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経営者は数字を見なくて良い?

ある日、財務諸表いわゆる決算書を見ていて、ふと気が付いたことがありました。
 

それはもう20数年前のことです、MG(MQ戦略ゲーム)を学んで10年くらい経ち、小さいな会社の経営を任されていた時のことです。突然気が付いたのです。
  

損益計算書の中で「一番大きな数字」は何か、もちろん経営者なら、いや経営者でなくても多くの方が知っていますが、それは最上位に書かれている売上高です。でも、その売上高はなぜたったの1行なのでしょう。不思議に思われませんが。
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毎月の試算表レベルだと、売上高が部門別になっていたり、売上値引の行があったりということもありますが、大抵は1行で片付けられています。それ以外の項目の多いこと多いこと、経費(販売費及び一般管理費)に至っては科目ごとの明細が別表にまとめられていたりします。
 

いずれにしても数字が小さくなればなっていくほど、「詳しく」書いてあるのが損益計算書。そりゃあ、最後に書いてある「利益」(当期純利益)が大事だってことは分かりますよ。でもねぇ、、、
 

もっとも、大半の(いやいやほとんど100%の)経営者は、売上高がたった1行であることに何の疑問も感じないでしょう。子細の数字は、毎日のように手元に届く帳票・PC情報で見ていますから。

きっとその数字も、サラリと見ているだけでしょうね。よしよし、今月はしっかり売れているなぁとか、もうちょっとがんばってもらわないといかんなぁとか、思いはするでしょうけど。

日々上がってくる売上・利益(あるいは在庫など)の数字ですら、チラ見してしまえばゴミ箱行き。それでも会社は動いている、一応問題なく。

まぁ、色んな会社を見てきました私の目から見て、「数字の好きな」経営者は余りいらっしゃいません。とくに決算書や試算表、いわゆる「会計の数字」に興味津々という方は少ないですね。

経営者の興味は数字にはありません。実際に「儲かっているのかどうか」ということに、興味があります。ましてや自ら数字をどうこうしてやろうなどとは・・・そんなことは財務・経理担当者、あるいは税理士さんの仕事なんですから(と思っておられるでしょう?)。

ダイレクトにいえば、金儲けに関係のないものは要らないのです。決算書や試算表は、それそのものは金儲けには関係ありませんからね。しかも「過去の結果」にしか過ぎず、5つもある「ナントカ利益」というのは引き算の答ですから。

しかし、経営の数字は役立つように加工できます、というより経営者たる者、自分に役立つようにデータを加工してインテリジェンス(情報)にしていかねば。

経営者は数字を見るなというコンサルさんもいらっしゃるそうです。そう、役立たない数字を見る必要はありません。しかし、役立つ数字にすればいいのです。要は、「経営の未来に役立つように」できるか、できないかです。

あなたはできますか?

脳力開発は人間学であり行動科学です(176)

現状をしっかりとつかみ、要因(原因)分析も深く行う、こうやって中心点をつかみ出す作業が終わったら、次に「中心点を決める」計画段階に入っていきます。この方向付けを戦略を呼んでいますが、目的や目標といった根本レベルの考え方です。

 
 この戦略に対して、目的や目標を達成する手段あるいは方法のことを、戦術と呼んで区別します。脳力開発の提唱者である城野宏は、『戦略は大胆に、戦術は細心に』と教えました。戦略は根本方向を決めること、二者択一なので大胆に決めるのです。

 
 一方、具体的な手段や方法は、細かく手順を決めていくものですから、途中で修正することもいとわないものですし、また場合によっては二の矢・三の矢も用意しておくべきものです。環境や条件の変化への対応は、この戦術レベルでなされるものです。

 
 一つの事例をご紹介しましょう。あるローカルな和菓子屋さんのお話ですが、その地域ではけっこう名の知られた、創業も100年近い名店でした。父である4代目社長から後を引き継いだ5代目は、まだ40歳代後半の意気軒昂な青年でした。Photo

 
 先代社長は堅実経営が信条で、売上利益を大きく伸ばすことはなかったものの、経済状況が悪い時期にも左右されることはなく、ずっと無借金経営を貫いてきました。5代目の青年社長は、それをこれまで少し物足りなく思っていました。(写真はイメージです)

 
 和菓子だけでなく洋菓子も含めた新商品の展開や、イベント販売と言った新しい試みも考えてきたのですが、これまでは先代の反対に遭い、思うようにできませんでした。しかしこれからはと、意気込んで急ぎ企画書としてまとめました。

「教えない」研修なのにまたやりたい!?

先週の遠征から、昨日の夜自宅に戻りました。少し道が濡れていましたが、幸いに雨はもう止んでいたようでした。梅雨時の遠征でしたが、傘を差したのはホンの僅かの時間だけでした。

 

実質4日間の遠征の前半はMGセミナーの講師、翻って後半の2日間はMG研修の受講生、真反対の立場での学びの週となりました。こういうのを、脳力開発的にいえば「対比的に学ぶ」となるのでしょうね。

 

前半の講師の2日間では、参加者の半数以上がMG初心者、その他の方も4月に始めたばかりの方々でした。時間配分も余裕を持ちながら、大切なポイントではできるだけゆっくり丁寧を心がけます。

 

ただ、MGはあくまで行入の「身体で感じて身につける」研修ですので、手取り足取りということは全くありません。受講経験のある方は分かるはずですが、通常の一般的な研修講座とは大きな違いがあります。

 

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MGでは、導入部の講義の中で真っ先に「教えない、教え合う、紙は自分で」ということを、受講者に伝えます。初めて来られた方は、「教えない」という言葉にいきなり戸惑います。えっ!?どういうこと?

 
つまりこういうことです。MGは300(万)円の資本金で会社を設立し、製造販売業を行う、すなわち材料を買って工場で作り、できた製品を販売する疑似体験ゲームです。一般の経営研修であれば、どうやったら売上を上げられるかをまず教えるでしょう。

 
どうやったら、原料(材料)を安く買えるのか、どうやったら効率的に製造できるか、どうやったら他社より高く売って利益が取れるのか。どうやって自己資本を伸ばしていくのかまで、懇切丁寧に教えてくれることでしょう。

 
ところがMGでは、インストラクターは一切教えてくれません。何もかも自分で考え、自分でやって下さいといきなり突き放されるのです。

 
諸表への記帳の仕方は、一応順を追ってキチッと教えますが、それは基本的に最初の1回だけで、次(2年目の経営)からはそれも自分でやりなさいと言われます。もちろん質問にはキチンと答えます。立ち往生すれば、手を差し伸べます。

 
ゲームですから、ルールや進行については説明をいたします。しかし、初参加の方には,余りに情報が多くてとても全てを理解するなど不可能です。でもそれでいいのです。ゲームをやってみれば、分かりますから、それが行入なのです。

 
というわけで、今回もMG初心者の方は大変だっただろうと思いますが、2日間終わって振り返ってみれば、なるほど苦労はしたけれどそれなりにやれたなと気付きます。時間がかかっても、ちゃんと決算まで完了し、なぜこうなったかを考えていたはずです。

 
最後に感想文をとりますが、その中にはほぼ全ての方が「大変だったけど」、「またやりたい」と記されていました。講師へのリップサービスではないはずです、間違いなくそう感じられたと確信しています。

 
あなたも、ぜひ次のチャンスに参加してみられませんか。

新企画MGセミナー無事に終了

大阪のコンサルティング会社・桂経営ソリューションズ様と初めてコラボした、MGセミナーも無事に終了しました。

 

今回が初めてのコラボレーション、しかも私から「間を置かずに3回くらい連続で参加していただける」企画をというが要望を出しましたので、厳しい条件だったようです。また、桂幹人会長の講話も毎回お願いするということで、いつものMGとはひと味違うものを目指しました。T__20170623_13_46_15

 

日程が決まったのが2月で、4月スタートの毎月開催という内容でしたので、ご担当の方は苦労されたと思いますが、私は数人の方で良いから続けて受講してほしいと考えていました。(経営的にはそうはいってられないことなのですが)。

