるとは、どこの押したら言えるのでしょう。

 

結果的に長州(と薩摩)が幕府を圧倒して新政府樹立にこぎつけたから、その先駆者として評価されたに過ぎないわけで、(歴史にイフは禁物ですが)逆になっていたら、単なる跳ね返りの無法者です。

 

関門海峡での外国船砲撃の前に、久坂たちは英国公使館焼き討ちも決行しています。これには高杉も参加しており、他にも伊藤(のちの博文)や井上(のちの馨)らも一緒でした。

 

この品川御殿山の公使館、実はまだ建設中(ほぼ完成)だったものですが、燃え上がる火を見て喜ぶ姿は、単なる放火魔といったところでしょうか。

 

多額の建設費(一説に8000両)を無駄にしただけで、歴史の大勢にはほとんど影響のなかった事件です。こんな子供じみた放火遊びが、長州尊皇攘夷の口火であったなどとは笑止千万です。

インテリジェンス情報は社長自身が作れ

前回は情報の洪水というお話を書きました。それでも大会社の場合には、それなりの情報部門や企画部門があって、トップや幹部の元には一応整理された資料が届けられます。

 

それでも質より量ではありませんが、とても読めもできないくらい膨大な資料が山積みになった会議のことを事例として紹介したわけです。

 

ひるがえって小さな会社の話ですが、私がサポート依頼をいただいて訪ねたとある会社でも、立派な(?)情報管理ソフトなるものを使って、様々な資料を「製造」しておられました。

 

社長にお話を伺うと、著名なコンサルタント(会社)の講演会やセミナーに行って、このソフトを使って戦略的な経営活動をやっている事例を聞き、「大枚を払って」導入したそうでした。

 

そのセミナーの事例は、業界でもやや大手クラスの企業で、お訪ねした会社から言うと正直なところ「雲の上」の存在と言うべき企業でした。

 

どんな風にこれらの資料を使われていますか?と質問しましたら、毎月の全社会議や中間のチェック会議に参加者全員に配り、それをベースに会議をやっていると。

 

経営管理資料、業績管理資料、営業管理資料、在庫管理資料、その他いくつかの「○○管理資料」と名付けられた資料のページ数は、ざっと670ページというところだったでしょう。

 

年商が10億円クラスのこの会社で、こんなに多くの資料が果たして必要か。というのが、私の偽らざる感想でした。しかも、パラパラとめくってみてみると、そのほとんどがデータ、あるいはインフォメーションレベル。

 

つまり、社長が経営レベルの判断や意思決定に使えそうな、いわゆる「インテリジェンス」情報と思えるものはほとんど見当たりません。これでは、ハッキリ言って役には立ちません。Photo_3

 

ところで私への要望は、こうやって出てきている情報を元に「マトリクス」分析などをやりたいので、指導をしてほしいということでした。

 

それはそれでいいでしょう、データ・情報から必要なものだけを取り出して、「インテリジェンス」情報に加工して経営判断や意思決定に使おうというわけですから。

 

しかし手法をいくらレクチャーしたところで、形だけの資料しかできあがらないでしょう。まずはこの膨大な資料を整理整頓する方が先ですねということをお話ししました。

 

また、そういった「インテリジェンス」情報を元にどうしたいのか、というトップの『戦略』を明確にすることの方が先決です。

 

そして、できれば社長自身や経営幹部自身が「インテリジェンス」情報を作る、それこそ真っ先にやってほしいことです。自分で作れなくても、ほしい情報のイメージくらいは伝えられなければ。

 

その意味ではMGをやっている経営仲間は素晴らしいなと思います。彼らのほとんどは、自分で必要な情報を作り上げます。利用するデータや生情報は同じでも、アウトプットが違うのです。

 

自分が必要な「インテリジェンス」情報は自分で作る、そのためのデータや生情報はメンバーから提供してもらうとしても、小さな会社のトップはかくあるべきです。

 

あなたはどうですか?ゴルフも宴席もいいでしょう、それ以上に必要なことを忘れてはいませんか。

<連載㉓> 妥協と降伏の分岐点は『原則』

衝突を防ぐ相互間の調整方法についてお話しします。主張・意見や行動方向等を含めて、希望という概念で考えていくことにします。

 
 
 ひとつは、容易に譲れない、変えられないという決心(ルール)を伴う性質の、「原則」として扱うべき希望(の範囲)です。そしてもうひとつは、譲っても良い、変えても良いという柔軟な対応をする性質の、「非原則」として扱うべき希望(の範囲)です。

 
 
 対処方法ですが、前者の範囲に入れた「希望」に対してぶつかりを起こしている場合は、「闘う」か、もしくは「降伏する」のどちらかになります。一方、後者の範囲に入れた希望に対しては、「妥協する」(協調する)という対処になるわけです。

 
 
 「降伏」とは、譲れないと決めたはずの「原則」を容易に譲ってしまうということを指していますから、言い換えれば主体性の放棄になります。(降伏のイメージ=白旗)Photo_2

 

これに対して「妥協」の方は、譲っても良いと決めたことを譲るのであり、あくまで「原則」を守るという範囲内で、相手や周囲との強調点を設けることを指しています。

 
 
 ただ、原則は永続的にずっと変えてはならないという性質のものではなく、時には変えても良い、もしくはむしろ変えるべき場合があります。

 

