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VAN研(ヴァンガード経営研究所)

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<反論・薩長史観> 正史はテロを称賛するのか!?

井伊直弼と言えば安政の大獄と、それにつづく桜田門外の変が頭に浮かびます。朝廷の勅許も得ずにアメリカとの通商条約を結んだ、とんでもない男だと。

 

しかし、勅許も得ずに条約を結ぶことには反対していたとも言われています。これは彦根藩の成り立ちを考えればうなずけることで、そもそも彦根藩は京都に近く朝廷を守る役割を与えられていました。

 

大老と言っても非常の職であり、幕閣は老中の合議制がとられていましたので、直弼の意見がストレートに通っていたわけではありません。堀田正睦などの意見が主流だったとも言われています。

 

それが大老だったということで、朝廷を無視した条約締結の責任を押しつけられ、あげくにテロの標的にされたわけですから、直弼にとってはとんだとばっちりといえましょう。

 

当時の世界情勢、日本を取り巻く列強の動き、そして現実に当時の清国がどういうことになっていたかを正確にとらえれば、攘夷などもってのほかで、開国や通商を開始することは時代の必然でした。

 

京都で奔走した志士の中にも開明的な人物はいたわけで、越前候(松平慶永)の命を受けていた橋本左内などは、その代表格で開国を唱えていたといわれています。

 

そして安政の大獄の引き金になったのは、前回も書きましたように「戊午の密勅」です。幕府の頭越しに水戸藩に下され、その写しが全国の有力大名に配られたのですから、直弼が怒るのも無理はないのです。

 

密勅を下したのは孝明天皇ですが、実際にそうなるように仕向け焚きつけたのは攘夷急進派の公家たちです。それらの過激派公家に火をつけ回ったのが志士と呼ばれる連中です。

 

これは筋目からいえば、大いなるルール違反です。ですから幕府側が水戸藩に密勅を差し出すように命じ、朝廷に対し抗議をしたことも当然のことでしょう。

 

しかし攘夷派の公家たちや志士たちは全く聞く耳を持たず、そのルール自体が不当であると言い出す始末。法律違反のことは咎めずに、抗議をした行政側(幕府)が責められる、これぞ不当そのものです。

 

一方の当事者である水戸藩は、これを機会に内部対立が顕著になります。すなわち、勅書を幕府に差し出そうとする一派と、それに反対する一派の対立です。ついには流血騒ぎになってしまいます。

 

これが激派と鎮派の抗争であり、激派の藩士が脱藩してついに直弼暗殺に向かうわけです。なお、密勅そのものは混乱の中で幕府に差し出されることなく水戸に残ったそうです。

 

安政の大獄では、何よりもこの密勅に関わったとされる関係者の処罰が行われます。水戸藩家老が切腹の他、密勅を受け取り運んだ藩士たちが死罪とされたほか、前藩主斉昭も国許での永蟄居を言い渡されます。Photo

 

これに我慢ならぬ水戸藩の一部激派は、脱藩して浪士となり次々に江戸に向かいます。そして江戸在府の薩摩藩士とも合流して、直弼へのテロを計画していくわけです。

 

ただ、薩摩藩士の多くは途中で脱落し、有村治左衛門一人が参加します。残る17名は水戸浪士で、安政7年(1860年)33日、珍しく雪の降りしきる江戸城桜田門外でテロが実行されます。

 

内容はともかく、直弼が「悪者」という薩長史観にはとても賛同などできません。白昼堂々の暗殺、テロなど、どう間違っても肯定できるものではありません。

 

これが明治維新への大きな分岐点になったとは、どんな顔でいえるのでしょうか。

長岡・米百俵MGセミナー(2018年)参加エントリー開始

戦略とは「(打撃の)方向を決める」ことだと喝破したのは、脳力開発・情勢判断学の提唱者である我が師・城野宏先生(故人)でした。

 

MGの開発者である西順一郎先生は、表現を変えて「スケジュールを決める」こととおっしゃっています。つまり自分の進むべき方向、到達すべきところを明確にするということです。

 

そんなわけで、私自身も可能な限り自分のスケジュールを早め早めに決定します。もちろん、相手のあることがほとんどですので、あらかじめこちらの心づもりを知らせ、調整をします。

 

そんな時でも早めにやっておけば、相手の方のスケジュールも決めやすいわけですから、ほぼこちらの希望する方向で決まることが多いのです。

 

全く未定というスケジュール、例えば自分の中で「こんなことをやりたいなぁ」と夢を膨らませていること、これもスケジュールに書き込むことがあります。

 

書き込むためには「やる」という意思決定が必要です。そのためには必要な情報をしっかり集め、やれるという可能性を見極めていきます。セミナーなどでは、損益分岐集客人数も試算します。

 

来年についても、いくつかそういう未定のイベント(セミナー)を考えていますが、まだ意思決定には至っていません。いずれにしても、計画するとすれば年間の後半になるでしょう。

 

さて、以前に毎年夏に開催している長岡でのMGセミナー(米百俵MG)のことを書きましたが、いよいよ具体的に動き出すことにしました。

 

これは前日にMGとペアで開催する予定の、「OA大会」の会場が決定できたことによります。市内で開催される大きなイベントで、例年の会場が確保できるかどうか微妙なため、別会場を手配できたのです。201808_mg

 

また、講師としてお越しいただく西先生にも状況のことをお知らせし、お任せをいただきましたのでいよいよ皆さんへのお知らせを始めたわけです。

 

フェイスブックのイベント(非公開)でお知らせし、昨日は案内チラシを作成しました。今週末のセミナーから、参加者を中心にお渡しできる予定です。

 

状況を見ながらホームページへの公開や、他のニュースソースへの掲載なども進めていきます。

 

戦略を決める、スケジュールを決めることによって、その実現のために今は何をすればよいのかが明確になります。これからの細かい準備スケジュールも一つ一つ決まっていきますし、チェックもできます。

 

先手必勝と言いますが、そのためには戦略を「決めなければならない」ことを、ぜひ理解していただきたいのです。これは、企業活動についても個人生活についても当てはまることです。

 

最後に、8月25~26日開催の長岡・米百俵MGセミナーOA大会は前日午後開催)に、ぜひお越しいただきますよう、重ねてご案内申し上げます。

 

Facebookイベント) https://www.facebook.com/events/1733795270262800/

<連載⑪> 難しいと感ずる気持ちの克服

「進歩・発展」に向かう気持ちを妨げて、現状に甘んじてしまう気持ちを助けるという内部要因は、誰にもたくさんあります。この内部要因は障害要素とも言い換えられますが、闘わないと脳の原動力は弱まり、脳は積極的に働かなくなってしまいます。

 
 
このような自分の中にある内部障害には、一つ一つキチンと対抗していかなければなりませんが、特に次の点について配慮が必要です。

 
 
その1は「難しいと感ずる気持ち」です。

 

MG
でも、経営計画を立てたときに「よし、この計画ならできる」と思えるのか、「この計画ではキツいなぁ」あるいは「できそうもないな」と思ってしまうのか。どちらに気持ちが振れるのかで大きく違ってきます。

 
 
あるいは、4期とか5期に上位卓(AあるいはB卓)に上がった時に、同卓の顔ぶれを見て「こりゃダメだ」と意気消沈してしまう。次繰りの(青)チップの差を見て「勝てそうもない」と感じてしまう。こういう体験があなたにもきっとあるでしょう。

 
 
それではだめだと決めつけているわけではありません。そういう気持ちに陥っている自分と、しっかり向かい合いませんかということです。難しく感じてしまうと、もうそれで視野が狭くなってしまい、何をやっていけばいいのか分からなくなってしまうことがいけない、と言っているわけです。
 
 

なぜなら、手段・方法・道具(ツール)はたくさん用意されているのですから。それを使うのはあなた自身で、あなたの手と足と口を使うだけのことでしょう、と言っているのです。

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残り35日を充実して有終の美を

11月も最後の週になり、後半はもう師走12月です。今年の冬の訪れは急ぎ足でしたが、雪国新潟でも11月としては早い初雪になりました。

 

先日発表された「かまきり博士」の予想でも、1120日前後の初雪を書いておられましたので、ずばりそれが当たったというところです。ではこの冬は大雪になるのか?それはどうでしょうね。

 

雪のない大阪に生まれ、晴れの国・岡山で仕事を続けた後、1990年に雪国に住むようになり早くも27年を超えました。新潟市内は県内では雪の少ない地域ですが、それでも季節のメリハリがあります。

 

来週には車のタイヤも冬装備にしますが、山里の方々はとっくに履き替えが済んでいることでしょう。私も長岡時代には、11月中頃には車屋さんを予約していましたから。

 

さて、今月の遠征も終わり、年内の遠征はあと神戸への2回の遠征を残すのみです。忘年会シーズンですので、行く先々で仲間たちとの交流が楽しみです。

 

それとともに、来年の「戦略目標づくり」を本格的に進める季節でもあります。すでに手帳は2018年版を使い始めていますが、そこに目標マンダラを書き込むリミットを決めて取り組みます。

 

マンダラ手帳を使い始めて15年余り、開発者である松村寧雄先生が先日亡くなられたのは痛恨の極みですが、学んだことを人生や仕事にこれからも活かして参ります。

 

並行して、年賀状の作成も進めていきましょう。こちらも「年賀マンダラ」ですが、自分のこの1年を振り返り、新しい年への思いを込めて参ります。

 