 

結果からいいますと、3回連続で参加された方は3名、他にもう1社はメンバーを変えてご参加いただき、最終回は社長が出てこられました。

 

最終回の感想文を,戻り道で、そしてセミナー後に移動した東京のホテルで読んでいて、かなり無理をお願いしたけれどやって良かったと実感しました。

 

みなさんが、「ぜひまたやりたい」と書かれておりました、しかもかなり具体的に。今度は社員さんと一緒にやりたい、あるいは100回(期)を目指してやりたい。次も必ず出ると書かれていた方も。

 

インストラクター冥利に尽きますね。私の役割は、皆さんのために「次回」を作ることです。

 

さて、この土日は昨日までとは逆にMG研修の受講生です。というよりは、これが私の本来の立場だと思っています。30年前にMGに出会ってから、今日までそして今日からも西順一郎師に学び続けていくのです。

 

その合間合間に、学んだことを多くの方に伝えていく。そういう役割に気が付いたのは、いつ頃だったでしょうか。これが「天命」なのか、そんな大げさなものではなくても、小さな小さな役割です。

 

しかも、私にはもう一つ脳力開発を伝えるという大きな役割もありますから。幸い手は2本、足も2本です。両方に一つずつ担わせていただきます。

 

来週は伊勢・鳥羽でまた受講、その翌週は神戸で脳力開発講座、さらに次の週は熊本でCFMG、青森・八戸でワンデーMG開催です。色んな方からも声をかけていただき、心から感謝です。

 

よし、今日もしっかり学んできます。

脳力開発は人間学であり行動科学です(175)

前向きに妥協していくのが脳力開発的な脳の使い方、その基本は「自分が先に変われ」という土台習慣にあります。自分が変わっていくことによって、相手もそれに気付いて変わっていく。逆にそれがなければ、相手の方も全く変化してこないでしょう。

 
 相手を変えたい、そう思うことが誰でもありますね。身近なところでは子供や自分の伴侶を変えたいと思うことも、一度や二度ではないと思います。結論から言えばそれは不可能です、他人(と過去)は変えられないというのが基本原理です。

 
 だから、自分が先に変わるのです。子供の変化なら、もっと劇的に見ることができます。親が変わることによって、子供がみるみる変化していく事例は、枚挙のいとまがありません。まず自分が変われ、すぐにそしていつも実行して参りましょう。

 

指針のその四は、「常に中心点を明らかにし、中心・骨組みで考える習慣をつくろう」です。脳力開発では、とくに「つかむ」作業と「計画する作業」と呼んでいます。この前半の「つかむ」ことの重要性は、ドラッカー氏も繰り返し強調しています。Photo

 
 ドラッカー氏は、『未来を語る前に、今の現実を知らなければならない。現実からしかスタートできないからである。』と述べていますが、現状の把握と原因分析がカギになります。ここをしっかりやっていないと、後半の部分は意味がなくなります。(写真はネット上より拝借しました)

 
 ところが、色んな企業を見ていますと、経営理念や経営計画といった後半の部分に力を入れ、まことに素晴らしい内容のものを作成されている例を多く見かけます。しかし、残念なことに計画倒れになってしまっている事例も、たくさんあるのです。

坂上田村麻呂は心温かな武人貴族だった

蝦夷(えみし)征討の歴史は古く、日本書紀にもその記述があります。もっともその記述は、果たして史実かどうかは疑問視されているようです。さらに5世紀の後半の、雄略天皇(倭王武)による征討が宋書の中にあります。

 

ですから、古くから中央(ヤマト)に対して反抗する部族があったことが推定され、その内関東から北の部族を蝦夷と呼んでいたようです。ただ、反抗するといっても、それは中央から東北への進出に伴う小競り合いから始まったのではないでしょうか。

 

すなわち、アメリカの西部開拓史ではないですが、辺境(いわゆる「柵」)が北へ北へと延びていくことによって、有り体に言えば「侵略」が進むにつれて反抗も激しくなったかとも思うわけです。

 

つまり蝦夷側からすれば、大和朝廷の方が侵略者であり、平和を脅かす存在ではなかったのかとも考えられるわけです。歴史は常に勝者の側から書かれますので、さもありなんということになってしまうのでしょう。

 

それはともかく、蝦夷征討は奈良時代に入って本格化し、桓武朝に入ると蝦夷に阿弖流為(アテルイ)という英雄族長が現れます。この阿弖流為の元で組織的な抵抗が繰り返され、朝廷軍は789年に大敗してしまいます。

 

ここに登場したのが坂上田村麻呂です。平安遷都から3年後に彼は征夷大将軍に任命されますが、この時39歳の男盛りでした。その前年には征東副将軍の一人でしたが、中心的な役割だったのでしょう。

 
実際の戦闘は801年に入ってからでしたが、翌年にはアテルイは田村麻呂に降伏し、モレ(母礼)とともに京の都に送られます。田村麻呂は二人の助命を願い出ますが、朝廷はこれを退けます。

 
そのため、蝦夷の英雄アテルイはモレと共に斬刑に処せられますが、武人としての田村麻呂はおそらく涙を流したことでしょう。
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田村麻呂が創建(本願)したと伝えられる清水寺には、平安遷都1200年に当たる1994年に「北天の雄 阿弖流為母禮之碑」が建立されています。(写真は清水寺)

 
なお、蝦夷征討は財政の困難から804年に中断され、田村麻呂はそのまま将軍位を保ったと言われています。しかし、前回も触れましたが彼は武人(貴族)ではありましたが、武士ではありません。

 
その後は朝廷内で位を上げ、桓武、平城,嵯峨の三天皇に仕えて大納言にまでなっています。記録によれば身長が5尺8寸とも伝えられています、ざっと176cmですから、当時としてはかなり大柄だったのでしょう。

 
54歳で亡くなりますが、その後も偉大な武人、大将軍として語り継がれる存在でしたし、また東北・蝦夷地の人々にも慕われていたと伝えられています。アテルイ達の助命嘆願も含め心温かい人物だったと思われます。

会議を見れば会社の体質が分かる

今週から月末にかけては、上場企業を中心に3月期決算企業の株主総会が開催されます。今年は29日が集中日らしく、全体の約3割がこの日にやるようです。総務部を中心に、今頃はその準備に大わらわということでしょう。

 

私もいくつかの上場会社の株を僅かずつですが持っていますので、それぞれの会社から総会案内が届きます。多くが東京都内周辺ですが、わずわざ足を伸ばすこともないので、全てネットまたは書面での議決に代えています。

 

それは別として、私のクライアントさんは中小企業ばかりですし、株主総会といってもほとんどが身内の方や幹部社員さんが株主ですので、集まってお茶を飲むか食事をする、形式的な総会がほとんどです。

 

しかし総会はたとえ形だけでも最高意志決定機関ですから、その決定は重要な意味を持ちますし、取締役というのは役名だけではなく、責任の所在という意味も明白です。中小企業とはいえ、その辺りの自覚は必要でしょう。

 

さて、会社の意思決定といえば、その多くは「会議」の場で決められます。私も時々は、クライアント会社の会議に参加をさせていただきます。また、時にはご相談を持ちかけられた会社の幹部会議などに、オブザーバーとして出かけます。

 

先日読んだある本に、「会議を見ればその会社が分かる」という記事があり、我が意を得たりとうなづきました。これは自社の会議も含め、多くの会議に出た体験からも、その通りだと思うのです。

 

正確に言えば、その会社の体質とか風土、職場の雰囲気が分かり、問題点も見えてくるということです。しかもそれらは、会議に出席している経営者、幹部、社員には「当たり前」になっていて、余り自覚がないことが多いのです。

 

中小企業で最も多いのは言うまでもなく、社長(や有力幹部)の独演会です。こういう会社は現場の会議でも、ほぼ現場長が主導権を持って独走されています。

 

