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吉田松陰は高潔な教育者だったのか?

明治維新と聞くと、多くの方が吉田松陰の名を頭に浮かべるでしょう。ちなみに、地元山口県では決して呼び捨てにはせず、必ず「松陰先生」と呼ぶそうですね。

 

それだけ名高い松陰ですが、では何をされた方ですか?と尋ねますと、(地元の方は別としても)ハッキリとは分からないというのが本当のところではありませんか。

 

松陰と言えば松下村塾ですが、この塾も松陰が作ったものではありませんし、実際に松陰が直接ここで教えたのはホンの数年に過ぎません。

 

実際に何度か松下村塾を訪れたことはありますが、「えっ、これが!?」と驚かれる人が多いくらいの、小さなみすぼらしい建物です。小屋といった方がふさわしいかも知れません。

 

もちろん、ハードウェアが小さく貧弱であっても、そこから幕末・明治の時代に活躍した人材を輩出したことは事実です。伊藤博文、山県有朋、井上馨などなどいくらでも名前が挙がります。Photo

 

では松陰という人物は「高潔な高人格の教育者」であったのか、というとそれはどうなのでしょう。確かに教科書では優れた教育者として書かれ、時代を彩る人材が学んだことも事実です。

 

だからといって、松陰が素晴らしい人間であったと短絡するのはいかがなものでしょう。

 

また、幕府とくに井伊直弼政権の方針や政策を批判し、安政の大獄で検挙されて挙げ句に刑死する。それは幕府や井伊直弼が悪くて、松陰先生のような逸材を殺したことはけしからん、という教え方がされてきました。

 

私もそのように考えていました。小学生の頃に読んだ「日本の歴史」にもそう書いてありましたから、疑うことを知らない少年は「松陰先生は素晴らしい」、「そんな先生を処刑した井伊大老はどんな悪い奴だ」と。

 

しかし、吉田松陰は、間違いなく処刑されるべくして処刑されたのです。

 

こう書くと、多くの方からブーイングを食らうかも知れませんが、事実を曲げるわけにはいきません。実際のところ、長州毛利家でも、松陰のことは持て余していましたし、二度も獄に入れることになりますし、処刑されてからもしばらくは「厄介者」だったのです。

 

今はそんなことは、松下村塾を尋ねても投獄された事実だけを紹介しているだけで、そのこともまた松陰が偉大な教育者であったことにつながることとされています。

 

繰り返しますが、松陰の元に集まって人たちの多くが、幕末や明治の時代の中心になったことは事実として認めます。だからといって、松陰が傑出した教育者であり、まさに新たな時代を切り開く先駆的な逸材だったということには、大いに異論があります。

 

強いて言えば、教育者と言うよりも煽動家=アジテーター=と読んだ方がふさわしいと思うわけです。松陰を先生として祭り上げ、聖人の如く崇めることにしたのは、明治新政府を担った長州人たちです。

 

彼らが明治新政府の中心にいなければ、「歴史はねじ曲げられなかった」し、「松陰はあくまで反政府主義者でトンデモ人間だった」という事実が語られたことでしょう。

 

薩長史観と言うより、ここでは長州史観ということになるのかも知れませんが、では次回からは事実・史実を客観的に眺めていくことにしましょう。

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