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我が家は故あって年越しうどんです

今日は大晦日です。毎月最後の日を晦日といいますが、年末の最後は締めくくりということもあって大晦日となっています。

 

ところによって大晦日の過ごし方もそれぞれ違うようですが、年の初めには「年神様(としがみさま)」がやって来られるので、大晦日は零時をまたいで寝ずに待つという地域が多いとか。

 

これを「歳籠もり」という地方もあるようです。中には、途中でうっかり寝てしまうと白髪が増えてしまうぞ、などと脅かされるという話も耳にしました。

 

普段は「早く寝なさい」と怒られる子供たちも、この日ばかりは夜更かしが公認になりますので、遊びやゲームなどにうつつを抜かしたものですが、最近はどうなのでしょう。

 

除夜の鐘は零時を挟んでつくわけですが、一般的には年内に107回、そして最後の1回は年が明けてからと言われています。

 

ところでそんな大晦日の風習がいつ頃から始まったのかというと、これにはまたいくつか説があるようです。一般的には平安時代、仏教が民衆の間に定着をした頃からでしょうか。

 

ただ、年越しそばはもっと新しく、起源は江戸時代だということです。ではなぜそばなのかも諸説ありますが、細く長く長寿を祈願してというのが妥当なところでしょうか。Photo

 

ちなみに、『うどん県』の香川県では年越しそばではなく、年越しうどんなんですかね。我が家も、故あって年越しうどんです。

 

そういえば、「二年参り」をするところも少なくないですね。これも年をまたがってという意味なのでしょうが、またがっていても単に初詣と称する地域の方が実は多いそうです。

 

私はというと年末年始は、家の中でゆっくり過ごします。老母が健在だった頃は、住んでいた大阪まで年末に車を走らせ、近くの神社にお参りをしてから、三が日の内には新潟に戻っていました。

 

かみさんの方もすでに両親が亡くなっていますので、松の取れないうちに顔を出すという程度です。今は娘夫婦と孫も一緒の屋根の下に住んでいますので、正月は顔を合わせますが、あとはお互いマイペース。

 

初詣も、本来ですと地域の氏神様や、自分自身の産土神神社、守護霊社などにお参りすべきでしょうが、後二社はどちらも大阪ですので、遠征で時間が作れたときに行くことにしています。

 

そんなわけで、今年も1年の大晦日。いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。来年も、といってももうすぐそこに来ていますが、続けて参りますのでよろしくお願いします。

 

最後に、皆様はじめご家族様や社員の皆様方のご健勝と、ご多幸を心よりお祈りいたします。感謝。

<連載⑳> 3つの基本前提は当たり前のこと

基本前提は3つあります。1つめは、私欲は必要であり、そしてそれは誰にも平等にあるということです。ですから、自分の私欲だけに走ってはダメだということになります。

 

自分の私欲も重視はするのですが、それと同等以上に他人の私欲のことを忘れてはならないし、反対に無視してしまうところに誤りや損失が生じるのです。

 
 
 2つめは、欠点は誰にでも、何にでもあるのだということです。自分の欠点を棚に上げておいて、他人の欠点ばかりが気になり、あげくには「欠点だらけのあんな奴とはまともに付き合えない」といった考え方に陥りやすい。そういう土台傾向だと、とても人は動かせないということになります。

 
 
 3つめ、これもまた当たり前のことなのですが、主張や意見、考え方や希望は人によって違うのだということです。自分と反対の意見や考え方を持つものに対して、「けしからん、馬鹿だ、いやな奴だ」などという感覚が、行動の土台習慣であっては困ります。

 
 
 もしそうだと、何でも自分の考えを押しつけてしまい、強圧や強権で物事を進めていこうとする態度となります。こうなっては協調や協力は成り立たないわけで、結局は人の結集を図ることができません。

 
 
 これらの基本前提、極めて当たり前のことばかりなのですが、私たちは日常の中でつい忘れてしまっていることがあります。MG研修の中でも、そういう方を見かけませんか? また、あなた自身がそうなっていないように気をつけたいものです。

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来年も心と体のリラクゼーションは乗り鉄旅で

年末の帰省ラッシュが始まっています。ここ最近は鉄道回帰が進んでいますが、それを喜んでばかりはおられない現状です。

 

確かに新幹線や、幹線系の特急列車は混雑していますが、地方のローカル線では優等列車ですら削減や編成両数の減少が止まりません。

 

来年の3月(17日)には全国のJRその他でダイヤ改正が予定されていますが、発表されているダイヤを見ると、地方切り捨てという現状が浮き上がってきます。

 

乗り鉄ファンとしては、ますます残念な状況になっていくわけですが、それにはめげずに来年も心安めの旅を愉しんでいこうと思っています。

 

とはいえ、ただ乗り鉄のためにだけ時間を使うわけにはいきませんので、仕事の遠征の合間を縫って、あるいは遠征の往復時や空白の時間を活用してということになります。

 

今年もその方法で、各地のローカル線の旅を愉しみました。九州の鹿児島線や西日本の三江線、福塩線、近畿では福知山線や加古川線、京都タンゴ鉄道の宮福線など。

 

中部では飯山線や篠ノ井線に中央西線(木曽)、旧信越線の三セク部分、関東では外房線と内房線、そして東北は磐越西線と山田線、八戸線と三陸鉄道北リアス線。110235_1704

 

幹線系でも羽越線や奥羽線は何度も特急旅を愉しみました。かなりの年月乗っていない区間の旅や、大都市の私鉄線でもわざわざ各駅停車に揺られる旅など。

 

台風や強風、大雪など天変地異の影響を受けて経路の変更を強いられたり、肥薩おれんじ鉄道のように乗車を断念したケースもありました。それでも総じて、無事な旅を楽しめました。

 

時間を生み出すためにやむなく目的地の近くまでは空便を利用することもありましたが、可能な限りは列車に揺られることを選んできました。

 

来年も暖かくなる4月頃からは、可能な範囲での乗り鉄旅を愉しみます。四国や九州にも足を伸ばしますが、日程の都合でどちらものんびり旅とまではいかないでしょうね。

 

それでも可能な範囲で、ミニ旅でもいいから列車の揺れに身をゆだねます。実は未乗車区間もまだ少し残っていますので、そちらも1つ2つクリアしていきます。

 

それから、今年後半から復活させた「旅貯金」も続けていきます。中には絵入りの判子を使われている局もあり、楽しみの一つです。

 

複雑経路で「みどりの窓口」係の人を悩ますような経路の乗車券も、時にはお願いしたりするかも知れませんが、できるだけ混雑時は避けますのでご容赦のほど。

 

ジパング30%割引もフルに活かすこともポイントですしね。もちろん健康が第一、疲れを出さないことが十分条件です。気持ちはリラックスしても、体調を狂わせてはいけませんから。

 

ではまた来年、乗り鉄旅のブログが書けますように。

一年の御礼--御用納めに当たって

今日1228日、官公庁や多くの会社で仕事納めですね。官公庁では、行政機関の休日に関する法律により、1229日から13日までを休日としているので、今日が御用(仕事)というわけです。

 

もっとも、一般企業の場合はそれに合わせる必要もないわけで、銀行の営業日に合わせているところも少なくありません。最近はネットなどで処理ができるので、敢えてそうする必要もないかも知れませんが。Photo

 

今年の場合は年末の30日が土曜日、31日が日曜日なので、明日29日を仕事納めにする会社も多いのでしょう。その分、金融機関は大変だろうなと同情しきりです。

 

さて当社はというと、対外的な仕事は26日で完了していまして、あとは内部処理的な業務が残っているだけです。個人事業ですので12月末決算、そこで月末処理を前倒しして、経理を締めてしまいます。

 

もっとも、正月は三が日明けの4日から最初の遠征がスタート、5日と6日には遠征先で初仕事ですので、そのための準備は年内に終わっておきます。

 

今年1年を振り返れば、様々な意味で充実の年であったなと総括できます。当初スケジュール化した予定については100%達成、プラスマイナスは双方いくつかありましたが、総じて評価すればプラスでした。

 

さすがに毎年確実に歳をとっていきますから、遠征がややロングランになってきますと息切れを感じることもありました。交流会も多くの場合、一次会で切り上げさせていただきました。

 

元々「乗り鉄」(鉄道ファン)ですから長距離を列車で行くことは苦痛ではありませんが、早めに移動して体調を整えるということも心がけました。その代わり、気分転換の乗り鉄旅も適度に愉しみました。

 

そんなわけで、セミナー参加者の皆さんや共催してくださった方などに、直接ご迷惑をかけることはほとんど無かったと自負しています。体調やや不良で、完璧で無かったこともありましたが。

 

来年はそういうことも皆無にできるよう、しっかりと自己管理して参ります。実のところ、今年よりも新しいセミナー開催も増え、ありがたい限りです。それだけに余計に自分を大事にして取り組みます。

 

今年は短い期間での東京-大阪(神戸)往復移動とか、長距離の飛行機移動、時間節約のための夜行バス移動など、ちょっときついスケジュールがありました。

 