今週はまた金曜日からの遠征、週末は今年のキャッシュフローMGCFMG)の締めくくりを、神戸のビーラブさんとの共催で行います。1年間ともに学び交流した仲間への感謝を込めて。

 

2018年の開催セミナースケジュールや、サポート・クライアント先とのスケジューリングも9割方終了し、来年も各地への遠征が決まりました。とってもありがたいことです。

 

さらには新たな声かけもいただいており、楽しみも増えていきそうです。そのぶん、自分自身の学びもしっかりと続けていかねばならないと感じています。

 

では残すところ35日、心身共の健康第一に有終の美を飾れるように努めて参りましょう。

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仙台MGに参加しています

年に一度開催の仙台MG、今年も参加をすることができました。

 

主催している「ももさん」ともずいぶん長いお付き合いになりますが、MGを愛し学び続けているという、いわゆるMGシーガル仲間です。

 

仙台MGも、全国の西研MGの中では老舗であり、こうしてずうっと継続しているのは、ひとえにももさんの熱意のたまものです。東北で開催のMGも、すでにやめてしまわれたところがいくつもあります。20171126_094936

 

ここ数年、再び盛り上がるムードが高まってきつつあり、私もいくらかサポートさせていただいている八戸・うみねこMGや、昨年は盛岡MGも立ち上がりました。今年も新たなセミナーが加わってくるはずです。

 

そして、この仙台には90歳を超えている現役のMGシーガルがご健在です。今年はザンネンながら参加されていませんが、きっとまたお目にかかれることと楽しみにしています。

 

そういう方がいることで私自身にも励みになりますし、さらに私自身も多くの人の目標になっていきたいと思うところ大です。

 

さて、昨日のMG初日、ここ数年間守り続けていた戦略目標がついに途切れてしまいました。終わってから足跡を振り返ると、2つの戦術ミス(意思決定ミス)をやっていました。

 

自分では第一勘を信じてやったつもりですが、もう一つの戦術とどちらを取るか一瞬迷って、本来取るべき戦術でない方をついつい選んでいました。

 

しかも1つめの戦術ミスが、次の戦術ミスの引き金になっていました。30年以上やってきても、まだまだこういうことをやってしまいます。だからこそ奥深いMGなのだといえるのでしょう。

 

ミスのリカバリーはその次に期にできはしましたが、それもギリギリのところでした。つまり、実務で言うとその月の最終日近くなってようやく月次目標をクリアできた、というところでしょうね。

 

さて、2日目の今日はどういう展開になっていくでしょうか。

 

経営計画で意図したとおりにいかに展開できるか、何より判断・意思決定ミスをせずに進めることができるかです。MGは絶え間のない意思決定ゲーム、その原点に返って氣愛をいれましょう。

井伊直弼は割を食ったのか

吉田松陰が安政の大獄で死罪になったことが、久坂玄瑞を過激に走らせる結果になったということを、前回のブログでは書きました。

 

玄瑞のみならず、「(勤王の)志士」と言われる類の人間たちが急激に増えてくるのもこの頃で、天誅という言葉に恐怖する時代に突入していきます。

 

ただ、松陰を初めとして安政の大獄で処罰された人たちは、まだ「倒幕」という思想までには至っていないというのが通説で伝えるところです。今の幕政ではいかん、というところでしょうか。

 

そんな中で起こったのが桜田門外の変でした。その犠牲者、井伊直弼は事件の2年前に大老に就任しています。将軍継嗣問題と修好通商条約締結問題、直弼はこの難題の解決に当たります。

 

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前者の方では、直弼を大老に推した「南紀派」と言われる、どちらかと言えば幕府の穏健・守旧派の意をくんで、紀州家の慶福(後の家茂)を13代家定の世子と決めます。

 

この当時慶福はまだ12歳、世の中が内外事情ともに大揺れになろうという時期ですから、年上(21歳)で英明の声の高い一橋慶喜を推す「一橋派」を押しのけての決定でした。

 

当然一橋派の大名たちは異を唱えますが、これを直弼は様々な理由で処分します。これらも安政の大獄につながる処分であったわけです。

 

そのことが恨みを買い、一方的に弾圧されたと解釈した水戸藩浪士たちが、テロをめざすわけです。その大きな引き金になったのが、「戊午の密勅」と言われる事件でした。

 

これは勅許を得ない条約調印に腹を立てた孝明天皇が、水戸藩に下した密勅でした。朝廷が大名に直接命令を下すなど前代未聞、全く初めてのことであり、幕府にとっては言語道断のことでした。

 

直弼は、これを水戸藩とりもなおさず徳川斉昭の策謀だとして、徹底弾圧を決意したと言われます。となれば、安政の大獄は為政者である幕府から見れば当然の処罰であり、それを逆恨みされた直弼は不運としかいいようがありません。

 

桜田門外の変をして、幕府の権威が下降線をたどりやがて終末にいたる契機になったことは確かですが、それをもって「だらしない幕府(悪)を退け、新しい政府(正)を建てる機会を作った」快挙である、などという暴論はいただけません。

 

ましてや個人的な恨みを直弼にぶつけ、白昼堂々とテロに至ったこの事件をして、輝かしい志士たちの壮挙であったなどとする明治新政府の評価など、全く残念なことです。

 

井伊直弼でなくても、他の大名が幕閣の代表であっても、程度の違いこそあれ同じような処置を講じたのではないかと思います。確かに直弼は、京都滞在の長野主膳などを通じて情報を集め、徹底的な弾圧と思える処置をとったことは確かです。

 

死罪になった中には橋本左内のように、非常に開明的で、むしろ幕府を中心とした新たな強い政府づくりを指向していた英才もいたわけですし、それらを十把一絡げで反逆者としたことには弁解の余地はありません。

 

それでも真昼のテロルは決して許されるものではないでしょう。それをも正当化するような薩長史観、これをそのままにしておいて良いでしょうか。

 

殺されて当然、そんな評価で直弼をみることはどうなのかと感じます。ただ、時代の流れに押されて不平等なままの通商条約を締結したこと、これについては失策です。後の世に大きな主題を残すことになったことは、否定しませんが。

スマホの英雄たちはヒーローと呼べるのか

1123日勤労感謝の日、夜来の雨も昼頃には上がって青空が急速に広がってきた。遠く西の空には雪をいただいた富士山の姿がまぶしかった。

 

勤労感謝の日は古来の新嘗祭が起源、稲の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願する古くからの祭儀。天皇が新穀を天神、地祇にすすめ、その恩恵を謝し、またみずからも食される宮中行事。

 

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かつては秋の村祭りが各地で開かれていたが、昨今はまつりの担い手がいないところも多く、毎年は開かれなかったり、止めてしまったところも少なくないらしい。

 

中には外部の「助っ人」を招いて続けているところもあるらしい。それもだんだん若い人が少なくなっていくにつれて、祭そのものの意義が薄くなっていくようだ。

 

大阪に生まれ育った私だが、物心ついてからの記憶をたどれば、近くの神社の例祭に行き着く。秋の祭のあったし、祭のたびに夜店(露店)がずらっと並ぶのが楽しみだった。

 

普段はもらえないお小遣い、それもせいぜい230円か50円くらいなのだが、それをもらって何を買おうかとか何で遊ぼうかと子供ながらに思考を巡らせていた。

 

とにかくポケットに入れた小銭をなくさないようにと、人混みの中で必死にポケットを押さえていたものだ。買い食いは親から禁止されていたので、狙いは金魚すくいとか水ヨーヨー釣り、時にはパチンコだった。

 

パチンコは一つずつ玉を入れてはじくだけで、その動きを最後まで見ていたが、10円で買った玉はあっという間になくなった。スマートボールもあったようだが、そちらはやらなかった。

 

他に射的とか輪投げとかもあったが、興味は余りなかったようだ。金魚すくいが一番の楽しみだったが、友達にその「名人」がいた。クラスでは目立たない子だったが、祭ではヒーローだった。

 

何しろ私などは小さな金魚を3匹か4匹すくい上げるのがやっとなのに、、彼ときたらやや大きめの金魚をそれも10匹以上うまくすくい上げて、金物のボールにひょいといれるのだ。その妙技に感心するばかり。

 

パチンコの名人もいた。大人顔負けで、玉を連続投入し、見事に点のピンを狙って百発百中だった。そんなやんちゃな仲間が好きだった。普段はクラスの中で余り口も利かなかったくせにだ。

 

あの時代、そういう子供があちこちにいた。ある子は相撲の英雄だったし、ビー玉の名人がいたし、メンコ(大阪ではベッタンと言った)の達人もいた。

 

勉強のできる子も尊敬はされたが、それ以上に人気のあるのはそうではないヒーローたちだった。私はというと勉強はできるが体が弱くて、いささか引っ込み思案だった。ヒーローになれる要素も乏しかった。

 

体育の授業が特に苦手で、かけっこもビリ、鉄棒も逆上がりがなかなかできなかった。跳び箱も苦手で、いつも最後まで居残り組だった。担任の先生が厳しくて、なかなか帰れと言ってもらえなかった。

 

でもあるとき、苦手だった跳び箱が跳べた。たったの3段か4段だったがとんだ瞬間に、体が浮かんだ気がした。そして周りのクラス仲間たちが拍手をしてくれたのだ、嬉しかった。