それは別として、会議のチェックポイントは2つあります。
 1) 発言は全員から出ているか、特定の参加者に偏っていないか
 2) みんながメモを取っているか、ホワイトボードなどを活用しているか
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その他にも、ファシリテーター的な司会進行者が存在しているかとか、人の意見を否定批判する人がいないか、あるいは「難しい」とか「無理だ」などのマイナス言葉が出ていないか、そういうところを見逃さないことです。

 

一つの会議と思うなかれ、おそらく他の会議もほぼ同じ状況ではないかと仮定してみると、全社に同じ雰囲気が蔓延していることが分かります。ということは、現場の空気すなわち企業風土そのものがそういう状況だということです。

 

この体質を打ち破るのは容易ではありません。社長に尋ねますと、意見が余り出てこなくて会議が盛り上がらないことは気にかけておられます。そこで、「もっと意見を出せ」とか「いいアイディアはないのか」などと叱咤するのですが、効果がないとのこと。

 

ハイ、重症ですね、それは。『全治数ヶ月』といったところでしょうか。何しろ企業体質の根本を変えることが必要なのですから。

 

そのためには、一人一人の意識と習慣を変えなければなりません。とはいえ、全員を一気に変えていくことは生易しいを通り越しています。

 

しかしやれます。山は小さく崩していけといいます、一人が変わればそこからネズミ算的に変わっていくこともありますから。本当はまず経営者からですが、それは後でも良いでしょう。

 

どこか一部門からでも、また一つの会議からでも、革新していきませんか。ぜひ手遅れにならない内に。

脳力開発は人間学であり行動科学です(174)

では、希望や意見がぶつかり合った時、法律問題には関わらない中で、つまりごく普通の社会生活や会社、組織の中ではどうやっていけばよいのでしょう。他人のそれはいざ知らず、自分の希望や意見をまず2種類に分けてみましょう。

 
 つまり一つは「容易に譲らない」ということで、これは強い希望や信条・信念というものです。自分の根本に関わること、大げさに言えば生き方の問題ですので、そうは簡単に譲れません。しかし、それだけのものに限るということでもあります。

 
 その反対の「譲っていい」希望や意見は、その他多数です。つまり大半はこの中に入ってくるわけで、実際になるべく譲るようにしていけばいいのです。それを頑固に譲らない姿勢をとってしまうと、相手と真っ向からぶつかることになっていくのです。

 
 原則以外を譲ることを「妥協」と言います。妥協するなんて嫌だとおっしゃる方もいらっしゃるようですが、妥協とは相手との間に協調点を設けるということです。その代わり、原理原則の部分は原則として譲らないという信念を保つことです。(写真は「降伏」のイメージ)
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 原則を曲げてしまうことは妥協ではなく、「降伏」といいます。妥協という対処は降伏とは全く違う、本質的に異なるものなのです。降伏すると自分は支配され、相手が支配者という、何とも不安定で非正常な人間関係をつくってしまうことになります。

 
 妥協点や協調点を探り合いながら、調和の関係を維持し、協力関係を作り上げていく、これこそが望ましい人間関係です。自分も活かされ、人も活かすという、いわゆる「Win-Win」の関係を築き上げていくことこそ、大切な脳力開発だと言えます。

夏至と梅雨入りのどっちが早くくるのかな

梅雨入り後なのに雨が降らないという「嘆き節」が、各地から聞こえてきます。なかなか降らない物ですから、早くも真夏の水不足が心配される状況で、友人の町では早くも水源ダムの取水制限が始まったそうです。

 

ところで、新潟県あるいは北陸から東北南部は、まだ梅雨入りの宣言すら出ていません。もちろん平年よりも遅れているのですが、今週もまだ雨マークの予報が余り出ておらず、夏至の方が先にやってくるのではという感じです。

 

雨降って地固まるといいますが、降るべき時には降ってもらわないといけませんね。そして地固まる前に、不完全燃焼のままに国会が閉幕。異例なことに、党首討論が一度も行われなかった通常国会、異例づくしだったのかなと首を傾げます。

 

どっちがうそを言っているのかというのが「モリカケ」論議ですが、ツユをかけずに水掛け論に終始したまま、時間切れハイさいならって感じですね。Morisoba

 

本来なら、「VANちゃん怒ってます」のジャンルで書くところなのでしょうが、あきれてしまって怒る気も起きないってところです。怒って叫びを上げても、虚しいだけですよ。

 

政治家も役人もどっちもどっち、本気で国のことや国民のことを考え、汗を流してやろうなどとは思ってないみたいでやりきれません。政治家の方が、きれい事を並べ立てる機会が多いだけに、余計にタチが悪いようには感じていますが。

 

何にしても、やりきれない気持ちを持っているのは、いずこも末端の人たちなんでしょうけど。彼らにしたって自分や家族を守らにゃなりませんから、職を賭けて、あるいは命を懸けてとはならないでしょうなぁ。

 

しょうがない、しょうがないで毎日が暮れていきますね。まぁ、これ以上愚痴を言ってもしょうがない、自分に何ができるのかをマジメに考えやるっきゃないでしょう。何ができるんか分からんけど。

 
さて、新しい週の始まり。今週は週の半ばから遠征、ミッションはセミナー講師とセミナー生徒。面白い組み合わせは、前回遠征と同じかな。『共に学ぶ』というところで、気持ちを整えていきますか。


 
世間の流れにくよくよしたってしょうがない、いつも前向きに行こうかい

名刺を配れば人脈ができる??

師・城野宏の教え、脳力開発の基本の中に、「仕事というのは、人と人との関係をいかにつくり上げるかにかかっている」とあります。人間関係づくり、人とのつながりづくり、あるいはご縁づくりと言い方は色々ですが、みな同じことをいいます。

 

あるいはさらにネットワークを広げていくことをいうわけですが、私自身も初めて当地にやってきた27年前、妻の縁戚や自社の他に知っている人がほとんどいないという状況でした。

 

ですから、最初のつながりは仕事の取引先、仕入先や販売先ということでした。また、金融機関や卸団地にいましたのでその事務局の担当者、そんな狭い範囲に限られていました。

 

脳力開発を学んでいる身にとっては、その実践として新たなネットワークを築いていこうと思うのは当然の成り行きでした。どうやって人に接触していくか、第一はそういう機会の作れる場所に足を運ぶことでした。


 
私自身が足を運んだ(入会した)場としては、卸組合青年部や中小企業家同友会を皮切りに、倫理法人会やロータリークラブと広がりました。他にも取引銀行の会などにも、積極的に参加しました。


 
とにもかくにも最初の頃は一所懸命名刺を交換し、こちらの名前を売り込むことに注力していました。つまりは、「今日は何枚名刺を配ったか」かがポイントでした。
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ある業種のトップ営業マンの方からは、「相手の方から『もうあなたの名刺はこれだけ溜まりましたよ』と言われるまで」配り続けると教えられました。それを大真面目で実践していたようです。


 
もちろんそれも効果がないとは言えませんが、何か違うなと思い始めたことも確かです。ただ名刺をばらまくことは、それほど効果がないのではないかと。そこで、もらった名刺を改めて眺め、印象に残った名刺の真似もしてみました。


 
その内にだんだんと気が付いてくるわけで、ただただ人にお会いして名刺を配るだけでは、人とのつながり=人間関係ができるほどカンタンなモノではないということです。


 
そんな目で見ると、確かに次々にテーブルを回って名刺を配って行かれる方の姿が目に付きます。なるほど、自分もああいう感じだったんだな。

 
本当のネットワーク、人脈とはそんな生半なモノではなく、心がつながっていくことだなということを、独立してからしばらくして気づき始めたわけです。気づいたことはすぐにやってみるということで、名刺も工夫しました。


 
未定ではありますが、もう一工夫もしてみようと考えています。ホームページやSNSのページも少しずつ変化を加えて、読んでいただく(であろう)方がしっかり目を向けて下さることも意識しています。


