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応天門の変で消失したのは古代豪族

清和天皇の御代、平安時代もそろそろ中期に入りますが、その時に起こった最大の事件が応天門の変でした。時は866年、貞観(じょうがん)8年のことです。

 

この事件については「伴大納言絵詞」という絵巻物があり、その詳細を伝えています。これは平安末期の作ですが、源氏物語絵巻などと並ぶ四大絵巻物の一つで、もちろん国宝に指定されています。

 

この応天門は平安京にあったいくつかの門の一つですが、大内裏の内側にあり特に重要な門の一つです。当時は火事が多かったことも事実ですが、朝廷の重要儀式などが行われる直ぐ近くでもあり、しかも放火が疑われました。

 

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さっそく犯人捜しが行われたわけですが、大納言であった伴善男が「火付けの犯人は左大臣の源信(みなもとのまこと)だ」と告発したのです。

 

善男は常日頃源信とは仲が悪く、しかももし信が失脚すれば自分が昇格(右大臣)できる可能性が生まれます。告発を受けたのが右大臣の藤原良相(よしみ)、彼自身も左大臣への出世が期待できます。

 

すぐに兵が源信邸に送られ、これを包囲します。どうも清和天皇には話しもせずに、独断で決行したようです。源信一族は大混乱に陥ります、このままでは犯人にされてしまいます。少なくとも、厳しい取り調べが行われることでしょう。

 

そこに救いの手が入ります。ストップをかけたのが太政大臣の藤原良房で、救い出された源信は天皇の元に参上し、無実を訴えるのです。

 

訴えは通ります。そして、良房は逆に伴善男に疑いの目を向けます。真実がどうだったかは分かりません、今以て不明です。しかし、何しろ最大権力者の言うことですから、善男や一族、周辺の人々が逮捕され厳しい詮議を受けます。

 

その内に、(謎の)告発者=目撃者が現れるのです。おそらく当時の取り調べですから拷問もあったでしょうが、頑強に否定していた善男も、「目撃者」の出現についに自白してしまいます。

 

これで全てが決しました。善男は死罪、しかし『刑を執行しない』規定により流刑と罪一等減じられ、伊豆に流されます。一族郎党や周辺も流刑に処せられます。

 

その主な一族は伴氏はもちろん、紀氏も含まれていました。こうして古代に隆盛を誇った大伴(伴)氏は壊滅し、紀氏も力を完全に失いました。

 

しかも、左大臣良相も影響力を失い病がちになり、事件の翌年に病死してしまいます。また源信自身もえん罪をかけられたことで気力を失い(ストレス病)、出仕しなくなってしまいました。

 

つまり漁夫の利を得たのは藤原良房、そしてその子(養子)の基経でした。基経は、源信邸包囲の情報をいち早く良房に伝えたと言われます。

 

こうしてライバル(源信は嵯峨源氏の出世頭)は殆ど全てが消え、良房が最大権力を不動のモノにして、これ以降藤原氏が他を圧倒していく時代が訪れたのです。

 

なお、放火の犯人は今もって分かりません。しかし、謎の目撃者と言い、後ろで誰かが糸を引いていたことが疑われます。そうなると、最も利益を獲得した者が疑われるというのは東西古今の必至です。

 

しかし、最大権力の前には全てが闇に葬られ、沈黙してしまうのです。

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