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脳力開発は人間学であり行動科学です(205)

よく「真田三代」と言いますが、正に『謀将』の系譜で、昌幸を挟んでその父・幸隆、そして昌幸の次男・信繁(幸村)の三代を指します。幸隆は武田信玄に仕え、信玄が信濃に領土を拡大していく際に大きな役割を果たしています。Photo

 
 信繁は、関ヶ原の戦い後は昌幸と共に高野山に近い、九度山に流されて逼塞生活を送りますが、昌幸死後の厳しい監視の中を抜け出して大坂城に入り、夏の陣・冬の陣で活躍します。とくに夏の陣での「真田丸」の戦いは、徳川軍の肝を冷やさせました。(写真は真田ミュージアム)

 
 真田というとこの親子が有名ですが、私は昌幸の長男である信之を高く評価します。二人とは袂を分かって家康に臣従し、享年93才まで長生きして、明治維新までつづく真田家(当初は沼田、維新の時には松代が本拠)を築いた功績者です。

 
 
戦国時代は、講話などで取り上げる「人材の宝庫」と言っていい時代です。3人の天下人や、猛将、謀将そして智将などなど話題に事欠きません。やはり、時代が大きく変わったということもあるでしょう。時代の変化に彼らがどう動いたか、興味津々です。

 
 時代の大きな変化というと、戦国の次には明治維新を上げることができます。時代が現代に近いだけに記録も多く残っており、また歴史書や歴史文学にも多く取り上げられています。しかし、すべてが確定的事実かどうかはよく吟味せねばなりません。


 明治維新にしても、新政府の中心に連なった薩長土肥、とくに薩摩・長州中心の歴史観(薩長史観)になったことは否めません。例えば会津藩や新撰組などは「敵」としての扱いですから、公平な視点でかかれているのかどうか、双方の言い分を確かめる必要があります。

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