来年は前後の余裕も含めて、心身をリラックスできる時間を確保していきます。常にセミナー参加者の皆さんに、完璧あるいは完璧に近い心身状態で臨めるように。

 

コンサルティングのテーマは、人間中心の「3S経営」サポートです。セミナーは脳力開発とMG(CFMG)の二本柱ですが、こちらも基礎は人間中心主義です。

 

自分自身の会社経営はもう過去の体験になりましたが、逆に今の個人企業経営体験も伝えていけるものに格を高めようと決意しています。例えばマトリクス会計の実践など、テーマは無限です。

 

マイツール(MT)による日程管理、情報処理、会計処理についても、皆さんの実業に取り入れていただけるものに磨き込んでいきます。そう思うと、まだまだやることはいっぱいです。

 

今年1年、ホントにお世話になりました。そして来年2018年も共に学び合い、切磋琢磨し、向上して参りましょう。私自身も一介の学生(がくしょう)であることを意識しつつ、一歩ずつ前に進んで参ります。

 

さらなるご縁を、よろしくお願いいたします。

創業1年後には半数以上が廃業している事実

今年もあと僅かになった。私の場合は14日のコンサルティングで、今年の予定はすべて終了しているので、あとは月末決算に向けて資料を整理し集計するのみだ。

 

ところで今年も新しい会社がいろんな形で誕生したと思うが、その中の何社が1年後の今日も存在しているだろうか。つまり創業年を越して2年目に入れるかということだ。

 

いろんな集計があるようだが、半分も残らないということではだいたい一致している。つまり、来年も存在している確率は4050%くらいだということだ。

 

10年後となるとたったの45%だそうだ。私のところは創業以来の個人事業のままだが、それでも10年目に入っており、この12月決算が10回目の申告となる。

 

何とか20社に1社くらいの中に滑り込んでいるということだ。これはいささか胸を張ってもいいことだろうか。売上利益の規模では取るに足りないが、続いているという意味では誇ってもいいだろう。

 

これが20年後となると0.3%だそうなので、1000社に3社というわけだ。私もまだ体力的にはあと10年くらいはと思っているので、その中に入っていたいものだ。

 

いや、実は日本ではという条件がつくかも知れないけれど、小さい会社ほど残っている確率が高いともいえるらしい。私のところなどは夫婦二人の極小単位だからこそ、生き残っているのかも知れぬ。

 

もちろんそれだけではない。それだけだったら、もっと多くの確率で10年20年と続く会社・事業体があってもおかしくはない。

 

創業塾あるいは創業セミナー、起業セミナーが各地で開催されている。地元の商工会議所や商工会あたりが音頭をとって、地域活性化の意味も込めて実施されている。Photo_4

 

私もこれまで、いくつかの当該セミナーのお手伝いをさせていただいた。多くはMG(MQ戦略ゲーム)関連だが、残念なことに時間が短いケースが多く、十分に伝えきれないことが多々ある。

 

目的は会計の勉強であることがほとんどで、つまりは財務諸表(主としてBS・PL)を読めるようにしたいということだろう。目指すところは間違っていないが、そんなに即席では目的は達成し得ない。

 

これは、MGではなく通常の会計研修、例えば「決算書が読めるようになる」セミナーでも同じことだ。そういうセミナーを受講して、自社の決算書や試算表がすぐに読めるようになったという事例を、私は知らない。

 

ただ、MGをさほど間を開けずに連続して4~5回受講してもらえれば、その目的を達成させる自信はある。少なくとも私がそうだったから。経理や会計に全く無縁だった私が、そうだったから。

 

また、創業セミナーで学んでほしいことは、経営(創業)理念を作り、それをベースに経営計画を立てるということだ。できれば経営計画も、売上利益計画だけでなく、資金計画まで自力で立ててほしい。

 

ザンネンながら、今現在各地で行われている創業塾あるいは創業・起業セミナーに、そこまでを求めることは酷だろう。第一に時間が足りない、第二に講師が足りない。

 

第一は決定的な難点だし、第二の問題は経営を知っている講師が少ないということに尽きる。申し訳ないが試験に受かって資格を取っただけの士業の方に、それを望むのは高望みというものだろう。

 

そういう状態が続くものだから、せっかく創業しても3年と続かない、もったいない状況はなおこれからも続いていくのだろう。

<連載⑲> 実践行動では最大のテーマ

脳の原動力がより高まるには、行動して事を為すことが第一であり、そのためには多くの人の力を結集していくことが不可欠です。「広く協力を結集していく」という仕事を、MGに置き換えてみるとどういうことなのかを考えてみてください。

 
 
 中には、談合的なことをイメージする人がいるかもしれませんが、それを否定はしません。(そういえば昨今は「中央リニア新幹線」の談合問題が話題ですね、余談ですが)Photo_3

 

相手をその気にさせることは、とっても大事な要素ですし、その気になるように仕掛けをすることも戦術の一つです。でも談合はMGではNGとされています。

 
 
 談合にはならないように、周りを盛り立て市場を活性化していく、これはかなり高い水準の脳力発揮です。総合力が要求されるといっても良いでしょう。

 

ある意味、脳力開発の実践行動では最大のテーマです。MGはそれにチャレンジ(実験)できる絶好の機会です。

 
 
 また、これはリーダーの立場にある人だけの問題ではなく、いかなる立場や地位にあろうとも、一人の人間として周囲にどう臨むかという大きな問題でもあります。糸口はそれほど難しいことではありません、他人の利益、それも物心両面での価値をもたらせて上げることです。

 
 
 では、その出発点でもある「基本前提」を考えてみましょう。それが分かると、手段方法=戦術はどんどん出てくるものです。

<反論・薩長史観> 明治天皇を取り巻く謎

日本を席巻している「薩長史観」について、私なりの反論を書き続けています。薩長史観というよりも、むしろ「長州史観」といった方がより正確なのかも知れません。

 

専門家すなわち史家でもでもなく、研究者でもない私の書く雑文ですから、しっかりした根拠があるとかなどという難しいものではありません。なんとなく感じていることを書き連ねているばかりです。

 

ですから、巷に一般的に流されている薩長史観をなぞらえる日もあります。こういうことが、一般的に語られている、あるいは教科書的に伝えられているということをハッキリしておきたいのです。

 

それに対して、こういう考え方もできるのではないか、あるいは事実としてこんなことがあったのではないかと。ものの見方も、表から「見せられたところ」だけを見るのと、裏側から眺めるのとでは違います。

 

「見せられていない」ところは、矛盾の中から発見することも少なくありません。いろんな方が書かれているところから、これまで見知ることのなかった新しい観点も生まれてくるものです。

 

衝撃的だったのは、「明治天皇すり替え」という意見です。真面目にこの裏付けに取り組んでおられる専門家もいらっしゃるようで、それだけを読むと妙に納得させられます。

 

もちろん、私には何が正しいのかという判断をするだけの材料も才覚もありませんので、あくまでそういうこともあるのだとしか書けません。Photo_2

 

ただ確かに客観的事実の中に、おかしなことがたくさんあることには気づかされます。もちろんちゃんとその理由も書かれていますが、理由が添えられているところに「おかしさ」も感じます。

 

例えば、明治天皇は即位前には睦仁親王と呼ばれておりました。父は孝明天皇、母は中山慶子で、攘夷派公家の中でも強硬派と言われた中山忠能(権大納言)の娘です。

 

皇居の奥深くでお育ちになり、少なくとも即位までは外に出られたという記録もありません。孝明帝の急死により14歳で即位されましたが、その頃の様子はほとんど表に伝えられていません。

 

それが慶応2年ですが、践祚されたのにどうして元号はそのままだったのでしょう。まだ元服されていなかった故にとも言われますが、元服前の践祚(即位)はそれまでにいくらでも例があります。

 

実際に元服され即位礼を執り行われたのは慶応4年、その後すぐに明治と改元されました。この頃まで、天皇のお姿を実際に見た人間はどのくらいいたのでしょう。

 

会議の折りにもほとんど御簾の内でしたでしょうし、維新の混乱の中でしたから、御所の外に出ることもほとんどなかったということなのでしょう。

 

それがある時点から頻繁にお姿を見せられるようになっていきます。もっとも「写真はお嫌い」だったそうで、あまり多くは遺されていません。

 

ただその御姿写真を見ますと、かなりの大男で剛健そのものの体格です。若き日のそれとはかなり異なり、そんなところから「すり替え説」も生まれたということでしょう。実際、かなり違います、客観的に見て。

 

ちなみに皇后に冊立されたのは一条美子(はるこ)、明治天皇より少し年上でした。入内は明治元年ですが、その後お子様には恵まれませんでした。

 

その美子皇后が天皇薨去後に与えられた追号は『昭憲皇太后』、あれっと思われません?『皇后』ではないのですかと。これでは明治天皇の母后になってしまいませんか。疑問いっぱいです。

 

ではまた来年に、ブログ上で私感を展開します。引き続きお付き合いください。

天皇誕生日に思ったことなどなど

昨日は天皇誕生日。84歳になられたという、最近出会ったという人に聞いた話では、顔色はとっても良いとのこと、まだまだお元気でいらっしゃるのは嬉しいことだ。

 

