« 初心者の多いMGは楽しみも多い | トップページ | 脳力開発は人間学であり行動科学です(184) »

空海、そして同時代人の藤原冬嗣

嵯峨天皇は書にも優れ、空海や橘逸勢とともに「三筆」と讃えられています。これはとくに大内裏の九つの門について、その門額を書き直すことになり、自らも含めてこの3人で3つずつ分担して書かれたようです。

 

さて、その空海は弘法大師の名でよく知られています。昨年が高野山の開山1200年に当たっていて、私も時間を見つけて上って参りました。あいにくの雨天でしたが、多くの人で賑わっていました。

 

生まれは讃岐国多度郡と伝えられていますから、多分現在の善通寺市辺りだと思います。14歳で平城京に上り、大学寮などで学んだようですが、それに飽き足らなかったようです。

 

20歳前には深山での修行を試みはじめますが、804年(30歳頃)に唐に亘る頃までの足跡は不明のことが多いようです。なぜ遣唐船のメンバーに選ばれたのかも、正確なところは分からない(真言宗内での伝承はありますが)ようです。

 

唐の都長安に入るまでも船が遭難寸前になったり、とんでもないところに漂着したりでかなり苦労されました。そして2年の修行の後に帰国されます。時に平城天皇の御代でしたが、しばらく太宰府に留め置かれ、嵯峨天皇即位の年に平安京に入りました。

 

Photo

そして816年に修行の場としての高野山が与えられ、現在に至る仏都が形づくられていきます。しかし空海自身は、都にいた時間の方が長かったようです。入滅は835年、61歳と伝えられています。

 

なお「弘法大師」と諡名されたのは、921年醍醐天皇によってです。空海については様々な伝承、伝説が数多く伝えられているほか、多数の伝記や小説も書かれています。ことわざにも「弘法も筆の誤り」とか、「弘法は筆を選ばず」というのもありますね。

 

文人の代表が空海なら、政治家の代表として藤原冬嗣を取り上げましょう。空海とはほぼ同時代を生きたことになりますが、こちらも嵯峨天皇の即位と共に中央政界に名を上げていきます。

 

薬子の変によって、仲成・薬子の藤原式家が没落、これに変わって北家の冬嗣が他の藤原氏を押さえて筆頭にのし上がります。ただ、薬子を悪女として描いている史書「日本後紀」は冬嗣の編纂命令によるものですから、どこまで真実かは不透明です。

 

また同時代に式家の藤原緒嗣もいましたが、官位はほぼ同程度でしたが、天皇からの信頼度など全てに置いて冬嗣が勝っていたようです。力とは裏腹に、人間力の優れた人物であったようにも思われます。

« 初心者の多いMGは楽しみも多い | トップページ | 脳力開発は人間学であり行動科学です(184) »

「歴史と人間」ひとりごと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107188/65579058

この記事へのトラックバック一覧です: 空海、そして同時代人の藤原冬嗣:

« 初心者の多いMGは楽しみも多い | トップページ | 脳力開発は人間学であり行動科学です(184) »