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2017年9月15日 (金)

脳力開発は人間学であり行動科学です(198)

秀吉軍は約2万数千人と言われ、6日の昼前後から一昼夜かけて居城の姫路に、全軍が帰還します。速く走るために武具などは打ち捨てて行ったとも。それにしても、6070kmからの狭い街道を、本軍が一気に駆け抜けたというのは空前絶後でしょう。

 
 途中の飲み水やおむすびの手配は、黒田官兵衛の指示であったとも言いますが、走りながら食べ飲みしたものと思います。秀吉自身は騎馬ですが、途中で居眠りして落馬することがあったとか、一部途中は船を使って沿岸海路を移動したようです。

 
 7日中には全軍が姫路城に到着、城内の金銀、米穀や武具などを全て分け与え、早くも9日には出陣して明石、兵庫、尼崎、摂津富田を経て、13日には山崎の合戦場に光秀に先んじて陣を張ります。この時には織田信孝らも合流、4万の大軍になっていました。

 Photo
 秀吉と光秀が激突した山崎の戦いは、「天下分け目の天王山」とも言われていますが、天王山の争奪戦は全体の趨勢にはほとんど影響はありませんでした。現在の天王山には碑が残り、そこからは淀川河原に広がる合戦場を見渡すことができます。

 
 戦いの勝敗は、本能寺からたった11日目の613日に秀吉が、3万数千の大軍を山崎に展開したところでついていたと言っても、過言ではありません。対する光秀軍は1万数千、数も勢いも秀吉側がはるかに勝っていたわけです。

 
 全軍を山崎に集結できた秀吉に対し、居城の坂本城や洛中、安土城に兵を割かねばならなかった光秀との違いもあります。何よりも繰り返しになりますが、前代未聞の速さで大返しを行った、その知恵と行動に脱帽というところでしょう。

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