 

もうあれから60年近くの日々が過ぎつつある。あんなヒーローたちは、もういなかうなったのだろうか。それともスマホの英雄たちが闊歩しているのだろうか。

 

今日は青森県八戸市で朝を迎えた。この街には昔ながらの祭は残っているのかな。

あなたの売上アップ戦術は間違っていませんか

牛丼最大手のすき家が、2年ぶりの値上げに踏み切るそうです。V(原材料)の高騰、人材確保の困難さや人件費上昇などがその要因。おそらく他社も近い内に追随してくるのでしょう。

 

セミナー(MG)や戦略会計の講演では、よく「牛丼戦争」を事例に取り上げました。これはいわゆる値下げ合戦の無理・無茶を取り上げたものでしたが、世の中の動きは似たもの同士という感じが続いています。

 

今回の値上げも外部要因に致し方なくということらしく、戦略的な動きとは言えませんね。そういうところは相変わらずなので、またしばらくすると季節的な『値下げ合戦』が行われるのかも。

 

MGでは戦略会計(戦略MQ会計)を学びますが、その基本となるSTRAC-Ⅰを身につけるだけでも、戦略的な価格戦術が分かります。

 

とくにMQ=売上総利益・粗利益=は、<M×Qですので、Mを上げるのかQを上げるのかを決めていかねばなりません。MQを上げる組み合わせは5通りあるのです。

 

さらにP=売価=とV=原価=でいえば、M=1品辺りの粗利益=はP-V=Mですから、これもMアップのできる組み合わせは5通りあることになります。

 

そこで、PVQ3つの要素で考えるだけで、5×525通りのMQアップ戦術が考えられます。あなたの会社では、何通り考えていますか?

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売上高から原価総額(変動費)を引くと粗利益、そういう考え方では売上高を上げるか、変動費を下げるかくらいの戦術しか考えられません。

 

しかも、とにかく「売上アップ!」と声高に叫ぶだけの会社が多いようです。これでは、現場の人たちは具体的に何をやったらいいのか、新しい動きをしろといっても右往左往するだけです。

 

とにかくがむしゃらに働いて、とにもかくにも売上を上げればいいのだろうと、時には値下げしたりおまけをつけたりして賢明に売上アップにがんばります。

 

結果として売上は確かに上がりました。でも利益が伴いませんでした、というようなことは少なくないでしょう。あなたの会社ではいかがですか?

 

また、牛丼屋さんのように現金商売のところはいいですが、普通の会社ではいくら売上を上げてもそれは「売掛金」(売上債権)となるだけで、少し遅れて集金をして初めてキャッシュが手に入ります。

 

そこで売上を上げるために押し込み販売をしてみたり、極端な例では月末までに架空販売、売上伝票だけを切るといったことをやって、今月は売上が上がったと喜んでいます。

 

それはどういう結果を招くでしょう。帳簿上では在庫が減りますから、売れ筋商品を切らしてはいけないと仕入を増やします。どうなりますか?そう、キャッシュフローが徐々に、時には一気に悪化していきます。

 

慌てて集金を増やせと号令をかけますが、元々押し込み販売をやったものは返品になって跳ね返ってくるだけ、あるいはそのまま放置しておいて、見かけの利益が増えても経営は悪化する。

 

そんな事態にならないためにどうすればいいのか、正しい経営のあり方を体で覚え込んでいくことが大切です。ゲームを通して疑似体験できるMGの素晴らしさが、そこにあるのです。

 

まずはやってみませんか。MGを、そして戦略MQ会計を。

<反論薩長史観> テロリスト・久坂玄瑞

理想の教育、あるいは教育施設として多くの人が見学に訪れる松下村塾ですが、その実態がどんなものであったかはこれまで書いてきたとおりです。

 

 

松陰の刑死後、さらには久坂らが禁門の変で敗れて自害したあと、しばらくの期間をおいて再び長州藩が復権していく中で「神格化」が始まりました。

 

 

そして維新直後の木戸孝允、さらには伊藤博文や井上馨などによって、松陰先生という虚々実々の偶像として松陰神社に祀られ、松下村塾もまた理想の教育施設として確立していきます。

 

 

ある人は、松陰は典型的なアジテーター(扇動家)だと決めつけ、また塾自体もテロリストの養成学校に近い位置づけだと言われています。そこまでは言い過ぎにしても、近い存在ではなかったでしょうか。

 

 

もちろん、松陰に学んだすべての門下生がそうだったわけではありませんし、またみんなが明治新政府の顕官になったわけでもありません。ただ、目立った存在の門下生が多かったのは事実です。

 

 

その意味では松陰の理想とする考え方、あるいは行動の跡を継いだ存在として久坂玄瑞と、高杉晋作の二人にスポットを当ててみようと思います。

 

 

一昨年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」、その前半の『ヒーロー』として久坂がクローズアップされていましたが、余りに美化されていて私などは見るに堪えない思いでした。

 

 

久坂玄瑞は藩医久坂家に生まれ、兄の死で当主となって医者の道を歩み始めますが、やがて松陰を知ることになります。何度か書面での論争を通じて、「思考より実践」であることを学び、ついに門下生となります。

 

 

松陰は玄瑞を長州第一の俊才であると認め、双璧と言われた高杉晋作と競わせて才能を開花させるようとしたと伝えられています。

 

 

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さらに自分の妹である文(ふみ)を、玄瑞に嫁がせて義兄弟になったわけです。それをみても、大いに玄瑞の実践力(行動力)に期待するところがあったのでしょう。

 

 

しかし、松陰が計画した「間部老中暗殺」には真っ向から反対します。期待していた義弟から反対されたものですから、松陰は憤慨し論破を試みますが、玄瑞は次第に距離を置き始めます。

 

 

やがて松陰は再び獄につながれ、さらに江戸送りになってしまい、さらには安政の大獄での斬刑死となっていったのは、前回書いたとおりです。

 

 

これがかえって玄瑞の心に火を点けたようです。師の思いを真っ直ぐに貫いていきたいと考えたのでしょうか、それは「テロリスト」の心をも引き継いだことになるのかも知れません。

 

 

大河ドラマはその辺りのことを余りにきれいに描きすぎていました。実際の玄瑞は、藩内抗争に火を点け反対派・長井雅楽の失脚に成功、藩論を一気に尊皇攘夷に持っていきます。

 

 

その結果、京都・朝廷の権力争いに敗れたことへの盛り返しを図り、それが禁門の変につながっていきます。

 

 

禁門の変、蛤御門の変とも呼ばれるこの事件、教科書にはオブラートに包んだ記述で済ませていますが、要するに「勤王」公家を利用して孝明天皇をないがしろにした長州藩が失脚を恨み、朝廷に向かって暴動を起こしたものです。

 

 

実際に御所に大砲をぶっ放すことまでやっています、どんな弁解があるのでしょうか。

<連載⑩> MG第2期は条件作りの実践訓練

さて、もう一歩話を進めていきましょう。条件(外因)の話をしましたが、条件は果たしてどうしようもないものなのでしょうか。既にある、与えられているものだから、自分の力ではどうしようもないものだと考えてしまってはいませんか。

  

実は城野宏さんは、『仕事をする』ことの本質・本体を次のように喝破しています。すなわち、主体者(つまりあなた自身)が、「既にある条件を」を使って、「まだない条件」を新たに作り上げていくことこそ、仕事なのだと。

 

他人が条件を完全に作ってくれないと、自分は何もできないし、しないのだという考えでいることが、人頼りの姿勢の人なのだと。

 
 

言い換えれば、条件(周囲の状況や環境特性も含めて)とは、「使うべきもの」であり、また「作るべきもの」だということです。この点を忘れてしまっていると、ただ流されるだけになってしまうのです。逆にきちんと習慣化できると、脳の力は大いに発揮されるわけです。

  

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で言えば、第2期はその条件づくりの最たる場面です。自分が思い描く第5期が終る時点から逆算して、会社盤の上をどのように組み立てていくか、まさにそれが条件作りです。

 

ですが、それが思い通りいかないからと言って、あるいはリスクカードばかりやってくると言って、あきらめますか?
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第5回こしがやMG開催

寒いですね、今シーズン最強の寒波襲来とか。北日本は雪に見舞われ、関東平野にも冷たい空っ風が吹いています。

 

そんな中、埼玉県の越谷市でMGセミナーを開催しています。たまサポートサービスを主宰する柴橋さんとタッグを組んで、今回で第5回目の開催ですが、地元での開催は前回(草加)に続いて2回目です。

 

前回の開催に当たっては、埼玉県中小企業家同友会の地域支部メンバーに参加を呼びかけましたが、今回も継続参加も含め同友会員の参加が多いのが特長です。

 

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同友会のMGというと、昨今は兵庫県中小企業家同友会の活動が群を抜いており、その影響で近畿圏を初め各地で火がつき始めているようです。

 

同友会には「経営指針」を学び、自社の経営指針書を作成して社員さんと一緒に良い経営をめざすことが、活動目標の一つとされています。MGもその活動を後押しし、正しい目で経営の数字を見、的確な指針書づくりにつなげる役割を果たします。

 

つまりKKD(経験と勘と度胸)だけではない、科学的・合理的に裏付けられた目標設定を行い、戦略的な行動にも結びついています。

 