MGにおいても、最初にこれと決めた作戦や戦術を、どこまでもかたくなに守っていこうとする人がいますが、状況や条件で柔軟に対応して行かねばならないこともありますね。

「佐渡ブロック」をすり抜けて大雪に

最強最大とかいう寒波が荒れ狂った先週が終わり、新しい週がやってきて晴れた空を見るとホッとします。それにしても大雪でした、新潟市は平年の8倍くらいとか。

 

新潟というと豪雪のイメージが強いのですが、それはとくに魚沼地方であって、新潟市はそれほど雪が積もることがありません。日本海から列島を襲う雪雲が、佐渡島の山並みにブロックされるからとか。

 

そんなわけでせいぜい5センチとか10センチくらいしか新潟市内では積もらないのが、今回は気象測定場所でなんと73センチも降ったわけです。吹きだまりなどでは1メートル近い積雪になっていたはずです。Photo

 

我が家の前も70センチを超える積雪に見舞われ、駐車場から玄関先、そして車もすっぽり雪に覆われてしまいました。土曜日にはこれを除雪、というより雪の中から掘り出した感じです。

 

豪雪地帯にある長岡市には新潟にやってきて20数年住みましたが、長岡市は雪への備えが万全で、小さな通りでも地下水などによる融雪パイプが敷設され、除雪車も早めに出動してくれます。

 

一方新潟市は消雪パイプの設備はほとんどなく、除雪車の両数もそれほど多くないそうです。そのために、轍(わだち)ができた道路は走りにくく、速度もかなり落とさねばなりません。

 

また除雪した雪を捨てる場所もあまり確保されてはいませんので、そのまま道路の端に高く積むしかありません。その分道路も狭くなります。降雪の多い地域の方がかえって支障が少ないくらいです。

 

とはいえ、いくら備えがあったとしても、それを上回るドカ雪が降ればダメです。今回の新潟市の降雪も一気の降り方でしたから、いろんな対応が間に合わなかったようです。

 

道路もそうですが、鉄道の方も信越本線で普通電車が15時間半も立ち往生してしまう時代がありましたが、これも備えがあってもいざという対応が後手に回ってしまったためでした。

 

ちょうど土日はセンター試験で、受験生は本当に大変でした。県内最大の受験生が受ける新潟大学へは、JRの越後線あるいは駅前からのバスがかなりの本数運転されるのですが、その日は・・・

 

越後線は前日は除雪が間に合わず終日運休、土曜日は朝から一部を除き運転が再開されましたが、ポイントに凍った雪が入って動かなくなるトラブルや、信号故障があったりして大幅な遅れや運休。

 

バスの方も、道路状態が悪い上に大学周辺道路は片側一車線、混雑のために普段の倍近い時間がかかったこともあったようです。試験開始が1時間繰り下げられて、大きな混乱がなかったのは幸いでした。

 

さて、我が家も土曜日は雪の上がった昼前から除雪を開始。玄関周りは前日のうちにやっておきましたが、車がすっぽり埋まった駐車場の除雪は、「除く」というより「雪を掘る」という感じでした。

 

しかも長岡なら道路に消雪の水が流れていますが、ここにはもちろんそれがないので、道に雪を捨てるわけにはいきません。空いている家の裏側や建物に近いところや、隙間に高く積み上げるしかないのです。

 

これはなかなか大変な作業です。雪の降らない地域の方には想像もつかないでしょうね。とにかく雪ってかなり重たいのです、特に新潟の雪は湿っていますから。積もった下の方は凍りかけていますし。

 

そんなわけで「雪掘り」にはたっぷり2時間を要しました。積み上げた雪は、今週気温が上がり雨も降るので融けてくれることを期待しています。

 

幸い取り付け道路は夜間の内に除雪車が入り、昨日の日曜日には買い出しに出ることもできました。雪国生活はけっこう大変ですが、四季のメリハリがあるということで受け入れるしかありませんね。

今年最初のキャッシュフローMGセミナーでした

キャッシュフローMGセミナー(CFMGの第1弾は、今年もLR小川会計さんの主催によるセミナーでした。今年で3回目の新年早々の開催となります。

 

今回は昨年よりやや少ない3卓での開催になりましたが、初MGCFMGという参加者が3人、その内のお一人は来春入社の大学生というフレッシュな顔ぶれでした。

 

よく、初めてのMGCFMGをやるのは難しいのでないですか、という質問を受けます。しかし初挑戦の方にとっては、MGをやるのもCFMGをやるのも大差はありません。

 

ゲームの中でやることを細かく分解してみれば、ほとんどが同じことであり、少しだけCFMGの方が要素が多いというに過ぎないのです。難しさという質的な面では、ほぼ同等といえるのです。20180112_134453

 

これは脳力開発の考え方をベースにしています。いずれにしてもMGCFMGも「芋洗い」研修ですので、どちらを先に始めようとかまわない、それが私の考えです。

 

そんなわけで、初日はやや押せ押せの進行になりましたが、戦略MQ会計の基礎講義や経営計画は2日目朝にきちんとやることができ、最終5期の終了後のまとめの講義もほぼ予定通りでした。

 

帰り道で参加者の感想文を読ませていただきましたが、「(CFMGを)またやりたい」という買い込みも多く、また講義についても概ね好評であり、ホッとしました。

 

ただ、今年の新しいレジメの中に盛り込んだ内容については詳しくやっていただく時間がなく、今後の時間配分の課題としていきます。

 

また、本当は経営計画と並んで、資金管理計画といったものを立てる演習も組み立てたいのですが、これも2日間のセミナーではなかなか難しいところです。

 