退位の日も決まったようだ、もう1年先と言うから西暦では2019年の4月30日。その日をもって平成も終わるということになる。Photo

 

なんとも中途半端な日に終わるのかということだが、今からキチッと分かっているのだから中途半端ではないだろうと思うのだが。

 

確かに12月31日でおしまい、1月1日から新しい時代と言われるのはメリハリがついていいと思うが、実際にはどうなのだろう。

 

年度末の3月31日の方がいいという論議もあったようだが、「中途半端」だというなら、4月30日でも大差はないだろう。

 

そういえば、平成は1月の8日に昭和天皇が薨去され、翌9日から始まった。その時に中途半端だなどという声は、あまり聞かなかったと記憶しているのだが。

 

昭和の時代だって、ある日突然に始まったわけだし、それほどこだわることでもあるまい。

 

これを機に元号を廃止して西暦一本でいいではないかという意見もあるが、それはどうなのかな。日本らしさという伝統は続けて然りではないか。

 

一方で、私の友人には今なお『皇紀』を使い続けている人がいる。彼にいわせれば、民族にはそれぞれの暦があっていいからだという、それも一理ありだ。

 

皇紀を使えば、これから先も変える必要がないというのが彼の持論だが、肝心の皇紀元年の歴史的(科学的)裏付けが、いかにも乏しい。

 

次の元号が何になるのか、すでにいくつかの候補案が出されているようではあるが、少なくとも頭文字がM、T、S、Hではないだろうと言われている。

 

つまり略号が同じになってはまずいと言うことだろう、適当に離す距離(年数)が必要だとのことだ。さて、どんな元号になるのだろう。

 

カレンダーや手帳を扱う業者は、なるたけ早めに、可能なら来年の春頃までにと要望しているようだが、少なくとも1年前より早くはないだろうと予想する。

 

同じ年に違う元号が並立するのは面倒という人もいるが、それはこれまでにも何度もあったことだ。歴史では元号が大事なポイントになることもある。

 

まぁ、いずれにしても今上陛下の益々のご健勝を祈ることにした。

東京にて高校の同期会忘年会

先週後半から遠征の疲れが出たのか、体調がイマイチで咳が止まらないし、気温差アレルギーによる鼻風邪気味が抜けないしで活動休止を強いられました。

 
幸いデスクワークも大したものはなく、嬉しいことにメールや電話のオファーで来年の新しい仕事がいくつか入るなど、たまには体を休めてみるものです。

 
なんとか1週間くらいで咳の方はほぼ収まりましたが、鼻風邪気味の方はまだ鼻炎スプレーが欠かせません。せめて年末にはすっきりしたいところです。

 
そんな中で、昨日は高校同期の東京忘年会に出席しました。私の母校は大阪ですが、大学から東京に出たり、仕事で東京周辺に住むようになった同期生も多いのです。

 
学年を問わない東京同窓会もあるのですが、そちらの方にはあまり縁がなく、同期の集まりには何年かに一度参加しています。

 
さすがに新潟在住の同期生はおらず、たまに合うこの機会が高校時代の昔話に花を咲かせる少ない機会の一つです。20171222_191003
  
今回も多分数年ぶりかの参加で、前回はお互いに還暦を過ぎてすぐの頃、今回はそれぞれが准高齢者の仲間入りをして迎える同期会です。

 
会社や第二の職場もリタイアしたメンバーもいますが、多くは私のように独立して仕事をしていたり、さらに活躍の場を持っている仲間が多数派です。

 
私たちの同期卒業生(1970年)は470名くらい、そのうち男子が300名以上でしたが、同期で結婚した仲間も数組はいたでしょうか。今回はそういう友人は来ていませんでした(1人だけ奥様は欠席)。
 
いずれも多くが孫の話ができる年代になり、親を送った話や、なかには連れ合いを亡くした仲間もいたようです。

 
同期で亡くなったのも何人かいます。最近亡くなった友人たちの話題も出ていました。そろそろそういう年代なのかなぁ。 
 
二次会もあるようでしたが、体調を考えてパスしました。次に会えるのは何年後になるのでしょうか。

<連載⑱> MGでも見られる自分だけ良し

繰り返しますが、批判等をプラスに活用する人と、嫌がり怖れてつぶそうとする人とでは、後から格段の差ができる結果となるのは当然と言えましょう。何しろ「自分を見直し、自分を変える」ための絶好の材料、あるいはきっかけになるのですから。

 
 
 なお、人の話を最後まで聞けず、途中で遮って自分の言いたいことばかりを主張する傾向の人がいます。そういう人は、行動の基本つまり土台習慣が「現状に甘んずる姿勢」になっているわけです。Img_9043

 

 反対意見に耳を傾けられない人も、また同様です。根本姿勢を直していかねば、結局は自分にマイナスに作用することを知ってほしいところです。(写真は内容とは無関係です)

 
 
 次に、重要基本姿勢の3つ目、「他人の利益もはかる姿勢」です。利益は価値と言い換えてもいいでしょう。ここの重要な決め手は、他人の利益「も」と言っているところです。「が」ではないのは、「自分も良し他人も良し」だということにあります。

 
 
 反対の、「自分だけ良しの姿勢」が土台習慣になっていると、脳の原動力が高まらないし、充実しないと言われています。また、盲点がそのままにされ、ひずみが多くなって高い結果に結びつかないのです。

 
 
 MGに置き換えてみれば自明のことと思います。入札で常に対抗し、相手のプライスをくぐって売りまくる。材料が市場に出れば買い占めに走る。それこそビジネスパワー分析の互恵力で、「あの人とはもう二度と一緒にやりたくない」と思われるような感じです。

くれぐれも貴の岩を置き去りにしないよう

大相撲の世界が大揺れに揺れている。暴行事件が起こったのはもう一月半も前だが、いったいどういう結末に向かうのか、私のような門外漢には想像もつかない。

 

ハッキリ言えることは、いついかなる場合にも「暴力はだめだ、許されない」ということだろう。後のことは枝葉末節だなどとは言わないが、根幹ではないはずだ。

 

とするならば、40日以上も経過して当事者たちへの処分がハッキリと出ていない、というのはいかがなものだろうか。当事者とは、引退した日馬富士であり、そばにいた白鵬と鶴竜の両横綱だろう。Photo

 

間接的には、間違いなく暴力を振るったという日馬富士の親方(伊勢ヶ浜)も、監督責任は免れまい。少なくともその4人については、厳重な処分が出て然りと思うがづか。

 

日馬富士については自ら引退しているから、という意見もあるようだが、それは違う。確かに引退することによって失ったものは大きいだろうが、その行動(暴行行為)がもたらした負の影響は甚だ重い。

 

昨日の横綱審議委員会の臨時会でも、そのあたりの指摘があったようだが、さも当然だろう。その後開かれた臨時理事会では、白鵬と鶴竜への減給処分も決まったらしい。

 

あとは貴乃花親方の事件対応に対する評価だろうが、私はとんと興味がない。ハッキリ言えることは、私が彼の立場であったら、あのような姿勢や行動はとらないだろうということ。

 

あれでは、余計な摩擦と誤解を招くだけだろう。それ以上の評価も感慨もない。

 

改めて分かったことは、相撲協会なるものの旧態依然とした体質だな。公益法人であり、莫大な興行収入を上げている法人にしては誠にお粗末だ。

 

その昔、もう何年前だろう、まだ我が家にテレビがなかった頃だから60年近く前だが、近所の空き地(小学校運動会などでも使われていた)に、大相撲の興業がやってきていた。

 

千代の山とか鏡里とか、そういった横綱がいた時代だっただろうか、初めて相撲取りを目の当たりにして、そのでかさに驚いたものだった。

 

いくつものテントが張られていたが、その隙間から中に入ろうとしてつまみ出された。今から思えば、土地の顔役というか地回りのような連中、暴力団的な組織も絡んでいたのではないか。

 

その時代から、今はどこがどう変わったというのだろう。本場所でもまだ、昔ながらの状態が残っているというが、地方場所(巡業)ではもっと顕著なのではないか。

 

そうでないことを祈りたいが、今回の暴力事件とその対応を見る限り、大きな変化があったとは思えない。その中で孤軍奮闘しているらしい貴乃花親方には、エールを送りたい気持ちはあるが。

 

最も大事なのは、被害者である貴の岩のケアだろう。状態が伝えられていないので想像するしかないが、身体的にも精神的にもどん底にあるのではないか。日馬富士が引退したことへの悔恨もあるだる。

 

彼が置き去りにされないことを、心から祈りたい。その一点だけなら、貴乃花を支持してもよいのだが。

小さな会社だからこそできる「全員」経営

今年も「小さな会社のマネジメント」というテーマで、いろんなことを書かせていただきました。日本のほとんどの会社は中小企業であり、さらにいえば小企業・零細企業あるいは個人事業が大多数です。

 

かくいう私のところも個人企業、配偶者が専従者であるというだけの吹けば飛んでしまう会社です。というよりも、その存在すら99%の人が知らないと言っても過言ではありません。

