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脳力開発は人間学であり行動科学です(197)

光秀の天下が11日で潰えたのは、光秀が無能であったからでは決してありません。むしろ有能すぎたが故に、必要な手を完璧に網羅しようとし、時間をかけてしまったのです。いや、通常ならそれでも佳かったのですが、相手が常人ではなかったのです。

 
 そう、秀吉が中国・備中高松の陣から、決戦の場となった山崎まで戻ってくるのが余りに早すぎたのです。常識では考えられない迅速さがどうして実現できたのか、アドバイザーたる黒田官兵衛のサポートも含めて見ていくことにしましょう。Photo_2

 
 62日未明の本能寺の変、その報せは翌日深夜、秀吉の元にもたらされます。一節には光秀が毛利氏にむけて送った密使を捕縛したといい、いずれにしても水も漏らさぬ包囲網に情報が引っかかってきたということは確かなことのようです。

 
 「
信長斃れる」の報せに秀吉は驚愕し卒倒したようですが、傍にいた黒田官兵衛は主君信長の仇を討つよう、強く励ましたと言われています。官兵衛の頭の中には、すでに「大返し」の筋書きができていたのかも知れません。しかし実行するのは秀吉です。

 
 正気に返った秀吉は官兵衛に毛利との早急な講和を指示、すでに毛利方の安国寺恵瓊と根回しを進めていたこともあり、条件を緩和(割譲領土の減)して講和に成功します。備中高松城主・清水宗治は、水上に船を浮かべて切腹しますが、これが64日です。

 
 翌5日、秀吉軍は撤退の準備を始めます。慌ただしく撤退しては怪しまれるということで、逸る心を抑えて準備を整え、近くの別の城(沼城)に移ります。6日に毛利側に面した水攻めの堰(土手)を切って水を流し、一気に姫路城を目指すのです。その行程約70km

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