今回はそういった同友会メンバーを中心に、MGの体験者も含め10名(2卓)の参加。初日は初MGの方は大変だったと思いますが、「教え合い」は同友会の「共に学ぶ」精神にも通じること、良いムードで進行できました。

 

初日終了後の交流会も大いに盛り上がり、インストラクターとしても、さらに佳い学びをしていただき実践に活かせていただけるようにと、氣愛が入ります。戦略MQ会計による経営計画と利益感度分析、私自身の体験実例とともに学んでいただきます。

 

では今日も2日目も、がんばっていきましょう。

「人のせいにしない」は自責とは少し違う

脳力開発の重要指針の第一は「自分で主体的にやる姿勢をつくろう」ですが、その対比として「人頼りの姿勢をやめよう」と言っています。

 

短絡的に考える方は、前者を自責で考えることであり、後者は他責であるとされます。全く間違いだとは言いませんが、そのように単純に決めつけられるようなものではあありません。

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企業経営や営業活動などにおいても、カンタンに決めつけてしまっては、経営者自身を、あるいは社員さんを(とくに)精神的に追い込むことになりかねません。

 

確かにうまくいかなかったこと、失敗してしまったことの要因を自社や、自身の行動に求めることは必要です。最初から他人のせいにしてしまっては、せっかくの失敗が無駄になってしまいます。

 

その時に大事なことは、原因と条件をしっかり区別することです。つまり原因とは真因であり、主としてというより必ず自分の中にあるものですから内因とも言います。

 

これをしっかり明らかにすることで、実は次の段階に進める、時には解決や成果につながる原動力にもなっていきます。だから、自社や自分に問いかけていけといわれるのにも、ちゃんと理由があるわけです。

 

一方、条件あるいは取り巻いている環境は外因と言われています。副因とも呼んで、主因とは区別して捉える必要があるのです。もちろん、無視してはいけません。

 

行動するためには、条件や環境を正確に捉えておかねばならないからです。それらによって、行動の内容を変えていかなければならないこともあるからです。

 

しかし、うまくいかなかった要因をそういう外因に求めてはならないというわけです。

 

なぜなら、条件とか環境とかは自らの力ではどうにもならないことだからです。そこに要因を求めてしまっては、手が打てないのですから。

 

一方内因の方は自分の中、あるいは自社の中にあることですから、手を打ったりメスを入れていくことができるというわけなのです。

 

そこで、原因を追求するときにはドンドン自分に問いかけていきます、なぜそうなったのか、なぜ、なぜ。どの行動に問題があったのか、あくまで自分に問いかけろと。

 

そこで自責となるわけですが、上記の問いかけには「自分を責める」という要素は含まれていません。むしろ、自分を責めすぎることで後ろ向きになってしまっては、元も子もないですから。

 

常に前向きな意識でいるためには、余り自分を責め過ぎてはかえってマイナスになってしまいます。人間は本質的に弱さも持っていますから、時には少し甘くなっても良いのです。

 

やりすぎてはいけませんが、他人のせいにすることもある意味では必要かとさえ思うのです。ただ、すぐに気持ちを切り替えて、やはり自分の(自社の)中にこそ真因があると思い直せば良いのです。

 

ですからトップやリーダーは、一気に責めるのではなく上手にガス抜きをさせながら、慌てずに本質に迫っていくように仕向けることを実行してほしいのです。

 

ですから、時には他責も許される、それが脳力開発(人間というもの)の本質だとも言えるのです。

<連載⑨> 原因(内因)と条件(外因)とを明確に区別する

望ましくない、不満の状況に対しては、自ら変化を作っていかなければ流されるだけです。

 

自分から変化を作ること、すなわち行動することに他なりません。変化を作る行動に絡む要素・要因はたくさんありますが、それらを「内因」と「外因」に分けて考えることが有効です。


 
 

それらの要素・要因を、私たちは結果に対する「原因」だとひとくくりに考えがちですが、実は内因と外因とには大きな差があるのです。言い方を変えれば、変化の元になる原動力になるのが主因(主動因)であり、これが本当の原因=真因なのです。

 
 

主因あるいは真因は内因の側にあり、行動する主体者自身の脳(の使い方)にあるということです。反対に、外因の側にはないということです。外因は「条件」ともいわれ、条件は活用するものというのが脳力開発の基本的な考えです。

 
 

もう一度整理してみましょう。自分自身の中に主因がある、原因があるという土台をもって行動する人が、「自分で(主体的に)やる姿勢」の人であります。

 

反対に、自分以外の他人や周囲(環境)に要因を求める考え方に立っている人を、「人頼りの姿勢」の人だというのです。


 
 

この、要因を内因と外因、原因と条件に分けて対比でしっかりと考え、根本を整理する習慣を持つ。変化を作っていく行動は、内因(原因)を原動力としていくものだというのが、脳力開発の基盤=土台の根本=なのです。

 
 

そろそろ、脳力開発の思想・哲学は、MGの思想・哲学そのものだということに気付かれてきた頃でしょうか。

 

例えばMGにおける「教えない、教え合う、紙は自分で」は、すべてが自己責任だよと突き放しているのではなく、自分の中でキチンと消化していかないと身につかないよと教えてくれ、さらには教え合うもう一方の主役にあなたがなりなさいね、と優しく語りかけているのです。201711

松下村塾門下生は「乱民」とされていた

確か昨日のニュース報道ですが、近い将来歴史の教科書から吉田松陰や坂本龍馬が、消えるかも知れないという案が出されているとのこと。出したのは、「高大連携歴史教育研究会」というところだそうです。

 

まだ正式な答申や諮問の段階ではありませんが、研究会の案は影響力もあるそうです。

 

要するに人名を含めて暗記する言葉が多く、本来の歴史教育にはマイナスになっているということで大幅に減らす案を作ったのだとか。他には武田信玄や上杉謙信、クレオパトラやガリレオ・ガリレイなども。

 

昨年でしたか、聖徳太子の名前も削除されるということで論議を呼び、削除は撤回されたようですが、確かに現在の歴史の勉強(試験)は年号や事件、人名などをなぞって覚えることが必須になっています。

 

私は歴史の流れの中で、自然に人名や事件名を記憶していったものですが、「歴史が苦手、嫌いだ」という裏には、確かにそういうこともあるようです。

 

すでに高知からは龍馬消滅に「反対の声」が上がっていますが、山口からも松陰を残せという叫びが起こりそうです。アベさんの地元ですから、松陰は残りそうですけどね。

 

さてそれはそれとして、安政の大獄で伝馬町の牢につながれた松陰ですが、取り調べはだんだんと厳しくなっていきます。厳しくなるのと比例して、松陰の気持ちはピュアになっていったと考えられます。

 

それでもまだ、死罪になるとは考えていなかったようです。一説には、取り調べ役人も重罪ではあれ死罪には相当しないと上申したのが、井伊大老が「死罪」に変えさせたとされていますが、それはどうでしょうか。

 

その真偽はともかくとして、安政6年(1859年)の1027伝馬町牢屋敷にて斬首刑に処されました。享年30歳、安政の大獄では最後の処刑だったと言われています。

 

松陰門下の四天王の内、入江九一は間部老中暗殺計画にも賛同していましたが、他の3人、久坂玄瑞、高杉晋作そして吉田稔麿は反対していました。

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久坂は松陰がまだ萩にいる間に、松陰の妹・文と結婚し義弟になっていましたが、それでも老中の暗殺には強く反対します。しかし、その志を尊び、継ぐ決意を固めます。

 

江戸にいた高杉は、獄中の松陰を見舞ったりしていましたが、心配した家族によって藩命を受けて萩に戻る途中で、師の刑死を耳にしました。

 

入江もまた地元での逼塞を余儀なくされますが、実は松下村塾の他の門下生たちも、萩城下や地元の村においては「村八分」の扱いを受けたと伝えられています。

 

入江の弟で維新政府では逓信大臣などを務めた野村靖もやはり門下生でしたが、回顧録の中で門下生たちが「乱民」とされたと書いています。

 

その状況は、刑死後もほとぼり冷めることなくしばらく続きます。そこには禁門の変と、急先鋒になった久坂の存在も見え隠れします。

 

そこで話をここからは、久坂玄瑞そして高杉晋作に的を絞っていくことにしましょう。

1年の締めくくりに向けて精進第一で

強い寒気が大陸からやってきて、早くも冬型の気圧配置になり、越後は週間天気予報にいよいよ雪マークが現れ始めました。

 

今週末には各地とも一気に気温が下がってくるようですから、十二分にお気をつけ下さい。私なども気温差アレルギー体質ですので、急激な変化には気を配っています。

 

昨日はかかりつけのお医者さんで、インフルエンザの予防接種を済ませました。もちろん、だからといって絶対大丈夫というわけではありませんので、手洗いやうがいはキチンとやっていきますよ。9092249

 

それはそうと、今年はインフルエンザの流行が早く始まっているそうですし、しかもワクチンの製造が追いつかないということもあって、私の通う医院でも今月の予約は受けられないとか。

 

12月に入ればワクチンも間に合ってくるようですが、それでも具体的にいつになるかは未定とのこと。早めに予防接種と思われている方は気が焦ることでしょう。

 

健康といえば、今年の健康診断も無事に完了しました。おかげさまで要治療や再検査、精密検査に至るモノはなく、経過観察部分をいくつか指摘されただけでした。

 