 

さはさりながら、幸いな人生を歩んでくることができました。すなわち、いわゆる大企業(上場企業)にも勤務した体験があり、業界上位の中堅企業にも長年(定年の5年前まで)籍を置きました。

 

その間には中途採用の平社員から始まり、係長、課長といった中間管理職を体験し、さらには部長職も務めました。労働組合の役員として活動した年もありました。

 

さらにはこんな幸運があったのか思うようなことがありました。つまり、販売子会社に現地責任者として出向するというチャンスです。35歳、まだ若造から少し一皮むけ始めた頃だったでしょうか。

 

それまで製造販売会社にいながら、入社から13年間営業部門にも製造部門にも配属されず、ずっと企画開発部門を歩み続けてきた私がなぜ!?という思いを持ったのは私だけではなかったでしょう。

 

親会社の社長が代表権を持つ社長兼任でしたので、専務(7年後から代表取締役社長)という肩書きの私が現地で采配を任されることになります。今から思えば、最初販社プロパーの社員たちも「えっ?この人が」と思ったことでしょう。

 

その話はまたいつか違う機会を持つとして、さらに私が幸運だったのは、出向までの2年半で西順一郎先生のMGをじっくり、深く学ぶことができたことです。Photo

 

もしMGに出会っていなかったら、赴任してどこかの時点で早々と壁に突き当たってしまったでしょう。MQ戦略ゲーム(MG)は、経営のまねごと(シミュレーション)に過ぎませんが、それでもやっていて佳かったです。

 

もちろん現場の実務においては、MGの中では出てこないたくさんのことがあります。しかし、そんな時にもさして動じることなく対処できたのは、MG体験のおかげだったと胸を張れます。

 

小さな会社の佳いところは、現場の隅々までいつでも見渡せるということです。ただし、見渡せるだけの「視力」を持っていなければなりません。

 

また、現場の声をいつでも聴くことができます。どんな小さな声であっても、耳を澄ませばあらゆることを聴き取ることができます。二つの耳を駆使できる聴力も欠かせません。

 

そういう視力や聴力を、養うことができたのはMGのおかげでした。そして脳力開発のおかげで、分からないことはすぐに尋ねるという習慣ができていました。

 

問うは一時の恥、問わぬは末代までの恥。幸い、会社の中には営業・販売のプロがゴロゴロいましたし、商品知識では右に出るものがいない社員、お客様のことは何でも知っている社員。

 

経理のことはすべて任してもよい実践知識を持っている古参女性社員、荷造りのプロ、そして難しい会計のことは顧問税理士さんに即座に尋ねました。

 

もちろん私自身も、毎月の総務的な仕事についてや手形・小切手のこと、株式の扱いなどは、自力で分厚い本を開いて勉強しました。MGあるいはパソコン(マイツール)のことは、私が全社員に教えました。

 

小さな会社だからこそ、できたことかも知れませんね。つまり、小さな会社でよかったね、ということでしょうか。大きな会社の真似などしなくても、偉いコンサルタントに教えられなくても「全員経営」はできるのですよ。

<連載⑰>批判のない人は何もやっていない人

 ところで、あなたは自分に対する批判や指摘に対してどういう態度をとっていますか。いや、そもそも批判や指摘をいただいていますか。

 

 批判が出ないのは、むしろ何もやっていないことの証明ではないかと、脳力開発では言っています。何かをやれば、何らかの批判は出てくるものではありませんか。

 
 
 MGにおけるビジネスパワー分析、最近は時間の関係で省略されることもありますが、でも体験があるでしょう。自分の気付かないところを、周りの方から指摘してもらう、それを次に活かしていく。とくに最後の互恵力の衆目評価は、大きな意味があります。Img_0861

 
 
 いずれにしても、せっかく出された自分への批判に対しては、嫌がって耳をふさぐのではなく、少しでも自分にとってプラスに活用した方が、明らかに自分自身の利益になります。指摘は批判だけでなく、アドバイスや反対意見、時には欠点の指摘もあるでしょう。

 
 
 批判や反対意見、マイナス点の指摘などは、『進歩の糧』として使える絶好の材料なのです。むしろ進んで受けるくらいの気持ちが、土台となっていたいものです。

 
 
 ビジネスパワー分析でも、「自分の時には発言権なし」と明記してあるでしょう。なぜ書いてあるのか、そこに脳力開発の指針が盛り込まれている、理解していただけたでしょうか。

<反論・薩長史観> 松陰から玄瑞・晋作へ

井伊直弼にフォーカスしてきましたが、少し時計を元に戻してみましょう。

 

吉田松陰が処刑されたのは安政6年(1859年)1027日、その朝死罪が申し渡され、そのまま伝馬町の獄で即刻処刑されました。享年30歳(満29歳)。

 

松陰の辞世の句としては、「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」という弟子宛のものが有名ですが、私は親に宛てた次の一句です。

 

「親思う 心にまさる親心 けふのおとずれ 何ときくらん」

 

松陰が処刑された年には、まだ萩の両親は健在でありましたし、処刑前日に書いたと言われるこの句には最も素直な気持ちが込められていると思うのです。

 

狂気の人と言われた松陰を決して見捨てることなく、最後まで支え続けたのは両親であったことでしょうし、住み辛い思いや心苦しい思いもされたことでしょう。

 

さて、松陰の死骸はそのまま伝馬町の牢屋敷に放置されたらしく、江戸屋敷にいた周布正之助の指示で毛利家中の数人が引き取りに行きますが、牢役人に拒絶されたようです。

 

おそらく賄賂なども使ったのでしょうが、結局牢役人を押しきって遺骸の引き取りしますが、死骸を入れる丸桶に遺骸を投げ込んで、伝馬町から南千住の小塚原回向院に向かいます(役人も同行)。Photo

 

夜中でもありかなりの距離がありますので、大変だったでしょう。その回向院には、桂小五郎や伊藤利助(博文)も待っていたようです。

 

彼らは、首と胴体をつなごうとしますが、さすがにそれは役人からダメ出しをされたようでうす。処刑された重罪人ですから、強くはいえなかったようで、そのまま埋葬します。

 

その後、門下生である久坂や高杉たちは、山田方谷を通じて当時老中だった(?)板倉勝静に遺骸引き取りを頼んだようですが、それが功を奏したかどうかは別としてようやく許可を得ます。

 

そして回向院からさらに、江戸郊外にあった毛利家の飛び地に移された埋葬されます。そこが現在の松陰神社です。

 

ですが、松陰が毛利家の中でも名誉を回復するにはさらに時間がかかっています。それまでは、なお「狂気の人」として遠巻きにされています。

 

大赦令が出て、松陰の名誉が回復されたのは1863年になってからですから、毛利家飛び地への改葬もその後に行われたようです。この時には高杉も立ち会っています。

 

そしていよいよ、毛利家では門下生であった久坂玄瑞と高杉晋作が、大きな影響力を持って藩論を左右していくことになるのですが、あまりにその功罪の「功」の部分がクローズアップされているのが薩長史観です。

 

そんなにエエもんかよ、というのが私(たち)の思いであり、結果として北越戦争や会津の戦いに直接つながる元であったということを、ハッキリと記しておきましょう。

大企業や大コンサルに学んでどうしたいの?

かなり昔に読んだビジネス書に、「良い会社の条件」を列挙した本があったと記憶しています。その条文はほとんど忘れてしまいましたが、確か『社員を人間として尊重する』というのがあったはずです。

 

私がけっこう一所懸命読んだ本ですから、30年近く前のものではないかと思います。何しろ昨今は、そういう類のビジネス書はほとんど読まないことに決めていますから。

 

なぜかというと、真っ赤なウソが多いからです。かの本も、その当時「良い会社」と呼ばれていた会社が信条としていることとかが、まとめられていたはずです。

 

しかしながら、それから30年近く経って、どれだけの会社が上記に上げた1項目だけでもできているでしょうか。業績が悪くなると平気で首切りをする、リストラという便利な言葉もできました。

 

月に100時間を超すような残業を強いて、ついには自殺という結末を招いた企業は少なくない。それも我が国どころか、世界にも名だたる会社だ。

 

そこで何だか「働き方改革」なるキャッチフレーズを盛んに唱え始めたが、『社員を人間として尊重する』という根本理念が語られないところに、このキャッチの嘘っぽさがある。

 

その上に、企業ごとにその実情に合わせて工夫してほしい、などと玉虫色のことを唱える。昔から、企業がそういうことに応えてきた試しはほとんどないのに。

 

月間80時間の上限残業でも相当なものだと思うのが、私の感覚なのだが、その制限事項ですらちゃんと抜け道を作っておき、「企業ごとの実情に合わせて」どうにでもなるようだ。

 

そのあげくに、世界に冠たる企業の不正が次々に明るみにされる。相変わらず、その企業のトップは「しょうがなく」頭を下げ続ける。そして弁解にもならない言い訳や後出しの対応策を述べる。Photo

 

私自身も大学を卒業した頃(もう40年以上前だが)には、そういう上場企業・トップ企業に入ることを目指していて、幸いなことにその業界ではトップを争う会社に就職した。

 