 
おかげで、本当のネットワークがさらに広がっていくように、昨今特に感じています。人脈をつくる、決してカンタンではないけれど、それが仕事あるいは志事であれば、成果を得るように高めていこうではありませんか。


 
ただ名刺を蒔けばいい、そんな仕事にならない仕事はやめましょう。

倫理入会から17年、できることをできるだけ

新潟県倫理法人会に入会して、今年で17年になります。熱心にお勧めをいただき最初に入会したのが、当時住んでいた長岡市の長岡市倫理法人会でした。21世紀のスタートと共にという意味もあり、2001年の1月入会でした。

 

その後色んな事があって、所属も長岡市から長岡西に代わり、逆単身赴任中は岡山市倫理法人会のお世話になり、戻ってきて再び長岡市の所属となりました。最初の年から幹事の端に加えていただき、2008年(2009年度)から2年間は、長岡市の会長を拝命しました。

 

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会長退任後も長岡市の相談役、監査、また時には県倫理法人会の役員にも指名をいただいた他、長岡西の副会長時代や長岡市に戻った際には、法人レクチャラーというお役もいただきました。

 

その際には県内はもちろん、県外の単会にもモーニングセミナーや経営者の集い(イブニングセミナー)の講師として、お伺いすることがありました。おかげで、色んなところ出会いのご縁をいただき、ビジネスだけでないつながりもたくさんできました。

 

その後しばらく仕事の多忙さもあって、レクチャラーからは退き、また昨年は新潟への転居によって、今度は新潟西倫理法人会に所属を代えました。長岡市の役員(監査)も昨年8月の年度末で退任して、しばらくは一会員としてのんびりと思っていました。

 

こちらに来ても仕事の関係で、モーニングセミナーはじめイベントにも半分くらいしか参加できず、幸い県外に遠征中は、時間が合う遠征先近隣の単会のモーニングセミナーに、顔を出させていただいております。

 

そんなわけですから、9月からの新年度も同じペースかなと思っていたところに、思いもかけず役員へのお声がかかりました。新潟西の監査をお願いしたいとのこと、また新たにできる「県内レクチャラー」にもとのことでした。

 

倫理は素直に『ハイ』と受ける。長年お世話になっていますし、新潟西にはまだ何の恩返しもできていませんので、あくまで無理なくできうる範囲で受けることにいたしました。


 
正式に拝命が決まりましたら、自分の体験、といってもそんなに大それた事など一つもありませんが、自分のやっていることを通じて感じたことや学んだことを、お伝えしていければと考えています。


 
活動はもちろん県内中心ですが、遠征で各地の単会にお伺いしたおりには、どうぞよろしくお願いいたします。

脳力開発は人間学であり行動科学です(173)

上から目線という言葉があります。「自分だけよしの姿勢」の人は、そうなっていることが多いようです。つまり、誰でも欠点や短所をもっているのに、自分はもっていないと思っているのでしょうか。人によって意見が違う、という認識さえないようです。

 
 少し前にも書きましたが、そのことに気付かないままにやってしまっていることも、少なくないのです。それがために、平気で他人に対して押しつけをやったり、時には強権を行使して自分の意見を通してしまうということをやってしまうのです。(写真はトランプ氏=イメージ的に使用)
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 人は意見も希望することも違う、そう考えることが脳力開発の土台なのですが、当然のことに意見が違うと対立関係になることも自覚しています。それは当然のこととして素直に受け容れ、ぶつかり合うことを厭わないのです。

 
 希望も意見も人によって皆異なる、これが基本の、ごく当たり前の土台です。ですから、どうしても他人(の希望や意見)とぶつかり合うことも当たり前にあるのです。避けては通れませんので、真っ正面から受け止めていくことも大事なことなのです。

 
 そんな時に、「自分の意見や考えの方が正しい、善であって君の意見はおかしい、悪である」として、相手をつぶしにかかる姿勢が「自分だけよしの姿勢」です。そんな極端なことはしないよと思っても、多かれ少なかれやってしまうものです。

 
 かといって、何もかにもが自由であって、誰もが何を主張してもやってもいいというわけではありません。そこには自ずと規範あるいは倫理があって、時には法律のしばりもあるでしょう。つまり、世の中にはちゃんと調整機能が存在しているのです。

三つ折り会社案内リーフレットづくり

ここ数日ずっと気温の低い、そして天気の不安定な日が続いています。何でも偏西風の南寄り蛇行によって寒気が北日本付近に居座り、こんな天候をもたらしているそうです。

 

越後はまだ梅雨入りしていませんが、梅雨いるしている地方でもおかしな空模様になっているようですね。特に大変なのは農家の方々でしょうか、特に水田の水管理には気を遣いそうですし、露地もの野菜の出来も気がかりです。

 

今月は前半と後半に比較的短めの遠征がいくつか予定されていますが、その間の中盤は地元に落ち着いています。普段ゆっくり取り組めない仕事に力を注げる機会ですので、セミナーの資料見直しやこれからの準備、そして新たな企画を進行させています。

 

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その一つが企業案内の作成。これまでもA4で1枚の「会社案内」を、年に一度リニューアルしながら使っていましたが、オンデマンド印刷が進んできて単価も下がってきましたので、少し本格的なモノをつくろうと考えています。

 

手作りの1枚モノは、その都度小さな変更もたやすく便利ですが、やはりキチッとしたパンフレットも用意して使い分け、あるいは別の使い方で活用するのがいいかと思うのです。

 

そこで、A3二つ折りにするか、それとも三つ折りリーフレットタイプにするか、それぞれのメリット・デメリットを考え、リーフレットで進めてみることにしました。

 

これだとお配りしたり、郵送するにも手軽です。お渡しして、持って帰っていただく際にもそれほど面倒ではないかなとも。というわけで、デザイン作成にとりかかりました。

 

内容のコンテンツを準備して、デザインから全て丸投げする方法もありますが、一応自分であれこれやってみるかというわけで、パワーポイントでの原則制作作業に入っています。

 

その昔仕事でグラフィックデザインをやっていましたが、昨今はずっと離れていますし、元来センスもありませんので四苦八苦中です。しかも、レスポンスが取れる工夫もしようというので、苦心しているところです。

 

完成を7月末ということにして、8月の開催セミナーから活用開始、9月頃からは新たなサポート企画での新規クライアント開拓にも使っていく予定です。

 

さて、今日も少し手を進めていきましょう。(写真は現在のA4案内です)

脳力開発シニア講座第1回終了

今年開講の脳力開発シニア講座は、隔月開催3回シリーズの講座です。5月に神戸で、そして今月は東京で開講しました。今のところ毎回6名前後の方が受講される予定で、全受講の方には「修了証」をお渡しいたします。

 

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第1回目の講座は、いつもの講座同様に「脳力並びに脳力開発とは何か」ということです。これまで別の講座・セミナーを受講された方も半数以上いらっしゃいましたが、ここがキーポイントですので、新しい情報を含めてお伝えしました。

 

とくに脳科学の最近の研究はめざましく、次々に新しい研究発表がなされており、脳のメカニズムも随分詳しく分かってきました。でも、この講座はそういう科学的な知識はあくまで参考情報です。

 

むしろ自分自身を知り、これからどう自分を進歩発展させていこうかを考え、実行・実践していかれることを目的としています。そういう意味では、自分の人生戦略を明確にしていただき、それを達成するための土台習慣をつくろうというわけです。

 

ですから、私が講話の中で語る内容は余りに当たり前のことばかりです。なぁんだそんなことなのか、それでいいんです。おそらくこれまでは気づかずに、無意識の行動としてやってこられたはずのことばかりだと思います。

 

そのままだと、これまでと同じ思考、同じ行動が続いていくことでしょう。それでいいよと思うのであれば、それでも一向にかまいません。しかし、もし「より良くなろう」あるいは「より良い結果を得よう」と思われたら、変えなければならないのです。

 

