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2017年9月17日 (日)

「鎖国」していたから非開明的だったという大ウソ

鎖国と言われています、国を鎖すこととされていることはご存じの通り。これが江戸幕府の「(家康以来の)祖法」であり、次々に出された鎖国令が江戸時代を支配し続けたとある。

 

このことは教科書などにも書いてあるのですが、二重に間違いです。何よりもまず、江戸時代には「鎖国」という言葉が少なくとも1800年代に入るまでなかったのです。来日したドイツ人医者が日本について書いた本を、訳した際に造語したと言われています。

 

ですから、当然のことに江戸初期に「鎖国」令が順を追って出されたというのは誤りです。それらはキリスト教の禁令だとか、ポルトガル船の入港禁止といった命令でした。

 

また、「祖法」であるというのも間違いで、家康はむしろ交易を拡げようとしたのではないですか。アダムスやヨーステンを顧問にして外国事情を学んだ事実もあり、ヤン・ヨーステンは「八重洲」の地名にもなりました。

 

家康は幕府が外国貿易を独占することを目指したようで、そのために各大名が大型船を建造したり、独自に外国と交易することを制限したのです。ただ、時代が下る中で、時の老中などの幕閣が「家康以来の祖法」としていったことは確かです。

 

しかし、幕府が国を鎖したと断定してしまうことは明らかに間違いです。少なくとも、長崎においてオランダや清国との交易は続いていましたし、対馬藩を窓口に朝鮮との交易が続き、あるいは琉球王国を介しての貿易も存在していました。(写真は長崎・出島)Photo

 

ですから明治新政府が、鎖国を国法として国を鎖した頑迷な幕府を、開明的な新政府が打倒したのだと声高に叫んだのは、明らかに間違いだと言えるでしょう。

 

第一に、当初「攘夷」を叫んでいたのは長州を中心とした志士と言われる武闘派であり、その説に踊らされていた攘夷派の公家であったわけです。

 

そもそもこの志士と名付けられた輩たちが、やったことはなんでしょうか。とくに禁門の変に至るまでの志士たちは、どうみても暗殺テロ集団あるいはテロリストにしか見えません。

 

後に「勤王の志士」などと名付けられているのは、誠に笑止千万です。鞍馬天狗の活躍などは、映画やお芝居の中だけでいいのです。それをやたらと持ち上げたり、靖国神社に祀るというのはいかがなものでしょう。

 

むしろ志士というテロリストたちが京の都を跋扈していた頃、本当に開明的であったのは江戸幕府ではなかったでしょうか。

 

当初は「外国船打払令」を出したりしていますが、10数年でその間違いに気付き、薪炭や水・食料を求めてやって来る外国船には、最低限の望むものを与えるよう指示しています。

 

少なくとも、ペリーが来航した頃には「外国船打払令」など存在していませんでした。また、鎖国をしていた幕府は国際情報に疎く、ペリーの来航も寝耳に水であったというのも明らかなまちがいです。

 

すでにペリー来航のはるか前から、日本近海には外国船が度々姿を見せており、港や浜辺の町に近寄ってきた例も多数見られます。また、オランダ情報でペリーがやって来ることも知っていました。

 

情報を得ていながら、事前の対応策が後手に回ったなど不十分であったことは確かです。しかし、それにしても「薩長より頑迷であった、遅れていた」という事実は全くないのです。

 

では次回はペリーの来航に絞ってみましょう。

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