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2017年9月26日 (火)

脳力開発は人間学であり行動科学です(200)

江戸時代に書かれた中で最も著名なのは、儒学者・小瀬甫庵による『太閤記』でしょう。賤ヶ岳の戦いもこの中に書かれていますが、それによると佐久間盛政が勝家の指示を無視して、深く入り込みすぎたために戻ってきた秀吉軍に急襲されたと。Photo

 
 つまり敗因は一に盛政にありということなのですが、もっと大きな要因が前田利家の戦線離脱、つまり明らかな裏切りであったことは間違いありません。ではなぜ小瀬甫庵はそれを裏切りだとは書かなかったか。いや、実は「書けなかった」のです。

 
 実は当時の小瀬甫庵は加賀前田家に使えていて、家族で世話になっていたのです。まさか主家の悪口は書けませんから、事の全てを盛政の若気の至りのせいにしたのです。こんな風に、歴史を学ぶ時には周囲の状況も頭に入れておかねば、確定的事実にたどり着けないのです。
 

さて家康です。織徳(しょくとく=織田徳川)同盟と言われるように、桶狭間からしばらくしてより家康は信長と深い同盟関係にありました。信長にとっては、美濃を攻めてさらに京に上るためには、東方面の安心安全を確保するのに家康の存在が必要でした。

 
 当初は対等に近い関係を結んだと思われ、家康の嫡男・信康に信長は娘(五徳)を嫁がせます。しかし徐々に信長の力が大きくなっていき、完全に対等とは言えなくなっていったでしょう。しかし「律儀な人」と言われた家康は、しっかりと同盟を維持します。

 
 本能寺の変勃発の際に堺に滞在していた家康は、帰路を明智勢や土匪の妨害を受けますが、辛うじて伊賀越えをして伊勢に抜け、海路を三河に戻ります。すぐに攻撃体制を整えますが、その時には早くも秀吉の山崎での勝利が伝わってきます。

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