指摘部分も僅かに健診基準値を超えている程度で、主治医の先生からは医療面から言えば許容範囲ですよといっていただきました。改善された数値もあり、ガン検診も大丈夫でした。

 

それでも念のための薬は続けて下さいということで、毎日の弱い降圧剤と逆流性食道炎の薬だけは継続です。血圧も毎朝測ってチェックしていますが、何しろ間もなく66歳、立派な(笑)准高齢者ですから。

 

昔から一病息災ともいいます、私の場合幼い頃は気管支炎や喘息に悩まされ、長じて体力が付いてからもなおアレルギー性の鼻炎や軽い花粉症がつきまといます。

 

それでもおかげさまで大病をすることもなく、何年かに一度風邪を引く程度で済んでいるのは、ホントにありがたいことです。とにかく必要な休養はしっかりとって、無理はしないことですね。

 

何よりストレスを溜めないこと、その第一は家庭円満です。家の中でもニコニコ笑顔で過ごすこと、腹を立てないこと、余り細かなことに気を遣わぬこと。

 

もちろん油断は大敵、とくに気候の変化には特に気を付けなければですね。何しろ、仕事がら健康維持と体力づくりが欠かせません。喉が命でもありますし。

 

今週末から12月中旬までは、セミナーやコンサルティングの仕事が波状的につながるほか、自分磨きや新たな交流を求めてのセミナー参加もあります。

 

体調万全で皆様に会えますよう、日々精進します。

<連載⑧> 逆風が吹き始めた時にこそ

前回書きましたように、人頼りの人は脳の使い方の基本は、自分では気付かないままに「他に頼る」という働きを軸にしています。従って、結果として自分の脳を具体的に真剣に使いこなすことにならず、本来の脳力が発揮されず、脳力発展もありません。

 

 これとは反対の、「自分で主体的にやる姿勢」を土台(習慣)に据えている人にあっては、いつでも自らの努力を中心に進めることが習慣になっています。だから、どうしても自分の脳を懸命に使う結果となり、ちゃんと事を成し、さらに脳力の大いなる発展をもたらすのです。Naniwa124

 

 これだけ大きな基本姿勢の違いがあることを、お分かりいただけたでしょうか。ところが、自分では気が付かないままに、人頼りの姿勢が習い性になっていることは、すでに何度も触れてきたとおりです。この「気が付かないまま」にいうことが問題なのです。


 
 では今一度、
MGと対峙しているときの自分を見つめなおしてみてください。うまくいっているとき、自分の思うとおりに進めることができている内は問題ないのです。

 

 しかし予期せぬリスクカードが続いたり、入札が思い通りにいかなかったり、仕入れようにも仕入れられないとか、逆風が吹き始めた時にこそ、しっかり自分を見直してほしいのです。

 

 現実世界でもいいのですが、その前にMGの中でまずはトレーニングされることをお勧めします。

MGやりたい方、この指止まれ!

世の中がようやく少し静かになりました。総選挙が終わり、トランプさんが23日で駆け去り、慌ただしさに紛れるように加計学園の獣医学科新設の認可が下りる見込になりました。

 

と思えば、猟奇的な殺人事件が起こって心胆を寒がらせる出来事が明らかになりつつあり、鉄仮面の官房長官がツイッターなどのSNSを規制する旨の発言をしたり、波紋が広がっています。

 

期待された羽生君はケガでグランプリファイナル進出が消え、世の女性たちをがっかりさせましたが、他方では小平さん、高梨さんたちの女性パワーが健在で平昌への期待を高めています。

 

季節の移ろいも行ったり来たりでしたが、そろそろ北国には本格的な木枯らしが吹き始めています。天気予報にも雪マークが現れ始め、今年の冬の寒さや大雪がどうなるかと気を揉みますね。

 

ここ上越市の高田はかつては豪雪地としてその名を知られ、「この雪の下に街あり」とまで言われましたが、近年は大雪に埋もれることも比較的少なくなりました。

 

それでも昨日は雪雲が空を覆っていて、晴れ間が出たと思うと時雨れてきたり、猫の目のように天候が変わる初冬の様相です。高い山の方では雪かみぞれが降っていたかも知れません。

 

そんな高田で、昨日はワンデーMGセミナーを開催しました。酒屋の宮崎さんが音頭を取って開催を決め、今回が5回目です。参加人数は多くても10名前後ですが、続けていくことに意味があります。

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この地には昔からMGを学ぶ人たちが多く、「やったことがありますよ」という方と時々出会います。また、開発者の西順一郎さんを講師に招いて、「上越(直江津)MG」が開催されていたこともありました。

 

昨今少し下火になったのを今一度火を点けようということで、「上越妙高MG」を立ち上げました。たくさんの人に気軽に参加してもらおうということで、ワンデーセミナーで継続してきました。

 

地元や柏崎方面からの参加が定着、そして若い人たちも少しずつですが増えてきています。来年は、ぜひ2日間のMGを「復活」したいと夢を語り合っています。

 

若い経営者や後継者の方がもっともっと参加し、できれば自分たちの右腕に育ってほしい人材も一緒に学べるような、場にしていきたいものです。

 

仲間が新しい仲間を誘い、互いに切磋琢磨する。MGの場では、さらに体験期数の多いベテランが加わって「芋洗い研修」の中で、自分を大いに磨いてほしいものです。

 

そういう場を、小さくても作り育てていく、30MGを学び続け自分の仕事にプラスにしてこられた私の、ある意味恩返しと思っているところです。

 

自分も自社や地元で「やりたい!」との強い思いをお持ちの方、もしいらっしゃいましたら一緒にやりませんか。声をかけて下さい、ぜひ。

絶好のタイミングでMGと出会った

初めて自社の決算書を見たのは30歳くらいの時でした。私の会社では係長に昇格すると、正式には社員持ち株会の名義ではありますが、自社の株式を持つことを勧められます。

 

ホンの僅かの持ち分ではあれ、一人の株主として決算書(財務諸表)が渡され、株主総会への出席も認められます。事前に申し出れば、経営陣に質問することも可能です。

 

社員に「マイカンパニー」意識を持たせようということですが、非上場会社の株式でしかも社員持ち株会所有ですので、厳しい社内規程があって色々な制限はついていました。

 

それでも決算書を受け取ると、自社がどのくらいの利益を計上しているのかは気になります。もちろん規定の配当も、持ち株会を通じてもらうことができます。

 

ところが決算書をもらっても、正直言って何もかもがちんぷんかんぷんでした。営業報告書については文字を追って読み進み、社会情勢や業界動向、自社がその中でどういう位置づけか、前期は儲かったのかどうかくらいは分かりました。

 

ところが次からがいけません。期末貸借対照表、期間損益計算書、製造原価報告書、経費明細書、附表その他もろもろ。数字が並び出すともう訳が分からなくなります。

 

辛うじて、損益計算書(PL)の売上高とかは分かりますが、利益と名のつくものがいくつも(5つですね)ありますし、どれが「本当の」利益なのかさっぱり。

 

利益という名の項目にマイナスを表す▲が付いていないので、当社は儲かっているんだと思うくらいが精一杯のところでした。

 

貸借対照表(BS)は、並んでいる科目の意味がよく分かりません。冗談話ではなく、別途積立金というのはどの銀行に積み立てているのだろうかと真剣に考え、経理部長に尋ねて恥をかきました。Photo_2

 

そんな程度の知識しか持ち合わせていませんでしたので、これはいかんと思い立ち、会計の本を買ってきて読み始めました。ところが2030ページも読めば、もういけません。(写真は会計の本の例として掲載させていただきました、他意はありません)

 

借方とか貸方とかいう文字の出現で、早くもそこで行き詰まりです。現金の借方はプラスの意味で、貸方はマイナスなのですなどと書いてある。借りるのがプラスで貸すのがマイナス、どういうこと?

 

その程度でしたのですぐに挫折、また今度はもっと分かりやすい(らしい)本を買ってきますが、やはり同じようなところでつまづきます。結局、似たような表題の本が何冊も本棚に並んだだけでした。

 

そんな時に、社命で仕事が変化します。配置転換の辞令が出て、それまでの企画開発部門から社長や常務会に資料を提供するという、経営管理部門にしかも室長としてやれという。

 

経営の数字が分からないなどと言ってはおれません。しかし、本を買ってきて読んでみても同じ繰り返しになることは、目に見えていました。

 

そんな時です、まさにグッドタイミングでMGMQ戦略ゲーム)に出会ったのです。35歳の時、課長職に昇格して経営の数字と向かい合うことが必然となったその時に、出会うことになったのでした。

 

遅すぎもせず、さりとて早すぎもせず、一番いいタイミングで人は出会うのです。

 

あなたも、絶好の出会いを体験してみませんか。

大企業マンよ、MGをやろう!!

