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脳力開発は人間学であり行動科学です(204)

家康が天下を取って江戸に幕府を開くと、本多正信は側近筆頭として幕政を主導します。ツーと言えばカーと言いますが、この君臣は文字通り水魚の交わりと言えたようです。もっとも、腹芸もできたらしく、家康に物言えた存在だったようです。

 
 1605
年に秀忠が2代将軍につくと、その顧問格として年寄(後の老中)として権勢を奮います。家康が大御所として駿府におり、二重権力構造になっていて、正信はお目付役としての役割を果たしていたと思われます。言わば煙たい存在だったのでしょう。

 
 後ろ指を指される立場にいただけに、正信は我欲を抑えます。そのため、いくら勧められても加増を辞退し、相模国玉縄(鎌倉付近)1万石、晩年にやっと22千石だったそうです。家康が亡くなって程なく、後を追うように亡くなります。

 Photo_2
 本多正信が謀将というべき存在なら、それを上回る謀将は真田昌幸でしょう。関ヶ原に向かう徳川本軍を率いた秀忠を、上田城攻城戦に釘付けにしてしまい、ついに肝心の合戦に間に合わなくした戦いは有名です。その時の秀忠軍参謀役が正信です。(右は第二次上田合戦布陣図)

 
 この時の秀忠軍(徳川本軍)は38千とも言われますが、これに対して真田軍はたったの2千人でした。徹底した籠城策と奇襲作戦で大軍を翻弄し、秀忠はついに攻略をあきらめます。この間正信は、攻撃をやめ関ヶ原に向かうよう進言したと伝えられています。

 
 これが第二次上田合戦でしたが、第一次上田合戦はその15年前、相手は家康でした。詳細は省きますが、この時も徳川軍7千に対して真田軍は2千足らず。家康は2割近い死傷者を出して切歯扼腕します。昌幸はさらに秀吉に臣従し、信繁(幸村)を人質に送ります。

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