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死ぬまで怨霊に悩まされ続けた桓武天皇

前週は坂上田村麻呂について書きました。ところで歴史の教科書などには、田村麻呂が最初の征夷大将軍だと書いてありますが、実際にはその前任として大伴弟麻呂が任命されたことが資料に記されています。

 

田村麻呂はその時の副将軍だというのが史実ですが、その時にも高齢であった弟麻呂に代わって10万軍の指揮を執っていたようです。そして大将軍時代の功績により、征夷大将軍は部門の最高司令官という位置づけになったようです。

 

さて、話は桓武天皇に戻りますが、この天皇が怨霊に悩まされ続けたことは史料に明らかです。平城京を捨てて長岡京に移る最大要因は、井上皇后とその子他戸親王(皇太子)の怨霊でした。

 

もちろんそればかりではなく、歴代の政権中枢にあった為政者によって排斥された多くの犠牲者は、当然に怨霊として天皇や為政者とくに藤原氏を悩ましていたことでしょう。

 

有間皇子、大津皇子、長屋王、橘奈良麻呂、もしかしたら高市皇子もそうなのかも知れません。その辺りのことは史料には記されていません、だからといって「なかった」とは言えません。

 

そして史料に現れる最初の怨霊は、桓武の実弟である早良親王です。自身の子である安殿親王を皇太子にしたい親心が、桓武の心を狂わせたのでしょうか。藤原種継暗殺事件の黒幕として、早良を廃太子し、親王は憤死してしまいます。

 

その後に桓武を襲った次々の不幸、皇太子の病、疫病や自然災害、それらは怨霊のせいであるとされ、とくに早良廃太子を「崇道天皇」として追称し、墓も立派に築きます。今も京都には、崇道天皇を祀る崇道神社が存在します。

 

病に倒れた後には、暗殺事件に関わった人たちを元の位に復したりしていますが、これもまた怨霊鎮めの呪法の一つだったのでしょう。

 

しかしその甲斐なく、延暦25年(806年)に崩御されます。享年70歳。
Photo_2
 

なお、桓武天皇というと、空海や最澄を唐に派遣したことでも知られていますが、二人が仏教界に新風を巻き起こすのは、天皇死後のことになります。また宗教には詳しくない私には、とてもこの二人の高僧は語れません。

 
いよいよ安殿親王が後を継いで、51代天皇として即位されます、御年32歳。この天皇、皇太子時代からちょっと「不良青少年」だったとも思われ、また諡名にあるように、平城旧都に思いを強くしていたことが知られています。

 

それらのことが、短い在位期間(わずか3年)にも現れているようです。

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