CFMGシニア研修というような3日間研修がやれればいいのですが、まだそこまでの企画には至っていません。期数のしっかり重ねた方だけの参加であれば、もしかしたら可能かも知れませんが。

 

実務の中でも、多くの会社で経営計画として売上利益計画を組み立てます。しかし、それと併せて資金管理計画あるいは資金繰りの年間計画まで立てている例は僅少です。

 

ホントはそこまできちんと建てて、メインバンクあたりに提出すればより信頼を増すはずなのですが。今後はそういうものまでやれるようにプログラムも考えていかねばと思うわけです。

 

そんなわけで、今年のCFMGも佳いスタートが切れました。3ヶ月おきに年4回定期開催となる東京と神戸の他、昨年の熊本や伊勢、岐阜に加え、新たに高知や大阪でも開催が決まっています。

 

さらにもっと多くのセミナーが開催されるよう努めていきます。皆様方の会社や地域で、MGはもちろんですが、CFMGもやっていようと思われる方がいらっしゃいましたら、是非お声かけください。

 

2日間フルに学ぶ研修ですが、その効果は抜群です。ぜひ、ともに学びましょう。

<連載㉒> チャンスが拡大していく

衝突は大いに起こっても佳いではないか、ということまで前回書きました。

 

 要するにそういう考え方から出発して、なるべく押さえつけや強権行使をせずに、各人の意欲を高めて、各人の力をできる限り大きく発揮させようというわけです。

 
 
 MGの「紙は自分で」もそうですし、「教えない」ということも、各人が自ら意欲を持って行動していこう、その結果として自分の本来持っている力を発揮していこうということにつながります。20170819_mg6

 

そうやって各卓のみんなが前向きに、自主的に動いていけば、自ずとその市場が活性化して成果を得られるチャンスが拡大していくはずです。

 
 
 もちろん、衝突は大いにやれと言っても、相互間の調整と言ったようなことも必要です。そのためにルールが決められているわけであり、特にMGでは「Cルール」で、衝突によるマイナスを防ぐことのいくつかが記されています。(写真は昨年の「こしがやMG」)

 
 
 脳力開発ではさらにもう一歩進めて、実際生活や仕事の中で衝突を防ぐ相互間の調整方法を提起しています。この調整の根本については、次回以降にお話しします。

反論薩長史観・テロリストたる久坂玄瑞

先日の日曜日から大河ドラマ「西郷どん」が始まりました。初回は「まぁ、こんなものかな」というスタートでしたが、いきなり上野の西郷像の除幕式で、糸さんが「顔が違う!」そのシーンから始まったのはやや意外。

 

前回のコラムに書いたように、西郷さんの実像写真も絵画もありませんので、今なお真相は闇の中です。おそらく、1年間続く中でまた違った西郷像が姿を現していくのか、ゆっくり見守りましょう。

 

さて、話を長州に戻していきましょう。吉田松陰が安政の大獄で処刑されたことで、門人たちはかなり動揺したのは間違いありません。

 

しかし当時の毛利家中は、生前の松陰が発した過激な言動に辟易する方が主流であり、どちらかといえば穏健派の主張が通っていました。

 

ところがここに二人の過激な門人が、隙間を縫うように台頭していきます。一人が久坂玄瑞、そしてもう一人が高杉晋作です。出自は違い、高杉が上士の階級に属していたのに対し、久坂は医者の出身です。

 

ただ、松陰が老中暗殺などの強攻策を唱えていた頃は、二人ともそれを諫めるような言動をとり、とくに高杉は松下村塾からも距離を置いていたようです。

 

一方久坂は、師の思いを引き継ぐかのように、その死後強硬派として名をあげていきます。松陰の妹(文)を娶っていたこととは直接関係はないでしょうが、義兄の遺志を継ぐという気持ちは少なからずあったでしょう。

 

松陰の刑死から2年後の文久元年(1861年)暮れあたりから、その行動が活発になります。年長者でもある桂小五郎を中心に、高杉、久坂ら松陰門下生が集結します。

 

その主張は「尊皇攘夷」であり、とくに思想的には久坂が一歩前をリードしていたようです。もっとも、それはまだ幼稚といってもよく、内外特に海外の情勢を踏まえて、あるいは国力を鑑みてという段階ではありません。

 

言うなれば、アンチ開国・アンチ外国人であり、テロも辞さないという過激思想です。いささか空想的、夢想的で具体的にどうしたらよいか、そこまでの深い思想ではなかったと思われます。

 

言ってみれば、吉田松陰の「狂(気)」をそのまま引き継いだものに過ぎず、その次元で言えば、他藩の同類を含めた、いわゆる「勤王の志士」というのはそういうレベルであったと言えます。

 

実は毛利家中では、長井雅楽が唱えていた航海遠略策が藩論の主流になっており、久坂がこれに対して激しい反論をしたようですが、藩論は覆ることはありませんでした。Photo

 

となると、久坂の言動はさらに過激にならざるを得ずと言うか、そうしていくことが義兄であり師である松陰の思想を継ぐことだと、信じていたのでしょう。

 

ついには長井雅楽の暗殺をも考え実行しようとしたようですが、成功はしませんでした。かのように、久坂は根っからのテロリストであり、彼をもって「草莽の志士」などと讃える考えには到底うなずくことはできません。

 

この時期久坂は京と萩を往復し、京都では「勤王の志士」たちと交流しています。また、坂本龍馬が萩の久坂を訪ねてきた記録もあるようです。この時期、龍馬もまた攘夷思想の持ち主でした。

 

