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2017年9月 1日 (金)

脳力開発は人間学であり行動科学です(194)

信長の桶狭間の戦いを奇襲戦だと書いた本が、以前は主流だったようですが、事実と思われる資料・史料あるいは現場観察から言いますと、そうではないという結論になるようです。もっとも、計算され尽くした戦いとまでは言いませんが。

 
 強いて言えば遭遇戦だと思うのですが、勢いは明らかに信長の方にありました。その勢いそのままに、信長はこの戦いのあと尾張一国をまとめ上げることに成功していきます。また、桶狭間以降の信長の戦いは、徐々に相手を上回る物量戦に変わっていきます。

 
 また、情報を駆使して戦に勝ったというように書いた本もあるようですし、私もそのことをセミナーでお話ししていた時期もあります。しかし最近の研究では、どうもそういう事実はほとんど見当たらないようです。やはり事実に基づく分析は欠かせません。

 
 尾張を統一してからの信長は、じっくりと腰を据えた戦いを続けます。美濃の斎藤氏を滅ぼし併合するのには、何と7年余りを費やしていますし、朝倉、浅井を滅ぼすのにもかなりの年月をかけています。石山本願寺攻防戦も5年の長きに亘っています。Photo_2

 
 つまり短気で気ぜわしく、戦いも電撃的だという評価が信長にはつきまといますが、事実を見ると決してそうではないということになります。評価というのは一面だけを見て下すべきではない、ということですし、やはり事実をしっかり見つめることが大切です。

 
 さて信長の戦いはいくつもありますが、常に勝ち戦ではありませんでした。それどころか、桶狭間以降でも厳しい戦いがありました。その代表例は、朝倉攻めの際に浅井長政に後ろを攻められ、命からがら死地を脱して京都に逃げ帰ったことでしょう。

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