しかし、自分を変えることができるのは自分だけです。どれだけ素晴らしい人に出会い、高い格の方の話を聞き、磨かれた知識情報に触れても、自分で自分を変えようとしない限り、その体験を十二分に活かしていくことはできません。

 

脳力開発は、それを実現していこうというのです。もちろん、皆さん自身の行動でということは当然の原理原則です。

 
1回の講座は10時スタートで18時までの8時間、特に午後からはケーススタディのバスセッションとなっていて、発表時間と総括を含めて約2時間半はグループでの「ワイガヤ」セッションを楽しんでいただき、時間があっという間に経つとの評価をいただきました。

 
他にも毎回実践「演習」があり、講話も対話式あるいはテキストの読み合わせなど、全てが受講者参加型のプログラムです。もちろん、終了後には交流会(希望者)を行っています。

 
2回目は神戸が7月の8日開催、東京が8月の5日開催、いずれも土曜日です。毎回基本テーマが異なる完結型の内容ですので、スポット参加でも十分学んでいただけます。

 
神戸、東京、どちらの会場もスポット参加可能ですのでお申し込み下さい。ホームページの他、Facebookのイベントページからもエントリーをお待ちしております。

●ヴァンガード経営研究所ホームページ
  http://www.vanken.jp/

脳力開発は人間学であり行動科学です(172)

 さて3つ目の指針は「他人の利益もはかる姿勢をつくろう」で、その対比は「自分だけよしの姿勢」です。他人の利益「も」となっていることに注目して下さい。つまり、自分もよしであり、他人もよしであることがこの指針のキーポイントです。

 
 これは近江商人・近江商法の、いわゆる『三方良し』にも通じます。いわゆる「売り手良し、買い手良し、そして世間も良し」という商道の基本ですが、一方的に奉仕することを否定はしていません。でも自分にも利益がある方が長続きします。
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 人間は欲を多かれ少なかれ持っています。私欲とも言いますが、私欲があるからこそ燃えてやれることも事実です。しかし私欲が余りに強すぎては、それが弊害になることもあります。何故なら他人にも私欲があることを忘れてしまうからです。

 
 私欲が嵩じてくると我欲になります。時にはそれがワガママといったカタチで表に出てくる、これが「自分だけよしの姿勢」だというわけです。こうなると、他人や周囲の協力を得られなくなって、結局仕事をやり損なうようになってしまいます。

 
 これは自分の脳の働きが偏ってきて、本来もっているはずの全体的な力を発揮できなくなるからです。強い私欲(我欲)はこのようにマイナスの面が、非常に多いのです。私欲を捨てよなどとは申しませんが、「自分だけよしの姿勢」はやめようよというわけです。

 
 私欲の強い人は、人の意見に耳を傾けません。聞いている振りはするかも知れませんが、その後は一方的に自分の意見を並べ立てます。意見が「異見」の場合はなおさらです。そのことに自分が気付かぬまま、押しつけを平気でやってしまっています。

藤原政権が次第に色濃くなってきた

藤原種継暗殺事件、早良親王の廃太子とその憤死事件。暗雲が立ちこめた長岡京を諦めた桓武天皇は、長岡の東北に当たる山城国葛野郡・愛宕郡に新たな京を定め、平安京と名付けられた都に遷ります(794年)。

 

早良親王や、その以前に廃され謎の死を遂げた井上皇后と他戸親王の怨霊に悩まされたためと言われますが、さらには天災や疫病の蔓延が再遷都の引き金になったのでしょう。

 

もっとも、平安京に遷ってもなお怨霊の跋扈、鴨川の氾濫などには悩まされ続けたらしく、天皇自身や皇太子(安殿親王)も時に病に悩まれたようです。

 

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この時期の朝廷では、次第に藤原氏の勢力が再び大きくなり始めており、長岡京で暗殺された種継や遷都の前に亡くなった百川と良継、百川の息子の緒嗣らを排出した式家が力を持っていました。

 

桓武天皇の皇后であった藤原乙牟漏は良継の娘であり、安殿親王(後の平城天皇)と神野親王(後の嵯峨天皇)の母となります。しかし、平安京遷都前に亡くなられます。

 

また、夫人であった藤原旅子は大伴親王(後の淳和天皇)の母ですが、父親は百川です。こちらも平安遷都までに逝去、相次ぐ悲事は早良親王の祟りとされたようです。

 
かくの如く桓武朝ではまだ藤原式家の優勢が続きますが、その力の源は奈良朝で先祖の不比等がやったが如く、自分の娘を天皇(あるいは皇太子)に嫁がせ、生まれた子の外祖父となることでした。

 
他の藤原家やそれ以外の豪族も、もちろん同じ狙いを持って天皇や親王に娘を嫁がせますが、皇后や夫人になれたのはほとんどが藤原氏です。この後藤原家が王朝を牛耳っていくのが、平安朝の中期まで続きます。

 
実際には明治時代に至るまで(もしかしたら今上天皇のご成婚まで?)、この「伝統」はずっと引き継がれていきました。良かれ悪しかれ、日本の歴史はこうして作られていったと言うことなのでしょう。

 
さて桓武朝と言えば蝦夷征伐、その中心となって活躍した坂上田村麻呂の名前が出てきますが、田村麻呂は後の歴史における武士とは異なる存在です。武門の公家という位置づけになるわけですが、次回はその辺りに焦点を当てましょう。

緊急営業会議は成果に結びついたのか?

過日、とある会社の緊急営業会議というものに参加してきました。何でもその会社のメインともいうべき商品の、そのまた最も規模の大きな得意先をライバル会社に取られてしまいそうだというので、社長以下営業部長から担当者まで全員参加です。
 

私はというと、その会社の顧問をされている税理士さんから声をかけていただき、あなたみたいな立場の違う人が入っていると雰囲気も変わるからと、何だかノセられて出席したわけです。
 

社長さんは、恰幅のいい50代の方で、名刺交換をすると3代目だということでした。お父さんが創業者で、叔父さんをはさんで後継社長になられて5年目ということでした。数年商社に勤めて入社したそうで、営業感覚では負けないという自負を感じる方でした。
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社員は50名で、営業部隊が23、残り13が物流と総務・経理という構成でした。その日の会議は営業部隊の約半数が集結し、20名を超えるメンバーで始まりました。
 

まずは営業部長から概況が報告され、くだんの得意先担当営業マンの上司である営業課長から、細かい経緯と状況の報告が延々と続きました。経緯はよく分かりましたが、後半は弁解じみた内容ばかりなのが気に懸かりました。
 

そして続いて社長から半ば叱責じみた発言があり、特にその得意先が初代社長の創業時代からずっと取引があり、当社として最も大事なお客様であることがくどくどと述べられました。ふと、営業担当者に目をやると何だか縮こまっているように見受けられました。
 

開始から2時間、ようやく全体会議のディスカッションが始まりました。とはいえ発言してるのは、社長や部長、あるいは課長以上の社員がほとんどで、一般の社員の発言は少ないのが気になりました。
 

さらに気に懸かったのは、ディスカッションの始めからこれからの「対策」のオンパレードだったことです。どのように挽回していくのか、ライバルから再び奪い返すにはどのようにすればいいのか、トップ営業で誰と誰とが訪問することだとか、いくつも案が出てきます。
 

結局その会議は夕方までかかりました。結論に至らぬままに終わるのかなと危ぶんだら、最後の最後に社長が立って、いくつかの方策を述べられ、それを明日からやっていくということでまとめとなりました。直接の担当社員と上司の課長が起立して、分かりましたと頭を下げていたのが印象的でした。
 

オブザーバーとして意見を求められるかと思いましたが、顧問の税理士さんが経営の数字面から意見を述べられ、その後にご指名をいただきました。その時に私が何をしゃべったかについては、ここでは省略させていただきます。ただ、その内容は税理士さんが私に期待していたモノだったようです。
 

さて、この会社(の社長)が掲げた方策、うまくいったのかどうか、あなたはどう考えられますか?