幸か不幸か、体を壊してしまったために早めに退職し、次には中堅クラスの地方企業にお世話になることになった。そのおかげで、人材教育の一端を担う仕事をやったり、販売会社出向というチャンスを与えられた。

 

そのことが、10年前に独立した現在の仕事につながっている。そして「良い会社」とはなんぞやということも、より現場に密着する中で答を与えられているし、それらをベースに企業指導の仕事をしているわけだ。

 

いかに、一流と称される企業が大したことがない会社なのかもそれなりに分かった。反面教師としてその事実を活用できる。

 

だから、そんな「一流会社」の経営者の書いた本、それらを持ち上げる大手コンサル会社の社員教育などは、あまり信用していない。とはいえ、そういう本が売れ、コンサル会社は隆盛だ。

 

それを羨ましくはちっとも思わない。そんな本の内容に感心し、コンサルに自社の将来を任せる経営者に、警告を発したいだけだ。

 

先日久しぶりにJALグループの飛行機に乗った。JALが倒産し、株券が紙切れになった(私の株券もそうだった)時から、乗ることを避けてきたのだ。ささやかなる抵抗で、その分ANAや他社を応援した。

 

それが再び「日本の翼」としてよみがえっただと。ちゃんちゃらおかしくて、JALにも、稲盛教の教祖様にもあきれているばかりの、天邪鬼が世間の片隅にいることだけを記しておくことにしよう。

今年のMG・学びの目標もクリア

12月も後半に入りました。私も一昨日で仕事の遠征は完了し、今年1年の整理という内部仕事にとりかかっています。今月末が決算ですので、まずはその準備です。

 

今年はさほど面倒な期末処理などはないと思うのですが、速めに処理を終えて申告書に取りかかれるよう、いろんなことを前倒しで進めていきましょう

 

また、来年1年間の行動計画などを、より具体的にまとめていく仕事も残っています。スケジュールなどはあらかた決まったのですが、今一度しっかりと整理整頓しなければなりません。

 

さて、この1年の振り返りですが、自分の学びについては100%目標を達成できたかと評価しています。今年は年間で12回(ほぼ毎月1回)、西先生のMGに参加することを目標に掲げました。20170225_mgf1

 

これまで参加したことのないところにも行ってみるという目標も、最後の参加地、伊豆温泉MGにてクリアすることができました。

 

その他フェスティバルやMGシニアなどを加えますと、気がついたら最終のMG5期で1300期に到達していました。2018年の目標になるかなと思っていたのですが、今年中に達成できたのは望外の喜びです。

 

MGを知らない方に注釈しますと、通常のMGセミナー・研修では2日間で5年分の疑似経営体験をゲーム形式で行います。これを「5期」と称しています。

 

10回研修を体験しますと50期となり、20回積み重ねていきますと100期になります。MGを始めた方の、まず最初の目標になるのがこの「MG100期」です。

 

1300期というと、その100期を13回繰り返したわけですので、通常だと260回体験をしたことになります。もっとも途中参加や、3期とか4期で終わるMGもありますので、体験の回数としてはもっと多いでしょう。

 

数を多くやればいいわけでもありませんし、別に自慢にもなりませんが、30年あまりも継続してきたことは胸を張ってもいいかなと思います。

 

それだけ体験を重ねても、いまだに平凡なミスをすることがあったり、意思決定に迷ってしまうようなことも多々あります。その度に、まだまだ学ぶことがいっぱいあるなと感じるのです。

 

今回の最終MGでも、普段ならおそらくやらないような凡ミスをやらかしてしまいました。意思決定のミスなどは1回ではすまなかったはずです。

 

MGでは「ああ、失敗したな」ですみますが、実際の経営活動ではそれが致命的なことにつながるかも知れません。逆に言うと、MGで失敗すること自体が学びになるのです。

 

これは脳力開発でいうところの、『次につながる失敗体験』だと言えるでしょう。

 

そんな風にいろんな体験を積み重ねることができるのも、私がMGを続けている理由です。1回として同じ形ということはありません、実際の経営と同じです。勝ちパターンもありません。

 

そんな中で、もう一つの目標「毎回表彰状をいただく」ことも、自分が主催したMGを除いて、達成ができました。つまり確実に成績3位以上をキープできたわけです。

 

今ひとつの目標、必ず単年度の黒字を出すことは一度だけ失敗してしまいました。これも大きな学びにつながり、再び目標として来年以降も続けていきます。

 

MGで出会った皆さんに、心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。

<連載⑯> 見栄を張ってもいいことは何もない

進歩発展に対する内部ブレーキになるもう一つの要因は、見栄とか虚栄心です。これが脳力開発にとっては大ブレーキになるのです。

 
 
 見栄の気持ちは、「現状の出来具合(結果)がどう思われるか」に執着するところから、発するものです。裏を返すと、将来の進歩発展を重視していない、あるいは眼中にないところから起きるのです。

 

言い換えれば、今がよければいい、現状がよければそれを変える必要はない。そういう現状に甘んずる姿勢が、土台になっているわけです。Photo

 
 
 実は、見栄を張ることによって自分を高く(エラく)見せようとすることによって、かえって実際の、本来の姿よりも低く見られてしまう結果となる。そのことに気が付いていないのです。上辺を飾ってみればみるほど、自分を低めていることに早く気付くべきです。

 
 
 恥をかきたくないからと、新しいことにチャレンジする努力を封じてしまうのは、見栄・虚栄の延長線だと言えます。あるいは、粋がりとか悲壮感をあえて顔に出すことなども同類と言えます。

 

これらは、変な無理を強いる結果となってしまい、結局は脳力や実際の成果を妨げ、損なってしまうのです。

 
 
 MGを通じて「エエカッコ」などしなくなったと胸を張っている人が、実際の仕事の中では余りできていない。これではMGの期数を重ねている意味がありません。

 

 普段の仕事や生活の中でそうなってはいないか、ちゃんとできているのか、自分の胸に手を当てて日々の行動を振り返ってみてください。

66歳2日目のメッセージ

昨日は人生66回目の誕生日を、伊豆湯ヶ島温泉で迎えました。

 

振り返ってみますと、自宅で迎えた誕生日の方が圧倒的に少なく、前職時代は仕事での出張や後半は研修参加、そして現在の仕事の中でも1年最後のセミナーやクライアント訪問で、歳を重ねることが多いです。

 

昨日はMG研修に参加の仲間たちから祝福をしていただきました。また、フェイスブックでもとってもたくさんの縁ある友達からメッセージが届きました。

 

もちろん、かみさんからも携帯メールがちゃんと届きました。今回の最終遠征から戻ったら、ゆっくりランチを愉しむ予定です。20171212_120832

 

私が生まれたのは1951年の12月、まだ世の中が「戦後」の混乱時代から抜け出していない頃でした。父親がシベリア抑留から戻ったのがその3年前。

 

私自身も予定日より1ヶ月も早く生まれ、体重が1650gの未熟児でした。なんとか成長を始めましたが、小学校の半ばくらいまでは虚弱でひ弱なやせっぽちでした。

 

それがいろんな人たちのおかげで、今ここにいることには深く感謝しかありません。

 

父や母は、どちらもすでに旅立ちました。やがて私も彼らの待つところへ、旅立っていくことになるでしょう。

 

それまでの日々、いつかということは分かりませんが、確実にやってくるその日までしっかりと使命と思える仕事に打ち込み、家族を大事にして歩んでいきます。

 

これからも多くの方に支えられていくことでしょう。どうぞ、よろしくお願いいたします。

<連載⑮> 将来価値を評価していきたい

評価というと、私たちは今目の前にある結果について評価することを考えます。あるいはもう一歩進めて、この結果に至ったプロセスを振り返って評価しようとします。

 

 後者の方が「優れた評価」だと書いている本も、少なくありません。結果も大事だが、プロセスがもっと大事だと書いてある本もあります。私はそうとは思いませんけど。

 
 
 脳力開発でいうところの評価は、結果だとかプロセスだとか、その辺りに留まるものではありません。なぜならこれまでのプロセスも、今こうなっているという結果ももはや変えることができないからです。20170805_2

 

 現在の自分が周りからどのように思われているのか、という価値に目を向けるるのがこれまでの評価のあり方でした。

 
 
 しかしこれからは、「将来の自分が実際にどのくらいの進歩を遂げるか」という価値、すなわち『将来価値』の方をより重視していきたいものです。

 

 もちろん、今日が過去からのプロセスでできているように、将来もまたこれまでのプロセスに因るのかもしれません。しかし、将来は自らの手で変えていくことができます。

 
 
 ですから、「進歩とその努力」をこそ最高の評価の対象とする。そういう雰囲気、企業風土づくり、個人で言えば習慣づくりを進めていきましょう。MGでも、BS評価の「++」を大切にしています。

 

 これは言うまでもなく将来評価を行っているわけです。これによって、実際の発展具合をさらに大きくしていくことができるというものです。

廃線予定の三江線に乗ってきました

JR線の廃線は北海道でいくつか実施され、今後も廃止が囁かれている路線もありますが、本州でも来年3月末に廃止となるローカル線があります。

 

