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平城天皇を牛耳ったのは悪女だった

桓武天皇崩御のあと、第一皇子である安殿皇太子が天皇として即位されました、第51代の平城天皇です。母は藤原乙牟漏、祖父は藤原良継(式家)です。

 

ちなみに、第一皇子が阿保親王ですから、天皇は伊勢物語の主人公とされる在原業平の祖父ということになります。

 

父の桓武天皇とは余りそりが合わなかったと伝えられ、またその素行にも問題があったと言われています。皇太子時代に藤原百川の娘・帯子を娶りますが、宮女(高級女官)の母であった藤原薬子と懇ろになってしまいます。

 

まさに皇室醜聞(スキャンダル)とも言える事件で、桓武天皇は薬子を宮中から追放してしまいます。なおこの薬子は藤原種継の娘であり、すでに5人の子を持つ人妻でした。他にも不倫があったと伝えられる「悪女」と称されています。

 

ところが桓武が崩御すると、平城天皇は薬子を元の宮中女官に戻し、あろうことか公然と寵愛することになります。薬子の夫(藤原縄主)は太宰府へ左遷されてしまいます。

 

そこに食い込んできたのが薬子の兄、藤原仲成(種継の長男)でした。つまり兄妹して、平城朝に政治介入してくることになったわけです。

 

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この仲成、よほど悪名高き人物であったらしく、朝廷内での評判は散々でしたが、兄妹揃って平城天皇の覚え良き時代には誰も反抗することができなかったようです。どちらも相当な傍若無人ぶりだったと推測されるところです。

 

ところが権勢も長くは続きません。平城天皇は即位当初は意欲に燃えていたようですが、兄妹に政治を任せてしまうとやる気を失い、元々病弱であったこともあって早々と弟・神野親王に譲位してしまいます。809年、第52代の嵯峨天皇です。

 

その冬には平城上皇は旧都・平城京に移り住みます。形成を失いかけた仲成・薬子兄妹もこれについて旧都に移り、二重政治の様相を現し始めます。皮肉なことに、譲位後の上皇は体調が回復し、ますますお元気になられたようです。

 

翌年挽回を図った上皇側は、平城旧都への遷都の詔を出しますが、嵯峨天皇は機先を制して上皇側への制圧を強めていきます。これが世に言う薬子の変、まさに事件の後ろに悪女ありを絵に描いたような事件でした。

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