第1回もりおか開運MGが開催されました

今週の8日と9日の2日間、盛岡市郊外の緑豊かな高原で、西研MGのセミナーが開催されました。盛岡での開催は、私の記憶している限りでは2007年の7月以来であったと思いますので、ちょうど10年ぶりということになります。

その10年前のセミナーにも参加していましたが、確か台風の接近のために早く帰るために最後まで参加することができず、心残りでした。しかも、長岡市まで戻った翌日に柏崎を震源とした中越沖地震が起こったことで、さらに記憶が鮮明でした。

それから10年の間、盛岡あるいは岩手県での西研MG開催の声は何度か上がりましたが、実現には至らず、仙台市や八戸市での定期開催が続く中で、何とかしようよという声も次第に高くなってきました。

よしやろうと、盛岡市在住のSさんが声を上げてくれ、平日開催の日程も決まり会場も今回のところに決まりました。岩手山と、反対側に姫神山を望むロケーションは素晴らしく、初日は雨でしたが、昨日は見事な晴天に恵まれました。ゆっくり温泉にも入れるということもあって、充実の2日間になりました。T__20170608_10_48_08

1回の復活MGということもあって、各地からMG仲間が集まってくれ、東北や地元の方も初MGを含めて参加があって、とっても素敵な時間を送ることができました。

何とか来年以降も継続ができますように、そしてもっともっと地元の人たちもたくさん参加してくれますように、心から願っています。また参加するよという声も、多く聞かれました。そして、仙台-盛岡-八戸とつながっていけば、東北の人たちの参加機会も広がっていきます。

また、この地域には以前にMGを熱心にやられていた企業も少なくありませんので、そういったところが目を向けてくれ、若いメンバーへの教育として取り上げていただけるように、働きかけも大事ですね。

まずは、来年以降の継続開催を祈りながら、二つの山(岩手山が男山、姫神山さんが女山だそうですね)に再会を誓って、盛岡を後にしました。

脳力開発は人間学であり行動科学です(171)

また、批判を恐れるとか、あるいは批判に耳を傾けないという経営者も時に見かけます。こういう方も現状維持的な土台を持っていると言わざるを得ません。せっかく出された批判を、自分にとってのプラス方向に使うことができませんから。

 
 だいたい、自分の良くないところや足りないところは、自分ではなかなか気が付かないものです。それを指摘してくれているのですから、むしろありがたいことなのです。心地好い言葉だけを受け入れていると、その内「裸の王様」になりかねません。(写真は劇団四季による舞台です)
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 その意味で私はいつも「明元素(めいげんそ)」を提唱しています。明元素とは、明るく元気で素直なこと。特に最後の素直と言うことが、決めのポイントになります。素直に周りの批判や指摘にも耳を傾ける、ぜひそのようにありたいものです。

 
 私はMG(マネージメントゲーム)と脳力開発という、二つの公開セミナーあるいは企業内研修をやっていますが、セミナーの最後には必ず感想文を書いていただきます。感想文には、必ずどこか本音が出るものなので、現状打破かどうかも見極められます。

 
 現状打破の人の感想文には、「面白かった」とか「楽しかった」という言葉が出てきますし、講義の内容を「仕事の中でやってみよう・応用してみたい」といった表現もあります。「機会を作って」またやってみたい、が決めのセリフです。

 
 機会があればとか、次がもしあればではないのです。次を自らつくる気概をもっている、チャンスは向こうからやってくるのではなく、自分からつくり出すのだ。そういう積極的、能動的、そして主体的な姿勢と行動が未来を構築していくのです。

KKDDの最後のDは除いて有益になる

KKDD、「経験と勘と度胸とどんぶり勘定」を称してそう呼んでいます。KKDDで経営をやっていては行き詰まってしまいますよとか、激しい競争社会について行けませんよとか、あるいはまた時代の流れに取り残されてしまいますよと言われます。
 

私も中堅会社の管理職に抜擢された頃、とある著名なコンサルタント会社の幹部社員研修に参加した際に、講習の中でそのような言葉を聞かされた記憶があります。当時はまだ30台の前半の頃だったと思いますが、確かにそうだなとおぼろげながら感じたわけです。
 

その少し後にMGMQ戦略ゲーム)研修と出会い、その学びを深めていく中で、それは果たして正解なのだろうかという疑問に突き当たったのです。具体的な理由はありません、強いて言えば「勘」みたいな感覚でした。それでもかつて、一流とされていた先生の話です、まさかなぁ。
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しかしMGを通じて出合った人たちと話をし、その方々の自社における体験などを聞きながら、あるいはまた実際のMG=経営のシミュレーションゲームを積み重ねていく中で、もしかしたらKKDDも必要かもしれないと感じ始めたのは確かだったのです。
 

そして子会社たるローカルの販売会社に出向し、経営者の端くれとして経営実務に向かい合っていく内に、おぼろげな感覚は確信に変わっていったのでした。ただ、KKDDの内、最後のD、すなわちどんぶり勘定だけは除かねばならないという考えに至りました。(写真はイメージとしてお借りしました)
 

16年余りの小さな会社の経営者として経験を重ねる中で、自分の体験はもちろん、社員さんたちの日々の体験、さらにはご縁ができた学びの仲間経営者の体験など、それらは非常に貴重な情報それもインテリジェンスのレベル情報であることが明確になりました。
 

この最初のK(経験)をいかに活かしていくか、決して過去の成功・栄光にとらわれることなく、環境条件の変化に対応して活かせる工夫をしていくことが経営者の役割です。その意味では、経営者は経験の最高の料理人であるべきですね。
 

次のK、勘も決して馬鹿にはできません。それどころか、積み重ねた経験に基づく勘、あるいはインテリジェンスレベルの情報が生み出す知恵のレベルの勘は、何ものにも勝ります。それどころか、ひらめきと言い換えても佳い「最初の勘(第一勘)」こそが珠玉とも言えます。
 

それだからこそ、しっかりした裏付けが必要です。科学的であり合理的な、そうです「科学的経営」情報に裏付けられていることが必要条件でしょう。
 

そして次に度胸、それはプラス思考であり陽転思考であり、脳力開発でいうところの明元素(明るく元気で素直であること)です。そして正しい判断と確信して意思決定したことについては、躊躇なく行動する、一歩を踏み出すのです。
 

ためらってはいけません、ましてや失敗を怖れてやらないのでは話になりません。経営者であるあなた自身が決められなくて、行動しなくて、誰がやるというのですか。
 

今のあなたのは、そういうKKDがちゃんと備わっているでしょうか。経営者に必要なKKDの要素を、しっかりと身につけていてほしいものです。

雨もまた良しと心に言い聞かせながら

気温の変化が激しいですね。先週の新潟県内は夏日を越えて、真夏日になったところがかなりありましたが、ここ数日は特に朝晩の気温がぐっと下がっています。低温注意報が出されているようで、昨日の朝なども4月下旬の気温でした。

 

今日は少し元(平年並み)に戻ったようですが、今度は暖気と寒気のぶつかり合いで突然の雨や雷に注意が必要だとか。そういえば、先週も激しい雷鳴が何度か轟きました。

 

午後からは北の方に向かいますし、週末は東京に舞い戻りますので、持って行く服に頭を悩まされます。半袖にしようか長袖を入れていこうか、暑い時には邪魔になるけれど上にはおる服も必要かなとか。荷物が増えてしまうのも困りものですが、仕方がありません。

 

そういえば、そろそろ梅雨入りも囁かれる季節にさしかかっていますので、雨への備えも忘れるわけにはいきません。昨今は、いわゆるゲリラ豪雨も少なくありませんので、天気予報はしっかりと確かめなければなりませんね。Photo

 

先だっても、あるところでいきなりの大雨と強風に襲われました。駅からホテルに向かうところでしたが、通常なら5分もかかりませんので、折りたたみ傘で歩き出したのですが、半分もいかない内に傘が壊れてしまい、ホテルに着く頃には半身ずぶ濡れでした。