一方、久坂は執拗に長井雅楽の弾劾を繰り返し、翌文久2年の夏、ついに長井は失脚して開国をも視野においていた航海遠略策は葬り去られます。

 

これにより毛利家中(長州藩)も、次第に討幕の方向へと舵を切り始めますが、まだこの時期は尊皇攘夷色濃い藩論であったと言えます。ただその攘夷思想は、国内でも最も過激な思想ベースを持っていたようです。

情報の洪水資料など意味も価値もない

前回のコラムでは、とある会社の会議のことを少しだけ書きました。テーブルに積み上げられた膨大な部門別の資料、会議の始まりは社長のコメントの後に各部門長の報告が延々と続くことなど。

 

付け加えておきますと、その報告の中で分厚い資料の何ページを開いて下さいということは、ほとんどなかったように記憶しています。いったい、あの資料って何だったんでしょうか。

 

会議の休憩中に社長に伺いましたら、毎回の会議で同じくらいの資料が出てくるのだそうです。何でも、少し前に投資をしてシステムを外注し、それが稼働してからこれだけの資料が出せるようになったと。

 

どうやら、各担当者が必要なデータをインプットしたりするのではなく、プールされた日々のデータがシステムの中で集計され、分析された後にプリンターから吐き出されるようです。

 

それを担当者や部門長がチェックをして、その中から会議報告用のメモをつくり、それを会議で発表されているようでした。それにしては、どこに裏付けデータや資料があるのかは最後まで不明でした。

 

あの膨大な資料は、その後どうなるのでしょうか、それがまず気になりました。ある部門長の答えでは、専用のファイルに綴じ込んで部門のストッカーに保管されているそうです。

 

直感ですが、きっと綴じて保管されているだけだろうなと思いました。おそらく誰ももう一度見ることはないでしょう。ちなみに私の前の資料は、「お持ちになってもいいですよ」と言われましたが、お返ししました。

 

その例と対比するわけではありませんが、私が社長をしていた小さな会社を事例として紹介します。月例会議は月初めの営業会議だけしかなく、私が出席するのもその会議だけでした。

 

部門別のミーティングは任せていましたが、中間と月末前に短時間だけやっていたようでした。議事録というより会議メモだけが、私の机に置いてありましたが、たいていA41枚だけでした。

 

全社営業会議、と言っても私を含めて参加者は12名か13名でしたが、営業担当者の報告書はA3版の用紙1枚が基本でした。そこに実績報告と報告事項が書かれ、当月の目標と行動予定が記されていました。

 

3つの部門長のレジメはたいていA41枚、ついでにいえば私のレジメも同様でした。また、すべては電子情報でストックされていましたので、手元に紙で持つ期間は23ヶ月でした(過ぎたら廃棄)。

 

それがもう90年代の後半からでしたので、おそらく大会社よりも優れていたでしょう。というよりも、小さな会社だからこそできたのだろうと思います。

 

それとは別に、オフコンデータの帳票はありましたが、それは会議に出されることはほとんどなく、帳票から読み取れる情報は上記の会議資料の中に、確認資料名と共に書かれていました。

 

ですから報告は会議前半の30分余りで終わります。結果は結果でどうしようもないので、読み取れた問題点や今後の課題を抽出して、全員が共有していつまでにプランするかを決めれば終わりです。

 

私は当月の戦略と重要政策を提起するだけ、それに基づいて各務門や営業担当者が自分の目標と行動予定をチェックし、それが戦略上の誤りのない限り即刻承認です。

 

ですから会議の時間は90分以内、それが月次では最も重要な会議ですので、他のミーティングは30分、長くても60分以内だったはずです。

 

データや情報は、部門長や担当者が「インテリジェンス」レベルまで昇華した上で出されていますので、情報の洪水に溺れることもありません。無駄紙もなかったはずです。あなたの会社ではどうですか?

<連載㉑> 衝突は必ず起こるものだ

MGを通じて私たちが学んでいることは、ホントに多種多様です。しかし、気が付いているようでいて、実は気が付いていないことも少なくありません。

 

例えば、どうしてMGにおける販売は入札競争なのでしょうか。ある別の経営ゲームでは、「販売したい」人は、乱数表に基づいて(必ず)売れるようになっていました。そちらの方が「親切」で「平和」ですよね。20180106_130013

 
 
 またどうして、MGではあからさまな「談合」はダメだと言っているのでしょう。むやみに競争し、叩き合いをすることよりいいではないかと思われませんか? 安売り合戦にならなくていいじゃないですか、みんなが利益を出せますよ。

 
 
 脳力開発では、衝突は(必ず)起こるものだ、衝突が起こっていいのだと教えています。逆に衝突が起こってはいけない、起こしてはいけないのだという考え方は、間違っているというのです。

 

後者の考え方は、時として多数の異なる意見を最初から押さえつけてしまい、どうしても多数を占める人々の力を発揮させない結果につながるというのです。

 
 
 つまり、衝突を避けることで、多数の人々にとって元気や意欲の出ない不快な環境を作り出してしまい、特定のごく少数の人にだけ都合の良い条件で固まってくるというのです。

 

これでは本来持っているはずの、それぞれの力を削いでしまい、力を結集して総合力とするようなことができなくなると言うのです。むしろ「衝突は大いに起こって佳い」のです。

さてそろそろ申告に向けてスタート

世の中は三連休だそうです。会社によっては正月休みからそのまま連休で、明日から仕事始めだというところもあるそうで、羨ましい限りです。

 