MGMQ戦略ゲーム)を学ぶ人たちが、急速に増えている。開発者である西順一郎氏の西研究所が主催している東京MGセミナーには、毎回満席になるくらいの人が参加している。

 

50数人も入ると動くすき間も少なくなる部屋は、毎回熱気にあふれている。従来はほとんどが毎月土日1回の開催であったのが、昨今はそれに加えて平日1回が加わり、それもキャンセル待ち状態だ。

 

長くMGを学んできた私にも非常に嬉しいことだし、私の主催しているMGセミナーやCFMGセミナー(キャッシュフローMG)にも、毎回たくさんの人たちの参加をいただいている。

 

それはとっても素晴らしいことなのだが、見渡してみると大きな会社、例えば著名な上場企業からの参加者は極めて少ない。たまに参加されているのは、会社からの派遣参加ではなく個人での参加だ。

 

中堅あるいは中小企業の経営者や社員さん、または私のような個人事業の方がおそらく9割以上を占めているだろう。これは東京だけでなく、地方で開催されている西研MGでもほぼ同じだ。

 

悪くない、とってもいいことだ。彼らにとっては、まさに必要不可欠な学びであり体験であるから。おかげで、全国各地に小粒でも輝きを放つ企業が生まれてきている。

 

しかもその過半が「社員を幸せにする会社」を目指しているのは、さらに素晴らしいことだ。意識しているいないにかかわらず、MG企業がそうなっているのは、MGで学ぶ最大の「哲学」がY理論だからだ。

 

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Y理論については、ネットにも多く出ているのでそこで見ていただくことにしよう。一言でいえば、「人が真ん中、人が主役」という考え方だ。もちろんブラック企業などとは対極をなし、残業過労死などとはほど遠い。

 

あるいは下請泣かせで利益を追求すると言った、「自分だけ良し」の考え方はとらない。

 

私が大企業の社員の方にも学んでほしいという理由は、そこのところをしっかり身につけてほしいと思うからだ。でもそれだけではない。それだけなら、他にも学ぶ手段は少なくない。

 

最大の理由は、経営力をつけるということだし、そのための会計力、平たく言えば「経営の数字」を読む力を身につけてほしいからだ。

 

経営の数字に関する本、会計の解説本はちまたに溢れている。本屋に行ってみれば分かるとおりで、大きなコーナーにいっぱいその類の本が並んでいる。中にはベストセラー本もある。

 

私もかつてそうだったが、そういった本を買って読んでいる人も多いだろう。私のように最初の2030ページで挫折して、本棚に似たような本が並ぶ人も、もしかしたらいるんじゃないかな。

 

中小企業の経営者や後継者、経営幹部は幸いにして現場でそういったものに直接触れる機会が多い。経営者などは日々が意思決定であり、言い換えればMGを地でいっているようなものだ。

 

しかし、大企業の社員さんは経営の数字に触れる機会が少ない、皆無に近い。たとえ触れたとしても、その数字の持つ本質の意味を理解できるか?会計などはどうか、自分でBSやPLを作ることなどまずあるまい。

 

多くは出てきた数字を見ているだけだろう、プロセスなど分かるわけもない。しかし、MGをやってみれば分かる。松下幸之助さんじゃないが「やってみなはれ!」だ。

 

自己投資すればいい、時間と少しのお金を投資してみないか。大きなリターンが得られることだろう、無論あなたがどこまで真剣に、そして継続して取り組まれるかによるのだけれど。

<連載⑦> 自分でやる以外に道はない


さて、自分の脳(みそ)は自分でしか使えません、極めて当たり前のことですが。よって、自分の脳力も自分でしか発展・開発させられないということになります。

 

他人にはどうにもならないし、他人は何をしてくれるわけではありません。せいぜい手助けらしきものくらいです。

 
 
つまり、自分の基礎習慣づくりも自分でやる以外に道はありません。これらは脳の法則ですから、好むと好まざるとに関わらず、それ以外にはどうにもならないのです。

 
 
ですから、「相手(周囲・環境)がやってくれなければ」とか、「相手(周囲・環境)が変わってくれなければ」、そうしてくれなければどうにもならない、お手上げだというのでは、お話になりません。MGに置き換えて考えてみれば、よく分かることでしょう。

 
 
ことはすべていつでも他人次第、相手次第という心構えにあっては、主体性も努力性も、あるいは能動性も何もかもが自分の方にはなく、それらをいつでも相手(周囲・環境)に求めて、あるいは委ねてしまっているのですから。Photo_2

 
 
いやいや自分はそうではないよ、とあなたは言い切れますか。これまでの自分のMGの感想文を読み返してみてはどうでしょう。

 

「泣き言」あるいは(他人への)「恨み言」、リスクカードへの八つ当たりなどを、書き連ねてはいなかったでしょうか。もしそうであれば、あなたの脳の基本的な使い方も人頼りになっている、と言わざるを得ませんね。

<反論薩長史観> 松陰はまさに狂気の実践者

このブログコラムを書くに当たって色々な本を読みました。反薩長史観とは言え、薩長史観の本も何冊か目を通しました。もっともそちらは、一般的な本や教科書を読んでもいいわけですが。

 

もちろん、私以上に「反」の立場を先鋭にされたものもありました。そこまで言うのか、という感じもしましたが頷けるところも少なくありませんでした。

 

その中で共通した吉田松陰の評価は、時代に先んじていたとか標準的な考え方からは突出していたというこので、多くはそれを「狂気」と表現していました。いや、松陰自身が自分を狂気だと認識していたようです。

 

ですから、長州藩(当時は藩とは呼ばなかったそうですが便宜上)の幹部も、松陰の扱いには困り、再び野山獄につなぐしかなかったのです。

 

もっとも藩の幹部も時代の流れの中で右に行ったり左に寄ったりと、藩論が定まるところがなかったようです。それによっても、松陰の扱いが変わったことも否めません。

 

松陰自身は早晩釈放されると考えていたようです。なぜなら「間部老中暗殺」は単なる紙上のプランであり、実行もしていなければ未遂にも至らないものだったのですから。

 

しかも藩主の毛利敬親(当時は慶親)は松陰を高く買っており、松陰自身もその信頼を信じていたように思えます。しかし、藩主は後に「そうせい候」と呼ばれたように、臣下の決定には逆らいません。

 

結局、松陰はなすすべもなく江戸送りになります、もちろん罪人としてです。しかし、前回も書きましたようにここにいたっても、松陰は「大した罪にはならない」と信じていました。この辺りも狂気のなす技に思えます。

 

そんなわけで、松陰自身の松下村塾での教育は短い期間に終わりましたが、そこで学んだいわゆる門下生は数え方にもよりますが、8090名前後だったと言われています。

 

そして中には、その松陰の「狂気」を受け容れ、自らも狂気となって突き進んだ門下生もいたわけです。義弟でもあった久坂玄瑞、その盟友であった高杉晋作、後に池田屋事件で死亡する吉田稔麿など。

 

以上の3人に、禁門の変で敗死した入江九一を加えて「(松下村塾の)四天王」と呼ばれていました。いずれも明治維新を見ることなく死んでいます。畳の上で死んだ高杉は幸せだったのかも。

 

明治の元勲となった伊藤博文や井上毅なども、一時期は高杉たちと英公使館(建築中)焼き討ちに参加したり、あるいは天誅(暗殺)にも手を染めています。

 

なお「明治の三傑」の一人、木戸孝允(桂小五郎)は松下村塾の門下生ではありませんが、藩校である明倫館時代に松陰から教えを受けており、終生門人の礼をとり続けています。

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さて、安政の大獄の取り調べで、松陰は自らの正義と誠実を信じて「うっかり」老中暗殺計画についてしゃべってしまいます。至誠は通じる、それは仲間内だけの論理に過ぎないのに。

 

取り調べの姿勢も変わっていったことを、松陰自身も感じますが時すでに遅し。松陰は逆に、持論をとうとうと述べたと言われています。これでは重刑もやむを得ません。

 

それでもまさか死罪(打ち首)になるとは、当初は考えていなかったようです。門人たちへの手紙でもそれが伺えますが、それは叶わぬ望みであると気付いていきます。

 

『諸君、狂いたまえ!』、まさに松陰は自らの言葉を実践した人であったわけです。

問題解決の「問題」ってなぁんだ!?

私の本業は経営コンサルタントである。分野は余り問わない、製造業から流通・サービス業まで業種も業態も気にしないことにしている。

 

極めて怠け者なので、面倒なコンサルティングはこちらからお断りすることが多い。アドバイスを求められたら答えるが、こちらからどうのこうのと教えることは余りやらない。

 

現場が好きなので、クライアントの会社には定期的に訪問するようにしている。そうなると交通費の負担もお願いしなければならないので、遠方の会社との契約はその旨の了解をいただいたところだけ。

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その代わり、昨今はメールなど便利なツールがいくつもある。情報やデータ、あるいは写真や動画も送っていただけるので、そのやりとりでサポートすることも多くなった。

 

クライアント会社の中には社内ネットにもメンバー登録し、日々の日報も拝見できるところもある。頻繁には書き込まないが、時々アドバイスや問題点の指摘をすることもある。

 

こちらからの資料やレポートなども、主としてメール送信にしている。これだとたくさんの資料も、時間と費用を余りかけずに送ることができる。もっとも、受け取った側はプリントアウトなどの手数はかかるだろうけど。

 

新規に「メール会員」制度も作ってみたが、今のところ反応はパラパラだ。月額料金がちょっと安すぎたかな、などと反省したりしている(笑)。

 

さて、時々やって来るクライアントからの相談事だが、それらを分類してみると解決すべき「問題」と位置づけられるものは少ない。私の感覚では、全体の一割にも満たない。

 

ではどういう分類が多いかというと、それは圧倒的に「困っていること」あるいは「悩み事」の相談だ。

 

ちょっと書いてみるとこういうことだ。
 ・部下がなかなか言うことを聞かない
 ・若手の社員と管理職クラスとのギャップが大きい
 ・営業マンの営業トークが低レベルだ
 ・部長クラスの管理能力が低くて困っている  などなど。