 

実際には30分ほどで小止みになりましたので、少し我慢して待てばよかったのですが、後の祭りです。いつだったかは、待てど暮らせど雨が強まるばかりで、歩いても10分足らずの距離を仕方なくタクシーで向かったことも。

 

車窓から見る雨の風景は、時には風情があるモノですが、重い荷物を抱え、あるいは引きずっていくには雨は願い下げです。

 

それでも、日本は雨が多いからこそ色んな産業も発展をしてきた。そう考えて、できるだけ「雨もまた良し」と自分に言い聞かせましょう。

 

さて、今日の午後からの天気はどうでしょう。出発の時点で雨が降っていませんように、さらには到着地の天候やいかに。

脳力開発は人間学であり行動科学です(170)

しかしながら、現状打破の行動といっても、そんなに突拍子もないことをやろうというのではありません。今やっていることの真反対をやってみるとか、組み合わせを変える、順番を変えてやってみることだっていいのです。易しい行動の組み合わせなのです。

 
 難しく感じるようなら、易しくできるように工夫すればいいのです。易しいところから、できそうなことから始めるということだっていいのですから。要は「私にはできない」という意識を払拭して、「やれる」「できる」と思い、実際にやってみることです。

 
 でもなかなか踏み切れない、やろうとして躊躇してしまう、そんなこともあるでしょう。邪魔をしているのは、実はあなた自身の中にある『内部ブレーキ』です。その一つは失敗への恐れ、あるいは他人の評価を気にする余り見栄をはることなどです。Photo

 
 経営者を訪問して話を聞きますと、ほぼ全ての方が「現状打破」を目指しているとおっしゃいます。現状維持でいいとか業績を落としてもいいなどと言う方は、まずいらっしゃいません。ところが話を進めていると、そうでない経営者もいることに気付かされます。(写真はイメージです=ブレーキ)

 
 経営者自らが行動することも含めて、とくにチャレンジするリーダーや社員に対して、「失敗を認めない」経営者が少なからずいらっしゃいます。口では一度や二度の失敗はしょうがないと言いながら、いざ部下たちが失敗を目にすると眉間にしわが寄るようです。

 
 これでは失敗やミスを犯してはいけないと、とくに社員の立場だとびくびくしてしまうでしょう。失敗は前進のためのワンステップである、そう考えることはできないでしょうか。大きな前進のために小さな失敗も存在するのだと、そういう広い心で。

平安京は平安な都ではなかった?

早良親王は桓武天皇の同母弟であり、11歳で僧籍に入られましたが、天皇の即位と時期を合わせて還俗されたものです。皇太子に就かれたのも本人のご意思ではなかったと思われますが、天皇の長子であった安殿親王はまだ幼少でしたので、おそらく中継ぎを期待されていたのでしょう。
 

そこに、「藤原種継暗殺事件」が勃発します。たまたま連座した官人の中に、東宮に仕える者が多かったこともあって、連座という濡れ衣を着せられたモノと思われます。もちろん皇太子の地位は剥奪され、乙訓寺に幽閉されてしまいます。
 

親王は無実を訴え、抗議の絶食を敢行しますが、天皇も側近たちも貸す耳を持ちませんでした。淡路国への配流が決まりますが、親王は絶食を続け道中で逝去されました。しかし、死骸はそのまま淡路の配所に送られてしまいます。Photo_2
 

ところが、その直後から桓武天皇の周りに様々な出来事が起こります。皇太子に立てられてすぐの安殿親王が病に冒されたのを皮切りに、天皇の后が次々に亡くなり、さらに実母である高野新笠までもが病死してしまいます。
 

ちまたにも疫病が流行し、都も洪水に襲われたりします。天皇は震え上がります、これは早良廃太子の祟り、怨霊の仕業に違いないと。すぐに何度も鎮魂の儀式を行いますが、怨霊の跋扈を止めるには至らず、ついに亡骸を大和国に戻し「崇道天皇」という諡を追贈します。

 
平安京の鬼門に位置する高野村(現在の左京区上高野)には、崇道神社が建立されます。この早良親王の怨霊が、史料に初めて出てくる怨霊だといわれていますが、これまで見てきましたように古代から怨霊という発想はあり、記録に残らないまでも「怨霊の仕業」とは多くの人が感じていました。
 

そして794年、都は新たに造営された平安京に遷ります。ここから世は「平安時代」に入りますが、京の都は明治天皇が東京に遷られるまで都として存在しておりました。また、中には正式の遷都勅令が出ていないので現在も首都は京都だという方もおられますが、これはちょっと無理がありそうです。
 

ところがその名とは違い、平安の都も当初は不安渦巻く、また疫病や自然災害にも何度か見舞われる状況でした。また蝦夷の平定のために大軍を送ったりしたため、風当たりも強かったようです。蝦夷征伐で名を上げたのは坂上田村麻呂でしたが、財政困難もあり、805年には中断を余儀なくされました。
 

そんな中で、いよいよ藤原氏が再び力を伸ばしていきます。また天皇は、最澄や空海といった仏教界の新星を保護したことでも知られており、まさに新しい都の新しい動きが始まりました。

東京キャッシュフロー(CF)MG開催

この土日は、東京神田・ウィズアクトさんのセミナールームでCFMG開催です。東京では今年、1月に川崎の小川会計さんで、6月と9月がこちらで、そして11月は豊島園のスワロースポーツさんで開催します。

 

CFMGですが、以前にも書いたことがありますが、新しいMGの形ではありません。すでに30年ほど前の1988年に、名古屋(マスト21)の横田真さんが考案されて始められました。横田さんには『上手な資金管理のしくみ』というCF解説の著書もありますが、現在絶版です。T__20170603_13_35_34

 

そんなわけでCFMGは80年代後半から90年代にかけて、数年間は各地で開催されていましたが、その後インストする方もいなくなってしばらくは空白期でした。

 

MGの中では第6表(キャッシュフロー計算シート)も作られましたが、一時使用されただけで最近はほとんど使われなくなっています。第5表のマトリックス計算書の中に、間接法計算による簡易表が入っているのみです。

 

その間に、上場会社においては財務諸表にキャッシュフロー(CF)計算書が義務づけられ、中小企業でも作成する会社が増えてきています。

 

しかし、CF計算書はただ決算(書)のために作るのではなく、日常の資金繰りチェックや資金繰り計画の元になるものですから、経営のための指標として重要なものです。

 

昨日のブログにも書きましたように、それなのに企業内では、経理や財務の担当者以外はCFへの関心は極めて薄く、経営者自身も「よく分からない」というのが現実の姿です。

 

そこで、今一度CFMGを復活しようと試みたのが2001年頃でした。付加ルールや記帳、決算方法などにその都度修正を加えて、昨秋頃にはほぼ完成形となりました。原稿のMGシートを使い、第6表による解説と記帳でCF計算を学んでいただきます。

 

現金取引のみの通常のMGとは違い、(材料)仕入は原則買掛、販売(売上)は原則売掛ですので、キャッシュがなくても材料の仕入はできるという利点はありますが、売上が上がっても集金(回収)をしなければキャッシュは潤沢になりません。

 

また買ったものはいつかは支払い(決済)をしなければなりません。その時にキャッシュがなければ借金をしなければ払えない、という状況に陥ります。

 

そういうわけですので、CFMGでは常に今ある現金を把握すると同時に、少し先の資金の動きについてもしっかり向けなければ行き詰まります。意思決定の幅は広がりますが、気を付けることも増えるのです。

 

今回も半数の方はCFMGに初挑戦です。通常のMGのベテラン揃いですが、初のCFMGからは新鮮な感覚を感じるようです。たとえば、仕入にキャッシュが当面は不要なら、その分を投資に回すこともできます。

 

いつもとは違うパターンでの経営をやってみることもできたりします。一方、いつもと同じパターでやることで、あるいは楽な経営ができるのかもしれません。といったように、自らチェレンジしてみることができるのが、MGあるいはCFMGの面白さです。

