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学びにはゴールなどないのだ

もうすぐ30年になります、私がMG(西研MG=MQ戦略ゲーム)に初めて出会ってから。

 

あの時は35歳でした(つまり現在はもう65歳)。それまで企画開発、マーケティングの仕事しかやっていなかった私が、いきなり経営管理室長というお役をいただいたタイミングでした。

 

私のいた会社はアパレル系の製造販売会社ですが、いわゆる「ライン」の仕事、すなわち生産現場や営業現場の仕事には10数年在籍していて、一度も就いたことがありませんでした。

 

それまで入社以来籍を置いていた開発部はもちろんスタッフ部門であり、商品企画では生産部と、また宣伝販促やマーケティングについては営業部門と密接に関連はありました。

 

しかし、要するに作ったり売ったり、あるいは仕入れたりという仕事には全くノータッチであったわけです。経営管理室もスタッフ部門ではありますが、日々の生産実績や営業の生の数字に触れる仕事です。

 

また、データや情報から読み取ったことを、インフォメーションとかインテリジェンスとして、ライン部門あるいはトップに伝えるという役割があります。

 

ところが当時の私は、数字にはからきし弱かったのです。それまで直接数字に触れる仕事をやってこなかったわけですし、また経営の数字にも全く無頓着に過ごしていましたから。

 

中間管理職として社員株主でもありましたら、毎年自社の決算書はいただいていましたが、それがどういうことを語ってくれているのかなど、さっぱり分かりません。せいぜい損益計算書を見て「儲かっているのだろう」という程度でした。

 

貸借対照表など、書かれている言葉(科目)の意味さえ分からず、また深く考えたこともなかったのです。要するに全くの「経営数字オンチ」だったわけで、トンチンカンな質問を経理部長にしたことも。

 

そんな人間が経営管理という仕事を任されたのです。一番戸惑ったのは私自身で「この仕事をやれるんかいな」というのが、正直な感想でしたね。いや、きっと周囲もそうだったかも。

 

そんな最中にMG研修を受ける機会が巡ってきたのです。

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よく「出会うべくして出会う」とか、「最も良いタイミングで出会いがある」とか言いますが、それはあとから言えることであって、その時には決してそういう気持ちにはなりませんでした。

 

九分九厘「やだなぁ、面倒だなぁ」であったのですよ、正直言って。ところが最後の一厘のところで、「もしかしたらこれってすごいのかも」と感じたのです。その結果が、30年学び続けることになるのです。

 

経営管理室長としての仕事は僅か2年半でした。学びながら仕事をしたのか、仕事をしながら学んだのかという年月でした。社内におけるMGインストラクターという役割も担いました。

 

そして何と、2年半後に販売会社の現地責任者(専務)として出向することになったのです。私はもちろん、周囲も殆どが驚きの顔でした。私などはまさに青天の霹靂でした。

 

もしMGを学んでいなかったら、そもそも販社出向という人事もなかったかも知れません。人間の運命とは不可思議そのもので、この出向体験が16年余にも及び、現在の私の仕事につながっていると考えると感無量です。

 

そして結論です。学びにゴールなどない、今日が最高の吉日です。

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