 

いずれも、どうみても困りごとや悩み事だということがお分かりいただけるでしょう。いや、そうじゃない、こういうことに応えていくのがコンサルタントでしょうと言われると、その通りですねとなる。

 

そこで、例えば上記のような「繰り言」が電話やメールでやってくると、さらにその奥を尋ねることになる。メールなどではもどかしいが、何度も何度も往復メールになることも少なくない。

 

それを繰り返していると、現象が起こっている、あるいは当事者がそういう感覚になっている、より根本の要素が次第に浮き彫りになってくる。それこそが「問題」というヤツだ。

 

不思議なことに、そこまで掘り下げていくと「問題」解決が見えてくることが多い。こちらがどうのこうのという前に、相手の方がだんだんと気付いてくようだ。

 

そのタイミングで、一言だけサポートの言葉をかける。あるいは「そこですよ、ポイントは」と指摘する。あとは、極力自分で考えていただく。

 

私はと言えば、これまでサポートした事例のなかから実践例を紹介するくらいだ。そしてあとは、実際に現場を訪問したときにインタビューして確認する。

 

お分かりでしょうか、問題は「目指すべきところ」と現状とのギャップであって、現象そのものではないのだ。

<連載⑥> MGは脳力開発そのものである

「他人(のせい)」という言葉で代表しましたが、自分以外のすべての人・物という意味であり、周囲の環境たとえば天候などもその中に含まれるでしょう。今日のゴルフのスコアが悪かったのは、雨のせいだなんて言い訳していますね(私のことです)。

 
 
では結果の要因を他人のせいにして、どうにかなったでしょうか。何か結果に良い影響をもたらしてくれたでしょうか。答えは否ですね。MGでも、グチをこぼしたら相手が手を抜いてくれたとか、並べた青チップを引っ込めてくれた、なんてことはありませんよね。

 
 
つまり、相手(周囲)の方はますます自分の思うようにいかなくなり、そして自分はというと、結局自分の望まない、嘆いている方向にますます流されていってしまう、そうなりませんか。
 


この「結局は流されるだけ」という点、その結果の行き着くところ、「心は不満、不快、苦痛の気分に支配されっぱなし」になってしまいませんか。


 
 
それこそが問題なのです。MGでも、そうなってからどうやってリカバリーしますか? それこそ何もしないでいたら、ますますドツボに嵌ってしまうのではありませんか。

 

MGは脳力開発そのものである、という私の考えが少しわかっていただけましたでしょうか。20171102_094235

今回の遠征を振りかってみました

久々に新潟の自宅で朝を迎えました。昨日までの10日間、MG三昧」の遠征でした。

 

初日は乗り鉄旅の移動に始まり、その夜は軽井沢MGの前夜祭を楽しみ、土日のセミナー本番では1人の参加者として大いに学び交流させていただきました。

 

台風(22号)の接近で雨にたたられた面もありましたが、山里の冷気の高い中でじっくりと学びを深められたと感じました。

 

4日目はコンサルティングの仕事を終えて、ミニ乗り鉄の旅。神奈川県の大船から江ノ島モノレールで、江ノ島に出て、そこから江ノ電(江ノ島電鉄)に揺られて鎌倉へ。

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平日にもかかわらず江ノ電には観光客の姿も目立ちました。終点の鎌倉では旅貯金のおまけ付き、今回の遠征では直江津駅前と、鎌倉、そして三浦海岸近くの南田浦と3つの局員が増えました。鎌倉は観光地らしく、鳥居のイラスト入りでした。

 

5日目は三浦海岸に至り、マホロバマインズで開催されたMGシニア研修に3日間参加しました。初めてシニア研修に参加したのは29年以上も前ですが、その時には若い方から数えて数人目でしたが、今回は講師の西先生ご夫妻を除けば最長老でした。

 

時代は流れていくものだと感慨深いものがありましたが、メンバーもこれまでお会いする機会のなかった方が目立ちました。ただ、フェイスブックでつながっていた方もおられたのは時代ですね。

 

29年前には先輩シーガルの皆さんに引っ張られたいた私も、今回のセミナーでは牽引役あるいはサポート役に徹する立場でした。

 

そんな若いメンバーを見ながら、あの頃は自分も「何でも吸収してやろう」と意気込んでいたなと、当時を振り返っていました。時代は変わっても、本質は同じです。

 

それにしても我が師・西順一郎先生は若いです。とても80歳には思えません、私なんかよりも何倍もセミナーをこなされ、全国のシーガルたちに会いに行かれています。

 

シニア研修の終わった7日目の夜は、静岡でシーガル仲間とミニ交流会。久しぶりにじっくりMGについて語り合えたようです。こういう時間も大切ですね。

 

8日目は移動途中に豊橋に立ち寄り、路面電車(豊橋鉄道東田本線)の乗り鉄旅。短い路線ではありますが、全線を乗車してきました。

 

そしてその豊橋の電車が、元いた街が岐阜市(名鉄岐阜市内線他=2005年廃止)。12年前に写真を撮りに出かけた思い出をたどりながら、最後のミッションに備えました。夜はシーガル交流会も。

 

そして9日目と10日目は、初めて岐阜市でのキャッシュフローMGCFMG)、小さなご縁から実現したセミナーでしたが、交流のご縁をさらに広げることができました。

 

最後は少し時間切れのところもありましたが、CF経営のポイントと共に「なぜMGをやるのか」という、私の思いもお伝えすることができました。

 

また、1年先のセミナー開催についてのお声かけもいただき、さっそくスケジュール表に書き込みました。

 

さすがに10日間の遠征はきついものがあり、やや喉の調子を狂わせた感じもありますが、今日はゆっくり休んで週末、そして来週以降のセミナーに備えることにします。

岐阜・うかいCFMGで伝えたいこと

世の皆さんは三連休でしょうか。比較的天気にも恵まれて、行楽地はとっても賑わっているようです。

 

そんな中で、この土日は岐阜市でキャッシュフローMGCFMG)を開催していただいています。風邪でやむなくキャンセルの方もありましたが、18名の方が参加されています。

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しかも、今回もMG初体験の方が3名いらっしゃいます。MGを続けておられる方のお誘いでの参加、そこでいつもより若干ゆっくりめのインストラクションを心がけています。

 

ところで岐阜市にやってくるのは12年ぶりなのですが、その12年前は名鉄の岐阜市内線・揖斐線・美濃町線がもうすぐ廃止になるということで、最後の乗り鉄に来たのでした。

 

その以前は仕事で来ることが多く、12年に一度は柳ヶ瀬にも足を踏み入れたものでした。

 

ところが岐阜の「糸偏」業界の盛衰は、日本の繊維産業よりもさらに乱高下でした。今もなおがんばっている会社もないわけではありませんが、正直言って見る影もありません。

 

また、中小企業家同友会で活動している頃は、著名な企業として未来工業さんと山田社長(当時)にお会いしたくて、足を運んだこともありました。

 

一緒に行った方の多くは「とても自分の会社では真似ができない」と感じられたようでしたが、私は決してそうは思いませんでした。

 

もちろん、同じようなことはやれないと感じましたが、絶対に不可能なことだとは思いませんでした。ただ、同じような環境条件を作ることは並大抵ではないことでした。

 

MGを通じても、各地の先輩企業にずいぶん押しかけたものでした。マイツール(MT)の活用も含めて、いつも何か「お土産」を持って帰ろうと、ある意味必死でした。何しろ、任された販売会社は瀕死状態でしたから。

 

でもその時に、脳力開発を通じて教わったこと、共通性(普遍性)と特殊性があるのだということを常に意識していました。

 

最初の頃の「お土産」は共通性という部分、それが徐々に特殊性の部分もいただいて戻るようになりました。自社の環境・条件に合わせてアレンジしていけるはずだと信じて。

 

ピタッとはめ込めたこともありましたが、倍するたくさんの失敗がありました。それが良かったのでしょう、「足らずを知る」にも通じましたから。

 

MGを通じて何を学ぶのか、私自身を実例として多くの皆さんに伝えていきます。キャッシュフローMG2日目、まずは共通性の部分からの解説講義、基礎(基粗とも)をきっちりと。

 

そのあとに、私自身の体験という特殊性の部分をお話ししていきます。乞うご期待!