とにもかくにも昨日が七日正月、すなわち七草粥で厄をはらって新年行事も一段落です。初詣にも出かけていない我が家ですが、今日は余り天気が良さそうでもなく、ついつい怠け癖が出そうです。

 

新年最初の遠征も大過なく終わり、まずまずの滑り出しになりました。一息ついたらまた、水曜日から次の遠征ですのでのんびりとはしておれません。

 

個人事業主でもありますので12月が決算末、経理の処理は99%終わっていますので、総勘定元帳をパソコンで自動作成すれば財務諸表に取りかかれます。

 

修正処理が少なければいいのですが、それでも毎年いくらかは出てきますので、さすがに今日明日で終わらせることは厳しいでしょう。Photo

 

来週後半はまた次の遠征が控えていますが、それまでには申告書作成の手前までは済ませておこうと思っています。青色申告書、個人の申告書、そしてカミさんの申告書を、早めに提出して区切りをつけます。

 

数年前に身辺にあった面倒な不動産関係の不良資産などを整理しましたので、その後は専門家(税理士)の手を煩わせることもなくなり、事業も含めてすべて自分で処理します。

 

中には節税の意味も含めて事業の「法人なり」を勧めて下さる方もいますが、それをやったところで小さな事業ですので大きく変わるわけでもなく、しっかり納めるものを納めようという気持ちです。

 

それもまたある意味では社会貢献ですから、いいのではないでしょうか。もっとも、納めたものがどういう使われ方をしているのか、いささか文句の一つも言いたくなることはありますが。

 

そんなわけで、成人の日の今日は家族サービスに半分以上の時間を使い、あとはのんびりと体調を整えます。しばらくは長丁場の遠征はなく、数日間での往復ですので疲れは溜まらないでしょう。

 

そういえば、孫ちゃんには元日に顔を見てお年玉を渡したきりです。明日にはまた幼稚園が始まりますから、この休みの内に遊ぶことにしますか。

 

では、皆様も三連休の最後の1日を充実してお過ごし下さい。

情緒は薄れていても乗り鉄旅は愉しい

今年最初の遠征も今日は帰り道です。年末年始は寒波の襲来で、特に遠征に出る前日の4日は風雪が強く、北国のJR線ではいくつかの区間で運休や遅れが出ていました。

 

過去にも日本海沿岸を走る羽越本線では強風による運休が発生、私自身も乗っていた特急列車が途中で運転打ち切りになり、代行バスに乗り換えることがありました。

 

幸いに5日は風雪もいくらか収まり、朝の出発前にJRの運転状況をチェックしたところ大丈夫ということでホッとしました。(写真は秋田駅です)20180104_122524_2

 

冬らしい雪雲に覆われた空でしたが新潟市は雪が少し舞う程度、これなら支障なくいけそうだなと思いましたが、トラブルというのは予想外に発生することが少なくありません。

 

この日も本来運用されるはずの車両編成が変更になり、出発の数分前にようやく車高から駅ホームに回送されてきました。しかも入線したものの、運用の変更連絡がかみ合わずドアがなかなか開きません。

 

しかも、車内の座席転換もまだの状況で、整備員が乗り込んだのは出発時刻が過ぎてから。それが終わってドアが開いたのは定刻から78分も過ぎた頃でした。

 

その間寒風吹くホームで待たされるのは、余り気分が良くないものです。もっとも、整備が終わり乗務員間の確認が終わらなければドアの開閉はできない規則ですので、やむを得ません。

 

ですが、それならそれで待っている乗客にきちんと案内放送なりをやってほしいもの。情報が伝わってこないのは、寒さに耐えるよりもさらにイライラするものです。

 

このあたり、運転士と車掌と駅務員、整備員などの連携と連絡がまずいのは、あちこちで体験させられます。鉄道には理解のある私ですら不満を抱くのですから、一般の乗客はなおさらでしょう。

 

この日は新潟駅を12分ほどの遅れで出発、経路である白新線や羽越本線は途中に単線区間も少なくありませんので、遅れの回復はかなり難しく、むしろ遅れ時分が拡大する恐れもあります。

 

幸いにこの日は、途中の遅れ拡大は最小限に抑えられ、終点の秋田駅には14分くらいの遅れでした。ただ、本来接続するはずの秋田新幹線は先に出てしまったようでした。

 

私の場合は、接続する奥羽本線の特急への待ち時間がたっぷりあり、遅れで余裕時分は少なくなったものの、弁当を選んで買うこともできました。

 

最近は駅弁(名物弁当)も販売する駅が減り、駅弁があっても駅構内のコンビニなどで売られる例が多く、旅の情緒や楽しみが減ってきています。

 

昔は、ホームをゆっくり去りゆく列車を追いかける駅弁屋さんから買うなどという離れ業もありましたが、窓が開かない車両ばかりの今日では、そういう風景も過去の遺物です。

 

第一、ホームの駅弁屋さんもほとんど見かけなくなりました。でも秋田駅はホームに駅弁屋さんがいる珍しい駅です。今年も会うことができました。


さすがに昔のようにお茶は売ってはいませんが。昔は大きな薬罐から熱いお湯だけをサービスしてもらうこともありましたが、これまた過去のアルバムの中だけです。今では味噌汁さえも自販機です。

 

旅情緒は年々薄れていきますが、それでも心地よい揺れを堪能できる旅はいいものですね。

今日が今年のセミナー・研修初め

昨日が「小寒」で、いよいよこの冬も寒の入りです。明日8日は成人の日ですが、1950年代生まれの私にはピンときません。やはり成人の日というと115日がしっくりきます。