その名はJR西日本三江(さんこう)線、島根県の山陰本線江津駅を起点に、広島県の芸備線三次駅までの1081kmのけっこう長めのローカル線です。

 

今から46年前(大学時代)に初めて江津(当時は石見江津)を訪れたときには、まだ三次までは全通していなくて、途中の浜原までの行き止まり線でした。確かまだSLC12形かC56形)が走っていました。

 

多分三江北線と呼ばれていたはずで、三次から口羽までが三江南線でした。この途中が建設され、全通したのが1975年で、翌年に全通した全線を乗りに行った記憶があります。

 

それから40数年ぶりに、廃止前に乗らなくてはということで出かけました。遠征の休日をフルに活用しようということで、頭をひねりました。

 

何しろ1日の運行本数は56往復程度、しかも全線を走破する列車は15往復しかありません。翌日の予定を考えると、江津発1514の三次行きをつかまえるしかありません。

 

ちょうど昨日10日から「青春18きっぷ」が使えますので、それを活用することも考え、大阪から出雲縁結び空港まではJAC便で飛ぶことにしました。

 

前日にJR西日本のホームページをチェックしたところ、三江線に乗車する人が増えて乗りきれない列車があるかも知れないとのこと。まさかとは思いましたが、一応その対策もチェックしておきました。

 

出雲市駅ナカで昼ごはんをとり(駅前に出雲そばの美味しい店はありますが私はパスなので)、昼過ぎの各駅停車で江津へ。山陰本線は本線とは名ばかり、小型のキハ120形の単行運転です。

 

江津では1時間半の待ち合わせでしたが、同好の士と思われる人たちが10数人。それでも乗り切れないことはないなと、寒いホームでゆっくり待つことにしました。雨も降り出しました。

 

当該列車はキハ120形の2両編成、以前は単行運転でしたが、乗客増で少し前から増結したようです。座席がほぼ埋まる乗客数で江津駅を定刻発車、江の川を左に見ながら川に沿って南下していきます。20171210_150825

 

各所に速度制限区間があり、浜原まではのろのろ運転。JR西日本のローカル線には、そういう区間が多々あります。安全のためとはいえ、保守費用を節減することが主目的になっていなかなと疑います。

 

浜原を過ぎると40年ほど前とはいえ新規開業区間、ここはキハ120形もかなりのスピードを出してくれます。夜のとばりも降りて、17時半頃を過ぎるともう真っ暗です。

 

かなり高い高架上の駅、宇都井駅も闇の中でしたが、眼下の家の中から列車向かって灯りを手にして振る様子が見えました。

 

口羽で15分くらい交換待ちで停車、ここまではずっと短い停車時間でしたので、多くの乗客がホームに降りて一息入れたり、カメラを向けたりしていました。

 

さらに1時間くらいでようやく三次に到着、江津で乗り合わせた人たちの半数以上は、全線を乗り通されたようです。また4分の接続で発車する広島行きに乗り換えた人が多かったようです。

 

私は三次泊まり。そして今日は、廃線予定にはなっていませんが、同じようにキハ120形が行き交う福塩線に乗って、さらに南下していきます。

これから先の旅はどうなるでしょう

12月も早10日を迎えました。寒暖差が日によって大きく変わりますが、着実に冬がやってきていることを感じます。

 

ちょうど、今年最後の遠征まっただ中で、仕事と仕事の合間の日曜日です。この休みの日を利用して、乗り鉄の旅を少し愉しむ予定です。T_20171210_08_2

 

目的地は島根県、江津市から江の川を遡り県境を越えて広島県三次市を結ぶJR三江線(さんこうせん))が、その目的地です。

 

この三江線、来年3月末で廃線が決まっており、残り100日あまりとなっているというわけで、全国から乗り鉄、旅鉄、撮り鉄など大勢のファンが訪れています。

 

何しろ運転本数が少なく、JR西日本のホームページにも、満員で乗れないことがありますという注意喚起のメッセージが載せられています。

 

何しろ走っている車両は、JRの中で最も小型のキハ120形。これが1両また2両編成で走りますので、当然に積み残しが発生するでしょう。

 

そんなわけで、大阪から出雲まで空を飛び、出雲市から江津まで鈍行の旅をするのですが、その先の列車に無事乗れて三次にたどり着けるか、運を天に任せます。

 

どうしようもない時には、浜田から広島へバスで抜ける手段も考えてありますが、これとて予約は取っていないのでさらに別の方法も考えてあります。

 

どうも最近の「鉄」ブームで、廃線が伝えられると人が殺到するようですが、自分もその一人ですので文句は言えません。では行ってきます。

PDCAではなくDSPAが道を切り拓く

PDCAを回す、これを教えていただいたのは40年以上も前だったでしょうか。以来ずっとこれが正しいと思ってやってきました。周りの人にも伝えました。

 

間違いだなどと、そんなおこがましいことは言いません、ただ、いろんな会社をサポートするようになり、また自社での経営体験から、もっと良いサイクルがあることに気づいたのです。

 

そのきっかけになったのは、やはり自社での体験だったでしょう。年度計画(利益計画&資金計画)を立て、そこに行動計画を組み込んでいき、「それいけ!」で実行する。Pdca

 

中間チェックを行って問題点を洗い出し、後半の行動につなげていく。典型的なPDCAを毎年実行していく中で、ふと疑問を感じたりしていました。

 

脳力開発を学んだおかげで、疑問を感じたらすぐにやって見るべしという習慣がついていましたので、PDCAの順番を変えたらどうかとまず考え、実行しました。

 

それを補完してくれたのはマンダラ、戦略マンダラの「苦集滅道」でした。あるいはMGから学んだ「まずやる、あとで直す(やりながら直す)でした。

 

そう、PDCAに足りないものがそこにあったのです。

 

PDCAの問題点は計画を立てる最初の段階と、中間のチェックというところにあることを感じました。これはある会の「経営指針づくり」が反面教師になりました。

 

そこでは計画作りにエネルギーが大量に注ぎ込まれ、まことに立派な経営計画(経営指針)を作りますが、その素晴らしき計画を社員にいかに落とし込むかにさらなるエネルギーを要してしまうのです。

 

そういう会社の事例をメンターとして見てしまうと、自社もそうなってはいないかと振り返ざるを得ません。確かに計画は重要で、計画を完璧に作ることで実行段階がスムースにいくことは間違いありません。

 

だが、その計画はどこから出発しますか。やはり「D(行動)」なのです。つまりこれまでやってきたことが起点になるわけで、その振り返り、つまり「現実を見つめ直すこと」が出発点になります。

 

しかもそれは「C(チェック)」ではなく、「SSee・見つめる)」ことだと気づきました。それは戦略マンダラに当てはめてみるとピタッときたのです。

 

まず現実をしっかり見つめる、そうなっている要因を整理し、要因を内因(原因・真因)と外因(環境条件)に分ける。内因をさらに深掘りして、重要ポイントを抽出する。

 

その要因分析から戦略を立てていくことは容易です。戦略ができれば、戦術(手段・方法)は自ずと組み立てられていく。

 

そう、PDCAの問題点は、計画段階で戦術の組み立てにエネルギーを費やしてしまうこと、ともすればまず戦術(というより対策)から入ってしまって、戦略部分が重要であるのにぼやけてしまう。

 

そこで、当社ではPDCAからDSPAにシフトしたのです。まずやる、やりながら直すの実践です。

 

あなたの会社も、切り口を少し変えてみませんか?

<連載⑭> 失敗についての対応を改めよ

さて、あなたの会社はどうでしょうか、ミスや失敗を責める、あるいは咎める風潮がありますか。それとも、まぁいいじゃないかと許す雰囲気でしょうか。

 
 
脳力開発ではさらに一歩も二歩も進めて、次のステップのためにはむしろ大いにミスすべし、という風潮を作っていくくらいがちょうどいいとさえ申します。20170519_1 (写真は脳力開発講座)

 

ただし、全く同じ誤りを二度三度と繰り返してしまうのはどうでしょうか。それは前進とは言えず、やはり「愚」として指摘はすべきでしょう。「仏の顔も三度まで」ともいいますから。

 
 
いずれにしても、失敗に対する考え方や評価、あるいは気持ちの持ち方は行動の展開に大きな影響を与えます。やる前から委縮してしまわないような、企業風土をどう作るか、リーダーにとっても重要な課題です。

 

この辺りは、アドラー心理学の考え方にも通じるものがあるようです。

 
 
3つめは「自分に対する評価への恐れ」です。つまり、自分が周囲からどう評価をされるのかが気にかかってしょうがいない、そういった心のありようです。上記の失敗ともかかわることであり、進歩発展の行動を妨げる実に大きな要素でもあります。

桜田門外の変はどう影響していくのか

井伊直弼が白昼堂々テロ集団に殺された桜田門外の変、「犯人」は水戸藩脱藩浪人17名と薩摩藩士1名の18人。彼らは現場等で死亡したほか、捕らえられて投獄されたもの多数です。

 

変の直後は、例えば水戸藩でも関係者の処分を実施しています。薩摩藩でも、悪影響がないかとかなり気を遣ったようです。

 

ところが明治新政府は、例えば唯一の薩摩藩士であった有村に対して正五位を追贈したりしています。これはどういう意味なのでしょうか。

 

また、襲撃者すなわちテロリスト全員が靖国神社に合祀されています。ではこの変で死亡した彦根藩主、あるいはその後の政変で失脚・打ち首にされた長野主膳などは?