MGのインストラクターがなすべき役割を考えた

神奈川県の三浦海岸(三浦市)・マホロバマインズを会場に3日間開催されていた、西研究所のMGシニア研修に参加していました。

 

MGシニア研修は、別名インストラクター講習とも呼ばれていて、MGのインストラクターを目指す人たちが全国から集まります。今回も私を含めて21名の参加です。

 

この研修を修了しますと、西研MGインストラクター「免許証」(あるいは仮免許証)がもらえます。社内MG研修の講師を目指している方もおられますし、中には地元で公開セミナーをやろうと考えている方もいらっしゃいます。

 

私が初めてMGシニア研修に参加したのは1988年の7月、神戸(当時の舞子ヴィラ)でした。私の場合は、会社から社内インストラクターとして社内研修を推進するよう、命じられていました。

 

前年にMGを始めてまだ1年も経たない頃でしたが、それなりに意欲や目標を持って参加していたわけです。

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周りはベテランの方や年長の方が多く、初心者マークをつけた私は西先生や皆さんの話などを、ただただ感心して聞き入っているだけでした。

 

その中で、MGシニア研修は単にインストラクターをやるためだけの、すなわち技術的なことや知識を詰め込むだけの研修ではないことに気づかされました。

 

西先生から語られた内容は、実は今も昔も全く変わりないのですが、MGを「なぜ作ったか」あるいは「MGで何を目指していくのか」ということでした。小難しく言えば、『MGの思想・哲学』です。

 

MG研修のインストラクションは、先生や先輩たちをしっかり見て覚え、実際に自分でやって体験を積み重ねればできていきます。講義にしても、口まねをしていればいいでしょう。

 

しかしそれでは、単なるテープレコーダーです。それならば自分がやるよりも、先生たちの講義を録音して、あるいはビデオを撮って流す方がどれだけいいか。

 

「免許証」をもらって会社に戻り、直後から大手を振って社内研修をやり始めた私でしたが、今から思っても恥じ入ることばかりです。当時の私はただゲームの進行役でした。

 

あるいは、西先生が研修の中で話された中のMGに関する講義内容を、ただそのまま伝えるだけのメッセンジャーに過ぎなかったようです。ですから、当時の受講された社員さんたちには申し訳なく思っています。

 

学んだのは実は私の方でした。何が足りないのか、何がわかっていないのか、それを自ら知るための社内インストラクションだったかも知れません。

 

そういうことを思い出しながら、今回のMGシニア研修に参加していました。

 

実は今回の研修参加者は、8割以上がMGシニア研修に初めて参加される方々でした。おそらく、初シニアの際の私と同じような感覚で来られている方も少なくなかったでしょう。

 

そんな皆さんに伝えられることはないか、私にとっても非常に充実の学びだったと感じました。とっても波動の佳い3日間でした。私の思いも少し共有していただいたことに、心から感謝しています。

 

体験と思いを伝える、MGのインストラクターとはそういう役割だと思っています。皆さんのこれからのご活躍をお祈りしています。

<連載⑤> MGでも人頼りの姿勢が目立つ

ここからは各指針(土台習慣)を、個別に注釈しながらMGとの関わりにも触れていきたいと思います。大事なことは細部に余りこだわらず、常に全体像をきちんと捉え、必ず今の自分と対比しながら素直に受け止めていただくことをお勧めします。

 
 
最初の3つの指針には「精神的姿勢の確立」という、大きなテーマがついています。最も基本的な、最も重要な指針であり、今年開講する私の新しい講座では、ここに重点を絞って学んでいただくプログラムとしました。言ってみれば「MG1期」というところでしょうか。

 
 
その第一は「自分で主体的にやる姿勢(をつくろう)」ですが、その対比である「人頼りの姿勢(をやめよう)」と言った方が、分かりやすいですね。いつでも「他人がやってくれるべきだ」と考え、誰かがやってくれるのを待ち、自分では何も努力もしない。

 
 
そして自分の望むようにやってくれない他人が悪いのだと腹を立て、文句や愚痴を言い立て、その上に(そんな相手を)馬鹿にしながら嘆き続ける。

 

人頼りの姿勢とは、こういう心構えのことを指しているのです。どうですか、あなたには思い当たるところがありませんでしょうか。胸をはって、自信をもってそんなことはないと言い切れますか。

 
 
MG
でも、同じ卓に安売りする人がいて(自分は)売れなかったとか、青チップをズラリと並べられて手も足も出なかった。あるいは、次から次へとリスクカードばかり引いてしまって(思い通りにやれなかった)、時間があっという間に過ぎて。

 

そういえば、言ったことがあるなぁ。20170112_lrcfmg4

<反論薩長史観> 松陰はあまりに子供っぽかった

吉田松陰といえば松下村塾が思い浮かびます。山口県萩市の松陰神社の一角に、当時のままの姿で保存されているのですが、実際に松陰がここで子弟を直接教えたのは僅かな期間です。

 

松下村塾は、萩城下の松本村にあったのでこう名付けられたのですが、創始者は松陰ではなく松陰の叔父(父百合之介の弟)であった玉木文之進です。

 

松下村塾は身分の隔てなく塾生を受け入れていて、松陰自身もそこで学んだ時期がありました。ただ、松陰の時代を見ても主流はやはり士分の者で、四民平等という発想はなかったようです。

 

松陰自身が塾頭を務めたのは、密航の罪で投獄されていた野山獄を出て、再び獄に戻るまでの1年数ヶ月に過ぎません。塾舎は出獄後に子弟が増えたために、新たに立て直されています(現存する建物)。

 

野山獄時代の松陰は、一つの学問や思想にはこだわらず、広い視野で投獄されていた人たちに講義を行ったり、あるいは彼らからの話にしっかり耳を傾けていました。

 

それが故に、松下村塾に戻ってからも多くの子弟が集まったわけですが、松陰の思想や発言は次第に過激になっていったようです。

 

やがてそれに気付いた周囲から松陰は危険視されるようになり、子弟の親の中には塾に通うことを禁じることも増えてきたといわれます。

 

熟成筆頭とも言われた高杉晋作もその一人であり、父親の画策で江戸に行かされますが、江戸より松陰を諫める手紙を送っています。

 

さて、私塾の中で過激思想を唱えるようになると、しかも幕府の重臣(具体的には老中間部詮勝)を暗殺すべきと公言するようになると、毛利家重臣たちも捨て置けず再投獄に至るわけです。

 

何しろ開けっぴろげで、誰彼なしに自身の考えを披露して回るものですから大変です。当然に幕府の耳に入ってしまうことを恐れ、再投獄もやむを得ないことでした。

 

そしてついに安政の大獄に至るわけです。Photo

 

もっとも、毛利家重臣も松陰自身も大罪という認識などはなかったようです。実際幕府側も、密航のことは済んだことと不問に付していましたし、単に梅田雲浜との関連だけの尋問でした。

 

梅田雲浜は小浜藩士の家に生まれ、藩主への批判で版籍を剥奪された後、京都で攘夷運動の先頭に立っていました。松陰は萩にやってきた雲浜と僅かに顔を合わせただけで、当然京都での活動などはなかったわけで、取り調べが終われば釈放されて当然でした。

 

ところが、何と松陰自身が墓穴を掘ってしまうのです。あろうことか、間部老中暗殺(未遂)のことをしゃべってしまったのです。

 

松陰にすれば「至誠は常に通じる」という思いだったのでしょう、しかも未遂でしたから。密航事件の時もこちらから自首して、誠意を持って答えたので釈放されたとも思いがあったのでしょう。

 

しかし、何とも甘い判断でした。次第に取り調べはきつくなっていきます。松陰自身も「しまった」と感じたことでしょう。しかし止まることはできません、益々強く自分の考えを主張してしまいます。

 

どうみても子供じみている、私の目にはそのように映ります。

いくら「成功」本を読んでみてもねぇ

世の中には、と言っても書店の話ですが、たくさんの『経営』本があふれています。

 

タイトルも様々ですね、それもつい読みたくなるようなタイトル、手を出したくなるような表紙デザイン。さすがにベテラン編集者は違うな、というようなラインナップです。

 

ところが不思議な話ですが、そういった「本を読んで成功に至った」という話は、もしかしたら私の耳が悪いのかも知れませんが、ほとんど聞きません。皆無とは言いませんが。

 

正直言いまして、私は滅多にそういった類の本を読みません。寄贈された本やせっかくいただいた本には目を通しますが、申し訳ありませんが最後まで読み通した本はありません。

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特に成功事例の本については、最初から見向きもしないのです。全く参考にならないとは言いません、またあくまで私の(仕事の)参考にならないだけで、あなたの参考にはあるかも知れません。

 

ですから、あなたがそういった「成功本」を読むことにしては、決して止めはしません。そしてもしその本のおかげでうまくいったことがあったら、ぜひ私に紹介していただけると嬉しいです。

 

何しろ私自身は読む気もないし、増してその成功例を自分でやってみることもないでしょうから、試してみた結果がどうなるかを知るすべがないものですから。

 

でももし成功したのであれば、他の方にもこういう成功例がありましたよ、と教えてあげることができますから。もちろん、あなたも成功するかどうかは保証しませんけどと、注釈を添えてですが。

 

別に並んでいる本にイチャモンをつける気などは、全くありません。

 

書かれる方は一所懸命、読む人の役に立ちたいと思われたのでしょうし、読まれる方も何かしらそこからヒントを得たいとされているのでしょう。

 

でも、私からいわせれば、書かれた方とあなたとは色々な面で違うんじゃないですか、もし成功例のそのままをやってもうまくいかないのでは?と。

 

脳力開発では「環境・条件」と言っていますが、それがピタッと合致していてもどうなるかが分からないのに、違いすぎる環境・条件の下ではどうなのでしょう。

 

あなたが、成功例の環境・条件に合わせていくか、それは現実的ではありません。では、あなたの置かれている環境・条件に、成功例の実行内容をアレンジしていけるのかどうか。

 

その辺りが、あなたが成功するかどうかの分岐点になるはずです。そして、それだけの知恵を巡らし行動をしていけば、たとえ同じような成功には至らなくても、きっとプラス効果をうんでいくことでしょう。

 

それはそれで無駄にはならない、そんな素直な気持ちでお読みいただければいいですね。

 

あ、このブログのつまらないコラムもまたそうですから。

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