 

もっとも、新潟県内は冬場は雪の季節ですから、成人式も5月の連休や夏休みの8月にやるところが多く、例えば長岡市ではゴールデンウィークに成人式が行われていて、移り住んだ初めは違和感を感じました。

 

現在住んでいる新潟市は一般と同じこの季節です。と言うのも町場では雪は余り積もりません。新潟というと雪のイメージですが、新潟市は年に何度も積もらないのです。

 

さて、そんな季節の話題はともかくとして、いよいよ来週からは本格的にMGセミナー遠征が始まります。今年の仕事の目標にはMGの公開セミナーを一番に上げ、主催と共催取り混ぜて昨年よりも回数が増えます。

 

8月の「米百俵MG」(長岡市)を中心として、定期開催(共催)とした「こしがやMG」、復活第1回が決まった上越MG(共催)、そしてキャッシュフローMGCFMG)は11回の開催がすでに決まっています。

 

延べで何名の方と交流のご縁を結べるでしょうか、それを思うだけで気持ちがワクワクします。再会を初めとして、何度かお目にかかっている方が大半ですが、初めてのご縁もたくさんあるはずです。

 

脳力開発講座も含めて、セミナーは学びの場である以上に、人と人との出会いと交流の場です。30年以上脳力開発とMGを続けてきて、どれだけの方と出会ったことでしょうか。

 

初めて体験した頃には、「あの人を目標にしたい」とセミナーに出るたびに思ったものです。そして今は、自分はそう思われる立場にならなければと決意を新たにしています。

 

セミナーでは講師・インストラクターという立場や役割ですが、学びの世界では「共に学ぶ」仲間です。その姿勢は常に持ち続けながら、自らも一人の学生(がくしょう)としてセミナーに参加していきます。

 

昨年は平均すると月1回以上のMGセミナーに参加しました。今年も主催・共催の合間を見つけながら、できるだけ多くのMGに参加していく予定です。

 

すでに89回の参加予定をスケジューリングしていますが、可能であればもう少し増やしていこうと考えています。なぜなら、学びにはゴールがなく、思想や哲学の広がりは永遠ですから。

 

それ以上に、人と人とのご縁はさらに広がっていくものですから。

 

今日は顧問先の社員MG(ワンデー)です。全員参加とはいきませんが、社員の方の大半が参加してくれる予定です。辛抱強く続けて、一人二人と「MGが好き」というメンバーが増えていくことが目標です。20170107_mg8

 

私自身がMG(と脳力開発)によって、経営を知らない、もちろん会計などちんぷんかんぷんという世界から、小さいながらも会社を経営する役割を担えたこと。

 

それだけでなく、MG(と脳力開発)を通じて『人間中心経営』を肌で感じ、心に刻み込めたということを、じっくりと伝えていきます。

 

そうなんです、私のMG(と脳力開発)セミナーの最大テーマは、「人間(社員)を大切にする会社」を増やしていくことです。開催のテーマであり、学びのテーマです。

 

まずは今日から今年の第一歩です。

ビジネスライクに見ても不可思議

大相撲である。と言っても私は全くの門外漢なので、あれこれという立場にはない。どちらかといえば野次馬なのだが、それにしても訳のわからないことが多すぎるので書いてみることにしたわけである。

 

具体的な事実は(これもあくまで実際に見たわけではないが)、二次会という酒の席で横綱日馬富士が、後輩関取である貴の岩の態度に激怒して暴力を振るい、大けがをさせたということ。

 

そして、そばにいた横綱二人(白鵬と鶴竜)が中に入って止めようとしたが止めきれなかったこと。最終的には止めたが、大けがを負わせるまでは傍観的であった可能性も残る。

 

貴の岩は師匠である貴乃花親方に、最初は事実を報告せずにいたが、さすがに大げがを負っているので親方は警察に被害届を出した。

 

貴の岩は巡業中だったが、翌日の相撲にも出て取り組みをこなしていたが、やはりけがの具合が思わしくなく欠場を余儀なくされた。

 

数日後に警察から相撲協会に被害届が出たことと事件の概要が伝えられたが、巡業部長である貴乃花親方からは報告がなかった。親方は警察からの連絡が行くはずだと考えていた。

 

一連の事件はここから大きな広がりを見せていくわけだが、その辺りはすでに周知のことが多いので省略しよう。いずれにしても、結果として日馬富士は自ら引退した。

 

日馬富士の親方である伊勢ヶ浜も理事を辞任して降格になった。白鵬と鶴竜は減俸処分を科せられ、八角理事長も給与返上となった。そして貴乃花親方も理事・部長としての責任を問われ降格処分となった。Photo

 

ビジネスライクに考えてみよう。ある部門のリーダーが大きな過ちを犯したが、その時に共に業務を補助していた先輩・後輩リーダーは、結果としてその過ちを止められなかった。

 

過ちを犯したリーダーは辞任し諭旨免職となったが、後付けで「退職勧告相当」とされた。その上司(部門長)も監督責任を問われ、役員と部門長を自ら退いた。しかし現場の業務は続けている。

 

同じ現場にいて、加害者となったリーダーを保管すべき立場であった二人も責任は問われたが、地位はそのままで減俸処分だけがなされた。

 

その過ちで、別部門の担当者が大きな被害を被り、業績が下がって大きく評価を下げられた。救済処置はされるようだが、実力で取り返さないとさらに評価が下がるだろう。評価は給与に反映される。

 

しかも被害を被った担当者の上司である部門長は、役員と担当業務の長を辞任することを勧奨された。しかし彼はそれを蹴って、結果として解任されることになった。ただし現場の仕事はそのままである。

 

おかしいだろう、と感じる方も多いのではないか。少なくとも私は冗談じゃないという思いだ。別に貴乃花親方の肩を持つ気もないし、もっとやり方があっただろうという思いもある。

 

それを差し引いても、今回の処分は納得がいかない。加害者側の管理監督者と、結果としてほぼ同じ処分だというのは極めておかしい。あるいは、加害者を本場所の土俵にそのまま立たせていた責任は?

