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2017年9月22日 (金)

脳力開発は人間学であり行動科学です(199)

山崎の戦いで光秀を破った秀吉は、この後「信長の後継者」としての意識を強くしていたようです。そのための根回しを緻密に行って、清洲会議に臨みます。この辺り、戦略を明確にして戦術を組み立てる、まさに脳力開発の目指すところです。

 
 清洲会議を主宰したのは柴田勝家ですが、勝家は対光秀戦でもはるかに遅れをとり、また会議に向けても信孝を後継者にという目標は持ちますが、根回しを行った形跡は余り見られません。目前の対抗馬・信雄に対してすらやっていません。

 
 秀吉は信長の嫡孫・三法師を担ぎ出し、山崎にも参加した宿老の丹羽長秀の賛同を得、池田恒興(信長の乳兄弟)を領土という餌で味方につけ(たらしい)、そして3才の三法師にもおもちゃやお菓子でてなずけていきます。これまた会議前に趨勢は決していました。Photo

 
 清洲(清須とも)会議は、信長の後継については、まさに秀吉の事前根回しでの圧勝に終わるわけです。勝家は辛うじて、自分が推していた信孝を三法師の後見とすることで、一矢を報います。また、会議の後「お市の方」を妻として挽回を図ります。

 
 また、秀吉の領地であった長浜・北近江を自領に加えますが、この地の戦略性を余り重視しなかったようです。ここには甥の柴田勝豊を守将として入れますが、勝豊は勝家が重用する佐久間盛政とは微妙な対立関係にありました。

 
 長浜は畿内への入口で、琵琶湖を経て京都に向かう拠点になります。冬場は雪に覆われる越前は大軍を動かせませんが、長浜は雪も少なく、しかも信孝の居城・岐阜や安土にも近いのです。むしろ盛政を入れるか、勝家自身がせめて冬場だけでも入るべきだったでしょう。

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