 

私が靖国神社を散歩はしても、参拝は絶対にしないのは、このあたりの片手落ちというかテロリスト賛美が気にくわないからです。

 

維新の時代に亡くなった人々を平等に祀るのであれば、どうみても恣意的に区別するようなことはおかしいとしか思えません。

 

彦根藩もある意味では被害者でした。幕閣の事なかれ主義で、直弼は病死とされ「事業継承」も認められますが、大幅に減封(35万石から25万石)されてしまいます。

 

これによって、明治に入って伯爵にしか叙位されなかったと恨み節が出ますが、これはいささか誤解によるもののようです。

 

ともかく、彦根藩自身も変後の収拾に終われ、しかも幕府の事なかれ主義や世論に迎合してしまいます。とくに安政の大獄の関係者逮捕に豪腕を振るった長野主膳は、悲劇的な最期を迎えます。

 

確かに、主膳の行動は非難されてもやむを得ない面もありますが、職務に忠実だったことや彼は彼の主義に基づいて信念を持って行動したと考えれば、一方的非難は当たらないでしょう。

 

蛇足ですが、彦根市と水戸市が「和解」したのは、変からなんと100年以上も経った1968年だということを耳にしています。

 

こういう例は、例えば萩市や下関市と会津若松市の関係とか、いくつかあるようですが、現代人の感覚には合わないなどとおっしゃるのは、薩長史観に馴らされた故ではないかと思う次第です。

 

いずれにしても、このテロ事件以来特に京都における「(勤王の)志士」と名乗る、輩たちの跋扈が激しさを増していきます。彼らが「勤王」であったとはとても思えません。

 

単独での、あるいは徒党を組んだテロ事件が頻発し、京都は暗黒の都と化します。とくに、安政の大獄での体制側と名指しされた、あるいは疑われた人たちは戦々恐々だったことでしょう。Photo

 

実際にテロの対象は、そういった人たちに集中します。一方で水戸藩は藩内抗争と分裂が続き、過激派は天狗党と称して京都に上ろうとしますが逆に追討を受けて崩壊、多くが惨殺されてしまいます。

 

こうして水戸藩は維新の主役の座から脱落、一方の彦根藩は、戊辰の役の中で官軍に鞍替えするという逆転劇を演じます。歴史の変転、その背景や結果を私たちは正確に見つめたいものです。

今年も雪降る冬がやってきました

今朝はうっすら雪化粧、新潟県内は各地で積雪を記録しています。いよいよ本格的な冬、この冬は大雪になるのかどうか気がかりなところです。

 

雪のない土地から新潟県長岡市に引っ越してきたのが1990年、その年の冬は比較的雪が多かったのですが、以来「大雪」と言われたのは数回です。来る前に予想していたよりは少なかった雪ですが、四季のメリハリがあるのはいいなと感じたものです。

 

新潟市に転居してきたのは昨年の5月、新潟市は海沿いでもあり積雪は少ないところです。ただその分、除雪や排雪の体制が十分ではないので、表日本と同様にドカ雪が降ると大変です。

 

今日は今のところ降っても数センチという感じですので、電車が遅れたりすることもないでしょう。幸い昨日のうちに冬タイヤに履き替えましたので、車の走行には支障なしです。

 

長岡に来た最初の頃は、雪道の走りはおっかなびっくりでした。特に路面がシャーベット状になったりした日には、急ハンドルや急ブレーキは御法度と教えられていましたので、運転する手足にも緊張がありました。

 

少し慣れた頃に油断をしたのか、凍結気味の道でスリップし、除雪の雪壁に突っ込む失態もありました。ブレーキを踏んでも全く効かないことを、実感できたたのはよかったですが、壁から車を掘り出す苦労も体験しました。

 

それがもう身に染みついたと思っていた頃、今度は見通しのよい田んぼの真ん中の農道でスリップ、全くコントロールの効かないまま雪壁に激突。車はフロントが中破でした。

 

この時には通りがかった方にロープでつないでいただき、「救出」されましたが、100メートル以上は車が滑って怖い思いをしました。前からの車がなかったのが幸いでした。

 

地吹雪の怖さも何度か体験しましたが、特に高速道路上の「白い槍が次々に飛んでくるような」すごい吹雪は、ヒヤヒヤものです。Photo

 

一度ならず、高速道二車線の真ん中ラインを跨いで走行したこともあります。走行車線や追い越し車線側に寄ったら、フェンスなどにぶつかりそうな気がしたものです。

 

だだ広い平野部での地吹雪はもっと大変で、何しろ道が見えなくなりますので、両側に立っているポールなどが頼りです。

 

自然とは恐ろしいものだと実感したことも何度かありますが、その分謙虚になれたのだと思います。その気持ちを忘れずに、今年の冬を迎えています。

 
さて、どんな冬になるのでしょう。「雪が溶けると何になりますか?」の問いに、「春になります」という答えがあることを実感したのも、こちらに来てからです。

 
そんな気持ちを大事に、冬を愉しんで参ります。

<連載⑬> 失敗から学び次につなげる

進歩・発展に向かう気持ちを妨げる内部要因、その2「失敗への恐れ」です。これは、失敗を自分の中でどう位置付けるかによります。すなわち、失敗はけしからん悪いことなのかどうかということです。

 
 
そうではなく、失敗とは『前進』として役立つことなのだととらえられるかどうかです。真の認識の向上と、大きな進歩発展のためには、つまずきやミスはむしろ必要なものです。

 

なぜなら、『良いもの』とは『まずいもの』との対比であり、双方とも実践的に体得していってこそ、本当に正しい把握ができるものです。マイナスを知らずにプラスは語れないと言ってもいいでしょう。

 
 
実践的な体得、それはMGでいうところの「行入」そのものであり、皆さんもMGをやる中で何度も失敗という体験を、体験されてきているはずです。私など、最初の50期くらいは失敗の連続というか、これでもかというくらい多数のつまずきやミスを繰り返しました。

 
 
だからこそ学べたことも多いのです。もし最初から何でもかんでもうまくいっておれば、真剣にMGに向かい合わなかったかも知れません、分かった気になってしまって。

 

この実践的体得によって、初めて真に優れた行動が実際に可能となるのです。これは、脳の基本法則です。今日も誰かが言っていました。「何も失敗しない人とは、すなわち『何もしない人』と言って良い」と。まさにその通りです。

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今年のCFMGも無事にすべて終わりました

この土日の神戸・キャッシュフローMGセミナーで、今年の主催・共催セミナーのすべてが終了しました。ご参加いただきました皆さん、協力をいただきました皆さんに心から感謝です。

 

今年のスタートは、例年同様クライアント先の新年社員MG(ワンデー)でした。キャッシュフローMGCFMG)は、LR小川会計さん主催のMGから口火を切り、東京、神戸、熊本、伊勢、そして新たに岐阜でも開催していただきました。

 

通常のMGについても、従来からの長岡MGを「米百俵MG」と名称を改めて、例年通り8月の長岡に全国からたくさんの仲間をお招きできました。

 

他にも地元やクライアント先でのワンデーMGを継続開催したほか、新たな定期開催MGとして「こしがやMG」を共催で立ち上げました。

 

脳力開発は、前年からの「未来に舵切る脳力開発講座」の続きから始まり、そして8月より新・脳力開発講座を開講しました。また、数社の社内研修として現在も継続中です。

 

こうして各地にお伺いしてMG・脳力開発仲間と交流できたことは、私自身の大きな学びにもつながり、さらにまた2人の師の思想や哲学を自分の言葉でお伝えする機会をいただくことができました。

 

さて、最終の神戸CFMGには11名のご参加(2卓)がありました。全員MG経験者ですが、半数がCFMGは初めての体験。戸惑いながらも、通常のMGとは違った感覚を味わわれたようです。24296532_1634175449969520_652337416

 

講義の中では、私自身の経営実体験を主体にお話をしました。具体的な数字も提示しながら、実際に経営再建の中でMGあるいは脳力開発をどう活かしたかを、お伝えできたと思います。

 

特に今回はMG期数を重ねられた方が多く、たっぷりと講義時間がとれましたので、普段よりも多くの情報を伝えられました。また、CF計算の「直接法」については正しい展開公式を作りましたので、来年のセミナーではこれも使って参ります。

 

ゲームの中では、珍しく「分社倒産」が出ました。これは自己資本が▲300円以下になってしまった場合に、再び300円の資本金でスタートしてもらうのです。債務超過会社を凍結して新会社に移行する感じです。

 