 

報告義務を取り立てていうなら、当事者の日馬富士やそばにいた白鵬、鶴竜の責任の方が大きいだろう。

 

また貴の岩にしても、被害を被った時点の地位が保全されてもいいんじゃないかとかんじるのが、どうだろうか。いずれにしても加害者と被害者、双方に課せられた事後処置のバランスが悪すぎる。

 

やはり、相撲協会という特殊な環境にこそ問題があるのではないかと、素人目にも映ってしまうようではだめだろうな。初場所からの客の入りに影響が出ないか心配だ。

データや経営情報に振り回される会社(1)

「小さな会社のマネジメント」も、今日が仕事始めです。

 

何しろ私は、有名な学者でも専門家でもなければ、士業の方のように国家資格を持っているわけでもなく、自身の体験と学びの中で感じたことを書き連ねるコラムです。

 

体験と学びといっても、たかだか30年余り脳力開発とMGを学び続け、その間16年ちょっとだけ経営者実務に励み、その後10数年間企業経営のお手伝いをさせていただいた、その程度です。

 

幸いなことといえば、大企業も中堅企業も小企業も時間の長短はあれども体験できたこと、一般社員から管理職や経営者も実際の仕事をやり続けたということでしょうか。

 

そんな私の年初最初にお伝えするのは、「データや経営情報に振り回されるな」ということです。

 

皆さんも日々の実務の中で感じられていることと思いますが、机の上に積み上がる、あるいはパソコンの画面に表示されてくる情報の多さです。うんざりしていませんか?全部を見ていますか?Photo

 

そして、何か参考にされていますでしょうか?

 

ある会社に依頼を受けて、経営のアドバイザーとして伺った事例をご紹介します。コンサルタントとしての守秘義務がありますので、社名は明かせませんし、いくらか事実を誇張していると承知しておいて下さい。

 

業界では上位に位置する製造販売業の会社で、過去にはいくつかのヒット商品を生み出し、その時点でもトップシェアをとっている商品がありました。

 

社長との面談を数回行った後、実際の会議にオブザーバー参加をさせていただきました。月1回の全体会議で、社長をはじめとする経営幹部、各部門長や管理者などそうそうたるメンバーが顔を揃えていました。

 

用意された社長の隣の席に座りましたが、そこには大量の資料が積み上げられていました。部門別に綴じられていましたが、少ないもので10ページ、多いものは30ページくらいあったでしょう。

 

ほうっという顔で眺めていますと、隣の社長が「部門別にデータ分析ソフトを導入していて、毎月こうやって情報資料が出されるんですよ」と少し自慢そうに解説されました。

 

資料全体ではおそらく100ページ以上はありそうで、目を通していこうと思ったものの、数ページをめくってあきらめました。とてもとても見切れるわけはありません。

 

社長や参加者は、これを全部(毎月)見ているのだろうか?

 

会議が始まり、司会者に続いて社長の発言です。世の中の動きや業界の状況から始まり、自社の現状や前月の予算達成(未達)状況が語られ、今月の挽回を期待する旨が最後に「げき」として示されました。

 

続いて部門長が順番に立ち上がり、部門の現状と課題などをとうとうと語り始めます。社長の話がおよそ20分、部門長の発表時間が平均30分ですが、その大半は報告事項でした。

 

最後の数分で「今月はこのように考え実行する」といったことが発表されましたが、驚いたことに手元に配られた資料の山のどこが語られているのか、どこを元にしゃべっているのか、さっぱり示されません。

 

どの部門長も似たり寄ったりです。じゃぁ、このデータや情報資料は何のために積み上げられているのか?その以前に、なにゆえにパソコンソフトから吐き出されているのか?

 

では次回に続きます。

西郷どんの実像は現存しない?

テレビでも昨今歴史を取り上げた番組が増えてきたようです。その昔も「歴史への招待」だとか、いろんな番組を楽しみに見ていましたが、最近は「歴史ヒストリア」辺りが面白いなぁと見ています。

 

もっとも、番組の時間が短いですので一つか、せいぜい二つくらいの切り口でしたか捉えられていないので、やや消化不良になることも少なくありません。

 

ただ同じようなテーマでも、違う切り口で構成されることがあったり、特に新しい「発掘」があると取り上げられることもありますので、そこはなかなか興味深いところです。

 

それと平行して、いわゆる「大河ドラマ」でも歴史的なことが取り上げられることが多く、そちらも欠かさず見ています。昨年は井伊直虎が主人公でしたが、今年は西郷隆盛です。

 

もっとも大河ドラマはあくまでドラマ(フィクション)ですので、歴史的な視点ではなく、原作者や脚本家がどのような観点をベースに描いているか、そちらの方に興味があります。

 

今回の『西郷(せご)どん』の原作者は林真理子、正直に言いましてあまり好きな作家さんではありません。エッセイも時折読むことがありますが、ベースの考え方が違うようですので、さらっと読み流しです。Photo