 

次回の東京は9/30-10/1の開催、その前の神戸は9/2-3です。他には、7月に熊本、10月に伊勢、そして岐阜でも11月に開催予定です。どこかで、機会を作ってCFMGをやってみませんか。

利益は引き算の答にしか過ぎないんですよ

東京は暑いですね、昨日の朝新潟を出る時には18度くらいの気温でしたが、東京は30度近い暑さ。日射しのきつい道路上はもっと厳しい感じでしたね。さて、今日はどうでしょうか。
 

この週末は都内で1月以来のキャッシュフロー(CFMGセミナー開催、今年はこのあと2回を含めて4回の開講です。
 

キャッシュフローと聞くと、経営者の方は資金繰りということを頭に思い浮かべるでしょう。金繰りなどと呼ぶ方も年配の方にはいらっしゃいますが、単純に言うと、お金の入りと出しのバランスを保ち、間違っても資金不足に陥らぬようにすることです。
 

ところが、現場の例えば営業マンや配送などの担当者は、というよりも常にキャッシュと向かい合っている財務・経理担当者を除くと、キャッシュフローには関心が薄いのが通常です。経営者ですら、キャッシュが足りなくなりそうになって初めて慌てる方がおられます。
 

営業マンは売上を上げることには一所懸命です。あるいはノルマがあったり、幹部や社長から背中を叩かれているからかも知れませんが、いずれにしても売上目標達成には汗をかくことを惜しみません。
 

もう少しレベルの上がった営業担当者は、利益(粗利益)に目を向けて仕事をしてくれます。少なくとも営業幹部社員は、粗利益重視の現場管理を心がけてほしいものですね。
 

でも、そんな「かなり優秀な」社員であっても、そのほとんどが<利益=キャッシュ>だという意識しかありません。ですから、月末に資金不足だ(キャッシュが足りない)と言われても、そんなはずはない、ちゃんと売上も粗利益も稼いでいますよと口をとがらします。
 

そうじゃないんだ、実際キャッシュが足りないんだからと経理部長や経営者が言っても半信半疑です。経営者ですら、口では言いつつも「どうしてだ」と疑問符がいっぱいです。Photo
 

これまでも何度かブログに書いてきましたが、「PL(上の利益)は意見、キャッシュは現実」なのです。PLの利益は、有り体に言ってしまえば「引き算の答」に過ぎないのですから。ここのところをよく理解していないと、判断や意思決定を誤ります。
 

引き算ということがお分かりでしょうか。すなわち、売上高から売上原価を引いたものが売上総利益(粗利益)です。そこから販売費及び一般管理費を引いたものが営業経費、さらに営業外損益を引いたものが経常利益です。
 

そこから特別損益を引いて税引き前当期利益で、予定納税を差し引いて当期純利益が計算されます。どうです、引き算ばかりでしょう。引いて、引いて、引いた末の答が最終残る利益です。でもそれはあくまで計算上の答に過ぎないのです。
 

全てが現金でやりとりされた上に、前期も今期も在庫がゼロであれば、初めて利益=キャッシュですが、そんなことは普通の会社ではありえないことでしょう。でもそういう数字に、経営者であるあなたはすがりついているのですか?
 

しっかり学んで下さい、決して難しいことではないのですから。ただし、難しくない勉強をして下さいね、くれぐれも。

脳力開発は人間学であり行動科学です(169)

ではなぜ理想と現実とのギャップを嘆くのでしょう。それは自分の怠慢や行動できないことを正当化し、言い訳をしていることに他なりません。現実のせいにすること、これこそが「人頼りの姿勢」です。口では理想を唱えるが実際は何もしないでは困りますねぇ。

 
 もう一つ大事なことは、これから先の指針も同じことなのですが、「自分でやる姿勢」と「人頼りの姿勢』とは決して両立しないということです。互いに裏表の関係、どちらが正しいということではなく、同時に二つの姿勢をとることはできないのです。T_20170519_1

 
 すなわち、あなた自身の選択の問題なのです。どちらの姿勢を根本(土台)として行動するのか、人生を歩むのか。選択そのものは主観的に自由ですが、そこから生まれる結果や因果関係は、客観的な法則ですから自分の自由にはならないのです。

 
 さて、
指針のその2「いつも進歩発展を目指す姿勢をつくろう」です。その反対は「現状に甘んずる姿勢」ですが、グッと縮めて「現状打破の姿勢」と「現状維持の姿勢」との対比で考えます。もちろん、この二つも同時に両立することはありえません。

 
 これは大げさな言い方になりますが、『生き方の選択』の問題だと言えます。ありていに言ってしまえば、どちらを選ぶのか、それだけの違いなのです。しかし、結果といいますか、起こってくる状況にはとてつもなく大きな違いが出てくるのです。

 
 では現状打破と現状維持、どちらが易しくてどちらが難しいのでしょうか。現状維持の姿勢というのは、今やっているその通りを続けていくということですから易しそうです。一方、現状打破は何だか面倒で難しそうに感じてしまいます。

今上天皇陛下の退位法案を想う

天皇陛下の退位を実現する特例法案が、今の通常国会で可決される見通しになりました。恒久法である、皇室典範の改正には時間的にも難しく至りませんでした。このことが、将来に禍根を残すことのないように願いたいものです。
 

この法案についての議論や評論の中で「生前退位」という言葉が出ていました、この言葉は誤りです。正しくは「譲位」です。この誤りは修正しておく方が佳いでしょう。
 

史上明らかになっている、天皇の譲位の最初は645年の皇極天皇です。これは乙巳の変(中大兄皇子が政敵であった蘇我入鹿を大極殿で暗殺した事件)が起こり、衝撃を受けられた天皇が退位し、弟の孝徳天皇に皇位を譲られたものです。
 

これ以降も多くの天皇が譲位されています。存在が疑問視される天皇も含めて125代ですが、その中で57代の天皇が譲位されていますから、割合はかなり多いのではないでしょうか。ちなみに最後の譲位は江戸後期の、119代光格天皇でした。
 

また今の皇室典範では、先の天皇が崩御された後に即日即位ですが、かつてはそうでもないことが何度かありました。古代には1年から数年、即位の儀が停滞していた例(天智天皇や持統天皇など)も見られます。
 

さて、今回の特例法案には、女性宮家等について速やかに検討するという付帯条項が付きましたが、女性宮家とは何でしょう。そもそも、宮家というのは?おそらく、現在宮家がいくつ存在するのかも知らない人が多いことと思います。
 

現在の宮家は6家です。宮家には天皇陛下、並びに皇太子殿下のご家族は含まれません。すなわち、秋篠宮家、常陸宮家、三笠宮家、三笠宮寛仁親王家、桂宮家、高円宮家の6家です。この中の男系男子が、皇太子を含め皇位継承権を持つことになりますが、その数は7名、しかも4名は60歳超です。Photo
 

現行法では、女性皇族は天皇や皇族以外の男子と結婚されると皇族を離れることになり、今後皇族の数、宮家の数がどんどん減ってくことになるわけです。その現実問題に、なかなか手が打てない、アプローチされない、というのが現状です。
 

そこで成人された、あるいは婚姻された女性皇族も女性宮家を創設できるようにしよう、そういう意見が以前から出ていました。歴史上、女性皇太子はただお一人(阿倍内親王→孝謙天皇)いらっしゃいますが、女性宮家は存在していません。
 

また、皇位は男系男子に限るという規定についての議論ともからんでくるでしょう。すなわち、女系男子への皇位継承はどうなのか、女性天皇の即位はありなのかなど。歴史上男系女子の天皇即位はありますが、女系男子あるいは女系女子の天皇はいらっしゃいません。
 

しかしながら、将来共に天皇制度を維持していくのであれば、何かしら新しい方策を講じていかなければならないことは、素人でも分かります。万世一系などというつもりはありませんが、日本人の心の軸である天皇、その存在がさらに永く保持されることを望みます。

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