CFMGでは、材料仕入れが掛け(買掛)でできてしまう、つまり当座現金が不要なので、ついつい必要以上に買ってしまうことが多々あります。仕入れたものはいずれ支払い決済をしなければなりません。

 

決済の際に現金が足りなければ、短期借入をして支払わねばなりません。その額が多いと、高い金利負担が経費となってのしかかります。そんなわけで、放漫経営状態になることがあるのです。

 

これはリアルな経営の中でも発生します。ついつい良い条件で売り込みをかけられると、必要以上の商品や材料を買ってしまい、売れ残りが発生してしまって仕入れ負担がのしかかる。

 

あるいは、手形帳を持つと手形を切って仕入れができますので、期日には現金預金が必要なことを失念してしまって、無理買いをしてしまう。

 

そんなことをゲーム上で体験できるのが、キャッシュフローMGの特徴です。

 

来年も東京と神戸の他、各地でCFMGを開催します。また、社内MGでもぜひ採り入れていただけるようになれば、うれしい限りです。

 

今年も一年、本当にありがとうございます。感謝。

高齢者社会の拠点、キーワードは駅前

白状します(しなくても大抵の方は知っていますが)、お酒が大好きです。いろんなところへ行って、その土地の肴で地酒を呑むのが大好きです。

 

ところが昨今、その楽しみが満たされるところが急速に少なくなりつつあります。特にローカルな町の駅前に、そんなささやかな楽しみを満たしてくれる小さな店がどんどんなくなっています。

 

どこに行っても駅前は閑散としたところが増えました。昼ごはんさえ、まともに食べられるところが減りつつあります。ましてや夜には駅以外の灯りが、ほとんどなくなってしまった町がいっぱいです。

 

ホテルのフロントに聞いても、少し離れた国道沿いの店を紹介したりしてくれます。駅から歩いて行けない距離ではありませんが、美酒に酔って帰ってくるのはいささか不安です。

 

そういうところに行っても、大きなお店ばかりですし、その多くがどこの町でも見かけるような全国チェーンの看板だったりします。

 

それは、別に食堂や居酒屋だけではありません。今やどの地方に出かけていっても、その地域の中心となる町には、全国チェーンの店が「国道(街道)沿い」に建ち並び、スーパーやモールなどが立ちはだかります。

 

中に出店している店も地元資本は半分にも満たず、多くが「どこにでも見かける」名前と品揃えです。町の古いメイン通りはシャッター街になり、貸店舗の張り紙が風にあおられています。Photo

 

どこの地方にでもあった「ナントカ銀座(商店街)」は、もはや看板や通称地名に残るだけになり、中にはほとんど廃墟に近い通りもあるようです。

 

しかし、それでいいのでしょうか。高齢化社会がどんどんと進み、ローカルであればあるほどその勢いが加速しています。

 

昔は駅が拠点であり、商店街も駅前を起点に伸びていることが多く、バスの始発も駅前が主体でした。しかし地方のバスは路線の数も、運転本数もみるみる減っていき、通学の学生も数を減らすとともに鉄道やバスの利用が激減。

 

その結果として、上に書いたように駅前が寂れ、夜遅くはゴーストタウンの様相です。たまに煌々と灯りがついていたり、たくさんの車が並んで止まっているのを見ると、そこは塾だったりします。

 

高齢者は今からも加速的に増えていきます。私自身も再来週には66歳を迎えます。今のところ、どこへでも車で出かけることができますが、あと10年経ってもまだ平気で乗り回せるかどうかは、自信がありません。

 

私の家内などはとうの昔に運転を諦め(ゴールド免許証は持っていますが)、70歳を超えたら免許証を返上しようかと言っています。これからも。そういう人が確実に増えていきます。

 

そういう人たちは、すでにかなりの人口になりつつありますが、駅から遠い郊外に立ち並ぶモールやショップ、あるいは飲食店にはなかなか行けなくなってしまいます。

 

すでにそういう影響が出始めている地域も、少なくないと思います。そんなじいちゃん、ばあちゃんが、歩いて回遊できるのは「駅前」ではないのかなと思う次第です。

 

交通の拠点であると同時に、生活を豊かにする物や事の拠点を見直さなければならないでしょう。10年先とか20年先ではありません。

 

せいぜい3年とか5年、そんな近未来を考えていかないと、とんでもない社会になってしまうと考えるのですが、いかがなものでしょうか。

目標管理制度の陥穽に気をつけよう

最近ある方のコラムを読んで驚いた、私の意図するところと軌を一にしていたのだった。もっとも、向こうは若いが斯界でも一流の先生で、私は年を食っているけれども、しがない市井の徒に過ぎない。

 

ただ意を強くしたのは確かで、長い間主張してきたことを補強していただいた気がした。これまではなかなか耳を傾けてくれなかった経営者も、参考資料としてそのコラムを提示すれば少しは時間をくれるだろう。

 

それは、目標管理制度はダメだ、日本の企業には合わないということだ。むしろ弊害が多く、企業の進歩発展を阻害するという内容だ。

 

そこに私はもう一つ、PDCAのサイクルを回すこともダメだと付け加えたい。PDCAは目標管理制度とも、密接な関連がある、あるいは一体として捉えている会社も少なくない。

 

かつて私がまだ30代にさしかかった頃、会社に「目標管理制度」が導入された。それまではQCとかTQCを全社で取り組んでいたので、新鮮な感じがしたものだった。

 

アメリカで生まれたこの制度、生みの親はドラッカーだと聞いたこともあるが、不勉強であまりよくは知らない。英語ではManagement by Objectivesというのだそうだ。要は組織内での管理手法。(写真は目標管理シートの例)Photo

 

管理手法なので、そこに人間中心とか人間を活かすという発想は根本にない。結果としてそうなる(ことを期待する)といった程度だと気付いたのは、脳力開発やMGに触れたからだろう。

 

それでも導入当初、研修を受けた時には「これは良いかもしれない」と感じたものだった。TQCのように部分最適をめざすものではないと、勘違いしていたらしい。また、係長に昇進するところでもあった。

 

新米中間管理者として、この手法ならうまくマネジメントできると思ったのだろうか。ただ、最初の頃は一所懸命やったのは間違いない。もっとも部下は女性が一人だけ、あとは対象外のスタッフだったが。

 

だから、むしろ私自身がこの制度でがんじがらめに「管理される」立場だったといえる。しかし、私の部門である企画(宣伝販促・マーケティング)開発部門は、こういう制度にはあまりなじまない。

 

第一数字の目標がない、あるとしたらせいぜい予算管理くらいだ。勢い、目標の内容が抽象的になってしまうし、具体化しようとすればするほど訳の分からないものになる。しかも評価しようもない。

 

部長も課長も制度の中身をどこまで理解されていたのか、正直なところ一からともに学びながらであったので、余計に混乱していた。よって目標を作るには作ったが、日々の運用は手探り、というかほとんど忘れていた。

 

中間チェックとやらが通知されてきて、そういえば「あったなあ」。これではうまくいくはずがない。部長から何か言われるかと思ったが、特にサジェスチョンはない。

 

ところがこの制度、それからずっとつづいた(今はどうなのかは知らない)。38歳で販社に出向した後も、私には記入用紙が届いていたので、間違いなくつづいていた。ただし、記入もせず提出もせず、それに対するアクションもなかった。

 

そんなわけで、目標管理制度は「数値目標が明確な会社・部門」以外には適さないと、私はずっと確認してきたわけだ。それが、冒頭のコラム子のおかげで裏付けられたと感じたわけだ。

 

もちろん、これからもクライアント会社等に進めていくつもりはない(今までもそうだが)。もしやっているところや、やろうとしている会社があったら止めようと思っている。

 

PDCFもダメだ、ということについてはまた改めて書くことにしよう。

<連載⑫> 質的にはみな同じことに過ぎない

さて、今回は「難しいと感ずる気持ち」の根本的な再検討をしてみましょう。まずは、具体的な動作(手・足・口の使い方)に分解してみることです。するとどうなるでしょうか。


 
 人間のやること(やれること)にはみな大差がなく、質的には「難しい」とか「易しい」とかいう問題にならないのではないですか。ただ、量的に時間やエネルギーのかけ方が違うというだけに過ぎないのではないでしょうか。

 
 
 脳力開発セミナーで皆さんにお話しする時には、
この部屋から出てジュースを買ってくる場合と、この部屋から出て飛行機で札幌に行ってくる場合。この2つのどちらが難しいと思いますか?という問題を提示します。

 
 
 大半の方がの方(札幌に行く)が難しいと言われます。それではこの2つの行動を、手と足と口を使う行動に、順番に細かく分けてみてください。

 

 たとえば今座っている椅子から立ち上がる、歩いて部屋を出ていく、階段を降りる、歩いて自販機に向かう(または駅に向かう)などなど。そこに何か難しい行動がありましたか?時間とお金がかかる、くらいの差ではないですか。

 
 
 難しいと感じると手を付けない、始めない、そして結局はやらない。逆に易しいと感じるとすぐに始める、結局やってのける。こうして結果として大きな差が付く。難しいと感じない方が、大きな成果につながるというだけではなく、いろんな面で絶対得なのです。

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