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私の「鉄」の原点をつらつら思い出して

「鉄」歴とでも云うのでしょうか、年季は入っています。何しろ物心ついた頃には、近所を走っていた大阪市電を飽きもせず眺めていたそうですから。

 

近くの川(淀川)の河川工事で使われていた、トロッコを見ていたとかも。おそらく工事用のSLもそこにはあったと思うのですが、ハッキリした記憶はありません。

 

両親に連れられて市電に乗って梅田を往復する際には、運転席のすぐ後ろに陣取っていたはずです。車掌の鳴らすチンチンというゴングが気に入っていたようです。阪急の地上ドーム駅も、北野線の古い電車も記憶の片隅にあります。

 

4歳で移り住んだところには、阪急電車が走っていました。まだ梅田-十三間が複々線時代でした、遠くに国鉄の線路(鉄橋)も見えて、SLの姿も眺められました。

 

というわけで鉄歴は60数年になります。小学校の高学年になると、父が趣味にしていたカメラを持ち出してシャッターを切っていました。買ってもらったモノクロフィルムの20枚撮りを、大事に使っていました。カメラは確かペンタックス。

 

身体が弱くて、かかりつけの病院に通うことが月に1、2度ありましたが、阪急と国鉄城東線を乗り継いでいきました。今の大坂城公園駅の辺りには貨物線があり、焼け落ちた砲兵工廠の鉄骨も残っていました。

 

駅名はすぐに覚えました。父が要らなくなった旅行案内をくれましたが、そこには東海道本線の主要列車時刻表が掲載されていました。すぐに時刻表に興味を持ち、ねだって買ってもらったのは小学校5年生頃でした。

 

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残念ながら、その頃の物は写真も含めて残っていません。何しろ引越を何度かしましたので、その都度捨てるかどこかへ紛れ込んだしまったようです。

 

残し始めたのは高校時代からでしょうか。もっともその頃は、陸上競技に全力投球していましたし、大学受験勉強などもあって、物自体が多くはありません。

 

大学時代に入ると、まず写真を残すことを心がけ、次いで切符の収集をやりましたが、後者は長続きしませんでしたので、大したコレクションにはなっていません。

 

大学時代には鉄道研究会にも入りましたが、どちらかというと個人で活動することが多かったようです。最近はOB会にも割に顔を出している方ですが。

 

趣味誌である「鉄道ピクトリアル」を定期購入し始めたのも20歳頃で、これは今でも続いていますが、昨年の転居を機会にそれまで保管していた約40年分のバックナンバーは、全て売却あるいはPDF保存にしました。

 

模型づくり(ほとんど手作り)も手がけましたが、こちらの方は数年しか続かず、作った車両は全て譲渡してしまい、影も形もありません。

 

そんなわけで、今は乗り鉄が主で、その範囲での撮り鉄だけです。Facebookには、撮り鉄の範囲内での写真を紹介するページ「鉄道ファン」を作っていますが、ぬるい趣味の範囲内です。
https://www.facebook.com/railwayfan/

これからも、のんびり列車に揺られる旅を愉しんで参ります。

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