 

昨年の『直虎』の時には、事前にいくつかの読み物を拾い読みしました。歴史的観点から書かれたものだけでなく、小説的なものも目を通しました。直虎という存在をほとんど知らなかったのもその理由です。

 

その点、西郷隆盛は少なくとも教科書で習った頃から馴染んできた名前です。歴史としては、小学校に上がる前から少年向けの歴史本で読んでいましたし、漫画もあったように記憶しています。

 

司馬遼太郎さんや海音寺潮五郎さんの小説も読みましたし、これまでのもたくさんの歴史書に目を通しました。大河ドラマでも何度か主人公、あるいは重要な存在として描かれてきたはずですね。

 

ただ、今回は少し違った目で見ようかと思っています。おそらく大河ドラマの主人公としての西郷は、明治維新の中心人物として描かれ、おそらく「正」の部分だけが強く出されるでしょう。

 

つまり、この歴史ブログでこれから取り上げようとする「負」の部分や、あるいはまた「西郷ってそんなにすごい人物だったの?」というような切り口からは描かれないでしょう。

 

あまりよくわからないという部分、例えば西郷さんはどうして1枚も写真を残さなかったのか、教科書などに使われる描画の西郷さんは本当の顔ではないことは割に知られています。

 

また、上野公園の西郷像、あの西郷さんの顔は全く本人に似ていないことは、西郷さんの奥さんが証言しています。鹿児島の西郷像も別人の顔であることは、言うまでもありません。

 

ところが、実は「これが(明治維新前の)西郷隆盛だ」という写真が残っているとも言われています。しかし、否定する人も多く、確定されているわけではありません。

 

どうして、明治維新の立役者であり、新政府の中心人物であり、明治天皇が最も信頼しておられたという西郷さんであるのに、どうして写真も正しい絵も残っていないのでしょう。

 

不思議なことは山ほどもあります。私のような素人でも不思議に思うのに、なぜこの不思議は解決されないのでしょうか。西南戦争がどうして起こり、そこで西郷さんがなぜ自決せねばならなかったのか。

 

盟友大久保(利通)は、どうしてそこまで西郷さんを追い込まねばならなかったのか。信頼されていた明治天皇は、どうしてそれを止めなかったのか。とにかく不思議がいっぱいです。

 

まずは、その前提となる長州藩過激派の動きから書き連ねていきますか。

本日も新年のごあいさつです

2018年のお正月、穏やかに迎えられたことと思います。帰省ラッシュは大晦日までつづき、戻りの混雑も今日から明日にかけてピークを迎えるそうです。

 

我が家は年の初めから駅伝観戦、元日は実業団のニューイヤー駅伝、そして今日明日は関東学連の箱根駅伝です。娘の母校も出場していますので、今年もなんとなく応援です。

 

今回の箱根は戦国駅伝とも言われ、実力伯仲の数校が優勝候補ですが、何が起こるかわからないのが駅伝の面白さ、どういう展開になっていくのか楽しみでもありますね。

 

昨年このブログでは、箱根駅伝が日本陸上長距離界における「ネックになっている」ことを書きましたが、相変わらず箱根に出場できる可能性のある、関東学連の大学に選手が集中する傾向は続いています。

 

また、本来箱根駅伝の創設はオリンピック(のマラソン)選手を生み出していく、という金栗四三さんの願いが込められたものでしたが、残念なことに男子マラソンの現状は世界レベルには遠い状況。

 

ある意味、「箱根で燃え尽きてしまう」のかも知れませんが、レギュラーになれなかった選手や、出場校以外の選手は気持ちを切り替えて、世界レベル挑戦に向かってくれないものでしょうか。

 

まぁ、それはともかくとして、今年も熱戦が展開されることを祈ってやみません。

 

駅伝はともかくとして、年末年始のテレビ番組のつまらなさはどうしたものでしょう。それもなんだか、年々歳々ひどくなっているように感じるのは私だけでしょうか。

 

どのチャンネルをひねっても、同じような「におい」のする、ドタバタ騒ぎと受け狙いの番組ばかり。あるいはクイズだとか、対抗戦とか、BGMとしても使えないものばかり。

 

そこで、適当にDVDのライブラリーの中から適当な映画を選んで、見ることにしています。もっとも10年くらい前までの作品ばかりで、ストーリーも大体頭に入っているものばかり。

 

こんなお正月ですが、早くもあさって4日からは仕事の遠征がスタート、週末2日間が初仕事になります。心配なのは正月寒波の雪は強風で交通障害が出ないかどうかですが、予報では大丈夫そうです。

 

体調の方も、おかげさまで先月中旬の不調からは年末までに完全に回復し、大晦日やお正月もお酒の飲み方や食事に気をつけましたので、滑り出し順調というところです。

 

一年の計もしっかり立てて、360数日先に「よし今年もできた」と言えるように、努力を積み重ねていきます。とくに上記のように体調が肝心、クライアントやセミナー参加者にご迷惑をかけないことが最大目標です。

 

人生のテーマは「明元素&楽喜健」、今年も明るく元気に素直にをモットーにして、楽しく喜びあふれ、そして健やかに過ごすと共に、いつも笑顔をお届けしていきます。

 

それでは、改めて今年もよろしくお願いいたします。明日からは、テーマ別のブログも再開です。

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。

今年も1年よろしくお願いいたします。

ヴァンガード経営研究所・板東秀行

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